2023年02月05日

《Fragments》に掲載されたステージ写真にまつわる話

 以前、コンサートでボブを密かに撮影した写真が《Rough And Rowdy Ways》の内袋に使われたアンドレアのインタビューを紹介しましたが(「ボブ・ディラン追っかけ談義(パート2)」「ツェッペリンフィールドから〈I Contain Multitudes〉まで 客席からボブを撮り続ける写真家」)、《Fragments》にも彼が撮影した写真が使用されています。ブックレットp.79(5CDバージョン)のちょっとブレてる写真がそれです。
 《Fragments》にはこの他にも見逃せない写真があります。ブックレットp.76〜77のステージ写真を撮影したバリーが2月にフェイスブックで思い出を語ってくれました。
 1998年にMSGザ・シアター5回連続公演の時にボブ・ディランを撮影した。正式筋から依頼されてもいたんだけど、ファンとして撮影した。フラッシュを使用しなければ大丈夫って言われてたんだが、翌晩、バロンと初めて言葉を交わすことになった。バロンはオレをボブキャットと呼び、カメラの中にあったフィルムは没収。カメラは預けさせられ、ショウの後、受け取りに来いと言われた。幸運なことに、そのやりとりの間に聞き逃したのは2曲ほどで、前の晩に撮影した分のフィルムは取られずに、会場を後にした。この連続公演の時の写真は1年間くらい(はるか昔のことだ)ボブ・ディランのオフィシャル・ウェブサイトで使われてたんだけど、今は、最新のアルバム《Fragments》のデラックス・バージョン(LP10枚組)のNo.4の裏だ。

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 まあ要するに、コンサートを撮影してたら警備の人に見つかってフィルムを没収されたという話なのですが、バロンというのはボブのボディーガードで、ステージ袖から客席を監視し、オッカケやカメラ小僧、テーパーには厳しいことでも知られています。ハワイ出身の強面の日系人で、1994年には格闘技雑誌『Black Belt』の表紙を飾っています。ボブと一緒に何度も日本にも来てるので、この顔、見たことあるでしょう。

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 1998年1月中旬のニューヨークは特別でした。1月14、16、17日はマディソン・スクエア・ガーデンのアリーナでローリング・ストーンズがコンサートを行ない、16、17、18、20、21日は、それに併設されているシアターでボブ・ディランとヴァン・モリソンがジョイント・コンサートを行なってたのです。こういうクレイジーな状況だったので、この1週間、ニューヨークには世界中からボブとヴァンとストーンズのファンが大集合しました。バリーも私も、こうしてニューヨークに引きつけられた人間のひとりでした(私は14日はストーンズ、16〜21日はボブ/ヴァンを見ました)。
 私はコンサートの終演後にロビーでバリーと会って、この顛末を聞かされたのですが、彼はバロンにフィルムを渡す際、感光しないよう注意しながらカメラから取り出して、「良いショットが撮れてるだろうから、現像して、必要だったら使ってくれ」と言ったそうです。帽子に仕込んだマイクや腹に巻いてたマイク・アンプやDATレコーダーは見つからなかったものの、以上のやりとりは全部テープに記録されてるのだとか。バロンがフィルムをどうしたのかはわかりません。
 今回リリースされた《Fragments》のCD4枚目の殆どのトラックが客席録音であることにも注目です。ブートレッグ・シリーズの回を重ねるごとに、ブックレットの最後の協力者クレジットの中には、業界人や有名ジャーナリストではない、私でも会うことが出来るレベルの一介のファンの名前がどんどん増えてきています。写真や音源の提供だけでなく、データの地道な分析や考証の点で、ファンの協力がなかったらブートレッグ・シリーズは出ない!というのは乱暴過ぎる言い方ですが、面白さの点では劣るものになってるでしょう。

Fragments - Time Out of Mind Sessions (1996-1997): The Bootleg Series Vol. 17 (5CD) - Bob Dylan
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Bob Dylan: Retrospectrum - Dylan, Bob, Baitel, Shai
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2023年01月28日

ボブのお袋の味:バナナ・チョコチップ・パウンドケーキ

 ボブのママ、ベアトリス(ビーティー)・ズィママンの命日(2000年1月25日にお亡くなりになりました)と、新ブートレッグ・シリーズ《Fragments - Time Out of Mind Sessions (1996-1997): The Bootleg Series Vol. 17》の発売を記念して、1999年にダルースのローカル紙に掲載されたボブ・ママのインタビュー記事を紹介します。この記事のどこかいいかと言うと、ボブが好んで食べていたと思しきバナナ・チョコチップ・パウンドケーキのレシピが載っていることです。拙宅にはオーブンがないので作ることが出来ないのですが、どなたか作ったら私にもひと切れ味見をさせてください(チョコを大量に投入してね)。

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ボブのお袋の味:バナナ・チョコチップ・パウンドケーキ
文:サンディー・トンプソン


 彼女はミネソタ州の謎の1つであり、数十年間、数多くのジャーナリストがインタビューを試みたが、成功した者はいない。しかし、ボブ・ディランの母親は、84歳となった現在、料理と家庭について語ることに同意した。
 ミネソタ州北東部のアイアン・レンジで暮らす昔気質の主婦と同様に、ビーティー・ズィママンも昔ほどではないが今でも料理をする。ビーティー(ベアトリスの愛称)はツイン・シティー[セントポールとミネアポリス]とアリゾナを行き来しながら、元気かつ幸せに暮らしている。
 ビーティーは現在58歳の有名な息子とはよく会っている。数日前の電話インタビューでは「あの子は少し前にここで1週間過ごしてたのよ」と明かしながら、最近気になるニュースや、仕事を持つ現代の親世代の苦労、時代を代表するアーティストである息子、ファッジ・ケーキなど、多岐に渡る話題について語ってくれた。
 ビーティーによると、彼女のファッジ・ケーキのレシピはあまり使えないと言う。「複雑過ぎるのよ。卵の黄身と白身を分けなきゃいけないし。嫌がらせですよ。オーブンから取り出すタイミングがわからないと作りにくいの。次の日にはパサパサになっちゃうし」
 ビーティーはズィママン家お気に入りの料理を紹介してくれた。「でも、こっちは素晴らしいレシピです。しかも、とても簡単なのよ。おばあちゃんの作るバナナ・チョコチップ・パウンドケーキは、子供たち皆から気に入ってもらえてます。甘過ぎないからでしょう」
 息子はどんな料理を好んでいたのか? 「ボブにはこれといって特に大好物なものはありません。昔から、私が料理したものだったら何でも食べました」とベティーは語る。「食通の子供なんていないわ。食べ物だったら何でも好きでしょ」
 「ボブが好きなものは1つあるわ。息子があれこれ書かれるのが嫌いなことはわかってるけど、あなただって何かいいことを書かなきゃいけないんでしょ。優れたレシピは皆さんお好きですし。ボブはチキン料理だったら何でも好きよ」
 ビーティーの好物はチキン(「毎日でも食べれるわ」)とロースト・ビーフ、それからスペリオル湖のトラウトにレモンを少しかけたものらしい。「体重が100万ポンド増えないように料理は控えめにしておこうと思ってます」
 ビーティーと夫のエイヴは14年間ダルースで暮らした後、ロバートとデヴィッドがそれぞれ6歳、2歳の時にヒビングに居を移した。
 「もうずっと昔のことね」 ビーティーは思いをめぐらしながら語る。「ダルースは好きよ。そこの人たちもね。でも、そこで友達だった人の多くは、今はもういないわ」
 親友のひとり、シルヴィア・セイラー(彼女もファッジ・ケーキを作るのだが、ビーティーは自分のものよりもこちらを勧める)はまだこの地で健在だ。ビーティーの妹で、結婚してゴールドファイン姓になっているアイリーン(75)もいる。5月にアーウィン&ビヴァリー・ゴールドファインがミネソタ大学ダルース校と大学システムへの貢献を讃えられて名誉学位を授与された時に、ビーティーはダルースを訪れている。
 「今の世代の人は私をあまり知りません」とディランの母親は語った。「私はボブのキャリアの助けになるようなことは殆ど何もやってません。ケネディー・アワードの時に護衛をしたことくらいでしょう」(ディランは1997年にケネディー・センター名誉賞を授与された)
 「でも、ボブはここにいない間はずっと、家族全員を自分のキャリアから遠ざけてたの。安全を考えてのことです。自分の生活を正常に保たなければなりませんでした。マスコミの取材を断ってたのは、子供たちが危険にさらされるのを恐れてのことです。子供たちは問題なく学校生活を送り、普通の素敵な人生を生きてます」
 ビーティーはコーヒーを飲み、ケーキを食べながら息子について話してくれたが、この時ばかりはどこにでもいるお母さんだ。「ボブは独立して素晴らしい家庭を持ちました。5人の素敵な子がいます。夏にはミネソタに来ましたよ。小さな家を買って、そこに子供たちを連れて来ました」
 ビーティーは孫たちのことも同じくらい誇りに感じている。「まずマリア。弁護士をやってます。結婚して4人の子供がいます。ジェシーはビデオやコマーシャルの制作をしていて、小さな子供がいます。アンナはアーティストで、今は30歳です。サムは31歳で、写真も物書きをやってます。ジェイコブはウォールフラワーズのメンバーです。立派な男の子です。幼い子も2人いて、とても忙しくしてます」
 ビーティーは息子が現在行なっているツアーのことも語る。「入場料に値するショウをやってますよ。世界中でショウを見ました。一度ショウマンになってしまったら、それを自分の血の中から抜くのは大変です」
 「ファンの皆さんはボブを見てとても楽しそうです。素晴らしい感動を与えています。皆さんはボブの言葉を愛しています。それは誰にとっても的を射てるでしょう。〈Blowing in the Wind〉もそうですが、世界にとって的を射てるんです。40年も前の歌なのに」
 「ボブは自分の感じるままを言葉にしています。今では、若い人たちがボブの作品に夢中です。ドラッグのことは書きませんし、お酒のことも書きません。日常の出来事を書いてるんです」
 「ボブは騒がれることが好きではないんです。私も39年間、それを避けてきました。大変でしたよ。39年て長い時間です。私は皆さんを批判してるのではないんです。皆さん、ボブについていいことを書いてくれます。でも、私まで皆さんに見てもらう必要はありません。友人が私のことを知っていてくれれば、それでいいんです」
 「私の希望は、皆が元気でいることです。電話が鳴って、元気ですって話なら、私も満足です」
 ズィママン一族について、ビーティーはこう語る。「私たちはとても素晴らしい人生を送っています。皆でクリスマスや感謝祭を祝っています。いつも誰かと会っています」
 そして、長男についてはこう言う。「あの子は、セレブというレッテルを貼られてますが、そんなことはありません。素敵な人間ですよ。普通のいい人です。それが人生の全てです」

 ビーティー・ズィママンはバナナ・チョコチップ・パウンドケーキについてこう語る。「とても美味しいんですよ。このレシピは失敗とは無縁で、ちょっとの時間で出来ます」

ボブのママ、ビーティー・ズィママンが教えてくれたバナナ・チョコチップ・パウンドケーキのレシピ:

グラニュー糖 1カップ
常温に戻したバターもしくはマーガリン 1/2カップ
卵 2個
サワークリーム 大さじ4杯
熟れたバナナ 2本 つぶした状態にする
中力粉 2カップ
ベーキングパウダー 小さじ1.5杯
重曹 小さじ1杯
チョコレート・チップ 1袋(6オンス=170g)(下の註を参照)

オーブンを華氏350度(180℃)に予熱しておく。
砂糖とバターを混ぜでクリーム状にする。
卵を加えて、よく練る。
さらにサワークリームとつぶしたバナナを加えて、よく混ぜる。
別のボウルの中で、小麦粉とベーキング・パウダーと重曹を混ぜる。
これをサワークリームとつぶしたバナナをミックスしたものに加えて、チョコレート・チップスを混ぜ込む。
今度はこれを油を塗った中サイズのパウンド型(20cm×7.5cm)2つに同量ずつ入れて、予熱したオーブンで約50分焼く。
焼けたものをオーブンから取り出して、冷却ラックかアルミホイルの上に載せる。これで2つ出来ます。

註:チョコレートが大好きだったら、12オンス(340g)まで入れても大丈夫。


The original article "Dinner for a song: Mom's banana bread, chicken always a hit when Beatty Zimmerman's son sits down to eat" by Sandy Thompson
Knight Ridder Newspapers, DULUTH, Minn.


実際に作ったひとのページ
Peace, Love, and Coffee
Beatty Zimmerman's Chocolate Chip Banana Bread
http://peaceloveandcoffee23.blogspot.com/2010/05/beatty-zimmermans-chocolate-chip-banana.html?m=1
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Reddit
Beattie Zimmerman’s (Bob’s Mom) Banana Bread- Fresh Out Of The Oven
https://www.reddit.com/r/bobdylan/comments/i7zhp5/beattie_zimmermans_bobs_mom_banana_bread_fresh/


Fragments - Time Out of Mind Sessions (1996-1997): The Bootleg Series Vol. 17 (Vinyl) [12 inch Analog] - Bob Dylan
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ボブ・ディラン(新潮新書) - 北中正和
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2023年01月12日

BitTorrent開発者はどうなったのか?



 非公式音源をゲットするのにずいぶんお世話になってる仕組みを作り上げた人に関する動画を発見。

    

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2022年12月31日

カスタマーレビューがいつのまにか増えてます

 2022年大晦日夜の時点で、『ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事』にはカスタマーレビューが4件に増え、『「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道』は5つ星が1件ついています。ありがとうございます。kindle unlimitedに登録してるので、少しでも興味のある方はじゃんじゃん読んでください。

ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事 - アンドリュー・J・リーヴ, 加藤正人
ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事 - アンドリュー・J・リーヴ, 加藤正人

「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道 (ロックンロール叢書) - CP・リー, 加藤正人
「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道 (ロックンロール叢書) - CP・リー, 加藤正人

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2022年12月28日

イギリス史におけるサヴィル・ロウ3番地の役割

 7年前の記事なんですが面白いので紹介します。私は軍事には全くの門外漢なので、階級名等が違ってる場合は教えてください。


イギリス史におけるサヴィル・ロウ3番地の役割
6層の歴史

文:Dr.グレッグ・ロバーツ


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メイフェア、サヴィル・ロウ3番地


 ロンドンのメイフェア地区にある第2級指定建築物に分類されるマンションハウスは、改装されてアバークロンビー&フィッチという子供用衣料品店になるのを阻止しようという運動が失敗に終わったことで、先頃[2014年末〜15年1月]ニュースになりました。今日はこの番地の歴史を皆さんに紹介しましょう。この偉大な建物の歴史を知ると、ここにアメリカの企業が入ってしまうなんてはまさに皮肉です。というのも、この建物にはイギリスの歴史と非常に興味深く重要な繋がりがあるというのが真実だからです。この建物は1733年に建てられて以来、イギリスの軍事史、文化史の発展に貢献した人物が住んでいました。さあ、中に入ってみましょう。

1. ジョン・フォーブス提督(1714〜1796)

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ジョン・フォーブスはウェルズリー=ポールの義父にあたる


 13歳で海軍に入ったジョン・フォーブスは、数々の出世を遂げて、1781年から死ぬまで艦隊の提督として活躍しました。この時代には、多くの軍人が体が不自由な状態となって戦地から帰還したので、体の障害は高位の官職に就くのに障壁とは考えられていませんでした。フォーブスは歩くことが出来ず、社交界に姿を見せることは殆どありませんでしたが、それでもイギリス海軍全体を指揮することが出来ていました。実際、サヴィル・ロウ3番地の自宅でミーティングを開いてそうしていたのです。フォーブスは1760年頃までここで暮らしました。

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ビング提督の処刑 (1757)


 フォーブスがイギリスの歴史に対して行なった最重要の貢献は、ビング提督裁判への関与です。ビングは1756年にミノルカ島を失ったことで有罪となった人物です。敗北を防ぐために「最善を尽くさなかった」ことで、裁判にかけられ有罪となりました。ビングに死刑が宣告された時、寛大な措置を求める嘆願が出されましたが、ジョージ3世は怒って聞く耳持たずの状態でした。フォーブスはビングの死刑執行令状に署名することを拒んだ唯一の提督でしたが、1757年3月14日に彼が銃殺部隊によって処刑されるのを止めることは出来ませんでした。しかし、この出来事が一般大衆の心に残した影響は大きかったので、軍務中の海軍将校がこの罪で死刑になったのは、これが最後でした。巨大な圧力に勇敢にも屈しなかったことで、フォーブスは高潔で哀れみ深い人物としてその名を知られ、海軍の人員をより公正に扱うことのお手本となりました。
 1784年にフォーブスの双子の娘、キャサリンは海軍三尉、ウィリアム・ウェルズリー=ポウルと結婚し、サヴィル・ロウ3番地で挙げた式には、ゲストとして後にウェリントン公爵になるアーサー・ウェルズリーも来ました。ウェルズリー=ポウルは1797年にこの建物を相続しましたが、貸し出すことにしました。

2. ロバート・ロス少将(1766〜1814)

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 ウェルズリー=ポウルの最も有名な賃借人はロバート・ロスでした。ロスは有名なイギリスの少将で、大西洋を渡ってアメリカ合衆国に軍を進めたことで最もよく知られています。アイルランドで誕生したロスはアレクサンドリアの戦い(1801年)から帰還した後、1805年までサヴィル・ロウで暮らし、その後も、コルナの戦い(1809年)に参戦し、半島戦争中(1808〜14年)はアーサー・ウェルズリーの下で軍務に就きました。ロスは1814年2月27日のオルテスの戦いで重傷を負ったにもかかわらず、イギリス軍の遠征部隊を指揮してアメリカを攻撃することに同意しました。

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今日では信じられないことですが、イギリス軍はホワイトハウスを焼き払いました
(1814年)


 ロスはブレイデンスバーグでアメリカ軍を総崩れにした後(1814年8月27日)、ワシントンDCに軍を進め、ホワイトハウスを含む政府の建物を全て破壊しました。アメリカの地を踏んだイギリスの軍人の中で、ロスが最も記憶に残る人物なのは、おそらくこの活躍のためでしょう。

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ロス少将の死


 しかし、ロスにとってこれでめでたしではありませんでした。彼は1814年9月12日にノース・ポイント近郊でアメリカ軍の狙撃兵によって殺されました。ロスが埋葬されているのはノヴァスコシアのオールド・ベリイング・グラウンドですが、彼の名が刻まれた墓碑はロンドンのセント・ポール大聖堂にあります。

3. ウェリントン公爵(1769〜1852)

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 アーサー・ウェルズリーがインドでの8年間の軍務から帰国した後、最初に滞在したのがブラックヒーズにあるウェルズリー=ポウル家でした。当時はまだ結婚しておらず、ロンドンに家を持っていなかったからです。ウェルズリーは1814年に再び軍務に就くことになっており、ナポレオンの降伏と島流しの後の半島戦争からは勝利の帰還を果たしました。爵位を与えられてウェリントン公爵になったばかりの人物が、ウェルズリー=ポウルの屋敷ではなくサヴィル・ロウを選んだというのは、とてもインパクトがありました。大きな戦功をあげた英雄の姿を一目見ようと、何千もの人々が外に集まって、徹夜までするようになったのです。ウェリントン公爵は1カ月間サヴィル・ロウで暮らした後、パリに戻ってしまいました。

4. ウィリアム・ウェルズリー=ポウル(1763〜1845)

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 ウェルズリー=ポウルは1797年から1842年までサヴィル・ロウ3番地の所有者でした。彼は造幣局長の任期中に新しい銀貨の導入を統括しているのですが、 1817年から1971年に10進法制が導入されるまで、長らく流通していた銀貨がそれです。

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 シリング[1971年まで用いられた英国の補助通貨単位。1ポンドの20分の1。12ペンス。新制度では1ポンドは100ペンスとなり, シリングは廃止]こそ、イギリスの独自性を示す最大のシンボルの1つでしょう。ウェルズリー=ポウルの支援があって、見ればすぐにそれとわかるセント・ジョージとドラゴンのモチーフが出来上がりました。今日もなお使用されているこのモチーフはベネデット・ピストルッチがデザインしたものです。

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5. 山高帽(1849年)

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これぞイギリス----山高帽


 英国紳士といったらステレオタイプ的に真っ先に思い浮かぶのが、山高帽をかぶっている姿でしょう。サヴィル・ロウ3番地は、山高帽発祥の地としての栄誉を求める権利を有しています。ウィリアム&トーマス・ボウラーが1850年に山高帽の最初のプロトタイプを作った人物と言われていますが、この帽子はイギリスの軍人/政治家のエドワード・コウクによるデザインにちなんで作られたというのが一般的な認識です。コウクは、乗馬に出かけた際、狩猟管理人の帽子が木の低い枝にぶつかって落ちるのを見るのにうんざりして、この帽子を考案しました。町にいる時には、コウクはサヴィル・ロウ3番地で暮らしていました。

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山高帽は社会階級を上へと移動


 山高帽は最初はヴィクトリア期の労働者階級でとても人気があるものでしたが、中流階級の実業家の標準的ユニフォームになり、1960年代には、貴族階級にまで広まりました。

6. ザ・ビートルズ(1969)

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 1969年1月30日に、ビートルズはサヴィル・ロウ3番地のアップル・レコード本部の屋上で、最後のコンサートを行ないました。ビートルズは前年6月に50万ポンドを払ってこの建物を購入して、その後の18カ月のうちの大部分をそこで過ごしたと言われています。かの有名な屋上コンサートもこの時期に行なわれました。

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 今でもなお、サヴィル・ロウ3番地はビートルズ・ファンが訪れる観光地となっており、彼らがこの建物を使っていたことを示す青い看板を見つけて上げる叫び声がずっと絶えません。

最後に

 この記事用の調査をしている際に、ネルソン提督の愛人、レディー・ハミルトンに関する記述も見つけました。彼女もかつてサヴィル・ロウ3番地に住んでいたことがあるというのです。しかし、ロス大将よりも前にここを賃借したのでない限り、彼女をこの時間軸のどこに入れてよいのかわからないので、このブログ記事には含めませんでした。しかし、サヴィル・ロウを大切にすべき理由は、ビートルズがいたからだけではありません。このイギリスの重要なファッション地区からアメリカのアパレル・メーカーを追い出すためだけでもありません。この建物がイギリス的なるもの全般----冷静沈着な性格(フォーブス)、軍事行動(ロスとウェリントン)、イギリスの通貨(ウェルズリー=ポウル)、まさにイギリス的な帽子(ボウラー・ハット、山高帽)、そして、ビートルズ----とつながりをもっているからです。
 実際に、サヴィル・ロウ3番地は、私たちが心に抱いている「イギリス的なるもの」にとって非常に重要な、さまざまな人物やシンボルを提供しています。
 2009年にキア・ホールディングスが2,000万ポンドを払ってこの建物を手に入れましたが、その運命はまだどうなるかわかりません。未来は誰にもわかりません。

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デモの様子
歴史を知ってたら、かぶるのは山高帽だろうに!



The original article "3 Savile Row----Its role in British history" by Dr. Greg Roberts
http://www.wickedwilliam.com/3-savile-row-role-british-history/?fbclid=IwAR01FFfDLru1r7ipCkb0hrII35UlmCXxdIxBUj10ACMnXP_kz47djETo1mM
Reprinted by permission

【Amazon.co.jp限定】「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」DVD 〔Amazon.co.jp限定特典:オリジナルポストカードセット(4種1セット)付き〕 - ポール・サルツマン
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ザ・ビートルズ:Get Back ブルーレイ コレクターズ・セット [Blu-ray 日本語字幕有り](輸入版)
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