2020年11月08日

Wizardo回想録&インタビュー:第2回 TMQケンとの出会い

第1回 ブートレッグ商売を始めたハイスクール生はこちら


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Wizardoレーベル主宰 ジョン・ウィザード
回想録&インタビュー

第2回 TMQケンとの出会い


聞き手:スティーヴ・アンダーソン


 「オレたち」と同じスワップミートでブートレッグを売ってる奴を発見したのはラリーだった。蚤の市をウロウロしてたら、「テーブルいっぱいにTrade Mark of Qualityのブートレッグを並べてる男」がいたというのだ。自分の目で確かめようと思ってオレも行ってみると、ラリーの言う通りだった。テーブルいっぱいのTMQだ。しかも、見たことのないものがわんさか。この時点で、オレたちにコネがないのがTMQの供給ラインだった。そこで、オレはこいつが何者なのかを探ることにした。こいつはユリスと名乗った。ずんぐり体型で、オレと同じくらいの歳だろうか。ボサボサのブロンド髪で、ほんのわずかながらロシア語の訛があった。どうせ教えてくれないだろうなと思いながら、どこでこのレコードを入手してるのかと訊くと、「友人{ダチ}のケニーからさ」と教えてくれるじゃないか。でも、こいつはそれ以上は何も言わなかったので、ラリーとオレは、こいつの言う「ケニー」が誰なのか気になって仕方なかった。
 いくつかの週末が過ぎた。オレたちは商売を続け、ユリスも自分のブートレッグを売り続けた。こいつが売ってるのはTMQで、オレたちは他のレーベルのブートレッグだったので、こいつとオレたちは競合してたわけじゃない。ある土曜日に、ユリスは美しい赤の「Eタイプ」のジャガーXKEに乗って現れた。オレはユリスに訊いた。「このスゲエ車、どこで手に入れたのさ?」 こいつの言ったことは今でも覚えてる。「ケニーがブートレッグとの交換でXKEを2台手に入れて、その1台をオレがもらったのさ。ケニーはキャンディー・アップル・ブルーのものに乗ってるよ」 オレはビックリ仰天した。ブートレッグとの交換で夢のスーパー・カーを2台もゲット? 信じられない。オレはこの謎の「ケニー」って人物に会いたいとユリスに言った。すると、こいつは「あぁ、そうそう、ケニーはお前に会いたがってるんだ。次の土曜日にここに来るってさ」 ラリーもオレも喜んでいいのか恐れたらいいのかわからなかった。

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(The photograph copyright (c) Ken Douglas 2020)


 ドライヴイン・シアターで行なわれるスワップミートは、どこもだいたい同じレイアウトだった。駐車場には売り手のスタンドの列が50ほど出来ており、夜になると、同じ場所に映画を見に来た客が車をとめた。売り手は朝早くやって来て販売ブースを設営し、会場がオープンして一般の買い物客が入って来る時間になると、通路は車両通行禁止になった。オレンジ・ドライヴイン・スワップミートでラリーとオレが使用してたのは11番スペースだった(7列の11番スペースだったかなあ。確かなことは覚えてない)。
 ケニーことケン・ダグラスとの初対面は決して忘れることはないだろう。ケンがスワップミートでオレたちに会えるよう段取りをつけてくれたのはユリスだった。土曜日の午前11:00頃だ。客の質問に答えたり、ブートレッグを売るのに忙しくしてると、オレたちのブースのある列の端のほうが、突然、騒がしくなった。人々が何かに向かって歓声を上げたり、ジャンプしたりしていた。騒ぎの元は大きな黒のキャディラックだとわかった。しかも、歩行者専用の通路をこっちに向かってくる。車両は通行禁止なのに。キャデラックは時々とまると、パワーウィンドウが下がり、何かと交換で金が売り手に渡された。誰かが通路を車で通るだけでなく、買い物までしてるのだ!
 スワップミートで起こるあらゆることは既に目にしてると思ってたが、車に乗ってこんな常軌を逸した振る舞いをする奴は、たったひとりしか心当たりがなかった。伝説のブートレッガー、ケン・ダグラスだ。
 キャディラックがオレたちのブースの前に来てとまった。車内にいたのはケニー(助手席)と彼のレコード事業のパートナーのグレッグ(運転席)だった。ケニーは窓を下げると、疑い深い目でオレを見た。こいつは緑のアーミー・ジャケットと飛行機の操縦士用のサングラスを身につけていた。髪は長く、頬髭、口髭があった。こんなに感銘を受けたことはない。最初の会話はとても短かった。ケンから「お前がWizardoか?」って訊かれたので、オレは「そうです」と答えた。そして、TMQのレコードを買いたい旨を伝えると、はっきりとした返答はなかったが、電話番号を教えてくれた。その後、ケンとグレッグはスワップミート中をドライヴした。たぶん、買い物をしながら。これは、オレのそれまでの人生の中で目撃した最もカッコいい光景だった。本当にぶったまげた。
 その日、スワップミートを終えて帰宅する途中、ラリーとオレはチャプマン・アヴェニューにあるスリフティー・ドラッグ・ストアに立ち寄って、ふたりともアイスクリームを買った。それから、飛行機の操縦士用のサングラスも買った。
 あの土曜日、オレンジ・ドライヴイン・スワップミートまで会いに来てくれたケンとグレッグは、オレたちが並べていたCBM製ブートレッグに気がついた。デヴィッド・Dがリリースしたばかりの《The Rolling Stones 1972 Tour》にケンは特に興味を抱いてた。ストーンズの'69年のツアーを収めた《LIVEr》が大成功した後なので、これはコピーに値すると思ったのかもと、オレは推測した。ケンから電話番号をもらってるので、オレはすかさず彼に電話を入れた。最終的には、オレたちはケンのTrade Mark of Qualityのレコードを仕入れたかったので、CBMが出したばかりのストーンズのブートレッグをエサにすれば、もう1度会ってもらえるだろうと考えたのだ。ケンはエサに食いつき、翌日にロングビーチにある「ジ・エルボー・ルーム」というバーで会おうということになった。
 ケンに会えることになって、オレはワクワクした。ただ、唯一の問題は年齢だった。まだ16歳だったので、法律上問題なくバーに入れるようになるにはあと5年待たなければならなかった。オレは電話でこの件をケンに説明すると、「お前は16よりずっと年上に見えるぜ。それに、バーテンダーのディックはオレの友人{ダチ}なんで問題はないよ」ってことだった。「ディック」はカラフルな人物で(ケニーの人生に登場する多くの人と同じく)、本が1冊書けてしまうくらいたくさんの鳥肌ものの冒険譚がある奴なので、脱線して少しだけ紹介しよう。
 エルボー・ルームはロングビーチにある典型的な小さなバーだ。この種のバーはどこぞの国のパブとは違う。パブというのはもの寂しい場所であって、人は悲しみを酒で紛らわすためにそこに来る。楽しい時を過ごすためじゃない。しかし、エルボー・ルームのようなところは、オレの目には、無法者が顔を合わせるのにぴったりの場所のように見えた。オレはバーに行った経験は全くなかったが、21歳であることを立派に証明してくれるWizardoの顔写真入り身分証明カードを持っていた。コンピューターやプリンターなどない昔は、役所が発行した本物に見える写真入り身分証明カードを偽造するのは簡単なことではなかったので、オレは自分の偽IDをとても誇りに思っていた。しかし、その出番はなかった。ケンが言ってたように、彼の友人{ダチ}のディックがバーの向こうにいたからだ。
 エルボ・ルームに入ると、バーのところに1人だけ座っていた。背中を見ただけで、それがケンだとわかった。オレは隣の席に腰掛けると、ケンはオレを見て頷いた。ケンは適当に当たり障りのない話をするような奴じゃない。電話でも「もしもし、ケンです」なんて言わずに、いきなり話を始める。電話に自分が出てることくらい、まともな頭の持ち主ならわかるだろって感じで。バーテンダーのディックがぶらぶらしながら、ご注文は?と訊いてきた。酒を飲んだ経験も殆どなかったのだが、ビートルズのメンバーはラム&コークを飲んでたと本に書いてあったので、それを頼んだ。ディックが大きなグラスを手にとって、その中に並々とラムを注ぐのを、オレは怖々と見ていた。少なくとも12オンス[約360cc]はあっただろう。ディックは続いて「ガン」[注入器具]を手に取って、ラムの上にコークをほんの少しだけ注ぐと、それをオレによこした。オレはケンを見た。ケンは小さく賞賛の挙手をして、ディックにも聞こえるくらいの大きさでささやいた。「お前を気に入ったってことさ。飲み干さなかったら失礼ってもんだぜ」 ひぇ〜。でもまあ、大人を相手にゲームに興じてるんだ。オレは勇気を出して、世界最大のように思えたグラスからラムを飲み始めた。
 その後のことはあまり記憶がないのだが、ケンはオレにレコードに売ることに同意してくれた。ただし、レートは2種類あって、オレがスワップミートで小売りするレコードは1枚1.50ドルで、レコード店に卸すレコードは1枚1.00ドルで。あくまで「自主管理」ってことなのだが、オレは卸売り用の低い価格で買ったレコードは小売りしないと約束した。最近では、こんなビジネス協定は聞かない。信頼? そんなものは2020年には存在しないが、昔は、盗人の間にも名誉というものがあった。ケンはやさしいことに、ディックがこっちを見てないうちに、オレのグラスの中にあるラムの4分の3を飲み干してくれた。とてもありがたかった。ケンはCBMがリリースしたストーンズのブートレッグを1枚受け取ったが、音質が良くなかったので、最終的には、わざわざコピーするほどのものではないと判断した。ケンと次に会うのは、彼の自宅でということになった。遂に、Trade Mark of Quality(間もなくファニー・ピッグとして知られることになった)のレコードを、本人から直接、購入することになったのだ!
 あのミーティングの後も、10年間ほど、ディックはオレの人生に、時々、出たり入ったりした。ディックは年を取らない連中の1人だった。30歳から70歳までだったら、何歳でも通用しただろう。背は低くて、逞しい外見で、刑務所{ムショ}に入った経験のあるような話し方をする奴だった。オレの前ではとてもいい奴で、親しい友人だったが、状況に応じて極悪非道な人間にもなれる奴だという感じも常にした。
 ディックと初めて会ってから何年もした後、オレは鮮やかな赤のフィアット123スパイダー・コンバーチブルを購入すると、ディックはそれを運転したがった。その日、一緒に何をやってたのかは忘れてしまったが、オーシャン・アヴェニューをベルモント・ショアに向かってドライブしている時だった。町に向かう途中、美しい椰子並木のある素敵な道路を通ったのだが、そこはディックがハンドルを握るには絶好の場所だった。そして、次に起こったことはオレの脳裏に永久に焼き付いている。
 ディックが運転を始めて0.5マイル[800m]もしないうちに、ロングビーチ警察のパトカーがオレたちの後ろに現れ、約30秒後に赤ランプが点灯したので、ディックは道路の端のほうに車をゆっくりと寄せて停止させた。パトカーもオレたちの後ろに止まり、中から警官が出て来た。オレはこれからどうなるのか心配だった。ディックは無免許運転してたのだろうか? この手の輩はだいたい持ってないし。警官がディックの側に来たので、ディックは警官を見て言った。「何で止まんなきゃいけねえんだよ、クソバカ野郎」 オレは誰かが警官を「バカ野郎」呼ばわりするのを聞いたことがなかった。賢い行為ではないだろう。警官にとっても初めて耳にする言葉だったに違いない。こいつもディックを見ると、歯を食いしばりながら言った。「スピード違反だ、バカ野郎」 ディックは疑い深い目で警官を見て言った。「6つの州で殺人で指名手配されてるオレを、たかが交通違反の切符を切るためだけに止めたって言ってるのか? 地球で一番頭の悪いブタ野郎だぜ」 この時、オレたちは銃口を向けられ、車の外に出て、地面にうつ伏せになるよう命令された。数分もしないうちに、さらに10台のパトカーが現場に到着し、あたりは警官だらけになった。ディックとオレは手錠をかけられた。ディックは嬉しそうだった。笑ったり、警察の連中に汚い言葉を叫んだりして楽しんでいた。免許を携帯してなかったので、警察はこいつが誰だかわからなかった。ディックはさらに喜んだ。警官を困らせるために小躍りまでした。
 最終的に、ディックは何らかの容疑で逮捕された。殺人ではないと思うが…。この時が何度目かはわからないが、ブタ箱に連れていかれる時もまだ、ディックは笑いながら叫び声を上げていた。ディックはそういう奴だった。法に屈してる時でさえ、自分のペースで生きていた。オレはどうしたのって? 運の良いことに車にはドラッグはなく、有効な免許証と登録証を持ってたので、友達の選び方に関して長々と説教をされた後、無事、釈放された。




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posted by Saved at 11:45| Comment(0) | Music Industry | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする