ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ
第14回:ロンドンでスパークスのオーディションを受けたぜ
文:ビンキー・フィリップス
1974年の夏はビッグな夏だった
オレは21で、年上の女性(何とA&Rをやってる業界のお偉いさんだった)と付き合っていた。6月下旬にやった一晩だけの火遊びが、すぐにちょっと真剣なものになったのだ。
はっきり言って、慎重に考えた上で、自分より10歳も年上の人と一緒に暮らすことにしたのだが、知り合いの中で、これに賛成していた奴はいなかった。皆の目には、オレの新しい恋人が、瞳の中にドルのマークがあるのが見え見えの怪しい音楽業界人に映っていたのだ(それは正しかった)。そして、一緒になって1カ月もしないうちに、こいつはオレのバンドのマネージャーになった。若くてバカで、女にすっかり参っていたオレは、鎖につながれた子犬みたいなものだった。
オレのバンド、ザ・プラネッツは、1年半くらい前からニューヨーク・シティーではいっぱしの名声を獲得していたのだが、ここ数カ月はヴォーカリストがいない状態だった。のっぴきならない個人的な理由で創設時のメンバーだった奴が抜け、今やオレたちは、音域が5音しかない紙やすりみたいな声の奴を迎えて、レモンからレモネードを作ろうとしていた。オレが他のメンバーの反対を押し切ってこいつを雇うことにしたのは、ひとえに、こいつがオレのヒーロー、ピート・タウンゼントによく似てて、いい奴(柔順な奴)そうに見えたからだ。
6月中旬、超豪華なホテルのスイート・ルームでピート・タウンゼントと2人きりで話をする機会があり、その際、オレのバンドの新ヴォーカリストがピートに似ていることを本人に話した。すると、ユーモアも皮肉も一切まじえず、こう返ってきた:「そいつはよくないね、ビンキー」
夏にあれこれあって、9月中旬になり、ウェイロン・ジェニングスのギグでヘルズ・エンジェルスのメンバーにエンジェル・ダストを盛られてからおよそ1週間後、突然、音楽業界の知り合いから電話があり、ワイルドなニュースを伝えられた。
ロン(チャップリンかヒトラーみたいな口ひげの奴)とラッセル(プードルみたいな髪形の奴)のメイル兄弟だけになったスパークスは、この年の前半に拠点をロスからロンドンに移していた。そして、その年の夏にアルバム《キモノ・マイ・ハウス》をリリースし、シングル〈ディス・タウン〉がナンバー1ヒットになったことで、スパークスはイングランドとヨーロッパでは一夜にして絶対神と化した。業界の知り合いからの知らせによると、スパークス・ブームの絶頂期に、彼らはリード・ギタリストをクビにしてしまったということだった。
電話をよこしたロスは、彼らのマネージャーをやってるジョン・ヒューレットというイギリス人とコネがあったらしい。ヒューレットはモッズの時代に、後にTレックスで活躍するマーク・ボランとジョンズ・チルドレンというバンドをやっていた(唯一のヒット曲〈デスデモーナ〉はいい曲だった)。ロスの大きな声からは、ミスター・ヒューレットにどうにかして取り入りたいという熱心さが大西洋を越えて伝わってきた。笑っちゃうことに、オレのギターの腕前とタウンゼントみたいなステージ・アクションの他に、もうひとつある大きな売りが、スパークスのドラマーの名前がディンキーで、オレがビンキーってことだった。
この電話で決まったのは、オレがロンドンに飛んでオーディションを受けるということだった。大きな遺憾と楽観的興奮が入り混じる複雑な気持ちで、オレはこのニュースをプラネッツのメンバーに伝え、その数日後には、ギブソン・レスポールを持って、JFK空港からヒースロー空港に向かう飛行機に乗った。
【John's Children:Desdemona】
むこうに到着したオレは、ロンドンのアールズ・コート地区に取った汚いベッド&ブレックファストにタクシーで向かった。(自分の町の売春婦/ヤクの売人/ホームレスのヒッピー/ポルノ・ショップのエリアを想像してくれ。オレはあの汚い町のホテルのシーツのせいで、生まれて初めてたむしになっちまったよ! 部屋は気が滅入るどころではなかった。幅が8フィート、長さが12フィート。窓を開けると通気孔があり、ベッドは狭く、椅子がひとつ、電気スタンドがひとつ。トイレは共同。テレビもラジオもなかった。エリック・アンブラーの小説に出てくるような奴は、きっとこういうところで死ぬんだろうなあ。
次の2日間、オレはロンドンのストリートをさまよいながら、バンドとマネージャーに会いに来い、オーディションを受けに来いという連絡を待った。3日目、オレは遂に、アイランド・レコードのビルにあるジョン・ヒューレットのオフィスに呼ばれ、メイル兄弟に会った。なぜかは分からないが、ロンドンのあらゆるスタジオやリハーサル・ルームはその週は予約でいっぱいだったので、オーディションはロンドンの寂れた通りにあるパブの地下室で行なわれることになった。そこは、皆が無一文で哀れな存在だった1年前に、バンドが初めて集合した場所でもあった。ロンもラッセルもやさしくてフレンドリーな奴で、アメリカ人とコミュニケーションが出来て嬉しいようだったのだが、オレのオーディションのためにこのパブの地下室に行かなきゃいけないのは嫌な様子だった。ワン・ストライク。
次の日の午後、ロンドン名物の霧と雨の中、オレは指定されたパブに到着し、暗くてじめじめした階段を下りていくと、寒々とした薄暗闇の中で、メイル兄弟のバックを担当している3人のイギリス人が既にプラグインした状態で待機していた。彼らは当時イギリスでは超ビッグだったスレイドの模造品みたいな音楽を演奏するザ・ジュークというバンドのメンバーだった。オレが入った途端に、こいつらは警戒体制を取った。自分たちの領域にまた別のアメリカ人が入り込んできやがったと思われてるんだと、オレは瞬間的に感じた。ツー・ストライク。
【The Jook:Bish Bash Bosh】
オレは挨拶をしながら前に進み、オーディションに用意してあったフルのマーシャルのスタックにレスポールを繋いだ。オレは特に何も考えずに、全てのツマミを11に合わせると、3人の元ジュークの連中のほうを向いて、ついてこいよと言わんばかりに、その場で思いついたシンプルなツェッペリン風、ライヴ・アット・リーズ風リフをBのキーで弾き始めた。
連中は試験的にオレについてきて、90秒もしないうちに有機的なかたまりになった。つまり、オレたちはロックしていた。部屋中に大きな笑顔が広がった。こいつら、なかなかいいじゃんか! はっきり言って、プラネッツよりも! 連中はオレのことを気に入り始めたようだ。警戒心や疑念は既にとけて消えていた。スタジアム級の音量でガンガン演奏した。そして、悦楽の境地で我を忘れてジミー・ペイジ/ジミ・ヘンドリクス・スタイルのリード・ギターを弾いていた時、3人のイギリス人は演奏をパッタリ止めてしまった。オレはソロのトランス状態から醒めて、「エッ?」という顔で見ると、連中はおどおどしながらオレの前を通り過ぎて地下室の階段に向かって行った。振り返ると、大きなオーバーコートを着たラッセル・P・プードルとロン・C・ヒトラーが立っていた。どっちもやさしい顔はしていなかった。スリー・ストライク。
「やあ、ロン。やあ、ラッセル。ちょっとウォーミングアップをやってたところさ」オレはきびきびと説明した。
誰もが認めるリーダーのロンは不機嫌な顔をして答えた:「さっさと終わらそうぜ。この地下室にいるのは我慢出来ない」ロンがとっととキーボードのところに座り、ラッセルがマイクのところに立つと、ロンのカウントで、《キモノ・マイ・ハウス》の中の、オレがニューヨークを発つ前日に覚えておいた5曲を通しで演奏した。素晴らしいプレイだった。オレはワクワクした。5曲目の最後でラッセルを見たら、オレから2メートル半くらい離れたところで、爪先立ちでぴょんぴょん跳ね、殆ど空中浮遊している状態だった。顔には恍惚状態の大きな笑顔を浮かべ、オレの演奏に酔っているようだった。
すると、ロン・チャップリン・ヒトラーは、どうにか我に戻ってオレを見て、冷たく拒否するような上品ぶった口調で言った:「オマエはパワーがあり過ぎなんだよ」ラッセル・プードルの笑顔もその瞬間に蒸発し、オレを敬遠し始めた。3人のイギリス人は何も言わずにじっと床を見つめていた。ストライク・フォー。
ロンは立ち上がってコートを着るて、他の連中に相槌をすると、オレのいる方向を向いておざなりの礼を言った。ラッセルは苦労してコートの袖に腕を通した。その間、どちらもオレと目を合わすことはなかった。メイル兄弟は階段を上がっていき、彼らとは2度と会うことはなかった。
【Sparks:This Town Ain't Big Enough For Both Of Us】
【1974年9月 Ron Mael - Russell Mael - Ian Hampton - Trevor White - Dinky Diamond】
翌日、ジョン・ヒューレットのオフィスに行くと、たむしホテル4泊分の料金は彼が払うが、飛行機代はバンド側がもつという話はなしになりそうだと言われた。まったく何様だよ!
1週間後、オレはニューヨークに戻った。ピートに似ている奴以外のプラネッツのメンバーを再招集し、オーディションを行なってグラム・シーン初の黒人ロック・シンガーを選び、ザ・モブによってコヴェントリー・クラブから追い出され、サイエトロジーの信者とリハーサルを行ない、ボワリー・ストリートに出来たCBGBという新しいバーに行って、ラモーンズの前座を務めたのだ。
Copyrighted article "I Audition for Sparks in London, 1974" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/i-audition-for-sparks-in-_b_717974.html
Reprinted by permission