2012年11月25日

NY Rock'n'Roll Life【4】1964年8月29日、親父にビートルズのコンサートに連れてってもらったぜ

 ローリング・ストーンズを見たり、ザ・フーを見たり、KISSのポール・スタンレーとは高校時代の友人だったりと、ビンキーは凄い体験をしていますが、今回はビートルズのコンサートを見た話です。タイトルにある日付に注目してください。ビートルズがニューヨークのホテルでボブ・ディランと会い、すすめられたマリファナを吸引してトリップした翌日ですよ。純真無垢だった時代とサイケでイッちゃった時代のまさに境目。客席でこのことを知ってた人なんてゼロでしょうね。



 この動画の3:30くらいからリンゴはボブと会った話をしており、ボブは部屋にいただけで、ブツを持って来たのは別の人間だと語ってますが、その「別の人間」というのは当時のボブの取り巻きのひとりだったアル・アロノヴィッツです。アルはボブとビートルズの対面を画策し、まさにその瞬間に居合わせたことを『The Blacklisted Journalist』の中で述べていますが、あの頃のボブの変化、ビートルズの変化、音楽界の変化をジャーナリストの視点でつぶさに観察し、その流れの中にトリップを位置づけた彼の文は暴露本の域をはるかに超えた名レポートだと言えます。
 同じ1964年8月のことを語っているのに、ビンキーは無垢な小学生視点、アロノヴィッツは裏の事情を知ってる大人の視点で、非常に対照的です。ビンキーの文は下の「記事本文を読む」をクリックすれば読めますが、残念なことにアロノヴィッツの本は現在品薄状態で、ウェブサイトも「続きは本を読んでね」になっています。この本の中のボブ・ディランについて書いてある2つの章の簡略バージョン(それでも原稿用紙60枚の量)でしたら、このリンクをたどると拙訳を読むことが出来ますので、ご利用いただけたら幸いです。『The Blacklisted Journalist』の完訳版も世に出せないものかなあ。

1964年8月ニューヨーク、フォーレスト・ヒルズ公演に関する写真を掲載したサイト:
http://meetthebeatlesforreal.blogspot.jp/2012/04/forest-hills-concert.html

  


ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ
第4回:1964年8月29日、親父にビートルズのコンサートに連れてってもらったぜ
文:ビンキー・フィリップス


 ありがとう、ありがとう、ありがとう、親父!
 1964年6月下旬のある晩に親父が宣言した。夏の終わりにニューヨークで開催されるビートルズのコンサートのチケットを買ったぞ、と。その年の前半、エド・サリヴァン・ショウにビートルズが登場した時に人生がひっくり返ってしまった11歳のガキにとって、このニュースはクリスマス20回分に相当した。ビートルズはクイーンズのフォーレスト・ヒルズ・テニス・スタジアムでコンサートを行ない、主催はWMCAのグッド・ガイズ(大好きなディスクジョッキーのいる大好きななラジオ曲だった)だった。今になって考えてみると、こうなった経緯をちょっと知りたくも思う。
 ニューヨーク・シティーのラジオ局の中で、WINSではDJのマレー・ザ・Kがビートルズの5人目のメンバーを自称していたし、WABCは数カ月前からWAビートルCと名乗っていたが、WMCAもビートルズの曲をたくさん放送してはいたものの、そんなに露骨に彼らを利用しているわけではなかった。なのに、この局はどうしてコンサートの主催者となったのだろう?
 とにかく、その年の夏は、初めて自宅を離れて夜を過ごしたキャンプ体験があったものの、少年時代に過ごした夏の中で時間が超ゆっくり過ぎた唯一の夏だった。
 オレには理解出来ないさまざまな理由で、お袋は行きたくないと言ったので(お袋はその決断を今日まで後悔している)、親父はチケットを3枚買った。1枚はオレ、1枚は9歳の妹、そしてもう1枚は親父用だった。遂に8月29日が来た時、オレは興奮しすぎて吐きそうなくらいだったのだが、その日は1日中、空は不気味な灰色で、荒れそうな気配だった。あぁ、どうか雨は降らないでください。万一の時に備えて、オヤジは家を出る時に、大きな黒い傘を持って行った。
 ブルックリン・ハイツからフォーレスト・ヒルズまでの1時間の小旅行を行なうために地下鉄に向かっていると、近所の年上のちょっと怖い不良少年数人が、オレの家のあるブロックの角で騒いでいて、オレたちが角に差しかかった時に、殆どあふれんばかりになっていた市のゴミ収集缶をひっくり返して、通りをゴミだらけにしたのだ。
 親父はすかさず、大きな折りたたみ傘をサーベルのように頭上にかざし、叫び声を上げながら悪ガキどもを追いかけ始めたのだが、この時の恥ずかしさといったら…。親父が大人の正義の怒りをあらわにしたのを、コンサート会場に行く間中ずっと痛々しいくらい恥ずかしく感じていたことを、オレは今でもヴィヴィッドに覚えている。
 しかし、会場に到着するやいなや、あたりの雰囲気に飲まれて、ビートルズ以外のあらゆることを忘れてしまった。オレはあんな大きな会場に行ったことはなかったし、あれほど期待感でビリビリしたこともなかった。今日の基準からすると、フォーレスト・ヒルズ・テニス・スタジアムはこじんまりとしたアット・ホームな屋外会場だが、あの時は巨大に見えたのだった。しかも、オレたちの座席は前から3分の2のところで、そこはありえないくらいステージから遠かった。
 実際に、ステージに近い奴なんてひとりもいなかった。テニス・コートの表面はデリケートなので、オーディエンスは皆、周囲の屋根なし観客席部分の3分の4に座っており、アリーナには警察のバリケードだけが、障害走のハードルのように、一定の間隔を置いて存在していた。後に行なわれたシェイ・スタジアム・ショウのように、ビートルズは空っぽのフィールドで演奏したのだ。
 オレの記憶では、ショウはR&B風インスト曲を演奏するバンドで始まり、次に「リトル」スティーヴィー・ワンダーが短いセットを披露した。少々恥ずかしながら認めると、オレの記憶にあるのは、スティーヴィーのバンドがとてもハイ・エナジーだったことと、音が濁っていたことだけなのだが、ミスター・ワンダーがピカピカな銀色のシルク・スーツを着ていたことははっきり覚えている。
 その後、WMCAのグッド・ガイズが登場して、当時は慣例として必ず行なうことになっていたようなのだが、ウォームアップのために邪魔なおしゃべりを延々と行なった。「もうすぐここに来ますよ。いつ登場してもおかしくありません。みんなで叫びましょう、B!E!…」実際には20分もやってなかっただろうが、永遠に続いているかのように感じられた。
 と、その時、突然、ヘリコプターが暗い色をした空から姿を現し、ステージの裏のどこかに着陸した(それとも、オレは夢を見ていたのだろうか?)。ビートルズがヘリコプターに乗っているとしか考えられない! 観客の期待が最高潮になった。 ああっ、いたいた! その直後に、お揃いの黒のスーツ、黒のブーツ、白いシャツ、黒のネクタイに身を包み、有名なギターを肩からさげて、4人のスリムな男たちが、『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』で見られるような他愛ない仕草で、ワイルドに手を振ったりダンスをしたりしながら、ステージに向かって歩いて行った。
 絶叫するオーディエンスの発する音はそれまでに体験していた何物をも超越していた。それは全世界を隔絶してしまうハイピッチのホワイトノイズだった。スタジアムは異質な場所になった。驚いた親父は妹とオレに向かって、帰ったほうがいいなと叫んだ。
 「このままだと耳が聞こえなくなっちまうよ」
 ビートルズがまだ1音も出してないというのに、親父は見ないで帰ろうと言い出したのだ。しかし、ムッとする間もないうちに、ビートルズはオープニング・ナンバーを開始し、絶叫はさらに大きくなった。これって現実なのか?
 ドラムとシンバル、ポールのベースがボンボン鳴る音はどうにか識別することが出来たが、ギターの音が聞こえた記憶はない。この楽器の周波数はティーンエイジの女の子の大絶叫と近かったのだろう。ヴォーカルの大部分も聞こえなかったが、聞こえた時には、レコードと同じだった。思い返すと、彼らが『アメリカン・アイドル』で言う「ピッチー」(ピッチが不正確)には決してならず、音程を保っていたのは驚きである。ジョンが〈ハード・デイズ・ナイト〉を「ボクたちの新しい映画の曲です」と紹介した後、内輪の冗談に受けているようにポールとふざけていたのも覚えている。ジョージは〈ベートーヴェンをぶっとばせ〉を歌った。リンゴは紹介を受けた後に〈ボーイズ〉を歌ったが、この曲の間、何かが起こり、メンバー全員が笑い転げていた。オレたちはメンバーの表情のようなものが見える程度には、近いところに座っていた。ビートルズのメンバーが「ウゥー」って言いながら、かの有名な髪の毛を揺らすと、さらに熱狂的な歓声が沸き起こった。
 ポールが曲の紹介中に、観客に足を踏み鳴らして欲しいと言たので、オレたちがそうすると、既にガタがきていた古い木製のスタジアム全体が揺れ始めた。オレたちがスタジアムを崩壊させようとしていた時、親父は大人のあわてた表情をしていた。そして、帰宅途中で、ポールのこの発言について「とても無責任だ」と怒ってたのも覚えている。ショウは5分で終わってしまったように感じた。たった9曲しか演奏しなかったんじゃないかな。
 最もヴィヴィッドに覚えてるのは、最後の曲の演奏中に起こった出来事だ。たぶん、〈のっぽのサリー〉だっただろう。ビートルズは〈シー・ラヴズ・ユー〉〈抱きしめたい〉もやったが、カバー曲もたくさん演奏したのだ。で、〈のっぽのサリー〉の最中に、ステージから一番遠い席から、ピカピカのエメラルド・グリーンの服を着た女性(といっても、実際には16歳くらいの子だったのだろう)が全速力で走りながらテニス・コートに突入していった。彼女は警察のバリケードをオリンピックのハードル選手のように飛び越えたりかわしたりしながら、ステージに向かって突進し、その後を警官が追いかけた。
 彼女はビートルズのメンバーに気づいてもらえるくらい近づくことに成功した時には(ジョージがジョンとポールにそれを教えていたと思う)、オレを含む観客全員が彼女を応援したい気持ちになり、ステージまでもう少しというところで捕まってしまった瞬間には、皆で悲嘆の声を上げた。その間中ずっと、観客による全力の叫び声が続いていたわけだが、このシーンはまるで、アイドルと一緒にステージに立ちたいという皆の願いが、彼女がステージにたどりつくことで叶うと思っているかのようだった。
 叫び声に関して一番驚いたのが、ポールかジョンが次の曲を紹介する瞬間を除いて、止んだり引いたりせずずっと続いており、しかも、しばらくすると、それを殆ど無視することも出来たということだ。耳が絶叫に慣れてきたので、最初の3曲よりも最後の3曲のほうがよく聞こえた。ジョージのリード・ギターの一部も聞こえたほどだ。PAは、今なら400席くらいの会場で見かけるくらいの大きさのものだったので、そんなシステムで何か聞こえる音があったこと自体、驚くべきことではないだろうか。
 このウキウキ、ワクワク気分の後遺症はとても酷く、オレは足が震え、終演後に地下鉄まで歩くのにやっとだった。妹は明らかに茫然自失状態だった。しかし、オレはビートルズは再び見に行こうとはしなかった。これは1回でじゅうぶん満足してしまった体験のひとつだった。でも、ありがとう、親父。

終わりに・その1:
 お袋とビートルズの話もしておこう。1964年2月にプラザ・ホテルの外までオレを連れてってくれたのが、お袋だった。おかげで、オレは2時間くらいそこにいて、ポールとジョンがキャデラックのリムジンから出て来て、階段を駆け上がり、ホテルの回転ドアの中に消えて行くのをチラッと見ることが出来たのだ。ふたりとも黒のオーバーコートを着ていたが、帽子は被っておらず、あの有名な髪が丸々見えた。オレはあの場にいた最も年下の子供で、男はオレだけだった。前髪をおでこの上にたらしていたので、キレイでやさしい15歳のお姉さん2人から、ビートルズみたいよと言われたのだが、この言葉は、何十年も前の凍てついた2月の午後に神2人を5秒間見たことに匹敵するくらい、嬉しいかったことだった。

終わりに・その2
 約30年後、ラジオ・シティー・ミュージック・ホールで、リンゴ&ヒズ・オール・スター・バンドのショウのサウンドチェック後に行なわれた、リンゴ・スターとのミート&グリートに参加した。約50人が神を待っていた。オレはリンゴと握手をした一番最後の人間だった。握手をしながら、「リンゴ、最後にあなたの姿を生で見たのは、1964年8月のフォーレスト・ヒルズ・テニス・スタジアム公演の時なんですよ」と言うと、リンゴはサングラスを下にさげてオレをじっと見ると、明るく謝りながら、こう答えた:「すまないが、キミのこと思い出せないな」


Copyrighted article "Dad Takes Me To See The Beatles - August 29th, 1964" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/dad-takes-me-to-see-the-b_b_692833.html
Reprinted by permission
posted by Saved at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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