ギブソン・レスポールの開発者、レス・ポールの話も後半に登場します(ここではギターの話をする時には「レスポール」、人物の話をする時には「レス・ポール」と表記して区別することにします)。2008年に公開された映画『レス・ポールの伝説』は必見です。私も2003年8月にボブ・ディランとデッドの追ッカケでインディアナポリス→コロンバス→ニューヨークに行った際、丁度、月曜日に特に何の用事もなかったので、イリディアムにレス・ポールを見に行きました。曲と曲の間に、レスが自分の年齢をネタにしてベース担当の若いブロンド美人に「ねえねえ、男は何歳までOK?」と訊いたり、客席にいた40〜50代のオバチャンをつかまえて同じ質問をしたりと、笑いを取りながらのかなりゆるゆるでアットホームな雰囲気のライヴだったことを覚えています。当時、レスはまだ元気で、イリディアムに毎週月曜日に出演しており、ニューヨークに行くたびに優先すべき他のコンサートがあったり、今度でいいやと思ったりという状態が続いていました。が、次にニューヨークに行ったのが2011年になってしまったので、この時に見に行って正解でした。
【この写真はネットから勝手に拾ったものです】
知人が21世紀に入ってからレスに取材をしたところ、ギター等は博物館に寄贈するなどして殆ど処分してしまい、所有しているレスポールはイリディアムに飾ってるもの1本、メインに使ってるもの1本、予備のもの1本の、合計3本しかないと言われたそうです。しかし、例の映画には自宅倉庫に機材やギターがたくさん保管されている様子が映っていたので、あれ〜???
ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ
第13回:ジェフ・ベックにレスポールをせしめられそうになった話
文:ビンキー・フィリップス
前回は、オレの人生最大の買い物、リック・デリンジャーの1958年製タバコ・サンバーストのギブソン・レスポールについて話した。1年以上に渡って、2つの仕事を掛け持ちしてお金を貯め、1972年5月2日に650ドルを払い、現在では100,000ドルを下らない価値があるギターを購入したのだ。今回は、そのギターを売れとジェフ・ベックに脅された話をしよう。それはリック・デリンジャーの不運から始まる。
リックが「予備用」として持っていた1958年製レスポールをオレが購入してからおよそ5カ月後、ギター情報に詳しい人物から、リックの「メイン」ギター、1959年製チェリー・サンバーストのレスポールが盗まれたという噂を聞いた。当時は、ロック・スターのツアー中にはよくあることだった。特に航空会社の手荒な扱いのせいで、ギターが「紛失」したり破損したりしたのだ。祝日直前のある日の午後、オレの電話が鳴った。リックからだった。少々疲れ、申しわけなさそうなのだが、威厳のある声で言った:「なあ、本当にすまないんだが、レスポールを返してもらわなきゃならない。1,000ドル出そう。この金額ならキミも納得だろう」
友好的な口調で、でもきっぱりとオレは答えた:「リックさん、このギターはオレのものです。現金払いで買いました。領収書もあります。売るつもりはありません」
こういう反応をされて、デリンジャー氏は明らかに困った様子だった。「えっ!? オレはあのお…えぇと…またかける」
6カ月後、リックからまた電話があった…「いいか、よく聞け、ビンキー。2,000ドル払うよ。あのレスポールを返して欲しいんだ」
「リックさん、お気持ちは分かるのですが、あのギターは売りません。絶対に」
それから1年後にも「ヘイ、ビンキー。オレだ。リック・デリンジャーだ。あのギターに5,000ドル払おう」という電話がかかってきた。オレの返事は「リックさん、大変申しわけないのですが、2万ドル積まれても売りません」だった。
無言状態…「オレはギターをしかるべき人間に売ったようだな。せいぜいかわいがってやれよ、ビンキー」「ええ。毎日そうしてますよ、リックさん」
それから数年後の1970年代末には、「ヴィンテージ」のエレクトリック・ギターは、ロック・ミュージシャンやファンの間で大きなサブカルチャーになり、それは今でも続いている。CBGBやマクシス・カンザス・シティ、コヴェントリー・クラブで行なった何十回ものギグでこのレスポールを使ってきたので、コレクターの間では、オレが1972年5月にリック・デリンジャーから購入した1958年製タバコ・サンバーストのレスポールを持ってるというのは、よく知られていることだった。
ロック・スターを相手にヴィンテージ・ギターの商売を始めた最も古参の業者のひとりが、ロブ・ローレンスというカリフォルニアの奴だった。ある日、オレのところにロブから電話がかかってきた。「ヘイ、ビンキー。オレは2、3日前からニューヨークにいて、有名なギタリストがヴィンテージのレスポールを持ってるポートレートを集めた豪華本を作ってる最中なんだ。ジェフ・ベックが今こっちにいるんだけど、レスポールのオールドを持ってないんだよ。そこで、写真撮影のために、キミのものを貸してもらえないかな?」
「いいよ、オレも同席していいなら」
「えぇと…うぅん…ジェフは気難しい人で、知らない人がいると…」
オレは話を遮って言った「そういう条件じゃないとレスポールは貸さないぜ、ロブ」ジェフが気難しいという評判は知っていた。ロブは渋々オレが同席することにウンと言った。
この2日後の朝、革新的なアルバム《ブロウ・バイ・ブロウ》をリリースしたばかりのジェフ・ベックがフィルハーモニック・ホールで素晴らしいショウを行なった次の日に、オレはロブと会った。超上品なセントラル・パーク・サウスの59番街にあるナヴァロ・ホテルの前で、彼はオレと同じくらいの年齢の3人の側近たちと戯れていた。オレたちはセントラル・パークをはるか下に見下ろすジェフ・ベックのスイート・ルームに行くと、ジェフがドアを開けた。いたのは彼ひとりだった。ジェフはオレたち全員を超あたたかく迎え入れた。彼は仮住まいの中のリヴィング・ルームに相当する部屋にあるソファにドスンと腰をおろすと、機嫌は良さそうなんだけどぶっきらぼうに、「それでギターはどこ?」と訊いた。ロブはオレにケースを開けるようジェスチャーで指示を出した。大ヒーローのひとりを前にしていくぶんクラクラしながら、オレはレスポールをジェフ・ベックに渡すと、彼はソファの端に腰をかけて、ネックの3分の2くらいの箇所で速い速いパッセージを弾き始めた。アンプにつながず、60秒ほどそんな感じで弾いた後、ジェフはゆっくりと顔を上げてオレを見て、超脅すような口調で言った:「なあ、こいつ、盗まれたオレのギターによく似てるんだよな」ジェフの隣のアームチェアに座っていたオレは、立ち上がってジェフを見おろし、出来るだけ冷たい声で、強調するように言った:「そうかい、ジェフ。でも、こいつは違うよ」ジェフは笑って言った「まあ、まあ、落ち着け。それで、いくら欲しいんだい?」
オレは答えた:「ジェフ、このギターは売り物と思ってるのかもしれないけど、違うんだ。今も今後も」
ジェフはロブに向かって「話が違うぜ」的な表情をした。
何か変なことが進行中? 戸惑い、かつ、ちょっとどころでなくムカついてたオレは、とっとと帰ることにした。だが、まず、オレはギター・ケースからマジック・ペンを取り出し、ソファーのところにいるミスター・ベックの隣に座って言った。「ジェフ、オレのレスポールの背中にサインをしていただけたら光栄です」
ジェフは仰天しながら呻くように言った。「おいおい、本気で言ってるのか? そんなことしたら大切なものを汚すことになるぞ!」オレのファン丸出しの恥ずかしい行為に、部屋にいた奴ら全員が「イタイ奴だな、お前」的な声を発した。ロブは「すみませんね、ジェフ」とまで言った。
オレは皆を無視し、生意気でいわくありげな口調で言った:「そのBICのペンででっかく、ざっくり書いてくれよ、ジェフ」
ジェフはオレを見た。初めてオレと本当にコミュニケーションを取りながら、大きな笑顔をしてうなずき、目で「いいよ」と言うと、リクエスト通りボロボロの裏に大きくサインをして、ギターをオレに返してくれた。オレは立ち上がって、レスポールをケースの中にしまい、かけ金をかけると、ジェフのほうを向いて言った:「会えて本当に光栄でした。ヤードバーズ時代からあなたの大ファンです。昨晩も最高でした」 ジェフもオレに「元気でな」と言った。
まだ、全ての状況がつかめないでまごついたまま、オレは誰にもさよならを言わずにスイート・ルームを出て、エレベーターのほうに向かった。
約半年後に突然、恐らく仲直りの印としてだろうが、ロブからジェフ・ベックが俺のレスポールを弾きながらあのソファに座っているカラーのスライド・フィルムが届いた(超ありがたくいただいたよ)。このフィルムは常にギターと一緒にケースの中にある。
ロブの素晴らしい本『The Legacy Of The Les Paul』(全2巻)は完成に20年を要した。その第1巻目『The Early Era Of The Les Paul』のp.251には、1ページを丸まる使って、ジェフ・ベックがオレのギターを持っている写真が掲載されている。オレの名前も説明文の中にある。ありがとう、ロブ。
【訳者註:日本版も出ています】
[このレスポールの近況。ギグ用ギターのため、つい最近、ジェフのサインを横断するようにでっかい傷を付けてしまったとのこと]
* * * * * * * * * *
2009年8月12日、レス・ポールという人物が94歳で天に召された。オレらの殆どがこの人物の名前を知っているのは、ジミー・ペイジやスラッシュ、ビリー・ギボンズ、その他の100人の有名もしくは準有名なギタリストが、この数十年の間、ギブソンのレスポールを最高の逸品として、エレクトリック・ギターのロールス・ロイスとして使用してきたからだ。
しかし実際には、もし彼が存在していなかったら、ギターだけでなく、オレたちのiPodのプレイリストに入っている曲の全てが、こうはなっていなかっただろう。ソリッドボディーのエレクトリック・ギターを発明したのがレス・ポールだ。マルチトラック・レコーディングを発明したのもレス・ポールだ。リヴァーブ・エコーを発明したのもレス・ポールだ。変速レコーディングを発明したのもレス・ポールだ。ミキシングを発明したのもレス・ポールだ。要するに、音楽界で超重要な人物なのだ。
レス・ポールの直観的才能を示す面白い話が2つある。
1920年代末、まだティーンエイジャーだったレスター少年(後にレス・ポールとして知られるようになる)は、居間でアコースティック・ギターを弾いていたところ、突然ひらめいて、両親のヴィクトリア(蓄音機)のところに行き、アームをぐいっと引っぱると、針をギターの共鳴板に押し当てて、ホーン型スピーカー(昔のRCAのマークにある、犬の隣にあるあれだ)を通して演奏を始めた。それこそ、エレクトリック・ギターの始まりではないか!
そして、1940年代にはこんなことをやっていた。レス・ポールはトラックが適切にミックスされたかどうかを次のような方法で確認していた:レスはスタジオのエンジニアに頼んで、駐車場にとめた自分の車のラジオにレコーディング・コンソールを直結させ、運転席に座って、ラジオから流れるプレイバックのミックスを聞いて、車の中でいい音に聞こえるようになるまで、あれこれいじっていたのだ。
1980年代には、オレは幸運にも、ニューヨークのファット・チューズデイでレス・ポールが演奏するのを何度か見ている。その頃、レスは毎週月曜日にそこで演奏していて、後になると、イリディアムというクラブに30年近くに渡って出演していた。彼の演奏はとんでもないとしか言えないものだった。70歳、80歳になっても、レスは殆ど全てのロック・プレイヤーを打ち負かしてしまう腕を持っていた。人間離れした速さと創造性と、突飛なユーモアのセンスを持っていた。レスの達している境地に最も近いロック・ギタリストは、本当に調子の良い晩のジェフ・ベックだろう。
レスからサインをもらおうと思って、1958年製レスポールを持ってファット・チューズデイに行ったこともある。演奏終了後、楽屋のドアをノックすると、レスが「どうぞ」と言うのが聞こえた。彼はあの暗い小部屋に、たぶん親友であろう、同じくらいの年齢の老人と一緒にいた。オレは話の邪魔をしたことを詫びた後、ミスター・ポールにサインを貰えないかと言った。すると、「もちろん、いいよ。それ、見せてくれ」とレスが答えた。
オレがギターをケースから出すと、目が大きく開いた。「これにサインは出来ないよ。本物だ!」レス・ポールがオレのギターを「本物」と言ったのだ。レス本人の口から出て来たこの言葉は、オレにとっては宝物だ。オレがペンを取り出すと、彼の優秀な生徒であるジェフ・ベックと同じように、レスも嬉しさ半分、もったいなさ半分で、裏面に大きく「ビンキーへ/キープ・ピッキン(弾き続けろよ)/レス・ポール」と書いてくれた。
レス・ポールの演奏を最後に見た時には、オレは晩年の親父を連れて行った。ショウの後、バーのそばに立ってクラブソーダを飲んでいたレスのところに親父が行き、こう言った:「あなたはギターのデザインとレコーディング・テクノロジーの技術革新において多大な貢献をした人だと、息子は言っております。それはそれで大変重要なことなのですが、レスさん、私はあなたに、今宵の素晴らしい音楽をありがとうと言いたい」
握手を交わすふたりの老いぼれたちの目は涙でうるんでいた。その様子を思い出しながらキーボードを叩いているだけで、ゾクゾクする。
Copyrighted article "Jeff Beck Tries to Buy My Les Paul" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/jeff-beck-tries-to-buy-my_b_749334.html
Reprinted by permission.