2021年02月07日

マイク・ミラード新シリーズのライナーノーツ

 ロックの歴史というと、スーパースターたちの物語も面白いのですが、彼らが創造する音楽をありがたく頂戴する立場である我々ファンは、100%受け身かというと決してそうではありません。ボブ・ディランのコンサートで「ジューダス!」という野次を飛ばしたのは一介のファンです。ポール・マッカートニー死亡説は大勢のファンが集合的に同時に騒いだ現象でした。ブートレッグはこんなレコードがあったらいいなと思ったファンが作ったものでした。録音も、バンドやコンサート運営側といった「お上の意向」よりも「音楽」そのもののほうが好きなファンが、いろんな危険を承知で自腹で勝手に行なっていることです。
 2014年8月にアメリカの「JEMS」というテーパー/コレクター集団がボブ・ディランの1978年、79年の超ハイクオリティー音源をリリースしたのをきっかけに、私はマイク・ミラードという伝説のテーパーにこれまで以上に興味を抱き、当サイトで次の記事を紹介しました:

* 伝説のコンサート・テーパーの悲しい末路
http://heartofmine.seesaa.net/article/391621874.html

* ボブ・ディランの非公式音源流通事情
http://heartofmine.seesaa.net/article/431755220.html

 5年前の時点では『…悲しい末路』がミラードに関する情報の最も包括的な記事だったのですが、約1年前の2020年2月にJEMSグループのmjk5510氏がピンク・フロイドの1975年4月26日ロサンゼルス公演のマスター・カセット音源のデジタル・トランスファーをリリースした際、そのライナーノーツには、ミラード、及び、彼のマスターテープの行方、そして、JEMSグループの活動について、さらに詳しいことが書かれていました。『…悲しい末路』の内容を訂正、増補するような情報が出てきたからには、こちらも紹介せねばと思い、アップ主に連絡を取り、転載に関してOKをいただきました。これがまた、泣けるんです。

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Pink Floyd * 1975-04-26 * Sports Arena * Los Angeles, CA
The Lost and Found Mike the MICrophone Tapes Volume 18
Mike Millard Original Master Cassettes (2020 Transfer) via JEMS


文:BK for JEMS


 JEMSによる『マイク・ザ・マイクロホン新発見』シリーズにようこそ。伝説のテーパー、マイク・ザ・マクロホンことマイク・ミラードが残したレコーディングを紹介するこのプロジェクトは、新しい章に突入しました。ミラードは1975〜77年にロサンゼルスやその周辺の都市でレッド・ツェッペリンのコンサートを録音したことで最も名が知られていますが、このシリーズで紹介したテープが失われ、再発見された経緯や、マイク・ミラード及びJEMSの活動史については、ボリューム1(ボブ・ディラン 1978-06-01 LA)を参照してください。
 『新発見』シリーズがこれまでにリリースしてきたものは、マイク本人がJEMSのスタン・グトスキやジム・R、バリー・Gといった親しい友人のために作った1stジェネレーション・コピーをデジタル・データ化したものでした。こうした音源も、トレント時代において初めて、ミラード音源の正真正銘の1stジェネレーション・テープからダイレクトにデジタル・データ化したもので、昔から出回っているものよりクオリティが高いものでした。
 しかし、私たちが今から大きな喜びを持ってリリースするものは、以前には想像も出来なかった、あり得ないとすら思われていた、ミラードのオリジナル・マスターテープからダイレクトにハイレゾでデジタル変換した音源です。
 そうです。廃棄され、失われてしまったと噂されていたマイク・ミラードのマスター・カセットが発見されたのです。全部ではありませんが、その多くがです。それによって、ミラードが1973年後半に初めてコンサートを録音した時から1992年前半に最後にコンサートを録音した時までの間にどんな音の記録を残していたのか、もっとずっと多くのことが判明しました。
 彼のマスターテープの再発見がこれほどの大ニュースであるのは、それらがもうとっくに失われてしまっていると、数十年前から噂されていたからです。インターネット上にあるミラード神話によると、彼は自らの命を絶つ前にマスターテープを廃棄したとされており、マスターテープが全く姿を現さないという状況と、マイクが精神的にトラブルを抱えていたという事実に、さまざまな憶測がプラスされて、自分のライフワークと一緒に早まったことをしてしまったという軽率なことまで語られていました。この話には、マイクが亡くなった後、家族がテープを廃棄したというバージョンまであります。
 しかし、事実はこうです。マイクのマスターテープは、1994年に亡くなって以来ずっと彼のベッドルームの中にありました。私たち全員が知っていることですが、マイクの親友や知り合いのうち少なくとも数人が、彼の死後、母親と連絡を取ってテープについて問い合わせてみましたが無益に終わりました。しかし、2000年代初頭にになって、マイクとは長年の友人で、彼の母親とも知り合いで信頼関係のあるロブ・Sが、マイクの業績の保存を任せられることになりました。
 マイク・ミラードのマスターテープの新発見について、ロブは次のように語っています:
 マイクが我々のもとを去った後も、時々、たいていは休日に、お袋さんのリアのところを訪ねたんだ。彼女は孫の話をしながら、写真を見せてくれたよ。家まわりのことを手伝ってくれる人が誰もいないというので、キッチンの壊れた棚を直すとか、ちょっとした修理はオレがしてあげていた。何年も開閉出来なくなっていた木戸を直してあげたこともあった。何度か訪問した後、オレはお袋さんに、テープには金属の部分があって、既に25年は経ってるものがあるので、劣化は免れないことを説明した。すると、テープを持ち出してコピーを作っていいと言ってくれたんだ。マイクの寝室に入ったら、何年も前にそこに入った時の記憶と同じ状態だった。オレは見つけることの出来たテープを全部持ってマイク宅をあとにして、コピーの作業を始めた。一番古いものから先に。中には「応急処置」が必要なものもあった。
 数カ月後にコピーを終えた時、作業が済んだばかりのテープとマイクがまとめたマスターテープのリストと見比べて、まだ多くのショウがないことがわかったので、テープを返却しながら、リアに、家のどこかにもっとテープがないかどうか調べさせてくれとお願いした。一緒に奥のベッドルームに入ると、オリジナルのマスターテープの詰まった箱がたくさんあった。オレはそれを車に積んで、リアにお礼を言って、マイク宅を去った。リアに会ったのは、その時が最後になってしまった。オレは残りのテープをコピーして、マスターは涼しく乾燥してる所に保管しておいたのだが、その頃、連絡をくれたのがジム・Rだった。オレとジムはマイクを通じて知り合った仲なのだが、ジムと話し、そして後になって、ずっとジムの仲間だったBKとも話し合った後、この2名の協力を仰ぐのは、音楽が欲しい人全員にそれを行き渡らせるのに「しかるべきやり方」だと判断した。マイクも生きてたら、きっと首を縦に振るだろうと思う。

 1回目の時、ロブは大量のミラードのマスターカセットをDATにコピーした後に、彼の家に戻したのですが。2回目の時には、既にDATにコピーを済ませたものとは異なるカセットを大量に貰い受けました。
 DATにコピーしたものの中にはミラードの最も有名なレッド・ツェッペリン、EL&P、ローリング・ストーンズ、ジェスロ・タルのレコーディングがあり、2番目のカセットマスターの中にはイエス、ジェネシス、ピーター・ゲイブリエル、ピンク・フロイドが含まれていました。
 私たちにとってお馴染みの、長年愛聴しているミラード・レコーディングのマスターにアクセスすることが出来たのは興奮の極みでしたが、上記のどちらのカセット・コレクションの中にも、エルトン・ジョン、クイーン、シン・リジー、エリック・クラプトン、ザ・フー、ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー、フリートウッド・マック、トム・ペティー、ガンズ&ローゼズ、リンダ・ロンシュタット、デヴィッド・ボウイ、ムーディー・ブルース、U2等、多数の新しいレコーディングが含まれていました。
 1980年代半ばは、ミラードは確かに録音を続けていたのですが、何のテープも存在せず、録音したショウに関する文字の記録もなく、情報の空白期間となってしまっていますが、現在のところ、ミラードが約280のショウを録音していることが確認出来ています。このうち、マスター・カセットが存在するのがおよそ100ショウ、マスターからDATにコピーしたものがさらに75ショウ、1stジェネレーションのアナログ・コピーがさらに20〜25ショウあります。合わせると、今、巷に出回っているミラード・レコーディングの4倍近くの数になります。今後数カ月の間に、私たちは再発見されたお宝の中にある、素晴らしいほうのショウからリリースしていく予定です。お馴染みのものもあれば、まったくの初耳のものもあるでしょうが、私たちはとにかくどこかから手をつける必要がありました。
 ということで、マイク・ザ・マイクのマスターテープの新時代を、まずは、ミラード音源の中で最も愛されているレコーディングの1つから始めます。今回は、ピンク・フロイドの《Wish You Were Here》ツアーの、ロサンゼルス・スポーツ・アリーナ5公演の4晩目を抜群のクオリティーで収録した音源です。このレコーディングはブートレッグ化され続け、さまざまなフォーマットで出回っており、いちばん最近では、1stジェネレーションのテープを音源としたと称する(恐らく、それは正しいでしょう)非常に良い音質のブートレッグがリリースされました。実際、私たちは、マイクがジム・R用に作った1stジェネレーションのカセット(素晴らしいカセット・アート付きです)をインターネット上にアップしようと準備していたのですが、マスターテープが出てくるという嬉しいどんでん返しがありました。
 マイクのマスター・レコーディングは荘厳の極みです。ステージ上での演奏をしっかり捉えているだけでなく、聞きたいとでも思わない限り、観客の歓声が殆ど聞こえないという、まさに奇跡の録音となっているのです。最高のオーディエンス・レコーディングがサウンドボード・テープより満足度が高い傾向があるのはどうしてなのかということが議論になるほど、低音から高音までがしっかり入っている、豊かで、近い音がします。この時、マイクが使用したカセットテープはTDKのKR 90でした。これは初期のクローム・テープで、その後間もなく、パッケージも新たに発売されたSA 90のほうが、私たちにはお馴染みですね。
 テープはドルビーをオンにして録音されていますが、このエディションではドルビーをオフにしてデジタル変換しました。マイク本人も友人用にコピーを作る際にはそうしていたからです。こうした音による署名は、最も良好な1stジェネレーションからデジタル化したもの(buffalofloydによる「Sigma's Definitive Millard」シリーズなど)をじっくり聞いたことのある皆さんにはお馴染みのものでしょうが、今回のバージョンのほうが、この特徴をより鮮明に反映しています。
 これまでに出回っていたミラード音源も、その高音質が皆さんの評価の対象でしたが、ミラードのマスターテープからデジタル変換したバージョンはそれを凌駕し、低音域はより豊かに、高音域はよりクリアに、ヒスノイズはより少なくなっています。バランスも良く、あたたかみのある、スケールの大きなサウンドです。今回、この新音源をリリースするにあたって、通常のCDクオリティーの16bit/44kHzと、オーディオ・マニア用の24bit/96kHzの2バージョンを用意しました。私たちはミラードが捉えた音のピュアなエネルギーを解き放つために、加工は必要最低限にとどめた上でマスタリングを行ないました。
 ミラードの親友であるジム・Rが一緒にコンサートに出向いて撮影したオリジナル写真も、幸運なことに、今回の音源に添付することが出来ました。以下はジムの思い出話です:
 1975年4月26日に、マイクと一緒にピンク・フロイドのコンサートを見に行った。オレがマイクの乗る車椅子を押したんだ。
ロサンゼルス・スポーツ・アリーナでの5回連続公演の4晩目だった。ピンク・フロイドの人気のせいで、チケットの需要は高く、値段も超高かった。その結果、1晩だけしか見に行ってない。ロサンゼルス・スポーツ・アリーナはロサンゼルス・カウンティーの持ち物で、良い席は全て、ダウンタウンのチケット・ブローカーが仕切っていた。幸運なことに、オレたちは一部のブローカーと強力なコネがあったので、好みの席を選ぶことが出来た。
 前々から、ピンク・フロイドが使っているハイ・クオリティーの音響システムについて耳にしており、4チャンネル・サラウンドのセットアップになるだろうとのことだった。それを知ってたので、4チャンネル・サウンドを拾えるよう、オレたちはいつもより少し後ろの16列目に陣取ることにした。実際、フロアの四隅にPAのスタックがある、素晴らしい音響システムだった。
 マイクと一緒に行った200あまりのコンサートの中で、このショウが最も思い出深いのは、ピンク・フロイドのロサンゼルス公演期間中、500人以上がドラッグで逮捕されてるにもかかわらず(大規模な取締についてはロサンゼルス・タイムズで大きな記事になり、詳細が報じられた)、オレたちは職業別電話帳{イエローページ}ほどの大きさで15ポンド[6.8kg]近いの重さのカセット・レコーダー、Nakamichi 550をこっそり持ち込むことに成功したからだってこともある。2本のジョイントを持ってるだけで逮捕された奴も多い中、オレたちは巨大なテープ・デッキを持ち込み、まんまと録音に成功したんだ。見事な突破としか言いようがない。
 これは極上のレコーディングに仕上がった。観客がとてもおとなしかったことにも助けられた。テープの冒頭で「テスティング、123」って言ってるのはマイクだ。照明が文字通りダーク・サイドだったせいで、16列目から撮影したオレの写真は少しボケている。

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[写真は全てジム・Rが撮影]


 私のごく個人的なマイク・ザ・マイク物語は、1986年に初めてミラード・テープの詰まった箱を見せられ、彼のコンサートの録音方法についての話を聞かされた時に始まったのですが、ジムと出会い、次にバリーと出会い、そして最後にロブと繋がりが出来たことで、新たな章が付け加わりました。私たち4人全員が、マイクが長年かけて残してきたレコーディングの真価を見出し、友人たちと音楽を共有しようという現在進行中のミッションを持っているというのは、とても素敵なことです。それこそが、まさに私たちが本シリーズを行なっている理由です。
 ミラード・マスターの第1弾をこうしてリリース出来るのは、喜ばしいことであるのと同時に、実は、悲しいことでもあるのです。ミラード・テープ詰まった箱を私に見せ、ミラードにまつわるいろんな話をしてくれた人物というのは、JEMSのSことスタン・グトスキです。彼は2度、マイクと直接会い、何度か電話で話し、コンサートの録音方法に関する意見交換をしたり、機材を比べたり、最後には、録音したテープのコピーの交換をしています。ふたりは互いに尊敬しあう間柄になりました。1992年に南カリフォルニアで会った時には、互いに父親を亡くしたことを話し、友情のハグを交わしました。スタンはこのことを決して忘れてはいませんでした。そんなウォルター・スタン・グトスキは、悲しいことに、2020年1月24日(金)にこの世を去りました。74歳でした。
 スタンは脊椎感染症で体を動かすのが難しくなり、12月に入院しました。私はお見舞いに行った際にはJEMSの最新情報を話しました。そうすると、体の具合は悪そうでしたが、気分は良くなってくれました。スタンは退院しましたが、病院を去った後も体調は悪いままで、1月中旬には息子さんから、良くなる見込みはなさそうだという連絡がありました。そして、先週には、スタンは再入院して肺炎と闘っているという連絡がありました。彼の体調はどんどん悪くなっていたのです。出来るだけ早く会いに行かなければと考え始めました。
 木曜の晩、私は入院中のスタンと電話で話すことが出来ないかと訊きました。親父にその元気がある時なら、1分くらいならスピーカーホンにつなぐことが出来ると言われました。しかし、無理かもしれないと感じた私は、その後にメールを送りました。「愛してるとスタンに伝えてくれ。それから、数週間前に、マイク・ミラードのマスター・テープが発見されたことも」と。すると、彼の息子から「ワォ。テーパーにとっては契約の箱だ。すごいね」という返事がきました。しかし、翌朝の金曜日に、こういうメールが届きました。「おはようございます。数分前に親父が息を引き取りました」
 腹を殴られたようでした。その日が来ることはわかっていましたが、こんなに早いとは。涙が流れてきました。その後、スタンの息子からはこんなメールが届きました:
「弟とオレの末っ子と一緒に、AM6:30まで親父に付き添いました。親父は眠らず、戦い続けました。[ミラードが録音したのが]280ショウだってことに感動し、その数字を言ってくれと何度も求められました。何年の、どこの都市のどの会場か知りたがりました。たぶん今頃は、本人に質問してるでしょう。ジャレドとも合流して、トム・ペティーとジョージ・ハリスンの共演を見てることでしょう」
 楽しくて悲しい瞬間というのがあるとしたら、このメールを読んでいた時がそれでしょう。私は信心深い人間ではありませんが、マイク・ミラードとスタン・グトスキ、そして、故ジャレド・ハウザー(JEMSのJ)が、今頃、天国で再会していると思うと、これ以上に楽しいことはありません。

# # #


 JEMSはロブとジム・R、バリーとチームを組んで、ミラードの歴史的レコーディングをリリースし、ミラード本人に関する正しい記録も広めるプロジェクトに、ワクワクしながら取り組んでいます。ミラードがこの世を去って四半世紀が経ちましたが、彼の伝説は大きくなり続けています。ロブはテープと一緒に、ミラードが1983年頃に作成したテープ・リストも持っていました。それには全マスター・テープに関する詳細が記され、Stereo-EX(優)、Stereo-Good(良)、Stereo-Fair(可)、Stereo-Poor(不可)という独自のシステムでクオリティーが評価されていました。ロッド・スチュワート&フェイセスの1975年のフォーラム公演は素晴らしいクオリティーで録音されていますが、ミラードによる評価はGood(可)です。
 ジムと私たちを結びつけて、彼に私たちの行なっているミラード・テープのリイシュー・キャンペーンに賛同してもらったロブ・Sには、どんなに感謝をしても足りません。ジムは20年間、貴重なテープを秘蔵していましたが、私たちのプロジェクトがこうして行なわれていることを知ると、DATやカセットを提供すると言ってくれました。
 私たちのプロダクションをサポートしてくれている人々にも感謝しなければなりません。ピッチ補正ではグッディーにお世話になっています。mjk5510にはJEMSの全プロジェクトで必要不可欠な作業を担当してもらっています。このふたりがいなかったら、プロジェクトの遂行は不可能です。
 最後に、3人の偉大なる故人、マイク・ザ・マイクロホン、ジャレド・ハウザー、スタン・グトスキに感謝の言葉を贈ります。いつか天国のテープを聞きたいです。

BK for JEMS



The original article "Pink Floyd * 1975-04-26 * Sports Arena * Los Angeles, CA * The Lost and Found Mike the MICrophone Tapes Volume 18 * Mike Millard Original Master Cassettes (2020 Transfer) via JEMS" by BK for JEMS
http://www.dimeadozen.org/torrents-details.php?id=667750
Reprinted by permission



   
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2021年02月02日

ドキュメンタリー『Abandoned Detroit: The City of Neglect』

 1969年10月以降、ポール・マッカートニー死亡説を広めたDJ、ラス・ギブが経営していたグランディ・ボールルームが3:00〜に登場します。こんな廃墟になっているとは知りませんでした。
 かつては自動車産業が栄え、工場労働者でも自分の子供達に楽器を買い与えることの出来るほど裕福な生活を送り、そのおかげでガレージバンドが多数出現して、その中から全国規模、世界規模の人気を博すミュージシャンも出てきて独特な音楽シーンを形成するに至り、ニューヨーク出身のKISSからも「デトロイト・ロック・シティー」と一目を置かれたデトロイトが、今はこうらしいですよ。涙。



このブログでのポール死亡説関連記事は以下の通り:
http://heartofmine.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%83%7D%83b%83J%81%5B%83g%83j%81%5B%8E%80%96S%90%E0

 

posted by Saved at 13:28| Comment(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする