それで、私がずっと不思議に思っているのが、こんな事件を起こしておきながら、ヘルズ・エンジェルズがサンフランシスコのロック界と仲が悪くなっていないことです。1976年11月にウィンターランドで行なわれた『ザ・ラスト・ワルツ』の詩の朗読コーナーにはローレンス・ファーリンゲティやマイケル・マクルーアといった大御所に混じってスウィート・ウィリアムが登場し、自作(?)の詩を披露すらしているのです(1:02:25〜1:06:10)。
もちろん、スコセッシ監督のあの映画には登場していませんが、コンサート当日に会場のロビーや廊下のテレビで流していたノーカット映像にはしっかり映っています。ただし、左半身が麻痺し、杖をついています。アップルやオルタモントでは大活躍(?)していたのに、いったいどうしたのでしょうか?
アル・アロノヴィッツの《The Blacklisted Journalist》にこんな悲しい話が書いてありました。
スウィート・ウィリアムのレディー
by アル・アロノヴィッツ
ジャニス・ジョップリンはスウィート・ウィリアムの頭の中にあるレディーの理想像だった。ふたりが一緒にバイクに跨がったことがあるのかどうかは知らないが、スウィート・ウィリアムはジャニスが自分の前を通り過ぎるたびに、手を胸に当てて頭を垂れていたらしい。スウィート・ウィリアムは、港湾労働者として造船所で12年間働いたらああいうふうになるのかもしれないといったような、強烈なスタイルの持ち主だった。スウィート・ウィリアムはダンプカーのように非常に扱いにくい男だった。彼の髪は長くて黒く、顎には悪魔のようなヤギひげがあり、歯の間にナイフが仕込んでありそうな顔をしていた。スウィート・ウィリアムはヘルズ・エンジェルズのメンバーだった。ジャニスはエンジェルズ全員を愛していた。
スウィート・ウィリアムとジャニス・ジョップリンが出会ったのはずっと昔で、ジャニスがテキサス州ポート・アーサーから初めてサンフランシスコに来て、ヘイト・アシュベリー界隈をうろついて、自分と一発やってくれるバンドを物色している時のことだった。その時、スウィート・ウィリアムはディガーズの運営を手伝うのに忙しかった。ディガーズとはヒッピーの一団であり、フリークアウトしてストリートでたむろしている若者達に無料で食料を配るために、問屋から牛肉や野菜を盗んでくるなんてことをよくやっていた連中だ。彼がヘルズ・エンジェルズに加入してサンフランシスコ支部の副部長になったのは、その後のことである。スウィート・ウィリアムはエンジェルズの中で最も気性の荒い奴だったかもしれない。
一方、ジャニスは、ヘルズ・エンジェルズにとっては恋人のような存在だった。ジャニスがヘルズ・エンジェルズ主催のダンス・パーティーでの演奏を260ドルのギャラで引き受けた時の話をしようか。
[ジャニス・ジョップリンとアルバート・グロスマン]
「事実よ」彼女がそう語ったのを私は覚えている。「たった260ドル! 普通なら260ドルなんて1分で稼ぐことが出来るっていうのにね。でも、ヘルズ・エンジェルズは大切なダチだから」
確かに友達なのだろうが、連中はやっぱりヘルズ・エンジェルズだ。彼等は10ドル札1枚分、ギャラをちょろまかそうとしたのだ。連中はパーティーの入場料としてひとりあたり1ドルを徴収していたのだが、パーティーが終わった時に、ジャニスのマネージャーであるアルバート・B・グロスマンには250ドルしか渡さなかったのだ。グロスマンは金を数えた後、「ちょっと待て」と言って、それを連中に突っ返した。「数え直せ。あんたらの帳簿に間違いがあっちゃいけないだろ」
この一件があったのは1970年3月、サンラファエルでだった。ジャニスは自分の新バンド、フル・ティルト・ブギー・バンドを結成したばかりで、まだツアーを行なってもおらず、これが人前で初めて行なう公演だった。ヘルズ・エンジェルズのパーティーに行った経験がない人は、ブルドーザーの一団が人間のように振る舞おうとしている様子を想像するといいだろう。彼等が歩くと体重で床がきしみ、その通り道にあった椅子やテーブルは全て押し潰される。彼等は歩きながら、ドスンと重たい音を立てて互いにぶつかり合い。ホールは水浸しの風呂場の中で泳いでるような状態だった。ジャニスが登場して歌い始めた頃には、しっかり立っていられる人間は殆ど残っていなかった。ジャニスはそれまで、アルバートやそのパートナーであるベネット・グロッツァーと一緒にテーブルについて、スウィート・ウィリアムがサンフランシスコ支部のメンバー全員と撮影した3.5時間長の映画について話していた。
イケメン俳優のマイケル・ポラードもテーブルについていて、スウィート・ウィリアムも同様だった。ジャニスはいつもの派手な衣装を着て、おでこが隠れるくらい深々と帽子を被っていた。ジャニスはいつものように、自分の全財産の入った買い物カートを押してストリートを闊歩する史上最大のホームレス女性のように見えた。彼女はジグザグに歩きながらテーブルのところまで来て、サザン・コンフォートのボトルを掴んだが、パフォーマンス中に乾いた喉を潤すのに足りる程度しか中身は残っていなかった。マイケル・J・ポラードは立ち上がるとジャニスをステージまでエスコートした。その間、彼女の腕はマイケルの体に巻き付いていたが、手にはボトルがしっかり握られていた。
と、その時、サンフランシスコ支部のメンバーのひとりが、やって来て言った。「ヘイ! オレにも飲ませろよ!」
ジャニスはそいつをポカンとした顔で見た。彼女の頭からはまだシャボン玉が吹き出している状態だった。
「やだね」とジャニスは答えた。「あたしにはこれが必要なの」
「エンジェルスのメンバーがそのボトルをよこせと言ってるのが聞こえねえのか!」
「糞くらえ!」ジャニスは答えた。「これはあたしのもんよ」
すると、このメンバーのガールフレンドがビールを持ってやって来た。
「ヘルズ・エンジェルズのメンバーにそんな口のきき方するもんじゃないわ」と彼女が言うと、ジャニスはこう言った。
「お前も糞くらえ!」
ガールフレンドはジャニスの顔にビールを浴びせた。すると次の瞬間には、このふたりの女は床の上を転げ回って、叫びながら互いに引っ掻きあったり、殴りあったりしていた。
「あの女、顔を引っ掻きやがって」私は後になってジャニスからこう聞いた。「耳からもイヤリングをもぎ取られたわ。ビーズも床中に散乱。もう何も見えなくなって、とにかく拳を振り回し続けていて、あたしが最後にパンチを出してから気が付いたんだけど、その時、殴っちゃった相手は、あたしを助けようとしてくれていたベネット・グロッツァーだったのよ。あたしはあいつを病院送りにするところだったわ。あたしはビールのプールの中でぶっ倒れていて、フェザーの付いた衣装は全部、濡れてぐちゃぐちゃ。原油流出事故後にサンタバーバラのビーチで保護された鳥みたいだったわ」
で、この後はこうなった。サンノゼのエンジェルが自分のガールフレンドを救出しようとして(騎士道精神を発揮したのか?)、ケンカの真っ只中に飛び込んでいった。そして、こいつがジャニスの顔をボコボコにしようと拳を振り上げた瞬間、それまで椅子に座っていたスウィート・ウィリアムがテーブルをひょいと飛び越え、サンノゼのエンジェルの頭にキックの一撃をお見舞いしたのだった。彼はワン・モーションでこれを全部やってのけた後、拭った手をジャニスに差し伸べて、彼女をひっぱり上げた。
「オレ達は愛し合ってる仲だよな」スウィート・ウィリアムはこう言うと、ジャニスをステージまでエスコートした。ジャニスはアンコールの後、酔いつぶれてしまい、ケンカの後、ショウをしたことさえ覚えていなかった。スウィート・ウィリアムもこの事件を大したこととは思っていなかった。
「ウゥゥウィィィィ!」スウィート・ウィリアムの叫び声が聞こえてきた。「ジャニスは美しくて自由だ! ハーレー・デイヴィッドソン74【1】のエンジンがブォォォォォォっていいながら時空のゆがみを切り裂くような凄え声で歌んだぜ。パール(ジャニス)はギヤを4段【2】に入れっぱなしで、肝っ玉の小せえ連中なんか糞くらえって女なのさ」
スウィート・ウィリアムにとって、ジャニスはレディーだった。スウィート・ウィリアムについて私が最後に聞いた噂はこうだ。一杯ひっかけようとフレスノにある行きつけのバーに立ち寄った後、ガンファイトに巻き込まれて後頭部を撃たれたとのことだ。彼はバイクを店の外に停めておいた。自らもめごとを起こそうと思ってたわけでもなかった。彼はガールフレンドとふたりきりで、しかもベスト【3】をつけていた。その後、彼の体は麻痺し、弾丸は頭の中に残ったままである。この事件が起こったのは、ヘルズ・エンジェルズのメンバーがゴールデン・ゲート・ブリッジからジャニスの遺灰を撒いたまさにその日のことだった。##
Original article: "SWEET WILLIAM'S LADY" by Al Aronowitz
http://www.blacklistedjournalist.com/column76d.html
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この文には少し解説が必要かもしれません。正確に言うと、オートバイのことやヘルズ・エンジェルズに関する知識が皆無の私には、以下の説明が必要でした。しかも、ここが肝心要の部分です。ハーレーに詳しい人なら心当たりがあったので、質問したところ、以下のようなバッチリ以上のレベルの回答がシンガポールから届きました。彼は恐らく日本人でグレイトフル・デッドのコンサートを見た最多記録保持者(録音に関しては確実に最多記録保持者でしょう)であり、ハーレー所有者でもあり、乗り物は全部自分で運転しないと気が済まないという超スケールの大きな(←お腹も)オジサンです。
【1】74ハーレー・デイヴィッドソン
ハーレー74というのは年式や型番じゃなくて排気量。74 cubic inch = 1200cc。60年代末のハーレーのカタログの中では1200ccのモデルが最大排気量だった。現在のハーレーは96 cubic inch (1600cc)が最高。
【2】4段
当時のハーレーはギヤが4段。つまり、ギヤをトップに入れっぱなしということ。「全開バリバリ」という言葉もある。現在のハーレーは6段ギヤ。
【3】ベスト
ベスト(Colors)というのはアウトローバイカー達が身に着けているベスト。自分の所属するクラブのパッチが縫い付けてある『命より大事なベスト』のこと。ヘルズ・エンジェルズのようなアウトローバイカー達は普段はグループで行動することが多いから他の不良達は怖くて近づけないのだが、たまたま単独行動をしていると「今がチャンス!」とばかりに対立する不良やチンピラがちょっかいを出してくることがあるらしい。で、名誉あるメンバーとしてはそういう売られたケンカには負けるワケにいかなから、必死で闘う。その日、ベスト(Colors)さえ着ていなければ不良にちょっかいを出されないで終わっただろう。しかし、ジャニスの葬式に正式なエンジェルズの一員として参加した帰りだったからベストを着ていた。スウィート・ウィリアムはそういう不運に出会ってしまって頭に銃弾をぶち込まれたのだろう。
ヘルズ・エンジェルズというと、ハンター・トンプソンの古典的著作が有名ですが、昨年、石丸元章による新訳が出で好評のようです。