2012年12月09日

NY Rock'n'Roll Life【5】エリック・クラプトンのギター・ケースを購入したぜ

 今回はエリック・クラプトンのサイケペイントSGにまつわる話です。といっても、ギターそのものではなくて、エリックがそれを入れていたケースの話です。サイケSGについては下記のWayside of Life「サイケSGとジャッキー・ロマックスの物語」に詳しく書いてあります。

Wayside of Life
http://blogs.yahoo.co.jp/davray/52803623.html

 本文中にも出てくるのですが、1957年に製造されたストラトキャスターは名品らしいですね。たしか、エリック・クラプトンの「ブラッキー」もその頃作られたストラトだったと思います。
 ビンキーはこの他にもギターの話をたくさんしているので、今後もお楽しみに。

   


ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ
第5回:エリック・クラプトンのギター・ケースを購入したぜ
文:ビンキー・フィリップス


 1967年7月8日、ザ・フーがニューヨークで行なった初のフル・コンサートをヴィレッジ・シアターで見た。ピート・タウンゼントはフェンダー・ストラトキャスターを使っていた。その時までは、リッケンバッカーを持っている写真しか見たことがなかった。あっ、いや、約100日前のイースター休暇の間に、マレー・ザ・Kの『ミュージック・イン・ザ・フィフス・ディメンション』ショウで見た時には、ピートはブロンドのフェンダー・テレキャスターを使っていた。しかも、それはオレが1966年のクリスマスに両親から買ってもらったものにそっくりだった。崇拝するアイドルが自分が持ってるのと同じギターで演奏しているのを見て、オレは頭がクラクラした。マレー・ザ・Kのショウも7月8日のショウも、カッチョいいユニオンジャックのジャケットとヴォックスのスーパー・ビートル・アンプ、壮観なスモークの演出等、書くべきことがたくさんあったが、それについてはまた後ほど…。
 とにかく、ザ・フーに取り憑かれた14歳のオレは、すぐにストラトキャスターが欲しくて仕方なくなった。その頃、ジミ・ヘンドリクスというワイルドな新人が、右利き用のものをひっくり返して弾いていたが、オレのフェンダー・ストラト熱はあくまでザ・フーが使ってたからということだった。あのギターを「ストラト」と呼んでいたのは、オレが聞いた中ではピート・タウンゼントが初だった。約5カ月後に西55丁目にあるゴーラム・ホテルのロビーで会った時に、ピートはそう言っていたのだ。
 それから数週間も経ってない夏の真っ只中に、オレは80%が黒人、15%がラティーノ、白人が5%という人種構成のバスケットボール・コートに入って行った。間もなく9年生として通うことになるこの中学校は、ブルックリンの当時とても荒れていたクリントン・ヒル地区にあったのだ。オレはまず、そこらへんにいた屈強そうな奴に、レイって生徒を知ってますか?と恐る恐る聞いてみた。数日前に、オレは友人の友人から、レイっていう奴がストラトキャスターを売りたがってるということと、どこに行けばそいつがいるかを聞いてあったのだ。レイはすぐに分かった。彼は年上で怖そうに見えるプエルトリコ人で、ひとりで立っていた。オレがそいつに歩いて近づき、フェンダー・ストラトキャスターを売りたいっていうのはキミかい?と訊いた。「そうだ。オレは陸軍に入る前に恋人に婚約指輪を買ってやりてえんだ。ギターは50ドルだ」と答えたので、オレが是非欲しいと言うと、レイは「わかった。金を持って来い。お前のもんだ」と言った。
 オレは帰宅し、約2週間後に、ダンエレクトロのギターとプレミアのリヴァーブ・ユニットをそれぞれ25ドルで近所の友人に売ることが出来たので、オレは再度学校に出向いて、校庭をブラついてたレイを見つけ、50ドルを見せたのだが、こいつは首を横に振り、60ドルに値上げすることにしたと言った。しかし、オレが見るからにしょぼくれたので、レイは肩をすぼめて、やさしくこう言ってくれた:「わかった、わかった。50ドルだ」
 その後、レイは頭がはげた黒人の老人が住むワン・ルームの地下アパートメントにオレを連れて行った。そこは学校から4ブロックほど離れたところにあった。レイがギターを取りに来たんだと言うと、オレがそれまでに見たこともないほど哀れな生活スペースの中で、オレがそれまでに見たこともないほど大きなカラーTVを見ていた老人が、憂鬱そうに少しうなずいた。ギターは実際にはこの老人のものだったに違いない。このストラトはまあまあの状態だったが、かなり使い込んだ跡があった。しかし、そんなのどうでもいいや…。オレは10ドル札を5枚数えるとレイに渡し、老人にさよならを言うと、今やオレの物となったギターを抱えてストリートを歩いた。こうしてオレは、1957年11月に製造されたボロボロのストラトを50ドルで手に入れた。小さな問題がひとつあった。ケースがなかったのだ。
 このギターを手に入れて約4カ月経った頃、安い中古のケースを買おうと思って西48丁目にあるダン・アームストロングの小さくて汚い店に行った。ここは中古ギターと修理の専門店なのだが、オーナーは、後にたくさんのロックスターが弾いているのを目にする透明ボディーのギター(キース・リチャーズが《ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト》ショウで使ったことで有名になった)をデザインしたダン・アームストロングその人だ。
 ダニーの散らかった店の中に入って行くと、標準的な長い長方形のギター・ケースがオレの顔をじっと見ていた。そのケースには、約10インチ(30cm)大の文字で「CREAM」とステンシルされており、その横には7、8枚のボロボロになった税関のステッカー、航空会社のステッカーが貼ってあった。これと同じ字体のステンシルがアンプの後ろに書かれているのが、クリームのCDボックスセット《Those Were The Days》のブックレットの写真で見ることが出来る。クリームはヴィレッジ・シアターで2晩コンサートをやったばかりだった(オレは初日を見た)。ここはオレがピートがストラトキャスターを弾くのを見た会場で、間もなく、1968年初頭にはフィルモア・イーストに改名した。それで、エリックがニューヨークにいることは知っていた。
 「あれは本当にエリック・クラプトンのギター・ケースなの?」
 オレが疑うように訊いたら、机の向こうに座っているダンが答えた:「ああ。今日の午後、ここに置いていったんだ」
 オレはついうっかり口をすべらせて「20ドルでそれを買うぜ」と言ったら、ダンは笑い出した。
 「そいつは20ドルの価値もないが、それほど言うのなら、その金受け取ろう」
 これは、エリックがサイケデリック・ペイントが施された(ザ・フールによって。ロンドンにあるビートルズのアップル・コーア・ビルの外壁をペイントしたのもこいつらだ)ギブソンSGスタンダードを入れて運んでいたケースだった。そう、このギターこそ、クリームの2枚のアルバム(《カラフル・クリーム》は2週間ほど前に出たばかりだった)のレコーディングに使用し、ツアーでも使ったものだ。
 それから、オレが1957年製ストラトキャスターを見せたら(ダッフルバッグに入れて持って行った)、ダンはとても感銘を受けていた。いくらで手に入れたか話したら、さらに大きな声で笑い、奥の部屋にいた2人のリペアマンを呼んで言った:「カールとエディーにも、そのストラトキャスターをいくらで買ったか教えてやりな」オレが50ドルと言うと、3人全員が大爆笑し始めた。
 ダンは言った:「そのギターは絶対に売るなよ」
 オレはダンに20ドル札を渡すと、エリックのケースにフェンダーを入れた。
 数週間、オレはストラトキャスターをそのケースに入れてブルックリンやマンハッタンをウロウロしていたが、嫌な思いしかしなかった。「あそこにクリーム野郎がいるぜ」「バカな奴だな。ケースには自分のバンドの名前を書くもんなのに」「そんなにクラプトンに惚れてるのか? お前、オカマ?」恥ずかしい思いをするのにウンザリしたので、オレは黒ペンキのスプレーを買って来て、「CREAM」という文字と税関のステッカーを塗りつぶしてしまった。念を入れて5回くらい塗ってやったさ。
 ところで、この約3カ月後、オレはダン・アームストロングの賢いアドバイスに背いて、ストラトキャスターと「CREAM」という文字を塗りつぶしたケースの両方を、マジシャンズというバンドをやってたグリニッジ・ヴィレッジの伝説的ギター・プレイヤー、ジェイク・ジェイコブスに売ってしまった。彼はバンキー&ジェイクという新プロジェクトを始め、間もなくマーキュリー・レコードでアルバムをレコーディングするところだった。彼の相方のバンキーという名の黒人女性がギターを欲しがっていたので、ストラトキャスターとエリック・クラプトンのケースを150ドルで売ったのだ。オレはその金で、エリック・クラプトンがあのケースの中に入れて運んでたのとほぼ同じギブソンSGレスポールを買ったのだ。
 ストラトキャスターを買って1年が経った1968年の夏の終わりのことだった。ニューヨークの新しいプログレッシヴなFM局、WNEWは、セントラル・パークにある有名なバンドシェルで、入場無料の1周年記念コンサートを開催した。出演者の中にはスティーヴ・ウィンウッドのトラフィックや、スーパースター・セッションマンが集まったバンド、ライノセロスもいた。オレは早い時間に到着し、2列目に座っていた。最初に登場したのがバンキー&ジェイクだ。彼らは素晴らしいバンドだった。デラニー&ボニーのニューヨーク・バージョンのような感じで、もっとカッコよく、もっとヒップで、もっと粗削りのサウンドだった。彼らの演奏中、オレは大声で叫んだ:「数カ月前にバンキーに古いストラトを売ったの、オレだぜ!」すると、オレの前にいた超長い黒髪の奴が振り向いて(あれから長い年月が経った今でも、頭の中ではあいつの顔をヴィヴィッドに覚えている)、オレに軽蔑のまなざしを向けながら言った:「お前、バカか」バンキーがそのギターを演奏するのを見ているうちに、オレは突然、こいつの発言が正しいことに気づいた。あのフェンダーを取り戻さねば!
 ということで、バンキー&ジェイクの最後の曲が終わるやいなや、オレは席から離れて、ステージに向かって駆け出した。ステージに続く小さな階段の最上段にいた警官がオレを止めながら「おいおい、そっちはステージだろ」と言ったので、「今出てたバンド、オレのギターを借りっぱなしなんだ」と答えたら、そいつは肩をすぼめて通してくれた。昔は警備態勢なんてこんなもんだった。
 オレはジェイクとバンキーのところに行くと、ふたりとも、すぐにオレだとわかってくれた。オレはショウを大変気に入ったと言った後、ストラトキャスターをどうしても返してもらいたいと伝えた。ジェイクが、それを売ってギブソンを買おうとしてたところだと言うので、オレは、古いギブソンES-330(ジョンとポールとジョージのエピフォン・カジノのギブソン版。100ドルも払った)を最近手に入れたので、フェンダーと交換してくれと頼んでみた。
 すると、ジェイクは笑いながら乗り気で言った:「すげえや! 探してたの、そのモデルなんだよ」
 ということで、3日後に、オレは1957年製ストラトキャスターを取り戻すことに成功した。しかし、エリックの「CREAM」ケースはというと、ジェイクはオレが手に入れた時と同額の20ドルで既に売ってしまっていたのだ。ということで、まあ、今でもあるのはギターだけなのさ。

Copyrighted article "I Buy Eric Clapton's CREAM Guitar Case" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/i-buy-eric-claptons-cream_b_683698.html
Reprinted by permission
posted by Saved at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | Eric Clapton | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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