2017年04月17日

《Bengali Bauls…At Big Pink》遂にCD化

 次の記事で紹介したインドのバウル(吟遊詩人)がビッグピンクで録音した幻のアルバム《Bengali Bauls...At Big Pink》が遂にCD化されました。

《John Wesley Harding》のジャケットに登場しているインド人の話(1)
http://heartofmine.seesaa.net/article/385773614.html

《John Wesley Harding》のジャケットに登場しているインド人の話(2)
http://heartofmine.seesaa.net/article/386451627.html

ボブ・ディランはインドに行ったことがあった!
http://heartofmine.seesaa.net/article/442946487.html

 
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2017年04月16日

『ビートルズ・ストーリー Vol.8 1969』にポール死亡説

 『ビートルズ・ストーリー Vol.8 1969〜これがビートルズ! 全活動を1年1冊にまとめたイヤー・ブック』に「ポール・マッカートニー死亡説」に関する記事を書きました。1969年ときたらポール死亡説は避けて通れません。

 


 ロックンロール叢書の『ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事』は、ポール来日記念ということで少し前から値下げしています。ボブ・ディランの本『「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道』もよろしくお願いします。どちらも読み放題のkindle unlimitedに登録してあります。

  
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2017年04月11日

『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』発売

 ロックンロール叢書の電子書籍第1弾『ポール・マッカートニー死亡説大全』を出版して以来、5年も経過してしまいましたが、第2弾の本『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』をやっと出すことが出来ました。今回は1966年5月17日にイギリス、マンチェスターで行なわれたボブ・ディランのコンサートに関する本です。生粋のマンチェスターっ子で、実際にこのショウを見たCP・リーが、自らの思い出だけでなく、関係者やコンサートを見た他の人々の証言も集めて紹介しながら、ボブが「ジューダス!」と野次られたことについて社会文化史的考察を行なっています。
 価格は2017年4月における英語版の販売価格と同じ、775円となっております(Kindle Unlimitedで読み放題です)。



CPのウェブページです:
http://cplee.co.uk/

 マンチェスターで生まれ育ち、実際にコンサートを見て、1971年にはブートレッグを手に入れていたCP・リーとは雲泥の差がありますが、私もボブ・ディラン・ファンの端くれとして、違う経緯をたどってフリー・トレード・ホール公演の音源に接してきました。私が知っていて、CPが書き漏らしていることも少しあるので、まずはそれから(私の信仰告白も含めて)つきあってください。
 私がボブ・ディランのファンになったのは、ビートルズのレコードを買い始めた少し後くらいなので、中学2年生の頃です。初来日公演の半年「後」くらいだったので、近所のレコード屋には帯に「来日記念盤」と記されたアルバムが並んでいました。香月利一・著『ビートルズ辞典』を読んで、海賊盤という怪しいものが存在することを知ったのも同じ頃です。ビートルズの日本公演のレコードが存在すると知ったが最後、どうしても欲しくなったので(好奇心>尊法精神)、この本を持って近所の楽器店兼レコード屋に行ったところ、お店のオジサンから「うちはちゃんとしたレコード店なので、こういうものは扱ってません」と叱られてしまいました。しかし、音楽雑誌の後ろの方のページに海賊盤を扱っていると思しき怪しいレコード屋の広告があることに気づき、実際にそこに行くまでそんなに時間はかかりませんでした。当時は、郊外で暮らす貧乏人のガキにとって、都内に行くのは年に数回の特別なイベントで、学校が休みのシーズンに九段会館で行なわれていたビートルズの映画コンサートに行って、その帰りに西新宿7丁目に寄るというのが、残りの中学時代と高校時代の買い物ルートになりました。
 1970〜80年代にはボブ・ディランに関する本や雑誌は日本には殆どありませんでした。あっても、評伝か、歌詞を文学的に解釈する本だけで(こういうふうに受容してきたので、ノーベル文学賞にも違和感は覚えませんでした)、親切なレコード・ガイドなど1冊もありません。しかし、そのうち、1966年のイギリス公演ではロック・バンドと一緒に演奏して客から野次られたことや、その様子が収録されている海賊盤があるということを、どこかで読んで知りました。1970年代後半はロックが歴史というパラダイムで認識され始めた頃で、アメリカの評論家が選んだロックの名盤トップ200をまとめた本『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』が出たのですが(現在よくある歴史的名盤特集の第1号だと思います)、それにこのコンサートが収録されている海賊盤《In 1966 There Was》が載ってるじゃありませんか。海賊盤なのに《Sgt. Pepper's》や《Blonde On Blonde》《Exile On Main St.》《Born To Run》等と同じリストに含まれているのです。海賊盤でエントリーしているのは、これ1枚でした。私の好奇心は大いに刺激されてしまい、次に新宿に行く時にはこれを買おうと心に決めたことは言うまでもありません(こうしてすぐに本道からそれてしまうのは、私の人生における悪い癖です)。
 そうして、地元の中学を卒業する直前に(ポール・マッカートニーが大麻不法所持で逮捕されて国外退去処分になった直後)、西新宿7丁目にあったKINNIEという伝説的ブートレッグ・ショップ(現在、この場所には演歌と落語の専門店が入っています)で3980円で買ったのが、PHOENIXというメーカーが製造した《Tough Songs》というアルバムです。名盤本に掲載されていたタイトルのものはなく、裏ジャケットに記されている曲目を見て、これかなあ?と思って購入し、帰宅して聞いてみたら大当たりでした。「ジューダス!」「お前なんか信じない。嘘つきめ」という野次と返答(この野次と返答、次に聞こえるオフマイクの発言「バカでかい音でプレイしろ」の解釈にも長い歴史があります)も生々しく収録されていましたから。このレコードはボブ・ファンの必修教材で、この頃は誰もが(もちろんCPは例外です)ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール公演だと信じていました。

  

 この定説が覆される大きなきっかけは、未発表トラック入り高額ボックスセットの先駆的リリース《Biograph》(1985年)のブックレットに、「実際にはマンチェスター公演だが、観客とディランとの驚くべきやりとりは数日後のアルバート・ホール公演のもの」と書いてあったことです。どういう経緯でこのような中途半端な情報がオフィシャル筋から出たのかは今でもなお謎ですが、その後間もなくして、「やりとり」と切れ目なく繋がっている〈Ballad Of A Thin Man〉と〈Like A Rolling Stone〉の2曲もマンチェスターではないか(だって他の曲と同じ音質だもん)という説が有力になりました。しかし、この段階でも「説」の域を出ず、真相は依然として不明。1989年に伝説的ブートレッガーThe Swingin' Pigが発売した同音源のアルバム《Royal Albert Hall 1966》では、依然として、エレクトリック・セットの全曲がアルバート・ホール公演というクレジットのままでした。一方、マンチェスター公演のアコースティック・セットも1980年代半ばに流出し、1986年に初めてブートレッグがリリースされましたが、こちらはマンチェスター以外の説は出てこなかったと思います。

   

 ということで、音源全体がマンチェスター公演であると「確定」したのは、1998年にブートレッグ・シリーズの第4集として《Live 1966 "Royal Albert Hall"》がリリースされた際なのですが、この公演のリリースは一度1994年くらいに予定され、キャンセルになるという経緯がありました。そんなゴタゴタの直後の1995年にリリースされたブートレッグCD《Guitars Kissing & The Contemporary Fix》(クレジットはマンチェスター)は、イギリスで一部マスコミに対して配布された試聴用サンプルカセットを音源としたようだという噂を私は聞きました。サンプルカセットはコピーされ、この海賊盤が出る前年にはボブ・ファンの間で広く出回っていました。
 さて、やっと本書『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』の話に入りますが、CP・リーがオリジナル版『Like The Night』を出版したのが1998年。正規盤《Live 1966 "Royal Albert Hall"》のリリースとほぼ同時です。歴史的コンサートがやっと正規に発売されたということで大きな話題になり、その直後のタイミングで「オレがその野次の主だ」という人物が現れました。出版を数ヶ月待てばよかったのに!と当時感じたことを覚えています。この件を盛り込んだ増補改訂版『Like The Night 2』が出たのは2004年のことですが、昨年11月にCPが自費出版した電子書籍バージョンは基本的にはこれを電子データ化したものです。
 マンチェスター公演に関しては、さらに運命のひとひねりがありました。2005年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『ノー・ディレクション・ホーム』に、ボブがマンチェスター公演で〈Like A Rolling Stone〉を演奏する映像が収録されたのです。「ジューダス!」と叫ぶ人物の顔までは映っていませんが、その叫びが発せられた直後のボブの様子はしっかり映っています。これまでにさまざまな本や雑誌で書かれ続けてきた(私も前世紀に書いた記憶があります)「ボブは野次に腹を立てて反撃。バンドに音量アップを指示」という伝説は否定されました。怒っていません。ニコニコ。余裕綽々です。「ジューダス!」の後の、ボブの「お前なんか信じない」「お前は嘘つき」はバンドの誰かとジョークを飛ばし合っているような感じです。野次への反撃ではなさそうです。しかも、その後の「どデカい音でやろうぜ(Play fuckin' loud)」では、ボブの口の動きと音が微妙に合っていません。「loud」の「lou」のところまでは一致してそうですが、最後に「d」を発音するとしたら、あんな口の形にはなりません。「イー」と言ってそうです。
 この発言の主に関しては今でもなお諸説紛々としており、ドラマーのミッキー・ジョーンズは前世紀から一貫して「ボブではない」と断言しています。あの時、ボブからあんな言葉が出たという記憶はないし、そもそもボブはあんなしゃべり方をしないというのがその根拠です。が、昨年秋にロビー・ロバートソンが発表した自伝『Testimony』ではボブの発言だと書いてありました。あの時、ボブと面と向かっていたロビーがこう証言しているので説得力がありそうですが、彼がはっきりボブだと言ったのは、私の記憶では今回が初めてで、今まではずっと「オレではない」という答え方でした。ということで、さまざまな人の証言や映像(これが決定的!)から判断して、私は今のところは「ボブではない誰か」説を支持しています。



 という経緯があっての今回の電子書籍『ジューダス!〜ロック史上最も有名な野次』の発売に至ったのですが、その準備中に著者のCPと面白いQ&Aをしたので、ここでインタビュー形式で紹介したいと思います。

1819年に民衆のデモを当局が武力で鎮圧して死傷者が多数出るという事件が起こった場所にフリー・トレード・ホールが建てられたとのことですが、どうしてフリー・トレード(自由貿易)という名前がついたのですか?

 産業革命で力をつけた新興中産階級が行なっていた運動は参政権を求めるものでしたが、政府が国内の地主(貴族)を保護するために穀物法を作り、輸入穀物に高い関税をかけて値段を人為的に高くコントロールしていたことに反対もしていました。それで抗議デモでは「穀物法撤廃! 自由貿易(フリート・レード)賛成!」といったスローガンを掲げていたのです。そこから、この名前がつきました。

「Play fuckin' loud」は誰の発言だと思いますか?

 いろんな説があることはわかっていますが、この件についてはあまり意見を言わないことにしています。ああいうふうに「号令」を発せられるのは座長のボブしかいなかったのではないかと、私は思います。

チケットの値段は一番高い席で「20/-」とのことですが、「20シリング」という読み方でいいんですか? ということは1ポンドだったんですか?

 正解です。昔の貨幣制度では1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスでした。

比較のために教えてもらいたいのですが、当時はレコードはいくらだったんですか?

 LPは平均1ポンド12シリング6ペンス、シングル盤は6シリング8ペンスでした。ちなみに、私が1966年の夏休みにやったアルバイトは週給9ポンドでした。

昔の£1は今ではいくらの価値があるかを計算してくれるサイト:
https://www.measuringworth.com/ppoweruk/


ボブの他にイギリスの「伝統主義者」から激しい反発を受けたフォーク・シンガーはいるんですか?

 答えはシンプルにノーです。ディランほど劇的に方向転換をしたアーティストはいませんでした。

ドノヴァンはどうだったんですか?

 ドノヴァンはもともとポップ・アーティストで、まとっている雰囲気もディランとは全然違いました。それに、ツアーはしていませんでしたし。〈Sunshine Superman〉が出た頃には、ディランが音楽を変えた後で、ファンはそれを尊重するようになっていました。まさに時代は変わるです。しかも、急速に。あのエレクトリック・ツアーから半年も経たないうちに全てがすっかり変わり、1967年になると、あんなことなかったかのようでした。少なくともメインストリームではそうです。
 でも、ロンドンのエンプレス・オブ・ロシア・フォーク・クラブでは、1980年代になってもまだ、エレキギターを使っていいかどうかでもめていたのを覚えています。

   
 
クリントン・ヘイリンは『Bootleg!』のまえがきで、マンチェスターにあったエロ本/ブートレッグ店、オービット・ブックスの話をしています。あなたが《Live At The Albert Hall》を買ったのもここですか?

 オン・ジ・エイス・デイっていう店です。オービットが出来たのは数年後でした。

* * *


 ロックンロール叢書は暇だけはたくさんある私が個人的にやってる資金ゼロの企画です。メインストリームなファンの眼中には入れてもらえない超くっだらね〜ことにエネルギーをかけてこだわってるマニアックな本を紹介したいと思い、第1弾は「荒唐無稽な死亡説」、第2弾である今回は「野次」の本を出しました。第3弾はあれかなあ…と数年前から考えているものがあるので、次回もお楽しみに。今度は5年も待たせないつもりです。

   

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2017年04月09日

ストックホルムで北欧盤をハンティング

ノーベル文学賞

 春休みにボブ・ディランのストックホルム公演(4月1、2日)を見に行ってきました。毎年1発目のコンサートはいろんな点で注目されるわけですが、今年に限っては、直前にニュー・アルバム《Triplicate》がリリースされ、参加ミュージシャンのクレジットにスチュ・キンボールの名がなかったことから、コンサート常連の間では選曲とバンドの人事の点で普段より注目度がアップ。しかも、ノーベル賞騒ぎのおかげで、ファン以外からも大きな興味を持たれていました。
 会場となったウォーターフロントはラディソン・ブルー・ホテルに併設されており、ノーベル・アカデミーの担当者が4月1日の午後2時頃に会場に来て、ホテルの3階の部屋で「出前」の授与式が行なわれたそうです。アカデミーの面々は、コンサートの際には前から4列目か5列目の席(スチュの前あたり。私のすぐ左のブロック)にいたのを目撃されています。
 4月1日夕方の時点では、会場の様子を取材、あわよくばメダルをもらった直後のボブの姿を写そうとするテレビカメラやパパラッチがいましたが、私の知る限り成功はしていません。美人パパラッチはボブ・バスから目を離しませんでしたが、テレビカメラのほうは会場前でいろんな観客に話を聞いて回っており、私もインタビューされてしまいました。名前と年齢、出身国の後、来た理由を訊かれたので「ノーベル賞がらみの大騒動の後なので、今回のツアーはストックホルムで見るのが一番面白いだろうと思いました」と答え(単なる野次馬)、ロック界では他に誰がノーベル文学賞に値するかという質問には「キング・クリムゾンの歌詞を書いたピート・シンフィールド」と答えましたが(ロバート・ハンターって答えたほうがよかったか…パティー・スミスとは絶対に答えたくはなかった)、このやりとりがスウェーデンのテレビで放送されたかどうかは不明です(ネットかどこかで見つけたら是非教えてください)。

paparazzi.jpg

(ボブ・バスから目を離さない美人パパラッチ)


israel.jpg

(インタビューを受けるイスラエルから来たファン。
後ろに見える黒いバスがボブのツアーバス)


 で、コンサートのほうは既にビデオ、オーディオ、写真、評がたくさん出回っているので、私が書くまでもないでしょう。それよりも、ストックホルムに着いて初めて知ってビックリしたのが、ニューヨークやロンドンでは壊滅状態のレコード屋が健在だということです。全部をのぞくことは出来ませんでしたし、購入したレコードも4枚のみでしたが(なのでタイトルにはちょっと偽りあり)、私の1,000倍くらい真剣にレコードの収集をしている諸兄姉にストックホルムにもっと興味を持ってもらえるよう、私が見聞きしたことを、忘れないうちに小さな記事としてしたためることにしました。


スウェーデン雑感

 そもそも、スウェーデンてあまり人気ないのでしょうか? 日本からの直行便は基本的にないし、『地球の歩き方』では『北欧編』として近所のノルウェー、デンマーク、フィンランドと一緒にまとめられている状態で、その他のガイドブックもあまり存在しません。どっちの方向を見てもステキな風景&建物だらけで、おとぎの世界みたいなラヴリーな国なのに…。物価が高いのは確かにネックですけどね(セブンイレブンでサンドイッチとジュースを買うだけで1,000円くらい。地下鉄の初乗りは500円くらい。ひえ〜〜〜〜)。ガイドブック自体が数少ない上に、マニアックなレコード屋を紹介している記事など、なおさらありません。
 ホテルから1軒目のレコード屋に到着するまでの道すがら、案内人であるペールさん(昨年のボブの日本公演で知り合った)にスウェーデン全般のことを訊いてみました。前日の夜に到着して、中央駅からホテルに向かうタクシーの中で、いきなり運ちゃんから言われたのが「東京にはホアはたくさんいるのかい? 売春婦のことだよ。最近、ストックホルムには主にルーマニアから大量の売春婦が流入してるんだ。この通りには結構多いんだぜ」ってことでした。まずは治安の面に関して質問したら、こんな回答でした:

 いわゆる昔のニューヨークのような危なさはないし、特に危険な地域もないけど、ルーマニアから来た孤児は一応注意したほうがいいかなあ。親はいないの。子供だけで来て、ストリートでたむろしたり寝たりしてるんだ。子供だから政府も追い返すことが出来なくて…。


 スウェーデンが一時はやめてた徴兵制を再開する予定とのニュースも最近、入ってきました。世界中で鷹派的な考えが蔓延してきていますが、北欧のおとぎの世界、スウェーデンよ、お前もか、というのが私(平和ボケの典型)の感想です:

 ロシアが脅威なんだよ。ゴットランド島を狙ってるんだ。ここを押さえればバルト海を軍艦が自由に行き来出来るからね。日本にとってもロシアは脅威なの? ある意味すごいよな。西の端っこじゃスウェーデンの脅威で、東の端っこじゃ日本の脅威になってるんだから。どれだけデカい国なんだよ。オレも19歳の時に兵役に参加して、北のほうの町で訓練を受けたんだ。(ニコニコしながら屈託なく話す)なかなか楽しい経験だったなあ。


 ガイドブックによるとスウェーデンの人は、みんな、英語が得意なんだとか。ペールさんもしかり。私の泊まったバックパッカー用安ホテルの従業員も英語で普通にOK:

 教育制度のおかげでもあるかもしれないけど、英米の映画が吹き替えられず、英語のまま、スウェーデン語の字幕付きで上映されることのほうが多いからっていうのもあると思うよ。映画を見てるうちに英語を覚えちゃう。それに、いろんな取扱説明書とかは、英語のものしかない場合も多く、必要に迫られてってこともあるかもしれない。


 さて、次の質問がメインだったりします。年金世代のスケベ爺さんから是非調査してきてくれとリクエストされたことです。かつての日本では、スウェーデンはフリーセックスの国であるという伝説が語られていました(60歳以上のジジババ世代だと特に)。フリーセックスが何を意味するのかはいまいち不明なのですが、映画『パッチギ』にも、オダギリジョー扮するちょっと進んだ青年がフリーセックスにあこがれてスウェーデンに向かって旅立つシーンがありました。フリーセックスは本当なのでしょうか、それとも、黄金の国ジパング的な伝説なのでしょうか?:

 一部は正しく、一部は間違ってる。当然、その頃なのでヒッピー・ムーヴメントの影響もあるでしょう。でも、その前に、スウェーデンはカトリックじゃなくてプロテスタントの国で、しかも、伝統的に、みんなそんなに信仰熱心じゃないんだよ。毎週日曜日に教会に通ってる人なんてあまりいないし。だから、男女のつき合いに宗教的な縛りはない。セックスは結婚してから、なんていうものない。婚前交渉OK。つきあったり結婚したりするのに、まずは相手のご両親に挨拶して承諾を得てから、なんていう手順も必要なく、つきあうかどうか、結婚するかどうかは女の子本人が自分の意志で決めることが出来るんだ。ここでは男も女も平等だ。そういう点が、他の文化の人からは、かなりフリーに見えたのかもね。

 
 なるほど! そうこうしているうちに1軒目のレコード屋に到着しました。ボブ・ディランのオッカケや家族旅行で地球のあちこちに行ってるペールさんは世界のレコード屋事情についてこう語ります:

 あれほど面白いレコード屋がたくさんあったロンドンやニューヨークは今や壊滅状態だけど、東京とストックホルムはまだ健在なんだよ。



   




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