2020年03月17日

スージー・ロトロのFBIファイルが存在。ということはボブ・ディランのファイルも…?

文:アーロン・J・レナード(トゥルースアウト


元記事 “FBI Tracking of Bob Dylan and Suze Rotolo Foreshadowed Future Abuses” by Aaron J. Leonard, Truthout


 ネオ・ファシスト団体「プラウド・ボーイズ」が2019年8月17日にオレゴン州ポートランドで集会を開き、それが左派集団からの抗議を受けた時、ドナルド・トランプも「アンティファを「テロ組織」と呼ぶことを鋭意検討中」とツイートしてこの論争に加わった。このツイートのちょうど1カ月前には、テッド・クルーズ上院議員(共和党の保守強行派政治家)がRICO法(威力脅迫及び腐敗組織に関する連邦法)に基づいてアンティファを調査することを求め、それがFBIや他の連邦の調査機関に対してゴー・サインを発するかたちになってしまった。アンティファに対するこのような弾圧の指示は、いわゆる黒人アイデンティティ過激派等に対するFBIによる監視と相まって、現在、恐ろしい道を作りつつある。スージー・ロトロは過去の時代の文化的人物だが、先頃公開された彼女に関するFBIファイルからはさまざな洞察が得られ、こうして行なわれる調査はえてして行き過ぎる傾向があることを強調している。



FBIと《The Freewheelin' Bob Dylan》


 1963年にボブ・ディランは出世作となったアルバム《The Freewheelin' Bob Dylan》をリリースした。冷戦状態に異を唱えたこの芸術作品には、第3次世界大戦をパロディー化した〈Talkin' World War III Blues〉、不平等や黒人差別に反対した〈Blowin' in the Wind〉〈Oxford Town〉、キューバ・ミサイル危機によって変わってしまった世界のヴィジョンを印象深く歌った〈A Hard Rain's A-Gonna Fall〉等が収録されている。こうした歌は社会秩序に楯突いたものであり、多くの点で、その後10年間にわき起こった黒人解放運動、反戦、その他のラジカルな社会運動の上演開始のベルとしての役割を果たした。
 レコード盤が入っているジャケットには、ディランと当時のガールフレンド、スージー・ロトロが、2月の寒さの中、グリニッジヴィレッジのジョーンズ・ストリートを歩いている有名な写真が使用されている。ディランと《Freewheelin'》、そしてロトロとの関係については多くの文章が書かれているが、2011年に亡くなったロトロ本人も、2009年に出版した回想録の中で、この関係について自ら綴っている他、政治活動家、芸術家として活躍していたことも述べている。しかし、一般には知られてなく、あらゆる記事が書き漏らしてしまっているのは、あの写真が撮影された頃、そして、ディランとつき合っていた期間中もずっと、ロトロが----そして、ある程度はディランも----FBIの監視下にあったということだ。ロトロに関するFBIファイルは、1960年代にFBIが弾圧的な活動を行っていたことを示す典型的な資料であり、FBIや、反対意見を押さ込もうとするその他の組織が、現在もなお不気味に存在することを強調している。
 スーザン・エリザベス・ロトロはメアリー&ジョアチーノ・ピエトロ(「ジョーキム」もしくは「ピート」としても知られている)・ロトロの娘で、両親ともアメリカ合衆国共産党の党員として積極的に活動しており、FBIにはマークされていた。

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 スージー・ロトロはディランとつきあう前からFBIのレーダーに引っかかっていた。共産党青年部の組織「デュボワ・クラブ」の前身である「アドヴァンス」というグループに参加していたからだ。恐らくこのために、彼女が1961年前半に(ディランと出会う数カ月前)母親と一緒にイタリア旅行をするために、パスポートを申請したのをFBIに察知され、彼女の渡航計画に関するメモがファイルへのエントリー第1号となった(ファイル中の他の報告には1958年の出来事のものもあるのだが)。ロトロのファイルは最終的には174ページになった。FBIの平均からするとそんなに多くはないのだが、彼女を調査対象とすべき根拠の小ささからすると、大量だと言える。ロトロに関する情報収集は1974年まで続いていた。
 ファイルにある文書を読んでいると、アメリカ版シュタージ(国家安全保障局、CIA、FBI、軍の諜報機関などの総称。「シュタージ」とは、もとは、旧東ドイツで国民を監視していた秘密警察機関のこと)の臭いがプンプンする。例えば、ロトロがティーンエイジャーの頃に「キャンプ・キンダーランド」に参加したという報告がある。FBIのリポートによるとここは「共産主義者が運営しているキャンプ」であり、ある情報提供者から得た「彼女は16歳の時にしばらく、有名な共産党指導者の息子のガールフレンドだった」という記録もある。
 ファイルは続いて、ディランとの関係について語り、「1963年中、イタリアから帰国した後はボブ・ディランという名のフォークシンガーとつき合い、その関係は1963年12月くらいまで続いた」という報告にクロスリファレンスがついている。ジョン・F・ケネディー大統領が暗殺されてまだ間もない1963年12月に、ディランが緊急人権擁護委員会(Emergency Civil Liberties Committee)からトム・ペイン賞を受賞した際に行なった発言に関する報告にもクロスリファレンスがついている。ディランはここで、いつもの挑発的なスタイルで、リー・ハーヴィー・オズワルドについて私見を述べた。自分だったら絶対にそんなことはしないがと明言しながら、「私は彼の中に少し自分を見ました」とも語ったのだ。この発言は小さくない混乱を巻き起こし、ディランは退場しなければならなかった。もちろん、この件もロトロのFBIファイルに記録されている。
 その後、この出来事はロトロのファイルの中でひときわ目立つ汚点を残すものとなってしまった。FBIは1964年の報告書の中で「1963年中、対象はフォークシンガーのロバート・ディランと頻繁に会っていた」と記し、その後で、再び、緊急人権擁護委員会でのディランの発言について説明している。ロトロのファイルがその存在を強く示唆しているボブ・ディランに関するファイルの中で、この件に関してはさらに多くのことが知られよう。現在、そのようなファイルの公開請求権を一番有しているのはディランである。
 ロトロのファイルの中にある最も驚きのものは、「陸軍省[編集済]職員によって用意された」1964年7月の報告書である。その情報提供者の説明によると、仕事としてFBIの報告書を読んでいる際にロトロの名前を発見し、その後、FBIに次のような報告書を送っている:「私の妻は1956年頃までスーザン・ロトロと極めて親しく…昨年、親類経由で聞いた話によると、スーザン・ロトロはフォーク・シンガーであるボブ・ディランとつき合っていたらしい。1963年にコロムビア・レコードはボブ・ディランのレコード《Freewheelin'》を発売し、スーザン・ロトロはアルバム・ジャケットの写真にディランと一緒に登場している」 報告書はこう述べて終わっている:「妻のごく近い親類によると、ディランとの関係は既に壊れているようである」 家庭内のゴシップは、このようにして、FBIへの通報へと変わった。
 公表されたページについて特筆すべきは、FBIが1950年代には積極的に共産主義者を見つけだそうとし、1960年代にはそのターゲットをニューレフトに変えるという大きな策謀の中で、ロトロがどのような経緯で目を付けられたかである。ロトロに関する資料収集が継続された主な理由は、彼女のキューバ訪問だった。関係書類のうちの多くは、彼女が1964年に政府の出した渡航禁止令----55年経った現在も禁止のまま----を無視して、学生旅行委員会でキューバに旅行したことに関するものだった。ロトロは旅行中、熱心に代表を務めていたことだけでなく、毛沢東主義に傾倒している進歩労働党がキューバ訪問の準備に関与していたことで、さらに危険かつ悪質と見なされ、ロトロはFBIから「SM-PL」(治安問題ー進歩労働)という監視対象者略号をもらっている。FBIとしては、彼女をセキュリティー・インデックス----「国家緊急事態」の際にはただちに拘束すべき人間のリスト----に加えるには、以上だけで十分な理由だった。ロトロは数年間イタリアで暮らしていた後も、1971年1月までこのリストに載っていたのだが、「対象は1965年以降は合衆国では活動していない」ということでリストから外された。
 ロトロのファイルに関して最も重要なのは、それが存在していたという点と、ディランに関するもっと大きなファイルが存在することを臭わせていることだろう。また、ロトロ・ファイルが語っているのは、「アメリカ国民を守り、合衆国憲法を擁護する」という使命に主眼を置いていると思しき組織の守備範囲の広さである。FBIがロトロの行動を逐一マークしていたことは、同組織が、20世紀後半を通じてウディー・ガスリーレナード・バーンスタインジョン・レノンといったアーティストを調査していたことと、同列上にある。秘密を話したがらない組織や政府によって、他のアーティストが「ゆるい」レベル以上の監視をどの程度されていたのか、その全貌は全くわかっていない。こうした全ての監視行為は、アメリカ合衆国が個人の政治的自由をおとぎ話的に認めているのとは、好対照をなしている。FBIの反共活動が守っていたのも、こうした自由だと思われていたのだが。
 ロトロとディランの監視は悪しき時代の残骸であり、今は事情が違うという意見もあろう。しかし、本当に異なっているのだろうか? 今日のFBIを過去のそれと同じだと考えることは、いともたやすい。法的に従わなければいけないプロトコルや規則は今日のほうが厳しいが、白人至上主義を唱える勢力の台頭によって情勢が極めて複雑になっているせいで、FBIがどういう性質の組織なのかを見失うのは間違いだろう。FBIは、国内向けの諜報機関としての役割においては、昔と何ら変わらない。「国内における政治的警察であり、国家が脅威と見なすものには、ただちに立ちはだかる」組織なのだ。トランプとクルーズのアンティファ関連の発言が、捜査の優先順位をねじ曲げ、要捜査と定義した存在に対する攻撃を露骨にエスカレートさせる結果となっているというのは、その好例である。その点から見ると、ロトロのファイルは、過去において弾圧的な力が行使されてきた証拠であり、今後もこうした職権の濫用に対して用心する必要があることを強調している。

The original article “FBI Tracking of Bob Dylan and Suze Rotolo Foreshadowed Future Abuses” by Aaron J. Leonard, Truthout
https://truthout.org/articles/fbi-tracking-of-bob-dylan-and-suze-rotolo-foreshadowed-future-abuses/
Copyright, Truthout.org. Reprinted by permission


このブログに掲載したFBI関連記事:
・報公情開法によって開示されたデイヴ・ヴァン・ロンクに関するFBI文書
http://heartofmine.seesaa.net/article/461941837.html

・エレファンツ・メモリーのベーシスト、ゲイリー・ヴァン・サイオック、ジョン&ヨーコを語る
http://heartofmine.seesaa.net/article/433310623.html

  



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2020年03月10日

52年前の今頃、ビートルズはインドで瞑想修行中

 この記事を紹介するのにキリのいい50周年は逃してしまいましたが、2年前のインドではビートルズのリシケシュ修行50周年ということで、ちょっとした回想ブームでした。リシケシュの瞑想道場の中でビートルズの取材をしたジャーナリストの回想録がこれです。


50年前のアシュラム・メモ:ビートルズ、マハリシ、カラス、そしてパチンコ
文:サイード・ナクヴィ


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(左)ポール・マッカートニーとホーリー祭を祝う筆者 (右)マハリシと散歩をする筆者

 50年前の2月にリシケシュでビートルズと過ごしたことを回想したきっかけは、編集部の人からの電話だった。あれから長い年月を経た今になって、あのアシュラム訪問について客観的な視点で記事を書いてくれと、熱心にお願いされたのだ。
 このリクエスト自体が、皮肉が内在しているものだった。この編集部員が私の書く記事に見出していた大きな価値は、はるか数十年前に『ステイツマン』紙(コルカタで発行されている高級紙)の専任編集者から受けた冷たい対応とは、好対照をなしていた。
 当時、まだ20代だった私は、2つの世界にまたがる世代に属していた。インドの古典音楽も大好きだったが、ビートルズの虜になるのにそれが邪魔になったわけでもなかった。しかし、インドの主要紙を自認する『ステイツマン』は、ビクトリア時代の堅苦しい性質をまだ払拭していなかった。1966年には最後のイギリス人シニア・エディターたちは去っていたが、シニア・アシスタント・エディターや彼らが育てた茶色い肌(文化的な意味での)の子供たちはまだいた。こうした者たちはリヴァプールの4人組よりもベンジャミン・ブリテンのほうに親しんでいた。『ステイツマン』紙のデリーのオフィスは急速に現地化が進んでいた一方で、専任エディターのK・ランガチャリも新編集部員のR・N・シャルマもビートルズが何者なのか知らなかった。インドはこのような文化的変遷の中にいた。
 私はお祭り騒ぎを期待しながらリシケシュに行き、マハリシの足下で超越瞑想の秘儀のイニシエーションを受けた。
 私の知る限りにおいて、私はあの聖なる期間に、マハリシの承諾を得てアシュラムに滞在していた唯一の「ジャーナリスト」だった。
 マハリシを囲んで祭壇のまわりで胡座をかいて座っていたのはビートルズだけではなかった。ビーチ・ボーイズのメンバー、フルート奏者のポール・ホーン、ドノヴァンもいた。ドノヴァンは1日1曲書いていて、その1つを私は今でも持っている。私しか持っていないものだ。

 When the sun is tucked away in bed,
 You worry about the life you led.
 There's only one thing to do,
 Let the Maharishi lead you.
太陽がベッドの中に隠れてしまう時
人は自分が送ってきた人生が気がかりになる
そんな時、やるべきことはたった1つ
マハリシに導いてもらいなさい


 歌手ではないスターで、注目の的となっていたのが、ミア・ファロウと彼女の妹のプルーデンスだった。アシュラムにはたくさんのスターがいたので、プルーデンスは目立たない瞑想修行者のカテゴリーに属していたのだが、突如、皆から注目されることになった。彼女の小屋の面倒を見ていたサドゥーが、マハリシの小屋に猛ダッシュでやって来て、信じられない報告をしたのだ:プルーデンスは瞑想のトランス状態に入り、それは夜明けから夕方まで続き、今でも継続中だ。
 ビートルズのドラマー、リンゴ・スターが「バトリンズ・ホリデー・キャンプみたいだ」と失礼なことを言ってアシュラムを去ったという躓{つまず}きがあった後なので、マハリシはこうした宣伝材料が欲しかった。ちなみに、バトリンとは1960年代のイギリスにあったチープなホリデー・キャンプである。
 プルーデンスがハマってたような瞑想マラソンを皆に薦めるためにマハリシに必要だったのは、カラスを追い払う方法を考えることだった。彼らはアシュラムに大挙してやって来て、瞑想修行者がついうっかり落とす食べ物を漁っていた。マハリシの挑戦は、チョーラシ・クティア(マハリシのアシュラムのヒンディー語名)にうるさいカラスが立ち入るのを、暴力的手段に訴えることなく禁止することだった。
 アシュラムの管理人で導師{グル}の親類筋にあたるスレシュ・バブが考えたアイデアは、サドゥーたちをパチンコで武装させるというものだった。弾は紙を丸めたものと同程度の殺傷力しかないものにすれば、カラスを驚かせはするが傷つけることはないだろう。ということで、パチンコで武装した白ローブのサドゥーが臨戦態勢を取っているのは喜劇的な光景だった。カラスを阻止するためのこの作戦の効果のほどは定かではなかったが、プルーデンス・ファロウの瞑想小屋の周辺を静寂な状態に保つことが、導師{グル}にとっての最優先事項となった。こうした気遣いからマハリシがプルーデンスの小屋に行くことが多くなり、彼がプルーデンスを口説いているのではという噂が生じた。しかし、現実には、噂はプルーデンスの尋常でない想像力の産物だった。

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画面左下の人がプルーデンス・ファロウ


 ミア・ファロウは別の理由で問題だった。彼女はどうしても喫煙がやめられなかった。「タバコだけだよ」とスレシュ・バブーはウィンクしながら言っていたが。アシュラムでの修行者の間では、もし誰かがマリファナを吸っている疑いがあるとしてもタレコミはなしという暗黙の了解が存在しているようだった。しかし、どんな時でもミアの言いなりだったスレシュ・バブーにとって、彼女は大きな問題を作り出していた。ミアはスレシュのコテージの外の椅子に座って、よくタバコを吹かしており、サドゥーや真面目な瞑想修行者の顰蹙を買っていた。
 ある日、事態は山場を迎えた。私と一緒に来たカメラマンのラグー・シンが、ミア・ファロウがタバコに火をつけるところか煙の輪を作っているところを、勇敢にも写真に収めた。スレシュ・バブーが一緒に写っていれば、完璧な構図だったのだが…。ラグーはその写真をどうにかものにしたのだが、相応な代償も払うことになった。「このクソ野郎!」と叫ぶミアに、眠そうにしているサドゥーが番をしている門の外まで追いかけられ、スレシュ・バブーからは今後のアシュラムへの立ち入りを禁止されてしまった。
 言うより行なうは難し、とはこのことだった。ビートルズが到着してから、最初の1週間ほどはサドゥーの軍団がピリピリしながら警備をしていたが、しばらくすると、瞑想にはぴったりの静かな状態がそれに取って代わった。先に述べたうるさく鳴くカラスを除いては。アシュラムを包囲している記者やカメラマンが最初は騒ぎの元だったが、彼らを帰らせることについてはうまくいった。しかし、かえってこのおかげで、アシュラムの外で座り込んでいた1人、2人は入り込むのに成功した。「私の破綻した人生はマハリシじゃないと直せない」と胸を叩いて訴えながら。カメラで武装してアシュラム内に入ると、彼らの「破綻した人生」は金銭的大成功へと向かう道の追い越し車線に乗っかることになった。彼らは自分のビートルズ体験を写真と言葉付きで猛烈に売り歩いた。

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ホーリー祭でポールの顔に絵の具を塗るサイード


 一方、ラグー・シンはビートルズの話には全く価値を見出していなかった。彼らが何者なにかも知らなかった。
 彼はミア・ファロウの出来事をボツにした。最初は大変興奮していたが、その後、彼の心の中では、この話は終わってしまっていたからだ。編集部の人間に興味を持ってもらえなかった話は先にしたが、これもその延長線上にある。
 ラグー・シンの上司、ラグー・ライは、後にインドで最も偉大な写真家になった人物だが、彼は初日に、大きな木の下でビートルズの面々がマハリシ囲んでいるあの歴史的な写真を撮影した後、2度とアシュラムに戻って来ることはなかった。あれは世界的スクープだった。ラグー・ライがアシュラムに戻って来なかったのは、彼が言うには「ビートルズに対する興味はゼロだったから」とのことだ。
 私が何週間もビートルズの取材を続けられたのは、ひとえに、若者向けのカルト雑誌『ジュニア・ステイツマン』(『ステイツマン』紙が若者向けに発行したマガジン、1967年2月創刊)の編集部員だったデズモンド・ドイグと彼の部下たちに励まされたからだった。

The original article “Ashram Notebook 50 Years Ago: Beatles, Maharishi, Crows And Catapults” by Saeed Naqvi
http://naqvijournal.blogspot.com/2018/02/ashram-notebook-50-years-ago-beatles.html
Reprinted by permission

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 サイード・ナクヴィは50年以上のキャリアのあるインドを代表するジャーナリストで、世界の要人のインタビューも多数経験。日本に来たこともあるそうです。『Being the Other: The Muslim in India』はインドで生活するムスリムを取材したもの。2018年に出版されたアジョイ・ボーズ著『Across The Universe』は、これまでに英語で出版された大量のビートルズにしっかり目を通し、パティー・ボイドやラヴィ・シャンカールの奥さんや弟子、ナクヴィを含む当時を知る多数の関係者に独自取材を行ない、インドの内政や外交をふまえてインド視点でビートルズとインドについて語った大著です。細かい文字が300ページに渡ってビッシリという、とにかく長い本ですが(正直、写真が全くない、ビジュアルが弱いというのも難点)読み応えは十分。日本語に訳したものをあくまで個人的に下の写真のようなeBookのフォーマットにした上で、知り合いの関係者に日本語版出版の打診はしていますが、今のところ、いい返事は来ていません(中身と、かけた時間と手間については褒めてもらえたんですけどね)。
 『The Beatles, Drugs, Mysticism & India: Maharishi Mahesh Yogi - Transcendental Meditation - Jai Guru Deva OM』は超越瞑想の信者が出した資料集的な本で、まとめ方は雑多なのですが、ビートルズのメンバーの証言と大量の写真が目玉です。『Across The Universe』をビジュアルの点で補うのにピッタリ。

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2020年02月16日

『ポール・マッカートニー死亡説大全』に初めて読者レビューが付きました

 12月にはレビューが書き込まれてたようですが、今日気づきました。この本を面白いと思って数年かかって訳して紹介した者としては、伝えたいことがしっかり伝わったようで嬉しい限りです。

 

 『「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道』にもレビューがつくと嬉しいな。

 
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2020年02月04日

The Museum of Hoaxsにポール死亡説

嘘の噂話ばかりをあつめたサイト「THE MUSEUM OF HOAXES」にポール死亡説のコーナーがあります。
去年は死亡説50周年でしたが、特に大きなイベント等もなく過ぎちゃいましたね。

http://hoaxes.org/archive/permalink/paul_is_dead

 
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2020年01月31日

アレイスター・クロウリー、ジミー・ペイジの館の瓦礫、販売中

 ビートルズの《Sgt. Pepper's》のジャケットにも登場している20世紀最大の魔術師、アレイスター・クロウリーが住んでいた館で、ジミー・ペイジが1970〜92年まで所有していたことでも有名なボレスキン・ハウスは、2015年に火災で半分以上が消失して以来、荒れ放題。



 しかし、最近、ここを再建しようということでボレスキン・ハウス基金が立ち上げられ、資金調達のために瓦礫をeBayで販売しています。レンガか何かの破片が1個£25〜40くらいの値段で、送料を入れてもせいぜい8000円程度なので、私も1口乗りました。

Boleskine House Foundation SCIO
https://www.charity.ebay.co.uk/charity/Boleskine-House-Foundation-SCIO/3771400



 ということで、届いたのがこれ。湿ってるので、現在乾燥させてるところです。

bokeskine.JPG



当ブログでのクロウリー関係の記事

オカルト史観でロックを語る『Season of the Witch』著者インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/408594084.html

どうしてロックはアレイスター・クロウリーを愛するのか
http://heartofmine.seesaa.net/article/433815718.html

クラウドファンディングで実現した本『ロックミュージックのオカルト的背景』
http://heartofmine.seesaa.net/article/457913678.html


   
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