2012年11月10日

NY Rock'n'Roll Life【1】 ピート・タウンゼントのギターをゲットしたぜ

 以前に紹介したグレン・バージャー著「ヨーロッパ'73ミキシング秘話」の中にビンキー・フィリップスという人物が登場しているのですが、気になって検索してみたところ、ビンキーは次のウェブページでロックにまつわる面白い話を書きまくってるじゃないですか。そこで彼と連絡をとって、この拙ページで紹介していいかと伺ったところ、「日本のロックマニアに読んでもらえるなんて光栄だ。喜んで」と快諾の返事をいただくことが出来ました。

The Huffington Post: BINKY PHILIPS
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/

  1970年で17歳だったので、逆算すると1953年(?)生まれのビンキーは、1970年代にはザ・プラネッツというバンドで活躍。その後はイースト・ヴィレッジでレコード屋を経営していたそうです。11歳の時にビートルズのフォーレスト・ヒルズ・テニス・スタジアム公演を体験し、ローリング・ストーンズに夢中になり、1967年春にはマレー・ザ・K主催のコンサートでザ・フーのライヴを初体験。以降ずっと、文字通りロックンロールとともに生きています。ニューヨークのロックシーンの歴史の生き証人であるビンキーは、今はもうなきニューヨークの伝説的ライブスポット、CBGBに関するeBOOKも書いています。

http://www.rhino.com/article/my-life-the-ghost-planets-the-story-cbgb-almost


 
 ところで、今秋、ピート・タウンゼントの自伝『WHO I AM』が発売されましたが、ニューヨークは彼にとってとても思い出深い場所で、フィルモア・イーストに見に来てくれた多数のファンの顔を覚えていて、彼等の名前も言える、あるファンの両親にさえ会ったこともあると書いています。本には個人名は出てきませんが、「あるファン」とは恐らくビンキーのことです。
 今回ビンキーが語っている1970年6月7日メトロポリタン歌劇場での『トミー』公演については、ピートの本の195〜196ページに書いてあります。ここのページにさしかかったら、是非、ビンキーの記事も読んでください。面白さ5倍増です。(下の「記事本文を読む」をクリック)

  



【ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ】
第1回:ピート・タウンゼントのギターをゲットしたぜ
文:ビンキー・フィリップス


 天国だった。エスターへの苦しいほどの片思いについても、遂に、現実的にある程度は安堵と希望が生まれてきていた。1970年4月、フィルモア・イーストのマーキーひさしのすぐ南側で、オレは2晩野宿した。リンカーン・センターにあるメトロポリタン歌劇場なんていうバカげてるくらい豪華で仰々しい会場で行なわれる、ザ・フーの《トミー》最終公演のチケットを手に入れるためだ。ビル・グレアムがメトロポリタンに代わってこのショウのオーガナイズとプロモーションを行なっており、その結果、チケットは4月上旬の月曜朝からフィルモア・イーストのボックス・オフィスで販売されることになっていた。オレは土曜の夜にそこに到着すると、週末公演のアーリー・ショウを見た客が丁度帰って行くところだった。あの晩の出演者が誰だったかは覚えていないが、レイト・ショウを見に中に入って行くジョン・ゲンゼイルに声をかけたのは覚えている。ジョンとは、この2年後にニューヨーク・ドールズのジョニー・サンダースになった男だ。とにかく、オレは列の3番目だった。前にいた2人は底抜けのバカで、ザ・フーについては殆ど何も知らなかった。
 「オレたちはさぁ…普段はデッドのチケットが欲しくてさぁ…徹夜で並んでるんだけどさぁ…たまにはさぁ…ザ・フーもいいかなと思ってさぁ。あいつらもさぁ…カッチョいいよなぁ!」オレの腸はらわたは煮えくり返った。グレイトフル・デッドとそのヒッピーのファンは、オレの頭の中では、ザ・フーとそのもっとヒップなファンに対するアンチテーゼだった。こいつらがオレより前にいるなんて100年早え。
 しかし、フィルモア・イーストの最前列のAA113の席がピート・タウンゼントのマイクスタンドのまん前だとずっと前から知ってたように、オレはしっかり予習をして、MET公演のマチネー(何だそれ?)と「レイト・ショウ」(午後7時開始なのに!)の両方で、どの席をゲットすべきか正確に把握していたのだ。列に並んでいた連中のうち2人に1人が(日曜の午後には100人ほどになっていた)真のフー・マニアで、そのうちの3分の2はオレの知り合いだったので、イースト・ヴィレッジの小汚いストリートはザ・フー・パーティーの状態だった。このエリアは今でこそオシャレであか抜けている住宅街だが、昔はボワリーの半端でないドヤ街からは1ブロック、ヘルズ・エンジェルスの本拠地(後に、あのへんにさらにいくつか出来た)からは3ブロックしか離れていなかった。オレたち間抜けなフー・マニアは丸2日間に渡って、悪くて始末に負えない怖い連中からの脅威にさらされ続けた。とはいえ、オレたちの数が増えるにしたがって、それも減ってきたが…。誰かがギターを持って来たので、日曜日の晩、オレは皆に《トミー》の全曲を歌ってやった。オレは当時17歳だったが、アルバム全曲をプレイすることが出来た。〈ピンボールの魔術師〉は、ゴージャスなイントロも含めて、今でも弾ける。それから、ケン・ラッセルが監督した映画ヴァージョンではジャック・ニコルソンが歌ってるあの曲…そう、〈クリスマス〉も、〈アシッド・クイーン〉も〈シー・ミー・フィール・ミー〉も。
 その数週間前に、オレは勇気を振り絞って、一緒にマチネを見に行こうと、エスター(トゥイギーのヘアカットをしたシェールを想像してくれよ。脚なんかもうピッチピチ)を誘っていた。月曜日の朝6時になると、ビル・グレアムが列に並んでる人にフィルモアを開放して、コーヒーとドーナッツを無料でふるまい、ジョシュアズ・ライトショウ用のスクリーンにアニメを映してくれた。想像出来るかい? ビルのスタッフは、列に並んでいた順番をキープ出来るように番号札を渡してくれた。オレたちがのんびり腹を満たしながらバグス・バニーを見ていられるようにだ。
 オレは列の3番目だったので、ドーナッツと席を楽々と確保して、オーケストラ・セクションの席に座って脚を休めることが出来た。そして、ボックス・オフィスが開いた時には、昼と夜両公演のまさに欲しかった座席と、さらに昼公演用には自分の隣の席もゲットすることが出来た。体が汚れ疲れていたが、超興奮状態で帰宅した後、オレは深呼吸してからエスターに電話をかけ、どう週末を過ごしたかを話し、6月7日にはオレと一緒に最前列でコンサートを見ないかと訊いてみた。エスターからは、3年以上、つれない態度をとられてばっかりだったが、今度ばかりはOKだった。彼女からイエスという返事をもらえたオレは超エクスタシーだった。約8週間後の1970年6月7日(日)…そして、その時間になった…。もちろん、オレはまだブルックリンの実家で暮らしていたのだが、時間通りにそこに到着したエスターは、20分前にLSDを1錠飲み、効果が少し現れ始めたなどと大胆なことを言い始めた。オレも負けてはいられない、ヘタレと思われてはいけないと思い、急いで上階に行って、1カ月以上前から隠し持っていたハーフ・ジョイントを探した。エンジェル・ダストがまぶしてあるハーフ・ジョイントだ。笑い始めていたエスターを待たせながら、オレは自分の部屋でそれを3回吹かすと、一緒に地下鉄の駅へと向かった。しかし、家から半ブロックも歩かないうちに、自分の足元がおぼつかない状態になってるのに気づいて、オレはこう言った:「エスター、タクシーで行こう。オレ、歩けないよ」すると、エスターはさらに笑った。オレはマンハッタンにタクシーで向かった時のことをヴィヴィッドに覚えている。タクシーの窓は、外側の世界を2次元に変換して映す小さな映画のスクリーンのように見えた。どうにかタクシー料金を支払いを済ませて(そもそも、タクシー用の金をオレはどこに入れて持っていたんだろう?)、リンカーン・センターの裏までヨロヨロと歩いて行くと、METがそびえ立っていた。超豪華だぁ。もちろん、オレたちではなくMETがだ。オレたちは間抜けのように見えていたに違いない。中に入る時には爆笑した。普段はフィルモア・イーストでチケットのもぎりをしている奴らが、本物のタキシードを着て、キラキラのMETのスタッフの手伝いをしてたからだ。右側の通路を通って自分たちの席に行こうとした時、オレはうろたえ、超がっかりした。オーケストラ・ピットがあるじゃねえかよ! そんなことは考えてもみなかった。最前列からステージまでゆうに25フィート(7メートル半)もあった。最前列はフィルモア・イーストでいう8列目か9列目だった。ガーン! でも、席に着くやいなやエスターからディープなフレンチ・キスをされて、オレは気をそらされた。ヤッターッ! オレたちはパフォーマンスに打ちのめされながら、心底楽しんだ。ふたりで。
 前座はなかった。席に着いて10分もしないうちに、客電が落ちた。歓声があがる中、ビル・グレアムがソデから現れ、ザ・フーのコンサートではいつもそうしているように、威厳のある深い声でおごそかに言った:「皆さん、お待たせしました。ジョン・エントウィッスル…キース・ムーン…ロジャー・ダルトリー…ピート・タウンゼント…ザ・フーの登場です」
 深紅のカーテンが開くと、ムーンの巨大なドラム・セットの両側にはハイワットのスタックが3台ずつあった(フィルモア公演では2台ずつだった)。ザ・フーのメンバーがステージに登場した。ピートはしかめ面をしている。怒っている。明らかに何かを侮辱するように、ステージにツバを吐いた。
 ピートが怒りながらローディーに何かを叫ぶと、ジョンが書いた素晴らしい名曲〈ヘヴン&ヘル〉が始まった。この曲を知らない奴は、ザ・フーの全カタログの中で最も偉大な曲のひとつを聞いてないことになる。これはオレの意見だが、エントウィッスルが書いたベスト・ソングだと思うね。驚いたことに、オレはこの時の光景の全てをビデオ・テープのように覚えている。ザ・フーが演奏を開始するやいなや、エンジェル・ダストは…すっかり消えてしまったのだ。オレは突然、気分がシャキッとして、完全に頭がさえ、しかも、ザ・フーに酔いしれている状態が続いた。
 ザ・フーの本物のファンなら知っていることだが、ピートの機嫌が悪い時には、必ず良いショウになった。が、この時は、それまでに見た20回ほどのショウの時よりも、ピートは怒っていた。
 〈ヤング・マン・ブルース〉に突入すると、ピートのソロはEコードの連打になった。文字通りEコードばっかりで、E E E EE EEE E EEE E E E EEEEEEEEEEE E E EE E EEEE E E EEEEE EE E E E EE EEE E...だった。彼はMETがマーキー・クラブであるかのようにプレイした。しかも、雨の降る晩で、客がひとりも来なかった6年前の火曜のマキシマムR&Bの夜のように。オレは快楽で気絶しそうになっていた。ムーンとエントウィッスルもすぐに音楽を奏でなければならないことに気づき、オレがいかなるレコードでも聞いたことのない領域へと飛翔した。それって、ジャズか? ピートはというと、相変わらずEE E EEEEEEE E E EEEE EE E E E E E E E E EEEE E EE ...だった。少なくとも5分間はそれが続いていたような感じだった。たぶん、このショウを収録したブートレッグがあるんじゃないかな。このソロが超粗雑だったというオレの記憶が正しいかどうか知りたいなあ。
 次にザ・フーはイカしたイントロとメロディー・ラインを持つ新曲〈ウォーター〉を初披露し、それから「本当に最後の演奏」(幸か不幸か、実際にはこれが最後じゃなかったんだけどさ…)として1時間に及ぶ《トミー》を演奏した。ピートは少しおとなしくなり、METの神聖な座席を汚す下種な連中を楽しませることに専念した。この会場に変なハッパの煙が立ちこめたのは、この時だけだったのかも。そんなわけないか…。
 ある時、ピートはオレと目を合わせた後、「お前の彼女?」とでも言いたげに、顔をエスターのほうに向けた。オレは「うん」と言うようにうなずいた(オレはザ・フーのコンサートに女の子を連れてったことはなかったんだよな)。そしたら、ピートは「やるじゃんか!」みたいな感じでうなずき、一瞬わずかに、秘密の笑みを浮かべたのだ。
 《トミー》の全曲演奏が完了した後、ザ・フーは「往年の名曲」をいくつか演奏し、〈マイ・ジェネレーション〉でショウを終えた。とてもがっかりしたことに、ピートは派手に機材をぶっ壊すことはせず、ギブソンSGスペシャルを丁寧にスタックのひとつに立てかけ(それで何かを殴ったり放り投げたりすることもなかった)、メンバーはお辞儀をして、ステージを去って行った。
 当然、観客は気が狂ったようにアンコールを求めた。昔はアンコールはコンサートには必ずついてくるオマケの儀式ではなかったのだ(間もなくそうなってしまったが)。オーディエンスは本当にアンコールを要求しなければならなかった。オレは叫んでも無駄だよと思いながら立っていた。3時間もしないうちにもう1回ショウをすることになってるし、そもそもザ・フーはアンコールはしないし。それに、オレはしばらくエスターとデートしてから、彼女を地下鉄に乗せ、その後、精神統一をして次のコンサートに備えたかったのだ。
 その時突然、客電が落ち、吠えるような歓声が沸き、ザ・フーのメンバーがステージ上に戻ってきた。しかも、今度はピートは喜びにあふれた顔をしている。ショウのオープニングの時とは雲泥の差だ。彼らは〈シェイキン・オール・オーヴァー〉を開始した。バックステージで何があったかは知らないが、火がついた状態で戻って来た。タウンゼントはやけどをするほど熱いソロを弾いた。ギターの音は泣き叫んでいた。ロジャーがこの上なく幸せな笑みを浮かべながらピートのほうをながめていたのを、今でも思い浮かべることが出来る。ピートはソロにあまりに夢中になっていたので、自分がアンプに向かってゆっくり下がっているのに気づいていなかった。派手な風車奏法をやった時に、不注意にも、ギターのヘッドをアンプのスタックに思いっきりぶつけ、その瞬間、救いようのないほどチューニングが狂ってしまったのだ。なんてこった。ピートは再び怒りだし、それが粉々に割りたい皿であるかのように、哀れなギターをステージに放り投げると、ソデに歩いて行って、別のSGスペシャルを持って戻り、それにケーブルのプラグを差し込むと、勇敢にも再び演奏に集中しようと試みた。
 ピートが演奏している間、ローディーが這いながらステージに出て来て、チューニングの狂ったSGのストラップをつかみ、ゆっくりとステージの外に引っ張り始めた。ピートに気づかれないようにしながら。しかし、ピートは気づいてしまった。ローディーがソデまで半分戻りかけていた時、タウンゼントは大股で近づいて、足でギターを踏み付け、ネックからヘッドをもぎ取ると、不運なローディーに向かって「ダメー!」と言うように激しく頭を振った。ローディーはあわててソデに戻った。今やギターはステージ上にあり、その横にはヘッドとブリッジが転がっており、それらは6本のゆるんだ弦によってかろうじてつながっていた。その時、ピートはチラッと----0.5秒間だっただろうか----オレを見たのだ。とても落ち着いていて深い意味のあるような表情だった。ピートとオレは目が合った。その瞬間、オレには分かった。そのギターはオレにくれるつもりなんだって。オレはうまく息が出来なくなった。エスターもピートの視線に気づいていた。「ピートがあなたを見てたの、気づいてた?」「ああ、もちろん」オレたちは他の言葉は交わさなかった。曲は終わった。
 ムーンとジョンが壮大なコーダを激しく演奏する一方、ピートは「新しい」SGを置くと、ステージを歩き、あのEE E EE E E Eばかりのソロを弾き、その後もこのコンサートでずっと使っていた、今やヘッドのないSGを拾い上げた。そして、バカっ丁寧にボディーをストラップで包むと、ステージの端まで来て、再びオレをまっすぐ見て、肩をすぼめ、ちょっとうなずくと、ジェスチャーで準備はいいかと訊いてきた。オレはウンとうなづいた。ピートはオーケストラ・ピットの距離をはかりながら、1、2フィート下がると、禅のような1回の動作で宙高くギターを放り投げた。15フィート(4.5メートル)くらいの高さだっただろう。ギターはゆっくりと、まるでスローモーションみたいに、アーチを描きながらオレに向かって落ちて来た。最前列にいた連中は全員、オレのフー友達だったし、ピートがギターを誰に渡したいのかはっきりと意思表示をしていたので、オレの視界の周辺部分では、皆がギターから身を引くのが見えた。ギターはオレのところに落ちて来た。ボディーが顔の高さのところに来た。オレは文字どおりSGの2つの「ツノ」をつかんで、ギターをキャッチした。知らない人のために言っておくと、AC/DCのアンガス・ヤングや、ウッドストックでのピート・タウンゼントの写真を見てくれ。あれがギブソンSGだ。ネックの両側にボディの一部を切り取って、ツノみたいに尖ってる箇所があるだろ。ピートのトスはジョー・ネイマス級だった。ギターを手にするやいなや、オレはピートを見た。ピートはほほ笑み、目で「ナイス・キャッチ」と言った。
 それから、ピートはむこうに向かって歩き、ギターのブリッジを拾うと、ゆっくりとバックステージのほうに歩いて行った。その際に、ピートはヘッドを子犬、弦を紐に見立てて、ワンワン鳴き、このユーモアを認めてもらいたいかのようにジョンを見た。すると、「オックス」ジョンは大爆笑でそれに応えた。

 このシーンの音の証拠を聞きたい人は、次の音源の最後の30秒を聞いてくれ:



 客電がつき、あたりを見回すと、通路は何十人ものガキどもでいっぱいだった。こいつらはオレからギターを奪う気満々で、まさに暴徒だった! すると突然、本物のヘルズ・エンジェルスのメンバーで、ビル・グレアムの警備スタッフをやってる奴が、どこからともなく現れて、オレの隣に立った。こいつは普段は右側の通路をパトロールしている奴(オレの席はAA113だった)で、背の高さは少なくとも6フィート6インチ(195cm)はあり、幅はアメフトのラインバッカーをやる選手くらいあった。そして、髪はブロンドで超長く、ハリー・チェイピンのような髭を生やし、片方の目はさまよっていて…そう、まるでヴァイキングだ! ガキの大群が通路に押し寄せる中、こいつはオレを見て言った:「お前、オレが警備を担当したザ・フーのコンサート全部に必ずいた奴だよな。このギターは誰にも奪わせねぇ!」こいつは体の向きを変えると、オレと75人くらいの暴徒の間に入り、こう叫んだ:「こいつに指1本でも触れたら、腕をへし折ってやるからな。ピートはこいつにギターを投げたんだ! さあ、戻った戻った。さもなきゃ血を見るぞ。オレとやろうっていうのか、こいつ。かかってこいや!」誰も押し寄せなくなった。泣きじゃくりながら近づいて来た15歳くらいの女の子から「ツマミだけでも、もらえないかしら?」と懇願されたので、ひとつ引っこ抜いてあげた。別のガキも1個くれと言うのであげた。ヘルズ・エンジェルスがオレを見て、「お前、何やってんだよ? ここから出してやろう。一緒の奴はいるのか?」と言ったので、オレはエスターを指さした。「OK。お前ら、ついて来い。(暴徒に向かって)さあ、戻った戻った。コンサートは終わりだ! ギターはこいつのものだ。…帰れ!」
 エンジェルスのメンバーは、ステージの一番右にあるドアに向かって、オレを引導し始めた。左手はエスターに握られていたので、オレは右手でギターをしっかり抱えていた。オレたちがゆっくりとドアに向かって進んでいる最中も、皆は手を伸ばして、ギターに触った。何か御利益でもあるかのように。オレとエスターがヴァイキングに案内されてドアを通って階段を上がると、誰もいない超豪華なラウンジ・エリアがあった。そこにはルイ何世みたいな金襴織の椅子、レザーのソファ、絹の壁紙、黄金色のビロードのカーペット、クリスタルのシャンデリア、そして、大きなバーがあったのだ。しかし、その部屋は完全に空っぽというわけではなかった。バーのところに、タキシードを着て、白いシルク・スターフを首のまわりにゆるく巻いている男が、ひとりで立っていた。片足を真鍮製のレールの上に載せ、グラスを口元に持っていこうとしていたこの人物こそ、キット・ランバートと一緒にザ・フーのマネージャーを務めているクリス・スタンプだった。クリスは振り向いて、ヘルズ・エンジェルスのメンバーに肩を組まれているオレを見ると、くすくす笑った。「あぁ、お前があれをつかまえた奴か」彼はこう言うと、再びむこうを向いて、酒をぐいと飲み干した。
 オレたちはヴァイキングに案内されて長い廊下を進んで行った。彼はドアを開けると、おめでとうと言いながら、オレとエスターとギターを、ブロードウェイとアムスターダム・アヴェニューの間の、トンネルのような構造で覆われている西66丁目の歩道に追い出した。その後、オレたちはギターを抱えながら、2時間ほどそのあたりをブラブラして過ごした。エスターはとても楽しんでくれたようだった。オレは彼女の大切な人になれて超興奮したので、次のショウにも彼女をこっそり潜り込ませようと心に誓った。で、実際にそうした。METのスタッフは興奮したティーンエイジャーの扱いには全然慣れていなかったので、エスターにロビーの係員のチェックを突破させることは、笑っちゃうくらい簡単だった。あの金髪のヘルズ・エンジェルスは、ステージの右側の通路を警備していたが、エスターが自分の座席ではなくてオレのヒザの上に座っていて、さらにそのヒザの上にさっきのギターがあるのを見ると、大笑いしながら頭を左右に振り、オレたちのことは放っておいてくれた。夜公演が始まり、1曲目の中盤で、ピートはオレのほうを見た。オレが口を「サンクス!」と動かすと、ピートは「ああ」とうなずいた。ピートはさらにジェスチャーで「彼女をこっそり入れやがったな」と言うので、オレはうなずき返してほほ笑んだ。そうして2回目のショウが進んで行った。1970年6月7日のことだった。

追記その1
 ところで、2年半前の1967年11月に、オレの親友のジェイコブはヴィレッジ・シアター(間もなくフィルモア・イーストに名前を変える)で行なわれたザ・フーのショウで、ピートが破壊したギブソン・ギター(バロン・ウォルマンが撮影したピートがバードマンのポーズをしている写真でも持っていた335だ)をゲットしていた。その塊には、驚いたことに、ヘッドストックが付いていた。そのヘッドをジェイクは気前良く譲ってくれたので、オレはギター・ラボというとてもヒップなリペア工房にいる友人に頼んで、それをMETでもらったSGにくっつけてもらった。以来ずっと、オレはリビングでこのギターを弾き続けている。大きなアンプに繋ぐと、まさしく《ライヴ・アット・リーズ》な音がするんだぜ。そして、そう、あのE E E EE EE…も時々自分で
弾いてみたりする。

petesg.jpg


補足その2
 最近正式にリリースされたザ・フーのドキュメンタリー・ビデオ《アメイジング・ジャーニー》(超オススメだ!)には、ABCの番組『アイウィットネス・ニュース』が1970年6月7日に放送したMET公演に関する映像が20秒間収録されている。そういえば、最初の数曲の間、TV局の連中がオーケストラ・ピットから撮影していたなあ。ピートが腕をグルグル回しながらオレのギターを弾く様子も3秒間映っている。数フレームの間、あの木目も見ることが出来る。



補足その3
 エスターのその後の消息を知りたい人もいるだろう。彼女は背の高いスリム美人であるだけでなく、少し問題のある家庭に生まれたものの優しくて頭も良く、芸術的才能もある子だった。しかし、ピート・タウンゼントがオレにあのギターを投げてよこした1カ月後、エスターはロング・アイランドに住む20代後半の麻薬ディーラーと一緒に暮らすようになってしまった。彼女は16歳だった。その約1年半後のある晩、オレの乗ってる地下鉄がタイムズ・スクエア駅を出発しようとした時に、プラットホームでひとりぽつねんと立っている彼女がチラリと見えたのだが、その時以来、姿は見ていない。良い人生を送っていることを祈る。

補足その4
 一気に24年後の1994年4月22日に飛ぼう。ブロードウェイで広報係をやってる親友が、ミュージカル版《トミー》のオープニング・ナイトとその終演後に行なわれたアフター・パーティーに、オレと女房のスーザンを招待してくれた。驚くほど良いショウだった。…少なくともここ10年、20年くらい、オレは《トミー》に完全に飽きてしまっていたんだけどね。オーディエンスの中にはスターが勢揃いだった…ジャック・ニコルソン、アン・マーガレット、ピート、ジョン、ロジャー…ピートの、表にはあまり出たがらない奥さんのカレンさえもいた。他にも、ニューヨークで暮らしているセレブらしき人がたくさんいた。パーティーがはけようとしていた時に、女房とオレは劇場の入り口のメインドアの中でかたまってる10人ぐらいのグループの横を通り過ぎたのだが、この集団の中心にいたのがクリス・スタンプその人だった。クリスはザ・フーを発見し、マネージャーを務めた2人の人物のうち生き残ってるほうの人間だ(キット・ランバートは10年以上前に亡くなっている)。彼は20代前半と思しき褐色の髪をした超美人と腕を組んでいた。ホワイエにいた彼とその取り巻き連中の横を通り過ぎようとした時、オレは自然と足が止まり、何かに取り憑かれたような激しい感情にかられてこう言った。「スタンプさん。ずいぶん昔のことなのですが、ピートが投げてくれたSGスペシャルを持ってMETのバックステージ・エリアを通っていた時、あなたは“あぁ、お前があれをつかまえた奴か”とおっしゃったのです。その言い方は正しくありません。あなたこそ、素晴らしいバンドをつかまえた方なのです。あなたは私にザ・フーをもたらしてくれました。人生最大の喜びをもたらしてくれたのです。あなたがですよ! そのことを心の底から感謝いたします」彼の友人たちに歓談の邪魔したことを詫びた後、オレは女房と一緒に劇場の外に出た。
 しかし、外に出た途端に、気づいたのだ。もう少しヴェルヴェットのロープの中にいれば、誰からも追い払われずに、あらゆる種類のセレブに会えるぞと。ということで、オレたちはしばらくそこにとどまった。数分後、クリス・スタンプと腕を組んでいたあの茶髪美人が突然前に現れた。彼女はオレの目を見て言った:「あなたがロビーでなさったささやかなスピーチは、クリスにとってとても意味のあるものでした。私にとってもそうでした。あの人は私のパパなのですよ」そう言いながら彼女がストリートのむこうを指さすと、クリスが恥ずかしそうにオレに手を振っていた。なんてスイートな出来事だろう!
 スーザンとオレがストリートを渡って、45丁目とブロードウェイの角にあるマリオット・ホテルまで行くと、オープニング・ナイトのパーティーが真っ盛りだった。
 このイベント用に選ばれた宴会場はバカでかくて、少なくとも3,000人は入れるくらい大きかった。オレたちはテーブルに着いて、適当に何かをかじり、シャンペンを飲みながら、スターたちを眺めていた。しかし遂に、スーザンが「ベビーシッターには10:30までには戻ると言ったのに、もう10:45よ。あなたにとって特別な夜だってことは分かってるけど、楽しいことには必ず終わりが来るものなのよ」と言い出した。ゆっくりと嫌々ながらコートの袖に手を通しながら、宴会場のむこうの端のほうをたまたま見たら、そこでピートとジョンがふたりきりで立って話をしているじゃないか。まるで宇宙に浮かぶ星のように、周囲50フィート(15メートル)以内には誰もいない状態だったのだ。
 このことを説明すると、スーザンは、「わかったわ。行って、ザ・フーの皆さんにおやすみの挨拶をしてきなさい、ビンキー」と言った。
 オレは宴会場のむこう側まで、出来るだけ素早く、出来るだけ目立たないように移動した。オレはピートとジョンを独り占めにしたかったのだ。あと20フィート(6メートル)のところまで近づいた時、ピートはオレに背を向けてしまったが、こっちの方向を向いていたジョンは、フィルモア・イーストの最前列で見ていた頃から何年も経っているというのにオレに気づき、目を大きく開いて「おぉ、お前じゃんか!」的な笑顔をしてくれたのだ。するとピートも、ジョンが見つけた人物が誰なのか確かめるために振り向くと、一瞬もためらわずに言った:「すまない、ビンキー。METであげたSGを返してくれ…今すぐちょっと現金が必要なんだよ」年老いた質屋の主人のように親指と他の指をこすり合わせながら。
 エントウィッスルもすかさず、身を乗り出して、「ピートの言う通りさ、ビンキー。来週サザビーのロック・オークションがあるから、返してもらわなきゃならないんだ」この冗談がどれほど電光石火に出てきたものなのか、どんなに説明しても足りないだろう。ジョンとピートはオレが近づいたまさにその瞬間にこんなことを言い出したのだ。まるでリハーサルをしていたかのように。ザ・フーのメンバーともなると、そこらの人間とは頭の構造が違うのだ。
 恐れていた通り、オレが彼らを独占出来た時間はたった30秒だった。その後、数十人もの人間がスターが宴会場の端に立ってることに気づき、オレたちのところに押し寄せて来た。幸運なことに、そのうちにひとりがカメラマンであり、数週間後に広報係をやってる友人を通じて、オレがザ・フーの半分と写ってる写真を数枚受け取った。当然、これらは今、机の上のすぐ手の届くところに飾ってある。

補足その5
 メトロポリタン歌劇場でピートがオレに投げたギブソン・SGスペシャルは、ロックンロール・ホール・オブ・フェイムで2005年4月7日から2006年3月12日まで開催された特別展「トミー:ジ・アメイジング・ジャーニー」にて、お宝として展示された。オレのギターは15カ月間、ピートが《トミー》を作曲する際に使ったギブソン・J200の隣にあった。何て名誉なことだろう。

Original copyrighted articles "I Caught Pete Townshend's Guitar" and "Pete Townshend's Guitar...Part Two" by Binky Phillips
Reprinted by permission
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/40th-anniversary-of-a-nic_b_612963.html
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/pete-townshends-guitar-pa_b_620130.html

  

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