スティーヴ・マリオットを見たのは単なる偶然です。1990年7月にローリング・ストーンズのウェンブリー・スタジアム公演を見ようとロンドンに行ったら(初来日公演直後に、今はなき銀座の洋書店イエナでTIME OUT誌を買って、その指示通りにHarvey Goldsmith Enterpriseに国際為替を郵送してチケットを入手)、キース・リチャーズが指をケガしてコンサートはキャンセルになっていて、仕方なしにその晩は、プットニー・ブリッジにあるハーフムーンという汚いパブにスティーヴ・マリオットを見に行ったのです(活動低迷中とはいえ、あれだけの名曲名盤を作ったミュージシャンが「仕方なし」で見れてしまうのですから、ロンドンて凄いよ)。
自動車修理工みたいなグレーのつなぎを着たスティーヴは客の間を通ってステージに登場し(下の写真のようなルックス)、1曲目に演奏したのは〈Memphis〉でした。ヴォーカルなしのインストだったような気がします。ギターは何を持ってたかなあ? 演奏終了後は、登場の時と同様に、客の間を通って楽屋に戻って行ったので、私の近くを通った時に背中を軽くポンポンて叩いたら、ツナギは汗でちょっと湿ってました。私より少し高いくらいの背でした。
この頃、スティーヴは頻繁にロンドン界隈のパブ等に出演してたようで、翌年8月にロンドンに行った際にもスティーヴのギグ情報を聞きつけて、郊外のパブに行ったのですが、残念ながら体調不良でキャンセル。寝煙草で死亡というニュースを聞いたのは、それから数カ月後のことでした。合掌。
2013年秋には、ハンブル・パイのフィルモア・ライヴを完全収録したボックスセットが発売されて好評を博しましたが、スモール・フェイセスの貴重トラックを収めたボックスセット《Here Come the Nice (Amazon Exclusive Box Set)
* 1/1の時点でAmazon.co.jpには《Here Comes The Nice》のリンクがありませんが、HMV@楽天には下記のリンクがありました。
【ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ】
第25回 イアン・「マック」・マクレガンに電話インタビューしたぜ!
文/聞き手:ビンキー・フィリップス
1967年のクリスマス休暇の前の週のことだった。ダチのスティーヴン・Tはイングランドに「里帰り」した。スティーヴンはアメリカ生まれだが、彼の両親は生粋のブリティッシュだった。パパは元英国陸軍大佐みたいな感じの人で、立派な口ひげを生やし、そういうルックスに見合った物腰の人物だった。ママは絵に描いたような「中流」のレディーで、まるで英皇室の遠い親戚であるかのような、超おかたいしゃべり方だった。
「何か買って来て欲しいか、ビンキー?」とスティーヴン(本当にいい奴だ)から訊かれたので、オレはこ答えた。
「スモール・フェイセスのアルバムがいいな。あったものなら何でもいいよ。それだけ。スモール・フェイセスだぜ、スティーヴン」
2週間後、スティーヴンはブルックリンに戻り、デッカからリリースされたファースト・アルバムと、イミディエイトからリリースされたセカンド・アルバムを持って、オレん家{ち}に遊びに来た。オレはスティーヴンに10ドル払った。
[この2枚だろうか?]
デッカ・アルバムのA面を聞き終わる頃には、スモール・フェイセスはザ・フー、ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、キンクス、ビートルズについで、オレの中でロックの殿堂入りを果たしていた。スモール・フェイセスはそのくらい良いバンドだったのだ(今でもそうだ)。聞けば聞くほど、彼らは殿堂入りバンドだと感じた。
アンチ華麗、アンチ栄光のパンクが出現した時に、軽蔑の対象にならなかったのはザ・フーとスモール・フェイセスだけだった。理由は明白だ。スモール・フェイセスがパンクだったからだ。それも、世界級の破壊力を持ったパンクだったのだ。
オレは自分で定めたルールを破りながら、この記事を書いている。普段なら静かな状態でないと文を書けないのだが、間もなくリリースされるスモール・フェイセスのボックスセット《Here Come the Nice (Amazon Exclusive Box Set)
スモール・フェイセスについてはもう既に知っていて、オレの解説なんか必要ないっていう人も、どうか聞いてくれ。このボックスセットにはイミディエイトから発売された全シングルがモノ・バージョンで収録されてるだけでなく、41もの未発表トラックが入ってるんだ! テイク違い、ミックス違い、そして、これまでには全く聞いたことのない新発掘のお宝音源がわんさかあるんだよ。
スモール・フェイセスの音源は管理が結構ずさんだったので、ロブ・ケイガーという人物がこの素晴らしい「新」マテリアルを見つけるのに、3年以上もかかったとのことだ。何の表示もない段ボール箱の中から本当に偶然発見されたテープにしか入ってない曲もあるらしい。しばらくして、他の人も加わってロブの作業を手伝ってくれたようだ。ブックレットにはミスター・ケイガー本人が宝探しの経緯を詳しく書いた文(超面白い)の他、マーク・ペイトリーズが書いたちょっと学究的な文もあって、いろんな裏話も紹介されている。
このボックスセットは、現在発売されているその類いのリリースのどれにも劣らないくらい豪華な内容で、ハードカバーの本、7インチ・シングル、ポスター、絵葉書、メンバーの頭髪がついている(最後のはウソです)。
単なる偶然の一致なのだが、6週間前くらいに、オレは現在ユニヴァーサルから発売されているデッカ時代の初期スモール・フェイセスの20くらいを集めたコンピレーション盤を聞きまくっていた。あくまでオレの意見だが、この頃のスモール・フェイセスが、最も未加工で、最もザ・フーっぽい音楽をやってて、まさに最高なのだ。とにかく、スモール・フェイセスをガンガン鳴らして、自宅オフィスの片付け作業の2時間を乗り切ったのだ。楽しかったね。スモール・フェイセスは完璧だった。オレが部屋から出たゴミを捨てている時に、Disc 2の最後の曲も終わったんだから。
《Here Come The Nice》に収録されているイミディエイト時代の曲を聞いてて気づくのは、このバンドはミュージシャン、作曲家、アレンジャーとして抜群の才能を有しているということと、彼らは驚くほど洗練されていて、同時代のイギリスのロック・スターに多大な影響を及ぼしているということだ。《Sell Out》や《Sgt. Pepper》《Between The Buttons》《Village Green Preservation Society》の断片が聞こえて来るだろう。そのくらい影響力があったのだ。念のために言っておくが、以上のアルバムは順にザ・フー、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクスのものだ。
スモール・フェイセスのドラマー、ケニー・ジョーンズは後にザ・フーのメンバーになり、オルガニストのイアン・「マック」・マクレガンは10年か20年、ローリング・ストーンズのツアーに参加している。こちらも、皆さん、知ってることだと思うけどね。
スモール・フェイセスの折衷主義は離れ業のレベルであり、リリース順に聞いていくと、アルバムごとにクリエイティヴ度、ポップ度が増してきている。奇妙なほどにそうなのだ。このバンドは、もう、モノリス的存在としか言いようがない。
「好きな曲」を選ぶとなると、もうマスターベーションをするようなものだ。どの曲が特別なのかオレが指摘するまでもない。実際に聞いてみれば、全部が特別な曲で、極めてオリジンナリティーがあり、正真正銘のブリティッシュ・ソウル・ミュージックと呼んでいいものであることがわかるだろう。スタックスやヴォルト、モータウン、ブリル・ビルディングを見事に消化吸収したものだという意味じゃない。オレが言いたいのは、イギリスのミュージシャンが歯をくいしばりながら頑張り、自分のソウルをさらけ出した結果、こういう音楽になったということだ。
スモール・フェイセスが分裂した際、スティーヴ・マリオットはピーター・フランプトンと組んでハンブル・パイを始め、イアン・マクレガンとロニー・レイン、ケニー・ジョーンズはロニー・ウッドとロッド・スチュワートを雇い、名前から「スモール」を取って、フェイセスと名乗った。どちらもいいバンドだったが、スモール・フェイセスのオリジナル・ラインナップの4人が一緒にステージに立つ姿を見るのは、タイムマシンでもない限り叶わぬ夢になってしまった。
ところで、今回のインタビューのきっかけはこうだ。数週間前にダチのケン・シャープ(ベストセラー本『Nothin' to Lose: The Making of KISS (1972-1975)
40年前からずっとオレのヒーローだった人物にインタビュー? もちろん、したいさ。ということで、この前の月曜日の米東部時間午後4時に、オレは「マック」・マクレガンの携帯に電話をかけてみた。
告白:オレの質問はかなりとりとめのないものだった。それに終始愛想よく付き合ってくれたマックには、ありがとうと言いたい。
さて、いってみよう。プーッ、プーッ、プーッ。3度目の呼び出し音でマックが出た。
* * * * * * *
アロー、ビンキーかい?
●ヘイ、マック。まず言っておきたいんだけど、今はちょっと変な気分なんです…。実は私も音楽を演奏するほうであって、インタビュアーじゃないんですよ。まず、こっちの話からすると、1967年のクリスマスに友人がロンドンに行って、バンドの写真だけを頼りにスモール・フェイセスのアルバムを2枚買ってきてくれたんですが、あなたの音楽にぶっとばされました。以来ずっと、あなたとあなたのバンドの大ファンなんです。ちょっとアガちゃってうまくしゃべれないんですが、我慢してください。
キミのバックグラウンドを聞けて嬉しいよ。
●一般人にとって永遠に憧れの存在なのがロックのスターダムだと思います。ロック・スターになるってどんな感じなのですか? 良くも悪くも、マック、あなたはロック・スターです。そうウィキペディアに書いてあります。
(笑)そうさ。オレはウィリアムっていうミドル・ネームを付けられてしまったんだが、両親がどこからこの名前を持って来たのかは分からない。変えようとしたこともあるんだが、不可能だった。オレがイアン・ウィリアム・ペイトリックだなんて誰が決めたんだい? けど、まあ、しょうがない。それがオレでいいよ。ウィリーって呼んでくれ。
●OK、ウィリー。ロック・スターの話に戻ると、「やったぜ。スターになったぜ!」と感じた瞬間はいつですか?
スモール・フェイセスに加入した瞬間さ、ビンキー。連中はオフィスの中にいて、オレがドアのところにやって来ると、スティーヴ・マリオットが笑いながらオレを捕まえた。その後、3人全員でオレを肩の上にかついだんだ。兄弟を見つけたと思ったね。これは本当にあったことだよ。
●あなたが加入する際、メンバーはあなたの顔を知らなかったらしいですね。それ本当なんですか?
真相はこうだ。連中はオレがいたバンド(Boz People)のコンサート評を見た。その記事はオレの演奏を絶賛し、しかも、ハモンド(史上最高のオルガンだ)を弾いてると書いてあった。後にバッド・カンパニーに入ることになるボブ・バレルが当時のシンガーで、記事と一緒に載ってた写真はハンサムなボズだったんだけど、その下にあった名前はオレのだったのさ。それで、連中は思ったんだろうな。「こいつはハモンドを持っていて、演奏もうまい。しかも、イケメンだ」って…(笑)。それで、実際に会ってみたら、雑誌に載ってた奴じゃない。スティーヴは言ったよ。「こいつ、イケメンじゃねえし、しかもチビじゃん!」て(爆笑)。
●一緒の監獄に入らなきゃいけないとしたら、ボズよりハンサムだと思っといたほうがいいですかね?
(笑)
●スモール・フェイセスのファッション面について話しましょうか。まだライヴの体験はなく、写真だけでしか見たことがなくても、アメリカで暮らしている私も私の友達も、スモール・フェイセスが一番イケメンで、髪形もスーツも最高だって思っていましたよ。完璧だって。メンバー自身がこうしたファッション・センスの持ち主だったんですか? それとも、スタイリストからコーチを受けていたのですか?
センス抜群だったね。衣装は誰かに選んでもらったものじゃないよ。
●音楽に関する質問です。全ての曲はスティーヴ・マリオットとロニー・レインが書いてたようですが、ふたりがどんなふうに作曲の作業をしていたか教えてください。
いろんなやり方をしてたよ。例えば、〈All Or Nothing〉は殆ど全部スティーヴが書いたものだ。〈Itchycoo Park〉は殆どロニーが書いた。メンバーはいつも一緒にいたから、多くの曲が苦労して出来上がる様子を、オレは見て知っている。「おい、お前ら、オレが曲を書いてきたぜ」っていう感じじゃなかったね。ある年の夏には、メンバー全員がボートを所有していて、一番大きかったオレのボートに、皆がいつも集まっていたんだ。いろんなアイデアが流れてたね。作曲部門のマリオットとレインの作業がどこかにひっかかってストップしてしまった際には、行き詰まりを打破してやったのがオレだ。そうして《Ogden's Nutgone》で作曲者としてクレジットしてもらえたんだ。でも、〈Itchycoo Park〉の歌詞をよく読んでくれ。ハイになってるだけの曲じゃない。そういうふうに変えちゃったのはスティーヴだ。スティーヴが池のアヒルに餌を与えたりするとか、くだらない箇所を書いたんだけど、ロニーはオックスフォードやケンブリッジについて歌ってるんだ! ロニーが言ってるのは、自分には金も教育もないけど、イラクサだらけの土地にも美を見いだせるぜってことなんだ。「イングランドの美しい緑の地」でなくてね。ロニーはロンドンのイーストエンドにあるイラクサの生えた一角に美を見いだしたのさ。「It's All Too Beautiful」って歌ってるだろ。困ったことに、テンポが早すぎて、スティーヴは[下品な寄席芸人風に歌う]「It's Ah All Tooo Beeeoootifula!」って歌っちゃってる。正直言って、この演奏は気に入らない。だから、ロニーへのトリビュート・アルバム《A Spiritual Boy, An Appreciation of Ronnie Lane》では、こうでなきゃっていうアレンジで録音し直したんだ。あのままでも「大ヒット」の曲なんだけど、一般的に考えられてるよりも良い曲さ。
●そういうあなたならジョン・レノンの〈Across The Universe〉の解説も可能なんじゃないですか?
もちろんさ。つい先日も聞いたよ。いい曲だなあ。
●あなたはとても若い時に、実際、まだ子少年の頃、ドン・アーデン、アンドリュー・ルーグ・オールダムというポップ・ミュージック史上最もカラフルでエキセントリックな人物と交流があったんですよね? このふたりはイングランドのモノリス的な存在で、性格的には互いに正反対です。交渉の際には机の引き出しに拳銃を忍ばせておくという、ショービズ界で最も手ごわい人物として知られているのがドンですが、その後、打って変わって、ポップ・カルチャー界が生み出した最もクリエイティヴで先見の明のある人物、アンドリュー・ルーグ・オールダムとも付き合いがあったんですよね? このふたりはどんな感じの人で、あなたはどういうふうに彼らと接していたのですか?
ふたりともプロの泥棒だったね。
[ふたりとも自伝を出版している]
●あらまあ。(笑)
アンドリューはアイデア・マンだった。ここ数年は仲良くしてるんだぜ。「仲良く」っていうのは和解したっていう意味だよ。ドンともそうしようと思ったんだけど、あの野郎、死んじまいやがった。つまり、金は取り戻せないってことさ。1997年になってようやく、オレたちに印税が入り始めたんだ。金よりも音楽のほうが大切さ。オレに言えるのはそのことだけだ。確かに、あの頃は超楽しかった。でも、ロニーとスティーヴは一銭も印税を受け取れなかった。ケニーとオレは1997年になってやっとだ。これって悲劇だろ。でも、今を生きてくしかないよな。
●ビックリです。殆ど全てのイギリスのバンドは、少なくとも最初の数年間はタダ働きさせられていたようですね。
オレが聞いた中じゃ、一銭も金を受け取ってないのはスモール・フェイセスだけだ。1966年から1997年までの印税だ。数百万ドルじゃないかな。今じゃ大した金額じゃないけど、こっちで100ドル、あっちで100ドルって、嫌な話さ。ザ・フーとキンクスは結局話がついたんだろ。
●ザ・フーの話が出てきましたが、私が初めてスモール・フェイセスを聞いた時、スティーヴのギター、特にファースト・シングル〈Whatcha Gonna Do About It〉のあのフィードバックやトレモロバーのソロや、ケニーのキース・ムーンみたいな強力ドラムは、ザ・フーから大きな影響を受けてると感じました。でも、今youtubeでスモール・フェイセスのビデオ・クリップを大量に見て面白いと思ったのですが、ザ・フーから影響を受けてもいますが、それと同じくらい、向こうへも影響を与えています。
オレが参加する前からザ・フーみたいなサウンドがあったんだよ。数年前、ピート・タウンゼントがサウス・バイ・サウス・ウェスト・フェスティバル(SXSW)で基調スピーチを行なったんだ。オレは今、オースティンで暮らしてるんだが、あの年、オレのバンドがオースティン・ミュージック・アワードを受賞して、オレ達は一躍ゴールデン・ボーイズだったんだ。それで、SXSWの連中から、ピートとオレらで1曲やってくれないかなあって言われたんで、オレがピートと話して、了解してもらったんだ。演奏の時、オレは〈Whatcha Gonna Do About It〉をやりたいってアナウンスした後、ピートと観客にこんな話をした----まだバンドに加入してなかった頃、初めてあのギター・ソロを聞いて、「あのフィードバック・ソロのパクり元はひとつしかない」と思ったんだ。そしてピートに向かって言った。「さあ、取り返せ!」って。ローリング・ストーン誌の奴はオレの言葉を間違って引用して、ピートに「さあ、今度はオレのために弾いてくれ」って言ったって書いているんだが、目茶苦茶だ。全く無意味な引用符まで付けている。とにかく、ピートが〈Whatcha Gonna Do About It〉のフィードバック・ソロを弾くのを聞けて、とても嬉しかったよ。ピートはしっかり取り返してたね。
●キーボード・マンのあなたにこんな話をして悪いとは思うんですが、スティーヴ・マリオットはロック初のギター・マニアでした。全てのビデオ・クリップで違うギターを弾いていて、しかも、全てレアな逸品です。スティーヴは気まぐれだったんですか? それとも、求めていた音があったんですか?
気まぐれだったわけじゃない。スティーヴはギターが大好きだった。そして、人によくプレゼントしていたよ。ギターも好きだったが、ギターを弾く人も好きだったのさ。スティーヴ宅に行くと、いつもたくさんのギターがあって、たくさんのギタリストがいた。初めてロニー・ウッドと会ったのもそこでだ。スティーヴが1本のギターを使う期間は短くて、SGからテレキャスターになり、今度はストラトって具合に取っ替え引っ替えだったけど、いろんなギターが好きだったんだよ。それが情熱だったのさ。スティーヴは火の玉だった。早死にしたけど、人の3倍の人生を生きたと思う。
●スモール・フェイセスは、大成功をおさめた頃はシングル・バンドで、75日ごとに3分長のヒット曲を出していました。1年ほど、スモール・フェイセスはイングランド最強のポップ・バンドであり、2週間に1度は雑誌の表紙になってましたね。
確かに、しばらくの間はホットな存在だったね。
●ブームの最中はどんな感じでしたか?
ブームの内側にいて、そうしたものは何も見えてなかったね。とにかく、毎日が忙しくてさ。スタジオに行って、それからギグに向かって…、一晩に2カ所でギグをやったこともある。それから、スタジオに戻ったり、TV番組の収録をやったりした。オレの在籍中はオフなんて殆どなかったよ。でも、活動の全ての瞬間が楽しかった。人生でああいうことをやりたかったし、活動を共にしたい3人と一緒に活動をしてたからね。ギャラが支払われないことに関しては、そんなこと全く考えなかったなあ。服は着てたし、腹に食べ物は入ってたし、寝るところもあった。それに、それこそ毎日仕事があった。オレたちは一番ホットなバンドだったから、
金はそのうち入るだろと思ってたのさ。
●あなたがロック・スターとして世界中に悪名をとどろかすのは、ロッド・スチュワートやロニー・ウッドとザ・フェイセスを結成してからですが、1960年代にもツアー中にワイルドなことをやってたんでしょ? 知りたがりの読者のために、これぞってことを暴露してください。
ザ・フーと一緒にやったオーストラリア、ニュージーランド・ツアーかなあ…。
●おっと、これは凄い話か!
スモール・フェイセスとザ・フーと同じ飛行機に同乗してたオーストラリアのバンドが、ビールの栓を開けのが、ツアーのゴタゴタの始まりさ。きっかけは機内で単にビールの栓を開けたことなんだぜ。オーストラリアの航空会社には、飛行中の飲酒は厳禁ていう規則があったのさ。オレたちとザ・フーのメンバーはこのことを知ってておとなしくしてたのに、着陸した途端に逮捕されたんだ。オレたちは素直に従ってるふりをして、両手を上にあげながら飛行機のタラップを降りたよ。その後、警察がオレたちの処分を決めてる間に空港のファーストクラス用のラウンジで待っていたら、ウェイターがやって来て、お飲み物はいかがですかと言う。答えは決まってる。「もちろん、飲むぜ!」 そうして遅れが生じた後に、ニュージーランドに飛んだんだが、ウェリントンに到着したら8人の警官が待っていた。4人がスモール・フェイセスを、4人がザ・フーを。メンバーひとりにつき警官ひとりだった。連中はオレたちをホテルにエスコートし、その後、ずっとオレたちに張り付いていた。「酷いこと」が起こらないようにね。その晩のショウはうまくいった。スティーヴ・マリオットの21歳の誕生日だった。警官も一緒にホテルに戻ったんだけど、その頃にはオレたちはファースト・ネームで呼び合う仲になっていた。オレが「一緒に飲もうよ」って誘うと、警官も「いいね」って言い、スティーヴのスイートに来た。皆、いい人だっだよ。すると、キース・ムーンもやって来て、オレたちが音楽を聞いて楽しむために使っていたポータブルのレコード・プレイヤーを拾うと、投げてガラス窓を破壊したんだ…。そしたら、警官は皆、退散しちまった。以上。
●退散!?
大成功のツアーだった。満員の会場で良い演奏が出来たし、ザ・フーも素晴らしかった。機内でビールの栓を開けたのは別のバンドの奴だったのに、逮捕されたのはオレたちだったってことだけは、皆忘れてないよ。
参考資料: No Kissing, Cuddling or Close Embracing
http://nopassouts.blogspot.jp/2011/02/small-faces-and-who-1968-tour.html
●ツアーを取り巻く常軌を逸した話は、昔からずっと耳にしてきましたが、真実を聞くことが出来て嬉しいです。くだらないことを確かめたいんですが、いいですか? スモール・フェイセスって名前は、メンバー全員身長が5フィート5インチ(約165cm)以下で「小柄」ってことと、モッズの間でカッコイイ奴を意味する「フェイス」を合わせたものなんですか?
ああ。オレもずっとそう理解してるよ。ボックスセット[のブックレット]には違う話が書いてあるけど、それは間違ってると思う。
●ボックスセットの準備をしている間に、未発表トラックや「失われた」レコーディングを聞いて、どう思いましたか? 思い出したことはありますか?
実を言うと、まだ全部は聞いてないんだ。携帯電話の中に入ってるから、今日この後、イギリスに向かう飛行機の中で聞くよ。ケニーと一緒に〈Anything〉を聞いてビックリしたなあ。ケニーもオレも、この曲をレコーディングしたことは覚えてたんだけど、テープのありかがわからなかったものだからね。それから、〈Tin Soldier〉にはボツになったイントロがあったってことも思い出した。
●私のバンド、ザ・プラネッツも長年〈Tin Soldier〉を演奏してるんですよ。最近、新しいシンガーが入ったんです。まだ26歳なんですが、覚えて欲しい曲のリストを見せたら、開口一番、「スモール・フェイセスの〈Tin Soldier〉だ。イカしてるね!」って言ったんです。
本当!? 嬉しいね!
●最後の質問です。誰かから聞いた話なんですが、あなたは少年時代に、楽器店の人を説得して巨大なハモンド・オルガンを分割払いで売ってもらい、その晩、お父さんが帰宅した時、ハモンドが邪魔してフロント・ドアを開けることが出来なかったってそうですね。本当の話ですか?
俺が書いた本『All The Rage』はこの話で始まってるんだ。ビンキー、キミにはこの本は必携だ。
●ロックファン全員にとって必携ですね。インタビューに応じていただき、ありがとうございます。
こちらこそ。キミもバンド活動を頑張ってね、ビンキー。
Copyrighted article "I Interview Ian "Mac" McLagan of the Legendary Small Faces About Their New (and Amazing!) Box Set" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/i-interview-ian-mac-mclag_b_4482288.html
Reprinted by permission.