2015年12月29日

〈ヘイ・ジュード〉PVでタンバリンを叩いてるのは私です

 以前拙ブログではこの写真の右下に映ってる女性に関する話を掲載しましたが(「1968年8月セントラル・パーク、迷子のザ・フーとビートルズ速報」)、他のデータ等と照合すると時間的に矛盾があります。8月7日に行なわれたザ・フーのコンサートで、9月4日に行なわれた〈Hey Jude〉のPV撮影の話が出来るはずがありません。たぶん、著者の頭の中で2つかそれ以上の思い出が混ざりあってしまったのでしょう。あれからもう40年以上経ってますから。

heyjude.jpg


 ところで、今回紹介するのは、同じ写真の中でタンバリンを叩いてる男の人の話です。

   




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2015年12月27日

ボブ・ディランの非公式音源流通事情

 21世紀になって、デジタル録音機やスマホ等の普及によって低コストで気軽にコンサートの記録が出来るようになりました。それに加えて、ファンによる写真撮影や録音行為も、コンサートの主催者側から以前ほど厳しくは(時には、全く)咎められなくなりました。いちいち咎めるのが面倒なほど大量に持ち込まれ、止めるのが不可能になったからでしょう。これは全世界的な傾向です。
 日本では、大物ミュージシャンが来るとツアー全公演のブートレッグCDが発売されるようになりました。インターネット上には、数回クリックするだけでコンサートをダウンロード出来る便利な音源交換サイトも多数存在するので、音源収集がやり易い時代になったと言えます。
 しかし、こんなご時世にもかかわらず、ボブ・ディランに関しては、音の記録が手に入らないコンサートが以前と比べて激増しているのです。そんなバカな、と思うでしょ。でも、それが現実なのです。他のアーティストにも見られる現象なのかどうかはわかりませんが、とにかく、ボブ・ディランに関してはそうなのです。
 イギリスで発行されているボブ・ディランのファンジン、ISIS誌に、ここ数年ほどのボブの非公式音源の流通に関する面白い記事が載りましたので、ここで紹介したいと思います。記事掲載にあたり、著者本人から日本の読者の皆さんにメッセージがあります。

日本のボブ・ディラン・ファンへのお願い:
私の記事を読んでいただき、ありがとうございます。私は日本のボブ・ディラン・ファンに関する記事執筆の準備をしているところです。年明けまで東京に滞在しているので、出来る限りたくさんのボブ・ファンと会って、いろいろ話を聞きたいと思っています。皆さんのボブ体験を教えてください。zac_of_all_trades@hotmail.comまで連絡をいただければ幸いです。
ザック・ダディック




非公式音源流通事情

文:ザック・ダディック


(1) 2013年6月14日クラークストン公演

 ボブがライヴで1回だけしか演奏してないリチャード・トンプソンの曲〈1952 Vincent Black Lighting〉のレコーディングがようやく出てきた。この原稿を書いている時点では、まだ広くは出回っていないが、間もなく自由にシェアされる状態になることだろう。過去15カ月間、この曲はテープ・コレクターやファンにとって、ちょっとした聖杯となっていた。このパフォーマンスを聞きたいと思い続けていた点では我々全員同じだが、ボブ・ファンの世界で愛されている熱心なテーパーや音源交換サイトという普段のチャンネルから音源が全く流れてこないとわかると、それを見つけようと尋常でない努力を試みた者もいる。
 ボブが〈1952 Vincent Black Lighting〉をプレイしたのは、2013年6月14日、ミシガン州クラークストン(デトロイトの近く)公演の終盤でだ。2013年夏に行なわれた「アメリカナラマ」ツアーの13番目のコンサートでは、リチャード・トンプソンがこの日3組いたオープニング・アクトのトップバッターだったのだが、何度も報じられている通り、彼は翌日カナダのトロントでショウを行なうことになっていたので、ボブのステージが始まる前に、クラークストンを発たなければならなかったのだ(250マイルの移動だ)。その後しばらくの間、トンプソンは自分の曲が本当にボブに歌われたのか、ある種の冗談なのか、わからない状態が続いた。
 昨年、リチャード・トンプソンに会って、ボブが〈1952 Vincent Black Lighting〉を演奏したことについて訊いてみたファンによると、トンプソンはまだこのレコーディングを聞いておらず、ボブからテープの類をもらってもいないと答えたらしいのだが、トンプソン本人も間もなくこの音源を聞けるようになるだろう。
 〈1952 Vincent Black Lighting〉の記録は携帯電話で撮影されたもので、曲のほぼ全部を収録してはいるが、歌の1行目はなく、演奏が終わった瞬間に突然終わっている。この動画は全部で3分23秒の長さで、音質は驚くほど良好なのだが、最も重要なのは、ボブの歌もバンドも、肩肘を張らず、いい演奏をしていることだ。繰り返し聞くたびに、この素晴らしいパフォーマンスの新たな要素を発見する。演奏の出来の良さからは、これが楽しいついでに勢いでやったというよりは、ある程度、リハーサルをしていたことが伺える。また、ボブはカバー曲を選ぶ際、必ずそれに何らかの付加価値を加えるという証拠にもなっている。
 このトラックが、一介のファンがショウを楽しみながら、携帯電話で気軽に録音したものだといことも、念頭に置いておこう。「zimmy83」と名乗る録音/撮影者本人のおしゃべりが曲の間に何度か入る。彼は思い出のために演奏に関する驚きや感想を述べているのだ。もっとプロフェッショナルなやり方で記録されたものが出て来ないとなると、これを喜んで聞き、「zimmy83」がこのコンサートに居合わせ、この1回だけしか演奏されてない珍曲を記録し、私達とそれを共有してくれたことに感謝するしかないだろう。そもそも、ボブ・ファンは、自宅でのんびりしながらこうした珠玉のパフォーマンスを追体験出来ることを、常に感謝すべきなのだ。
 ISIS誌コラムニストのレス・コーケイは録音が見つからない「失われた」ショウをリストアップしている人物だが、彼は1974〜2002年のボブの全コンサートのうち約98%が録音され、流通しているという数字を出している(興味深いことに、音源未流通のコンサート数は2008〜2013年のほうがはるかに多いが、この件は(3)で取り上げる)。ディランのライヴ・レコーディングのコレクターが、膨大な量の非公式ライヴ音源にアクセス出来るという恩恵に浴しているのは、明らかだ。
 ボブが何か違うこと、新しいことをやるたびに、ファンの間ではその音の記録を聞きたいという声があがり、我々が暮らしているインターネットの世界では、通常なら、そのような演奏が行なわれて間もなく、オーディエンス・レコーディングが出回ることが期待出来る。しかし、〈1952 Vincent Black Lighting〉の場合、こういう具合にはいかなかった。毎年たくさんのショウを録音している熱心なテーパーがデトロイト行きをパスしてしまったらしいとわかると、オーディエンス・レコーディングを探すのに別のルートが取られたのだ。
 クラークストン公演の1週間後、ボブ・ファンに人気のメッセージ・ボードでは、「まだ〈1952 Vincent Black Lighting〉なし。どうにかならないか?」というスレッドが開始された。当初は、7日経っても音源がシェアされないのは意地悪ではないかという雰囲気だったが、この曲の録音が全く出てこないまま、数週間、数カ月、そして、1年が過てしまった。
 こうしたネット上での議論とは別に、少数のコレクター・グループがクラークストン公演のレコーディングを見つけだそうと探偵ばりの調査を開始した。「VBLグループ」として知られている彼らは、インターネットのソーシャル・ネットワークを駆け巡り、Instagramにクラークストン公演の写真をアップしたり、フェイスブックにこのコンサートについて書き込みをしている人を探した。彼らは全部で約250人にコンタクトを取り、ショウに行ったのかどうか質問し、それから「ところで録音はしてないの?」と訊ねてみた。この調査は1年に及んだが、実りは全くなかった。
 その後、2014年11月1日に「zimmy83」なる人物があの「…どうにかならないか?」スレッドに、クラークストン公演を見に行って、この曲を携帯電話で録音したと投稿した。他のレコーディングが出回ってないことを彼は知らなかったし、自分がこの1年間、携帯電話で何度も再生して見ていたものを、皆が捜し回っていることに気づいてもいなかった。オランダのファンがすぐに「zimmy83」に連絡を取って、彼の動画ファイルを編集し、適切なフォーマットにするのに手を貸すと申し出た。「zimmy83」は〈1952 Vincent Black Lighting〉の他に、同公演の〈Simple Twist Of Fate〉〈Summer Days〉〈All Along The Watchtower〉〈Blowin' In The Wind〉の一部も記録していた。「zimmy83」のOKが出たら皆でシェアしていいという了解のもとで、この編集作業は行なわれた。
 しかし、このプロセスを遅いと感じたファンも存在した。掲示板は間もなく、記録の存在と、シェア計画に関与した人々の動機に疑問を抱く人間でいっぱいになってしまい、こうしたコメントがあまりに多くなったので、スレッドは閉鎖されてしまった。事態は醜悪を極め、この音源のシェアの妨害となる可能性すらあった。レコーディングが存在する証拠が皆無の状態で15カ月待ったというのに、一部のファンはさらにあと数週間すら待てなかったのだ。待てば海路の日和あり----覚えておく価値のある言葉だと思うのだが…。


(2) マイク・ミラード音源

 同時期に、ポジティヴにじっと待つというアプローチが功を奏した例もあった。長い間失われていたボブのコンサート・レコーディングを収めた箱が、1986年にどこかに置き忘れて以来、久しぶりに発見されたのだ。この箱には10本のカセットテープと4巻のオープンリール・テープが入っていた。28年前に「WG」というテーパーが録音仲間の「SG」から借り受けた後、保管のためにゲストルームのベッドの下にしまい込んでいたのだが、数カ月前に「WG」が掃除中にそれの入った箱を再発見したのだ。中に入っていたのは、ボブ・ディランの1978〜80年の7公演を収めたハイクオリティーのオーディエンス録音だった(ブルース・スプリングスティーンの3ショウ、1983年のジャーニー公演も入っていた)。

今回発見されたボブのコンサートは以下の通り:

1978年6月1日
カリフォルニア州ロサンゼルス
ユニヴァーサル・アンフィシアター

1978年6月3日
カリフォルニア州ロサンゼルス
ユニヴァーサル・アンフィシアター

1978年6月7日
カリフォルニア州ロサンゼルス
ユニヴァーサル・アンフィシアター

1979年11月18日
カリフォルニア州サンタモニカ
シヴィック・オーディトリアム

1979年11月19日
カリフォルニア州サンタモニカ
シヴィック・オーディトリアム

1980年1月12日
オレゴン州ポートランド
パラマウント・シアター

1980年1月15日
ワシントン州シアトル
パラマウント・シアター

 その後、以上のレコーディングはぞれぞれ丁寧にデジタル化され、音源交換サイトを通して全世界のファンとシェアされた。このプロセスに関与した「SG」「WG」「mjk5510」「E」「BK」は皆、「JEMS」として知られているアメリカのコンサート・テーパー/コレクター集団のメンバーである。JEMSグループは長年に渡って、彼らの抱えるお宝音源を音源交換サイトに気前良くアップロードしており、今回の一連の音源も真に貴重な掘り出し物だった。
 1978〜79年の音源はアメリカの伝説的テーパー、マイク・ミラードによって録音され、1986年にミラードから「SG」に送られたものである。ミラードから送られてきたカセットテープ及びオープンリール・テープはどれも、彼のマスター・テープの1stジェネレーション・コピーだ。これらのレコーディングは現在まで存在を知られていなかったので、ミラードが録音したボブのテープを受け取っていたのは「SG」だけであった可能性もある。他の音源は昔から存在していたが、ミラード・テープは過去のバージョンよりも音質の点ではるかに優れている。つまり、これらのテープのサウンドは、この時期のボブのコンサートのオーディエンス録音の中で、最高の部類のものだ。
 マイク・ミラードは1970年代にロサンゼルス界隈で行なわれたレッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、他の大物ロック・バンドのコンサートを録音したことで知られているのだが、ボブ・ディランのショウを録音していたことは、以前は知られていなかった。36年後の現在、コンサート録音にかけた彼の並外れた技術と情熱に感謝しない者はいない。ミラードが使っていたポータブル録音機材は、日本製のNakamichi 550やAKGのマイク等、当時としては最先端の機器だった。「Nak 550」は昔のビデオ・レコーダー程の大きさで、バッテリーと合わせると7キログラムの重さとなる。それと比べて、今日、録音に使用されているデジタル・レコーダーは、ポケットに簡単に入る大きさだ。1975年における「Nak 550」の小売価格は$499だった(今日の金銭的価値に換算すると約2,200ドルに相当する)。
 重くてがさばる録音機をコンサート会場にこっそり持ち込むために、ミラードは身体が不自由なふりをして、機材を隠した車椅子に乗って会場に行った。ミラードは無事、中に入ると、彼の録音ミッションをアシストする友人に助けてもらって、キャリーバッグ内に機材を移し、前列付近の最高のテーピング・ポジションについた。
 ミラードは録音において大きな業績を築き上げた。レッド・ツェッペリンや他のバンドの彼の手による有名音源は、テーパー/コレクターの間では、明瞭で、あたたかみがあり、力強いサウンドということで定評がある。今回新たに発見された彼のディラン・レコーディングも、同じカテゴリーに収まるクオリティーで、素晴らしいほどの深みと、臨場感、音のセパレーションがあるサウンドだ。ボブの演奏も絶好調で、ミラードが高音質で記録してくれたおかげで、さらに感動が増すことになった。
 インターネット・マガジン『カーネル』に2013年に掲載された記事(こちらのブログで「伝説のコンサート・テーパーの悲しい末路」として紹介済)では、マイク・ミラードは「引きこもり、天才、パラノイド、妄想、伝説」と記され、「ミラードにとって、コンサートの録音は人生そのものだった。引きこもりながら、マイクは自分のテープとその運命について妄想を抱いていた」と書かれていた。ミラードは自分のレコーディングの一部がブートレッガーの手に渡ってしまったことをひどく嫌がり、大切なテープを友人としか共有しなくなった。そういう場合でさえも、彼は全てのテープにある特定のやり方で印を付け、それをしっかり記録しておいた。自分の音源がブートレッグに使用された場合、誰がブートレッガーにそれをリークしたのか追跡出来るようにするためだ。
 最近発見されたディラン・テープのカバーには、ミラードのものとはっきりわかる手書きの注意書きもあり、テープを受け取った者に次のような警告を与えていた:「このテープは電気的に暗号が付されています。もしこのレコーディングがコピーされ、間違った人間の手に渡ったら、どういう経路をたどったのかわかります。テープのコピーは作らないでください」

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 悲しいことに、ミラードは自分が録音したマスターテープの全てを廃棄した後、1990年に自ら命を絶ってしまった。彼は鬱に苦しんでいたらしく、自分のレコーディングがブートレッグ化されたことで、さらに心が病んでしまったのではないかとも言われている。インターネットがない時代だったので、ミラード死去の悲しいニュースが、同胞や、彼の作業を高く評価していたテープ・コレクター界に広まるのに、何年間もかかった。現在になって、こうしたレコーディングが無料でリリースされたことで、ミラードの残した遺産と、コンサート録音の歴史に対する彼の貢献は、さらに評価が高まっている。
 JEMSの「E」はISISに対して、久しぶりにこの箱を見た際の感想を語った。「私が覚えていたのはミラード・カセットの箱だけなので、オープンリール・テープが4巻入ってたのにはワクワクしました。オープンリールのうちの2巻が同じ日付(6/7/78)だったので、あれ?、書き誤りかなと思いました。両方のテープを聞いてみたら同じショウだったのですが、ミラードが2セットの録音機で2種類のレコーディングを作った旨を注記に書いていることに気づくのに、もう1日かかりました。このテープがどうなったのか、何年も何十年もの間、ずっと気がかりだったので、再び戻ってきた時には非常に興奮しました。トランスファーの作業を行ないながら聞きましたが、マイクは評判に違わぬ良い仕事をしています。自分の手の中にあるのはコンサート・テーピングの歴史の一部だと感じました」

ミラード・レコーディングの詳細:

1978年6月1日
第2部のみ録音。全15曲。

1978年6月3日
最初の2曲は録音されてない。全27曲。

1978年6月7日
2台のテープデッキと2組のマイクロホンを使って2種類のレコーディングを行なう。車椅子も2台必要だったのかどうかは、注記では述べられてない。

「レコーディングA」最初の3曲は録音されてない。全28曲。
「レコーディングB」最後の曲は録音されてない。全30曲。
(「レコーディングB」に「レコーディングA」の最後の曲を付け足せば、このショウの完全版が出来上がる)

1979年11月18日
バック・シンガーによるオープニング・セットを含む完全版

1979年11月19日
ボブのセットのみ

 長い間行方不明になっていた箱の中には、ミラード・レコーディングに加えて、ボブの1980年のツアー開始時の2公演を完全収録したテープも含まれていた。どちらも「SG」が録音したものだが、重要なのは、それまでは音の記録の存在が知られていなかったショウのものだったという点だ。これもまた素晴らしい音質で、聞いて楽しめるものだ。「ゴスペル期」のショウのハイライトは、何といっても、あの頃のボブの極上の演奏だが、「SG」レコーディングを聞くとそのような認識がさらに深まる。
 「行方不明だった」箱から出てきたゴスペル期の4公演を聞いてはっきりわかるのは、オーディエンスがボブのパフォーマンスに大熱狂しているということである。ボブがヴォーカル・ワークに込めた熱意と確信に、観客は極めてポジティヴに反応しているのだ。この時期のコンサートをじっくり聞いたことのない人は、宗教的な内容の新曲のオンパレードに観客は敵意をもって反応したと思っているきらいがあるが、このテープから聞こえるのは、この一般的イメージとは反対の様子である。アリゾナ州テンピでのように、ボブが「今夜は失礼な人が多いですね」と言いたくなるような、受けの悪いショウも時にはあったが、大量の証拠(ゴスペル期の151公演のうち148公演のレコーディングが現在流通している)が示しているのは、ボブの演奏は超パワフルであり、観客の殆どもそう感じ、そういう反応をしていたということだ。
 1980年ポートランド公演中、唯一飛んだ不満の野次っぽいものは、〈In The Garden〉の前に観客の誰か叫んだひと言----「今でも昔のボブが好きだぜ!」----だったが、ボブはこれに対して「私も過去には良い思い出を持っていますが、過去は既に過ぎ去ってしまいました。古いことが新しくなりました。古いものにはなりたくありません。古くて死にかけの状態になってはいけません」と返答している。また、バンドのメンバー紹介の締めくくりにも、ボブはこんな面白い説教をしている。「タイタニックが沈没した時、2種類の人しかいまでんでした。助かった人と助からなかった人です」
 「SG」音源は、ボブの1980年ツアーの初日に関する情報の混乱に新しい光を投げかけた。クリントン・ヘイリンの『A Life In A Stolen Moment Day By Day: 1941-1995』には、1980年の最初のコンサートはオレゴン州ポートランドで1月10日に予定されていたが、雪で中止になり、1月16日に延期されたと書いてある。ヘイリンは、ツアーは1月11日&12日のポートランド公演で始まり、その後、1月13、14、15日にシアトルで3公演行なわれたと記しており、「Olof's yearly chronicles」や「HisBobness」といったインターネット上のサイトにも、同じことが載っている。
 1980年1月11日のテープはこれまでに出てきておらず、それゆえ、この公演は「失われた」ショウに数えられてきた。しかし、オレゴン在住で、1980年のポートランド公演を見に行った「WG」は、荒天のために1月16日に延期になったのは1月11日のコンサートであり、1980年初のショウは1月12日だったと語っている。

「1980年1月11日のポートランド公演が「失われた」コンサートだという伝説を修正したいと思います。コンサートは雪でキャンセルになってしまいました。このへんでは、そんなにたくさんの雪が降らなくても都市は麻痺してしまいます。コンサートは1月16日に延期され、その日には無事行なわれました。当時、コンサートを録音し、収集していた人間が正しい情報を広めていたのに、なぜか11日神話が定説になってしまいました」

 「WG」のこの実体験の証言が正しいのなら、1月10日にはショウが予定されていなかったことになる。1979〜80年のゴスペル・ツアーのキーボード・プレイヤーだったスプーナー・オールダムは、1980年ツアーのスタート時の荒天について、スコット・マーシャルによるインタビューで語っている(『On The Tracks』誌 第17号 1999年)。以下に彼の言葉を引用しておくが、最近の発言はこの件に関して霧を晴らすというよりは、さらに混乱を大きくしてしまっているようだ。

オールダム 「数日間ずっと(天気がとても悪かったのを)覚えているよ。バスで移動していたんだけど、私達はどの町に行こうと、嵐の数時間後ろを進んでいるようだった。特に記憶にあるのは、オレゴン州ポートランドだったと思うんだけど、その晩、町に入ってホテルに到着する際、町のあっち側は停電になっていた。完全に真っ暗で、雪がたくさんあって、風がうなり声を上げていた。その晩、ベッドに入りながら思ったのは、明日の晩はプレイ出来そうにないなってことだった。本当に無理だったんだから。でも、翌日の晩、会場に行くと、観客も皆、来ているようだった。車のタイヤにチェーンを巻いて、会場に集まった。もちろん、その頃には電力は回復していた。何日間も天気が悪かったのに、皆、そんなことでは思い止どまらずに、コンサートを見に来たんだよ。ビックリしたなあ」

 レス・コーケイの「失われたショウ」リストに戻ると、1980年初頭の期間では、コンサート自体の有無が取り沙汰されている1月11日は別とすると、次の2公演のレコーディングが見つからない。

1月17日
ワシントン州スポケイン

1月18日
ワシントン州スポケイン

 雪をものともせず、1月12日、15日のコンサートを録音した「SG」に、再度感謝したい。今回紹介したテープを発見した「WG」及び、素晴らしいレコーディング群のシェアに尽力してくれたJEMSのメンバー全員に感謝したい。そして、テーパー/コレクターの皆さんも、ベッドの下から未流通テープが発見されたら是非ご一報を。

((1)(2) 初出 ISIS 177 2015年1月)


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