2022年02月15日

ジョン・レノン・ミーツ・ジェリー・ガルシア 新音源発見か?

 ビートルズ・ファンはグレイトフル・デッドのことなんて全く眼中にありませんが、デッドのファンはこのバンドがビートルズと少しでも縁があると大喜びする傾向があります。リンダ・イーストマンが撮影したデッドの写真を見て、「これ、ポールと会う前だぜ」って言ってみたり、アップル屋上でジョージが弾いてるテレキャスターを見て、「1年半後にフェスティヴァル・エクスプレスでジェリーがそれを弾いてるんだぜ」って言ってみたり、まあ、カワイイもんですが。
 今日、2月15日はメリサ・マンチェスターの誕生日ですというLegacy Recordings JPの記事をfacebookで見かけ、そういえば、ジョンがニューヨークのボトムラインにジェリー・ガルシアのコンサートを見に行った時に、一緒だった人だよなあってことを思い出し、写真でもないかなあと思ってインターネットを検索したところ、写真はありませんでしたが、何と、ジェリーの演奏と客席にいたジョンのコメントと思しきものが収録された音源が、昨年12月の時点でネットにアップされてるじゃありませんか! もしかして、これは世紀の大発見!?
 まずは、『Songs to Fill the Air: Tales of the Grateful Dead』に載ってる話を紹介しましょう。
 1974年11月5日----ジェリーは一緒に演奏したいというジョン・レノンの申し出を断ってしまった。ニューヨークの伝説的ナイトクラブ、ボトムラインにジェリー・ガルシア&マール・サンダースとして出演している時のことだった。
 当時まだ「失われた週末」の真っ最中だったレノンは、キース・ムーン、ハリー・ニルソン、アリス・クーパー、ミッキー・ドレンツ、リンゴ・スターといったミュージシャン仲間とよくつるんでおり、彼らには「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」という異名があった。
 レノンの失われた週末のご乱心が頂点を迎えたのは1974年3月12日のことだった。ジョンとハリー・ニルソンはロサンゼルスを代表するナイトクラブ、トルバドールでスマザーズ・ブラザーズに野次を飛ばしまくって、遂には会場から追い出されてしまった。「オレは酔って叫んでた」とレノンは後に告白する。「あの晩、初めてブランディー・アレクサンダーズってものを飲んだんだ。ブランディーをミルクで割ったものだ。ニルソンと一緒にいたんだが、あいつはオレほどマスコミにマークされてないからって、オレをけしかけるんだよ。いつもなら「もういいだろ、レノン。おとなしくしろ」って言ってくれる人がいるんだけどね」
 ボトムラインはオープンしてまだ9カ月しか経っていなかったが、既に、ヴィレッジ界隈で最もヒップな会場としての評判を得ていた。スタンリー・スナドウスキーとアラン・ペッパーが共同オーナーで、レノンは早めに会場内に入れてもらえていた。ブロンクス出身で当時23歳のの新人シンガーソングライター、メリサ・マンチェスターを引き連れて、ペッパーが用意した中央のテーブルに座っていた。
 ジョンは22歳の大学生、スティーヴン・ビコウスキーとグレイトフル・デッドについてしゃべりながら、一晩中、コカインを吸っていた(マンチェスターはやらなかった)。スティーヴンはレノンが《Wake of the Flood》を話題にしたことを覚えている。
 アイルランド人だったら「legless」と言うであろう状態[=泥酔]になっていたジョンは、ジェリーの「スタッフ」に一緒に演奏したいと伝えた。ブレア・ジャクソンが書いたジェリーのセンセーショナルな伝記『Garcia: An American Life』では、ベーシストのジョン・カーンの思い出話が紹介されている。「レノンが「ガルシアのギターよりデカイ音のするギターはないの?」って言い、それがジェリーに伝えられると、ジェリーは「あるわけねえよって答えておけ」って言ってたよ」
 6年間、ジェリーのパートナーだったマナシャ・ガルシア(結婚前の姓はマティソン)は言う。「ジェリーはよくその晩のことを話してました。ジェリーによると、問題は酒で、ジョンはガンガン飲み続けてたそうです。ジェリーがその晩のことをじっくり話してくれたことがあります。ジョンはヨーコと別居してたことで荒れてたんじゃないかって、ジェリーは言ってました」
 「ジェリーは、一緒に演奏したかったなあって言ってました。ジェリーはジョンをアーティストとして愛し、尊敬してました。演奏しなかったのを深く後悔していて、そんな話をしたのは1度だけじゃありません」
 その3週間後の11月28日、感謝祭の日にマディソン・スクエア・ガーデンで行なわれたエルトン・ジョンのコンサートに、レノンは飛び入りし、それが人前で演奏した最後の機会になってしまった。
 ガルシア=サンダースの公演中、ずっとレノンの隣にいたスティーヴン・ビコウスキー(当時22歳)は、あれから45年を経た後(2019年)にこう語ってくれた:

 ボトム・ラインに行った11月5日の晩は、寒くて湿っぽかった。ジェリーとマールが1晩に2ショウずつ3日連続で行なう予定のコンサートの1回目でした。オレは友人{だち}のアラン・ペッパーに、6回のギグ全部のチケットが欲しいって言った。理由を訊かれたので、オレは言った。「だって、ショウごとに中身が違うからさ」って。
 オレがアーリー・ショウに間に合うように到着すると、西4丁目とマーサー・ストリートが交わるあたりは賑わっており、オレは人をかき分けながら中に入った。1回目のショウはひとりで見て、レイト・ショウではクリフ・ラスとアート・ゴールドスミスと合流する予定だった。片足を切断手術をしたばかりのクリフが列に並んで待ってると思うと、オレは心配になった。
 アーリー・ショウはそよ風みたいなものだった。ジェリーは再び髭を生やし、黒のタートルネックを着ていた。ショウが終了すると、アラン・ペッパーがやって来て、オレに席を離れるなと言った。「ここが空になるのを待ってろ。お前に席をあてがってやるから」
 ウェイトレスたちが掃除をしている間、アランから真ん中の丸いテーブルに座るように言った。そこがVIP用のテーブルだってことをオレは知っていた。ひとりで座ってると、アランが突然やって来て、ジョン・レノンとメリサ・マンチェスターを紹介し、ふたりをオレの隣に座らせた。ジョンは生涯最後となったヘッドライニング・コンサート(1972年8月30日にザ・ガーデンで行なわれた発達障害児童のためのチャリティー・コンサート、「ワン・トゥ・ワン」)のステージで着てた緑のアーミージャケットを着ていた。ジャケットには胸ポケットが2つついていた。その下にはデニムのシャツも着ていた。
 飲み物を注文すると、会話がすぐに始まった。ジョンはグレイトフル・デッドの神秘性についてオレを質問責めにし、ジェリーは小さなクラブで演奏することが出来てうらやましいと言った。ファンがコンサートを録音するのをデッドが許していることにも興味津々で、毎晩、選曲を変えて違うショウをやってることにもビックリしているとも言った。ジェリーがモータウンの曲も演奏するってオレが言うと、ショウがまさに〈Second That Emotion〉で始まったので、ジョンは驚いていた。
 どこかの時点で、オレはアランをつかまえて、友人{だち}のクリフが外で待ってると伝えた。メリサもジョンもアランも「おいおい!」ってなり、アランからは探して連れて来いと言われた。彼にエスコートされて外にでると、レノンの白のリムジンが道の斜め向こうの隅にとまっていた。列の中にいるクリフを見つけて中に入れると、こいつもメリサ、ジョン、オレの会話に加わった。悲しいことに、数年後、クリフは癌で亡くなった。
 ドアが開き、人がドドッと入って来た。皆、ジョンに気がつき、殆どの連中がやって来て、ジョンにジョイントを「差し出し」ながら言葉をかけ、去っていったので、ショウが始まる頃には、ジョンの胸ポケット両方がジョイントで膨らんでいた。アート・ゴールドスミスもオレたちのテーブルに来て、自己紹介し、ショウを楽しんだ。アートは今ではヴァージニア州レキシントンにあるワシントン&リー大学で経済学の教授をやっている。
 ショウが始まった時、オレはジョンが「レザー製のポーチ」とスプーンを出したのに気づいた。ジョンは一晩中、スプーンでコークをすくってたが、メリサは全く手を出さなかった。ジョンはショウの前にジェリーには会ってないと思う。ジェリーは何曲かやってから、やっとジョンに気づいた。ジェリーはオレの隣に誰が座ってるのか気づくと、目をぐるぐるさせながらオレを見た。ホットなショウだった。ジョンはシーン全体を堪能していた。
 ショウが終わると、アランはジョンがジェリーに会えるよう、メリサとオレも一緒にバックステージに案内した。バックステージはマイルドなカオス状態で、自分をハイな状態に「再チューニング」しようとしている連中もいた。ジョンとメリサに紹介された時、ジェリーはとても社交的だった。ジョンはジェリーに、ビートルズの曲をいくつかカバーしてくれたことに対する感謝の言葉と、他愛ない軽い冗談をいくつか言った。ジェリーはジョンに、明日の晩、飛び入りしたかったら大歓迎だよと言っていた。
 ジョンはうんと言ったが、来なかった。
 でも、2晩目も3晩目もとてもいいショウだった。

Songs to Fill the Air: Tales of the Grateful Dead, pages 31, 32 and 33.

  


 ジョンはジェリーと会って、〈Imagine〉をカバーしてくれてありがとうって言ったという情報もありますね。念のため、https://jerrybase.com/を調べてみたら、1974年11月のボトムライン公演のセットリストは完全にはわかってなく、こんな状態です:

JGB Bottomline.jpg


 以上がこれまでにわかってたことです。で、本題に入ります。soundcloud.comに2019年12月26日にアップされていた次の音源の存在に私は数時間前に気がつきました。




 ざっと聞いたところ、Part 1と2合わせて1時間半の音源には以下のものが収録されていました。オーディエンス録音で、グレイトフル・デッド関係の他のテープと比べると音質は良くありません:

Part 1
 Tough Mama
 ?(instrumental)
 That's What Love Makes You Do
 ?(instrumental)
 ?(Merl Saunders on vo?)
Part 2
 ? (Part 1 からの続き)
 0:37 ジョンらしき声
 Roadrunner
 The Harder They Come
 28:00〜 再びジョンらしき声

 録音者は曲と曲の間はテープを一時停止しています。恐らく、だらだらチューニングをやっていたからでしょう。Part 2のほうに2箇所で聞こえるジョンらしき声は、マイクにかなり近く、もしかしたら『Aces Back To Back』の記事に出てくる人の誰かが録音していたのかもしれません。最初の方では「セットが始まって30分くらいしたら演奏がワイルドになってどうのこうの…」、コンサート終了後のコメントでは同行者と「ショウの真ん中辺ではテキーラがどうのこうの…」なんて話しているような感じです。〈Second That Emotion〉は入っていません。もしかしたら〈Tough Mama〉の前に演奏されていたのかもしれません。〈The Night They Drove Old Dixie Down〉も入っていません。

 午後のティータイムを返上して取り急ぎこの記事をまとめました。タイトル不明の曲やジョンの発言内容、知らなかったのはお前くらいのもんだよ等、皆さんからの情報をお待ちしております。
 
   
posted by Saved at 16:56| Comment(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする