2019年06月08日

ジョージ・ハリスンとグレアム・ナッシュもその場にいた《Phil Spector’s Christmas Album》フォト・セッション

 今頃、この記事を紹介するのはタイミングをはずした感がパないですが、今年のクリスマス・シーズンが来たらもう1度読んでください。
 フィル・スペクターがプロデュースしたクリスマス・ソングを集めた《A Christmas Gift For You From Phil Spector》は1963年のクリスマス・シーズン用に発売されたレコードですが、フィルが《Let It Be》やジョン、ジョージのソロ作をプロデュースしたのが縁で、1972年にはアップル・レーベルから再発されることになりました。その際、タイトルは《Phil Spector’s Christmas Album》となり、新しいジャケットも制作されました。今日、紹介するのは写真家が語るそのフォト・セッション秘話です。
 《Phil Spector’s Christmas Album》はビートルズのメンバーが参加してないのに、アップル・レーベルということで中古盤屋では高値が付いていた記憶がありますが、少し前に(といっても、21世紀になったかならないかの頃)どこかの倉庫からデッドストックが大量に発掘され、それが中古市場に出回って値段は暴落。私はこのタイミングで、未使用状態のイギリス盤を2,000円前後で手に入れました。


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ジョージ・ハリスンとグレアム・ナッシュもその場にいた《Phil Spector’s Christmas Album》フォト・セッション(1972年)

文:クライヴ・アロウスミス



 聞き慣れたリヴァプール訛の楽しそうな声が受話器から聞こえてきた。「クライヴ、フィル・スペクターの《Christmas Album》のジャケット写真をキミに撮ってもらいたいんだ」 聞き慣れた声の主はジョージ・ハリスンだった。もちろん、喜んで承諾した。クリスマス・ツリーを背景にフィルの写真を撮影してもらいたいとのことだった。ジョージとフィルが親しくなったのはビートルマニア全盛の頃だ。その頃はフィルも「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる音楽プロダクションで有名だった。

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 2人の才能豊かな伝説の音楽家と仕事が出来るのは本当にありがたいことだと、私は感じていた。撮影はロンドンのスタジオで行なわれた。ジョージとフィルは一緒に到着し、フィルは少しなよなよふらふらしているようだったが、ジョージにドレッシング・ルームに連れて行かれて、そこで、スタイリストにサンタクロースの衣装を着せてもらった。その間、ジョージは隅に座って、数珠を持ちながらハリー・クリシュナのお経を唱えていた。

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 撮影セットには、クリスマスの飾り、クリスマス・ツリー、カラフルな照明、さまざまな神像等、ありとあらゆるクレイジーなものが用意されていた(写真をよく見てただきたい)。私は星がキラキラ輝いてるような効果を出すフィルターを使って、さらにクレイジーなキッチュ感を出そうと考えた。サンタクロースの格好をしたフィルの写真を他にも何枚か撮影した。その時、私はブランデーのボトルを手離せなかった。ジョージとフィルと一緒に仕事をしているということで、超緊張していたからだ。ジョージとは知り合いだ。大好きな人物だ。しかし、ジョージは今でもなお、元ビートルズのジョージ・ハリスンなのだ。私は最初の20分は大丈夫だったのだが、そのうち心を落ち着かせてくれるものが必要となってきた。
 私はセット作りと照明の調整で忙しかった。それに夢中になっていた私は、ミスター・スペクターの体調がすぐれていないことにあまり気づいていなかったのだが、実は、サンタクロースの衣装を着るだけでも相当苦労していたようなのだ。私はマルチカラーのクリスマスの照明をフィルムに収めたかったので、それがフラッシュライトで帳消しにされてしまわないようなやりかたで撮影する必要があった。フラッシュを使うとなると、これには絶妙なタイミングを要する。フィルはプロデュースの巨匠なので、写真撮影の技術的側面も十分理解してくれるだろうとは思っていた。実際、私は技術面の会話をすることで、自分とフィルの間の緊張がいくらか解{ほぐ}れるのを期待していたのだ。
 私の助手たちがフィルを支えながらセットに連れて来て、木の前に立たせた。この時、フィルの体調が少々レイドバックしているどころの話ではないのに私は気づいていなかったのだが、知らぬが仏とはまさにこのことだった。私は「フィル、メインライトのフラッシュが炊かれてから、(半分暗い状態で)私が10秒数えます。そうすると、キラキラ状態をフィルムに収めることが出来るんです」と指示を出した。シナリオ通りだ。フィルも「ああ」と言ったので、全てが順調だと思っていた。

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 照明が消えて、私は数を数え始めた。「千、2千…」 口から「3」という言葉が出かかったまさにその瞬間、バタンと派手な音がした。超恐ろしいことに、フィルが前に倒れたのだ。極めて不思議なのだが、手を前に出して身をかばおうともせず、人形のように顔からバタンと倒れていた。薄暗い中、私はフィルのそばに駆け寄った。ジョージも私のすぐ後ろにいた。私はスタジオの床の上にあるフィルの顔の横に自分の顔を置いて、様子をうかがった。その間、アシスタントがスタジオのメインライトをつけた。目の前の光景は奇っ怪を超越していた。「フィル!!!大丈夫??」と私は叫んだ。意味深長な一時停止以上の時間が経った後、彼の目はゆっくりと開き、口はこう言った。「大丈夫だ」 しかし、彼の不明瞭なしゃべり方のせいで、この言葉は子犬のワルツのように聞こえた。
 フィルが続けようと言ったので、ジョージと私は笑い始めた。この笑いは、フィルの言葉からよりも、私の側の安堵から出た割合ほうが多かったに違いない。フィルは誰かの支えなしに立っていることが難しいようだったので、私のアシスタントが床に厚板を打ち付けて、さらに、それに箒を打ち付けて、ブラシのほうにフィルが寄りかかれるようにして体を支えた。私は試行錯誤の後、どうにかジャケット写真をものにした。このとてもキッチュなアルバム・ジャケットに使われた写真をだ。
 後日、私がこの撮影のことを、当時の愛妻、ローズマリーに話すと(彼女はクリスマスツリーやセットを整えるのを手伝ってくれた)、彼女は私にこんなことを思い出させてくれた。私が撮影中の殆どの時間、(真偽のほどは不明なのだが)ミック・ジャガーが被っていたという白いトップハットを被っていたというのだ。それは写真の中ではフィルの後ろにあるのだが、ジョージがこの帽子を持って来て、持って帰った。それから、私は撮影中、妻のおしゃべりの相手をあのグレアム・ナッシュにお願いしていたらしい。フィルが倒れたという恐ろしい出来事のおかげで記憶が全部吹き飛んでしまったため、私はこのことは覚えていないのだが…。
 フィルの人生がこの後、下降線をたどっていったことについては悲しみを感じ、彼の手にかかって命を失った若い女性の家族に対しても哀悼の意を表する。フィルの人生が順風満帆でない兆候は1972年にもあった。名声は酷いやり方で世界を歪めてしまう。人間は簡単に傲慢の中に捕まってしまう。私は酒とドラッグをやめて、あの時代に死なないで済んだ自分をラッキーだと思う。ジョージ・ハリスンへの感謝の気持ちは小さくはない。その日、ジョージがお経を唱えているのに気づいた私は、「それはオレの助けにもなるのかなあ?」と訊いてみた(その時、私はかなり酔っぱらっていて、正常な判断が出来る状態ではなかった)。すると「もちろんだよ、クライヴ」という言葉が返ってきた。翌日には、ジョージのアシスタントが、お祈り用の数珠と宝石がちりばめられたバガヴァッド・ギーターの本、そして、「Hareはハリーと読んでください」という手書きのメモを持って、拙宅の玄関先に現れた。これがきっかけとなって、私は精神的インスピレーションを求めて東洋に目を向けるようになった。
 その点で、私はジョージから多大な恩を受けている。チベット仏教を信仰し、 キョングラ・ラト・リンポチェ師と出会うことにつながる道を歩むことになったのも、ジョージのおかげだ。ジョージはとても心の広い人物だった。あの時は、私とフィルを手助けしようと頑張ってくれた。ソーホーのスタジオでジョージとフィルと過ごしたあの奇妙な日が、私の人生を良い方向に変えた。ジョージに神の祝福があらんことを。そして、私からは永遠の感謝の気持ちを贈りたい。

The original article “Back To Mono – The Phil Spector Christmas Album photo session with George Harrison and Graham Nash (1972)” by Clive Arrowsmith
https://clivearrowsmith.org/2018/12/24/back-to-mono-the-phil-spector-christmas-album-photo-session-with-george-harrison-and-graham-nash-1972/
Reprinted by permission

  
posted by Saved at 22:35| Comment(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする