2013年11月15日

ボブ・ディランと聖書の暗号

 今回はオカルトの話です。私は聖書にまつわる変な説が大好きで、この記事に登場する『聖書の暗号』は、日本語版が出た時に飛びついて読みました。トルストイの『戦争と平和』でも似たような現象が起こることを示して『聖書の暗号』を論駁した本のほうも読みました。
 この記事は、『聖書の暗号』のようなやり方でボブの歌詞を分析すると、近未来を予測している「ディラン・コード」が見えてくると主張しているのではありません(個人的には、そういう現象が発見されたら面白いと思いますが…)。ここで指摘されているのは、ボブが「聖書にはこれから起こることも書かれている」といった趣旨のことを「歌った」のと(こういう解釈自体は旧約の時代から存在するもので、ボブが20世紀になって発見したものではありません)、聖書には現代の事件も書かれていることをコンピューター解析によって示せることを紹介した『聖書の暗号』が出版されたのが、ほぼ同時期であるという、ある種の共時性{シンクロニシティー}の存在です。
 なんだ〜。
 しかし、念のためネットで検索してみたところ、バイブル・コードに関しては私の想像を超えた凄い展開になってるではありませんか。賛否両方のサイトが存在するのは想定内でしたが、バイブル・コード解析が商売になってるのは予想外でした。バイブル・コードで占い業をやってる奴もいれば、バイブル・コード解析ソフトを売ってる奴までいます。ビックリ!

   




「時の終焉は始まったばかりだ」

〜ディランと聖書の暗号〜


文:ニコラ・メニカッチ


私の始まりの中に、私の終わりが存在する T・S・エリオット(Four Quartets - East Coker)

 「とてもおかしいね/時の終焉は始まったばかりだ」ボブ・ディランは大傑作アルバム《タイム・アウト・オブ・マインド》の最後から2番目の曲〈キャント・ウェイト〉でこう歌った。1997年のことだった。
 ディランが西洋の伝統的奥義について深い知識を持っていることを示す多数の暗号メッセージが《血の轍》から《アンダー・ザ・レッド・スカイ》までの一連のアルバムの中に存在する、ということに私が気づいたのは、それから5年後のことだった。そこで、大発見につながりそうなこの豊かな血脈を、ボブ・ディランと古代の叡知の関係というコンテクストで調べてみようと、私は思い立ったのだ。そして、さらに翌年には、イスラエル人数学者による発見と、この発見について述べている2冊の本のことを友人から聞いた時に、新しい冒険が始まった。
 『Statistical Science』第9号(1994年8月)のp.429〜438に、「創世記における等差距離文字列」という論文が掲載された。著者はドロン・ウィツム、ヨアフ・ローゼンバーグ、そしてエリアフ・リプス。この論文は、50年以上前に盲目のラビ、ワイスマンデル師によって初めて発見された奇妙な現象を検証していた。この学者たちによると、創世記のヘブライ語原本の単語間のスペースを取り除いて、50の倍数番目に来る文字を並べると、TORAH(トーラー、立法)になるというのである。ちなみに、神からモーゼに手渡されたトーラーの原本は、サファイアで飾られた巻物に、全部で304,805個の文字がスペースなしでずらりと並んでいたらしい。
 リプスと仲間たちによるこの研究は、『創世記』の中に暗号が存在することを見事に証明していた。この複雑なコードに基づき、飛ばして読む文字数を設定すると、テキストの「下」から、巨大な「クロスワードパズル」のように言葉が現れ、意味をなすフレーズを抽出することが可能なのだ。

biblecode.jpg


 これが立派な暗号であるという裏付けは、発見者たちによって取られている。彼らはトルストイの『戦争と平和』や他の古典文学のテキストの文字列から似たような現象を見つけようとしたが、ダメだった。数学者や暗号の専門家もそれを試みたが、失敗に終わった。
 ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙に記事を書いている有名ジャーナリスト、マイケル・ドロズニンは、エリヤフ・リプスの協力のもと、この現象に関する2冊のベストセラー『聖書の暗号』(1997年)、『聖書の暗号2』(2002年)を出版した。 
 さて、ディランの《タイム・アウト・オブ・マインド》の中に、このバイブル・コード(i)に言及していると思われるパッセージが少なくとも2つあると指摘したら、皆さんは異様に感じるだろうか。
註(i) トーラー・コードと呼んだほうが正確だろう。ドロズニンが『聖書の暗号』で述べているのは、旧約聖書の最初の5書、つまりトーラーであり、旧約聖書のそれ以外の書と新約聖書は含まれていない。ダニエル書には(恐らくイザヤ書にも)別のコードが存在するかもしれないというのが、ドロズニンの意見だ。

 〈キャント・ウェイト〉に出て来る歌詞については前述の通りである。ドロズニンの主張は、手短に言うと、イツァーク・ラビンが1995年に暗殺された事件(ii)が時の終焉の始まりの最初の兆候であり、その後、それに付随して政治の世界でさまざまなことが起ったということである。ドロズニンの思うところとしては、彼がトーラーの中から発見した暗号メッセージは、イスラエルのネタニヤフ、シャロン政権、アメリカの2000年の大統領選と、あいまいな点が多々あるその結果(ちなみに、ドロズニンは真の勝利者はゴアだと判断している)、ラビン/アラファト平和会談の決裂、反イスラエル抗争と国際テロリズムの出現(もちろん、ドロズニンの主張によると、9・11の同時多発テロも暗号の中での予兆されているという)、核戦争によるホロコーストが2006年にエルサレムから全世界に広がるという予言について言及しているというのである。この世の終わりを予言している言葉は、ある種の警告として登場し、「それを変える意志があるか? 既に文字に記されている未来を変えることが出来るのだろうか?」というひとひらの希望を想起させる役割を果たしているらしい。
註(ii) ラビンは襲われるゆうに1年前にマイケル・ドロズニンから警告を受けていたが、メッセージを全て無視することを選んだ。

 以上のことは、2つの別の見方も出来るだろう。まず、聖書では『レビ記』(iii)の言葉に基づいて、未来を予測しようとする行為を禁止しているのだが、もし聖書の中に暗号が本当に存在するのであれば、既に書かれている未来を予測することに意味はない。その読み取り方を見いだせばいいだけの話である。以前にも、アイザック・ニュートンのような優れた頭脳の持ち主(iv)が、長年かけて聖書の暗号の発見と解読を試みているが(失敗に終わっている)、こうした暗号の発見は、遠く隔たった文字同士の無限の組み合わせを超高速で計算する能力があるコンピューターの発達によって、初めて可能となったのだ。
 次に、これに対して、もし人が予言の内容を知っているのなら、未来を変えるために行動することや、予言を警告として利用することは可能である、という考え方もある。ディランも〈トゥー・マッチ・オブ・ナッシング〉では、「全て以前に行なわれたことだ。本にも全て書いてある」と歌い、〈プレッシング・オン〉では「今後起こることは、既に起こっている」と歌っている。まるで、未来の出来事は既に起こっているかのようである。しかし、「人にそれは変えられるのか」という挑戦の余地はまだ残っているのだ。ここで自由意思という問題が入り込んでくるのだが、ディランも〈アップ・トゥー・ミー〉でこの問題に直面している(ボブ・ディラン批評コーナーにある過去記事を参照のこと----未邦訳)。
註(iii) 『レビ記』という名称は〈ジョーカーマン〉に登場する(同じ一節の中に『申命記』も出て来る)のだが、ボブ・ディランの歌の中に聖書の書名が登場するのは珍しい。

註(iv) ニュートンほどの頭脳であっても、そのために必要な計算の重荷に耐えることは出来なかったであろう。

 ディランは長年、終末の脅威に悩まされている。1980年に行なわれた数多くのインタビューにおいて、それは来るだろう、聖書にあるように、今度は洪水ではなくて炎だ(核によるホロコーストの可能性を考えているのだろう)と述べている。〈ジョーカーマン〉では、アポカリプスの光景は「つるつるの灰色」の空の下で始まり、「女は今日、王子を産み、その子に緋色の服を着せた」と歌っている。この曲以前でも、《ストリート・リーガル》の〈セニョール(ヤンキー・パワーの物語)〉の歌詞には、黙示録に出て来るハルマゲドンが登場する。ハルマゲドンとは善悪の力が最後の戦いを行なうとされている場所である(〈アー・ユー・レディー〉もハルマゲドンについて言及している)。
 旧約聖書においては、この世の終末というテーマは『ダニエル書』に登場し、預言者に対して述べられた言葉は封印された書物の中に書かれていて、「終末の時」にそれが開かれることになっている(「ダニエルよ、あなたは終わりの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい」12章4節)。そして、その書に名前が書かれている人は救済される運命にあると言われている。
 以上のことから思い出されるのが、やはり《タイム・アウト・オブ・マインド》である。このアルバムのタイトルからして、既に不吉な前兆の雰囲気がする(v)。しかも、これでは不十分だと言いたいかのごとく、〈トライン・トゥー・ゲット・トゥ・ヘヴン〉ではディランの語り口は「本を封印して、これ以上何も書くな」と述べているが、これは前述の『ダニエル書』のメッセージをダイレクトに想起させる(「ドアが閉まる前に天国に到着しよう」ということも、天国は収容人数に限りのある場所だと言っているかのようで、皮肉か、憂鬱な心配と理解することが出来よう。『ダニエル書』の12章1節には「あの書に名をしるされた者は皆救われます」とあるのにだ)
 このような視点から見ると、《タイム・アウト・オブ・マインド》は(オープニングの曲は旧約聖書の別の書『雅歌』にダイレクトに言及している(vi))、必然的に、特別な意味を帯びてくる。アルバムのタイトルを前述の2つのリファレンスと結びつけると、そのメッセージはこう結論づけられるだろう:「現代の我々が時の終焉に近づいていることは、何千年も前に言明されている」 封印された書物の中に名前が記されている者のみが、救済を求めることが出来る。さもなければ、3年後に〈シングス・ハヴ・チェンジド〉で書いているように、「聖書が正しいなら世界は爆発する」ことになるのだ。
註(v)「タイム・アウト・オブ・マインド」というフレーズは「太古から」という意味である。少々古臭い表現だが、19世紀を代表するアメリカの大作家のうち3人----エドガー・アラン・ポー、ウォルト・ホイットマン、ハーマン・メルヴィル----が、この言葉を使用している。タイトルにこのフレーズを使いながら、ディランは自分も根深い伝統を所有していることを主張したのである。
註(vi) 〈ラヴ・シック〉は『雅歌』に登場する女性の言葉と対になっている。「エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓って、お願いする。もしわが愛する者を見たなら、わたしが愛のために病みわずらっていると、彼に告げてください」(5章8節)

 ディランの時間感覚には再び驚かされる。ディランの歌詞とバイブル・コードとの偶然の一致は(ディランの観念の中にはそんなものはないと、筆者は思っているのだが…)、1974〜90年よりも現在のほうがはるかに顕著である。もしディランの秘密のメッセージの影響が広まるのが、彼が取り上げたテーマ(vii)の多くが大衆に種蒔きされる前(もしくはそれと同時)なのだとしたら、マイケル・ドロズニンの『聖書の暗号』とボブ・ディランの《タイム・アウト・オブ・マインド》の間に完全な同時発生性を認めることが出来るだろう。どちらも世に出たのは1997年なのだから(viii)
 最後に、アルバム《ラヴ・アンド・セフト》が提供してくれた奇っ怪な事実を紹介したい。このアルバムが発売されたのは2001年9月11日。ドロズニンの『聖書の暗号2』第1章のテーマである世界貿易センタービルへのテロ攻撃が行われた、まさにその日なのだ。
註(vii) マイケル・ペイジェント、リチャード・レイ、ヘンリー・リンカン著『Holy Blood, Holy Grail』は1982年に出版された。

註(viii) ある種のバイブル・コードが存在する可能性は、1992年以来、極めて広く論じられてきたが、それが実在するもの扱いされるようになったのは、1994年に前述の記事が登場してからである。


オリジナル記事:"The end of time has just begun" - Dylan and the Bible Code
by Nicola Menicacci, June 2003

http://www.reocities.com/Athens/Oracle/6752/menicacci.html#Bible

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