2015年09月29日

ロバート・プラント死亡説

 ロバート・プラント死亡説なんてもんが流れたそうです。当然ガセねた。

http://www.ibtimes.co.in/hoax-busted-report-claiming-led-zepplin-lead-singer-robert-plant-dead-fake-648259

 
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2015年09月27日

蘇る記憶:1965年10月2日ニューアーク公演

 前回に引き続いてピーター・ストーン・ブラウンが書いた記事を紹介します。1965年8月28日にフォーレスト・ヒルズ公演を見たピーターは、同年10月にはニュージャージー州ニューアーク公演も見ています。
 去る9月24日に《The Bootleg Series Vol.12: The Cutting Edge》が11月にリリースされることが発表されました。今度はCD18枚に1965〜66年のスタジオ・アウトテイクが収録されるそうですが、この時期のボブに関して、当ページではこれまでに以下の記事を掲載しています。アルバムのリリースにともなって驚愕の事実が明らかになるでしょうが、まずはその前に、今の段階でわかっていることをおさらいしておきたいと思います。

トム・ウィルソン・バイオグラフィー
http://heartofmine.seesaa.net/article/407064215.html

7月25日ニューポート・フォーク・フェスティバル
http://heartofmine.seesaa.net/article/426650327.html

8月上旬《Highway 61 Revisited》レコーディング・セッション
http://heartofmine.seesaa.net/article/424996737.html

ハーヴィー・ブルックス(ゴールドスタイン)・インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/383104123.html

アル・クーパーによるマイケル・ブルームフィールド回想
http://heartofmine.seesaa.net/article/390569872.html

8月28日フォーレスト・ヒルズ公演
http://heartofmine.seesaa.net/article/426704120.html
http://heartofmine.seesaa.net/article/425289141.html

9月3日ハリウッド・ボウル公演
http://heartofmine.seesaa.net/article/425289141.html

10月2日ニューアーク公演
今回の記事

1965年10月〜1966年3月《Blonde On Blonde》レコーディング・セッション
http://heartofmine.seesaa.net/article/419290534.html



   




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2015年09月25日

フォーレスト・ヒルズ公演を見た

 先日は1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルを取り上げた本『Dylan Goes Electric』の著者インタビューを紹介しましたが、聞き手のピーター・ストーン・ブラウンはニューポートの約1カ月後に行なわれたフォーレスト・ヒルズ・テニス・スタジアム公演を実際に見に行っており、今回は彼にその時の思い出を語ってもらいます。この記事は今から10年前にピーターのウェブページで発表されました。
 この時、ベーシストとしてステージに立っていたハーヴィー・ブルックスの思い出話も、まだ読んでない方はこちらでどうぞ。



フォーレスト・ヒルズ公演を見た
文:ピーター・ストーン・ブラウン


 40年前の今日(1965年8月28日)、私はニューヨーク・シティーのユニオン・スクエアで、キャンプ帰りのバスから降りて、父親にダッフルバッグを渡すと、他の子供たちと一緒にクイーンズのフォーレスト・ヒルズに向かう地下鉄に飛び乗った。これが私にとって3回目のボブ・ディランのコンサートだったが、ディランにとってもバンドと一緒に行なう初のスタジアム・コンサートだった。6週間前から〈Like A Rolling Stone〉は常にラジオから流れ、いくつかのAMラジオ局ではチャートのトップ4まで上昇していた。ショウの2日ほど前、ニューヨーク・タイムズ紙にロバート・シェルトンによる一風変わったインタビューが掲載され、そこでディランは緑色の置き時計と紫色の彫像を理解することについて語っていた。
 スタジアムの外で入場列に並んでいると、バンドがサウンドチェックをするのが聞こえてきた。ギター、ドラム、オルガンがスタジアムの壁を超えて、ごちゃまぜの固まりとなって漂ってきた。数日後に《Highway 61 Revisited》が発売された時、聞こえてきた曲のひとつが〈It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train to Cry〉だと判明した。
 スタジアム内部では、ステージはフィールド上の、スタンド席からはずっと離れたとこにあった。夜になると気温が下がり、スタジアムはまるで風のトンネルのようになった。 以前に2度見たディランのコンサートとの大きな相違点の1つ目は、ショウ開始前にディスクジョッキーがディランを紹介するために出てきたことだ。他のショウでは「禁煙」のアナウンスはあったかもしれないが、何の紹介もなくディランが登場して、〈The Times They Are A-Changin'〉を歌い始めた。
 最初にしゃべったDJはジェリー・ホワイトだった。彼はWJRZで毎晩フォーク番組を放送していて、5カ月前にはニューヨーク・シティーで初めて〈Subterranean Homesick Blues〉をかけた。ホワイトが紹介したのはマレー・ザ・Kだった。彼は「ビートルズ5人目のメンバー」を自称し、ホワイトもそう紹介した。マレーは長年、ブルックリン・パラマウント・シアターでロックンロール・ショウを開催しており、2年後にはザ・フーと(私の記憶が正しければ)クリームのアメリカ初公演を実現させた。彼には独特のしゃべり方があり、単語の中にはしばしば「eaz(イーズ)」が入り込み、「baby(ベイビー)」と言う場合、「beazaby(ビーゼイビー)」になった。マレーは大きなブーイングを受け、「これはロックではありません。フォークでもありません。ディランという新しい音楽です」「ボビーは現在、大ブレイク中です」と言ったが、事態が悪化しただけだった。ホワイトは観客を落ち着かせようとして、マイクを取るなり言った。「ボブ・ディランはあたたかく迎えましょう」

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 その後間もなく、ディランはアコースティック・ギターとハーモニカ・ホルダーを抱えてひとりで登場した。スーツを身につけ、髪を風にワイルドになびかせながら、〈She Belongs To Me〉を歌い始めた。ハープ・ソロの時には、ディランは演奏しながらステージの端まで歩き、報道用カメラクルーのためにポーズを取った。
 続けてディランは〈To Ramona〉〈Gates of Eden〉〈Love Minus Zero〉を歌った後、 「次の曲は〈Desolation Row〉です」と言い、アルバム・バージョンには出てこない人物が登場する歌詞を披露した。これは以前には全く存在していなかった類の歌だった。ディランが完璧なタイミングで歌い、「片方の手は綱渡り芸人に縛りつけられ、もう片方の手はズボンの中に入れている」とった一節ではオーディエンスの間で爆笑が起こった。〈Mr. Tambourine Man〉で前半は終了した。
 約15分後、ホワイトが再び登場すると、今度はゲイリー・スティーヴンスを紹介した。スティーヴンスはWMCAのトップ・ディスク・ジョッキーなのだが、恐らくマレー・ザ・Kが歓迎されてないのを見ていたのだろう、さっさとディランを紹介した。
 ディランが登場した。4人のミュージシャン(後になってロビー・ロバートソン、リヴォン・ヘルム、アル・クーパー、ハーヴィー・ブルックスと判明)を引き連れて。彼らが大音量で〈Tombstone Blues〉を始めると、修羅場も始まったのだが、第3ヴァースになると群衆は静かになっていた。しかし、緊張状態は続き、曲のエンディングでは、反応は拍手喝采とブーイングにはっきりと2分されていた。
 次にディランは最もロック志向を表明した曲を開始した。 《Another Side of Bob Dylan》収録曲〈I Don't Believe You〉を「ロック・バージョン」で演奏したのだ。観客は曲の最中は静かにしていたが、最後は再び歓声とブーイングに分かれ、その大部分が「ディランを聞きたい!」と合唱した。ディランがそれに答えて「オゥ、カモ〜ン」と言うと、笑いが起こり、次に〈From A Buick Six〉を演奏した。ブーイングはやや少なくなった。ディランは続いて〈Just Like Tom Thumb's Blues〉を歌った。エレクトリック・セット中、私が初めて気に入ったのがこの曲だったのだが、最後から2番目のヴァースの最中に、突然、大勢のガキが(全員男)スタンド席を離れて、フィールドを走り、ステージに向かって突進してきた。彼らは警官に追いかけられながら、ミュージシャンの周囲を走り回った。以前見に行ったいかなるコンサートでも、こんなことは起こらなかった。
 〈Maggie's Farm〉が始まると少し拍手が起こったが、「ありのままの自分になろうと最善を尽くす」という箇所では、客席は再び歓声とブーイングで沸いた。次の〈It Ain't Me Babe〉では、最初のラインで拍手が起こり、最初のコーラスでは観客の半分が一緒に「ノー・ノー・ノー」と叫んだ。この後も、コーラスに差しかかるたびにこうなった、。
 ディランが観客を制圧し始めたかに思えた時、ガキどもの第2波がステージに向かって突進し、警官と追いかけっこになった。
 ディランはギターを置いて、ピアノのところに座り、ステージで演奏するのは初めての曲〈Ballad Of A Thin Man〉を歌い始めた(この時点では、「ミスター・ジョーンズ」がタイトルだと思っていたが…)。生まれて初めてこの曲を聞いた効果は驚きを超えており、この超ピリピリした雰囲気にピッタリのナンバーのように感じられた。そして、最後に〈Like A Rolling Stone〉が演奏され、観客の反応が分かれたままショウは終了した。アンコールはなく、私達は少し茫然とした状態で、肌寒い8月の夜の中に追い出された。暴動はかろうじて回避されたかと思いながら。
 数日後、ホームタウンのメインストリートを兄と歩いている時、私は通りの向こう側にあるレコード店のウィンドウを見て言った。「ねえ、ディランのニュー・アルバムみたいだよ」 私達はチェックするために通りを渡った。《Highway 61 Revisited》があった。その日の予定は全て、ただちにキャンセル。私達はアルバムを買って帰り、数日前の晩に聞いたばかりの新曲のタイトルを調べた。以後、全てが変わった。

Copyrighted article "Concert Review: Bob Dylan live at Forest Hills" by Peter Stone Brown
http://blog.peterstonebrown.com/bob-dylan-at-forest-hills-40-years-later/
http://gaslightrecords.com/articles/concert-review-bob-dylan-live-at-forest-hills
Reprinted by permission

   

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2015年09月24日

『Dylan Goes Electric』著者イライジャ・ウォルド・インタビュー

 今年の夏はボブ・ディランのエレクトリック化50周年でした。ボブのオフィシャル筋では特に動きはありませんでしたが(既に映画『No Direction Home』やDVD《The Other Side Of The Mirror》で発表済だからか?)、ボブがニューポートにエレキギターを持って登場して激しいブーイングを受けたという出来事の「事実」と、その「伝聞」や「解釈」と、そこから発生した「神話」を詳しく検証した本『Dylan Goes Electric』が7月に発売され、好評を博しています。Gaslight Recordsに著者インタビューが掲載されているので、ここで紹介します。

 



『Dylan Goes Electric』著者イライジャ・ウォルド・インタビュー
聞き手:ピーター・ストーン・ブラウン


 ボブ・ディランがニューポート・フォーク・フェスティバルでエレクトリック・バンドとステージに登場して、今年の7月25日で50年になった。あのパフォーマンスはフェスティバルそのものだけでなく、アメリカの当時のフォーク・シーンをも激しく揺さぶり、その両方を永遠に変えてしまった。
 『Dylan Goes Electric』は、アメリカのルーツ・ミュージックについてたくさんの著作がある評論家兼ミュージシャンのイライジャ・ウォルドによる新刊だ。ウォルドは、あの晩の出来事に関する新旧の証言を紹介しながら、フェスティバルに関係したさまざまな人物や勢力に関して新たに包括的検証を行ない、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルを今でもなお賞味期限内のトピックに戻してしいる。

どういう動機があって、このテーマを取り上げたのでしょうか? 皆、バラバラのことを言ってて、同一の証言というのは殆どありませんよね。

 面白いと思ったのはまさにその点です。ブルース・ジャクソンが『The Story Is True』という民間伝承や神話に関する本を書いていて、ディランがニューポートでブーイングされた話を神話として扱っていたのです。その後、私はインターネット上にある、ニューポート事件について発言している音楽評論家のリストを発見しました。多くの人は「神話ではありません。ボブは確かにブーイングを受けました」と言ってました。その後しばらく、私たちは一緒に調査しました。2年前の2月に私はふと思ったのです。50周年に合わせて面白い話を書いたら売れるだろうなあって。私はフリー・ライターで、本を売りたくてしかたない人間です。だから、それは大きな動機になりました。いつもそうなんですが、調査を始めたら、ますます面白くなってきました。あの晩について、というよりはむしろ、物語の出来上がり方について自分の理解がいかに足りないかに気づきました。



私が気に入った点のひとつなのですが、あなたはボブを最初からロックンローラーだったとして描いています。確かに、少年時代はロックンローラーで、本気でフォーク音楽を学び始めたのはミネソタ大学に入ってからです。この点が本をユニークなものにしています。

 その点についてはピーター・スタンフェルに感謝しなければなりません。彼の言葉を引用してるのですが、ニューヨークにやって来たばかりのディランのステージを初めて見た時、まるで稲妻みたいだったのだそうです。また、ロックンロールのようにオールド・タイム・ミュージックを歌う能力があったとも語っていました。この言葉を読んだ時の私の最初の反応は「本当、ピーター? そうは思えないんだけど」だったのですが、実際に昔の音源を聞いてみたら、ピーターの言う通りでした。

ディランが夜のコンサートでバンドと一緒に演奏しようと決めたのは、その場の勢いだったのですか?

 そうです。その場の思いつきでなかったら、もう少しまともにリハーサルが出来てるはずです。ジェローム・アーノルドのベースを聞けば、彼らがそうだと言ってるように、ぶっつけ本番だったってことがわかります。



ピーター・ヤーロウが言ってるように、ディランが自分のファンをよく理解してなかったと思いますか?

 ディランはそういうことはあまり気にしてなかったんじゃないですか。彼の心の中は私にはわかりませんよ。まず、演奏はかなり目茶苦茶です。あそこまで目茶苦茶になるとは、ディランも思ってなかったでしょう。私の推測としてはこうです。土曜日の昼にステージに立った時に、〈Like A Rolling Stone〉を聞きたいという声がたくさんの人からあがってたのをボブは思い出して、この曲を歌ったら観客はきっと喜ぶぞと考えたのかもしれません。でも、正直言って、これは誰にもわかりません。ボブが出来立てほやほやのエレクトリック曲3つを立派に演奏し、しかも音響や他の条件も良かったら、一体どうなってたでしょうねえ。がっかりした人もいたでしょうが、あの時、喜んだ人はもっと喜んだでしょう。バランスは別の方に傾いていた可能性もあるでしょう。いずれにせよピート・シーガーは同じくらい腹を立てたと思いますが…。しかしながら、エレクトリックな演奏で喜ぶ可能性があった人も、喜ばなかったというのが現実でした。

私もそう思います。他にもそう話す人がいます。例えば、ジェフ・マルダーはどこかのインタビューで「良い演奏ではなかった」と言ってます。

 ただもう酷い状態で、彼は十分下がったところにいました。だから、前の方のミキシングだけが問題ではなかったのです。ジェフは意見をはっきり言う人間で、私は彼の意見の多くに賛成です。全部にというわけではありませんが。私は自分がその場にいたらどう思っていたかもわかりません。誰の記憶がどのくらい正確かもわかりません。その最たる例が私の友人です。彼の話は本には載せなかったのですけどね。15歳だった彼はその場に居合わせ、ディランのエレクトリック・セットを大変気に入ったことを覚えています。一方、×印が書かれているギターを持っていたという思い出も持っているのです。家にいる時、ニューポートの件で非常に腹を立ててたので、内ジャケットのディランの写真に×印を書いたら、アコースティック・ギターにもその印がついちゃったのだそうです。つまり、彼は気に入った記憶と、気に入らなかった記憶、両方を持っているのです(笑)。

理解出来ますよ。《Bringing It All Back Home》や、それに先行して〈Subterranean〉のシングルが出た時にはショックでしたから。ディランの動向に注意を払っていたならば、あらゆることが彼がロックンロールに向かってることを示してたのですけどね。

 そうですね。それに、人々はディランに特別な感情を抱いてました。私がこの本で伝えようとしたことのひとつが、この事件が実際よりもどれほど大きな意味を持つようになったのかということです。なので、ハーブ・ヴァン・ダムとジュディー・ランダースのスクラップ・ブックを紹介出来て満足しています。ピーター・ポール&マリー等のポップ・フォークの大ファンである彼らの目にも、ディランは売れ線に転向したように感じられたようです。ディランは他とは一線を画した存在でなければいけなかったからです。これはディランにとってはかなりの重荷でしょう。でも、これも物語の一部なのです。



それを言うなら、フォーク・ソングをコマーシャルなものにしたのはウィーヴァーズですよ。メンバー全員の意図ではなかったかもしれませんけどね。

 ゴードン・ジェンキンスのアレンジには絶対にその意図があったと思います。ピート・シーガーも、ウィーヴァーズの目的は自分が売れるスターになり、悪ではなくて善のためにこの力を使うことだったと、昔からはっきりと言ってました。でも、彼がウィーヴァーズについて語る時には芸術的な観点からではなく、自分は中心メンバーではなかったとか、金を払ってコンサートに来てくれるファンを獲得すること出来なかったので、自分の能力が思うように発揮出来なかったとかいう観点でくくってしまっていました。ピートにとって、ウィーヴァーズは自分をスターにする手段となる予定のものでした。もっと実動的なグループでなければならなかったのです。この話が面白いのは、それが功を奏したということです。

そういう見方もありますが、政治的状況に当てはめてみる見方もあるんじゃないですか。

 そうですね。ただし、いつものピート観(売れたいなんて少しも考えてない聖人君子)とは、少し違うやり方でくくるほうが実際に近いのです。つまり、野心を持ってただけでなく、なかなかの策士だったとする見方です。しかも、それを見事にやりました。ステージ上での姿をみるだけで、それはわかります。ピートの本当の姿を理解する上で大きな問題のひとつであり、この本でもどうにか対処しようと大変な努力したのが、私たちは----少なくとも20世紀の人間は----レコードを聞くことによって音楽の歴史を理解する傾向があるという点です。ピートがステージでやってたことはレコードには入っていないのです。ピートはライヴ・マジックを持っていたのですが、それが録音されてないというだけなのです。ピート・シーガーの実演を1度も見たことのない人に、彼の偉大さを説明するとなると、信念・理念といったものを取りあげるしかないのです。証明出来るものが何もないのですから。
 ニューポートのあの晩を含めて、ディランがフォーク・ミュージックを拒絶したという考え方はばかばかしいです。ディランが拒絶したものが何かあるとしても、それはフォーク・ミュージックではありません。

ピート・シーガーを最も実像に近い状態で捉えているのがアルバム《We Shall Overcome Carnegie 1963》ではないかと思います。

 そうですね。私もそのレコードは大好きです。でも、忘れてはいけない事実は、このレコードを聞いてる時には、私たちは彼のライヴを見たのを思い出してるということです。「これを聞けば、ピートがライヴでいかに凄かったかわかるよ」となっているのです。でも、音だけでは全体像はわからない。確かに、このレコードが好きな人はいるでしょうが、私が言ってるのは、ピート・シーガーの優れた作品集をまとめることなんて出来ないということなのです。この人はいろんな意味で優秀なミュージシャンでしたが、魔法となると別の話です。



話をフェスティバルに戻しましょう。この本に登場するさまざまな人物が----特に、フェスティバル全般に関与した理事会の面々が----とても興味深いです。ジョージ・ウェインは理性の声のようです。

 そういう言い方がピッタリだと思います。ジョージは最初から一環して「皆さん、それはいいですね。しかし、その一方で…」と言う人物でした(笑)。

皆がフェスティバルからアルバート・グロスマンを追い出したいと思ってるのに、ウェインは「ちょっと待ってください」という調子でした。

 そうですね。この話は面白いです。最初に読んだ時には少し疑わしく思っていて、今でもなお、100%確信しているわけではありません。どうやら本当のことのようですけどね。以来、ピーター・ヤーロウがこの話を皆にしてたよということを耳にしたので、私はヤーロウとジョージ・ウェインに訊いてみたのです。ふたりがどういう発言をするか興味があったので。そしたら、「覚えてないけど、そうだったと思うよ。キミもそう思うだろ」という回答でした。でも、ロマックスは知っての通り、影響力の超大きな人物で、優秀な人で、超重要な人間で、超難しい人でした。

いろんな文献を読んで、ロマックスについて知れば知るほど、複雑な人物像が浮かび上がります。 あなたは彼がショウでやったことをあれこれ紹介していますが、1959年にフォークのコンサートにロックのアクトを出演させているというのは、ぶっ飛びですよね。

 そうです。ザ・キャディラックスを出そうとしていました。ロマックスの主張は、ニューヨークの民衆音楽を聞きたいのなら、バンジョーを持った学生連中ではなくて、ハーレムのドゥーワップ・グループがそれでしょう、ということでした。このような考え方は、彼のより広い視野の立ち位置と矛盾するものではありませんでした。世間一般がというわけではないですが、人々はロマックスの立場を単純化したがります。1960年代から70年代にかけて戦争があった頃、ロック評論家はロックンロールについて知的に書きたいと努力していましたが、世間のたくさんの常識人たちはロックンロールはバカなもので、フォーク音楽は知的だと考えていました。その時代の評論家の多くは喧嘩腰ではなかったですが、フォークの世界は古臭い音楽が好きで、ロックンロールが嫌いだと考えたかったのです。純粋主義という考えはそういうふうに出来上がっていきましたが、ロマックスの抱いていた純粋主義は別の種類の純粋主義でした。純粋主義者といっても、1920年代以降の音楽なんか聞きたくないというと人よりは、グリール・マーカスのような純粋主義者に近い人でした。

多くのフォーク・ファンが気づいてなかったと思しきことのひとつが-----1960年代には必ずしも起こってなかったかもしれませんが、後にフォーク・ソングの再検証が始まった時には起こりました----ボブは人々に、彼が歌わなかったら皆が知らなかったであろう歌を、それを歌うことによって皆に知らしめたということです。

 あのラジオ番組でもそうですね。笑えることのひとつが----私はそれを無視せず、本の最後で手短に述べておきましたが----今や皆が、ディランはルーツ・ミュージックの守護聖人だと思っているということです。今や皆が----若い人たちが----ディランを古い音楽と関連づけているのです。もっともなことですよ。新しいシナトラ曲集は、ある意味、極端な例ですが、ディランがフォーク・ミュージックを拒絶したという見方はバカげています。ニューポートでのあの晩も含めてです。あの時、ディランが何かを拒絶したのだとしても、それはフォーク・ミュージックではありません。

そうですね。ディランが拒絶したのは、ある意味、それに伴う何かを別のものでした。

 次のことを覚えておいてほしいのです。ディランは純粋主義者の世界の中から出てきました。リトル・サンディー・レビュー(フォーク・ミュージック専門誌)関係者のような純粋主義者の集まりはバエズやピーター・ポール&マリーが嫌いで、こんなのフォーク・ミュージックではないと思ってたのですが、ディランのエレクトリックの曲は気に入ってました。がっかりしたのはハードコアな純粋主義者だと思ってるとしたら、完全な誤解です。がっかりしたのはピーター・ポール&マリーのファンでした。もちろん、ディランが大嫌いな超純粋主義者も存在していましたが、初期のディランを気に入っていたハードコアな純粋主義者たちはエレクトリックなディランも気に入る傾向がありました。本にも引用しましたが、ディラン自身が次のようなことを言ってました:「がっかりしたのは昔から私のファンだった人じゃないと思います。昔からのファンは今でも私の味方です。がっかりしてたのは、ここ2年くらいにファンになった人たちです」 私はこの言葉を発見して、合点がいきました。がっかりしたのは、〈Highway 51〉ではなくて〈Blowin' In The Wind〉をボブ・ディランのイメージとして持っていた人だったのです。ボブ・ディランは別格だと思ってた人たちなのです。私はこの本で伝えようとしたことのひとつが、人々にとって、ニューポートの一件は、どのくらい音楽以上に意味を持っていたのかということです。

私の場合、ファースト・アルバムを聞いたのはニューポートの1年後のことでした。フォーク系ラジオ番組で〈Baby, Let Me Follow You Down〉を聞いて、「ボブがあんなふうにギターを演奏出来るとは知らなかったよ」と思いました。このレコードを発見したのは、《Freewheelin'》とは全く違う体験でした。

 当時の殆どの人が、ディランが誰なのかを知る前にディランの曲を聞いているということを、後からファンになった人は理解しがたく思うでしょう。あなたより5歳若い人でも、違和感を覚えるでしょうが、10歳若い人、20歳若い人、30歳、40歳、50歳若い人は、まずディランの名前を聞いて、その後、音楽を聞いているのです。

ディランは2002年にニューポートに戻ってきました。出演が発表された日はツアー中で、ドイツにいたと思いますが、アコースティック・バージョンで〈Maggie's Farm〉を演奏しているのです。

 知りませんでした。そいつは笑えますね。

ボブはこういうおかしなことをたまにやるんですよ。注意してる時にはそうしてないよという印象を与えたり。兆候を読むと面白いです。

 あれこれ解釈を加えたい誘惑に駆られますね。そういう気持ちから完全に脱しているわけではありませんが、私は出来る限り一歩引くように努力しています。そういう誘惑を確かに感じているからです。

それがこの本で私が気に入ってることのひとつです。ピートに関する章でも、ディランに関する章でも、あなたは解釈の領域には足を踏み入れていません。随所でいくつかの曲について述べないわけにはいきませんが、基本的には音楽から焦点をはずしていません。

 これまでにずっといろんな議論がって、全然意見が一致していません。皆、同じことについて話しているのにです。だから、しばらく、別のことについて話しましょうよ、という具合です。あの晩のことを考えるにあたって、音楽に焦点を当てる利点のひとつがそれだと思ったのです。ディランにエレクトリック化の決意をさせたのは、詩ではなくて音楽ですから。だからといって、詩がディランに関する最重要事項だという意見に反対はしません。超もっともな意見ですからね。ただ、この話に関しては最重要事項ではありません。私には面白い話なのですが、ある意味、このプロジェクトから得たご褒美は、最近のディランを聞くようになったことかもしれません。私は《Love And Theft》の時期の----黄金期と言う人もいます----ディランを殆ど聞いたことがなかったのです。最初に聞いた時はまあまあと思ったのですが、このプロジェクトが終わった後にあらためて聞いてみたところ、完全に恋に落ちてしまいました。それこそ何度も何度も聞きましたよ。それがご褒美です。新しくて面白いものを発見するのはエキサイティングでした。同時に、ボブが『Chronicles』の中で語ってた言葉も思いだしました。『Chronicles』も楽しく読みました。最も心に残ったのはボブがこんなことを語っていた箇所です。「昔のようには曲はかけなくなってしまった。もはやああいうマジックは持ってない。もうやめようかと思った時に、ちょっと待て、一介のミュージシャンになればいいのだと気がついた。昔だって、ミュージシャンでいることが出来てたじゃないか。また、それをやればいいんだ」 確かにディランはミステリアスで、ある日こう言ったのに次の日にはああ言うなんてことがよくありますが、このプロジェクトにおいては、ボブの人となりをそう考えると、大変筋が通りました。

Copyrighted article "Dylan Goes Electric: an interview with author Elijah Wald" by Peter Stone Brown
http://gaslightrecords.com/articles/peter-stone-brown-interviews-elijah-wald
Reprinted by permission

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2015年09月18日

ポール・マッカートニーの(秘)ユダヤ系人脈史

 去る9月14日はユダヤ人にとっては「ロシュハシャナ」という新年を祝う日だったそうで、ポール・マッカートニーがこんな内容のツイートをしたのは記憶に新しいでしょう。

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 今回紹介する記事(2013年秋発表)は私の中では「トリビア知識系」に属しますが、記事の筆者にとっては自らの出身に関する誇りとか歴史とか、もっと濃厚で重大なニュアンスが含まれています。ただし、ここに書かれていることの中に「秘密」はありません。世間に隠していることを暴露しているわけでもありません。
 この記事を書いたセス・ロゴヴォイは『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』の著者でもあり、ボブ・ディランの作品のあらゆる箇所からユダヤ的な匂いを嗅ぎ取り、ボブは何だかんだ言って結局はユダヤ人なんだという解釈をしている人です。拙ブログでは、以前、イスラエルのサイトに掲載されたこの本の書評を紹介しました。
 セス・ロゴヴォイは「The Rogovoy Report」という自身のウェブサイトでポール・マッカートニーの他、ブルース・スプリングスティーンやエアロスミスのユダヤ系人脈についても書いています。ボスに関する記事は「結構年をとってる人なら、ブルース・スプリングスティーンのキャリアの初期には、このロックンロールの救世主がユダヤ人だと世間一般には思われていた、もしくは、一部の人から、そうであることを密かに望まれていたのを覚えているだろう」なんていう調子です(ボスは母親がイタリア系で父親がオランダ&アイルランド系)。白と黒と黄色くらいしか区別のつかない日本のロック・ファンには出来ない発想です。



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