2018年07月21日

ビートルズ誕生の地、リヴァプールに行ったぞ

 旅が大嫌いながらも、世界を見てみたいなとは思ってるんですよ。で、ボブ・ディランやグレイトフル・デッド、ローリング・ストーンズのオッカケという名目で、何度か重い腰を上げて、ロック・コンサートが行なわれるような大都市はいくつか行きましたが、なぜか今まで残ってしまっていたのがリヴァプールです。ポールとリンゴがここでコンサートをやる時を逃していたのが最大の原因なのですが(12月のポールのリヴァプール公演決定のニュースはマンチェスターで聞きました。今回もタイミング悪い)、この2人でなくても、何かいいコンサートはないかと機会をうかがっていたところに、ロジャー・ウォーターズが夏にヨーロッパ・ツアーをやるというので、まずは7月2日(月)リヴァプール公演と3日(火)マンチェスター公演をTicketmaster UKで予約。そろそろ飛行機とホテルを予約しようと思っていたら、7日(土)にアイルランド音楽の祭典「Feis Liverpool」が開催されることが決定し、ヴァン・モリソンとチーフタンズが出るというので、現地に少し長居してこれも見ることに。この3つのコンサートを核にして、暇な時間にリヴァプール観光、フリー・トレード・ホール、Bron-Yr-Aur訪問という計画を立てました。後者2つについては既にここに書いた通りです。
 ということで、やっとリヴァプールにやって来たものの、町自体がボロボロで、ホームレスも多く(マンチェスターも)、公道での喫煙も多すぎ。どこに行ってもパブだらけ。ストリートは吸い殻だらけ。町を歩いてる人のタトゥー率も異常に高いです(ワンポイント£5で入れてくれる店が多数)。危険な目には全くあっていませんし、酒やタバコがOKな人には何ともないことだとは思いますが、私にとっては神経に障ることだらけです(日本にいてもそうなんだけど)。かといって、再開発されてキレイになってるところは私には無縁だし…と複雑な気持ちで行った場所を、極めて主観的な見応え度(☆5つが満点)付きでメモ程度に紹介したいと思います。

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リヴァプール博物館(☆☆☆☆)
 先史時代から現代までのリヴァプールの歴史を鳥瞰することの出来る博物館です。丁度「ダブル・ファンタジー展」が行われていました。小ぶりの特集だったものの、さいたまスーパーアリーナ内にあったジョン・レノン・ミュージアムで見た品々に再び会えてうれしかったのと、埼玉には展示されたことがない(と思います)サードニクスを見ることが出来て大感激。

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 同時に「リヴァプールにおけるゲイの歴史」の特集もやってたので、もしやと思ってのぞいてみたら、やっぱりブライアン・エプスタインが登場。避けて通れない人ですね。

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マージーサイド海事博物館・奴隷貿易博物館(☆☆☆☆)
 リヴァプールはかつては奴隷貿易に加担したという負の遺産も抱えていることをしっかり自覚しているようで(南北戦争時には南部を支持)、海事博物館の一部が奴隷貿易博物館となっています。私が行った時には「タイタニック展」が行なわれており、乗船者リストには細野晴臣のおじいちゃんの名前も。

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キャヴァーン・クラブ(☆☆)
 今あるものはオリジナルではなく、場所を少し移してそっくりに作られたものです。コンサートもよく行なわれているようですが(アンディー・フェアウェザ=ロウやチープ・トリックといった有名どころも出演)、基本的には飲み屋です。特に感慨はなし。マシュー・ストリート自体が飲み屋通りで、雰囲気悪いです。エンガチョ。ハンブルクでも赤線地帯の飲み屋でプレイしていたので、ビートルズは酔っぱらいに鍛えられたようなものなんだということを確認。今は店内禁煙ですが、ビートルズが出演していた時代には禁煙なんていう概念はなく、ナチスのガス室状態だったことは容易に想像出来ます。

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ザ・ビートルズ・ストーリー(☆☆)
 ゆかりの品とかもまあまあの量、展示されてますが、最近になって観光目的で作られたもの。特に感慨はなし。ヘッドホンガイドによる説明を聞きながら中を回る仕組みですが、半分以上知ってることなので、面倒臭くて全部は聞いてられません。私が行った時には特別に「インド瞑想旅行50周年」のコーナーが出来ていましたが、皆が勢揃いしてマハリシと一緒に写ってる写真が壁一面に大伸ばしになってるだけ。ジョージが持っていたシタール以外は大した展示はありませんでした。

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 ギターでいうヘッドとナットの間に「Rikhi Ram」(デリーの楽器屋の名前)の文字が。

ブリティッシュ・ミュージック・エクスペリエンス(☆)
 ビートルズだけでなく、スキッフル以降のイギリスのロック全般に関する博物館ですが、展示品も少ないし(アップル・ビルの落書きだらけのドアは今はここにあります)、演奏体験コーナーは「ギブソンの提供」と謳ってる割には、置いてあるギターの殆どはエピフォンのものだったりと、ガッカリ度が高いです。大英博物館なんていうものすごい博物館を作る国なんだから、1つの部屋を丸々使って1つのブームやジャンルを紹介して、全部で少なくとも20部屋くらいあるようなロック博物館を作って欲しいです。

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マジカル・ミステリー・ツアー(☆☆☆☆)
 いわゆるバスでビートルズゆかりの地を回る観光ツアーです。土地勘が全くない個人が普通の路線バスを乗り継いで行くのはハードル高いので、メンバーの少年時代の家やゆかりの地を約2時間で効率よく回ってくれるこのツアーは便利です。リヴァプール訛りのお兄ちゃんの愉快なガイドがついて、これから行くところにちなんだ曲や、誕生日や他の記念日の人のお気に入りの曲をバスに乗ってる皆で大合唱しながらの楽しい2時間でした。私が参加したのは7月2日午前11時出発のバスでしたが、6月にポールが『Carpool Karaoke』に出演したこともあって、車内はこのネタで盛り上がりました。「さて、問題です。ポールが最後にここを訪れたのはいつでしょう? そうです。3週間と2日前です」なんていうアナウンスが3回くらいありました。この番組でポールがサインしたペニー・レインの看板ですが、私がここに来た時点(11:30頃)ではこう。かなり薄くなっちゃっていました。

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(2週間後の時点の様子をリポートしたページがこれ。今では透明なプラスチック版で覆われているそうですが、もう少し早くそうしとけばよかったのに)

 ストロベリー・フィールズでは門をバックに記念写真を撮る参加者が多い中、私が注目したのはポール死亡説がらみの落書き(〈Strawberry Fields Forever〉はポール死亡説ソングの1つ)。撮影の順番を待ってる人、既に終わってわきによけて休んでる人に、「ちょっとすいません」と言ってどいてもらって撮影したのがこれ。変な目で見られたことは言うまでもありません。

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カスバ・コーヒー・クラブ(☆☆☆☆☆)
 例のマジカル・ミステリー・ツアーではルートに含まれてなかったので、自分で勝手に行くことにしました(もっと高い料金のツアーだと、ここも含まれてるようです)。ジェイムズ・ステイションからストックブリッジ・ヴィレッジ行きのバスに乗って、約25分後、イートン・ロード・ノースで降りて、歩いてすぐのところにあるのですが、バスは「次は●●に停車します」というアナウンスは一切流れず、初心者には超ハードルが高い。乗り合わせてる親切な人に「ここに来たら教えて」って助けを請うしかありません。そうしてバスを降りてカスバにたどり着いたのですが、自由に内部を見ることが出来るシステムではなく、あらかじめ見学ツアーを申し込んで置かなくてはならないようなのです。で、次のツアーは30分後というので庭で待っていると、垢抜けないそこらのオジサンがガイドとして現れ、私ひとりのために説明を開始(リヴァプール訛がきつい)。1対1なので、こちらからも自由に質問出来る状態でした。

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 カスバはリヴァプール中心地からはかなり離れた、本当に閑静な住宅街にあります。近所には喫茶店やスーパーすらありません。こんな静かなところに、突然、ティーンエイジャーの子が集まってわいわい騒ぐ場所が出来たら、近所の人から苦情が来たんじゃないかと思うのですが、オジサンの説明によるとこうです:

・ロックンロールがブームになった時、ここみたいな私的なクラブを作ったものの、騒音に対する苦情が来て、1週間くらいしか続けられなかったところが、それこそたくさんあったんだよ。
・カスバは、その点で、近所の人とある取り決めをしてたんだよ。いつでも遊びに来てください、コーヒーもコカコーラもタダで飲んでくださいって懐柔してたんだ。そこがモナのうまいところさ。さもなきゃ、すぐに苦情が来ちゃって、店は続けられない。店で出してたのはコーヒーとコカコーラだけで、酒は出さなかった。子供たちが安全に遊べる場所だった。モナは「子供たちは私が守ります、私が保護し、監督します」って言って、周囲の大人たちを納得させていたんだ。モナはまさにリヴァプールのロックンロールの母親さ。

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 観光用に新たに作ったキャヴァーンやザ・ビートルズ・ストーリーとは違って、カスバは当時のものがオリジナルの状態で残っています。ビートルズの面々がペンキ塗りを手伝ったという壁や天井、ジョンのいたずら書きもそのまま残っています。

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 ピアノは当時のものとはいうものの、ボロボロで弾けなくなっちゃったので、弦を外して棚として使っています。

 下の部屋なんて6畳くらいの広さしかありません。ビートルズの面々はまずはここで演奏し、腕を磨いた後、市の中心にある本格的なライヴハウスに進出していきました。この場所こそビートルズの原点だと思うと、感慨もひとしおです。

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 8月には『ビートルズはここで生まれた 聖地巡礼 from London to Liverpool』という本が出るようです。読みながら旅の復習をしたいと思います。『ポール・マッカートニー死亡説大全』も引き続きよろしくお願いします。

   
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2018年07月17日

マンチェスター・フリー・トレード・ホール(跡地)に行ったぞ

 フリー・トレード・ホールは、1966年5月17日に行なわれたボブ・ディランのコンサートで、エレクトリックな音楽が気に入らなかった客から「ジューダス!」という野次が飛んだことで有名な会場です。中学を卒業し、高校に入学するまでの春休みの頃、この様子が生々しく収録されている海賊盤を聞いてビックリして、怪しいレコード/音源の魅力にハマってしまった私としては、ここに来たことは自分のルーツのひとつを再確認したようなものでした(最初の10年間くらいは、ここではなくロンドンのロイヤル・アルバート・ホールだと思っていましたが…)。

 

 昨年4月に拙訳で『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』を電子書籍として出版しているので、その原著者であるCP・リー氏に会うという夢も果たすことが出来ました。CPはかつてはアルベルト・イ・ロスト・トリオス・パラノイアスというパンク・バンドで活躍してBBCに出演するという経験を持つだけでなく、マンチェスターのロック史に詳しい郷土史家としても活躍しています。秋に発売されるマンチェスター出身のロック・アクトをまとめたオムニバス・アルバムの解説も既に執筆済なのだとか。

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 さて、私が宿泊していたザ・ブラック・ライオン・ホテルにCPが迎えに来てくれて、マンチェスター観光ツアーが始まりました。ここは1階(イギリス式に言うとグランド・フロア)がパブ、2〜3階(イギリス式に言うと1〜2階)が安ホテルとなっているのですが、CPは開口一番こんな話をしてくれました。

CP:ここは昔、ジョン・メイオールがロンドンに進出する前、よく演奏していたところなんだよ。
私:そんな由緒があるホテルとは全然知りませんでした。
CP:知らなくても仕方ないよ。何にも書かれてないんだから。そもそも、アメリカのブルース・シーンとコネのある人がマンチェスターにしかいなかったので、ブルース・ミュージシャンはまずマンチェスターにやって来たんだ。そんな時には、ロンドンのミュージシャンも鉄道に乗ってマンチェスターまで見に来たんです。だから、ブリティッシュ・ブルースの本当の誕生地はマンチェスターなんだ。ロンドンじゃなくてね。
 
 ドアから入って右側にはバーやテーブルがあるのですが、左側はライヴハウスとしても使えるスペースとなっています。現在では一段高いところにビリヤード台が置かれており、今でも時々、ここでバンドの演奏が行なわれているようですが、メイオールもここでプレイしていたのでしょうか? この日の夜と翌日朝に、ホテルのスタッフ数人(20〜30代)にこの件について質問しましたが、残念ながら誰も何も知りませんでした。
 その後、「ここがマンチェスター発祥の地なんだ。2本の川が合流するここにブリガンテスと呼ばれる人たちが家を作ったのが、この町の始まりです」、「この図書館にはジョン・ディーの自筆の日記が保管されています」、「トマス・ド・クインシーがふらふら歩いていたのはこのあたりですね」(セント・アンズ・スクエア)、「ここがヴィトゲンシュタインがよく飲みに来たパブだよ」という具合に、私のレーダーがピピピッと反応するような情報をまぶしながら市内のあちこちを案内してくれたのですが、そうこうしてるうちにたどりついたのがタウンホールの近くにあるエイブラハム・リンカーンの銅像です。

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CP:リンカーンの銅像があるのは、アメリカの南北戦争の際に、マンチェスターの労働者が北部のほうを支持していたからなんです。それで、戦争が集結してから、お礼として、アメリカからこの町にリンカーンの銅像が贈られたってわけ。ほら、ここに感謝の言葉が書いてあります。
私:リヴァプールのいくつかの博物館では、リヴァプールは南部同盟を支持していたって書いてありました。
CP:あちらさんは綿花が欲しかったからね。都市によってどっちを支持するか違ってたんだよ。

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 ここから私たちは歩いてフリー・トレード・ホールに向かいました。現在はもうホールとしては存在しておらず、ストリートに面している部分は残っているのですが、裏はラディソン・ブルー・エドワーディアンという高級ホテルになっています。CPはフリー・トレード・ホールの保存運動でも中心的な役割を果たしました。

CP:ここでピータールーの虐殺という事件があったんです。地主(貴族)に便宜をはかって穀物の輸入を制限してその値段をつり上げていた穀物法に反対した群衆が「フリー・トレード(自由貿易)」を求めてデモ集会を行なってたところに軍隊が突入してきて、市民から多数の死傷者が出たんだ。丸腰の市民に向かって剣を抜くなんて、絶対にあっちゃいけない。なので、この事件を忘れないためにホールが建てられたんだ。「フリー・トレード」という抽象的な概念が名前となったホールは世界中探してもここだけだと、ある歴史家も言ってます。

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CP:ここがかつてメイン・ドアだったところです。私もあのコンサートの時にここから入ったんだ。

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(警備員が立ってるところ)


CP:セックス・ピストルズがコンサートをやったことで有名なレッサー・フリー・トレード・ホールの入口はここです。ここから入って上に登っていったんだ。上の階に小さな会場があったんだよ。

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 かつてロビーだったところは、今はレストランになっています。

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 ホテルの1階ロビー(イギリス風に言うとグランド・フロア)の奥の壁にはピータールーの虐殺の絵があり、2階(イギリス風に言うと1階)には、フリー・トレード・ホールの歴史に関する展示があります。

CP:私はこの絵はあまり気に入ってません。内容的にいい絵とは言えません。群衆同士が喧嘩していることになっていて、軍隊が群衆を弾圧してるところはあまり描かれてないからです。
私:ボブよりも前に、マディー・ウォーターズがフリー・トレード・ホールでコンサートをやった時に、エレキギターを弾いて観客の不興を買ったというのは本当なんですか?
CP:マディーが不興を買ったんじゃないよ。あの当時はミュージシャン組合の規定で、外国から歌手が来た場合、バックの演奏はイギリスのミュージシャンが担当しなきゃならなかったんだ。それで、マディーはギターを弾くことが出来ず、ヴォーカルに専念せざるをえなかったんです。ファンは、くだらない規定のせいでマディーがギターを弾けないことに怒りました。ジョン・メイオールも怒った人のひとりでした。
 あ、そうそう。ここ(ミッドランド・ホテル)はボブがネヴァー・エンディング・ツアーで何度めかに来た時に宿泊したホテルなんだけど、シーツを全部黒にしてくれなんていう変なリクエストをしたのがここだよ。


 

 その後、光栄なことに、CP宅に招待されて、おいしい夕飯をごちそうになりました。マンチェスター郊外の素敵な家の本棚には、ボブ・ディランやロックに関する書籍にまじって、ジョン・ディーやアレイスター・クロウリーの本もありました。(誰かの家に行ったら何よりもまず本棚をチェック)

私:CPは何の省略ですか? クリストファー・フィリップ?
CP:クリストファー・ポールです。既にクリストファー・リーっていう俳優がいてね。組合の規則に、たとえ本名であっても、先に存在する俳優・歌手・タレントと同じ名前はダメっていうものがあるんだ。それで、CP・リーって名乗ることにしたんです。
私:バンドもやってたんですよね。
CP:ええ。フリー・トレード・ホールにもBBCにも出演したんですよ。これを見たまえ。





私:近所の人は、ここに住んでるオジサンが元パンクロッカーだって知ってるんですか?
CP:知らないだろうなあ。1960年代のバンド、グリージー・ベアのアルバムは、ヴァイナル・リヴァイヴァルからやっと発売されたんだ。

 

私:Brexitについてはどう思いますか?
CP:私はアイルランドから来た移民の子孫なので、イギリスが離脱するのと同時に、国籍をアイルランドに変えようと思ってるんだ。EUの市民で居続けたいからさ。来週はトランプ訪英反対デモに参加しなきゃならないし、忙しいなあ。

 たった滞在してたのはたった2日間だけですが、マンチェスターは図書館が充実している町という印象を受けました。マンチェスター・ヴィクトリア駅の近くのチェサムズ・ライブラリーには、エリザベス1世の時代の宮廷魔術師だったジョン・ディーの自筆の書が保管されているそうですが(私が滞在中は何かのイベントが行なわれていて、一般客は入れませんでした)、たまたま見つけて入ったザ・ジョン・ライランズ・ライブラリーでは、「The Alchemy Of Colours」というタイトルの展覧会をやってました。絵の具屋、ペンキ屋のない時代に、中世の写本を製作する職人が任意の色をどのようにして出したかということをテーマにしていて、小規模ながら優れた内容でした。常設展には1800年くらい前の聖書のパピルス写本の断片もありました。もうビックリです。「ブリティッシュ・ブルース発祥の地はロンドンではなくマンチェスター」という件も含めて、この町はもっと要注目です。

   
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2018年07月16日

秘境Bron-Yr-Aur(スノウドニアの小屋)に行ったぞ

 今年の夏休みはイギリスに行って、ロックの聖地を3箇所訪問してきました。その中の1つが、1970年にレッド・ツェッペリンのメンバーがこもって作曲合宿を行ない、〈Stairway To Heaven〉〈Over The Hills And Far Away〉〈Friends〉〈That's The Way〉等を書いたというウェールズの山間部の小屋「Bron-Yr-Aur」です。リバプールとマンチェスターに行く用事があったので、グーグルでウェールズの情報も調べているうちに、たまたま「Bron-Yr-Aur」に関する情報に行き当たりました。「スノウドニアの小屋」という通称の通り、ここは確かにスノウドニア国立公園の南端にあるようですが、近所に鉄道の駅があるじゃないですか。そこからは歩いて30分ほどのようです(自動車の運転が出来ない私には、これがとても重要)。しかも、頼みもしないのに、画面には鉄道のチケット予約サイトのリンクまで登場してます。試しに見てみると、最寄り駅のマハンスレス(Machynlleth)まで、リヴァプールから鉄道を乗り継いで約3時間。希望の日にちや時間を入力すると、便利な接続を提案してくれて、支払いはカードでOK。運賃は片道£24(約3600円)でした。ということで、切符は日本にいる時に予約し、リヴァプール到着後、ライム・ストリート駅にある機械で番号を入力して発券しました。こんな簡単でいいのか! テクノロジーの威力、パねえ。でも、ここから先は人間が実際に動かなければなりません。

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 「Bron-Yr-Aur」の読み方ですが、ここここのサイトによると「ブロンナライヤ(シュ)」と発音するようです(最後にほんの少し「シュ」という音が残る)。リヴァプール・セントラル駅を朝8:30に出発して、チェスター、シュルーズベリーで乗り換え(チェスターより先は、鉄道の駅周辺以外は、基本的に延々と森と草原が続きます)、マハンスレスに到着したのは11:40頃。町のメインストリートにあるThe Quarry Cafeという菜食主義のレストランで腹ごしらえをした後、山の方に向かいました。

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 チェスター駅(電光掲示板の表示が変なのはシャッタースピードのせいです)

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 マハンスレス駅に到着(グーグルマップではカタカナで「マッキンレー」と表示されますが、現地での発音は「マハンスレス」)

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 駅からBron-Yr-Aurのほうを望むと

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 マハンスレスのメインストリートを見守る時計台

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 橋へ向かう道(A487)からBron-Yr-Aurのほうを望むと

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 橋に到着。スノウドニア国立公園の表示があります

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 橋の上からBron-Yr-Aurのほうを望むと

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 橋を渡ったところにある建物

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 川沿いの道路(A493)からさっきの橋を見ると

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 この標識のあるところで右の山道に入ります。

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 しばらく登ると、ゲートが閉まってます。え〜っ、せっかくここまで来たのに〜。しかし、こんな表示があるので、しっかり閉めさえすれば通っていいのだろうと判断。

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 ゲートを過ぎた直後のこの直線の坂が、非体育会系で体がなまりまくりの私には超きつい(この時点で超汗だく、頭クラクラ、息ハァハァ)

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 森の中を進むと、分かれ道のところにこんな道標が(これがなかった頃は、左の道を進んでしまい、小屋にたどり着けない人がいたのではないでしょうか)。

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 前の箱の中にはカワイイ絵の描いてある石がいくつか置いてあり、瓶の中に好きな金額を入れれば、記念にひとつもらっていいみたいでした。

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 途中、羊に出くわしながら(写真を撮り終わるまでじっとこっちを見てる)、木陰の道を5分くらい進むと

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 やっとBron-Yr-Aurにたどり着きました。駅からの所要時間はグーグルマップの言う通り約30分(正確!)。この時点で超疲れ果てており、しみじみ感慨にふける余裕はなし(日頃から体を鍛えておくことの重要性を痛感----感じただけで、帰国後はいつものだらけた生活に戻り、特に何もやってません)。

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 この小屋は18世紀に建てられ、ロバート・プラントの家族が所有していた頃は電気も水道も通ってなかったらしいですが、今は風力と太陽光で電気は確保しているようです。

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 現在ここは私宅で、話によると、住んでる人は巡礼者に寛容で、ゲート内の敷地をウロウロさせてくれるようなのですが、残念ながら私は家主に発見してもらえず。息が整い、汗が引くまで、しばらくゲート前の木陰にたたずんで、体力が少し回復した後に来た道を引き返しました。頭がクラクラ、息がハァハァしてた往路では気づかなかったのですが、帰り際にさっきの木陰の道から見えた光景がまさに「Over The Hills And Far Away」。頭の中でこの曲のイントロが流れてきたことは言うまでもありません。

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 来た時と同じ時間をかけて(下りは、登る時とは別の、普段使わない筋肉を使うんですね)麓の町に戻り、列車の時間まではRoyal Houseというお菓子とチーズ、紅茶のお店でアフタヌーン・ティーを楽しみながら休憩。疲れた時はおいしいスイーツに限ります。ラズベリーののったプディングと紅茶で£2。1時間半も居座っちゃったので、これにプラスしてチップを50%置いてきました。
 16:00過ぎの列車に乗って帰路につきましたが、帰りは満員で、座れない人もいるほど。しかも、マハンスレス〜シュルーズベリーは冷房が故障していて車内が蒸し暑く、遅れも生じ(シュルーズベリー駅ではチェスター行きの列車がちょっと待っててくれました)、最終的にリヴァプールにたどりついたのは20:00近く。ちょうど12時間の遠足でした。


 Bron-Yr-Aurについて、ネットには以下のような情報もあります。

現在、Bron-Yr-Aurに住んでる家族に関する記事:
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2631326/Family-live-Welsh-mountain-Led-Zeppelin-fans-Stairway-Heaven-written-house.html

ギターを持参して(あの急な坂を余計な荷物を持って登ったのか! すげえ体力!)、小屋の近くで〈Bron-Yr-Aur〉を弾いた強者もいるようです。私もこれ、やりたかったなあ。



  



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