2016年02月16日

ポール・マッカートニー死亡説に関する新刊(?)



 私が気がついたのはつい最近なのですが、2012年には出てた本のようです。
 『ポール・マッカートニー死亡説大全』の第30章「1967年1月7日(土):本当にあった自動車事故 」では、ガドフリー誌に掲載された「ポール・マッカートニーを殺した男」という記事を紹介し、美術商ロバート・フレイザーのドライバー(兼ドラッグの運び屋)がポールのミニクーパーを運転して事故ったことが、ポール死亡説の出どころの大元ではないかとを推測してます。
 この雑誌は今となっては入手困難なので、元の記事を読むチャンスはなさそうと諦めていましたが、『The Man Who Killed Paul McCartney』を取り寄せてみたところ、この幻の記事の全文とおぼしきものが載っていました。全文ゆえ、当然、内容的にも詳しいです。すぐにポールはお見舞いに来てくれたけど、怪我の心配より車を大破させたことを怒ってたのだとか。
 この本はジム・ヨーカムがいろんな雑誌に書いた自分の記事をひとつの本にまとめた私家版のようで、タイトルにもなってる記事の他に、1960年代にリリースされたビートルズ人気便乗レコードのゴミクズ度に関する記事(大爆笑)、モンティー・パイソン経由でジョージに会った話なども入ってます。

  


タグ:ビートルズ
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2016年02月14日

どうしてロックはアレイスター・クロウリーを愛するのか

 以前、このページではロックとオカルトの関係を論じた『Season of the Witch: How the Occult Saved Rock and Roll』の著者、ピーター・ビバーガルのインタビューを掲載しましたが、この本と前後して入手した『Aleister Crowley: Magick, Rock and Roll, and the Wickedest Man in the World』も、ロックへの影響を記した章がなかなか充実しているなあと思ったら、著者ゲイリー・ラックマンは元ブロンディーという経歴の持ち主でした。
 イギリスの心理学者、ジュールズ・エヴァンスがラックマンにインタビューした上で、ロック・ミュージックに対するアレイスター・クロウリーの影響について鋭く分析している面白い記事を発見したので、ここで紹介します。

  





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2016年02月02日

エレファンツ・メモリーのベーシスト、ゲイリー・ヴァン・サイオック、ジョン&ヨーコを語る

エレファンツ・メモリーのベーシスト、ゲイリー・ヴァン・サイオック、ジョン&ヨーコを語る

聞き手:ボブ・ウィルソン(L4LM)


 ジョン・レノンがニューヨークに渡って反体制派の活動家と交流していた頃の様子はジェイムズ・A・ミッチェル著『The Walrus and the Elephants: John Lennon's Years of Revolution』に詳しいですが、その日本語版『革命のジョン・レノン: サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』が発売されたのと時を同じくして、Live For Live Music(L4LM)にはこんなインタビューが掲載されました。

   

 エレファンツ・メモリーは1970年代前半に、ジョン・レノンがニューヨークに引っ越した直後にしばらく一緒に活動していたローカル・バンドで、アルバム《Sometime In New York City》や数々のテレビ出演、ワン・トゥ・ワン・コンサートでレノンのバックを務めています。下の写真のジョンの後ろのベーシストがゲイリー・ヴァン・サイオックです。

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どういう経緯でエレファンツ・メモリーに加入したのですか? このバンドはどういういきさつでジョン&ヨーコとプレイするようになったのですか?

 エレファンツ・メモリーに入った時、オレはまだ24、5だった。こいつらは政治的にはラジカルで、ストリート・テイスト溢れるバンドだった。オレはヴィレッジ・ヴォイス紙に載ってたメンバー募集の告知を見て応募して、マクシズ・カンザス・シティーでオーディションを受けたんだ。実際のショウがそのままオーディションだったよ。それで、加入ってわけさ。オレには〈The Fife Piper〉っていうヒット曲もあったし、セーレム州立大の音楽学部にも通ってた。エレファンツには1枚ゴールド・レコードがあって、アンダーソンやフィルモアといったニューヨーク・シティーのシアターで演奏して有名になったていた。

ジョン&ヨーコはどのようにしてあなたがたのことを知って、数年間、演奏活動をともにするくらい気に入ったのでしょう?

 ジョン&ヨーコはグリニッジ・ヴィレッジのバンク・ストリートのアパートメントで暮らしていて、オレたちはその1.5ブロック先でレコーディングやリハーサルをやってたんだ。イッピーのジェリー・ルービンがギグをよく見に来ていて、こいつがオレたちのことをふたりに話してくれたんだ。ハイ・タイムズ・マガジンのトム・フォーティンもよく来ていた。ジェリー・ルービンがWLIR用にレコーディングしたライヴ・テープをふたりにあげたんだ。運命の介在っていうのは奇妙なもので、ある晩、ジョンはヨーコと一緒にマグナ・グラフィック・スタジオに来たんだ。ふたりはひょいと現れた。こっちはず〜っと待ち続けてたんだけどね(笑)。ジョンは白のスーツを着てた。《Abbey Road》のジャケットを着てたものかもしれないな。その時はただ、楽しく会話をしただけ。ヨーコはプラスティック・オノ・エレファンツ・メモリーの頭文字を取るとP・O・E・Mになるのを気に入ってたね。

ジョンが《Abbey Road》のスーツを着てひょいとやって来て、隣にはヨーコがいて、しばらく会話をして、その次は?

 夜10時から朝4時くらいまでジャムったんだ。皆で演奏出来ないだろうかって、ジョンがお願いしてきたんだよ。〈Dizzy Miss Lizzy〉とかエルヴィスの歌とかリトル・リチャードの歌とか、たくさんの名曲を演奏した。そして、終わった時に、ジョンが言ってきたんだ。オレたちもバンドに入れてくれないかって。オレは思った。これが現実に起こってることなのかなあって。

答えを出すのにどのくらい時間がかかりましたか?

 オレはためらったほうの口だった。アップルの本拠地はニューヨークじゃないだろ。地元のレーベルのほうがいいんじゃないかと思ったんだ。それに、オレはアンクル・ベンズ・ライスとかのCM音楽を担当して、いい金を稼いでたんだ。ジョン&ヨーコと活動をするとなると、ツアーにも出なきゃいけなくなって、そしたら、オレはコマーシャルの仕事をやめなきゃいけない。その頃には既にウィル・リーがニューヨークに来ていた。次に引っ張りだこのプレイヤーになったのはこいつだった。

ジョン&ヨーコと一緒にプレイするのはどんな感じでしたか? あれこれ注文の多いタイプでしたか? エレファンツ・メモリーらしさを出すゆとりを与えてくれましたか?

 オレたちを信頼してくれた。これ以上ステキなことはないよ。ジョンはオレたちに白紙委任状をくれたんだ。あんなにやさしい人はいない。メンバーの誰かが文句を言ってたって記憶は全くない。オレたちは経験豊富なスタジオ・ミュージシャンであって、デヴィッド・ピールのようなストリート・ミュージシャンじゃない。別にデヴィッドの悪口を言ってるんじゃないよ。ただ区別をしてるだけさ。デヴィッドのことは大好きだし。

  

ジョン&ヨーコが合流して、実際の演奏活動はどのようにして開始したのですか?

 2週間、毎日午後7時にレコード・プラントに通った。1日に1曲ずつ録音していった。どんな曲でも、ジョンはせいぜい3テイクしかやりたがらなかった。フレッシュさを保ちたかったんだろう。《Some Time In New York City》はそういうふうにしてレコーディングしたんだ。

レコーディング中、ジョン&ヨーコは人目を引く存在だったんじゃないですか?

 カーリー・サイモンが立ち寄った。彼女はしばらくエレファンツ・メモリーにヴォーカリストとして在籍してたんだ。ルドルフ・ヌレエフも来た。ジャッキー・ケネディーも。

ジョン&ヨーコが1週間、マイク・ダグラス・ショウを占拠したことがありました。番組収録に参加して、様子を間近で観察していて、どうでしたか?

 ジョンがチャック・ベリーに会ったのは、あの時が初めてだったんだ。オレたちはフィラデルフィアのベン・フランクリン・ホテルに泊まってたんだけど、宿泊費が凄いことになっていた(笑)。チャックは、ビートルズが彼の曲を使ったのに印税が支払われてないことに少し怒ってたんだけど、すぐに機嫌を直してしまった。2人のスーパースターが一緒にいるのを見るのは壮観だったね。チャックはジョンのアイドルだから、ガキのようだった。ワクワクしたね。



チャック・ベリーに関して他にどんな思い出がありますか?

 チャックが主導権を握ってて、リハーサルではあるキーだったのに、本番じゃ別のキーで演奏しちゃったんだ。ジョンはそういうのに慣れてなくて混乱してた。でも、ジョンは超いい人だから、最後までそれでやってくれたよ。チャックはエレファンツ・メモリーを気に入ってくれて、一緒にツアーをやったくらいさ。ジョンは労働ビザを持ってなかった。オレたちはチャックと《Bio》ってレコードを録音した。ウェイン・「テックス」・ゲイブリエルがこのアルバムではリード・ギター・ソロを弾いてるんだ。チャックが自分のスタジオ・トラックで誰かにそんなことやらせたのは、この時だけだよ。〈Woodpecker〉ってインストゥルメンタル曲だった。チャックはオレたちとジャムるのが好きだった。

 

ジョンは自分のバンドを取られてしまって面白くなかったんじゃないですか?

 ノー・プロブレムだったよ。ジョンがやったのはテレビやチャリティー・コンサートやそういう類いのものだけだった。労働ビザを持ってなかったからね。オレたちがアンダーソン・シアターでチャック・ベリーとボ・ディドリーと一緒にコンサートをやった時には、ジョン&ヨーコは2列目で見てたんだよ。

政治活動家との交流がジョン&ヨーコにとって深刻な問題になり始めたのはいつからなんですか? 反戦を訴える抗議活動をやったり、マイク・ダグラス・ショウに急進的な活動家を呼んでしまったりしたことが、当局の機嫌を損ねたのでしょうか?

 1972年にはジョンは多くの政治活動家と関係を持っていた。ジョン&ヨーコと一緒に活動をしていた時期には、ほぼずっと、オレの電話も盗聴されてたんだ。FBIがオレの電話を盗聴するために、オープンリール式の録音システムをオレが住んでる建物に持ち込んでいた。「クリック音」が聞こえてたよ。ああいう帽子をかぶったGメンがオレたちを尾行していた。ボブ・グルーエンまで追いかけてたんだぜ。今となっては、Gメンに目を付けられてた時代のことは笑っちゃうけどね。こいつらはジョンが気に入らず、ジョンを国から出て行かせようとあらゆることをやっていた。

当時、あなたがたに対して他にもどんな謀略が行なわれてたんですか?

 あの頃は仕事が忙しくて、仕事を一生懸命やってたから、そっちのことはあまり気にかけてはいなかったよ。でも、デンヴァーでは銀行強盗として逮捕されるなんてことがあったんだ。すぐに釈放されたんだけど、何かうさん臭さを感じたね。仕組まれてたことのようだった。

ワン・トゥ・ワン・コンサートの(リハーサルの)ブートレッグが出回りましたが、どういう経緯で音源が漏れたのかご存じですか?

 全然知らない。バタフライ・スタジオにはモービル・トラックがあって、リハーサルから何から全部録音してたんだ。オレの想像なんだけど、そこにいた誰かが外部の奴にテープを渡したんじゃないかな。



ワン・トゥ・ワン・コンサートは、ジョンがビートルズ解散後に行なったコンサートを唯一フルで収録した歴史的な価値の高い記録です。それに関与することが出来たことを、どう感じますか?

 DVDとCDが出たけど、今は廃盤だ。再リリースしてほしいよ。ヨーコがぐずぐずしてるんじゃないかな(笑)。5年おきの活動周期のようだから。

  

ヨーコのアルバム《Approximately Infinite Universe》のレコーディングの様子をお聞かせください。

 《Approximately Infinite Universe》はヨーコの最高傑作だ。ジョンもずっとコントロール・ルームにいた。単なるポップ・レコードじゃない。ベテランのスタジオ・プレイヤーが集まって作ったまさに名盤というべきアルバムだ。

最近はヨーコとよく顔を合わせますか?

 たまにだね。2010年にはマイケル・エプステインが作った映画『LENNONYC』のプレミア上映の時に会ったよ。オレとヨーコの間には何の問題もない。

マイケル・サントとローラ・リニーがセントラル・パークにジョンを記念した平和の像を立てようと努力してますが、あなたもそれに賛同していますか? そこにはまだ、今のところ、そのようなものはありませんが、単にジョンをアイコンにするのではなくて、平和運動を記念するものなので、ジョンも気に入ってくれると思うんですけどね。

 そのアイデアは本当にいいと思うけど、ちょっと論争の的になってるようだね。オレは実現して欲しいと思ってる。

あなたがジョンと親しく音楽活動をともにしてる間、ジョンとビートルズの元メンバーとはどんな関係でしたか?

 マスコミはレノンとマッカートニーが大ゲンカしてるように報じてたなあ。ヴィレッジ・ヴォイス紙は両者がいがみ合ってるように書いてたし。《Sometime In New York City》をレコーディングしてる時、ポールから2、3度電話がかかってきて、そんな時は全ての作業が中断さ。ふたりは1時間以上、談笑してたよ。兄弟で言い争いになったって、兄弟は兄弟だ。

エレファンツ・メモリーは1973年に行なわれたクルーズでジェリー・ガルシア・バンドと共演しています。その時の思い出話をお聞かせください?

 あれはS・S・ベイ・ベル号上で行なわれた「ヘルズ・エンジェルズ・パイレーツ・パーティー」だった。このボート上の音楽イベントに、メンバーは自分の奥さんも連れてった。ウィリー・ネルソンも乗船して演奏した。マンハッタン島を10周したよ。このシーンは『Hell's Angels Forever』っていうドキュメンタリー映画(1983年公開)にも収録されている。「ドゥービー」を吸って超楽しかった。ヘルズ・エンジェルズがスポンサーで、連中はオレたちを丁重にもてなしてくれたよ。

エレファンツ・メモリーがジョン&ヨーコと別れた理由は何ですか?

 エレファンツ・メモリーと別れたっていうより、ジョンとヨーコが別れたんだよ。ジョンは「失われた週末」ってやつに突入したんだ。ニクソンが大統領に再選された時、ジョンはガッカリして、心が折れちゃったんだ。ジョンから手紙をもらったよ。インターネットでその偽物を見かけるけど、オレはオリジナルのものを額に入れて取ってある。ジョンがロサンゼルスにいる時に、アップルは10万ドル相当の機材を回収ようとしてたんだ。ジョンはオレに気を落とすなって言った。「象の記憶(エレファンツ・メモリー)と同じくらい人生も長いんだから」って言いながら。

Copyrighted article "John Lennon's Bassist Gary Van Scyoc Discusses Life With John And Yoko"
http://liveforlivemusic.com/features/john-lennons-bassist-gary-van-scyoc-discusses-life-with-john-and-yoko/
Reprinted by permission


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