2018年03月13日

クラウドファンディングで実現した本『ロックミュージックのオカルト的背景』

 昨年秋頃からクラウドファンディングでヨハネス・グライナー著『ロックミュージックのオカルト的背景』の翻訳出版の資金を募集してたので、1口3,000円分乗りました。サブタイトルが「アレイスター・クロウリーと深淵からの獣の浮上」なので、ロックとオカルト、クロウリーが大好きな私が読まないわけにはいきません。一般書店には置いてないそうですが、クラウドファンディングには間に合わなかった人も、出版元のSAKS-BOOKSから直接購入することが出来ます。

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 『ロックミュージックのオカルト的背景』は、シュタイナーの研究者であるグライナーがロックとオカルトというテーマに取り組んだ論文で、アレイスター・クロウリーを西洋哲学の系譜の中に、その鬼っ子、悪性腫瘍みたいな存在として位置づけています(哲学の系譜に組み込んでもらえていること自体が画期的)。論文の中身を超大雑把に要約すると「ロックはクロウリーを思想的な祖に持つゆえ、ロックを愛好する現代人はエーテル体が危機に瀕している」です。シュタイナー研究者にとっては当たり前の用語なのでしょうが、私のようなシロウトには、エーテル体だのアストラル体だのが出てきても、よくわかりません。訳者によるたった5行の脚注では足りません。「詳細はシュタイナーの『神智学』を参照のこと」だそうです。はい、わかりました(この本を読んでも理解出来るかどうかはわかりませんが…)。
 そして、最後の締めくくりが「この病を癒す薬は、何処に有るのでしょうか。この現状を打破する代替案は、何処に有るのでしょうか」です。エーテル体が危機に瀕している典型的な現代人の私の不安を煽るだけ煽っといて、疑問で終わってます。まさに尻切れとんぼ状態。シュタイナー教育の人でも、今のところ、ロックのせいで生じた深刻な「エーテル体の危機」を救うすべはないようなのです。『訳者あとがき』によると、著者本人が講演原稿に手を加え続けていて未完の状態であるのを承知して、この論文を翻訳したらしいのですが、だとしたら、「癒す薬」「代替案」についてもう少し著者の考えがまとまった時点で紹介して欲しかったなあ。時期尚早感がパないです。私の想像ですが、グライナーはこうした問題を抱えている現代人の心・精神・霊的な何かを治したいという立場の人なのでしょうに。
 そもそも、不思議な構成の本なんですよ、これ。全部で約200ページなのですが、タイトルにもなっているグライナーの論文が最初の70ページ、「訳者による解説と補足」という但し書き付きで竹下哲生の『近代と現代の分水嶺としての十九世紀』が約70ページ、残りが『深淵の獣の行方』と題した、竹下と現代フランス哲学の研究者でロックも大好きな柿並良佑の対談となっています。で、2番目の『十九世紀』が、それほどグライナー論文の解説にも補足にもなっていないどころか(だって、私に必要な解説はエーテル体のことだもん)、これはこれで独立した文として発表していいほど、面白い視点で刺激的に書かれている近〜現代の西洋音楽史なのです。3番目の『行方』対談も、グライナーのオカルト論文の解説というよりは、非常に興味深い、中高年には書けない鋭い内容の現代日本文化・文明論になっています。どちらも「解説」「補足」などという一段低い地位に甘んじる必要のない立派な内容です。はっきり言って、本の看板ではあるものの、「さて、レッド・ツェッペリンは----確認出来る範囲で----最初にリバース・スピーチ(逆再生メッセージ)を使用したアーティストだと言えます」とか、ちょっとボケたことが書いてあるグライナー論文など(ビートルズの〈Rain〉は確認範囲外だったのか?)、なくても通用する本ですよ。なので、グライナー論文をヨイショする必要性など、私には全く感じられません。何の根拠もない私の妄想ですが、本当は『十九世紀』と『行方』を発表したかったんだけど、シュタイナー系の出版社を説得するのにグライナーを取り上げなければならなかったという大人の事情でもあったのでしょうか?


   


本ブログのロックとオカルト関係記事:

・オカルト史観でロックを語る『Season of the Witch』著者インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/408594084.html

・どうしてロックはアレイスター・クロウリーを愛するのか
http://heartofmine.seesaa.net/article/433815718.html

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2018年03月10日

オーディエンス録音の「荒削り」な魅力

 我々ロック・ファンにとっては、オーディエンス録音は、TMOQやRubber Dubber、その他の海賊盤を通して、そういう怪しい世界もあるのかあ…と知ったものですが、演奏者、主催者、会場側の許可を取らずに勝手に録音したものとしては、今から約120年前にニューヨークのメトロポリタン歌劇場でメイプルソンという人物が行なっていた行為が、その始まりだと言われています。クリントン・ヘイリン著『BOOTLEG!』でもそのあたりの話が書かれていますが、たとえそうした音源に興味を持ったとしても、自分にとって詳しくない分野だと、該当のCD等を見つけるのは至難の業です。今回紹介する記事は、YouTubeに存在する古{いにしえ}のレコーディングを紹介している優れた記事です。
 今では高性能小型マイクや小型デジタル録音機があるので、こっそり録音するのは簡単になりましたが、その前はDAT、さらにその前はカセットテープが使われていました。1970年代のカセットテープ時代のテーパーに話を聞いたところ、現代のノートパソコン以上の大きさのデッキをマジソン・バッグの底に隠し、「よしっ、今日もやるぞ!」と心の中で気合いを入れて会場入り口に向かったそうです(係員とのトラブルも何度か)。1980年代になってウォークマン・プロが発売された時には、その「小ささ」を大変ありがたく思ったのだとか(こうした状況を考えると、DAT以降の録音なんて苦労のうちには入らないでしょう)。
 カセットテープの前は、当然、オープンリール・テープです。1960年代前半のニューヨークのフォーク・クラブでは、誰かが客席で演奏を録音していても、咎められることはなかったそうです。現在、流通しているボブ・ディランの駆け出しの頃のライヴ・テープの多くはそうして作られたものです。当時のマニアが録り溜めていたテープの中には、もしかしたら無名時代のボブの演奏が含まれているかもしれないとして、調査をしている人もいます。1960年代前半ではロック・ファンの殆どは子供で、お小遣いも限られていました。彼らよりも年齢が高いジャズ・ファン、クラシック・ファン、フォーク・ファンのほうが録音機材に金をつぎ込む余裕があったようです。駆け出し時代に関しては、ビートルズやローリング・ストーンズよりも、ボブ・ディランのほうがはるかにたくさんのコンサート音源が残っているのは、そういう理由もあるのです。
 とはいえ、1964年2月に行なわれたビートルズのワシントンDC公演の映像も注目に値します。言うまでもなく、これはプロによる撮影ですが、映り込んでいるものが重要なのです。最前列で、膝の上にオープンリールのレコーダーを置き、マイクを宙に突き出して録音している少女がいます(このページに写真あり)。そのテープ、出来はどうだったのでしょうか? 今でも残っているのでしょうか?
 そして、オープンリールの前は…もう想像すら出来ません。蝋管蓄音機…ポータブル・レコーディング・ターンテーブル…何それ? ファンによる勝手録音とその影響も私の生涯の研究テーマの1つなのですが、まだまだわからないことだらけです。




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2018年03月05日

ボブ・ディランとギリシア/ローマ文学:リチャード・F・トーマス教授インタビュー

 私は幼い頃からコンプレックスの塊で、学力と学歴はその中でも最たるものです。小学校入学前から自分には負け組の人生しかないよなあと思いながら(予想は見事に的中。大器晩成型でもないでしょう)、結局、一番偏差値の低い文学部に進学し、何を考えたのか、ちょっとかじったのが「西洋古典学」でした。日本人相手だとたいてい「それってシェイクスピアか何かですか?」と訊かれる程度なので、「ええ、もう少し古いですけどね」という回答でごまかすことが出来るのですが、欧米人相手だとそうはいきません。西洋古典というと、主に古代ギリシア〜ローマ時代に古代ギリシア語・ラテン語で書かれたさまざまな文献を指すのですが、本当の勉強は大学院からで、学部での勉強なんて超初歩レベルです。しかも、日本の大学ですから、テキトーな状態でも卒業出来てしまいます(誤解があるといけないので言っておきますが、私のような落ちこぼれは例外で、教授陣は世界的権威、私以外の学生は超優秀な人ばかりでした)。一方、欧米のインテリはそんなことは中学、高校レベルで勉強済みであって、それが彼らの強固な知的バックボーンとなっているのです。なので、彼らとこの手の話をするとなると、自分がいかに不勉強のクルクルパーなのかを嫌というほど思い知らされます。でも、日本のことなら負けないでしょ、とならないところが私のさらにダメなところで、正直言って、読めて当然の古文、漢文読めません。大学入試レベルでストップしてしまっているのです(どこの大学でも、大して読めなくても合格出来ます)。しかし、古今東西のこうした古典に対するリスペクトや憧れは、まだ捨ててません。なので、輪廻というものを信じるならば、今回の人生では以上の学問分野を含め、勉強全般の大切さは理解することが出来たので、来世にまた人間になれたら、今度はもう少し真面目に頑張ってみようかなあ…(要するに、今回の人生ではもはや何もする気がない怠け者のダメ人間なのです)。

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 と、程度の低いボヤキは終わりにして本題に入ります。西洋古典学の研究者がボブ・ディランの本を書きました。昨年出版された『Why Dylan Matters』(なぜディランが重要か)の著者リチャード・F・トーマスはハーヴァード大学で西洋古典学を教えている教授で、ローブ古典叢書の理事も務めています。ローブというのは、赤のカバーがラテン語、緑のカバーがギリシア語で書かれた文献を収録したシリーズで、左のページに原文、右のページに英訳が掲載されてる形式なので、初学者にはやさしい本と言えます。今回紹介するトーマス先生のインタビューでも登場するオウィディウスの『Ars Amatoria』(The Art Of Love・愛の技法----つまり、古代ローマ時代のナンパ指南書です。読むだけではモテるようにはなりませんよ)は、たまたま私も持っていました。
 学生時代は、この分野はボブ・ディランとは全く関係ないと思っていましたが、数十年後にこんな形で繋がりが出てくるとは…。今回紹介する記事は、ハーヴァードの古典学の先生が『Why Dylan Matters』という大きな本を発表する以前の、『The Streets of Rome: The Classical Dylan』(ローマのストリート:古典文学的ディラン)という論文を発表した時の少し古いインタビューですが、『Why…』に書いてあることの大まかなガイドにもなること請け合いです。






ボブ・ディランとギリシア/ローマ文学
リチャード・F・トーマス教授インタビュー


聞き手:ペルセポネー



 リチャード・F・トーマスはハーヴァード大学の古典語(ギリシア語/ラテン語)の教授で、大学生、大学院生の指導教授、古典学科の学科長を歴任。現在はハーヴァードのマヒンドラ人文学センターの「古代ギリシア/ローマ文明研究」のセミナー長である。彼は全米文献学協会、アメリカ・ウェルギリウス協会の会長も務め、2001年からはローブ古典叢書の理事、『Harvard Studies in Classical Philology』(ハーヴァード古典文献学研究)の編集者でもある。
 トーマスはボブ・ディランとギリシア/ローマ文学という大きなテーマで論文を執筆し、講義も行なっている。これから紹介するインタビューは、トーマス教授が『Oral Tradition』(2007年)で発表した論文『The Streets of Rome: The Classical Dylan』について行なわれたものである。


初めて聞いたボブ・ディランの曲は何だったか覚えていますか?

 ええ。ディランは私より9歳年上で、私が12歳くらいの時に自分の音楽を世に出し始めました。〈Blowin' in the Wind〉は、1963年という時代と公民権運動というコンテクストの中ではとても影響力のある歌であって、私はこの曲を学校の合唱団で歌ったことを覚えています。1964年のことだったと思います。あの頃、私たちはアメリカの公民権運動の様子を遠くから見ていました。

ニュージーランドで聞いたのですね。

 そうです。当時、ニュージーランドには何もかもが1年遅れで入って来ていたのです。同じアルバムには〈Masters of War〉も入っていて、この曲は、一般的には、反戦運動の時期に生まれた名曲だと思われていますが、ボブが歌ったのはヴェトナム戦争ではなく、もっと広義での軍産複合体についてでした。あの時点では、まだヴェトナム戦争は激化が始まりかけていた状態でしたから。ディランの演奏活動の本質は、新曲とともに古い曲も歌い続けているという点です。アレンジが新しくなり、時が経つにつれてコンテクストも新しくなるので、古い曲が新しいものになってしまうのです。2003年にアメリカがイラクを攻撃した後は、作ってから40年も経っているこの歌が、新しい意味と新しい適合性を持って歌われるようになりました。曲をある特定のコンテクストに縛りつけてしまう地理的、時代的な目印を用いないという傾向が、ディランにはあります。それで、曲は生き続け、世界との関連性を持ち続けています。

ボブ・ディランと古代ギリシア/ローマの作家たちとの間にインターテクスト(テクストの関連性、つまり、ディランによる引用)があることに、最初に気づいたのはいつですか?
 
 9/11になってやっとです。ディランには、あの日の朝に発売された《Love and Theft》というアルバムがあります。1997年の時点でも、アルバム《Time Out of Mind》に入ってる〈Highlands〉というとても長い、語りのような歌の中に、似たようなインターテクストのあることには気づいていました。この曲には「My Heart's in the Highlands」というリフレインがありますが、これはロバート・バーンズからの引用ですね。他にもバーンズから引用している箇所がありますが、いろいろな要素が合わさって1つの歌になっていて、その歌い手は、あらゆるものから逃れて----もしかしたら、ニューヨーク・シティーからかもしれません----頭の中にある観念的な高原{ハイランド}に行きたいと願っているのです。しかし、2001年のアルバム《Love and Theft》で、もっと強いインターテクストがあることに気づいたのです。例えば、〈Lonesome Day Blues〉には古代ローマの詩人、ウェルギリウスのフレーズが出てきます。「I'm gonna spare the defeated(負けた連中を助命してやろう)」「I'm gonna tame the proud」(誇り高き連中を飼い慣らしてやるつもりだ)とかね。他の人も見ているように、この曲には他にもいろいろなインターテクストがあります。『ハックルベリー・フィン』やアメリカの南北戦争、日中戦争の回想を含む日本のヤクザ小説(佐賀純一『浅草博徒一代』)、それから『アエネイス』です。この関連性がリスナーの頭の中で活性化したら、この曲はディランが若い頃に起こった戦争----ヴェトナム戦争によるダメージや喪失のみを嘆いているのではなく、『アエネイス』に出てくるローマ時代のさまざまな戦争や南北戦争を含む、文学作品の中で描かれている他の様々な戦争も取り込んでいることになります。

   

ディランの歌詞に関してたくさんの評論を書いていますが、あなたにとって、ディランの魅力は専ら歌詞なのですか? それとも、あなたのディラン体験の中では、音楽も歌詞と同じくらい重要なものなのですか?

 素晴らしい質問ですね。私は後者だと思っています。詩人としてスタートしてシンガー・ソングライターになった人も多数います。レナード・コーエンは1960年代前半に詩を書いて、詩集を出版しています。その後、歌も書くようになりました。ディランも詩人です。英語でいうbard(語り部、詩人)、ギリシア語でいうἀοιδός(吟遊詩人、歌手)、ラテン語でいうvates(詩人)です。正に詩人であって、それに付いてる歌は詩の一部です。ディランの場合、歌が必要なのです。彼は歌がなくても立派に通用する美しい散文も書きます。2004年に出した自伝『Chronicles: Volume 1』なんか、特にそうですね。

『The Streets of Rome: the Classical Dylan』という論文の中で、あなたはT・S・エリオットの言葉に触れています。「未熟な詩人は借用する。熟達した詩人は盗む」と。そして、ディランの詩はインターテクストのメレンゲ状態----つまり、他の作家から「盗んだ」言葉----から成り立っているともおっしゃっています。ディランは自分の音楽において「盗み(Theft)」と同じようなことをやっているというのですか?

 ええ、そうです。フォークやブルースの世界はそれでうまく機能しているのです。ディランは1993年に《World Gone Wrong》というアルバムを出しました。これはブルースのカバーを収録したアルバムでしたが、他所にあるたくさんのディラン本人のオリジナル曲の中にも、メロディーや歌詞の一部は盗んだものだったりします。そういう窃盗行為は、自分も伝統の中に存在しているということを表すメタファーなのですよ。だって、ブルースは誰のものですか? フォーク・ソングと同様、ブルースの曲もまた1つの連続した流れであって、つなぎとなる歌をキャッチしたり盗だりするという行為が、ブルースに意味や複雑さを持たせているのです。これもまたブルースの面白さの1つとなっています。

ものを書く者は皆、自分がある芸術運動の先駆者だってことにしたがるものですが、真の意味で「オリジナル」なものなんてあり得ないと言えます。我々のインスピレーションは必ず、自分以外のどこか他所から生じるものだからです。インターテクストが意図の産物であれ無意識の産物であれ、インターテクストとそれを受け入れることは、あらゆる文学ジャンルに本来備わっている要素であるとお思いなのですか?

 はい。〈Fourth Time Around〉を見てみましょう。ビートルズが〈Norwegian Wood〉をリリースした直後の、1966年にリリースされました(「ノルウェイ産の木材」がディランの中では「ジャマイカ産のラム酒」になりました)。この2曲を並べて比べてみましょう。ビートルズは「Isn't it good, Norwegian wood?」とシンプルな韻を歌っていますが、ディランはその上を行き、もっと派手なものにしています。「I tapped on her drum and asked her how come / And she buttoned her boot /And straightened her suit」と続き、漸降法(アンチクライマックス)のエンディングを迎えます。「And gallantly handed her / My very last piece of gum」 それから、最後のヴァースについても考えてみましょう。「I never asked for your crutch / Now don't ask for mine」 ここでの「you」はいったい誰なのでしょう? この時期、ディランから刺激を受けていたジョン・レノンなのでしょうかねえ?

〈Fourth Time Around〉といった曲の中では、インターテクストは意図したものだったようですが、ある作家をあまり意識せずそれとなく引用したり、取り入れたりしている曲も存在するのではないでしょうか? インターテクストが有機的に出現している曲はありますか?

 そのプロセスや作曲の作業は極めて意識的だと思いますが、2004年に『60 Minutes』という番組のインタビューで、エド・ブラッドリーはディランに、1960年代の素晴らしい歌詞はどこから生じたのかと質問しました。すると、ディランはわからないと言いました。「創造性の源泉は」という言葉を発した後、「どうやって曲を書いたかわからない」と言い、1960年代中期のシュールレアリスティックな歌詞を持つ〈It's Alright Ma〉を持ち出し、究極の歌詞を噛みしめるように語り始めたのです。「Darkness at the break of noon / Shadows even the silver spoon / The handmade blade, the child's balloon / Eclipses both the sun and moon / To understand you know too soon / There is no sense in trying」 ディランは大量のフォーク・ミュージックを聞き、19世紀と20世紀初頭のアメリカーナを研究し、大量の本を読みました。特定のテーマに絞ってではなく雑多にです。ディランはブラッドリーに「すると、他のことも出来るようになりました」と語りました。ディランが発見したことの1つは、オウィディウスが追放中に書いた詩や、ヘンリー・ティムロッドが南部連合のことを詠んだ詩など、他の文学作品を呼び起こすという技です。実際、以上のふたりのラインはいくつかの曲の中に出てきます。ディランは昔から南北戦争に興味を持っており、恐らく、そこからローマに興味を持つようになったのかもしれません。2006年のアルバム《Modern Times》に入ってるいくつかの曲には、全部で約20箇所、オウィディウスの引用があります。

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オウィディウス


悪魔の弁護をしていただきましょう。こうしたラインは意識的なインターテクストの代表だとお思いなのですか? 類似は偶然の一致である可能性はないのでしょうか?

 ありません。これらのラインは殆ど一言一句、ピーター・グリーンが翻訳したオウィディウスと一致しているのです。しかも、それが効果の一部となってるのです。このアルバムの1曲目〈Thunder on the Mountain〉で、ディランは「I've been sitting down studying the Art of Love / I think it will fit me like a glove」(オレはじっくり腰を落ち着けて『愛の技法』を研究している。それは手袋のようにオレにぴったり合うと思う)と歌っています。もちろん、『Ars Amatoria』(The Art Of Love;愛の技法)からの引用がはっきりそこにあるわけではありませんが、リスナーはオウィディウスのことを思い浮かべるわけです。〈Ain't Talkin'〉は、ディランが65歳の時にリリースした、当時はこれが最後になるかもしれないとされていたアルバムの最後の曲なのですが、歌い手は歩きながら歌っているのです。「In the last outback, at the world's end」(地の果て、世界の果てで)と。これはオウィディウスが追放中に書いた詩(『Ex Ponto(黒海からの手紙)』第2巻・第7歌・66行)のピーター・グリーン訳の直接的引用です。それでもまだ、これが偶然の一致と思う人がいるかもしれないので、もっと挙げましょうか。この曲の中には他にも、オウィディウスのラインをそのまま引用している箇所、もしくは、オウィディウスを示唆するような箇所が3〜4つあります:「Every nook an cranny cormer has its tears」(家のどの隅も涙で満ちている)、「royal and much loved companions」(忠実な、とても愛されている仲間たち)、「make the most of one last extra hour」(最後のもう1時間を最大限活用する)。----1つの曲の中に『Tristia(悲しみの歌)』第1巻・第3歌「ローマ最後の夜」の24、65、68行が登場しているのです。私が『The Streets of Rome: the Classical Dylan』で書いたのはこのことです。それまで私が気がつかなかったことが判明したのは、2008年に《The Bootleg Series Vol.8: Tell Tale Signs》が出た時です。このアルバムには〈Ain't Talkin'〉のアウトテイクが入っていました。初期のバージョンです。違う歌詞が付いていて、オウィディウスの要素が全くありません。オウィディウスの引用がゼロなのです。私が思うに、ディランがオウィディウスを読み始めたのは、《Modern Times》を作っている時だったのではないでしょうか。そして、自分がどのように曲を書いているのかを暴露する印(telltale sign)の1つとして、オウィディウスのないバージョンを収録したのではないでしょうか。なので、インターテクストは全て意識的なものです。

   

もう少しでディランに会えそうだったのに、惜しくも会えなかったそうですね。しかし、答えを知ってしまったら、その途端に、彼の音楽を解釈する喜びが破壊されてしまうのではないでしょうか。このくらいの距離があることが、詩人と学者の理想的な関係だということなのでしょうか?

 ディランの事務所のスタッフ数人とは会ったことがあります。ディランの代理人と呼ばれているジェフ・ローゼンともね。彼とは春休みにも会う予定です。ジェフはディラノグラフィー(ディランに関する書籍)に協力的ですね。ある程度は、ですが。しかし、ディラン本人となると別の問題です。アーティストの中には、評論家が芸術に関して質問すると、それに答えてくれる人もいますが、ディランはその種の質問に答えることを拒絶してきました。ずっとそうです。ディランは自分が言いたいことをインタビュアーに語るのですが、インタビュアーが知りたいことは教えてくれません。そういう回答も芸術の一部であり、発表したばかりの曲もしくは間もなく発表する予定の曲と関連があることが多いのです。よく戦略を練った上でインタビューのタイミングを決めています。歌詞の意味や作曲の方法について、直接的な、打ち解けた回答をすることは稀です。映画『Don't Look Back』について考えてください。音楽評論家がディラン・ブームの理解を試みているシーンがあります。彼らはディランの音楽が嫌いなので、彼の人気を認めていないし、何が起きているのかも理解していません。なので、ディランは彼ら全員を軽蔑して遊ぶのです。ディランは昔からペルソナ作りが得意です…そういう距離を保つのが目的です。だって、ボブ・ディランとい名前自体、本名ではないのですよ[生まれた時につけられた名前はロバート・ズィママン]。1964年のハロウィーンの晩には、ある曲の時に「ボクはボブ・ディランの仮面を被っています。変装してるんですよ」と語っています。



古典学者がディランに興味を持っていることに、ディラン本人は気づいていると思いますか?

 ええ。我々のような古典について書いている人間がディランのレーダー上に現れていると考えるのに、十分な理由を私は持っています。ディランは《Modern Times》の〈Nettie Moore〉で「The world of research has gone berserk / Too much paper work」(研究の世界は狂乱状態になっている。論文執筆の作業があまりに多い)と歌っています。我々の中には、ディランが自分の音楽について過剰な量の記事が書かれていることを言っているのではないかと、思った人もいます。さらに、2012年に出た傑作アルバム《Tempest》には〈Early Roman Kings〉という曲があります。表面的には古代ローマっぽいですね。確かに、そういう路線のラインが2行ばかりあります。「All the early Roman kings in the early, early morn, / Coming down the mountain, distributing the corn」(初期の頃のローマの王は皆、朝早く、山から下りてきて、トウモロコシを配った) タイトルが最初に発表された時には、古典学者たちはワクワクしました。《Modern Times》のオウィディウスの件があった後ですからね。でも、糠喜びでした。私たちは間もなくしぼんでしまいました。ローマン・キングスとは1960年代にニューヨークにいたラテンアメリカ系ギャングのことだと判明したからです。2行目には早くも「シャークスキンのスーツ」というフレーズが登場します。ディランはファンを相手に戯れているのです。このタイトルは、実際にオウィディウスが含まれている曲のそれよりも、はるかに古代ローマ的です。戯れは続きます。歌い手の声は、もはやローマでもニューヨークでもなくなり、今度はフェイグルス訳の『The Odyssey(オデュッセイア)』になるのです。そのままですよ。『The Odyssey』第9巻の終盤でオデュッセウスがキュクロプス(1つ目の巨人)を愚弄するシーンです。「I can strip you of life / Strip you of death / Ship you down / To the house of death」(オレはお前から命をはぎ取り、死もはぎ取って、お前を死の館へ送ることが出来る) オウィディウスの箇所、ホメロスの箇所でもそうなのですが、ディランは自分の音楽、旋律、メロディーにフィットするよう詩を翻訳する目もしくは耳を持っています。この曲の場合は、マディー・ウォーターズ・スタイルのブルースを通してでした。ディランはフェイグルスから見事にフレーズを盗んでいます。この曲ではユウェナリスの『Saturae(風刺詩集)』からも少し引用されています。皆さんにとってお馴染みの、ローブの理事であるスザンナ・ブラウンドの素晴らしい翻訳からですよ。世間は気づいてないかもしれませんが、ディランはホメロスをダイレクトに引用した後に、クリエイティヴ面に関することを暗に意味しているような発言をしているのです。一部の人はディランの歌詞をコンピューターに入力して分析していますが、そうしたプログラムでは比喩やほのめかしは捕らえることは出来ません。ホメロスをそっくり引用した後、ディランはこう続けています。「One day / You will ask for me / There'll be no one else / That you'll wanna see」(いつの日か、皆はオレの消息を尋ねるだろう。他に会いたい人は誰もいなくなるだろうから) ここに出てくる「誰もいなくなる」というのは、もちろん、ホメロスの語り部のことで、ホメロスの聞き手は誰にも会えなくなってしまうだろう、と歌っているのです。
 なので、ディランは我々、古典学者に興味を持たれていることを意識していると思います。双方向の対話をしているとすら言えます。もっと大きな視点で見ると、ローマ時代のインターテクストだってこれと同じではないですか。時を同じくして、もしくは時代を飛び越えて、テクストと歌の対話、読み手と聞き手の対話が行なわれているのではないですか。ウェルギリウスもオウィディウスも、読者に期待していたのは、インターテクストや過去の先例について考え、新しい歌と会話をすることではなかったですか? ホラティウスも『Epistles』の中で「Cum lamentamur non apparere labores…つまり、我々の苦労の成果や、詩でほのめかしてることが誰にも気づかれないことを嘆く時」(第2巻・第1詩・224行)と言ってます。次の秋に始まる新入生向けのセミナー(今度で4回目となります)では、新進の古典学者やディラノロジストに、こうしたテーマを探求してもらう予定です。

The original article “Bob Dylan and the Classics: An Interview with Professor Richard F. Thomas
https://projects.iq.harvard.edu/persephone/bob-dylan-and-classics-interview-professor-richard-f-thomas

   
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2018年03月04日

幻のドラマー、ジミー・ニコルの伝記映画制作決定:「ロックンロール探偵」インタビュー

聞き手:ボブ・ウィルソン


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[この人がジム・バーケンシュタット]


 ビートルズの5番目のメンバーは誰か?というのはよく議論の種になることだが、ドラマーのジミー・ニコルというのが一番妥当な答えだろう。ロックンロール探偵の異名をとるジム・バーケンシュタットは、2013年に出版した『The Beatle Who Vanished』(消えたビートルズのメンバー)において、ビートルズにとって初の大ツアーで、ジミー・ニコルが一時的にリンゴの代役を務めた件をじっくり語っている。ニコルの物語に興味をそそられた者は多く、現在、この本に基づいて映画の制作が進行中だ。ジムが今後のお楽しみを少し教えてくれた。



ジミー・ニコルと『The Beatle Who Vanished』について教えてください。

 『The Beatle Who Vanished』はジミー・ニコルについて歴史的調査を行なった世界初の本です。無名のドラマーがいきなりリンゴの代役に抜擢されて、ビートルズ初のワールド・ツアーを大惨事から救うという大冒険を行なったことは、彼の伝説のごく一部に過ぎません。13日間の名声は世界中の新聞の見出しになりましたが、ニコルはブラックリストに載ったり、裏切られたり、他にもドラッグ、離婚、破産といった謎に満ちた人生をたどり、最終的にはどこかに消えて生死すらわからない状態になってしまいました。
 ガービッジというバンドのドラマーで、ニルヴァーナ、フー・ファイターズ、スマッシング・パンプキンズ、ポール・マッカートニーをはじめ、いろんなアーティストのプロデューサーとしても有名なブッチ・ヴィグは、この本について、「面白い謎解きみたいな本だ。ハードコアなファンだけでなく、彗星の如くポップのスターダムにのし上がり、その後、地上に不時着するような人生を理解したいと思う人も必読だ」って言ってました。

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『The Beatle Who Vanished』に基づいた映画が現在制作中とのことですが、どのような経緯で作られることになったのでしょう? 誰が関与しているのですか?

 アレックス・オービソン(ロイ・オービソンの息子)が、ある日、ロイ・オービソンのfacebookページを見ていて、ファンがジミー・ニコルに関して私が書いた記事の1つをシェアしてるのに気づいたんです。アレックスもドラマーで、ナッシュヴィルで束の間の名声の話をたくさん見聞きしていたので、ニコルの話に好奇心をそそられ、友人であるアシュリー・ハミルトン(ジョージ・ハミルトンの息子)に話したんです。優れたシンガーである彼も、音楽産業の浮き沈みを体験していました。ふたりはこの本を取り寄せて読んで気に入り、面白い映画になりそうだと思ったんです。ということで、ある日、突然、私のところに彼らの弁護士から問い合わせのメールが届きました。本を映画化するオプション契約を結ぶことに興味はございませんか、という。それ以降のことは皆さんがご存じの通りです。既に彼らがスタジオと契約し、映画は今年プリプロダクションの段階に入ります。公表していい段階になり次第、あなたのサイトの読者に喜んで情報を提供する予定ですよ。

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ジミー・ニコルに関して、あれから新たに判明したことはあるのですか?

 あります。本の出版の面白いことの1つが、それを読んで、もしくは、書評等を読んだ多くの人が、著者に連絡を取って、該当の人物について知ってる情報を教えてくれることです。私はスコットランドのエディンバラまで行って、ジミーにとって最初の従兄弟となった人物、ロニー・ニコルに会いました。ロニーは数十年間、ジミーと連絡を取っていて、誰も知らない素晴らしい情報をたくさん持っていました。私は映画の公開に合わせて増補改訂版を出そうと考えています。章を1つ追加して新情報に当てる予定です。

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有名人から仕事の依頼の電話がかかって来るのはどんな感じなのですか? 弁護士や代理人との話が済んだ後、そういう人と直接話すというのは?

 ある晩、オリヴィア・ハリスンから電話があったのを覚えています。「マーティー(マーティン・スコセッシ)と話してたんですが…」って。彼とジョージ・ハリスンの生涯に関する映画について相談してたんだけど、映画の内容の歴史的考証はやりたくないかという内容でした。言うまでもありません。心臓発作を起こしそうになりながら、そう答えました(笑)。ということで、3年間、『George Harrison: Living in the Material World』という素晴らしい映画の作業をしました。この映画はエミーで2冠に輝きました。とても名誉なことです。

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一介の男が、13日間だけビートルズのメンバーになるって、どんな感じだったのでしょうか?

 難しい質問ですね、ボブ。該当の人に質問するしかないでしょう。ジミー・ニコルの場合、私が本でも書いた通り、自分のグループでビートルマニアを再現出来るかもと考えたようです。ニコルは2回、バンドを作ってるのです。1964年秋と1965年冬に。どっちも目標はメジャーなポップ・バンドになることです。レコーディング契約をして、大規模なツアーを行なうことが出来ました。その結果どうなったかは『The Beatle Who Vanished』をお読みになってください。13日間ビートルズのメンバーだったことが彼の一生にどんな影響を与えたのかがわかります。

あなたのこれまでの仕事に興味を持った人は、どこでそれを知ることが出来ますか?

 私の過去の仕事は www.rockandrolldetective.com に載っています。テレビや映画の仕事については http://www.imdb.com/name/nm2844636/ にあります。『The Beatle Who Vanished』についてもっと知りたい方は www.thebeatlewhovanished.com へどうぞ。


The original article "An Interview with the Rock & Roll Detective" by Bob Wilson
http://beatlesmagazineuk.com/meeting-the-beatles-interview-with-the-rock-roll-detective/
Reprinted by the permission of Jim Berkenstadt

   
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