2013年06月30日

NY Rock'n'Roll Life【20】〈ヘヴン・アンド・ヘル〉グラスが割れるエンディング〜ロンドン・ロック紀行(1970年6月)

 ふだんは地元ニューヨークでたくさん面白い体験をしているビンキーですが、1970年6月に生まれて初めてロンドンに行った際にもなかなか濃い〜体験をしています。一番びっくりなのが、スタジオに行ってザ・フーのシングル〈ヘヴン・アンド・ヘル〉の編集作業に立ち会った話でしょうか。以前からずっと、この曲を聞くたびに、フェイドアウトが早すぎてやや尻切れトンボのような変な終わり方をしているのが気になっていたのですが、その理由が判明しました。



【ここでまずは記事本文を読んでください。そして、その後で、ここから先を読んでください】

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 今まで、エンディングについてはフェイドアウトがやや無理矢理で早いんじゃないかという程度の意識しかなく、グラスが割れる音の存在には全く気づかず2013年6月まで生きてきてしまいましたが、ザ・フーに詳しい恐山サイクル二郎さん(ヲタ)もそうだったようです。グラスの音について問い合わせたところ、最初の返事は「そんなの聞いたことないよ」でした。しかし、すぐ手元にある〈ヘヴン・アンド・ヘル〉入りCDをいくつか聞いて調べ、グラスの音のあるバージョンとないバージョンの存在を発見してくれたのです(感謝! ここが無能で面倒臭がり屋の私と違うところです)。
 二郎さん所有のCDに関する限り、グラス・ガシャン・バージョンを収録しているのは旧MCA盤の《Who's Missing》(1985年発売:MCAD-31221)のみ。このアルバムだけ長さが3:33で、最後の最後の瞬間に確かにグラスの割れる音が聞こえます。《Who's Missing》《Two's Missing》を合わせてた紙ジャケ(2011年発売)、ボックスセット《30 Years Of Maximum R&B》(2000年発売)、《Live At Leeds》40周年記念ボックスセット(2010発売)のおまけ7"シングルに入ってる〈ヘヴン・アンド・ヘル〉は、長さが3:32で、ガシャンていう音がする直前にフェイドアウトしてしまうバージョンです。
 グラスの割れる音のするトラックを収録している《Who's Missing》は、今となっては曲数は少ないし(12曲のみ)、SHM-CDじゃないし、紙ジャケでもないので、人気の点で後発のバージョンに完全に駆逐されてしまった感がありますが、こんな事実が判明した以上、処分しないほうがいいですね。ちなみに、6月26日の時点でアマゾンでの中古盤の最安値は1円(340倍の送料がかかる)でした。

 グラス・ガシャン・バージョン収録『Who's Missing』

 

 これには入ってない↓

   

 CDの多数決では「なし」が標準バージョンということになりますが、それだけでどちらがオリジナル・バージョンなのかは判断できません。1970年にリリースしたアメリカ盤シングルを再生する様子を収録した下の動画には、グラス・ガシャンが入っているのです。ということは、グラスの音が入ってる方がオリジナル・バージョンであって、近年のリマスターCDでは最後の音を変なノイズとしてカットしてしまったのでしょうか? アナログ時代から「ある」と「なし」の2バージョンが存在してたのでしょうか? 現在、調べれば調べるほどわけがわからない状態になっているので、みなさんからの情報をお待ちしております。





【ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ】
第20回:〈ヘヴン・アンド・ヘル〉グラスが割れるエンディング〜ロンドン・ロック紀行(1970年6月)
文:ビンキー・フィリップス


 1970年春、ハイスクール・オブ・ミュージック&アートの3年生だったオレは、週に4日、放課後の14時から17時までアルバイトをしていた。スタン・アイゼン(後にKISSのポール・スタンレーとして大活躍する)は前の年にここを卒業していたのだが、オレは、コロムビア・ロー・スクール就職部(学位を得たばかりの新卒者のために仕事を斡旋する部署)の部長のもとで文書整理係をやっていた。部長はハワードさんていう根っからのイギリス人で、超お偉いさんだった。いい人だったけど、いつも、何かに気を散らされてるような感じだったなあ(ヒュー・グラントが乱れた髪を手櫛でかき上げるような仕草をしょっちゅうやっていた----もっとも、この頃、ヒュー本人は2歳だったけど)。ハワードさんとは何十年も会ってないが、彼の弟のロジャーは筋金入りのロックンローラーで、今でも親友だ。
 小さなオフィスでオレと若い女性と一緒に働いていた。オレは17歳で彼女は22歳だった。仮にエミリーと呼んでおこうか。エミリーは法学部2年生で、たとえ少しでも学費の足しになればと、半分小間使いのような仕事をしていたのだ。とてもやさしい人だったが、真珠のネックレスに毛羽だったセーターがトレードマークの堅物だった。
 ある日、どこからともなくエミリーに言われた。「あなたって本当にロックンロールが大好きなのね、ビンキー」
 「ロックンロールを生きて、ロックンロールを呼吸してるよ、エミリー」
 「この話、気に入ってもらえると思うんだけど…私、ローリング・ストーンズのメンバーのサインを持ってるのよ」
 「凄え! 誰の?」
 「さあ、覚えてないわ。1965年にヒースロー空港でもらったんだけど、シャイだったから、全員におねだり出来なかったのよね。だから、一番近くにいた人にしかもらわなかったの。私の目には全員同じに見えたんだけど。ビンキー、明日持ってくるわ。欲しいなら5ドルで売るわよ」
 「エミリー、取引成立だ。誰のでもOKさ」
 翌日、オレはブライアン・ジョーンズのサインを5ドルで買った。
 同じ春に、オレのオヤジのところに凄いオファーが来た。ロンドン中心部に住む裕福な一家が、6月後半の2週間、ニューヨーク・シティーの家庭とスワップ・ホームすることを望んでいて、オヤジはそれをどこからか嗅ぎ付けて来たのだ。ブルックリン・ハイツにあるオレたちの家はどうかと問い合わせると、OKという返事が来た。その後、話はもっと良い方向に進んだ。イギリス人家族はニューヨークではなくイビザに行くことにしたのだが、この話はお流れにならず、オヤジとオレたち家族は、彼らの家に留守番として滞在していいことになったのだ。もちろん無料で。
 そういう経緯があって、オレたちは、「成金ではない本物の資産」という臭いがプンプンするスローン・スクエアのすぐ近くの、この閑静な美しい小路カドゥガン・レーンで2週間暮らすことになった。1969年にあの名女優ジュディー・ガーランドが亡くなった家は、カドゥガン・レーンの「オレたちの」家の5軒先にあった。


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 この3階建ての私邸は、間違いなくロンドンでトップ3に入る高級な地区の中心にあった。タクシーから降りた時、オレたちはビックリ仰天した。屋敷を見て目が点。内部には1960年代末風のヒップな家具がしつらえてあった。間取りも変で楽しかった。あらゆる部屋に日の光が入って来て、全てのものが明るい白のように見えた。キッチンからはプライベート・ガーデンが見えた。それに、何といっても巨大なカラーTVがあったのだ! ブルックリンでは、オレたちはまだちっぽけな白黒で我慢していたというのに(「技術が完成するまで待とう」というのがオヤジの言い訳だった)。この1970年のイギリス式リビングにあったこの27インチ画面のモンスターは、イギリス旅行のハイライトだったかもしれない。妹もそう思ったようだ。
 この屋敷のオレのいちばんのお気に入りは、3階のベッドルームから見えるとても新しいオシャレなアパートメントの眺めだった。こっちからはバルコニーや大きな見晴らし窓が見えた。夕暮れ時には、ヒップで裕福な「マッドメン」タイプの男がネクタイをゆるめて裸足で、奥さんと一緒にカクテルを飲んでる姿を、のんびり眺めていた。しかも、その奥さんというのも、ダイアナ・リグ演じるエマ・ピールのような髪形をしてて、飾り気はないんだけどエレガントな人なのだ。小さなベランダからこっちの薄暗い部屋の中に、彼らのステレオでかかっているドライマティーニによく合いそうなジャズが流れて来た。オレのベッドルームは13晩の間、こんな感じだったのだが、そこからは他にも3家族の様子が見えた。彼らは集団でいると、もっとカッコ良くて美しかった。彼らの上流風アクセントはとても心地よい音だった。もっとも、オレには時折聞こえてくる「I say!」や「Dear boy!」以外は何を言ってるか殆ど分からなかったのだが…。こいつらとにかくカッチョいい。オレは疑り深い人間なのだが、『プレイボーイ・アフター・ダーク』に出てくるようなカッチョイイ人間て、本当にいるんだな。
 さて、オレの話に戻ろう。
 荷物を解いて15分もしないうちに、オレはグラニー・テイクス・ア・トリップに行くと宣言した。キングス・ロードのどこかにあることは分かっていたので、早速歩いて繰り出したのだ。どのくらいかかるかなんて知らなかったし、気にもしていなかった。そこに行くのが使命だったからだ。驚いたことに、2分歩いたらスローン・スクエアにたどり着いた。そこに地下鉄の駅があることは知っていたが、そこがキングス・ロード上であることも判明した。しかも、キングス・ロードの一番上の端っこだったので、歩いて行く方向に迷う必要はなかった。こっちだ。南に進めばいいのだ。
 映画『ウッドストック』で、ジョー・コッカーがダーク・ブルーのブーツをはいているのを見たことがあった。かかとが2インチで、銀の星と三日月がついてるやつだ。イギリスのロック・スターが、マルチカラーのパッチワークのブーツをはいてる写真も見たことがあった。キース・リチャーズとか。オレは彼らがどこでそれを手に入れたか突き止めてあり、いつか、この2つのアイデアをミックスしてみようと心に決めていた。文書整理のアルバイトでもらったお金を、まさにこの瞬間のために貯めていたのだ。
 オレはキングス・ロードをエンドレスに歩いていた。もう1.5マイル(約2.4km)は歩いただろうか。この店がいったいどこにあるのか、そろそろ心配になってきた。商店街は徐々に普通の住宅街のような町並みに変わってきていた。ストリートの雰囲気は、最初は超垢抜ていたのに、ちょっとワーキング・クラスっぽくなってきていた。
 小さなマスタード・イエローの平凡な建物の前を通り過ぎる時、歩道に突き出た2段のパティオを迂回しなければならなかった。その時、上を見て、ハッと息を飲んだ。ここがグラニー・テイクス・ア・トリップだったのだ!
 ここが地球のロック・ファッションの中心なのだが、全然、派手じゃない。小さな店だ。栗色が目立つ。ヴェルヴェットのカーテンが作業場に続く小さな4段の階段を半分隠していた。売り場は16フィート四方くらいだったか。そこに、ドレスやシャツが(殆どが巨大な花柄のプリントだ)雑多に並べられており、壁に沿って既製品の靴やブーツが並んでいた。店内にはオレの他に、5、6歳くらい年上の男が2人いるだけだった。
 そのうちの、カワイイ頃のジョニー・サンダースにそっくりな奴が(ジョニーがニューヨーク・ドールズのメンバーとしてマーサー・アーツ・センターでプレイするのは、このわずか2年後だ)オレに元気に声をかけてきた。
 こいつはジーンといった。
 もうひとりの、髪が黄土色でガリガリに痩せてる奴がドアに寄りかかってたが、そいつがこっちを向いて言った。「ヘイ、マ〜ン…」ラリってるようだった。
 こいつはマーティーといった。
 そのアクセント…もしかして…。
 ふたりともブルックリン/クイーンズ訛だった。なんてこった。世界で最もカッチョいいファッションの店を切り盛りしてるのは…ニューヨーカーだったのだ!
 それを理解するのにかかった時間はたった数秒。オレたち3人が同郷人のよしみモードになるには、さらに10秒ほどしかかからなかった。彼らはニューヨーク・シティーの汚さに飢えていたのだ。
 しかし、オレはせっかくそこから抜け出して来たんだよ。延々に歩いたことと時差ボケ、そして、予想だにしてなかった下品なニューヨーク訛のせいでどっと疲れが出て来たので、しっかりしゃべれるうちに本題に入ったほうがいいと思った。
 「膝まであるマルチカラーのパッチワーク・ブーツを1足注文したいんだ。出来る限りたくさんの色を使ってね。これが重要なんだ。銀色の星や月も付けて。ヒールの高さは2.75インチ」
 マーティーはほほ笑んで言った。「はいよ」
 ジーンが訊いた。「おまえが担当するか?」
 マーティーが答えた。「ああ。それじゃ、こっちに来て、ビンキー。靴を脱いで。靴下はそのままでいいよ。ズボンの裾を膝までまくってくれる」
 彼は両足分、少なくとも7か所の寸法を測り、足型を取った。1足65ドルかかった。1970年には、履物の金額として、これは殆ど狂気の沙汰だった。オレは書類整理の仕事でもらったお金を全部持ってきていて、それでこと足りた。そして、ニューヨークに帰ることになっていた日の前日の夕方に、息を切らせながらブーツを受け取りに行ったのだが、マーティーしかいなかった。
 「職人が星と月を付け忘れてたんで、突っ返したよ。星と月が付いてないと嫌なんだろう。なあ」
 その通りだけど、こんなにがっかりしたことはない。

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* * * * * * * * * *


 しかし、これで終わったらもったいないので、1970年6月の後半2週間に、ニューヨークのJFKに帰る英国航空のジェット機に乗り込むまでに起こった出来事を、さらにいくつか話そう。
 オレたちは滞在中ずっとラッキーだった。雨に降られたのは2度くらい。最初の4、5日間は素晴らしい天気で、気温約28°Cで、さわやかなそよ風が吹き、ふっくらとしたイギリス風の雲が一日中ゆうゆうと空を流れていた。
 あらゆる新聞とBBCニュースのトップ記事は「熱波が続く」だった。オレがロンドンに到着した週は、フリーという名前のバンドの曲に代わって、マンゴー・ジェリーの〈イン・ザ・サマータイム〉がBBCチャートの第1位の座を獲得していた。ヒースロー空港でタクシーに乗った瞬間から、ロンドンにいた間中、どこにいても、どんなお店やレストランにいても、公共の場においても、1日中、毎日、〈オール・ライト・ナウ〉がマンゴ・ジェリーと戦いを繰り広げていた。これはロンドンの中心部とその回りの地域をエンドレスにさまよっていた日々の楽しいサウンドトラックだった。あれから何十年も経った今でも、どっちの曲を聞いてもロンドンで過ごした日々をストレートに思い出すよ。



 ブーツの注文は済んだのだが、大好きなイギリスのバンドの、アメリカでは発売されてないシングルB面曲を探すことも、主な目的のひとつだった。ロンドンに来て2日目、オレはオックスフォード・ストリート(ニューヨークでいうと西34丁目みたいなところだ)にあるHMVストアに入ってみた。カウンターのむこうに超カッチョいいヘアスタイルをした20歳くらいの兄ちゃんが立っていたので、オレはそいつのところに行って質問した。「古いキンクスのシングルはありますか? 特に、シングルのB面に、LPには収録されてない曲が入ってるものなんですが」
 すると、この店員はこう答えてくれた。「何かあると思うけど、キンクスのニュー・シングルが今日発売なの知ってる?」
(ロンドン訛)Oh, Oi fink Oi kin dig sumfin up. D'j'know, Kinks jus' puh ow a new sing-goo today
(米語に翻訳)Oh, I think I can dig something up. Do you know, [The] Kinks just put out a new single today

 「何だって?! 今日?!」[キンクスはオレの大好きなバンドのトップ3にぎりぎり入っている]
 「3番の試聴ブースに入って聞いててよ。その間に、他に何があるか見つけてくるからさ…」
(ロンドン訛)Why'ncha go inna boof free, give a listen. Lemme see wha'else we've got for ya...
(米語に翻訳)Why don't you go in the booth three, [and] give a listen [to it]. Let me see what else we've got for you…

 キンクスの大傑作〈ローラ〉を最初に聞いたのは、あの時、あの場所でだった。
 キンクスのシングル4枚とザ・ムーヴのシングル2枚を手にしながら、HMVのカッチョいい店員にさよならをした後、彼がすすめてくれた店に向かった。彼の口から店名が出て来た時、聞いたことがあると思った。



 その店もオックスフォード・ストリートにあったのだが、HMVとは反対側の、数ブロックむこうにあるビルの2階だった。階段を上がって店内に入ると、そこは天井が低いダーク・ブルーの大きな部屋だった。壁にはロジャー・ディーンにインスパイアされたような飾りがいくつもあり、レコードが満載された箱がたくさんあった。ステレオで聞くと超カッチョいいバンドのレコードもあった。店内にはオレ以外には、20代後半と思しきブロンドのシャギー・ヘアの男がいた。こいつはカウンターのこっち側に寄りかかり、カウンターの向こう側にいた長髪の男に何やら話しかけていた。その様子からすると、ブロンド男のほうがボスだった。オレはこいつが何と言ってるかよく分からなかった。文句を言わずにとっとと働けといった説教みたいだったが、カウンターの向こう側にいた奴は、それに慣れっこになってるようだった。オレが見たのは、当時はまだ唯一この店舗だけだったヴァージン・レコード・ストアで、サー・リチャード・ブランソンが従業員をガミガミ叱ってるところだったのだろうか?
 当然、マーキー・クラブにも行かなければならなかった。「マキシマムR&B」やら何やら、いろんな所縁{ゆかり}のある場所だからだ。 
 ロンドン滞在中には8回ギグを見る機会があったが、オレがまず見に行ったのはアトミック・ルースターだ。これは、アーサー・ブラウンのクレイジー・ワールドにいた超優秀なオルガニスト、ベーシスト、ドラマーが、6カ月前に脱退して作ったバンドだった。あの晩には、カール・パーマーはバンドにはいなかったが、リック・パーネルの10フィート(約3メートル)手前に陣取って、一晩中彼の大活躍を見ていた。リックは後にスパイナル・タップのメンバーとして知ってる人もいるだろう。
 ロンドン郊外に、コンサート会場に改造された教会があることを知って嬉しくなった。そこにロジャー・ラスキン・スピアのアメイジング・キネティック・ワードローブが出演するとのことだった。あの頃も今も、オレはボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドの大ファンなのだが、ボンゾのメンバーのロジャーがソロ・コンサートをやるというのだ。このギグはなかなか楽しい修羅場だったが、ロジャーが目当てだった連中は喜んでいた。一番思い出に残っているのは、客の中にいたダダイストが、曲と曲の間に大声で野次を飛ばしていたことだ。
 そいつが「お前のソンブレロはどうしたんだ、って訊いてんだよ」って言うと、ロジャーは野次を認めるようにうなづいて答えた。「なかなかの逸品さ」
 オレは次のバンドも見て行くことにした。名前は聞いたことがあった。1970年6月下旬の時点で既に知識豊富なギター・フリークだったオレは、リチャード・トンプソンがフェアポート・コンヴェンションで塗装のはげたストラトキャスターをプレイするのを見たのだ。本当だ。何て凄いギタリストだ。バンドもとても良かった!
 オレは一晩のうちに、ブリティッシュ・ロックのコインの奇妙な両側を見たわけだ。
 3晩目。脇道にいた時、同年齢くらいのガタイのいい黒人2人に話しかけられた。こいつらのスタイルは驚くほどアメリカの黒人に近かった。つまり、アメリカで、オレの人生をしょっちゅう賑やかにしてくれる連中みたいな感じだったのだ。オレが最悪の事態に備えて身構えると、片方が言った。
 「おい、兄弟。ここ、ウォーダー・ストリートだよな?」
 ビビってたオレは、うなずくだけで精一杯だった。そいつは「どうも」と言った。
 この通りに来て15秒くらいしか経っていないのに、これだ。タフなブルックリン野郎のように見えた連中が、コックニー訛でフレンドリーでオープンに話しかけてきたのは、今でもなお、人生最大の嬉しい驚きのひとつだ。
 それから5分もしないうちに、4人の怖そうなスキンヘッドの男が、80フィート(約24メートル)くらい向こうから近づいて来た。そもそも、ソーホーっていうのは、トラブルを自ら求めに行くような場所なのだろう。こいつらは赤のサスペンダーに、裾をまくり上げた色あせたリーヴァイス、体にぴったりの白いドレス・シャツといういで立ちで、髪の長さは4分の1インチ(約6mm)、くすんだドックマーティンの濃赤色の「けんか用の靴」を履いていた。こういう連中については本で読んだことがあったので、自分に危険が差し迫っていることを察した。連中はどんどんこっちに近づいて来ている。こいつらの歩き方を見ただけで、パニック・ボタンが押されたようなものだった。まだこいつらに目を付けられてないぞ、と思ったオレは、急いでストリートを渡った。
 すると、数秒もしないうちに、ひどいコックニー訛に話しかけられた…。
 「こっち側に来たかわいいヒッピーちゃん」
「ちょっと待てよ。オマエ、男? 女? どっちだよ?」
 それから、こう続いた。「おい! オマエに話してんだって!」
 オレは突然、運動がしたくなった。そして、ダッシュ! あいつらの大きな笑い声は聞こえなくなった。しかし、念のためにもう2ブロック、運動しておいた。


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 ロンドンのソーホー地区にほぼ毎日巡礼してたのは、ここがザ・フーゆかりの地だったからだ。オールド・コンプトン・ストリートがあった。長さが2ブロックしかない、石で舗装された古い小さな横道だ。伝説の場所はこの住所だ。ベルを鳴らす。どうぞと言われて中に入る。階段をのぼる。すると、トラック・レコードのオフィスがあった。ザ・フーのマネージャーが4年前に始めたレーベルがトラック・レコードで、ザ・フーの他にも数アーティストを抱えていた。ジミ・ヘンドリクスという名のギタリストはトラックのレコーディング・アーティストだった。彼は大成功した。それから、サンダークラップ・ニューマンというバンドも抱えていた。彼らの〈サムシング・イン・ジ・エア〉は大ヒットし、この年の前半に、少なくとも1カ月はイギリスでナンバー1に居座り続けていた。



 部屋数が5、6と思しきスイートにはデイヴ・ラッフェルという人しかいなかった。彼のオフィスから叫び声が聞こえて来た。「こっちだ」
 行ってみると、WWFの悪役レスラーみたいな人物が椅子に座っていた。色黒で体が大きく、頭はハゲかかり、黒髪を背中まで伸ばしていた。かけてるめがねは分厚く、眉毛はもっと分厚く、口にくわえた葉巻はぶらぶらしていた。…ハビエル・バルデムのような人物だった。
 オレは座っていろと言われた。デイヴはタイプライターで何かを書いていた。
 「さて、どなたかな?」
 「ボクはビンキー・フィリップスといいます。2週間前にメトロポリタン歌劇場でピートのギターをキャッチしたのがボクです」
 デイヴは爆笑した。「あれはオマエさんだったのか!」
 「そうです!」
 「あの話は全部聞いたぜ。ところでさあ[急に前かがみになって]、去年ウッドストックには行ったのか?」
 「いいえ。チケットは持ってたんですが、家族が行かせてくれませんでした(my folks wouldn't let me)」デイヴはオレがザ・フーの曲の歌詞をもじって答えたのに気が付かなかった。
 オレがウッドストックに行かなかったことで、ミスター・ラッフェルはオレが思いもよらないくらいガッカリして、再び椅子の背にもたれてしまった。
 マズいなあと思ってると、デイヴは身を起こし、机のあたりを何やら探し始め、引き出しを開けたり、書類の山を持ち上げたりしだした。
 「あぁ〜、あった。これは今じゃコレクターズ・アイテムだよ。このロゴはもう何年も使ってないからね」
 オレはデイヴから、「THE WHO」の「T」の上の棒が伸びて矢印になってる珍しいロゴがプリントされているTシャツを渡された。ジョン・エントウィッスルが《マジック・バス》のアルバム・ジャケットで着ているものだ。ただし、オレがもらったのは、赤のインクで描かれていたものだった。何かを恵んでもらうためにここに来たわけじゃなかったが、このTシャツは超カッチョいいと思った。現在、このTシャツは、この記事を書いている部屋にあるソファの背を、おばあちゃんの作った装飾ナプキンのように覆っている。magicbusjohn.jpg
 それから、ビックリしたことに、デイヴ・ラッフェルは普通にこう言った。
 「一緒に行こう。次のシングルのB面の編集作業を監督する仕事があるんだよ。どんなふうにやるのか見学するといい」
 オレは訊いた。「何のシングルB面ですか? トラックのどのアーティストのですか?」
 「ザ・フーの次のシングルが〈サマータイム・ブルース〉なんだよ[《ライヴ・アット・リーズ》は約60日前に発売となっていた]。で、〈ヘヴン・アンド・ヘル〉のスタジオ・バージョンをレコーディングしたんだけど、最後の3秒間にひとつ問題があるんだよ」
 オレは頭がクラクラしてきた。
 〈ヘヴン・アンド・ヘル〉はジョン・エントウィッスルが書いた曲で、オレが一番好きなナンバーだ。この2年以上、ザ・フーのコンサートではこの曲がオープニングで演奏されていたのだが、ライヴでしかこの曲を聞くことが出来ない状態が、かれこれ2年も続いていたのだ。オレは(遂に出る)スタジオ・バージョンの最後の3秒の編集セッションに行くことになったのだ。
 で、最後の3秒間にある問題っていったい何なのだろう?
 デイヴは再生ボタンを押した。明らかにこれこそ決定バージョンという演奏の最後で、ギターとベース、そしてシンバルのシャーンというが消えかかっている時に、キースがブランデーの入っているグラスにぶつかり、それがガチャンと割れる音が入ってしまっていたのだ。でも、良い演奏だ。
 「それがオレたちの問題なのさ。ビンキー」
 デイヴとオレは腹の底からクックックッと笑った。
 3、4回くらい小手先の技を使ってどうにかしようと試みたものの、どれもうまくいかず、結局、グラスの割れる音がするところで手早く、本当に手早くフェイドアウトしてしまおうということになった。2013年にはグラスの割れる音を大きくミックスしようぜ、なあ!
 デイヴがこのフェイドアウトの仕事を終えようとしていた丁度その時に、編集室のドアが開いて、サンダークラップ・ニューマンのスピーディー・キーンとジミー&ジャック・マッカロウが入って来た。オレは彼らが誰だかすぐにわかり、アワアワしてしまった。
 「おっと、ビンキー。言うのを忘れてたんだけど、サンダークラップ・ニューマンとのミーティングもあったんだよ。こいつはビンキー・フィリップスって言うんだ。2週間前にメトロポリタンでピートのギターをキャッチした奴さ」
 するとメンバーからは「ハロー」「ナイス・キャッチ!」の嵐。
 デイヴからは「ニューヨークに戻る前に、もう1度、オレのオフィスに来れるかな?」という言葉がかかったのだが、そろそろおいとましてくれというサインだったのだろう。しかし、ジミーとジャックにはニューヨークだのギターをキャッチしただのという言葉が引っ掛かったようだった。オレたち3人は年齢的に1歳も離れておらず、すぐに互いに打ち解けて話し始めてしまったので、デイヴはスピーディーとふたりで部屋の反対側で話し始めた。スピーディーはオレのことなんかどうでもよく、何か別のことで頭がいっぱいだったようだった。
thunderclap.jpg そして、10分後くらいしてからだっただろうか。ドアが開いてサンダークラップ本人が入って来た。彼は吹き出して笑っちゃいそうになるくらい宣伝写真と同じだった。背が高く、少なくとも6フィート2インチ(185cm)はあった。かなり太目で、お爺ちゃんのするようなサスペンダーでズボンを釣り、かつては輝く真っ白だったであろうオフホワイトのシャツを着ていて、メガネは鼻の下の方までずり落ち、シャイで臆病で、ちょっと寂しげな雰囲気の人物だった。
 そんな彼が入ってくると、全員の態度が一変した。
 皆、ミスター・ニューマンとの会話には非常に神経をつかっていた。全てを支配する少年、ビリー・マミーが登場する回の『トワイライトゾーン』のように。もっとも、この編集室の中では、TN氏のことを怖がってる人はひとりもいなかったが…。「サンダークラップは本当に変な人」というのがオレが抱いた紛れもない印象だ。神話は事実だった。オレは興奮しながらさよならをした。

 最後にもうひとつ、とっておきの話を紹介しよう…。
 13日間のロンドン滞在の最後から2日目の晩の出来事だ。オヤジとお袋には2年前にイギリスに引っ越した友人がいたのだが、太陽が沈みかけている頃、オレたち一家は彼らの巨大なジャガーに乗せられて、近郊に向かった。「絶対にクレイジーなパーティー」が行なわれるとのことだった。ドライヴウェイを進んで車をとめると、派手派手なカントリー・ハウスの横に、他にも少なくとも20台は高級車がとまっていた。大きな部屋に入ると、約100人の変な格好をした超陽気なポール・リンドチャールズ・ネルソン・ライリーみたいな連中で溢れかえり、わいわいがやがや状態だった。彼らは全員、殆ど同じ服装をしていた。ショートパンツに窮屈そうなノースリーブの上着、銀色か金色のレザーの野球帽、道化のようなブカブカのスニーカーや踵の高いブーツといういで立ちだ。髪の毛の生え際からは汗が滴っていた。
 何だこいつら?
 オレたちがこの状況に辛抱していた丸1時間ほどの間にかかった唯一の曲は(パーティーの主催者は、元アメリカ人の抱えているクライアントだった)----ディスコテーク・レベルの音量でかかった唯一の曲、という意味だ----あの夏にヒットしたノヴェルティー・レコード、ザ・ピプキンズの〈ギミ・ダット・シング〉だった。これは1930年代風の騒々しい曲で(〈ウィンチェスター大聖堂〉をアップテンポにしたような感じだ)、タイトルを延々と繰り返し歌っているだけの超耳障りなフレーズがある。
 会場にいた連中はこの曲がかかると超盛り上がっていた。80%の奴らがワイルドに踊り、20%が酒を飲みながら、上品なイギリス訛をさらに派手にして大声で会話に興じていた。セックスをしてる連中もいた。踊っている連中は、このおバカ・ソングでスーフィーのようなトランス状態になっていて、曲が終わるやいなや、ターンテーブルの近くにいる人が、針を最初に戻していた。すると、数十人の男が歓喜の雄叫びをあげ、再びトランス状態で踊り狂うのだ。これは1970年版エクステンディド・ミックスか?
 この歌を知らない人のために、youtubeのリンクをはっておこう:



 この変なお祭り騒ぎに来て30分くらい経った時、同じくらいの年齢で、髪の毛の長さも同じくらいの男2人が、隅っこのほうで超居心地の悪そうにしてるのを発見したので、オレは思い切って声をかけてみた。
オレ:(半狂乱で踊ってる連中のほうを指して)「キミたちもこいつらの仲間?」
 こいつらは手で国際的に通用する「否」のジェスチャーをした。「キミはそうなの?」
 「いや。知り合いに連れてこられたんだ。これ、いったい何?」
 ふたりとも目が点だった。
 「ところで、キミ、アメリカ人?」
 「うん、ニューヨークから来たんだ」
 こいつらは輝くものを見るような目つきでオレを見ていた。
 さあ、次にオレに聞くことあるだろ? さあ、気兼ねなくどうぞ。
 「それじゃ、ウッドストックには行ったの?」
 「いや。チケットは持ってたんだけど、家族が許してくれなくて…」
 すると、また超ガッカリされた。
 「あのさあ、オレは2週間くらいこっちにいるんだけど、どのレコード屋に行っても窓に飾ってあるのはエアプレインやデッドやクイックシルヴァーばっかり。まったくも〜。そういうものから逃れるためにここに来たのにさ。キミらも、こうした西海岸のバンドに夢中なわけ?」
 「そんなわけない! オレたちが好きなのはザ・ホリーズにザ・ムーヴ、スモール・フェイセス、ザ・キンクス、それからザ・フー…」
 オレは嬉しくなった。彼らが最初に口にしたバンド、ザ・ホリーズは、今でも大好きだ。
 「ハシシ吸いたい?」
 「ワオ! イギリスでハイか! 最高!」
 彼らは笑い出した。オレたちは外に出て、不格好な巨大ジョイントに火をつけ、回しあった。オレはしっかり深く吸い込み、3回目で頭がとても軽くなった。
 と思った途端、オレは地面に倒れてしまった。死にかけた。
 ビックリしたイギリス人のガキふたりが屋敷の中に入ってオレの両親を見つけてきて、オレは両親によって上階にあるベッドルームに運ばれた。オヤジとお袋は、オレが酒を何杯か盗み飲みしたのだろうと思ってたようだ。オレの頭は45rpmで回っていて、息をするのもひと苦労で、体が麻痺してしまったようだった。人生で唯一、この時だけ、オレは死を歓迎した。つまり、「死ぬなら、死んじゃえ」と思ったのだ。
 そのうち、ガキふたりが暗い部屋にこそこそ入って来た。
 「一体どうしたんだよ。大丈夫か?」
 「おい、あのジョイントには何か変なものが入ってたんだろ」オレはしわがれ声で訊いた。
 「何も入ってない。ハシシとタバコだけだよ」
 あの晩、オレは自分の体がタバコを全く受けつけないことを知った。この最後の話は、考えただけで、気が遠くなる。

 ブーツが届いた直後の話はこちらで:
NY Rock'n'Roll Life【12】オッパイのついたキース・リチャーズと1958年製レスポール
http://heartofmine.seesaa.net/article/318916603.html

Copyrighted article "LATE JUNE, 1970: An Amazing Autograph, Heatwave in London, Granny Takes A Trip, Thunderclap Newman Shows Up and, Yes, 'Gimme Dat Ting'" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/late-june-1970-an-amazing_b_3442824.html
Reprinted by permission
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