2012年12月25日

NY Rock'n'Roll Life【7】ピート・タウンゼント、フィルモア・イーストでオレの両親に会う

 今回紹介する記事はピート・タウンゼント自伝の次の箇所と同じ出来事を取りあげており、ファンの側からの証言として重要な資料となっています:

p.115 マレー・ザ・K・ショウに来てくれた数十人の名前を覚えている。一部のファンに至っては、両親の名前さえ知っている。
p.171 フィルモア・イーストで《トミー》演奏
p.172 火災、非番の警官にドロップキック
p.174 出廷、75ドル罰金

 既にピート自伝は読み終わっちゃってると思いますが、もう1度本棚から引っぱりだして読んでみてください。ザ・フー初のアメリカ公演となったマレー・ザ・K・ショウを見たことについても、ビンキーは面白い記事を書いていますので、別の機会に紹介しましょう。

 


ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ
第7回:ピート・タウンゼント、フィルモア・イーストでオレの両親に会う
文:ビンキー・フィリップス


 1967年11月25日。『セル・アウト』の宣伝としては悪いタイミングだった。〈恋のマジック・アイ〉は全米チャートでトップ10に入っていたのに、なぜか、アルバムはまだリリースされていない状態だった。ザ・フーは2番街と6丁目の交差点の近くにあるヴィレッジ・シアターでコンサートを行なった。ここはあと半年もしないうちに、フィルモア・イーストになった会場だ。ヴィレッジ・シアターだった時は、建物が老朽化し、ボロボロで、経営状態も良くなかったのだが、ビル・グレアムがここを引き継いだ時に行なったたくさんの改善点のひとつが、ステージ前に4列(AA、BB、CC、DD)を追加したことだった。そして、ザ・フーがここで行なった次以降の全てのコンサートでは、AA113がオレの「指定席」だった。最前列で通路に面しているその席は、ピート・タウンゼントのマイク・スタンドの真ん前だったのだ。

fillmore inside.jpg

【訳者註:フィルモア・イースト内部。ビンキー「指定席」はこのへんか?】


 1967年11月25日には、この4列は存在していなかった。この2年後の感謝祭の日にマディソン・スクエア・ガーデンで行なわれたローリング・ストーンズのマチネ公演で、チャーリー・ワッツのドラムスティックを顔で受け止めた話で書いたように、ステージ前の座席のないスペースは、客電が落ち、ザ・フーのメンバーが登場するやいなや、通路を駆け降りてきたガキどもでいっぱいになった。そこに最初に到着した連中のひとりとして、オレは後ろの奴らに押されてステージに密着し、ピート・タウンゼントのアンプの真ん前を確保することが出来た。完璧だ!
 バロン・ウォルマンがカウ・パレスで撮影したピートのあの有名な写真を知ってる? スパンコールがピカピカ光るジャケットに、フリルの入ったシャツ、白のパンツにブーツという衣装を身につけ、両腕をまっすぐ広げてバードマンのポーズをしながら、カメラ目線で疲れ果てた表情をしているあの写真だ。ヴィレッジ・シアターでのピートもまさに同じ格好をしていて、使ってるギターも同じく、1950年代末に製造されたギブソン335だった。今では35,000ドル以上の価値のあるギターだ…もしまだ存在していればの話だが。



【訳者註:ファンが8mmで撮影した1967年11月フィルモア公演の動画。
335がまだ原形をとどめていることに注目】


 ムーンのドラムは〈ピクチャー・オブ・リリー〉仕様になっていて、古いセピア色のピンナップに覆われ、暗闇で光るさまざまなパステルカラーの塗料で、サイケデリックなレタリングが施されていた。ダルトリーの髪は超ふさふさモードで、オックスはブーメランのような形のベースを使っていた。
 ザ・フーは耳をつんざくほどの大音量で演奏し、カリスマなんていうレベルを数十段階も超越していた。しかしそのうち、図体のデカいカメラマンがアンプの後ろから出て来てステージの縁にしゃがみこみ、オレの真ん前でピート・タウンゼントをクローズアップで撮影し始めやがった。殆ど丸々1曲分、視界を遮られて、オレはとても腹が立っていたのだが、突然、カメラマンは立ち上がってアンプの後ろに戻り、今度はステージのエントウィッスルの側の絶好の撮影ポイントに行った。
 そういえば、ピートの前で座っていたカメラマンを誰も追い払わなかったよなあ…と思ったオレは、ちょっと試してみることにした。ステージ上に両手を置くと、オレはゆっくりとステージ上にあがり、ピートのマイク・スタンドから約2メートル半のところに座った。オレを追い払おうとする奴は皆無で、他の客で後に続こうという奴もいなかった。少なくともショウの殆どの間は。
 20秒もしないうちにピートはオレを見て、「ま、いっか。そこにいろ」的なしかめ面をしたので、ショウの残りの時間は崇拝するアイドルの足元で、ヒーローとのたくさんのアイコンタクトと容赦ない音量のギターを楽しんだ。
 警備スタッフは全くいなかったので、ショウが進行するにつれて、ステージそではバックステージから出て来た取り巻きたちや、客席からステージに上がるほど図々しくなった他のガキどもで、徐々に混雑してきたが、ステージ上にいたのはまだオレだけだった。
 ショウの終盤で、デブで大柄の奴が手を伸ばしてオレのコートをつかみ、オレを支えにしてステージによじ登り始めた。タウンゼントはこの様子を見ながらステージをうろついていたが、このガキがステージに両膝をついた瞬間、右足を上げて、そいつのおでこの上に慎重にブーツの底を置き、ひと蹴り(ひと押し)して客席に戻した。こいつは3メートル向こうに着地した。思いがけない手荒な扱いにビックリして、後ろを見ると、デブガキはドスンと着地した後に弾けるように立ち上がった。おでこに大きな靴跡をつけながら、超ニコニコ顔で、勝ち誇ったように喜んで「ピートに蹴飛ばされた! ピートに蹴飛ばされた!」と叫んでいた。10年早い超パンクな光景だった。
 そして、タウンゼントが〈マイ・ジェネレーション〉とアナウンスすると、ステージ上にいた連中全員は、間もなく何が起ころうとしてるのか分かっていたので、そでの奥のほうにごそろそ引っ込んでいった。が、オレだけはチョコチョコとピートのマイク・スタンドの土台のことろまで進んでいったのだ。そして、差し迫った混沌と破壊を一瞬たりとて見逃すまいと、目を大きく見開いて待っていた。
 オレはピートに触ったりしなかったが、手を伸ばしたら足をつかむことは出来たかもしれない。文字通り、彼のマイクから1メートルも離れていなかった。ピートは最初は唖然とした表情で、次に愉快そうな顔をしてオレをストレートに見た。「お前、正気か? 過激な奴だなあ! 気をつけて見てろ! いいな!」と言ってるかのようだった。
 そして、曲の最後の少なくとも30秒間、オレは大怪我をする危険を冒した。しかし、この瞬間の最もヴィヴィッドな記憶は、破壊行為の真っ最中、発煙筒が焚かれ、ギターが宙に舞い、アンプやドラムがなぎ倒されている時に、オーディエンスの誰かがステージのエントウィッスル側で小さなネズミのおもちゃを走らせたことだ。タウンゼントはおもちゃのネズミが自分のほうに向かってくるのを見ると、ステージを走って横断し、全力でそれを踏み付けた。金属性のネズミはステージ上のあらゆるものと同様に死ななければならなかった。
 翌日、ザ・フーは同じ会場で日曜日の昼公演を行なった。オレは再び最前列へと走った。しかし、マネージメントもバカじゃない。4、5人の大男がオレたちを待ち受けていたのだ。彼らはオレたちを追い返そうとはしなかったが、ステージの縁から3メートル以内には近づけさせてはくれなかった。
 2度、キース・ムーンが放り投げたドラムスティックがステージの縁に落ちてきたので、オレは2度、狂ったようにステージ前に駆け寄って、スティックをつかみ、2度、用心棒のひとりによって群衆の中に押し戻された。
 ピートは前の日の晩と同じギブソン335を使っていたが、ボディの下半分は、昨晩、オレがステージ上にいる間に起こった大混乱の際に失われていて、死にそうな状態だった。ピートはマチネー公演中、残った唯一のボリューム・ノブのみで演奏していた。スピーカー・キャビネットの上にはギブソンSGカスタムが置いてあったが、これはオープニング・アクトを務めたザ・ヴェイグランツのギタリストだったレスリー・ウェストから借りた物だった。壊れかかっている335がショウの最後まで持ちこたえることが出来なかった場合に備えて、レスリーが親切心から貸していたのだが、ピカピカの新品でとても高価なそのギターを、もし必要とあらば壊してもいいという許可までピートに与えていたのかどうかは、オレの長年の疑問だ。
 この晩もまた、ショウのエンディングでザ・フーの専売特許の狂気が爆発した。古くてボロボロのギブソン335が一瞬で粉々になるのを、オレは目撃した。
 数分後、劇場から出て行こうとした時、ベンジーとジェイクと会った。ふたりともオレのダチで、ステージ前に押し寄せてコンサートを見た仲間だ。オレは素晴らしい戦利品を見せたくてウズウズしてた。キース・ムーンのドラムスティック、しかも、1本だけじゃなくて2本だ。
 しかし、ジェイクの歩き方がおかしい。ピージャケットの下に何か大きなものを隠している。彼は不安そうに、目をキョロキョロさせていた。オレたちは会場の外に出て、ジェイクに何を隠してるのか見せろと言った。彼はドアの陰にオレを連れて行き、コートを広げた。すると、ピートのギブソン335のボディーの3分の2が出て来たのだ。
 その瞬間、キース・ムーンのドラムスティック2本が、とてもちっぽけなものに思えた。
 時間を早送りしよう。さて、1969年5月のことだ。
 16日(金)と17日(土)にフィルモア・イーストでザ・フーの《トミー》公演が行なわれることになっていて、チケットはソールド・アウトだった。オレは全4公演のチケットを持っていた。先にも述べた通り、全公演、オレの席はAA113だった。最前列で、右側の通路に面していて、タウンゼントのマイクスタンドの真ん前がオレの「指定席」だった。
 金曜日のアーリー・ショウの最後の数曲の間の出来事だ(昔は8時にコンサートがあって、11:30にもう1度あったんだ)。皆がザ・フーの爆音の演奏を楽しんでいた時、何かが燃える臭い(マリファナではない)がしたので、オレはあたりを見回したり、スポットライトが置いてある梁(人が歩けるくらい丈夫に出来ていた)を見上げたりした。普通でない事態が起きていることに気がついてはいた。
 《トミー》を終えたザ・フーは、〈サマータイム・ブルース〉の演奏を開始していた(《ライヴ・アット・リーズ》の出る前年だったので、この曲はライヴでしか聞くことの出来ないナンバーだった。オレはこの曲をずっと待っていた)。この曲の中盤で、何かがきっかけで再度あたりを見回すと、海兵隊風の、頭はクルーカットで、ジーンズに薄汚れた白のTシャツという格好の中年の男が、顔を真っ赤にしながらエントウィッスル側の通路を通ってステージに駆け寄るのが見えた。そいつはためらうことなくステージに飛び上がり、ダルトリーを捕まえると、その手からマイクを奪い取ろうとした。正真正銘のタフガイのロジャー・ダルトリーは、とっさに身構えると、そいつのアゴにパンチを見舞い、そいつがよろけていると、今度は、ステージの向こう側からすっ飛んで来たピートがジャックナイフのようにジャンプ。ドロップキックがそいつのズボンの股あたりに当たった。海兵隊員みたいな奴は完全に伸びてしまい、2人の裏方がソデから走って出て来て、うつ伏せになってるそいつの体をステージ外へと引っ張っていった。
 そして、〈サマータイム・ブルース〉が終わる頃には、どんどん煙が酷くなってきたので、ビル・グレアムがソデから出て来てピートのマイクのところに来ると、ストリートの向こう側で火事があり、残念なことに、消防署長から、安全のためフィルモア・イーストにいる人も避難するようにという通達が出ています、と落ち着きながら言った。興醒めでいまいましいアナウンスだったが、それが最も賢いやり方だったに違いない。他にどうすることが出来ただろう。オレたちは皆、がっかりしてブーブー言いながらも、おとなしく外に向かった。
 で、外に出て見ると、2番街中に8、9台の消防車がいて、火事はフィルモアのロビーの隣の建物だった。最悪の事態が起こっていた可能性もあったのだ。
 当然、金曜日のレイト・ショウは中止になったが、翌晩のショウは2回ともAA113に座った。ある時、ピートは土曜のレイト・ショウの観客に対して前の晩のことをしゃべった。自分も、ザ・フーの他のメンバーも、何が起こってるのか分かってなかった、と語った後、最前列のオレのほうを指さして、「それから、ここの人も分かってなかったと思います」と言ったのだ。スポットライトが広い場所を照らしたので、おどおどしながら手を振ったところ、会場中から拍手が起こった。
 また、前晩の海兵隊風の人はニューヨーク市警の非番の警官であって、満員の劇場の中で、文字通り「火事だ!」と叫ぼうとしたのだ。ロジャーとピートは数十人もの人間を無傷の状態で避難させたのだから、メダルを授与されてしかるべなのだが、実際には、ふたりは警官に対する暴行容疑(ハンパでない重罪)で逮捕されてしまい、8週間後に開かれた裁判をオレは傍聴しに行った。驚いたことに、見に来たファンはオレひとりだけだった。ピートもロジャーも、センター・ストリート100番地(テレビドラマ『ロー&オーダー』のシーンを考えてくれ)の前でオレを見て、少しは心強く思ったようなのだが、有罪になった場合生じるかもしれないさまざまな支障について、ふたりとも超心配していた。彼らが雇った弁護士はもぐりみたいな奴で、噂によると、後に資格を剥奪されたらしい。
 そのうち、彼等はピートのパスポートを外のリムジンの中に置いてきてしまったことに気づき、オレはいかにもニューヨーカーな横柄な弁護士に命じられ、下まで走って取りに行かされた。
 オレは階段を駆け降りて、ザ・フーのマネージャー、キット・ランバートの待つリムジンに走って行き、ミスター・ランバートにすぐにピートのパスポートが必要なことを伝えた。彼はブリーフケースの中からそれを出すと、見ず知らずのガキであるオレに何のためらいもなく渡した。
 一瞬、自分が今手にしてるのは超貴重なコレクターズ・アイテムと呼べるものではないかと思ったが、ザ・フーを敬愛する良い子のオレは走って法廷に戻って、パスポートを弁護士に渡した。こいつからは「素晴らしい。キミ、『弁護士ペリー・メイスン』にいつも出てる人みたいだね」と言われ、ピリピリしていたピートもこっちを向いて、うなずいて感謝の気持ちを示してくれた。15分もしないうちに、彼らは司法取引に応じ、罰金を払った。
 さて、話を5月16日(金)、17日(土)に戻そう。ビル・グレアムとザ・フーは金曜日のレイト・ショウの振替公演を18日(日)のマチネに行ない、日曜日に来れない人にはチケット代を払い戻すことになった。
 ザ・フーに夢中になってから4年を経た、あの日曜の朝、オレは親父とお袋をザ・フーのコンサートに一緒に行こうと誘ってみた。チケットは確実に手に入るだろうから、自分の宗教を一緒に直に体験してもらいたかったのだ。ということで、3人でブルックリンから地下鉄に乗って、イースト・ヴィレッジに行った。チケットを2枚購入してロビーに入ると、お袋(とにかく明るい性格なんだよ)が親父に対して「素晴らしいアール・デコ調のロビー」のあちこちを「ねえ見てよ」と指さし、感激し始めたのだ。オレはこんなことするんじゃなかったと思った。生意気盛りの16歳のガキが、最も神聖なコンサート会場であるフィルモア・イーストに、自分の親を連れて来るなんてあり得ない! 神様、僕は考え違いをしていました! 恥ずかしくて死にそうだったオレは、こいつらが天井の塑造物や金の装飾を見ている間に、ゆっくりと離れ、ホール後方の一番後ろの列の座席のすぐ外側にすました顔で立ち、前座のイッツ・ア・ビューティフル・デイが気になっているふりをした。既に3回もじっと座って見ているので飽きていたんだけど…。オレは親父とお袋から少なくとも7メートルは離れていたのだが、ホッとしていたのもつかの間、突然、お袋の騒々しい叫び声が聞こえてきたのだ。「あなたでしょ! ピート…タウンゼントさんて!」
 自分の耳が信じられなくて、あたりをグルっと見回すと、オー・マイ・ガーッ! こんなことって実際にあるのか? 夢の中から飛び出して来たのだろうか、ピートが本当にフィルモア・イーストのロビーにいて、オレのお袋と親父と話をしているじゃねえか。
 茫然としながらよろよろそっちに行ったところ、親父が「それから、キミんところのドラマーは…太鼓が…」と語っているのが聞こえ、ピートは熱心にうなづいていた。
 オレが近づくと、ピートは振り向き、こいつらに訊いた:「息子さんですか?」するとお袋が答えた:「そうです。ビンキーって言います。あなたやバンドのことをしゃべり始めたら止まらないの。この子にとって、ザ・フーは全てなんですの…」
 ミスター・タウンゼントは右腕をオレの肩に回しながら言った:「オレたち、古いダチですから」
 地上の楽園とはこのことだ。もちろん、妻の腕の中にいる時もそうなんだけどさ。 
 お袋も親父もショウを楽しんだようだった。お袋はザ・フーは「本当にカリスマ性があるわ。特にピートには」と感じ、親父はショウを気に入りながらも、「あんなに才能豊かなミュージシャンなのに、気が狂ったように飛び回って、最後には、とても高価な楽器を破壊してしまうなんて!」と少々怒ってもいた。だけどさあ、親父、そこが一番いいとこなんだぜ!

Copyrighted article "Pete Townshend Meets My Mom and Dad at the Fillmore East" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/pete-townshend-meets-my-m_b_772597.html
Reprinted by permission
posted by Saved at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | The Who | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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