2022年12月31日

カスタマーレビューがいつのまにか増えてます

 2022年大晦日夜の時点で、『ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事』にはカスタマーレビューが4件に増え、『「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道』は5つ星が1件ついています。ありがとうございます。kindle unlimitedに登録してるので、少しでも興味のある方はじゃんじゃん読んでください。

ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事 - アンドリュー・J・リーヴ, 加藤正人
ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事 - アンドリュー・J・リーヴ, 加藤正人

「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道 (ロックンロール叢書) - CP・リー, 加藤正人
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2022年12月28日

イギリス史におけるサヴィル・ロウ3番地の役割

 7年前の記事なんですが面白いので紹介します。私は軍事には全くの門外漢なので、階級名等が違ってる場合は教えてください。


イギリス史におけるサヴィル・ロウ3番地の役割
6層の歴史

文:Dr.グレッグ・ロバーツ


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メイフェア、サヴィル・ロウ3番地


 ロンドンのメイフェア地区にある第2級指定建築物に分類されるマンションハウスは、改装されてアバークロンビー&フィッチという子供用衣料品店になるのを阻止しようという運動が失敗に終わったことで、先頃[2014年末〜15年1月]ニュースになりました。今日はこの番地の歴史を皆さんに紹介しましょう。この偉大な建物の歴史を知ると、ここにアメリカの企業が入ってしまうなんてはまさに皮肉です。というのも、この建物にはイギリスの歴史と非常に興味深く重要な繋がりがあるというのが真実だからです。この建物は1733年に建てられて以来、イギリスの軍事史、文化史の発展に貢献した人物が住んでいました。さあ、中に入ってみましょう。

1. ジョン・フォーブス提督(1714〜1796)

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ジョン・フォーブスはウェルズリー=ポールの義父にあたる


 13歳で海軍に入ったジョン・フォーブスは、数々の出世を遂げて、1781年から死ぬまで艦隊の提督として活躍しました。この時代には、多くの軍人が体が不自由な状態となって戦地から帰還したので、体の障害は高位の官職に就くのに障壁とは考えられていませんでした。フォーブスは歩くことが出来ず、社交界に姿を見せることは殆どありませんでしたが、それでもイギリス海軍全体を指揮することが出来ていました。実際、サヴィル・ロウ3番地の自宅でミーティングを開いてそうしていたのです。フォーブスは1760年頃までここで暮らしました。

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ビング提督の処刑 (1757)


 フォーブスがイギリスの歴史に対して行なった最重要の貢献は、ビング提督裁判への関与です。ビングは1756年にミノルカ島を失ったことで有罪となった人物です。敗北を防ぐために「最善を尽くさなかった」ことで、裁判にかけられ有罪となりました。ビングに死刑が宣告された時、寛大な措置を求める嘆願が出されましたが、ジョージ3世は怒って聞く耳持たずの状態でした。フォーブスはビングの死刑執行令状に署名することを拒んだ唯一の提督でしたが、1757年3月14日に彼が銃殺部隊によって処刑されるのを止めることは出来ませんでした。しかし、この出来事が一般大衆の心に残した影響は大きかったので、軍務中の海軍将校がこの罪で死刑になったのは、これが最後でした。巨大な圧力に勇敢にも屈しなかったことで、フォーブスは高潔で哀れみ深い人物としてその名を知られ、海軍の人員をより公正に扱うことのお手本となりました。
 1784年にフォーブスの双子の娘、キャサリンは海軍三尉、ウィリアム・ウェルズリー=ポウルと結婚し、サヴィル・ロウ3番地で挙げた式には、ゲストとして後にウェリントン公爵になるアーサー・ウェルズリーも来ました。ウェルズリー=ポウルは1797年にこの建物を相続しましたが、貸し出すことにしました。

2. ロバート・ロス少将(1766〜1814)

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 ウェルズリー=ポウルの最も有名な賃借人はロバート・ロスでした。ロスは有名なイギリスの少将で、大西洋を渡ってアメリカ合衆国に軍を進めたことで最もよく知られています。アイルランドで誕生したロスはアレクサンドリアの戦い(1801年)から帰還した後、1805年までサヴィル・ロウで暮らし、その後も、コルナの戦い(1809年)に参戦し、半島戦争中(1808〜14年)はアーサー・ウェルズリーの下で軍務に就きました。ロスは1814年2月27日のオルテスの戦いで重傷を負ったにもかかわらず、イギリス軍の遠征部隊を指揮してアメリカを攻撃することに同意しました。

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今日では信じられないことですが、イギリス軍はホワイトハウスを焼き払いました
(1814年)


 ロスはブレイデンスバーグでアメリカ軍を総崩れにした後(1814年8月27日)、ワシントンDCに軍を進め、ホワイトハウスを含む政府の建物を全て破壊しました。アメリカの地を踏んだイギリスの軍人の中で、ロスが最も記憶に残る人物なのは、おそらくこの活躍のためでしょう。

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ロス少将の死


 しかし、ロスにとってこれでめでたしではありませんでした。彼は1814年9月12日にノース・ポイント近郊でアメリカ軍の狙撃兵によって殺されました。ロスが埋葬されているのはノヴァスコシアのオールド・ベリイング・グラウンドですが、彼の名が刻まれた墓碑はロンドンのセント・ポール大聖堂にあります。

3. ウェリントン公爵(1769〜1852)

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 アーサー・ウェルズリーがインドでの8年間の軍務から帰国した後、最初に滞在したのがブラックヒーズにあるウェルズリー=ポウル家でした。当時はまだ結婚しておらず、ロンドンに家を持っていなかったからです。ウェルズリーは1814年に再び軍務に就くことになっており、ナポレオンの降伏と島流しの後の半島戦争からは勝利の帰還を果たしました。爵位を与えられてウェリントン公爵になったばかりの人物が、ウェルズリー=ポウルの屋敷ではなくサヴィル・ロウを選んだというのは、とてもインパクトがありました。大きな戦功をあげた英雄の姿を一目見ようと、何千もの人々が外に集まって、徹夜までするようになったのです。ウェリントン公爵は1カ月間サヴィル・ロウで暮らした後、パリに戻ってしまいました。

4. ウィリアム・ウェルズリー=ポウル(1763〜1845)

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 ウェルズリー=ポウルは1797年から1842年までサヴィル・ロウ3番地の所有者でした。彼は造幣局長の任期中に新しい銀貨の導入を統括しているのですが、 1817年から1971年に10進法制が導入されるまで、長らく流通していた銀貨がそれです。

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 シリング[1971年まで用いられた英国の補助通貨単位。1ポンドの20分の1。12ペンス。新制度では1ポンドは100ペンスとなり, シリングは廃止]こそ、イギリスの独自性を示す最大のシンボルの1つでしょう。ウェルズリー=ポウルの支援があって、見ればすぐにそれとわかるセント・ジョージとドラゴンのモチーフが出来上がりました。今日もなお使用されているこのモチーフはベネデット・ピストルッチがデザインしたものです。

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5. 山高帽(1849年)

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これぞイギリス----山高帽


 英国紳士といったらステレオタイプ的に真っ先に思い浮かぶのが、山高帽をかぶっている姿でしょう。サヴィル・ロウ3番地は、山高帽発祥の地としての栄誉を求める権利を有しています。ウィリアム&トーマス・ボウラーが1850年に山高帽の最初のプロトタイプを作った人物と言われていますが、この帽子はイギリスの軍人/政治家のエドワード・コウクによるデザインにちなんで作られたというのが一般的な認識です。コウクは、乗馬に出かけた際、狩猟管理人の帽子が木の低い枝にぶつかって落ちるのを見るのにうんざりして、この帽子を考案しました。町にいる時には、コウクはサヴィル・ロウ3番地で暮らしていました。

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山高帽は社会階級を上へと移動


 山高帽は最初はヴィクトリア期の労働者階級でとても人気があるものでしたが、中流階級の実業家の標準的ユニフォームになり、1960年代には、貴族階級にまで広まりました。

6. ザ・ビートルズ(1969)

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 1969年1月30日に、ビートルズはサヴィル・ロウ3番地のアップル・レコード本部の屋上で、最後のコンサートを行ないました。ビートルズは前年6月に50万ポンドを払ってこの建物を購入して、その後の18カ月のうちの大部分をそこで過ごしたと言われています。かの有名な屋上コンサートもこの時期に行なわれました。

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 今でもなお、サヴィル・ロウ3番地はビートルズ・ファンが訪れる観光地となっており、彼らがこの建物を使っていたことを示す青い看板を見つけて上げる叫び声がずっと絶えません。

最後に

 この記事用の調査をしている際に、ネルソン提督の愛人、レディー・ハミルトンに関する記述も見つけました。彼女もかつてサヴィル・ロウ3番地に住んでいたことがあるというのです。しかし、ロス大将よりも前にここを賃借したのでない限り、彼女をこの時間軸のどこに入れてよいのかわからないので、このブログ記事には含めませんでした。しかし、サヴィル・ロウを大切にすべき理由は、ビートルズがいたからだけではありません。このイギリスの重要なファッション地区からアメリカのアパレル・メーカーを追い出すためだけでもありません。この建物がイギリス的なるもの全般----冷静沈着な性格(フォーブス)、軍事行動(ロスとウェリントン)、イギリスの通貨(ウェルズリー=ポウル)、まさにイギリス的な帽子(ボウラー・ハット、山高帽)、そして、ビートルズ----とつながりをもっているからです。
 実際に、サヴィル・ロウ3番地は、私たちが心に抱いている「イギリス的なるもの」にとって非常に重要な、さまざまな人物やシンボルを提供しています。
 2009年にキア・ホールディングスが2,000万ポンドを払ってこの建物を手に入れましたが、その運命はまだどうなるかわかりません。未来は誰にもわかりません。

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デモの様子
歴史を知ってたら、かぶるのは山高帽だろうに!



The original article "3 Savile Row----Its role in British history" by Dr. Greg Roberts
http://www.wickedwilliam.com/3-savile-row-role-british-history/?fbclid=IwAR01FFfDLru1r7ipCkb0hrII35UlmCXxdIxBUj10ACMnXP_kz47djETo1mM
Reprinted by permission

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2022年12月11日

ブートレッガーのインタビューに応じたキース・レルフ

 25年以上前に出たクリントン・ヘイリン著『The Great White Wonders: Story of Rock Bootlegs』に 次のようなことが書いてありました。

 TMQはヤードバーズの2枚のアルバムでも「カラー化」の実験を続けた。このアルバムもまた、珍しい曲や未発表マテリアルを取り揃えたコンピレーション盤であり、ヤードバーズの正規盤の中でも、これ以上に気のきいた形でまとめられているものは殆どない。1973年から74年にかけての冬頃には、ヤードバーズの重要性がコレクター間でも遅ればせながら認められるようになっており、TMQの《Golden Eggs》と《More Golden Eggs》はヤードバーズをそれ相応に扱うことを意図したアルバムであった。《Golden Eggs》が楽しいコレクションだとしたら、《More Golden Eggs》こそTMQの力作だった。《More Golden Eggs》には、スタウトによる素晴らしい風刺画のアルバム・ジャケットに加えて、ヤードバーズのリード・ヴォーカリストであるキース・レルフが収録曲について語っているインタビューを掲載したインサートまでもが付いていた。これこそロック・アーティストがブートレッグに贈った究極の是認ではないだろうか。

ウィリアム・スタウト:俺が《More Golden Eggs》を誇りに思っているのは、それが半分合法的なブートレッグの第1号だったからさ。ヤードバーズのキース・レルフが近所に住んでいたんだけど、彼は丁度アーマゲドンを結成しようとしていて、家賃のための金が必要だったのさ。そこで、俺達はその月の家賃を払ってやるかわりに、インタビューをすることが出来たんだ。キースにブートレッグ・レコードを聴かせて、1曲1曲についてコメントしてもらったのさ。…このインタビューをジャケットに載せて、それから4、5ページのインサートにも印刷して、ジャケットには署名もしてもらった。…《More Golden Eggs》は、子供用の本にイラストを描いているイギリス人イラストレーター、アーサー・ラッカムのスタイルで描いたものなんだ。当時、彼からは大きな影響を受けていたからね。…《Golden Eggs》のジャケットで言いたいことはこういうことだ。金の卵を産んだガチョウを殺そうとしているイタチはミッキー・モストなんだ。こいつがヤードバーズに対して行なったプロデュースは全然好きになれなかったね。「ポップ」なマテリアルをレコーディングするよう強要したのが、バンドにとってマイナスとなり、解散を招いたと思うんだ。


 このインタビュー、読みたいなあと思ってたのですが、該当のレコードがなかなか見つからないまま年月だけが経過してしまいました。しかし、昨年の今頃出版された『A Pig's Tale』にジャケット写真やデータ、そして、インタビューが載っていた裏ジャケやインサートの写真が掲載されていたので、やっと読むことが出来ました。大爆笑じゃん、これ。ヤードバーズが複数のマネージャーによって不本意なことをやらされ、その結果、迷トラック、珍トラックの宝庫と化していった様子が、メンバー本人の口から明らかになっています。

More Golden Eggs.jpg


 ついでなので、『A Pig's Tale』全体を日本語に訳して勝手に電子書籍を作って出版業界の知り合いにあたってはみたものの、今の所、これを出してくれそうなところは見つからず、今回も何人かの友人に見せて笑われるだけの自己満足に終わってしまいそうです。涙。とりあえず、キース・レルフのインタビューだけでも公開するので、読んでください。内輪受けの冗談と思しき意味不明の箇所はカットしてありますが、話題となってる曲はYouTube動画を貼り付けておきました。

12/13追記:イギリスのビートグループに超詳しい人によると、キース・レルフは記憶がボロボロで間違えだらけだそうです。でも、頭のおかしいマネージャーのせいで酷い目にあってるのは、全部本当だそうです。


KIMG4662.JPG


 以下はキース・レルフ(元ヤードバーズ〜ルネッサンス〜ニュー・ヤードバーズ----別の呼び方になるかも----のヴォーカリスト、ハーモニカ・プレイヤー)、ルイス・セナモ(元ルネッサンスのベース・プレイヤー)、マーティン・ピュー (《The Rod Stewart Album》のギタリスト)、ウィリアム・スタウト(Trade Mark of Qualityレコードのカバー・アーティスト)、ベイビー・レイ(Trade Mark of Qualityレコードのカヴァー・アーティスト)、及び、レルフ氏の連れの女性(名前はわからず)の間で交わされた会話である。その内容は、レアで、人には知られていないマテリアルを集めたこのアルバムについてだ。しかし、このインタビューを読み始める前に、次の事実を頭の片隅に入れておいていただきたい。この会話の中で〈Baby What's Wrong?〉に触れている部分があるが、この曲はこのアルバムには収録されていない(契約上の理由で)。


キース・レルフ:オレもどこかの時点で引退しなきゃいけないんだろうな。
ベイビー・レイ:はい、これ。

(テープが始まる)



ウィリアム・スタウト:まずはブルーズから。
レルフ:これは何?
スタウト:知らないの?
レルフ:ああ。
スタウト:〈Shapes in My Mind〉のB面の〈Blue Sands〉だよ。
レルフ:ああ、これはオレじゃない。これはインチキだ。え〜とね、演奏してるのはオレじゃないんだ。当時のマネージャーのサイモン・ネイピア=ベルは、オレをポップ・シングルのシンガーに変えたかったんだよ。B面を録音してる時間は全然なかったから、他の誰かにやらせたんだ。
スタウト:ということは、これはスタジオ・ミュージシャンだけで作ったの?
レルフ:最低だよな。次に行こうか。



〈I Wish You Would〉のスタジオ・バージョン

レルフ:これは何?
スタウト:ギターはクラプトン? これはキースのハーモニカ・ソロの入ったロング・バージョンだよ。こっちが最初のバージョンで、アルバム《For Your Love》に入ってるのは2番目のバージョンじゃないかと思う。
レルフ:この曲をレコーディングしたのは1回だけだよ。このトラックはどこにあったの? オレにはこのトラックの出どころはわからないなあ。レコーディングの時期も。
スタウト:このバージョンは全然覚えてないの? ヤードバーズがあの頃、どういうふうに作業してたのかは知らないけど、まずはラフなスタジオ・テイクを作ってから、それを進化させて最終テイクになってくんじゃないの?
ルイス・セナモ:BBCでやった仕事じゃないかな。
スタウト:そうかも。
レルフ:オレにはわからないなあ(…笑)。とても正確な演奏だから、スタジオでやったものだろう。感情は剥ぎ取っちゃってあるよね。このレコードにはライヴは入ってないの?
スタウト:あるよ。…ハーモニカは誰から影響を受けたの?
レルフ:そうだなあ、最初に影響を受けたのはジミー・リードかな。主にソニー・テリーとジミー・リードだ。ヤードバーズが軌道に乗ってきた頃だ。
スタウト:誰からの影響だって判じるのは難しいなあ。
レルフ:ハーモニカの演奏はそんなに影響は受けてないよ。それがきっかけだったって話さ。…言葉で説明するのは難しいな。はっきりとこれだとは言えないよ。
ベイビー・レイ:キースじゃないとしたら、一体誰が? これはあなたが演奏してるんじゃないの?
レルフ:これはオレの演奏だ。ただ、いつ頃の演奏なのかはわからない。エリックがいた頃だ。たぶん、イングランドで録音したんじゃないかな。
レイ:アメリカでもたくさんレコーディングはした?
レルフ:いや。こっちでは全然やらなかったよ。R・G・ジョーンズみたいだな。ウィンブルドンにある。
レイ:R・G・ジョーンズ?
レルフ:そう。
レイ:その人、誰?
レルフ:サウス・ロンドンにあるスタジオだ。
スタウト:エンディングは〈I'm A Man〉だ。
レルフ:'64年頃かもしれないなあ。シングル・バージョンを録音する前のやったもののようだ。正確にはわからないけど。



〈Baby What's Wrong?〉

レルフ:どこからこういうものを集めてきたんだよ?
スタウト:ヘッヘッヘッヘッ、この曲は知ってるかな?
レルフ:これは絶対にR・G・ジョーンズだ。…一体どこからこれを見つけてきたんだよ?
スタウト:これはガス・ヴァーノン・テープだよ。もっと持ってないのかなあ? エリック時代のヤードバーズの未発表音源はたくさんあるの?(この質問はあくまで歴史的興味から訊いてみたものだ)
レルフ:たくさんあると思うよ。かなりたくさんね。エリックだ。(リード・ギターを聞きながら)…ポール・サムウェル=スミスはレコーディング・セッションのために、3インチ・スピーカーの付いてるテレビのキャビネットを改造して、親父さんのオーディオ・セットからクオードのハイファイ・アンプを引っ張り出して持って来た。
スタウト:ヤードバーズは、この曲の頃にはイングランドでは有名だったの?
レルフ:ヤードバーズが何?
スタウト:ファンはいたんですか?
レルフ:この時点ではまだ駆け出しだから、いなかった。ファンと言える存在はなかった。まだ…。
スタウト:まだ、マーキーに出演するようになる前だよね。
レルフ:そう。前だ。そうすることが出来るように頑張ってる頃だった。ジョルジョ・ゴメルスキーがバンドの可能性を引き出そうとレコーディングを設定してくれたんだ。
スタウト:最初はどんな機材を使ってたの?
レルフ:エリックはワトキンス・ドミネーターを通してたと思う。



〈Questa Volta〉

レルフ:あぁ〜!(大爆笑)
スタウト:この曲はどういう経緯でリリースされたの?
レイ:イタリアじゃ大ヒットしたんだよね。
スタウト:そう。どうしてイタリアで売れたの?
レルフ:マネージャーが、音楽に対する考え方がとても大陸ヨーロッパ指向な奴で、ヤードバーズをサンレモ音楽祭で演奏したR&Bグループ第1号にしようと思ったのさ。ティアラや黒ネクタイっていう、とてもストレートなイベントだよね。それで、まったくもぉ、オレにこの曲を歌わせたわけさ。
レイ:歌詞を覚えるのは大変だった?
レリフ:今でもどんな意味なのかわからない。
スタウト:この曲でバック・ヴォーカルを歌ってるのは誰?
レルフ:全く知らない。
スタウト:愉快なイタリアの女の子たちがスタジオに入って来たとか…。
レイ:イタリアでレコーディングしたの?
レルフ:ストリップのCBSでやったんだ。オレたちには頭のおかしいマネージャーが何人かいたんだよ。
スタウト:クリス・ドレヤが何を演奏してたか覚えてる?
レルフ:演奏してないよ。でも、この曲を書いたのはクリスだ。
レイ:ヤードバーズが演奏したんじゃないの? だとしたら誰?
レルフ:ヤードバーズじゃない。オレと何人かのセッション・マンで録音した。
レイ:それじゃ、これは実質的にはキース・レルフのソロ・シングルじゃないか。
レルフ:そんな大したもんじゃない。キース・レルフの神経衰弱って言うほうが正解に近い。
スタウト:他のメンバーはこういう事の成り行きを知ってたの?
レルフ:ああ。知ってたよ。
スタウト:メンバーはそういう態度だったの?
レルフ:ジェフも神経が参っちゃう寸前だった。何度も悪夢を見た。最悪のね。
レイ:オレたちはいい夢を見てるよ。
レルフ:これはそのB面?
スタウト:っていうか、こっちがA面だったの?
レルフ:どうなってんだ、こりゃ!



レイ:これは〈Paff…Bum〉だ。
スタウト:とてもヨーロッパ的だ。
レルフ:だから、オレたちはこのマネージャーをクビしたんだよ。オレたちにそういうものばっかりやらせようとするからさ…。
レイ:これもヤードバーズの演奏なの? それとも、またあなただけ?
レルフ:これもサンレモ歌謡祭用にジョルジョがまとめたものの「1つ」に過ぎない。
レイ:この曲で演奏してるのは誰なの? 別の面と同じ人?
レルフ:そう。
レイ:誰があなたにこの2曲をやらせたの?
レルフ:マネージャーさ。
レイ:どの?
レルフ:ジョルジョ・ゴメルスキーだ。
レイ:まだミッキー・モストじゃなかったんだね。
レリフ:ああ、まだだ。そいつになるとさらに悪くなる。
スタウト:ということは、ジェフは参加してないんだ。
レルフ:いや、ソロはジェフが弾いてると思う…。もちろん、強制されて。
レイ:これはいつ録音したの?
レルフ:いつ? '65年前半頃だ。おかげでヤードバーズはポップ・バンドに変わったんだ…。
レイ:「イー…イー…イー」って言ってるのはキース?
レルフ:いや。あれはサムウェル=スミスだ。キミたち、本当に酷いもんをこのアルバムに入れたんだなあ。



〈Psycho Daisies〉

レイ:ヤードバーズの中で一番聞きたい曲だ。
レルフ:最近は、昔よりマシに聞こえるよ。
スタウト:歌っているのはベック?
レルフ:そう。
スタウト:この曲にはベックとペイジ両方がいるの?
レルフ:いや、ジェフだけ。メアリー・ヒューズのことを歌ってるんだ。
レイ:メアリー・ヒューズって誰?
レルフ:ジェフはメアリーっていう若手女優に恋しちまった。おっと、オレは発言に気をつけたほうがいいな。

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レイ:それじゃメアリー・なんとか。メアリー・Xにしよう。
レルフ:ジェフはメアリー・Xとの恋を優先してヤードバーズを辞めたんだ。
スタウト:ひゃあ!
レルフ:ツアーに戻らなきゃいけなかったのに、ジェフはハリウッドから離れたがらなかった。
スタウト:ペイジがこの曲で演奏してるって言ってるのを、どこかで読んだことがある。
レルフ:参加してないよ。ペイジはプレイしてない…。(「そこでは何もかもがメアリー・ヒューズとスイングしてる…♪」と歌いながら…)
レイ:それはテキトーな名前だと思ってたんだけど、実在の人物の名前なんだね!
スタウト:ここでは「メアリー・X」にしとこうよ。
レルフ:ああ、そのほうがいい。
セナモ:ここに入ってたら皆に聞かれちゃうだろうに。





〈Shapes in My Mind〉

レルフ:別のマネージャーもオレをシングル向きのポップ・スターにしようとしたんだ。ソロ・シングルとかを出してさ。
レイ:この曲は好きじゃなかったと。
レルフ:全然ね。
レイ:オレはこの曲のどっちのバージョンも好きだなあ。ここでは誰が演奏してるの?
レルフ:セッション・マンだ。当時、グループに入る前には、ジミー・ペイジがセッションの仕事をたくさんやってたよ。ビッグ・ジム・サリヴァンとジミー・ペイジだ。
スタウト:ビッグ・ジム・サリヴァンは何を演奏したの?
レルフ:リズム・ギターだけ。
レイ:どのマネージャーにこの曲を無理矢理やらされたの?
レルフ:サイモン・ネイピア=ベルだ。
レイ:たくさんのマネージャーがいたんだな。
レルフ:ああ。数人かな。
スタウト:誰がヤードバーズの一番良いマネージャーだった?
レルフ:最初の頃のジョルジョだ。
スタウト:ピーター・グラントもマネージャーだったよね?
レルフ:最後にね。
スタウト:この曲を録音した時、あなたは国際的ポップ・スターになるよう頑張ってたんでしょ?
レルフ:そんなことはない。
スタウト:あなたとスコット・ウォーカーが…。
レルフ:絶対にないよ! オレはグループにいて本当に満足してたんだ。…確かに、イングランドでいくつかのTVショウに出てこの曲を歌ったけどさ。『レディー・ステディー・ゴー』とかさ。
スタウト:バージョンIとII、どっちが最初なのかな?
レルフ:う〜ん、わからないよ。キミらがどこからこうしたトラックを手に入れたかは知らないけど、…オレが1バージョン作ると、誰かが編集とミックスをやって別のバージョンを作って、それでここに2種類あるんだよ。
スタウト:変わった曲です。バラードの歌なのに、ベースは派手にブンブン鳴ってるね。
レルフ:バラード風だ。…でも、気持ちが全然こもってないな。
レイ:どういう経緯でマネージャーたちはキースにこういう曲をやらせたの? あなたはどう思ってたのさ?
レルフ:オレかい? 言うことに従ってただけさ。
レイ:この曲をTVで歌ったの?
レルフ:ああ。かなり未熟だったなあ、オレ。
スタウト:この曲のイングランドでのチャート・アクションはどうだったの?
レルフ:鳴かず飛ばず。
スタウト:ヤードバーズ史上、最大のヒット曲は何?
レルフ:〈Shapes of Things〉だと思う。
レイ:こうしたトラックはいつ録音したの?
レルフ:'66年後半頃だ。



レイ:〈Mr. Zero〉は気に入ってるの?
レルフ:いや。オレは合わない場所に押し込まれたようなもんだった。オレはグループと一緒のほうがうまくいくんだ。そのほうが自由になれる。でも、この曲はオレには不自然だ。当時もそう思ったよ。だからうまくいかなかったんだと思うよ。
レイ:ヤードバーズのメンバーは参加してるの?
レルフ:誰も参加してないね。
スタウト:解散してからヤードバーズのメンバーとは会ったの? ポール・サムウェル=スミスとは?
レルフ:ああ、ポールには会ったよ。ジェフにもジムにもね。オレとジムは親友だ。クリスもね…。
スタウト:ジムのグループ、シュートの活動状況は知ってる?
レルフ:知らないなあ。あいつがこのバンドでこっちに来てるって耳にしたことはあるけど、それだけだ。元気にやってるかどうかは知らない。



〈She Just Satisfies〉

スタウト:これは聞いたことがあるかなあ? これはジミー・ペイジが出した〈She Just Satisfies〉っていうシングルで、キンクスのセッション('65)の直後に録音したものなんだ。ジミーがドラム以外の全ての楽器をプレイしている。
レルフ:知らないなあ。聞いてみようか。とても古くさいな。
スタウト:昔のキンクスみたい。
レルフ:ああ。…この曲については教えてあげられることはないよ。
レイ:まあまあの曲かな。
レルフ:ジミーがバンドに入る前のものだ。前だね。
レイ:聞いたことあった?
レルフ:ない。
レイ:次の曲にいく前にちょっと待って。B面で…レコーディングした曲で、キースが気に入ってるのは何?
レルフ:ヤードバーズで?
スタウト:そう。あなたが気に入ってる曲は?
レルフ:正直言って、オレたちが録音したものは、どれもあまり気に入ってない。レコーディング・セッションとなると、ライヴでやってることが全然捉えられてないって感じてたからだ。冷たい環境の中で、おとなしく座って正確な演奏を作ろうって頑張っても、うまくいかなかった。ヤードバーズは興奮してる環境じゃないと、つまり、そういう場所だったり、観客がいたりしないと調子が出ない、レアなバンドの1つだった。ヤードバーズの本質を一言で表すことが出来るとしたら----ヤードバーズを一言で説明するとなると----「興奮」かな。でも、それがあまりに「生{なま}」過ぎてテープには記録することが出来なかった。たぶんね。16トラックの設備があって、やりたいことが何でも出来たら、それを捉えることが出来たかもしれないけどね。たくさんの音を1度にストレートにモノラルに入れるなんてことをよくやってたんで…バランスは担当者次第だった。
スタウト:これは裏面。



〈Keep Moving〉

レルフ:ひっくり返してくれ。この曲について話せることは何もないから。
レイ:コンサートは何度も録音してるの?
レルフ:いや。あのファースト・アルバムだけだ。マーキーで録音した《Five Live Yardbirds》と、それから最後のもの。フィルモア・イーストだったっけかなあ。いや…。
スタウト:アンダーソン・シアターだ。
レイ:出ることは誰かが教えてくれたんじゃないの?
レルフ:いや。知らなかった。
レイ:スタジオでレコーディングするのが嫌だったら、ライヴ・レコーディングすることは考えれば良かったのに。
レルフ:それはねえ、オレたちには決定権がなかったんだよ。全てはマネージャーやレコード会社の手に握られてたのさ。今とは時代が違うんだよ。今は自分のことは自分で決めてるけど、昔はそんな権利なかったんだ。ポップスの時代だった。ポップ・バンドだったってことは、操られてたってことさ。
スタウト:ディック・クラークのツアーに参加したよね?
レルフ:ああ。
スタウト:1日2公演やったんでしょ。
レルフ:ある時なんて、午後のショウをやった後、200マイル移動して夜のショウをやった。それが済むと、次の日の午後のショウのために、夜の間に移動した。
レイ:ギャラは良かったんでしょ?
レルフ:全然。
スタウト:ディック・クラーク・ツアーなのに? ウソでしょ。ベイビー・レイ、お前も冗談だって思うだろ。
レルフ:ディック・クラークは金払いが悪かった。…演奏はもっとやれって要求するくせにさ。
レイ:殆どのトラックは『シンディング』で披露したライヴ演奏だ。
スタウト:『シンディング』用のレコーディングは『トップ・オブ・ザ・ポップス』『レディー・ステディー・ゴー』と同じようなものだった? こっちのほうが制約が少なかった?
レルフ:『レディー・ステディー・ゴー』はいつも生演奏だった。これは…。



〈For Your Love〉

スタウト:これは『シンディング』だ。
レルフ:ライヴじゃないね。
スタウト:ライヴだよ。
レルフ:これはライヴだよ。ジェフが12弦ギターを弾いてる。
スタウト:ジェフのギタリストとしての最大の長所は何だった?
レルフ:…ああいうプレイが何にも拘束されずに自然にぽんぽん出てくるところだ。乗ってる時には、自分という存在も忘れて爆発する。そんな時、ジェフは自分の問題も忘れちまってたよ。
スタウト:なるほど…。



〈Shapes of Things〉

レイ:これは素晴らしい。このショウは覚えてるでしょ。
レルフ:もちろん。
スタウト:ドラム以外はレコードだ。
レルフ:ドラムだけライヴ。(笑)
スタウト:地方のTV番組にはよく出たの?
レルフ:これは『ロイド・サクストン・ショウ』だ。
レイ:覚えてるの? ロイド・サクストンみたいな連中のことはどう思ってたの?
レルフ:オレが連中のことをどう思ってたのかって?
レイ:そう。ステージに登場して、バカなことやって笑いを取って…。
レルフ:バカなことやってるなあって思ったよ…。
レイ:…あれこれ質問されてるけど…
レルフ:答えようがなかったよ。当時、オレはああいうことは全部、糞だと思ってた。不満だらけだったよ。
レイ:確かに、楽しそうにはしてませんね。
レルフ:オレが楽しいのは演奏してる時だけ。ステージに立って…そこに観客がいる環境で演奏してる時だけ。(フィードバックに関するサクストンの質問にレルフが答えている様子を聞いて笑う)



〈Hang on Sloopy〉

スタウト:これはリッチモンド・ジャズ・フェスティヴァル…。
レルフ:リッチモンド・ジャズ・フェスティヴァル? どこからそれを手に入れたんだよ?
レイ:『シンディング』で放送されたんだ。
レルフ:あぁ、そうなんだ。
レイ:ヤードバーズが2曲、ザ・フーが2曲放送されたよ。
スタウト:《For Your Love》のアルバムではベックは〈Hang on Sloopy〉でギターを弾いてるの?
レルフ:あぁ。
スタウト:ライヴで演奏する時には、誰がヴォーカル・ハーモニーを歌ってたの?
レルフ:ポールとジェフだ。
スタウト:ヤードバーズが解散してから、クリス・ドレヤとは会った?
レルフ:あぁ。
スタウト:写真家として活躍してるの?
レルフ:そうだよ。詳しくは知らないけど、うまくやってると思うよ。
スタウト:ヤードバーズの演奏する〈Hang on Sloopy〉を聞くたびに、この曲をやったのは皮肉なんじゃないかと感じるんだ。
レルフ:その通りだよ。
スタウト:物真似みたいに…。
レルフ:マッコイズの?
スタウト:…売れ線のバンドの…そう、マッコイズ。昔は女の子の絶叫が大き過ぎて、演奏は聞こえなかったの?
レルフ:その様子が聞こえるだろ。
スタウト:それで困ってたの? それとも、見て笑ってただけ?
レルフ:シーンの一部ってだけさ。
スタウト:叫ぶオーディエンスから聞くオーディエンスに変わった時にはどう感じた? それって徐々に?
レルフ:もちろん、だんだんと良くなっていった。ずっと居心地の良い状況になっていったよ。この曲(〈Hang on Sloopy〉)はバカげた時期のものだ。
スタウト:リッチモンド・ジャズ・フェスティヴァルってジャズに限定してなかったんだね。
レルフ:そうだね。出来損ないのポップ・イベントになってしまった。
スタウト:出来損ない? 運営を誤ったとか?
レルフ:いや、運営は問題なかった。対処しなきゃいけないことがいろいろあってさ。その一番悪い面が出ちゃったんだ。ああいう状況では良い音楽は演奏出来ないよ。
スタウト:アウトドアだったの?
レルフ:そう。動き回って、皆を煽って。オレたちがリッチモンドでやったのはそれだけ。
スタウト:ヤードバーズで、フレットを塞いで「ピキピキピキ」っていう技を使った最初のギタリストは誰なの?
レルフ:エリックだ。
スタウト:エリックのプレイについて一番気に入ってるのはどんな点?
レルフ:フィーリングと巧みな指さばき。ブルースのフィーリングだと思うよ。…それがエリックさ。
スタウト:歌詞の殆どはキースが書いてたの? レーベルには「作曲:ヤードバーズ」って書いてあるけど。歌詞の殆どはキース?
レルフ:この曲では違うよ。



〈Heart Full of Soul〉

スタウト:この曲は…。
レルフ:…グールドマン。〈For Your Love〉とこの曲。最初の2曲のヒットはグレアム・グールドマンが書いた。
スタウト:バンドの友人だったの?
レルフ:マネージャーの友人だった。
レイ&スタウト:なるほどぉ。
レルフ:…その後、オレたちは自前で曲を書き始めたんだ。〈Shapes of Things〉や〈Over Under Sideways Down〉とか、B面曲全部とか。
スタウト:バンドで曲を書く時には、歌詞はたいていキースが書いてたの?
レルフ:そう。
スタウト:10cc(グレアム・グールドマンが今やってるバンド)は聞いたことある?
レルフ:あぁ。
スタウト:好きだよ。
レルフ:とてもね。いいバンドだ。
スタウト:バンドが書いたのではないマテリアルは誰がやろうって言い出したの? 〈I'm a Man〉(今、この曲が流れている)とか。


   



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posted by Saved at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | Yardbirds | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする