2013年12月14日

NY Rock'n'Roll Life【24】チャーリーがルー・リードのアパートメントに行った話

 10月末以来、多くのライブハウスや劇場でヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リードの曲が開演前のBGMとしてよく流れています。それだけアーティストやそれに準ずる人々の間では信奉者が多いのでしょう。
 ニューヨーク中のコンサート会場や楽器店、レコード屋に入り浸ってたビンキーは、ルー・リードとも会ってます。ビンキーの友人、チャーリーはルーの高級アパートメントまで行ってます。ルーの死去にともなって、一般ファンから奥さん(ローリー・アンダーソン)にいたるまで、さまざまな人がルーの死を悼む発言をしてますが、ビンキーとチャーリーの思い出話も一読の価値ありでしょう。

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 《Coney Island Baby》のテスト・プレスの話は聞き捨てに出来ない人も多いと思います。お持ちの方いらっしゃいましたら、聞き比べセッションに私も誘ってください。



【ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ】
第24回 チャーリーがルー・リードのアパートメントに行った話
文:ビンキー・フィリップス


 オレが初めてルー・リードと出会ったのはブルックリン・ハイツのグレイス教会で行なわれたチャリティー・フェアでだった。1967年の感謝祭の次の日だった。その頃には、ビートルズのコンサートを見たことがあったし、(ブライアン・ジョーンズがいた頃の)ローリング・ストーンズもザ・フーのコンサートも体験済みだった。《アー・ユー・エクスペリエンスト》は50回以上は聞いていた。つまり、耳は肥えていたんだぜ。
 オレは数ドル持って教会のチャリティー・フェアに来ていた。早いうちにクリスマス・プレゼントを買っておきたいし、同時に教会の活動の一助にもなるだろうと思ってだ。オレはここの保育園に通い、合唱隊で3年間歌っていたからね。
 チャリティー・バザーで売ってたのは古いガラクタばかりだったんだけど、当時出回っていた5種類の銀貨のセットもあった。これは妹が買って、クリスマス・プレゼントとしてオレにくれた。もっとも、1年後には、91セント全部を飴玉と『16』っていう雑誌を買うのに使ってしまったが…。
 少なくとも15本はったであろう太いパイプから湯気が立っていて、暖房が効き過ぎてる会場の中をぼんやり歩いていたら、珍しいものを売ってるテーブルがあった。小さな枝編のかごの中に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコをフィーチャーしたファースト・アルバムが約10枚、殆ど上を向いて立っていた。シールド状態だがジャケットに穴が開いていた。オレはアンディー・ウォーホールに夢中だった。この2年くらいポップ・アートが大好きだったのだ。オレはその場でアンディーの作品を「入手」した。なぜだかはわからない。とにかく、皮を剥くことが出来そうなバナナの絵がハイコントラストに描かれていて、アンディーの署名/ロゴがでっかくカッチョよく入っている、この白いジャケットを見て、足が止まってしまったのだ。「こいつら何者だよ?」と14歳のオレは思ったが、思い切ってこのアルバムを買ってしまったため、所持金はもう1ドル減ってしまった。
 その晩、ヴェルヴェッツのデビュー・アルバムのSide 1をかけた。「何だこりゃ。超だせえ。リード・ギターは演奏もフィードバックもヘロヘロ。オレが自分で弾いてるみたいじゃねえか。こんな連中、ザ・フーとジミに退治されちまえ! ブルックリン出身の打撃手みたいなアクセントでボブ・ディランみたいなことやって、何の意味がある? 歌詞が韻を踏んでないじゃんか。このニコって人はバンドにいるの? いないの?」
 オレはこのレコードをターンテーブルからおろした。このアルバムはSide 2は聞かれることなく、次の18カ月ほど、レコード・コレクションのVのコーナーで誰にも触れられずに眠っていた。
 しかし、1969年晩春のある晩だった。ダチのアンディーと一緒にハイになっていて、いつものレコードを聞くのにに飽きていた頃、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの例のレコードの背が目に入ったオレは、それを引っ張り出して言った。「これは1回しか聞いたことがないんだ。酷いレコードだった。試しに聞いてみたい?」 超ハイだったアンディは、これこそ素晴らしい提案だと思ったらしい。オレはレコード盤をターンテーブルの上に載せた。昔、逆回転させて「ポールは今や亡き人だ。ミス・ヒム・ミス・ヒム」を聞くときに使った、あの類いのターンテーブルだ。
 数分も経たないうちに、アンディーもオレも、背筋を伸ばして座り、LPのジャケットの意味をじっと考えながら、目はステレオのスピーカーをじっと見つめていた。オレたちは信じられないといった表情で互いを見つめ続けた。こんなカッチョいい音楽、久しぶりに聞いたぜ。「天才だ!」アンディーはこう叫ぶと、出て行ってセカンド・アルバムを手に入れ、オレのダチは皆「その男を待つ」状態になった。もちろん、比喩的な意味でた。オレのダチの中から本当に「ドラッグ問題」を抱えた奴が出て来るのは、あと10年後だ。
 ルーが先週亡くなった。このニュースを聞いて最初にやったのは、数十年ぶりにあのアルバムから6、7曲聞くことだった。頭の中で鳴ってたよりもいい音楽だった。はるかに良かったと言ってもいい! しかも、23歳になる娘のエリナーが、ここ数年、ルー・リードの大ファンだということが判明した。エリナーはオレの家に寄って、40年くらい聞いてなかった曲をいくつかかけてくれたのだが、全て魔法のように素晴らしかった。
 ルー・リードはほぼ半世紀もの間、ポピュラー文化全体に蔓延した毒素のような存在だった。この毒素というのはありのままの真実だ。人によって好き嫌いがわかれるが、「幻視家」という呼ばれ方もあった。ポピュラー文化において、過去50年ほどの間に、この辞書的な意味での「幻視家」が10人くらい存在してきただろうが、ルー・リードもそのひとりだ。ロック及びポスト・ロックの世界で最も独創的で影響力のある作詞家という部門において、ルーはボブ・ディランとチャック・ベリーに次ぐ存在だった。ポップ・ミュージックのヒューバート・セルビー・ジュニアだ。しかし、ルーに対してオレは全く熱くなれなかった。
 ルーはアンニュイなイメージとは反対に、とてもギター・マニアな人だった。1970年代後半から1990年代前半にかけて、ルー・リードが店員と熱心に話している姿は、あちこちの楽器店で非常にありふれた光景であって、8度目か9度目の目撃以降は、かろうじて気に留める程度になってしまったほどだ。ルーは手にしているギターと、それを繋いでるアンプについて、とても熱心に話し込んでいるので(ルーがEコード、Aコードをかき鳴らすのをニューヨークのあちこちで聞いた)、オレが何について話しかけても邪魔にしかならなかったことだろう。
 1980年代前半に、オレは1度、ルーと会話をしたことがある。ロジャー・サドウスキーの店でだ。ロジャーはストラトキャスター・タイプの超ハイエンドな1本物のギターを作っていて、そういう自分用の特注品{カスタムメイド}の楽器がルーは大好きだったのだ。15フィート四方しかない小さな部屋の中に、ルーとロジャー、オレの3人でいた時、オレは思い切って、ロジャーの作っている超ハイエンドなギターについてギター・マニア的な意見を言ってみた。すると、ルーはオレのほうを向いて「そうだな。本当に…」みたいなことを言った。
 でも、この時以外は、長年に渡って、オレはルーを何度も無視してきた。
 一方、旧友のチャーリー・メシングは、ルーともっとずっと懇意に接した話(夢だったんじゃねえの?)を持っているので、ルーがこの世を去った数日後に彼に話を聞いてみることにした。ニューヨーク・シティーで1975年のクリスマス直前に体験した、あるワイルドな夜の出来事について…。
 話を始める前に、チャーリーのいろんな芸術活動をyoutubeblogspotでチェックすることをおすすめする。こいつは多才な奴なんだ。

 それでは、チャーリーの話を聞いてみよう。

ビンキー:昔の話をしようぜ、チャーリー。ルー・リード死去のニュースを聞いた数時間後に、オマエがルーとサングラスの話を前にしてくれたのを思い出したんだ。オレが覚えてるのはそれだけだ。本当の出来事なの? 詳しく教えてくれよ。

チャーリー:本当さ。1975年の年末だった。オレはピーター・スタンフェルと一緒にリード・ストリートに行って、カミーユっていう古くからの友人のポエトリー・リーディングの会に行ったんだ。カミーユとは一緒にアンホーリー・モーダル・ラウンダーズっていうバンドをやってたんだ。詩の朗読の他に、カミーユの絵が大きなロフトの壁にずらっと並んでいた。巨大なタロットカードの絵だった。カミーユは確かに才能のある人だったけど、ひん曲がった才能だった。絵は全部、カトリック風って言うのかなあ、痩せた美しい裸体が、剣で刺されたように苦しむものばかりだった。観客の殆どは黒のレザーを着ていた。カミーユも。驚いたことに、朗読は素晴らしかったんだ。カミーユにはSM愛好家やカルト・ヒーローのファンがいた。そのわけを察するのは容易だった。詩はとても良かったし、ステージでの存在感も抜群だった。


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[このあたりがリード・ストリート]


ビンキー:キューブリックの映画か、エマ・ピールが出てる『アヴェンジャーズ』のワンシーンみたいだね。そんで、ルーは?

チャーリー:ルー・リードがこの朗読イベントにやって来たんだよ。ビックリしたね。

ビンキー:オレも今ビックリしている。

チャーリー:ルーはカミーユの作品を気に入って、1、2年後には、彼女がボトムラインでルーの前座をやるのを見たよ。またまたビックリさ。アルバム《Rock and Roll Heart》の頃で、マイケル・フォンタナやドン・チェリーがバンドにいたと思う。



ビンキー:1年先、2年先に進むのはまだ早いよ。御大ルー・リードと過ごした晩の話に戻ってくれ。

チャーリー:OK。朗読の後も会場にいて、10人くらいの連中と一緒に床に座っていたんだ。ルーはオレのアイドルだったんで、オレは目を見開いて、体も固まっちゃったよ。
 ピーターがオレのほうを向いて「ルーとはヴィレッジ時代からの知り合いなんで、挨拶しに行こうよ」って言ったんで、オレは立ち上がって、ピーターのあとをついて行ったんだ。自分で自分の足につまずかないように注意しながらね。オレたちが近付くと、黒レザーを着た太った黒人が、しきりにルーをほめそやしていたんだけど、ルーはこいつの話を真剣に聞いてたわけではなかったようなんで、ピーターがどうにか割り込み、オレはルー・リードに紹介してもらえたんだ。少し他愛のない話をした後に、ルーはスピードの長期的影響についてピーターの意見を聞きたいと言い出した。ルーはこの研究をやってるってことを明かしたのさ。それで、ピーターとルーは、数週間後にルー・リード宅で会う約束をしたんだけど、オレもそこにいたんで、一緒に誘われたってわけさ。そんな感じでルー・リード宅に招待されちゃったんだよ。

ビンキー:ちょっと待った! ルーに会ったって話は聞いたことあるけど、ルーの自宅に行っただと?

チャーリー:クリスマスの直前だった。東52丁目はFDRドライヴの手前で行き止まりになってて、向こうにはイースト・リヴァーが見えるだろ。ルーはそのブロックに住んでいた。オレたちは…。


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[現在の東52丁目の行き止まり付近]


ビンキー:そいつは凄えや! ポール・スタンレーが初めて手に入れた高級アパートメントが、そのブロックにあったんだぜ。時期も同じだ。同じ建物だったかもしれないね。話を遮ってすまん。

チャーリー:オレとピーターは、この豪華な巨大アパートメントのある静かなブロックを歩いて、住所のところに行ったんだけど、ルーは留守だった。でも、ルームメイトのレイチェルが中に入れてくれて、もうすぐ帰って来るから待ってていいよと言ってくれたんだ。レイチェルが男なのか女なのかは、正直、分からなかったなあ。低い声で、長髪で、爪も長くて、歩く仕草、座る仕草が独特だった。女の要素のほうが多かったかな…。この人は親切だったけど、性別は入念に曖昧にしてるというか…。それで、オレたちは一緒に座ってルーの帰りを待ったんだ。

ビンキー:チャーリー、このシーンをもっと詳しく説明してくれよ。ルー・リードのアパートメントの中に入ったんだろ! 超凄え!

チャーリー:オレたちは靴を脱いで、ドアのそばに置いといた。カエデ材の床は染みひとつなくピカピカだった。つるつる。すべって転ばないように、靴下を履いた足で床をするようにして進んだよ。パートメントの内装は中途半端で、家具はあまりなかった。小さな犬を飼ってたね。天井まで届くクリスマスツリーが飾ってあった。「あぁ、ここでもクリスマスなんだ」って思ったよ。床のちょっと高くなってるところには大きなマットレスがあって、その向こうの窓敷居には新しいハードカバーの本が並んでいたんだけど、全部ウォーホールかビート関係だった。友人からプレゼントされたものじゃないかなあ。一番端には『Physician's Desk Reference』という大型の本があった。これは当時『PDR』と呼ばれていて、錠剤マニア用のバイブルだった。存在するあらゆる錠剤の写真と効能が載ってたんだ。紙切れでいっぱいになった本棚の隣にテーブルがひとつと椅子がいくつかあって、オレたちはそこに座ってた。ツリーの側にはRCA製最新型ビデオカメラのついた三脚があって、RCA製テレビ、RCA製ビデオ・テープレコーダー、RCA製のステレオもあった。どっちのほうを見ても、数字が1インチくらいの大きさのRCA製デジタル時計があった。RCAと再契約したばかりだったので、こんな役得もあったのかもね。当時、知り合いでビデオカメラやビデオ・テープレコーダーを持ってる奴なんていなかった。デジタル時計でさえ新しかった。

 

ビンキー:1975年だと、かなりブッ飛んでる光景だっただろうなあ!

チャーリー:RCA製ステレオの近くには、ルーが聞こうと思ってるとおぼしきアルバムが大量にあったんだけど、その一番手前にあったのが当時のエアロスミスの最新アルバム《Toys In The Attic》だった。オレは目をパチクリしちゃったよ。

ビンキー:いいね! エアロスミスか! 凄く詳しいことまで掘り起こしてくれたね、チャーリー。ということは、アパートメントの中をじっくり観察出来るほど、ミスター・リード氏に待たされたの?

チャーリー:待ってる間、レイチェルに何か飲み物ありませんかって訊いてみたんだ。何があるのかレイチェルも定かでなかったらしく、「見ていいわよ」って返事がかえってきたんだ。それで、オレたちはすり足で超キレイなキッチンに入っていって、冷蔵庫を開けたんだ。この中もピカピカでキレイな状態で、ベーコン1パックと、ミルクが1クォート(約1リットル)、殆ど空のトロピカーナしか入ってなかった。そんな状態の冷蔵庫は見たことなかったね。オレはルー宅のオレンジジュースの残りを飲み干す気にはなれなかったんで、マットレスの隣のドアを通って、すり足でさっきの席に戻ったんだ。その際に寝室を覗くことが出来たんだけど、デジタル時計以外は、殆ど何の家具もなかったよ。

ビンキー:それで、ルーは帰ってきたの?

チャーリー:もちろん。ルーがドアをノックすると、レイチェルが中に入れた。ルーはホワイエを通ってリビングルームに入って来た。飛行機のパイロットのようなサングラスをかけて、買い物袋を抱えていたよ。ルーはまずピーターに軽く挨拶して、それからオレに挨拶してくれた。それから、ピーターに向かって「約束通りで大丈夫かどうか、確認の電話をしてくれればよかったのに」って言った。ちょっとすげない雰囲気だったかな。

ビンキー:おっとぉ〜。

チャーリー:ルーはちょっと時間はあったんだけど、ピーターと話したい件についてじっくり話す時間はなかったんだ。犬はルーの帰宅を大歓迎してたよ。ルーは赤ちゃん言葉で犬に話しかけていた。買い物袋に手を伸ばすと、中から小さなローハイドガムを取り出した。子犬ちゃんへのおみやげってわけさ。しばらく皆で、犬が新しいおもちゃで遊ぶのを眺めてたんだけど、ルーは袋の中から別の購入品を取り出した。それは新品のパイロット用サングラスだった。ルーはニカッと笑うと、それまでしていたサングラスをはずしてドアのそばにあったゴミ箱に投げ入れ、新しいサングラスをかけた。こっちのほうがずっと気に入ったようだった。

ビンキー:ウォーホールの映画の中にいるみたいじゃないか、チャーリー。ルー大王の奇妙な私生活。キャセロールについては話してくれたかい?

チャーリー:(笑)オレたちに興味を持たれてることに気づいていたんじゃないかな。ルーはもっぱら自分のことについてしゃべってたよ。机の近くの本棚は記事の切り抜きや、仕事上の書類でいっぱいで、その一部をオレたちにじっくり見せてくれたよ。ピーターもオレもお行儀良くしていた。話を熱心に聞き、見せられたものは熱心に見た。ピーターはルーとオレの間に座っていた。

ビンキー:音楽については何か面白いこと話してなかった?

チャーリー:《Metal Machine Music》が、リリースして数年しか経ってないのに、既にコレクターズ・アイテム化していることを、嬉々として語っていたよ。「ルー・リードのアルバムは、ヒットしてないものでも、そこらの連中のアルバムよりたくさん売れてるんだぜ」って。RCAと新たに契約することが出来て超嬉しいとも言ってた。すると突然、オレたちに何かを聞かせようと思い、レコード・プレイヤーのところに行った。間もなくリリースされることになっている《Coney Island Baby》のテストプレスが2枚あった。

 

ビンキー:発売前の音楽を聞かせてくれたの?!

チャーリー:ピーターもオレも、魔法が解かれてしまうようなことはひとつもやらなかった。あるプレス工場で作ったものは、〈Charley's Girl〉って曲のある箇所で、ヴォーカルの位相が変になっちゃってることを教えてくれた。RCAの担当者に電話をかけて、問題が解決するまで工場の製造ラインをストップさせなければならなかったらしい。「良い耳を持ってて良かった。自分がこのミスに気づかなかったら、誰も気づかず、レコードは最終的にあんな音のまま発売されちゃっただろう」ってちょっと自慢げに言ってたね。ということで、皆でさらに何度かその部分を聞いたところ、ルーの指摘通りになってるのがオレにもわかり、本当にそうだってことで互いにうなずき合った。



ビンキー:ルー宅にゆうに1時間以上はいたような感じだね。

チャーリー:その後すぐ、ピーターは誰かと会う約束があると言って、帰ってしまったんだけど、オレはもうちょっとそこにいたんだ。ピーターが帰ろうとしている時に、新たに2人がやって来たんで、移り変わりのシーンていう感じだったね。入って来た人のことはあまり覚えてないんだけど、こいつらはカップルで、女のほうは丈の短い毛皮のコートを着ていた。身なりがきちんとしてて、カッコよかったね。

ビンキー:で、オマエはルーと何かしゃべったの?

チャーリー:ルーと唯一交わした会話は、ルーから「キミは何をやってるんだい?」って訊かれて、「ギターを弾いてます」って答えたことくらいかな。ルーは「みんなそうだよな」とつぶやくと、あっちを向いちゃった。
 ただただ畏れ多くて、話かけられなかったよ。オレは自分の自慢話なんてしなかったし、《Metal Machine Music》はいいですねとも言わなかった。話したかったことはひとつも話せなかった。今になって後悔しているよ。



ビンキー:最後に締めの一言もらおうか、チャーリー。

チャーリー:それから、皆で外食しようってことになったんだ。あたりはもう暗くなっていた。カーネギー・デリに行こうってことになったんだけど、オレのポケットには2ドルくらいしか入ってなかったから、「ボクは行けません」って言ったんだ。全員、コートと靴を持って1列縦隊で歩きだし、オレは列の最後尾にいた。ゴミ箱の前を通りかかった時に下を向いたら、さっきのサングラスがあったんで、「コレはゴミじゃないぞ。お宝だ」と思って、手をすっと下に伸ばしてすくい上げ、素早くポケットに収めた。誰にも見られていなかった。
 1番街まで来てタクシーを拾おうとした時、オレは皆にさよならを言って別れ、ホランド・トンネルの近くのレンウィック・ストリートにある自宅まで延々と歩いて帰ったんだ。

ビンキー:例のサングラスは今どうなってるのさ?

チャーリー:[ため息をついて]30年後の2005年のクリスマスに、eBayで売っちゃったよ。サングラスは今はトロントにあるよ。金が必要だったのさ。


Copyrighted material "I Ignore Lou Reed, But My Friend Charlie Winds Up in Lou's Apartment" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/i-ignore-lou-reed-but-my-_b_4193996.html
Reprinted by permission
posted by Saved at 09:57| Comment(2) | TrackBack(0) | Lou Reed | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しいブログをありがとうございます。ルーがなくなった後、意外にもポール・サイモンと仲が良かった話を知りました。結構穏やかな一面が良いですね。
Posted by ルガー at 2014年01月02日 19:45
このページを発見していただきありがとうございます。マイペースでやってるページなので、更新回数は少ないですが、たまにはのぞきに来てください。
Posted by Saved at 2014年01月03日 17:05
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