2021年10月28日

映画『HELP!』に出演したインド人ミュージシャン

ビートルズ、ジョージ・ハリスンとのエピソード

文:パンディット・シヴ・ダヤル・バティッシュ


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 ロンドン北部のハイゲイトの近く、フィンスベリー・パークのバーチントン・ロードにある自宅の電話が鳴りました。私はBBCの移民用番組編成部に招かれて、バーミンガムで毎週行なっているインド人とパキスタン人ミュージシャンによるビデオ撮影のために、作曲と指揮を担当していたのですが、そこから帰って来て30分もしない時でした。
 電話に出るのは私の娘、スレンドラのいつもの役割だったので、彼女が受話器を取り、いつものように「ハロー」と言いました。この時の電話の主は、私の他ならぬ旧友、ミスター・ケシャヴ・サテでした。ケシャヴは娘に良いニュースを伝えました。『Help!』というタイトルのビートルズの映画が現在制作中で、特別な場面でBGMを演奏するインド人ミュージシャンが数人必要だとのことでした。娘が、うちのパパは何を演奏するのを求められているのかと質問すると、ミスター・サテは、ヴィチトラ・ヴィーナがいい、フルートとシタールのミュージシャンとは既に連絡を取って了解を取り付けているからと答えました。スレンドラはミスター・サテに、少しお待ちくださいと言うと、私のところに来て、全てを話しました。私は受話器を取り、サテジー[「ジー」は親しさを表す愛称]に感謝した後、そのセッションに参加することが出来たら嬉しいですと言いました。

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 2日後、私は典型的なイギリスのスタジオにいました。映画『Help!』の監督が他のアシスタントたちと一緒にいて、私たち約4人のミュージシャンを待っていました。インド音楽の演奏が必要なシーン用にセットが組まれていました。
 インドの映画スタジオで仕事をした経験はたくさんありましたが、こちらの映画の世界の環境にはビックリしました。マイクやスタンド、照明など、たくさんの機材がありました。必要なビートで大きなクリックを出しながら、光も点滅する大きなメトロノームもありました。
 私たちがチューニングを済ましたばかりの頃、イギリス人ミュージシャンの1人がやって来て、「長丁場の仕事になりそうだ。今はティー・タイムだから、作業はやめよう。そういう決まりなんだ」って言いました。私は彼の言葉にビックリしました。インドでは、いったんスタジオに入ったら、昼食の時間までずっと働かないといけません。私たちはカフェテリアに行って、お茶と軽食をとりました。
 他のミュージシャンと会って話したこの時間は、とても面白く、刺激的でした。新しい友人も出来て、この仕事をやっていて良かったという誇りを、生まれて初めて感じました。私たちがくつろいでいるか、皆が気をつかってくれているようでした。
 スタジオに戻りました。さっき友人になったばかりの他のミュージシャンが私たちの楽器を見に来ました。私のヴィチトラ・ヴィーナのヘッドの鳩の装飾が特に彼らの興味をそそっていました。典型的なイギリス風のウィットで、彼らの1人はこの楽器に近づいて、その出来映えを誉め始めました。別の瞬間には、彼は鳩の顔の近くに立って、手の上に載せたエサでこの鳥を呼び寄せるふりをしました。これには、私たち全員が大笑いしました。
 スタジオ・セッションは丸1日続きました。ヴィチトラ・ヴィーナの音で奏でられてるビートルズは、私がこの時にやった演奏です。「カーリー」女神のシーンでBGMとして使われたラーガもそうです。ミスター・サテとシタール奏者のミスター・モティハール、そしてフルート奏者も、映画の監督が必要に応じて使うことが出来るよう、別々にいくつか録音していました。その日の最後に監督が来て私たちに感謝し、インド音楽がもっと必要になったらまた呼びますと約束してくれました。私たちも監督に感謝し、他のミュージシャンとも別れの挨拶して別れました。
 これがアルバムに収録された曲の1つです。何らかの理由で、ミュージシャンの名前は含まれてはいませんでしたが。



 数カ月が経ちました。映画『Help!』は大成功し、制作スタッフも高く評価されました。私たち4人のインド人ミュージシャンはブッシュ・ハウスにあるBBCスタジオで会った時に、撮影の時の話をしました。ビートルズと仕事をしたおかげで、私たちは西洋で名声と人気を得ただけでなく、インド人コミュニティーの中でも敬意を払われるようになりました。
 数ヶ月後のある日、バーチントン・ロードの自宅の電話が再びなりました。今回は映画監督からではなく、ビートルズの事務所のスタッフでした。どのような用件ですかと質問すると、ビートルズのミスター・ジョージ・ハリスンが私と会いたい、奥さんのパティー・ハリスンにディルルバのレッスンをしてもらいたいということでした。ハリスン夫妻がこの楽器を1台欲しがっているので、インドから取り寄せて欲しいとも言っていました。娘のスレンドラが、イギリスに送ってもらうとなるとしばらく時間がかかりますと言うと、構わないという返事でした。ボンベイにある楽器店に電話を注文し、それが確定され次第お知らせしますと、スレンドラは言いました。

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 15日もしないうちに、ディルルバが3台、トゥークスベリーにある知り合いの家に到着しました。彼が特別にインドから楽器を持って来てくれたのです。私はそれを回収に行き、夕方には戻って来ました。翌日、ミスター・ハリスンに楽器が到着したことを知らせると、私に自宅まで来てもらいたいので迎えの車を行かせると約束してくれました。
 翌日、約束の時間にドライバーが到着し、ドアをノックしました。末っ子のラヴィがドアを開けて、彼を中に案内し、階段を上がって2階まで連れて来ました。ドライバーは非常に礼儀正しい人物で、私と会って握手し、末っ子ラヴィがきちんと応対出来たことをほめ、そういうふうに迎えられてとても感激したと言いました。私はディルルバを持ち、妻と子供たちに行ってきますと言うと、彼と一緒に出発しました。ミスター・ハリスンの家はロンドンの南のサセックス州にあり、着くまでしばらく時間がかかりましたが、ドライバーは私を飽きさせず、共通の話題をあれこれ持ち出して、おしゃべりをするのに忙しい状態でした。おかげで、長い移動中の良い暇つぶしになりました。
 サセックス州に入り、いろんな小道やストリートをジグザグしながら進み、遂に、ドライバーがハリスン邸はあそこだよと言いながら指さしました。前から見た眺めは壮観でした。フロント・ドアの左側には全体にペイントが施されてるロールスロイスがありました。大きなボディーに施されてるアートワークにとても驚きました。私は好奇心からドライバーに質問しました。誰の車ですか?って。すると、「ビートルズのメンバーのミスター・ジョン・レノンのですよ」と答えました。「美しいロールスにあんなことやるなんて!」とも言ってましたけどね。

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 ドライバーは正門から入り、大きな応接間に案内してくれました。やや暗い広間の大きさを見た時には、私は畏敬と驚愕の念を抱きました。部屋にはさまざまな東洋のカーペットが敷き詰められていて、シーンとしていました。ここを衝立で区切って小さなスペースをたくさん作れば、いろんなグループがそこに入って、それぞれの活動を邪魔されずに行なうことが出来るだろうって思いました。
 私がドアから入るのを見たミスター・ハリスンは、立ち上がって、手を組んでこっちにやって来て、インド・スタイルでナマステと挨拶し、私と握手を交わしました。とても美しい若いレディーが後ろに立っていて、彼女はミセス・パティー・ハリスンと紹介されました。将来、私の生徒となってディルルバを習うことになるのは、彼女でした。

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パティーとディルルバ(インドのマハリシのアシュラムにて)


 私は部屋の奥まった部分に通されて、ふたりから、どうぞお座りくださいと言われました。外の部分には3人の人が座っていて、低い声で喋っていました。私は彼らが誰なのか質問すると、ミスター・ハリスンは、グループのメンバーだと教えてくれました。つまり、ジョンとポールとリンゴだったのです。すると、ミスター・ハリスンは声を少し大きくして彼らに声をかけ、私を紹介してくれました。彼らはとてもいい人で、ニコニコしながら私に手を振ってくれました。そして、また真面目な会話に戻りました。
 私はハリスン夫妻と席に着き、カバーからディルルバを取り出しました。つい先日、ボンベイから飛行機で来た古い友達が特別に運んでくれたんですよと話しながら。パティーは畏敬の念を持ってこの楽器をじっと見ていました。ふたりが楽器に触れるのを終えた後、私はそれを手に取って短いフレーズを演奏して、どんな音が出るのかを披露しました。パティーは音に驚嘆していました。ミスター・ハリスンからは、パティーが習いたいと思ってるうちに私がこの楽器を持って来たことを感謝されました。
 その日以降、パティーはディルルバのレッスンを開始しました。とても飲み込みの早い生徒で、私が教えた基本フレーズをすぐに覚えてしまいました。左肩で楽器をしっかり支えながら、両手をうまく使えるようになりました。私がパティーのために演奏した練習用のフレーズを数日後にはマスターし、私が教えたのと同じくらい正確に演奏しました。
 一方、レッスンの予定日にはいつも、例のドライバーが私を迎えに来ました。私の家に来た時には末っ子のラヴィが出迎えているのですが、そのお礼にと、息子に古い銀の腕時計を持って来てくれたこともありました。私がハリスン家に通ったのは短期間でしたが、その間、この若くて素敵な夫婦は気立てが良く、とても礼儀正しかったです。彼らの家で大歓迎してもらえたことを私は忘れることが出来ません。この思い出はずっと大切にします。

The original article "My Episode with the Beatles and George Harrison" by Pt. Shiv Dayal Batish
http://raganet.com/Issues/3/beatles.html

   
 
posted by Saved at 21:06| Comment(0) | India | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする