2020年11月13日

Wizardo回想録&インタビュー:第4回 ランナウェイズ、ストーンズの未発表曲、FBI

第1回 ブートレッグ商売を始めたハイスクール生こちら
第2回 TMQケンとの出会いこちら
第3回 Wizardoレーベル発足と警部マクロード登場こちら


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Wizardoレーベル主宰 ジョン・ウィザード
回想録&インタビュー

第4回 ランナウェイズ、ストーンズの未発表曲、FBI



聞き手:スティーヴ・アンダーソン


 キム・フォウリーは魅力的な男だ。身長が6フィート[180cm]を超えてたこいつは、自分は背が高過ぎてロックスターには向いてないと思ってはいたが、その道を諦めてたわけではない。1958年、キムはジャン&ディーンと同じ高校に通っていた。このデュオが〈Jennie Lee〉で初のヒットを飛ばした時、キムは自分にもヒット・レコードを作ることが出来るはずだと感じた。だって、ジャン&ディーンに出来ることなんだから(大きく健康的なエゴは、常に、キムのオーバーサイズの人格の大きな一部だった)。そして、笑ってしまうことに、キムは実際、同年に、ジャン&ディーンよりも大きなヒット・レコードを作った。キムのグループ、ザ・ハリウッド・アーガイルズがリリースした〈Alley Oop〉というノヴェルティー・ソングは、同じ年に、チャートを第1位まで上昇したのだ。しかし、ジャン&ディーンはその後もヒット曲を出し続けることが出来たのだが、キム・フォウリーはその器ではなかった。
 キムは1960年代の大部分を再度ヒットを飛ばそうと企てて、うまくいったりいかなかったりしていたが、1970年代半ばには、他の才能を育てる「プロデューサー」と「プロモーター」の2役をこなすことに落ち着いていた。1960年代の女の子のバンド、ザ・シャングリラスがずっと大好きだったキムは、1970年代仕様にアップデートした「パンク」バージョンのバンドを作れば、同じくらい人気が出るかもと考え、3人の若い女性ミュージシャンを勧誘して、ハリウッドのスタジオでリハーサルをさせた。そうして誕生したのがザ・ランナウェイズだった。キムは彼女らを「スクール・ガール・ロックンロール」として宣伝し、マーキュリー・レコードとの契約を獲得した。何度かのメンバーチェンジを経た後にバンドは4人組となり、ファースト・シングル〈Cherry Bomb〉を宣伝するためにワールド・ツアーを開始した。バンドは驚くべき速さでトップに向かって突っ走り、キム・フォウリー本人も再び注目されるに至った。
 ランナウェイズはハリウッドのザ・スターウッドに出演予定だったので、オレは是非、このショウのブートレッグを出したいと思った。ということで、友人{ダチ}のマイクとオレはチケットを買った。マイクはベトナム戦争に行った兵役経験者で、並々ならぬレコード・コレクターだった。オレがジャン&ディーン・コレクションを築くのを助けてくれたのがこいつだった。とても穏和な性格で、どんな状況でも冷静でいることが出来た。しかも、とても屈強さも持っていた。つまり、こいつはブートレッグ作りには完璧な仲間で、こいつのいろんな才能のおかげでオレは何度助けられたかわからない。特に、ランナウェイズのコンサートでは。
 ランナウェイズのスターウッド公演は、まさにオレたちの予想通りの様相を呈していた。ソールドアウトの会場には客がスシ詰めになっていて、立ち見オンリーの客席の中は体と体が触れ合うくらいの混雑だった。録音するには非常に難しい状況だったが、マイクは体を張ってレコーダーとマイクロホンをしっかりと守ってくれた。ショウの最後に狂乱状態になるまでは。当時、ランナウェイズのコンサートは、フィナーレで血糊の入ったカプセルという小道具が登場した。こうした派手な演出のおかげで観客は狂乱状態になり、会場は大混乱。あちこちで体が宙を舞っていた。オレの周りでも大騒ぎが始まったと思った途端、自分の体が床から浮いたような感じがした。マイクが片方の手で群衆を押し退け、もう片方の手でオレをテーブルの上に載せてくれたのだ。オレは安全だったのだが、マイクロホンのケーブルはレコーダーから外れてしまった。ブートレッグにフィナーレが収録されてないのはこのせいなのだが、それ以外の点では、初期ランナウェイズのショウの熱気を捉えた非常にエキサイティングな記録となっている。

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 最初のランナウェイズのブートレッグが大成功したので、当然、2枚目も出すことになった。バンドの人気が高まると、コンサートを行なう会場も大きくなっていき、ランナウェイズは1977年にはサンタモニカ・シヴィック・センターでヘッドライン・ショウを行なうことになった。前座はチープ・トリックだ。マイクとオレはこのコンサートのチケットも買い、ランナウェイズとチープ・トリック、両方を録音した。この時も、ランナウェイズがブートレッグでも人気があることがわかった。オレのほうで商売が終わった後にメタル・パーツをアンドレアにあげたら、彼女は2つを合わせて2枚組バージョンを作ったが、こちらもファンには非常に好評だった。
 マイクとオレはランナウェイズが大好きで、コンサートを何度も見に行った。メンバーとは個人的は知り合いではなかったが、そうした状態も間もなく変わることになった。その年のもう少し後になって、リヴァーサイドのレインクロス・スクエアで行なわれたランナウェイズのコンサートで、全く予期せぬ驚きがあった。予期せぬ出来事が起きる時、それは時として超楽しい話になる。
 マイクから教えてもらったのだが、KROQラジオでランナウェイズのインタビューを聞いてたら、バンドがあのWizardo製ブートレッグ・レコードについて好意的な発言をしてたらしいのだ。インサートのアートワークについて、メンバーが冗談も言ってたとのことだった。「家出」した若い子が「ヤクを打ってる」という、ある意味、様式化した写真を『ペントハウス』誌からパクってジャケットに使ってたのだが、あるバンド・メンバーが、この写真がジョーン・ジェットに似てると言い出した。バンドがスターウッド公演を記録したブートレッグを認めてくれて、宣伝すらしてくれてたように思い、オレは大感激した。
 リヴァーサイドのレインクロス・スクエアでコンサートがあることを教えてくれたのもマイクだった。オレたちはチケットを買って、Wizardoからレコードを出すために3度目のライヴ・レコーディングをやろうと決めた。またメンバー・チェンジがあったこともマイクが教えてくれた。今度はベースが交代した。オレたちは会場に早く到着して、ウロウロ、ブラブラすることにした。マイクのホンダでリヴァーサイドに到着したのは、開演の2時間前だった。  
 到着して驚いたのだが、ここは約2,000席で、音響もバッチリの素敵なシアターだった。録音に適した一番いい場所を見つけようとウロウロしてると(自由席だったのだ)、マイクの姿がしばらく見えないなあと思ったら、「オール・アクセス」のバックステージ・パスをどこかから見つけて、2つ持って戻って来た。オレたちはただちにそれを服に貼り付けて、バックステージに向かった。
 腹が減ってたので、まずは軽食のサービスをチェックした。オレの記憶では、ご馳走が並べられてるというものではなく、ポテトチップやソフトドリンク等が置いてあるようなものだった。すると間もなく、バンドがもうすぐ到着するぞという声が聞こえてきたので、マイクとオレはバンドの会場入りを見ようと(新しいベース・プレイヤーも一目見るために)楽屋口に行った。オレたちはドアの隣の壁際を陣取った。数秒後、ドアが大きく開いて、まずはジョーン・ジェット、続いてサンディー・ウェスト、次にリタ・フォード、そして、新ベース・プレイヤーと思しきブロンド美女が入って来た。バンド・メンバーは皆、オレたちにもみくちゃにされながらも目は真っ直ぐ前を見て進んでたのだが、新人が立ち止まり、オレを見て、もう1度見て、言った。「ワオ、ジョンじゃないの。ここで何やってるのさ?」 オレは何が起こってるのかわからず狼狽した。オレはこの娘{こ}のことは知らないのに、この娘{こ}はオレのことを知ってるの? 予想外の事態だ。テープ・レコーダーとマイクロホンも持ってるので、本当にどうしよう? 幸い、マイクはオレが困った時に面倒を見てくれることに長けていた。この時は、素早くオレと謎の女の子の間に入ってくれた。オレがバックステージ・エリアからさっさと脱出しようとしてる時、マイクが「フレンドリー」な声で「ジョンを知ってるの?」と訊いてるのが聞こえた。オレは今起こったことを理解出来なかったが、マイクが真相を突き止めてくれるだろうと思っていた。その間、オレは安全な客席に向かって走っていた。群衆の中のほうが見つかりにくいと思ったのだ。

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 30分後、マイクがやっとオレのところに戻って来て、ビックリすることを話してくれた。オレたちはもう1度バックステージに行った。今度は、正式に招待されて。
 ラリーとオレがまだハイスクールに通ってた頃、ザ・Bトフ・バンドはさまざまな紆余曲折を経験した。いろんなミュージシャンや友人が臨時で入れ替わり立ち替わり参加したが、ラリーとオレは中心メンバーとしてだいたいいつもいた。ある時、「ギャラがでる仕事」が入ったので、きちんとりたリハーサルをやる必要が生じたのだが、ラリーの親父さん、お袋さんはこの目的のために、気前良くガレージを使わせてくれた。デイヴ・ジネットとかいう名のギタリストがドラマー(名前はとっくの昔に忘れてしまった)を連れて来た。ふたりはオレたちよりも年上で、本物のロックンローラーのように見えた。ドラマーはアフロヘアーに髭! オレたちは毎日、放課後にヒット曲の練習を始めた。新メンバーはラリーとオレが書いた曲を演奏するのも嫌がらなかったので、来{きた}るコンサートに向けてガレージで楽しく練習をした。Bトフ・バンドのショウの目玉は、皆に自分の楽器を持って来させて、客席で一緒に演奏してもらうことだったので、ギグによっては誰もが参加できる長いジャムが行なわれることがあった。ショウにチューバを持って来たツワモノもいた。そいつは最前列に陣取っていた。
 1960年代、70年代には、全ての町の全ての地区の全てのストリートに、ビッグになることを夢見る「ガレージ・バンド」が存在していた。タスティンの、ラリーん家{ち}のあるウッドローン・ストリートにはBトフ・バンドがあった。あらゆるガレージ・バンドと同様、オレたちもフル・ボリュームで練習した。何時間も。得意げに。
 ラリーにはウェンディーという妹がいた。時々、ウェンディーは彼女の友人{だち}と一緒に、オレたちがガレージで練習するのを見てたのだが、こいつらにはあまり注意を払ってなかった。だって、所詮、ラリーの妹の友達{だち}だろ…。こいつらの誰かと話をした記憶もない。「相手にするには幼すぎる」と思ってたのだろう。ウェンディーは少なくともしばらくの間は俳優の道に進み、映画『ポーキーズ』シリーズの1つに出演してると思う。彼女の友人{だち}のひとり、ヴィッキーも興味深いキャリアを歩んだ。
 その晩、リヴァーサイドのレインクロス・スクエアで行なわれるランナウェイズのコンサートで、マイクはオレを見つけると、新ベース・プレイヤーのヴィッキー・ティシュラーはウェンディー・フェインの友人{だち}だと教えてくれた。「ラリーん家{ち}のガレージでお前が練習してるのをよく見てたから、お前のことを覚えてるんだって」とマイクは語った。「だが、お前がブートレッガーだってことも知ってるぜ。お前がショウを録音するためにここに来てるってこともメンバー全員が知ってるんだけど、別にいいよだって」 それからマイクはこう続けた。「ヴィッキーの新しいステージ・ネームはヴィッキー・ブルーっていうんだ。お前にバックステージに来て欲しいってさ」 オレは何かの罠かもと考えた。控えめに言っても話が出来過ぎている。だが、オレはマイクを信頼し、こいつがその話を信じたのなら、チャンスに賭けてみる価値はあると思った。ということで、その晩、2度目となる、バックステージ訪問を行なった。
 マイクの言ってた話は正しかった。オレはヴィッキーのことがわからなかったが、ヴィッキーは確かにオレのことを覚えていた。何年も前に、ラリーん家{ち}のガレージでオレがBトフ・バンドの練習をしてるのを見たという話を、ヴィッキーはしてくれた。全てが超現実的に思え、なかなか理解することが出来なかった。ヴィッキーは、今はハリウッドで暮らしてるのと言い、オレに電話番号をくれた。ワオ! 超イカした出会いだぜ。マイクとオレはショウを録音するために客席に戻った。
 レインクロス・スクエア公演のライヴ・レコーディングは、Wizardoがリリースするランナウェイズのブートレッグの第3弾になる予定だったが、いろんな理由でそれは実現しなかった。しかし、マスタリングは済み、インサート・カバーのデザインも出来上がっていた。予定していたタイトルは「Stolen Property」[盗まれた財産]だった。使わなかったジャケット・デザインに関する裏話も面白いかもしれない。
 オレがヴィッキー・ブルーと会うよりずっと前、ジム・ウォッシュバーンはランナウェイズのオリジナル・ベーシスト、ミシェル・スティールと付き合っていた。彼女はバンドを早々にやめて、バングルズに参加した。賢い選択だと思う。詳しいことは忘れてしまったが、馴れ初めの話はジムから聞き、ミシェルのランナウェイズ時代の話は、ある晩、彼女のアパートメントで聞いた。ミシェルは思い出の品の入った箱を取り出して、その中身をオレに見せてくれたのだが、あるものがすぐに目に付いた。それは巨大な鮫の歯がついた銀のネックレスだった。それにまつわる話はあるのかと訊いたら、笑いながら言った。「それは私がバンドに入った日にシェリー・カリーから盗んだものよ。その日は、バンドを辞めようと思った日でもあるんだけど、単なる偶然の一致じゃないのよね」 彼女はオリジナル・トリオにシェリーが加わったばかりの頃の貴重な宣伝用写真を見せてくれた。ミシェルによると、ランナウェイズはこのラインナップではショウをやったこともレコーディングをやったこともないらしい。ウマが合わなかったんだと思う。キム・フォウリーも言っていた。「シェリーのエゴを扱うのは、犬がオレの顔に向かって小便をするがままにしとくようなもんだった」 つまり、そんなことがあったのだ。オレが何者だか知ってるミシェルは、Wizardoから発売予定の《Stolen Property》のジャケットに鮫の歯のネックレスの写真を使えばと提案してくれたのだが、オレもいいアイデアだと思った。
 しかし、残念ながらレコードが出ることはなかった。ランナウェイズのリヴァーサイド公演のバックステージでヴィッキー・ブルーから電話番号をもらった後、オレは数日まって電話をかけて、ハリウッドまで会いに行ったのを覚えている。ヴィッキーはガワー・ストリートにあるエドワード・G・ロビンソンの古い家で暮らしていた。朝の6:00になると、観光バスが次々にこの家の前に横付けになり、もうそんな時間であることを知らせた。気が散るなあ。ある土曜の晩には、ヴィッキーからキャピトル・レコード・スワップミートに連れてってよとお願いされた。この非衛生的な「コレクター」ミートは、毎週、キャピトル・レコードの駐車場で開催されていて、午前12:00頃から始まって、一晩中行われていた。毎週、何百人もの「レコード愛好家」が集まり、貴重なレコードや大量のブートレッグを見つけるにはパーフェクトな場所だった。オレは喜んでヴィッキーをそこに連れてったのだが、それは間違いだった。
 場所がハリウッドだけに、到着するが早いか、キャピトルにいたロック・ファン全員がヴィッキーに気がついてしまった。そして、こいつらの多くはオレにも気がついた。ブートレッグ・コレクターだったからだ。皆、こっちを指さしたり、写真を撮ったりし始めた。さらに悪いことに、その晩はカート・グレムザーがここに来ていたのだ。こいつはこの件を言いふらすに違いない。オレは世間を騒がせたくはなかった。マーキュリー・レコードの法務部がヴィッキーの交友関係について何か言ってくるかもしれない、というのがオレの心配だった。とにかく、ヴィッキーにとって(オレにとってもだけど)トラブルになることは絶対に避けたかったのだ。オレはこれ以上、虎の尻尾をひねらない方がいいと思って《Stolen Property》を永遠に棚上げした。
 レインクロス・スクエア公演はボツにしてしまったが、オレはランナウェイズのさらにいくつかのコンサートを録音し、リリースすることを考えた。伝説のゴールデン・ベア公演は特に出来が良かったし、バークリー公演も良かった。ファンのために、いつかこのコンサートをリリース出来たらなあと考えるのは楽しい。

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 ローリング・ストーンズは、つい先日、1973年のアルバム《Goats Head Soup》のリイシュー盤を発売することを公表した。これには未発表だった「新曲」が含まれてるとのことだが、そうした曲の1つ、〈Criss Cross〉はWizardoが1977年に発売したレアなEP盤(グリーン・ビニール)に収録されていた。
 この頃、オレはスキーキー・ボーイと一緒にアーヴァインのウッドブリッジにあるアンドレア宅で暮らしていた(アンドレアはラグナビーチの新居に引っ越していた)。巨大な家なのに家具は殆どなく、殆どの部屋は空っぽだった。リヴィング・ルームにはテレビが1台とローンチェアー[日光浴用折りたたみ椅子]が2つあるだけだった。この家は高級住宅街にあったので、近所の住人は隣にいる「クレイジーなヒッピー」は何者なのか疑問に思ってたことだろう。オレたちは連中とは口をきかなかった。まわりの連中にとっては資産価値を下げる存在だったかもしれないが、オレたちはとても楽しく暮らしていた。一度、スキーキー・ボーイの伯父さんのブレインがオーストラリアからやって来たことがあった。近所のオバチャン連中を驚かすために、ロマンスグレーのブレイン伯父さんにはオレたちお抱えのイギリス人執事として振る舞ってもらった。オレたちがからかいの対象としたオバチャンたちは、オーストラリア訛とイギリス訛の違いなんてわからなかったので、いつも感心していた。ブレイン伯父さんもそれを楽しんでいた。彼はオレのベッドルームにいきなり入って来ると(オレが呼んだ客人たちが裸だとわかってのことだ)、「失礼いたします、旦那様。警察署長からお電話です」と叫んだ。昔のテレビドラマ『バットマン』に出てくるアルフレッドのように。そのうち、ブレイン伯父さんはオーストラリアに帰国したのだが、一緒に過ごした時間は忘れられない。
 ある晩、スキーキー・ボーイとオレがローンチェアーに座ってテレビを見てると、日本の新作長編アニメ映画[サンリオ制作の『星のオルフェウス』。英題は『Metamorphosis (Winds of Change)』]がオレンジ・カウンティーで公開となることを宣伝するCMが現れた。オレたちはアニメなんてどうでもよかったのだが、広告の後ろで流れてた音楽に驚愕した。紛れもないローリング・ストーンズだ。しかも、聞いたことのない曲だったのだ。そして、コマーシャルの最後に、「ローリング・ストーンズの新曲をフィーチャー」という結び文句が登場した。ワオ! オレたちはすぐに新聞をひっ掴み、映画が上映される劇場を探した。
 映画のタイトルは覚えてないが、そんなものはどうでもよかった。気になってるのはフィーチャーされてるというストーンズの未発表曲だった。オレは信頼できるウーヘルのテープレコーダーとマイクロホンを荷造りして、劇場に向かった。オレは映画のどの部分でストーンズの曲が使われてるのか知らなかったので、客席でマイクロホンをセットすると映画を最初から最後まで録音した。約90分間、バックでテクノ・ミュージックが流れた後、CMに騙されたのかと思った頃、突然、紛れもないローリング・ストーンズのサウンドが流れて来た。ストーンズの未発表曲がこのゴミのような日本のアニメに使われてる理由は全くもって不明だが、確かに入っていた! 劇場はほぼ空っぽだったので、お目当の曲を素晴らしいステレオで録音することが出来たのだが、映画の最後のクレジットには曲のタイトルが出てこない。ただ「ローリング・ストーンズ、著作権登録1972年」とのみ書いてあった。
 オレたちは急いで帰宅して、約100回、レコーディングを聞いて、タイトルを〈Save Me〉に決めた。この言葉が一番頻繁に出て来るからだ。スキーキー・ボーイズとオレはフル・アルバムを出せるほどのマテリアルは持ってなかったので、このトラックと、さまざまなプロジェクトから漏れた3曲を収録した7インチのEPレコード用のマスターを作って、ルイス・レコードでグリーンのビニールにプレスして、ものの数日のうちにリリースした。製造したのは限定500枚で、売れ行きはとても良かった。
 新しい《Goats Head Soup》のリイシューでは、オレたちが〈Save Me〉と呼んだ歌には〈Criss Cross〉という「正式なタイトル」が付いている。興味深いことに、1980年代に誰かからもらったアセテートにもこの曲は収録されていて、その時のタイトルは〈Criss Cross Man〉だった。このアセテートはあるパーティー会場にジミー・ミラーが置き忘れたものらしい。とにかく、これは全部、同一の曲がさまざまなタイトルで変化{へんげ}したものだ。ミックスも同じようだ。ストーンズは、昔のアウトテイクをリリースする時には、たいてい音を追加して、きれいに磨きをかけてしまうのだが、〈Criss Cross〉についてはこの例から漏れ、棚からテープを下ろし、埃を吹き飛ばしただけのようだ。それに、映画の中に出て来た著作権登録の年が正しいなら、〈Criss Cross〉は 《Goats Head Soup》ではなく《Exile》のアウトテイクだろう。オレが言うのも何だが、タイトルとしては〈Criss Cross Man〉が一番気に入っている。昔のアセテート盤は今でも持っていて、どこかにあると思う。


   


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posted by Saved at 20:41| Comment(0) | Music Industry | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする