ビートルズの《Abbey Road》のジャケットに写り込んでるVWビートルは、その後の消息はわかってるんでしたっけ? で、ボブ・ディランのレコード・ジャケットに写り込んでるVWのバンは?
FREEWHEELIN' BOB DYLAN - DYLAN, BOB《Freewheelin'》に写っているVWバン秘話
文:ビリー・ヘラー
ニューヨーク・シティーのグリニッジ・ヴィレッジは、昔から、アウトサイダーやアーティスト、詩人を引きつける磁石のような場所であり、1963年のボブ・ディランもそうしたタイプの1人だった。ミネソタ出身のボブはヴィレッジとその界隈のカフェやナイトクラブに引力を感じてやって来た。新しい、何でもござれのカウンターカルチャーが沸き起こったこの時代、ヴィレッジでは昔ながらの肉屋やパン屋、食料品店等が営業している傍らで、若いギター・プレイヤーたちが将来を夢見ていた。
コロムビア・レコード専属の名カメラマン、ドン・ハンスタインは、1963年2月のある寒い日に、西4丁目161番地にある3階建てアパートにやって来た。今年[2023年]5月に発売60周年を迎えるセカンド・アルバム《The Freewheelin' Bob Dylan》用に写真を撮るという用事があったのだ。ディランは21歳だった。ジャケットには、アパートのすぐ外の、雪が積もっているジョーンズ・ストリートを、ディランと当時のガールフレンドのスージー・ロトロが固く腕を組んで歩いている様子が写っている。この写真の左側には青いフォルクスワーゲンのバンがとまっているのだが、これはフロント・ガラスが真ん中から2つに分かれているので、当時「スプリッティー」というニックネームで呼ばれていたモデルだ。そうだとはっきりわかる。
以来、この車は大衆文化を代表する乗り物の1つとなった。アルバムがリリースされてどれだけ長い年月が経とうとも、ディラン・ファンはジョーンズ・ストリートまで巡礼して、あのポーズを再現している。キャメロン・クロウは2001年公開の映画『ヴァニラ・スカイ』の中で、トム・クルーズとペネロペ・クルスに《Freewheelin'》のジャケットの真似をさせている。青いVWのバンも用意してだ。
「あのジャケット写真の全体が、当時の雰囲気を雄弁に物語っています。VWのバンはあの時代の文化的シンボルになりました」 グラミー賞に輝いたことのあるシンガー・ソングライターで、「ボブ・ディランのファン及び研究家」を自称するルシンダ・ウィリアムズは、ナッシュヴィルから電話インタビューに答えて言った。「初めてアメリカ中を一人旅した時には、フォルクスワーゲンのバンに乗って行きました。ディランがニューヨークのストリートにいる《Freewheelin'》のジャケットを見ると、昔を思い出します。ボブも私たちと同じなんだって感じます。もしタイミングさえ合っていれば、私がボブとああいうシチュエーションになった可能性だってあるわけですよ」
ハンスタインの娘であるティナ・コーネルも、VWがあのイメージの重要な一部だと、私に語ってくれた。「寒い日なのに、そんなに厚着していないふたりが道の真ん中にいるというのが、バスとともに「自由奔放なスピリット」の縮図になっているんです」
これまでマスコミで報じられたことはないのだが、あのVWのバンの持ち主はジャック・ウバルディという、ジョーンズ・ストリート5番地でフローレンス・プライム・ミート・マーケットを経営していた人物だ。彼は業務用にこのバンを使っていた。イタリア生まれのウバルディは、7歳の時に家族とともにニューヨークにやって来た。彼はヴィレッジの主な食料品店の1つになったこの肉屋を1936年に開店し、第2次世界大戦中は海軍で軍務についていたが、1975年までこの店を経営した後、従業員のひとりに売却した。
今でもあるこの肉屋の客の中には、ジャクリーン・ケネディー・オナシス、俳優のリリー・トムリン、元市長のエド・コッチ、劇作家のエドワード・アルビーらがいた。ジャックの息子であるリッチ・ウバルディ(現在75歳)は、1963年冬には店で父親を手伝っており、「駐車メーターに10セント硬貨を入れたり、そろそろ時間切れだからストリートの向こう側にバンを移動するよう親父に伝えたりした」ことも彼の仕事だったという。2001年に亡くなったジャックはアルバム・ジャケットの件は知らなかったと思うと、現在ヴァージニア州で暮らすリッチは言う。「親父はクラシック音楽が好きだった。ディランが誰だが知らなかった。1963年の時点では全然だっただろう。店のラジオのダイヤルをクラシック音楽専門局WQXRに合わせて、1日中流していたからね」
息子ガスのギターを手にしているジャック・ウバルディ
(1960年代初頭〜中期)
(写真提供:ウバルディ・ファミリー)
当時、リッチは友人と一緒にザ・ワイルドウッズというバンドをやっていて、キャッツキル山地の「ボーシュト・ベルト」[ニューヨーク・シティーで暮らすユダヤ人用の保養地がたくさんあった地域]のリゾート地や、結婚式、バール・ミツヴァ[ユダヤの成人式]、高校の卒業記念ダンス・パーティーで演奏していた。レパートリーはポップスのヒット曲で、ディランの曲はなかった。「パーティーではダンス音楽を演奏した。ディランの歌をダンス音楽に貶めることなんて出来ない」とリッチは語るが、自分たちだけの時には、ディランも取り上げた。「ギターの心得も十分にあったんで、〈Blowin' in the Wind〉や〈Don't Think Twice, It's All Right〉といった初期の曲を、少なくともいくつかは弾くことが出来た。そんなに複雑じゃない曲をね」
ジャック・ウバルディはしばらくの間、一家の車、1961年製ポンティアック・カタリーナのステーション・ワゴンを肉運搬用の車として使い、クイーンズ地区アストリアにある自宅から、マンハッタンのウェストサイドの端にある肉市場に行き、そこから屠殺した牛を店へと運んでいた。リッチの弟、ガス(現在73歳)は誇らしげに語った。「親父はステーション・ワゴンの後ろに載せてあった牛の臀部を肩に乗せて、通りを渡ることの出来る男だった」
ウバルディが業務用に使っていた1963年製のVWのバン
(写真提供:ウバルディ・ファミリー)
ウバルディは1962年に中古のVWバン----《Freewheelin》のジャケットにあるものだ----を入手したのだが、1963年の後半にはその年のモデルと交換してしまった。「1台の車に長く乗らずに次々に取り替えていたのは、親父が車の整備士ではなくて肉屋だったからだ」とリッチは言う。「親父から「大学を卒業することが出来たら車を買ってやる」って言われたことがあるが、私が卒業出来るとは思ってなかったんでしょう」 その後、リッチは1968年製カマロを自分で購入したが、整備を怠らず、現在でも立派に走る。ガスはカタリーナのステーション・ワゴンを手に入れたが、あの偶然有名になってしまった青いVWのバンは歴史のどこかに消えてしまった。ニューヨーク州陸運局もそこまで昔の記録は保存していない。「持っているのが私だったら、今でも運転しているでしょうね」とガスは物憂げに語る。もし今でも存在していたら、ディランもわざわざジョーンズ・ストリートまで、乗りに来るかもしれない。
The original article "Freewheelin’ to fame – the untold story of Bob Dylan’s iconic VW van"
https://www.theguardian.com/music/2023/mar/24/bob-dylan-iconic-vw-van-blue-camper-freewheelin-new-york
ソングの哲学 - ボブ・ディラン, 佐藤 良明
Shadow Kingdom (アナログ盤) (特典なし) [Analog] - ボブ・ディラン
Shadow Kingdom (通常盤) (特典なし) - ボブ・ディラン
posted by Saved at 15:14|
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