ドアウェイに立って:
ボブ・ディランのミルウォーキー公演で警備員を務めた話
ボブ・ディランのミルウォーキー公演で警備員を務めた話
文:トム・ウィルメス
ウィスコンシン州ミルウォーキー、ザ・レイヴ/イーグルス・クラブ
2019年10月26日
2019年10月26日
「ジョーさん、質問していいですか?」 レイヴで働くようになって数カ月が経ったが、コンサート・ホールのオーナーと直接話したのは、この時が初めてだった。オーナー氏は立ち止まってオレを睨んだ。ボディー・ランゲージでは、はっきりと、渋々ながらいいよと言っていた。
オレは訊いた。「ボブ・ディランがここでプレイした時、何か話はしたんですか?」 ジョーのガードは少し下がったようだった。給料や勤務時間に関する直訴ではなく、音楽についての質問だった。こんな質問をされるとは予想してなかったのではなかろうか。一瞬考えてから、ジョーは言った。「2度くらい楽屋で一緒にいたけど、会話は全くしなかったよ。ディランはそういう奴じゃない」
オレがお礼を言って去ろうとすると、驚いたことに、ジョーはこう続けた。「ボブはレイヴに6回出演してるんだぜ」 ジョーはこのことに誇りを持ってるようだった。「そのうち5回見てます」とオレは言った。
こんなやりとりがあったのは1年前のことだった。今年、ディランは7度目のレイヴ公演をやることになった。オレは今度のミルウォーキー公演のことを情報解禁の数カ月前に知っていた。ある日の午後、経営側幹部が最近ブッキングしたショウをあれこれ言ってる際に、ついうっかり口にしてしまったのだ。オレは内部情報を抱えてしまったが、心の中にしまっておくことにした。ジョーだって、今度のボブ・ディランのレイヴ公演のニュースが自分のところの従業員から漏れるのは望んでないだろう。
コンサートまであと数週間の時点で、オレは上司に伝えておいた。当日の持ち場はバルコニーがいいと。客が席に着いたらコンサートを見ることが出来るようにだ。しかし、その日が近づいてきた時には、しつこくこの要求を繰り返すのはやめた。指定席方式のコンサートの座席の割り振り等の細かい作業はやったことがないし、その作業にはコツが必要なことも知っていた。オレは当日、どこであろうと、言われた持ち場につくことにしていた。
1:30に到着すると、コンサート開始は8時だというのに、もうディラン・ファンが数人、会場周辺をウロウロしていた。そのうちひとりは《Bringing It All Back Home》を小脇に抱えていた。ボブにサインしてもらおうという算段だ。そいつはオレがレイヴのスタッフ・シャツを着てるのを見ると、こっちに寄ってきていくつか質問した。オレは、ディランがどのドアを使うかわからないと答えた。わからないというのは本当だった。だが、ボブは正面玄関からは入らないことと、アルバム・ジャケットにサインしてもらおうというファンの努力が徒労に終わることは、わかっていた。それでもなお、サインをもらおうと頑張るのはとてもワクワクする。それはオレもよく知っている。
レイヴ従業員の間で使われている隠語がある。出演者の大ファンのことをファン・ボーイと言うのだ。こう呼ばれたい奴はひとりもいない。当日出勤メンバーとして、もしマネジメント側にこいつは誰々のファン・ボーイだと知れたら、そのアーティストに近づけるバックステージの担当にはさせてもらえない可能性が高い。長年の間には、オレたちスタッフの中に、アーティストに近づいてサイン等をねだった者が少数だがいた。こういうプロ意識に欠ける態度は、このホールでは稀だが、たとえそうだとしても、ファン・ボーイとそいつの愛情の対象とは距離をとっておくというのが最良の策なのだ。
オレはこの不文律に気づいてたのだが、ボブへの興味を押さえることが出来ないオレは、それを隠そうともしなかった。レイヴの敷地内に入るやいなや、夜のコンサートの出演者である「ボブ・ディラン&ヒズ・バンド」マーキーの写真を撮った。このデカデカと書かれた宣伝の下には、小さな文字でラッパー、K.R.I.T.が地下のホールで別のコンサートをやることを宣伝していた。メインドアのところに来た時、駐車場管理人のロビンがオレが写真を撮影してたのをからかった。「お前、K.R.I.T.の大ファンだったっけ?」 オレたちは笑った。オレは見ての通りディランの大ファンだと告白した。
オレは中に入って出勤のタイムカードを押し、コーヒーを入れながらキッチン・マネージャーのロリと話した。その日の夜のことを考え、ためらいながら訊いた。「ボブ・ディランにディナーを用意するんですか?」 いいえが答えだった。「ボブのツアー・バスにはお抱えのシェフも乗ってるのよ」 「それじゃ、ボブはあなたの料理を食べるチャンスを逃しちゃうんですね」とオレが言うと、ロリは微笑んだ。オレは自分のコーヒーを持って上の階の廊下に行くと、グッズ売場のテーブルを設営してる奴がいたので、地元の人なのか、一緒にツアーしている人なのか訊いてみた。「一緒にツアーしてるんだ」 愛想の良さそうな人だったので、話を続けた。「ボブもアパレルを売ってるけど、それはコンサート会場では売ってないですね」 彼は仕事の手を止めた。それまでは考えてもいなかったが、オレに言われて、あ、そういえばと思ったようだ。「あの新しいバーキング・アイアンズだろ。そうだねえ。ここでは扱ってないなあ」 オレが見たところ、Tシャツとポスターしかなかった。
ディランが最近やってる音楽以外の事業----値段の高いDCブランド----をオレはよくは思ってない。その広告は1970年代の『National Lampoon』のパロディーのように見えた。オレが働いてるホールでボブが演奏してくれるのは嬉しかったが、ボブの興味がファッションにあるってことが気に入らないので、最近は少し興味が減じていた。もしくは、そう自分に言い聞かせていた。しかし、コンサートの前の晩は、興奮して眠れなかった。グレアム・パーカーの言ってることは正しい。「情熱って普通の言葉じゃない」
グッズ売場係の男とは、予想以上に長い時間、話し込んでしまった。手伝いが必要なところはないかと、会場の前のほうに行ってみたが、手は足りてるようだった。おかげで、仕事仲間としゃべったり、ボブ・コミュニティーが徐々に大きくなるのを観察する良いチャンスになった。アルバムを持った男はまだ門のところで待っていた。オレは他の善意のお客さんたちに歩道から出ないようにお願いした。先輩スタッフのホークのところにボールルームに来いという指令が届いたので、オレも一緒に行った。仕事という理由が出来で嬉しかった。コンサート前にボールルームに入って、ステージを設営する様子を見ることが出来ないかと、ずっと思ってたからだ。そこに着くと、ホークとオレは駐輪場にあるみたいな柵----これは立ち見の人が指定席のセクションに入ってこないようにするためのものだった----を正確な線に沿って置いた。
オレたちが柵を設置してる時、夜のパフォーマンス用のステージが組まれていた。アンプや楽器が所定の位置に置かれ、チェックされてた。その中にはアップライト・ピアノもあった。昔風のスタジオ・ライトがステージの照明に使われることになるのだという。そして、正装したマネキン(!)もステージを囲むように並べられていた。バンドのメンバーはまだ現れてない。これはフォーマルなサウンドチェックではなく、セットアップと機材のテストだった。裏の階段とステージの間のエリアはカーテンで遮断され、観客はステージに登場する前のパフォーマーは見えないようになっている。ショウビズ、入場の時の技だ。
ホークはオレと他の2人のスタッフを夜の要所の担当に任命した。「言われたことをしっかりやる人間」だからだ。これは誉め言葉だ。このホールの「頭をもってる」スタッフの1人と思われてるってことだ。大変名誉のあることだった。この晩、最も優先順位の高い仕事は、携帯電話のスイッチをオフの状態にすることだ。他の連中も同様だった。オレの持ち場はレイヴのステージの右にある楽屋のドアだった。ここは普段、オレが「アイソレーション・タンク」と呼んでるところだが、ホークによると、バンドはこのドアを使ってバスからこの建物の中に入ると思われるとのことだった。いいね。オレは言われた持ち場だったらどこでもつきますと言ってたのだが(K.R.I.T.のコンサートの仕事もやりますとも)、ホークは、オレが、もし可能だったら、ボブ・ディランを間近で見ることのチャンスを欲しがってることを知っていた。
まだ午後3時だ。早く出勤しといて良かった。正面のドアは6:30まで開かないが、それでもやるべき仕事はたくさんあった。オレの仕事は熱心すぎるディラン・ファンをバックステージに入れないことだったが、もっと奇妙なことが既に起こっていた。楽屋の家具のほとんどが、オレの持ち場である控えの間に移されていたのを見てビックリした。部屋の模様替えをやったのかと思ったのだが、ボブ・ディランの旅行用トランクを入れるためにソファーや机、テーブルを片づけたのだと言われた。背の高い女性が楽屋で忙しそうにしていた。ボブの衣装アシスタントだ。とても仕事に集中していて、ハンガーにかかったコートやズボンを持って----この晩の衣装はこの中から選ぶ----忙しそうにしながらオレを前を何回か通り過ぎた。短い緑色の髪をした女性が、携帯電話で話をしながらオレの担当のエリアを通った。ツアーのスタッフだろうが、オレはそれを証明するものを見る必要があった。少し話をした後、彼女は別のところに電話をした。
その時、階段の開口部からいろんな声がした。この人が突然、電話を終わらせて言った。「あの人がツアー・マネージャーよ。声を聞けばわかるわ」 そのマネージャーが階段を上がってきて、オレの視界に入った。そいつの後ろにいるのがボブ・ディランだ! 見るからにボブだ。階段を上る足取りはゆっくりだが、78歳という歳のせいじゃない。ディランは立ち止まりながら、階段の壁に貼ってあるポスターを見てるのだ。B・B・キング、コールド・プレイ、パール・ジャム、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、トゥパック・シャクール等、過去にこの会場に出演したアーティストのポスターだ。ボブは1つ1つを見る。眺めるのにかける時間はポスターによってさまざまだった。急いでない、ゆっくりとしたペースだったので、オレにはボブをじっくり見るいい機会だった。黒のレザー・ジャケットを着て、黒のズボンを穿いていた。
ディランには超隠れたがりという評判があるので、フードを被って人から見られないようにしてるのかなあとオレは思っていた。ボブはそういうトレーナーを着てたのだが、階段の一番上に到着する頃には、そのフードは下げられていた。どうやら、フードをしてたのは、人から隠れるためではなく、午後の嵐から身を守るためだったようだ。ディランは心に覆いはしておらず、会場に興味を持ってる様子だ。ツアー・マネージャーともよく話している。ポスターを見た後、ふたりはオレの前を通り過ぎて楽屋に入っていった。ドアは開けっぱなしだ。ドアが開いてること自体は珍しいことじゃないが、たいていのアーティストはいつも閉めといてくれと言う。閉まってないとダメという強迫観念でもあるかのように。ふたりは部屋の通路の奥の方に入り、オレの視界から消えた。
この空間をチェックしてたのだと思う。ボブはOKだと言ったに違いない。数分後にふたりは出て来たのだから。たぶん満足して。オレから6フィートも離れてないところに立ってるボブ・ディランに、マネージャーは暗いレイヴのホールを指さして言った。「あっちでもコンサートが出来るんだ」た。ボブはそれに感心したようだった。ふたりはツアー・バスに戻るために階段を下り始めた。途中、ディランは足を再び止めて、トゥパックのポスターについてマネージャーに何やら言った。ボブはさっきより長い時間、眺めてから、残りの階段を下りて、オレの視界から消えた。
バンドがサウンドチェックをする予定の時間が近づいてきた。会場の無線で警告が発せられた。「非公開{クローズド}サウンド・チェックまであと20分」「非公開のサウンドチェックまであと10分」 「非公開{クローズド}サウンドチェック」とは、バンドがコンサートの準備をする際、パフォーマーと伴奏者、スタッフ以外は中に入れないという意味だ。オレはボールルームで何が行われてるのか聞くことが出来た。上の階から吹き抜けに音楽が聞こえて来たからだ。ボブが階段を下ってバスに向かうのを目撃してるので、ボブがそこにはいないことはわかっていた。
ボブがいないのは驚きでも何でもないが、サウンドチェックそのものでは予想外のことが行なわれていた。長い音をずっと出していたのだ。会場の音響レンジをテストしてたのかもしれない。30分以上、断続的に、長い音を出していた。音を止める、そしたらまた、出す。通奏音{ドローン}は時に教会のオルガンを彷彿させるものだったが、ボブのバンドにはオルガンはない。長い通奏音の間はヴォーカルもドラムも聞こえなかった。
ある時、グループ全員が〈Things Have Changed〉のエンディングの練習を始め、バンドの誰かがメンバーにコード進行を叫んでいた。ディランは最近、コンサートのオープニングに〈Things Have Changed〉を使い始めた。クインテットはこの曲のエンディングを何度も演奏した。ヴォーカルなしで。ディランのツアー・バンドには2人の新メンバーがいるので、この種の練習をするのは筋が通っていた。実際、もっとやらなかったことにオレは驚いたくらいだ。
バンドと音響スタッフは満足したに違いない。ボールルーム係のスタッフは戻ってセッティングを続けていいという館内無線が入った。ただし、「静かに、が合い言葉だ」 ディランのバック・バンドがステージから去ると、ピアノの調律師の番になった。ボブがその晩のコンサートで弾く予定の黒のアップライト・ピアノのピッチをパーフェクトに合わせるのだ。
その日の午後、オレはホールの「ランナー」、ヘイリーにボブ・ディランと接触する予定はあるのか訊いた。アーティストを空港から連れてきたり、ホテルに運んだり、ドリンクやタオル等を持って来たりするのが彼女の仕事だった。なので「ランナー」なのだ。ヘイリーは答えた。「全然。このコンサートは中の仕事だけよ。アーティストのバスの中には何もかも完備されてるの」 このホールでプレイする大物アーティストとは、こうしたアプローチが違う。多くのアーティストはぎりぎりの時間に飛行機でミルウォーキーに到着して、バンドとはステージで会って、それから、次の町へと飛んで行く。
ボブはバスで移動しており、オレが警備を任されている楽屋の中で、衣装アシスタントとステージ開始前の最後の準備をすることになっていた。これは筋が通っていた。78歳ともなると、ボブが人前に登場するために行なう後方支援は複雑に違いない。ボブのスタッフが話してるのを耳にしたのだが、7時頃ホールに戻って来て、8時開始のコンサートのために準備をするというスケジュールらしかった。
6:20に楽屋のドアが急に開くと、衣装係の女性が叫んだ。「ヒューズが飛んじゃったわ!」 彼女はドアをバタンと閉め、オレを睨みながらこのメッセージを発した。「ドアを開けてくれませんか。部屋のどの箇所で問題が発生したのかわかるように」とオレが訊くと、「そうするとどう違うのかしら!」と甲高い声で言い返したが、ドアを開けてくれたので、オレは中を見た。オレたちに一番近いところが一番暗かった。明らかに、あまりにたくさんのアイロンとドライヤーを繋いでしまったのが原因だ。この1926年に建てられたこのビルの配線は、こんなにたくさんの電気を割り当てるようにはなってない。
衣装係が叫ぶ。「ボブがもうすぐここに来るのよ! スタッフに繋がった?」 オレは「まだです」と答えたが、停電の場所はわかってるので、オレはもう1度無線で連絡した。1分もしないうちに、スタッフの1人が到着してヒューズをリセットし、彼女は仕事に戻った。この人がオレに詫びることはなかったが、その晩の残りはとてもいい人だった。落ち着いたからかもしれない。緊張状態がどういうものなのかオレは理解した。薄暗く、アイロンが冷たいままの楽屋に、自分が担当するアーティストに入ってきてもらいたくない。簡単にトラブルが解決して、オレも嬉しかった。
リセットしたヒューズがまた飛んだ。オレは会場側のスタッフに、またこういう問題が起きたら対処出来るように、オレにやり方を教えてくださいとお願いしてみたが、「ノー。会場の経営側は、誰が楽屋に出入りするのかってことにとても神経質になっている」 わかった。今晩は特にそうだろうと、オレは思った。幸運なことに、ヒューズがまた飛ぶことはなかった。
ボブの横には専属の大柄で強面{こわもて}のボディーガードがぴったりついてるのだろうと思ってたのだが、いなかった。ツアー・マネージャーがディランの連れで、ボブはとてもフレンドリーにしていた。ボブのスタッフが来るたびに、オレは立ち上がった。緑の髪の女性は、そんなことする必要ないと言ってくれたが、ボブが来ると思った時には、立ち上がらないことなんて出来なかった。
そういうディラン警報がはずれた時----つまり、ディランが現れたわけではない時----マネージャーは通り過ぎる時に、笑顔で声をかけてくれた。「キミが私たちを守ってくれてるのかね?」 オレは笑って答えた。「頑張ってます!」 マネージャーはオレが注意を怠ってないことを評価してくれたのだと思う。興奮してるファンに対してオレに出来そうなことなんてそんなに多くはないのだが、無線があるので、追加の支援はすぐに来る。ヒューズが飛ぶトラブルのあった時がその証明だ。一部のディラン・ファンは危ないので、オレはいつもより厳しくバックステージIDの確認を行なった。誰からも苦情は出なかった。それに、幸い、支援を要請する必要も全く生じなかった。それはいいことだった。無線による会話から、その晩は、会場のスタッフ全員が既にとても忙しく働いてることがわかってたからだ。
オレは会場の料理係にボブの食事を用意するのか訊いた時にはかなりためらいがちで、グッズ販売のマネージャーと話した時にも慎重だった。バンド・メンバーが通り過ぎたが、一言も発しなかった。でも、ボブのベース・プレイヤーが立ち止まって、ウィルコールの窓口はどこ?と訊いてきたので、これぞ好機と見た。「ガーニエさんですよね」 「ええ」 この人は話しかけても大丈夫そうだ。ボブのことは訊かないほうがいいと知ってたので、こう言った。「テキサス時代からあなたの演奏のファンなんですよ」 つまり、約40年前にスウィング・バンド、アスリープ・アット・ザ・ホイールのベーシストだった頃からってことだ。「本当?」 トニーは喜んでそうだ。妻と私はテキサスで暮らしてたことがあると話した後、オースティンはかなり変わったということや、テキサス一般のことを話題にした。トニーから質問されたことを思いだし、ウィルコールの窓口のほうを指さして教えた。姪っ子がそこに荷物を届けといてくれたそうなのだ。トニーはバスに戻る際、再度ここを通りながらオレに言った。「この会場のもてなしは最高だね」
まだいくつか訊きたいことがあったが、トニーを質問責めにするほどオレは野暮じゃない。用意しといたものの言葉に出せなかった話題は、一般的な世間話からマニアックなものまで多岐に渡ってたが、是非とも訊きたかったのがトム・ウェイツとの仕事についてだった。ウェイツと一緒にツアーはやったのか? それとも、スタジオ限定だったのか? スプリングスティーンの〈Fire〉をロバート・ゴードンがレコーディングした時にはガーニエがベースを弾いたのか? ボブ・ディランはピアノの調律師もツアーに同行させてるのか? それとも、オレがこの2時間耳にしてるのはここミルウォーキーの奴の出している音なのか? 機材に関する質問は禁じられた領域に近いものだっただろうか。それはともかく、オレはトニーとの短い会話を楽しんだ。たとえ特に何の意図もなかったものなのだが、トニーのほうから始めた会話だった。
ディランのスタッフが言ってたように、ボブは午後7時に建物に戻って来た。入って来た時には、ディランは再度、コンサート・ポスターを見た。こっちにもっとありますよとオレは言いたかったが、言わないほうがいいことはわかっていた。ボブは楽屋に入り、今度はドアを閉めた。ツアー・マネージャーからは、今からは衣装係以外は誰もその部屋に入れちゃいけないと言われた。「ケータリングもダメ。クルーもダメ。誰もだ」 マネージャーの口調は優しかったが、真剣なことは明らかだった。オレは承知しましたと言った。
嵐は続いていた。会場はまだ開いてない。ということは、皆は外にいて、冷たい雨の中で待ってる。ボブのスタッフがボールルームの準備はOKと言ったので、6:30にやっと客を入れることが出来るようになった。とはいえ、列はゆっくりとしか進まない。駐車で問題が生じていた。会場の駐車場はもう満杯なのだが、レイヴに来たことのない人がたくさん、このショウを見に集まった。彼らはこのエリアに詳しくない。小さな窓からも、ミシガン・アヴェニューをゆっくりとしか動かない車のヘッドライトと、降りしきる雨の中を歩く人々が見えた。
案内係が持ち場に着く。携帯電話と写真については厳しいお達しがあった。どっちもダメ。メールのやりとりも大目に見てはいけない。使用者の顔を光が照らし、ミュージシャンの気を逸らしてしまう可能性があるからだ。ディランのセキュリティー長が言うには、会場側のスタッフが注意を怠らなければ、メールと写真撮影はやめさせ易いとのことだった。警備の目の届かないところにあるものはコントロールするのは難しい。「最近のショウでの最大の問題2つはパニック発作と心臓発作だ。ボブを見て興奮してのぼせてしまうファンもいる」 オレはそんなこと考えてもみなかったが、確かにそうだ。ボブ・ディランのコンサートを見に来るファンの高齢化が進んでいる。
会場がオープンするやいなや、座席でトラブルがあるだろうという不安が的中した。金を払って確保したはずの席がない客がいるという無線の会話を何度か耳にした。特にバルコニー席でこうした事態が頻発した。持ち場が向こうじゃなくて良かった。オレはディランがステージ用の衣装をビシッと決めて楽屋から出てくるのを待った。だが、午後8時ぴったりに音楽が始まるのが聞こえてきた時、ディランが違うルートを通ってボールルームに行ってしまったことを知った。楽屋には出入り口がいくつかあったのだ。ミュージシャンたちは別の階段を使ってコンサート・ホールに行ったに違いない。
上の階でコンサートが進行してる時、ボブの側近のひとりが立ち止まって話しかけてきた。「キミ、1日中ここにいるよね。何か持って来てあげようか?」 オレは「そんなに手間でないなら、コーヒーをいただけると嬉しいんですけど」と答えた。すると「バスには超優秀なカプチーノ・マシンがあるんだ。1杯持ってくるね」と言って、この人は本当に持って来てくれた。オレがお礼を言うと、この人はコーヒーがコップにいっぱい入ってないことを謝った。「誰かが今日、たくさん飲んじゃったみたいだ」 おいしいコーヒーだったので、量のことなんてどうでもよかった。しかも、これはボブのツアー・バスの紙コップなのだ! こんなものを持ってるだけで興奮するのって変? もしそうだとしたら、変な奴ってことでいいよ。
コンサートが終わりに近づいていた。ボブのクルーが、演奏曲に基づいてタイミングの指示を出していた。「〈Train to Cry〉が次だ。バスの運転手に準備をするように伝えろ」 衣装係はスタッフたちに、衣装トランクをバスに運ぶよう指示を与えていた。会場から素早く去る準備をしていた。もうボブ・ディランを見ることはないのだろうと思ったが、3回接近遭遇してるので幸運だったと感じていた。直接話はしてないが、少なくとも近くで見ることが出来たのだから。
しかし、アンコールが終了し、歓声が小さくなり始めた時、スパンコール付きのジャケットを着た立派な身なりの男が楽屋のドアから出てきて、オレのいるほうに歩いて来た。ヘイ! この人はグループのメンバーだ! 次には、さらに4人がオレの持ち場に入って来た。もちろん、最後に来たのがボブだった。彼らはツアー・バスに戻るために、この道を通過していった。
6人のミュージシャンが狭い楽屋から出てくるなり、バンド・メンバーのひとりが言った。「いいセットだったよ、ボブ!」 楽屋より広い私の持ち場のところで、ディランはバック・クループのメンバーひとりひとりと長いハグをした。白いジャケットに身を包んだディランは疲れてるようだったが、とても満足している様子だった。この晩はうまくいったとボブが思い、バンドの演奏に満足していることは明らかだった。オレはただ立って見てるだけだったが、ショウが終わった後の祝賀的会話を楽しんだ。
バンド・メンバーはボブが立ってるところとオレの間にいたのが、オレはその時初めて、ボブが小柄であることに気がついた。ボブ・ディランはチビではないのだが、グループのメンバーのほうがボブより数インチ背が高かった。オレはボブがよく見えるように少し横にずれた。と同時に、ボブがこっちを向いてオレと目が合った。こっちを眺めて、オレがカメラを持ってないか確かめたのかもしれない。胸のところで腕を組んで立ってたオレは、危ない奴には見えなかったのだろう。ボブはすぐに注意をバンドのほうに向けてしまった。彼らはもう少しの間、会話をした後、階段を下り始めた。
ボブ・ディランとマネージャーは一番後だった。ディランは援助など必要としてなかったが、マネージャーは注意を怠らず、後ろから足下を見てあげていた。オレは彼らが階段を下りるのをじっと見ていた。ふたりの姿がセメントの階段と鉄の手すりによって飲み込まれて見えなくなってしまう寸前に、マネージャーはオレを見て、笑顔で軽く会釈をしてくれた。オレはこれが感謝のジェスチャーだったと思いたい。その晩がスムーズに進行するのを助けてくれてありがとうということなのか、自分が担当するスターの邪魔をしないでいてくれてありがとうということなのかはわからないが、1つだけ確かなことがある。ボブ・ディランはこの建物から去った。
息子を初めてディランのコンサートに連れてった時、こいつはサインが欲しいと言っていた。バカげた考えではないが、そんなチャンスはないだろうと、オレは息子をやさしく諭した。レイヴ公演の日の昼間に、門で会った若者はボブにサインしてもらおうとアルバムを持ってきていた。こいつもまた本懐を遂げられない運命であるのはわかってはいたが、オレはこのファンに言った。「その気持ちわかるよ。オレもそうだから!」 愚かなことに、オレがその日、持って来たカバンの中にはディランの《Tempest》のアルバムとサインペンが入っていた。想像出来ない事態が起こった時のために、入れておいたのだ。そんなことは起こらなかったのだが、思い返すと、想像出来ない事態なら一晩中起こり続けていた。
著者:トム・ウィルメス
ゲイリー・バートンやハル・ホルブルック等から高く評価されている『Sound Bites: A Lifetime of Listening』の著者。
"Standing in the Doorway: Working Security at Bob Dylan’s Milwaukee Concert"
https://somethingelsereviews.com/2019/11/11/bob-dylan-milwaukee-2019-the-rave/?fbclid=IwAR2Gd7Hb4tLafeUvrUkHkaFEutONqqhhVneK9N8FEqzcehKIGeTOHWvpQEw