2013年09月16日

NY Rock'n'Roll Life【21】ホテルのスイートでピート・タウンゼントに面会したぜ(1974年)

 ピート・タウンゼントの自伝の日本語版が出たのを記念して、2ヶ月半ぶりにザ・フーに関する記事をアップしましょう。ここでずっと紹介しているビンキーの回想録の続きです。1974年6月のマディソン・スクエア・ガーデンは、映画『トミー』の撮影の合間に行なわれたもので、ピート自伝p.268〜269(←Harper Collins社のハードバック版)にも、この時、前列のファンから「ジャンプしろ」と命令されつづけ、まるで自分が道化であるかのように感じたことが書かれています。自伝のこの箇所に差し掛かったら、下の「記事本文を読む」をクリックしてください。

  




【ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ】
第21回:ホテルのスイートでピート・タウンゼントに面会したぜ(1974年)

文:ビンキー・フィリップス


 当時、20歳のロック・キッドだったオレは、無菌室のような刺激の少ないオフィスで働いていた。公務員試験の問題を作成し、試験の監督も行なっていた会社で、郵便物の管理をやっていたのだ。全然好奇心をそそられないだろ。オフィスの建物には非営利団体ばっかが入っていて、その殆どはキリスト教系の組織だった。最もアメリカ的ではない都市、ニューヨークのど真ん中に、純アメリカ的な組織の出先機関が、まるでオアシスのように、変な具合に存在していたのだ。唯一愉快だったのは、約40名の従業員のうち、60歳以下でヘテロセクシャルな男は、オレひとりだったことだ。朝の郵便物をそれぞれの職員に届け、集配ボックスを持って回り、コピー機のボタンを押しながら愛想をふりまくのが、オレの毎日の過ごし方だった。しかし、この大部分はアーティストにとっては地獄の昼間の仕事、日々の雑用だ。自分から進んで選んだものだったんだけどね。別の選択肢であるひもじい人生は、中流家庭出身のオレには合っていなかった。最近パティー・スミスの『ジャスト・キッズ』を読んだら、メイプルソープとひとつのホットドッグを分け合い、しかも、それがその日唯一の食事だったなんていう思い出話が書いてあったのだが、オレがそれよりはるかにブルジョアな道を選んだ理由はこういうことだったのかもしれない。

  

 とにかく、ある日の午後、オレはせっせと働いてるふりをしながら、頭の中では別のことを考えていた。郵便物係用に作られた小さな部屋(オフィス用の備品全てが揃っていた)の自分の席に座って、ザ・フーがこの1週間ニューヨークにいて、マディソン・スクエア・ガーデンで5日間コンサートをやるんだよなあ(もちろん、オレは4公演全部のチケットを持っていた。5列目っていう最高の席だ。8番街の歩道で徹夜して手に入れたんだぜ)、ピート・タウンゼントの宿泊先はあそこなんだよなあって考えていた時、オレは衝動的にホテルに電話をかけてしまったのだ。オペレーターにピートに繋いでくれとお願いすると、「どちら様でしょうか?」と訊かれたので、「ビンキーからだと伝えてください」と言った。
 大量の紙、ホッチキス、ボールペンに囲まれて座りながら、「何考えてるんだよ、オレ」と思っていると、約30秒後、超ビックリしたことに、イギリス訛りの声がとても親しげな口調で話しかけてきたのだ。
 「やあ、ビンキー」
 オレは自分のヒーロー、ザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントと電話で話しているのだ。
 何を話していいのかわからないし、電話をする理由も特にないし、とにかく天空を漂っているような心地だったので、オレは何も考えず、ついつい言ってしまった。「もしもし、ピート。今晩のショウの前にホテルに立ち寄ってもいいですか?…」
 「いいよ、ビンキー。4時頃はどうだい?」
 マジかよ?!
 「えっと…ええ、大丈夫です、ピート」
 「それじゃ、また後ほど」ブチッ。
 午後2時半くらいだった。今の出来事、夢じゃないよな?!
 オレは落ち着きを取り戻すやいなや、早退しなければならないもっともらしい理由を上司に告げて、90分後にはホテル・ピエール(ピーターはフランス語ではピエールだ)のアッパー・フロアの超豪華なホールに行き、ピーターが泊まってるスイートのドアをノックした。約15秒後に大きな笑顔のピートがドアを開け、オレを中に入れてくれた。
 そこはリビング・ルームみたいにセットアップされた大きな部屋だった。家具や装飾からは旧世界的エレガンスが感じられ、殆どウザいくらいだったのだが、そもそもピエールは、アメリカで最も宿泊料の高い気品のあるホテルのひとつだったのだ。ロジャーとキースとジョン、及びザ・フーのスタッフはは皆、セントラル・パーク・サウス(59丁目)のナヴァロ・ホテル等、近所の別のところに宿泊していた。ピートはいつものホテルでの大騒ぎを避けたく思い、自分だけ5番街から8分の1マイル(200メートル)離れた古くて落ち着いたホテルを取っていたのだ。
 ピートはセントラル・パークの東南の端っこが見えるアームチェアにオレを座らせて、自分はカウチの補助シートに腰をかけた。コーヒーか紅茶を飲むかと言われたのだが、丁重に断った。
 次の1時間、オレはとてもフレンドリーで素敵な人物と、多岐に渡ることを、時にはじっくり、時には大爆笑しながら語り合った。
 《トミー》の話題になったので、オレはもう飽きちゃってると言った。すると、ピートは「オレたちもだよ、ビンキー」と言った。
 今までで最も気に入ってる《トミー》評は、スレイドのノディー・ホルダーが言った「スレイドはロック・オペラは演奏しない」というものなのだそうだ。ピートはくすくす笑いながらこう言った。「オレたちが演奏しているのはコック{雄鶏、雄、男、チンコなど、さまさまな意味がある}・オペラさ」

petegretsch.jpg

【このギターか?】


 グレッチ・ギターについても話した。ピートはジョー・ウォルシュからもらった古いグレッチ6120を使って、1971年のアルバム《フーズ・ネクスト》のエレキギターのトラック全部をレコーディングした。聞いてみればわかる通り、あの音、かなり独特だ。あの頃は、グレッチは風変わりなギター・ブランドだった(今でも、ちょっとそうだ)。オレは数年来、ピートが破壊したモデルをオレも手に入れて使うということをやっていたので、ピートがこのギターを使っていることを知るいなや、オレもグレッチを1本買わないではいられなかったのだ。1960年製グレッチ・デュオ・ジェット(ジョージ・ハリスンの持ってたものとよく似ている)を最近手に入れたことを話すと、それに付いてるブリッジはオリジナルのものかと訊かれた。オレのグレッチは、ブリッジがギブソンのチューン・オー・マティック(凄い名前だぜ)と交換されていると答えると、ピートは熱心に技術的な講義を開始した。彼はコーヒー・テーブルの上に置いてあったナプキンにボールペンで図を書きながら、デュオ・ジェット用にグレッチのオリジナルのブリッジを見つけないといけない理由を解説をしてくれた。

tuneomatic.jpg

【Tune-O-Matic】


 「そのブリッジじゃないと、ビグスビーを使う時に弦がしっかり支えられてなくて、サステインが少なくなっちゃうんだよ、ビンキー!」
 それから数週間もしないうちに、オレは自分のギターにオリジナルのグレッチのブリッジを装着した。
 オレはピートがニューヨーク・ドールズをどう思ってるのか訊きたくてしかたなかった。オレの友人{ダチ}がやってるものだし、オレ自身、このバンドの大ファンだからだ。しかし、ピートはあまり知らないようだった。ライヴは見たことないし、耳にしたレコーディングにノックアウトされたわけでもないらしい。「こいつらは新しいローリング・ストーンズだ。しょぼいギグですら凄いんだ」とオレが力説すると、ピートは超疑いの目をして、少々上から目線で鼻でフンと言いながら答えた。
 「ストーンズはしょぼいギグなんかやったことないぜ!」
 本物のストーンズ・ファンのようなしゃべりっぷりだった。
 事実、昔も今もそうなのだが、ピートの鼻はついついじっくり見てしまうほど壮観な代物だ。しかし、こうして至近距離で会うと、なかなかの二枚目だ。ビックリするくらいそうなのだ。オレのオフクロも、数年前にフィルモア・イーストのロビーでピートと会った時に、同じことを言っていた。このホテルのスイートでピートとしゃべってる時も、ついピートの鼻にじっと見入ってしまい、突然、自分が今、誰と一緒にいるのか思いだし、再び、ふわふわ夢見心地な気分になったりした。
 この頃、ピートとオレの関係は少々複雑になっていた。オレは過去7年間、世界でナンバー・ワンのザ・フー・ファンを自認して生きてきた。しかし、なぜだかは知らないけど、ピートにとって迷惑な存在になってはいけないことは理解していた。1度、ゴーハム・ホテル(昔、ザ・フーがNYCに来た時に宿泊していた汚いホテルだ。西55丁目にあった)のロビーでピートを待ってたことがあるし、世界に名だたる楽器店マニーズで出くわしたことも2度あるし、ニューヨーク公演のうち20以上のショウを最前列で見たし(1度なんかステージの上で)、ザ・フーの出待ちをするために午前2:30にフィルモアの出口付近をうろついてたこともある。しかし、迷惑にはならないくらいの適度な距離を保っていた。ピートがオレのオヤジとオフクロに会った後も、ピートからギターを投げてもらった後も、オレはピートと、ファンとスターという力学的関係を保ち続け、ピートにつきまとったり、バックステージに入り込もうとはしなかった。だから、ホテルのスイート・ルームに押しかけてこうしてピートに会うのは、少々どころでなく居心地が悪かったのだ。
 オレが夢見心地でピートの鼻を見つめている時(少なくとも1回、もしかしたら2回そうしたか…)、ピートの目が笑ったので、こいつ、最前列にいたあのクレイジーなガキだ!と思われているかのように感じた。
 概して、リラックスした楽しい訪問だったのだが、オレは間もなく愛人兼ザ・プラネッツのマネージャーになる女性に、今晩のショウのチケットを届ける用事があったことを思い出した。もうこんな時間だ、やべえ、と思ったオレは席から立ち上がり、急いで行かなきゃならないことをピートに告げると、彼は驚いてるようだった。ショックですらあったようだ。その瞬間、オレは思った。ピートはしばらくここで和んでから、一緒にマディソン・スクエア・ガーデンに行くつもりだったのではないかと。
 廊下で握手をしながら、オレはしまったと思い、心の中で苦悶した。マディソン・スクエア・ガーデンのバックステージでザ・フーのメンバーと歓談するチャンスを、これでみすみす失ってしまったからだ。その時、口から思わず出て来たのは「会えてうれしかったです(nice meeting you)」という言葉だったが、ピートは握手の手を引っ込めながら言った。ちょっと冷たく。
 「本当にnice meeting you? 最初に会ったのはずいぶん昔だと思うぜ」
 ニール・アームストロングのように、小さな一言をオレは言い忘れていた。オレが本当に言おうとしてたのは「meeting with you」だった。
nice meeting you = お会いできてよかったです《初対面の折の別れの挨拶》

 オレはピエールのエレベーターに乗り込んだ。心がつぶれた状態で。
 最後にひとつ、本当に楽しい瞬間の話をしたい。オレがホテルに到着して30分くらい経った時、ピートは突然立ち上がって、何の脈略もなく、こんな秘密を明かしてくれた:「音楽に関して、もしひとつ願いが叶うとしたら、アンディー・ウィリアムズのように歌いたいなあ」そして、部屋の真ん中で、ラスヴェガスのラウンジシンガーのようにドラマチックに両腕を広げ、満面に笑みをたたえてオレの目を見ながら、大きな声で「Out here in the fields, I fight for my meals…」と歌い始めたのだ。アンディー・ウィリアムズのクリスマス・スペシャルを真似た、なめらかでまろやかな古風な歌い方で。たったひとりのオーディエンスだったオレは大爆笑。だって、アンディー・ウィリアムズだぜ。

【参考資料:アンディー・ウィリアムズってこんな人】



* * * * * *


 以上は、1974年6月に行なわれたザ・フーのマディソン・スクエア・ガーデン公演(全4回)の期間中に、ピート・タウンゼントを宿泊ホテルまで訪ねて行った話だが、書かなかったことがある。それは、オレがピエール・ホテルに行ったのは、ピートがザ・フーとその中での自分の役割に関してプッツンしてしまう前日だったということだ。ピートによると、彼は翌晩、ある意味、ザ・フーを辞めたのだ。
 ピートはこう言っていた。6月14日(金)に行なわれたMSG公演の4晩目にして最終日、最前列には一晩中「ジャンプだ、ピート、ジャンプ!」「腕を回せ、ピート!」と叫び続けるガキどもの一群がいた(オレは3列目にいたのだが、この件については全く記憶がない)。その時ピートは、道化師のようにステージをドカドカ歩きながら、自分の人生を生きているのではなく、自分のやってることが嫌でたまらない操り人形のように感じ、こんな状態に我慢出来るほど若くはない…と悟ったのだった。その晩、ピートは深刻なアイデンティティーの危機に陥ってしまい、その後数年間ずっとこれが尾を引くことになった。木曜日にも金曜日にも素晴らしいショウを行なっていたのに…。
 ピートがスイート・ルームでアンディー・ウィリアムズのように〈ババ・オライリー〉を歌った約7時間後、ザ・フーはアンコールのためにステージ上に戻って来た。これだけでも凄いことなのだ。当時、ザ・フーは必ずアンコールに応えてくれるわけではなかったのだ。
 この晩は終始素晴らしいショウで、メンバーの息もぴったりで、客席もとても盛り上がっていたので、アンコールは超祝賀ムードだった。ザ・フーは〈シェイキン・オール・オーバー〉を始めたのだが、演奏を開始しておよそ3分後、PAシステム全体が落ちてしまったのだ。ジョンとピートのアンプ以外、全てのものが完全にダウンしてしまった。ロジャーの気性の荒さは伝説的で、常に一触即発の状態なのだが、もはやショウを続けられないレベルのトラブルだと悟るやいなやぶちキレた。人がここまでキレるのをオレは見たことがない。彼はステージのジョン側のほうのPAラックとスピーカー・キャビネットに向かって突進し、それを持ち上げ(ひとつひとつがゆうに45kg以上はあっただろう)、修理を試みているクルーに投げつけ始めたのだ。これらの機材はゆうに15フィート(4.5メートル)は宙を舞った。何ていうワイルドな力だ! ロジャーがステージのわきまで大股で歩いていくと、そこにはクルーが2、3人、困った様子で立っていた。その時、ロジャーが何て言ったかを知る由はないが、がたいの大きなクルーたちが恐怖のあまり 縮こまっていた。ロジャーは怒鳴りながらステージから去っていったが、あまりに大声だったので、前の方の席ではPAがなくても聞こえた。ピートとジョンとキースは、恐怖と嫌悪と諦めがまじった表情で互いを見た。長年の間に集めた情報を総合すると(ピート本人も手紙の中でメンバーへの不満を述べていた)、ギグが終わった後も、ダルトリーは長時間、大声でわめき散らし、誰の制止も聞かなかった。
 翌晩は、完璧というわけではなかったが、オレが見たザ・フーのコンサートの中では、良いほうのショウだった。最後の仕上げに、ピートは5本あったギブソン・レスポールを全て破壊しようと決意し、理路整然と1本ずつギターを手に取ると、それを部品のレベルになるまで壊した。彼がギター・スタンドにある最後の1本を取りに行こうとすると、キースがドラムキットの後ろから飛び出して来て、パントマイムで「お願{ねげ}えですだ〜、あっしにもやらせてくだせ〜」と頼んだ。召し使いのようにペコペコしながら。ピートもパントマイムで「さあ、やれ」と答えた。貴族が召し使いに命令するように。すると、キースは超滑稽な仕草で頭上高くギターを掲げると、全力でステージに叩きつけた。しかし、ギターは壊れなかったので、ピートとロジャーは大爆笑した。最初の失敗で火が付いたキースは、ギターを床に激しく打ち付けて粉々にした。皆、楽しい時を過ごしてた…後から分かったことなのだが、ピート以外は…。
 金曜日に行なわれた最終公演後には大きなパーティーが催され、オレも35人くらいのリストに中にどうにか入れてもらえて、ファンになって初めて、コンサートではないザ・フーのイベントに行った。

 
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 このお祭りの会場はマディソン・スクエア・ガーデンから歩いて90秒のところにある、マンハッタン・センターという使われてないボールルーム/シアターだった。中に入るやいなや、人が多すぎるどうしょもないイベントだとわかった。役に立たない取り巻き連中や、パーティー押しかけ常習者、キース・ムーンがニューヨークで利用したリムジン・サービス経営者の友人の友人の友人のそのまた友人といった連中ばっかりで、ザ・フーのことなんか誰も知らないみたいで、はなはだレベルの低いクソみたいなイベントだった。この混雑の中で立っていると、突然、幻影のように、ピートがオレのほうに向かって歩いて来た(どんちゃん騒ぎをしている連中には全く気づかれていなかった)。そして、声の届く範囲に来ると、超不機嫌そうな顔をしながらオレを真っすぐ見て、「こんなところで何やってんだ、ビンキー?」と言うと、前を通り過ぎてストリートに出て行った。かの有名な8番街ひとり闊歩はこうして始まった。ピートはザ・フーを辞め、音楽を辞め、人生を辞めていたのだ。驚いたことに、我が親友ふたり----トラウザー・プレス誌で有名なアイラ・ロビンズとデイヴ・シャルプス----がピートが出て来たのを見て、こんなアフター・パーティーどうでもいいと賢くも判断し、8番街を23ブロックも(!)ピートの後をつけて行った。彼らは気づかれないくらいの距離を保ちながら、ピートの無事を確認していたのだ。彼が苦悩していることは、そのくらい明らかだった。
 36時間もしないうちに2度も自分のヒーローの機嫌を損ねてしまったと思っていたオレは、悲しみと屈辱で狂わんばかりだった。ピートが言おうとしていたのは「こんなクソみたいなイベント、キミにはふさわしくないよ」ということだとわかったのは、ずっと後になってからであり、あの時は、ピートに嫌われたと感じていた。それもこれも、前日の午後にピエール・ホテルの廊下で無様で残念な(オレにとってもピートにとっても)別れ方をしていたからだ。
 怒りと混乱と自己嫌悪で頭がいっぱいの状態の時、突然、オレの目にとまったのがシャンペンのトレイをもった奴だった。オレはそいつを捕まえると、ちょっと待ってと言い、グラスを2つもらうと、10秒もしないうちにそれを飲み干した。そして、再びグラスを2つもらうと、10秒でそれを飲み干した。その時、誰かがオレの名前を呼んだ。オレはローラに紹介されていた。
 オレは酔っ払っていた。
 数カ月の間、オレは何人かの友達{ダチ}からローラのことを聞かされていた。「オマエもローラのことを好きになっちゃうぜ、ビンキー。絶対にオマエのタイプだ!」
 そして、遂にオレはローラと対面した。小柄でキュート、ワイルドな目をしていて、髪はハチミツ色。染みひとつない高そうな白のパンツ・スーツを身につけていた。
 しかし、オレは酔っ払っていた。
 オレはローラの手を握ると、彼女の右耳に自分の顔を近づけて、今酒を飲んだばかりであることと、それをどうやって手に入れたのかを打ち明けた。あたかも、ふたりだけの大きな秘密であるかのように。すると、ローラは振り向いて別のウェイターを見つけて、自分でグラスを2つ取ると、オレにもグラスを2つ取るように言った。そして、4杯全てをオレよりも早く飲み干してしまったのだ。彼女はこっちを向くと、含み笑いをしながらこう言った。「これでどう、ビンキー?」
 「ついて来いよ、ローラ!」
 一緒に階段を登った。そこにはオレたちしかいなかった。男性用トイレを見つけ、一緒にそこに入った。
 華々しくオレが告げた。「OK、ローラ。見ててくれ!」
 オレはシンクのほうに行くと、それを壁からひっ剥がした。水が吹き出した。
 オレはゴミ箱を手に取って、鏡に向かって投げつけた。ガチャン!
 消臭剤の入れ物を握ったまま壁にぶつけると、ミントの香りがするネバネバした物質がグチャッと広がり、この臭いはその後数日間、オレの肌に染み付いていた。
 トイレット・ペーパーをいくつもつかむと、2つの便器の中に無理やり突っ込み、水を流した。
 トイレがびちゃびちゃになったので、オレたちは廊下をさらに進んだ。他に人はいなかった。
 あるドアを開けると、小さな真っ黒な部屋があった。オレはローラのほうを向いて、彼女とディープキスをすると、その中に引っ張り込んだ。手探りで進んでるうちに、ローラはつかまれる柱を発見した。オレたちが元気にコトを始めようとしたら、突然----これは比喩でも誇張でもなく----部屋が大爆発し、ブルドーザーのエンジンがかかる時のような音を伴って、ジェット・シャワーのような火花が飛んだ。衝撃と恐怖とはこのことだ! オレにもローラにも文字通り星が見えた。ここはエレベーターのエンジン・ルームだったのだ。誰かがエレベーターに乗り込んで、ボタンを押すたびに、オレたちの密会の場所が噴火を起こしていた! オレたちがドロドロになってる15分の間に、少なくとも6回はこの現象が生じ、エッチ体験に何だかよくわかんないけど凄{すげ}え要素が加わった。
 火花のあがる電気仕掛けのヤリ部屋から出るやいなや、廊下が洪水状態になっていて、その水は階段を下っていた。オレたちも火花で生じたススだらけになっていた。ローラは顔の左半分全体がアル・ジョンソンくらい真っ黒になっていて、コミックブックに出て来る超悪役みたいだった。右側がグッド・ガール、左側がバッド・ガール! 白のパンツ・スーツは笑っちゃうくらい汚れていて、黒い大きな手形がいくつか説明しづらい場所についていた。オレたちは笑いが止まらない状態で、水の中に落ちないように、体を壁にぴったりくっつけていた。まだベロンベロンに酔っ払っていた。知り合ってまだ20分しか経っていなかった。
 オレたちはまだ残っていた正気をかき集めて、どうにか階段を降り、平静を取り戻した。
 しかし、友人たちはクールを装ってオレたちの格好に無関心でいようなどとはしなかった。

オマエら、どこに行ってたんだよ?

 ローラはうれしそうに答えた。「ビンキーがトイレを破壊してたの!」
 シーッ! 黙ってろ。

Copyrighted articles by Binky Philips
"I Have a Chat With Pete Townshend in His Hotel Suite, 1974"
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/meeting-pete-townshend_b_966397.html
"I Have a Chat With Pete Townshend in His Hotel Suite, 1974, Part II: The Night After"
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/i-have-a-chat-with-pete-t_b_1076327.html
Reprinted by permission.
posted by Saved at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | The Who | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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