2013年07月27日

マニーズ店員、ジョン・レノン宅へ出張訪問

 CP・ロスという人物は1970年代末〜80年代初頭にかけてレジーナ&ザ・レッド・ホッツ(U2の初アメリカ・ツアーの前座を務めたらしい)、1990年代にはブレシド・ユニオン・オブ・ソウルズで活躍し、現在ではコメディアン、デニス・リアリーのバンドのドラマー兼音楽監督を務めているマルチ・プレイヤーのミュージシャンです。シンセサイザーに造詣が深く、1980年代にはダンス・ミュージックのレコーディングにかかわったり、オジー・オズボーンのツアーで影武者としてキーボードを弾いたこともあるそうです。
 彼は1970年代後半にはニューヨークの老舗楽器店マニーズ(ビンキー・フィリップスの文の中にもよく出てきます)で働いており、今回紹介するのは、その時の話です。

 CP・ロスが参加しているトラックかどうかはわかりませんが、リジーナ&レッド・ホッツ、ブレシド・ユニオン・オブ・ソウルズ、デニス・リアリーに関するyoutube動画をはっておきます:







 ちなみに、本文に出てくるジュークボックスは、1989年にクリスティーズで競売にかけられたものとは違うジュークボックスのようです。

  




マニーズ店員、ジョン・レノン宅へ出張訪問

文:C・P・ロス


 1978年のクリスマス・シーズンのことだった。マニーズ楽器店で働き初めて1年ちょっと経った頃だ。22歳のパンク・ロック野郎だったオレは、この店に新たに創設された「シンセ・キーボード担当」に昇格していた。ちょうど、ヤマハがあの名機CP-80を世に出した頃だった。これは「ポータブル」(本当さ。ロード・クルーに聞いてみろ)の88鍵のエレクトリック・ピアノで、本物の弦が張ってあるが、サウンドボードはないというものだった。これが出たおかげでやっと、ロック・バンドは本物のピアノと格闘することなく、ステージでピアノらしいピアノの音を出すことが出来るようになったんだ。凄いだろ!

yamaha_cp80.jpg


 ヨーコ・オノ・レノンは、旦那に再びソングライターになってもらおうとして、マニーズでこのCP-80と2台の電源内蔵式の高級スピーカーを購入し、ダコタ・ハウスにそれを届けさせていた。オレの覚えている限りでは、市内への配送はこれが最初で最後だった。
 元旦から数日経った後、マニーズのオーナーのミスター・ヘンリー・ゴールドリッチ(この人には言葉で言い表せないほど世話になったなあ)からこう告げられた。「チャーリー、ジョン・レノンの家に行って欲しいんだ。ヨーコが言うには、ここで買ったヤマハの調子が悪いんだってさ」
 ワオ! ジョン・レノン! ハイハイ、了解! だが、オレはロック・スター流というのに慣れていた。彼らは定期的にマニーズにやって来るが、こうした故障とかの場合、たいてい担当するのはスタッフなのだ。実際、オレが電話で話した相手も、ダコタにあるヨーコのオフィスで働いてる奴だったし。
 「えっと、修理にはジョンも立ち会いたいって言ってるんだけど」
 内心もうドキドキ。《ハード・デイズ・ナイト》の列車のシーンの女の子のようになるまいと超努力しながら、オレは訪問の約束をした。
 翌日、オレはいかにも「技術者」っぽく見えるような服装に落ち着くまで、3回も服を着替えた。頭はヘンナで紫に染めたツンツンのパンクヘアだったんだけどね。
 ダコタのドアマンはオレを1階にあるヨーコのオフィスに通してくれて、レノン夫妻が上階で朝食を食べ終わるまで、座って待ってるようにと言った。
 オレは床から天井まで壁一面のまっ白のファイル・キャビネットの反対側に座っていた。ファイルの殆どには「印税--BMI」と書いてあり、「小口現金」と書かれたファイルも少しあった。今はそうして生活してるんだな。
 内線で「上にあがってもらって」という指示が届いたので、オレは小さなプライヴェート・エレベーターに乗って、5階か6階上に行き、両側にドアがついているホワイエに到着した。アパートの大部分は白いカーペットが敷かれているので、ブーツは脱ぐようにと指示されていた。
 ホワイエのドアのひとつが開くと、ジョンとヨーコが立っていた。驚いたことに、ジョンはオレよりかなり背が低かった(オレは185cm。ジョンは175くらいだった)。ヨーコは思ってたより大きく見えた。ショーンは生まれたばかりだった。オレは彼らと冗談を交わした。それまでにオレはたくさんのロック・スターと接したことがあった。不機嫌な奴、エゴの固まりみたいな奴、コークでイッちゃってる奴、酒で酔っ払ってる奴、「シーッ、オレがここにいること内緒だよ」って感じの奴、いろんな連中がいたので、オレは世界で最も有名なミュージシャンに会い、そいつがどんな癖を持ってても動じない心構えが出来ていた。だが…ジョンはしゃべり始めると止まらないタイプだった。
 数分、オレはジョンとヨーコとキッチンでしゃべった。そこはニューヨークにあるたいていのアパートメントより大きく、工場でも使えるくらい強力な機械がいろいろ備わっていた。もう少しおしゃべりをしていると、ジョンが修理を始めてもらいたいとのことなので、ふたりで長い廊下を歩いて行った。オレたちは速足で歩いたが、その間もジョンは時速95kmのスピードでしゃべりまくっていた。
 廊下には白のカーペットが敷き詰められ、壁も真っ白だった。どちらの側にも8フィートおきにドアがあり、開いたドアからは風変わりな物体が見えた。ある部屋の中には、けば立てしたアルミニムで出来た巨大なピラミッドがあり、それはツタみたいなもので覆われていた。この物体の土台は床に対して大きすぎていて、向こう側の足の部分が壁に寄りかかっていた。廊下の壁にたくさんの写真が飾ってあるのにも気がついた。全てジョンとヨーコの写真だが、そうでないものもいくつかあった。この写真の人物はジョンと…あ、ブライアン・エプスタインだ。
 しかし、写真を見ている暇なんてない。ジョン・レノンからずっと話しかけられているからだ。
 「何がいけないのかわからないんだよ。ひとつのスピーカーをプラグインすると、ちゃんと音が出る。もうひとつのスピーカーをプラグインしても、ちゃんと音が出る。でも、両方をつなぐと、別の家の地下室でローリング・ストーンズがリハーサルをしているような音になっちゃうんだよ」
 オレが「そいつはよくないですね、ジョンさん」と答えると、ジョンはニコニコしながら言った。
 「ああ、全くだ」
 ジョンは廊下の突き当たりにあるドアを開けた。高まる期待! ところが、そこは暗くてカビ臭い大きな部屋で、超古いカーテンと汚れた窓で光が遮られており、その真ん中にはヤマハのピアノとスピーカーが極めて場違いな状態で置いてあった。さらに不釣り合いだったのが、ワーリッツァー社製のジュークボックスだ。しかも完動品。飾りの細い管の中を泡の混じった液体が流れていて、78回転のSP盤専用で、この薄暗がりの中でクリスマスツリーのようにライトアップされていた。
 その時突然、たくさんの子供の足音がこっちに近づいてきた。10人ほどの女の子だった。一体、何? 子供たちは部屋の中に駆け入ると、ジョンを取り巻いて歌のおねだりを始めたのだ。「歌って、ジョン、歌って!」すると、ジョンは言う。「ごめんね。今は仕事があるんだよ!」しかし、そんなこと言ったって子供にはわからない。ジョンはオレのほうを見て肩をすぼめて言った。「すまん。まずはこっちだ」彼はジュークボックスのほうを向いて選曲ボタンを押すと、ルディー・ヴァリーのナンバーに合わせて歌い始めた。子供たちはうれしそうにダンスをしている。オレは開いた口が塞がらなかった。頭の中は爆発状態! ここに来て、まだ10分も経っていない。

【参考資料:ジュークボックスの中にあったのはこのレコードかどうかはわからないけど】


 このパフォーマンスが終了すると、謎のちびっ子たちは部屋から追い出され(こいつらいったい何者なんだ?)、作業の開始となった。ウォークマンを持参して会話を録音しとけばよかったと思うのだが、残念ながら、この機械が開発されるまであと4年は待たなければならなかった。よって、ここにはオレの記憶にあることしか書けない。
 ジョンの言うところのヒドイ音を確かめた後、オレはピアノを分解し始めた。オレが作業をしている間も、ジョンはぺちゃくちゃしゃべっていたが、そのうち黙ってしまった。オレがジョンのほうを見ると、ジョンはオレをじぃ〜っと見ている。たいていの昔のイギリス人ロックスターには、人が大丈夫か壊れてるかを確かめるのに、あからさまにじぃ〜っとこっちを見つめる癖がある。オレがピアノの中をいじってると、ジョンはこんなことを訊いてきた。「キミ、バンドやってるの? そんなふうに見えるからさ」
 オレは答えた。「はい。レジーナ&ザ・レッド・ホットっていうバンドに入ったばかりです。でも、友人がエンジニアをやってるスタジオで、自分の音楽をレコーディングしてるところなんですよ。深夜にスタジオに入って、オレがドラムとベースとキーボードを演奏します。それから、ギタリストとヴォーカリストに仕上げをしてもらうんです。ちょっと変わった曲です。ザッパみたいな」
 ジョンは好奇心をそそられたようだった。「ねえ、キミがひとりで楽器の殆どを演奏してるの? となると、最初はどうするの? ピアノでパイロット・トラックを演奏するの? ハイハットでテンポのトラックを録音するの?」
 オレは説明した。「最初はテンポ用に機械のクリックトラックを録音するんです。曲はオレの頭の中に入ってるから、次にドラムをプレイして、それからピアノ…ちょっと待った! ジョン、あなたは《サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド》を作った人でしょ!?」
 ジョンはほくそ笑みながら言った。「もう長い間、そういうところから離れちゃってるしさ。すっかり様子が変わっちゃっただろうよ」
 オレはジョンと、昔の技術や、彼の昔のバンドがレコードを作る際に対処しなきゃいけなかったいろんな限界について話した。オレは新しいシンセのテクノロジーについて話し始めた。オレはエース・フレーリー、レイ・デイヴィス、ハリー・ベラフォンテ(!)のためにプログラミングの作業をしたことがあったので、もしよろしければ、ジョンにも同じサービスをしますよと持ちかけたのだが、ジョンはいかめしい顔をして一言、「ノブは好きじゃない」と言っただけだった。イギリスでは「ノブ」に他の意味(* → 脚注)もあることを知ってたので、オレは話題を変えた。
 次に話したのはメロトロンのことだった。これは〈ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー〉をはじめ、1960年代後半〜70年代前半のいろんな曲から聞こえてくる楽器だ。小さなオルガンのような感じの外見で、鍵盤を押すと、機械的に再生ヘッドがテープの上を走り、任意の楽器、もしくはテープに記録可能な他の音を8秒間奏でることが出来るのだ。素晴らしい音が出るのだが壊れやすい。部屋の中をこっちから向こうに移動しただけで、テープが入ってるフレームが曲がって破損しかねなかった。
 ジョンはオレに、モデル#001がレコード・プラントの地下室で寂しく寝ていることを教えてくれた。「欲しいなら、取りに行けばいいさ。地下に降りて行って、それから…」ってさ、ジョンがオレにメロトロンを取って来て欲しいってことじゃねえかよ! ドロボウ役はごめんだぜ!
 ヤマハ・ピアノの中を覗いてみて、残念ながらオレの能力では修理不可能なことがわかったので、何をどうして、誰に連絡を入れたらいいのかを紙に書きとめた。オレとジョンはヨーコが待っているキッチンに戻った。
 オレはさよならの挨拶をしたが、もちろん、サインのおねだりも忘れなかった。ジョンは「これが今年最後のサインになればいいんだけどな」と言いながらも、親切に応じてくれた。
 昔も今も自己PRにぬかりがないオレは、あの時も一発かました。オレは名刺を取り出すと、「ジョンさん、あなたはしばらく業界から遠ざかってはいますが、もしニューヨークで一番のベース・プレイヤーが必要な場合には電話をください」と自分を売り込みながら、名刺の裏に新しい電話番号を書き始めた。すると、ジョンもヨーコも笑い始めるじゃねえか! 「オレの自己PR、そんなに下手クソですか?」と訊くと、ヨーコは笑いながら答えた。「そういう意味じゃないのよ」
 ふたりはオレが電話番号を書く様子を見ていた。そして、ジョンが言った。「確かにオレには必要だよな、別の左利きのベース・プレイヤーが!」
 オレは口ごもりながら言った。「ほ、ほめ言葉として受け取って置きます」
 オレはそう言うとダコタの外に出て、ダウンタウン方向に向かう1台目のタクシーを呼び止めた。
 
エピローグ:2週間後、昼休みからマニーズに戻ってきた時、ギターのセールスマンのひとりから声をかけられた。「ヘイ、チャールズ。お前のバンドメイトのレノンが奥に来てるぞ。ヘンリーと一緒にギターを選んでいる」ジョンは本当に「チャールズのバンドメイトのレノンだけど」と名乗ったそうなのだ。
 オレが上の階に行くと、ジョンはギブソン・ハミングバードという美しいアコースティック・ギターを抱えながら、ヘンリーと話していた。ジョンは振り向いてオレを見ると、手を伸ばして、熱心に訊いてきた:「ヘイ、チャーリー。テープはどうだい?」覚えてたのかよ!
 2年後、オレはレコード・プラントのスタジオCにいた。遂にリジーナ&ザ・レッド・ホッツはレコーディングを開始していたのだ。その時は知らなかったのだが、廊下を少し奥に行ったスタジオDでは、ジョンとヨーコが〈ウォーキング・オン・シン・アイス〉のミキシング作業を行っていたらしい。1980年12月8日のことだ。
 翌日、スタジオに行ったら、雰囲気がガラッと変わっててビックリした。スタジオのマネージャーからは、前日のスタジオ・リポートを手渡された。長い紙に4つのスタジオを使っていたそれぞれのバンドの名前と、その日、各スタジオで必要だったものが記してあった。哀悼の意の美しい表し方だと思ったね。この紙、今でも持ってるよ。




(*) 「チンコ」の意。

Original article "My Visit With John Lennon at the Dakota, 1978" by C.P. Roth
http://www.huffingtonpost.com/cp-roth/my-visit-with-john-lennon_b_1136589.html
posted by Saved at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「この人物については、あまりいいことは言えないなあ」じゃなくって、どれだけ良いことを言っても充分じゃない、つまり、言葉で言い表せないほど世話になった、という意味ですね。
Posted by Tadd at 2015年12月10日 15:56
ご指摘ありがとうございます。訂正しました。
Posted by Saced at 2015年12月10日 22:35
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