2014年02月23日

NY Rock'n'Roll Life【26】ケニー・ジョーンズにも電話インタビューしたぜ!

 私がザ・フーを知った時には、ドラマーは既にケニー・ジョーンズでした。《Face Dances》が発売される前に、ケニーのいるラインナップで1979年にツアー活動を開始し、同年12月にはカンボジア難民救済コンサートに出演し、そのライヴ盤が出て、ビデオがNHK『ヤング・ミュージック・ショー』で放送されました。モンタレー・ポップ・フェスティバルかどこかでの〈My Generation〉を除くと、私が動くザ・フーを見たのはこの時が初めてです。現在、このコンサートは忘れられてしまってるようで、CD化もDVD/ブルーレイ化もされていませんが、youtubeにはザ・フーのセットの完全版がアップされてます。



 さて、ビンキーは先日のイアン・マクレガン・インタビューに続き、ケニー・ジョーンズにも電話インタビューを行ないました。ケニーは、ボックスセット《Here Comes The Nice》が大好評なスモール・フェイセス時代の話に加えて、キース・ムーン死去の直後にザ・フーに参加した経緯についても語っています。
 私はまだ入手していませんが、以下のページでは、《Here Comes The Nice》をいち早く入手した方が、その中身を写真つきでレポートしています。是非ご覧あれ。

無駄遣いな日々:
SMALL FACES / HERE COME THE NICE (THE IMMEDIATE YEARS BOX SET 1967-1969)
http://cdsagashi.exblog.jp/21995397/
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【ビンキー・フィリップスのニューヨーク・ロックンロール・ライフ】
第26回:ケニー・ジョーンズにもインタビューしたぜ!

文/聞き手:ビンキー・フィリップス


 スモール・フェイセス、ロッド・スチュワートのいるフェイセス、ローリング・ストーンズでキーボーディストを務めたイアン・「マック」・マクレガンのインタビューをハフポストに掲載したのは、数週間前のことなのだが、スモール・フェイセスのボックスセット《Here Comes The Nice》(Amazon独占発売)をリリースしたばかりのチャーリー・レコードの担当者が、オレの「マック」・インタビューを気に入ってくれて、存命中のもうひとりのメンバー、ケニー・ジョーンズのインタビューも設定してくれたのだ。これはオレにとっては嬉しいを超えている。イアンもケニーも最も偉大なロック・バンド、スモール・フェイセスのメンバーで、オレの心のヒーローだからだ。

[国際電話の呼出し音]

ケニー:もしもし。

(少しあがりながら)こんにちは、ケニー。まず言っておきたいのですが、私はジャーナリストではなくてミュージシャンなんです。今年の2月が来ると、ギターを弾き初めて50年になります。

 (笑)オレたちのクラブへようこそ。

それから、1967年1月からずっとスモール・フェイセスのファンです。アメリカの子供としては早いほうです。それから、ザ・フーの超マニアです。

 嬉しいね。

金のために音楽をやってるんじゃないということも、私とあなたの共通点だと思います。


 その通りだ。

スモール・フェイセスは、マネージャーのドン・アーデンからも、先見の明のあるプロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムからも、金をもらったことないんでしょう。ふたりに関してコメントをいただけますか。

 あらゆる点で正反対の奴だったね。言いたいのはこれだけだ。

ビートルズやストーンズ、ザ・フー、レッド・ツェッペリンといった「神」バンドの中にスモール・フェイセスも入るべきだと、私は思っています。

 大賛成だね(クスクス笑)。ビートルズやストーンズなんかと同じ時代に育ったのは、とても幸運だったと思う。ザ・フーとも一緒にプレイすることが出来て、ストーンズのメンバーとも一緒にプレイすることが出来て、とても運がいいと感じている。だけど、スモール・フェイセスこそが最高さ! キミの言う通り。

そうですとも。ところで、今回、この場でやりたいと思ってるのは、時系列に沿った内容のインタビューなんですが、それを始める前に言いたいんですが、あなたが1990年代前半にポール・ロジャースとやってたバンド、ザ・ローの〈Layin' Down The Law〉は超名曲ですよね。モンスターなグルーヴを持ったナンバーだと思います。

 オレが〈Layin' Down The Law〉っていうタイトルを考えて、ポールにあげたんだ。ポールはそれをもとにして曲を書いた。あの歌はイカしてたね。



まず、荷造りにギターとアンプの5倍の時間がかかる楽器、ドラムを選んだのはどうしてですか?

 うぅ〜ん…店に行ったらバンジョーがなかったからさ。

●(これはマムフォード&なんとかをネタにした冗談なのだろうか、と思いながら)そうなんですか?

 ロンドンのイーストエンドで他のガキどもとわいわいやりながら少年時代を送ってたんだけど、ある日突然、一緒に洗車をしていたダチが、「スキッフル・グループを結成しよう」って言ったんだ。スキッフル・グループって何?って訊いたら、「バンジョーとお茶の箱が必要だ。洗濯用のたらい、ホウキの把手、紐も必要だ。それでべースを作ることが出来る。お袋さんの洗濯板と、裁縫道具の中には指貫があるだろ。指貫を指にはめて、それで洗濯板を上下に擦るんだ」って答えた。こいつ、気でも狂ったんじゃねえか、って思ったね(笑)。「とにかく、今晩、テレビにスキッフルのバンドが出るから、見てみようぜ」って言うので、見てみたら、それがロニー・ドネガンだった。



その名前が出てくると思ってました。

 〈Rock Island Line〉を演奏するのを見て、オレはバンジョーに恋をしてしまったんだ。

オゥ!(ちょっと驚いて)冗談でバンジョーって言ってたのではないのですね。


 真面目な話さ。バンジョーに恋をしてしまったんだ。それで、翌日、地下鉄のベスナル・グリーン駅の隣の質屋でバンジョーを見て、それがしばらく前からあるものだとわかった。そのバンジョーを得ようと、オレは仲間と一緒にその質屋に行ったんだ。誰も金なんか持ってなくて、ポケットには熱意しか入ってないなかった(笑)。で、店に着いたらバンジョーは消えていた。「バンジョーはどこですか?」って訊いたら、「持ち主が金を返して、質請けしてったよ」って言われた。「取り返してくれませんか!」って言ったんだけど、後の祭りさ。質屋をあとにしながら、オレは本当にガッカリしていた。そしたら、ダチのひとりが「マジで残念だったな。でも、ドラム・キットを持ってる奴がいるから、今日の午後、持って来させるよ」って言った。オレはそれでいいやと思った。結局、そのドラム・キットはスネア・ドラムとバス・ドラムと2本のスティックだけで、しかも、スティックの1本は半分に折れていた(笑)。その日の午後は、糊でくっつけようとして、うまくいかないうちに終わっちゃった。超強力接着剤が登場する数十年前の出来事さ。結局、それでバシャバシャやりながら、叩き方を学んだよ。それがドラムとの馴れ初めさ。

でも本当は…。

 (悲しそうに)そう。本当はバンジョーがやりたかったんだ。

そうなんですか。でも、あなたのドラム・スタイルの素晴らしい点のひとつが、弾力性のあるルーズさというか…。他にどう表現したらいいのかわからないのですが、イースト・エンド出身のイギリス人ティーンエイジャーだったあなたは、45歳の黒人ドラマーみたいな演奏をしていました。18歳のあなたは、どうやってそういうスタイルを身につけていたのですか? レッキング・クルーのハル・ブレインやタムラ・モータウン、スタックス・ヴォルトのドラムを研究したのですか?

 正直言うと、オレがよく聞いてたのは(ソウル・ジャズのオルガニストの)ジミー・マグリフだ。それから、ブッカー・T&ジ・MG'sにアル・ジャクソンていう大好きなドラマーがいた。アルはドラマーだったら誰もが欲しと思う功績に値する。彼は微妙にオフ・ビートでプレイしてたんだ。オレはアル・ジャクソンから大そわったよ。ドラマーの立ち位置はここだ、つまり、ドラマーは背骨であって、フィーリングをプッシュするものなんだって。



アル・ジャクソンは、ルースでファンキーなグルーヴのレコードの約50%でドラムを叩いていると思っています。私があなたのプレイの中に聞いていたのもアル・ジャクソンです。最近、スモール・フェイセス初期のデッカ作品と、チャーリー・レコードから発売されるボックスセット《Here Comes The Nice》の最初の3枚を聞きましたが、1枚目にはイミディエイトから発売された全シングルがオリジナル・モノ・ミックスで収録されていて、私は完全にノックアウトされました。特にあなたのプレイは傑出しています。ミックスの話をしているのではなくて、あなたが最高のドラマーだってことを言いたいのですが…。

 ありがとう。いい曲ばかりだよね。

デッカ初期の曲ではキース・ムーンみたいに叩きまくっていますが、あなたのプレイには「ソウル」のフィーリングがたくさん存在しています。フィルも誰かのものを拝借した感じではありません。あなたとキースはあの「階段を転げ落ちる」ようなフィルを別々に開発したのですか?

 キースをコピーしようとしたことなんて1度もないぜ。自然と出て来たことさ。オレはどちらかというと、アル・ジャクソン系だ。みんな若かったから、とても実験的だった。自信を持ってタムタムを叩けるようになった時には、どんな音楽でもプレイした。タムタムの存在意義って、まさにそれなんだけどね。初めてレコーディング・セッションを経験したのは、スモール・フェイセスに参加する前の、15、6の時だ。他にもいろんな人のセッションでプレイした。ギャラは要求したなっかよ。気にしなかった。とにかく演奏したかっただけだから。ビッグ・バンドでもプレイしたことあるんだぜ。

本当ですか?! ビッグ・バンド?!

 ああ。学んだことは何でも持って言った。大きな編成で、大きなフィルやよろめくフィル、とにかく大きな瞬間のあって、それをパワフルに演奏するのが好きだったんで、ドラマーとして腕を上げるのと同時に、スモール・フェイセスにそれを持ち込んだんだ。

「マック」・マクレガンが入ってセカンド・アルバムを作る以前の初期スモール・フェイセスでは、あなたは真の天然のミュージシャンのようでした。私はスティーヴ・マリオットとロニー・レインのプレイも大好きです。デッカ時代のマテリアルについて話しましょうか。あれから50年ほど経た現在においてもなお、〈C'mon Children〉は、ジャンルやミュージシャンを問わず、テープに記録されている最も刺激的な瞬間だと思います。私のトップ10ソングの1曲です。デッカ時代の曲の凄いところは、極めて自然発生的なサウンドであることです。曲というよりも、瞬間を捉えたという感じすらします。



 キミはわかってるね。メンバー全員、エネルギーが蓄積されていて、スタジオ・ライヴでレコーディングしたんだ。これがスモール・フェイセスの凄いところさ。メンバー間でテレパシーが働いて、「練習」なんてしなくても、演奏しているうちに、バンドが何をやろうとしているのかわかったものだよ。

まさにそういう音がしています。
 
 だろ。



〈E Too D〉〈You Need Lovin'〉といったデッカ時代のワイルドな曲は、何テイク演奏したのですか?

 昔はアルバムを1日で作っちゃったよね。



スモール・フェイセスの一番面白い点は、デッカからリリースされたデビュー盤の未加工のサウンドと、それから1年もしないうちにイミディエイトに移って出したセカンド・アルバムとの間に見れる、芸術的成長です。《Please Please Me》の次に《Rubber Soul》を作ってしまったようなものだと思います。


 理由はこうだ。イミディエイトと契約するまでに、しばらく演奏経験を積み、作曲の勉強もしていたからさ。で、イミディエイトと契約したら、無制限のスタジオ時間を与えられたから、ずっとそこに籠ったんだ。

ロニーもスティーヴも素晴らしいプレイヤーなのに、ふたりともどうして数々のインタビューで自分の腕前にダメ出ししているのでしょう。私には理由がわかりません。

 他の「音」を発見しただけで喜んじゃうような奴だったからね(笑)。サウンドに関して言うと、オレたちは各自の足りないところを互いに補い合っていて、それを自然にやっていた。

今回のボックス・セットに収録されているイミディエイト時代のシングルを聞いて、強く感じたことがあります。殆ど全ての曲がイギリスではスマッシュ・ヒットになりましたが、その中からはザ・フーの《Sell Out》、キンクスの《Something Else》、ストーンズの《Between The Buttons》の一部が聞こえてくるんです。《Sgt. Pepper》風の部分すらあります。当時の最大の競争相手たちは、スモール・フェイセスのニュー・シングルを聞いて、「これ、いいえ。ありがたく拝借しちゃおう」って思ったのではないでしょうか。時系列に沿って並べてみると私の説が正しいと証明されると思います。

 キミの言う通りだと思うよ。ビンキー、オレも同じように感じている。レッド・ツェッペリンのロバート・プラントからスモール・フェイセスから大きな影響を受けたって言ってもらえて、嬉しかったよ。

当然の発言だと思います。あなたがたからパクったんですから。

 そりゃそうなんだけど、嬉しいほめ言葉だよ。

数週間前にマックに話して、彼が笑ってたことなんですが、私は音楽を聞いてもいないのに、スモール・フェイセスを大好きになってしまったんですが、大きな魅力のひとつが、断トツのファッション・センスで、いちばんカッコ良かったことです。確かに、ザ・フーのファッション・センスも大好きでしたよ。でも、スモール・フェイセスのほうが高級で、エレガントで、上昇志向がありました。しかも、結束力もあって、バンドらしく見えました。ケニーはそういうファッションを積極的に受け入れていたんですか、それとも、ロニーか誰かに押し付けられたのですか?

 オレたちは似た者同士だった。弾けるように楽器は違うけど、みんな若かったし、ファッションにも関心があった。オレはイースト・エンド育ちだ。オレたちは第2次世界大戦後、初めてティーンエイジャーになった世代で、子供の頃は黒と白の服を着ていた。服といったら黒と灰色と白しかなかった。それだけ。だから、他の色の服を見たらすぐに、それを着たよ。そうしているうちに、オレたちのスタイルが出来たのさ。徐々にカッコよくなってきてるっていう意識はあったね。

small faces.jpg


スモール・フェイセス全盛期の頃の生活はどんな感じだったんですか? マックによると、イミディエイトがメンバー4人のあなたの家に押し込んだのだとか…。

 そうなんだ。オレは朝、目を覚ますと、ミニかMGA(ケニーがこの言葉を発する際に込めていたティーンエイジ・プライドが、皆さんの耳にも届けばいいんだけど…)に乗って、オレの家があるピムリコまで行ったんだ。オレはドアのカギを持っていて、オレ専用の部屋もあったんだけど、そこにいることはなかったね。みんなが一晩中起きていて、ずっと何かをやってて、眠れないからさ。部屋に入ると、ポール・マッカートニーが遊びに来てたり、別の日にはミック・ジャガーがいたりしてたよ。

マックは、そこでロニー・ウッドに初めて会ったって言ってました。

 そうだろうな。あの家は音楽に溢れていた。そこら中にギターが転がっていた。ハシシ等に耽ることも出来た。そして、時間が来たらスタジオに行って、その家で作ってた曲をレコーディングしたんだ。

地獄のような生活ですね。

 アハハハ。素晴らしかったね。女の子にも困らなかったし。

いいなあ(笑)。あなたとマックが監修したこのボックス・セットに戻りましょう。精神的にかなり大変な作業だったと思いますが。一番驚いたことと、一番悲しかったことについて教えてください。

 一番驚いたのは、「新発見」のスタジオ・マテリアルの量だ。それから、会話がたくさん聞こえてきたことだね。スタジオの匂いすらしたよ。もう、スタジオにいるような気分。一番悲しかった瞬間は、このレコーディングを聞きながら、ロニーとスティーヴがいないのを本当に寂しく感じたことだね。だってそうだろ。あの頃に戻りたいと思っていたけど、このボックスセットを聞いてると、あの頃に戻っちゃうね。

このスモール・フェイセスのボックス・セット《Here Comes The Nice》のリリースにあたって、「バンド綱領」というものはあるんですか?

 (少し間を置いて)ご購入の方全員に喜んでいただける品となっております。最近のステキな事態のひとつが、ティーンの人たちに興味を持ってもらえてることだ。オレたちがバンドを始めたのと丁度同じくらいの年齢の人たちだ。毎年、ファンは若返ってるくらいさ。このボックス・セットを買って、エネルギーやリアルな音、あの雰囲気を聞いて欲しい。とにかく、楽しんで欲しいね。

ステキな言葉を頂戴しました。さて、スティーヴ・マリオットとロニー・レインが作曲パートナーを組んでたことが、私にとっては不思議でなりません。マリオットは狂った火の玉、ロニーは聖人みたいな存在でした。凄い組み合わせです。私も長年バンド活動をやっているので、あなたとマックも、クレジットこそないですが、曲作りに大きな貢献をしていることはわかっています。

 その通りさ。キミはしっかり理解している。

マリオット/レインは、ロック史上最も過小評価されているソング・ライティング・チームだと思います。

 オレもそう思う。キミの言う通りさ。こいつらの曲の素晴らしい点とは、聞くたびに新発見があることかな。目を閉じれば、そこはもう思い出の小径さ。デッカ時代の曲を聞いた後に、続けてイミディエイト時代の曲を聞いてみると、キミがさっき言ったように、その間にオレたちがどれだけ学習したかってことが分かるよね。

1970年代に移りましょう。ロッド・スチュワート/ロニー・ウッドのフェイセスについてお話を聞かせてください。私はフェイセスのコンサートを3回見て、すっかりファンになっちゃいました。

 フェイセス時代には楽しい思い出がたくさんあるよ。何年もの間、出来る限りメンバーは一緒にいて、酒を飲んだり、TVショウに出たりした。ここ数年も、再結成しようと努力をしているんだ。現在、再結成の可能性に関しては真剣な雰囲気を感じているよ。ロニーとロッドのマネージャーと2015年代のツアーについて話し合っている。

私は巷によくある再結成をツアーには概して反対の人間なんですが、フェイセスは是非もう1度見たいです。今でもロッド・ザ・モッドが大好きです。

 アハハハハ。

もう既に亡くなってしまってますが、ロック史上最重要人物4人とあなたは直接関係がありました。名前を挙げるので、彼らに関する簡単なコメントをいただけますか?

 いいよ。

最初の人はスティーヴ・マリオット。

 スティーヴについてか…。(長い沈黙の後、もの思いに沈んで)あんなに小さな体からあんなにパワフルでソウルフルな声を出す奴は、聞いたことないね。

アーメン! 次はロニー・レイン。

 (突然元気になって)ロニー・レインは超いい奴だった。バンドを始めた頃からの親友だ。スモール・フェイセスを一緒に始めたんだから。あいつがいなくて毎日寂しいよ。

ジョン・エントウィッスル。

 あぁ、ジョンもいなくなっちゃったね。オーストラリア・ツアーとか、スモール・フェイセスとザ・フーが一緒にやった仕事もあるけど、よくセッションもやったんだ。ジョンとオレはよく一緒につるんでたんだ。特にザ・フーに加入した後はいつもね。古い飲み友達さ。オレはジョンの口を見て、何を言ってるかわかるくらいになったんだぜ。ベースの音はあんなにデカイのに、しゃべり声はとても小さかっただろ(笑)。だから、口の動きをよく見てるしかなかったんだ。オレはジョンと一緒にプレイしていたおかげで、超速い足技を開発したんだ。ジョンは指でああいう3連譜を弾きまくるから、オレは足でそれをする必要があった。ジョンからはたくさんのことを学んだなあ。

あなたとジョンのプレイは美しくかみ合っていたと思います。最後はキース・ムーン。

 あぁ、キースか。よくつるんだな。面白い奴だった。いつも人をからかってばかりいた。オレはからかわれたことないけどね。ただただ凄い奴で、凄いドラマーだった。惜しい人を亡くしたなあ。キースが生きてて、オレがザ・フーに入ることなんてなければよかったのに。

オーストラリア・ツアーというと、マックにインタビューした時にも出て来た話題なんです。マックは聞いたことのないキースの大爆笑の逸話を話してくれました。
 
 オーストラリアでオレとキースにこんなことがあったなあ。メルボルンにいた時、キースから「オレの部屋に来い。いいもん見せてやる」って電話があったんだ。それで、キースの部屋に行くと、いろんなサイズのスネア・ドラムが15個か16個並んでいたんで、オレが「キース、それで何をするっていうんだい?」って訊いたら、「全部こうしてやるのさ!」と叫んで、ひとつを拾って窓の外にぶん投げたんだ。メルボルン・ハイ・ストリートを見下ろす部屋にいた。10階以上のところにいたはずだ。20階だったかな。窓の外を見たら、さっきのスネア・ドラムは粉々になってメルボルン・ハイ・ストリートを転がっていた。オレたちは窓からサッと離れて、何もなかったふりをした。キースはクレイジーだったけど、愛すべき人間だた。それに、素晴らしいドラマーだった。

●(笑)この話も初耳でしたよ、ケニー! 本当に狂人ムーンですね。

 あぁ。

ロック史上最も影響力が大だったバンドのトップ5のひとつ、ザ・フーにあなたが在籍していた10年間について伺っていいですか?

 ザ・フーのこととなったら、何でも包み隠さず話すよ。

これから私の話すことはあなたの心を傷つけてしまうかもしれないのですが、あなたが在籍していた頃のザ・フーの活動について、ロジャーはあなたのプレイを酷評しているようです。私はずっとキース・ムーンの大ファンですが、1979年にあなたが参加した後に行なった初のツアーを見て、素晴らしいと思いました。でも、それから1982年のシェイ・スタジアム公演を見た時には、ピートもロジャーもバンドにあまり関心がないような様子でした。その頃には人間関係も悪化してたんですか?

 あの頃にはそうだったかなあ。翌日、世界初の全世界同時中継コンサートを行なうためにトロントに行ったんだけど、思い出すだけで神経が参っちゃうね。あの晩は超強力接着剤で手にドラムスティックをくっつけてるような気分だった。ロジャーは、振り向いてもキースがそこにいないっていう状況に、どうしても慣れることが出来ないでいた。オレがやらなかったことのひとつが、キース・ムーンのコピーだった。そんなこと出来ないし、やろうとも思わない。オレにはオレのプレイしか出来ないし。つまり、アレンジの一部として特定のフィルがあるとしても、それに近いことしか出来ないってことさ。当時のザ・フーは基本的にアレンジは変えず、ああした構造の中でプレイしていた。オレはジョンとはうまくプレイすることが出来た。でも、ロジャーはキースを捜し求めていたけど、キースはもういない。何よりもそのことがロジャーの気に障ってたんだと思うよ。オレたちは1979年から1982年までツアー活動を続けて、その後は何度かテレビ出演のために集まった。ライヴ・エイドとかカンボジア難民救済コンサートとかさ。オレがザ・フーのメンバーとして過ごした時間は、特にその後半のステージは、キース・ムーンのいないザ・フーと過ごした最高の時間だったよ。



あなたが在籍していた頃のザ・フーは、それでもなおザ・フーでした。ザ・フー・レヴューではなくて。

 オレはあらゆる点で同等のメンバーだった。みんなはオレに敬意を払ってくれたし、オレもみんなに敬意を払っていた。そういう風に楽しくやっていた。

まだまだ聞かなければいけないことがあります。あなたに苦しい思いをさせようというつもりはないのですが…。キースが亡くなったことをどのようにして知ったのですか? ザ・フーからはどのような連絡があったのですか?

 (長い沈黙)まだはっきりと覚えてるよ。とても生々しい記憶だ。キースが亡くなる前の晩に、オレはあいつと一緒にいたんだ。バディー・ホリーの映画を見る前に、ザ・パブ・イン・ザ・パークで行なわれたポール・マッカートニーのパーティーにいたんだよ。普通はイベントの後にパーティーをやるもんだけど、あの時は前にもパーティーをやったんだ。あの日、オレはアメリカから戻ったばかりだった。グリン・ジョンズのサポートのもと、英米混合のバンドを結成しようという話が進んでいて、キースにこの新バンドの話したんだ。同じテーブルにはポール&リンダ・マッカートニー、ポールの弟マイケル、デヴィッド・フロストがいた。

デヴィッド・フロストも?

 みんなで写ってる写真を持ってるよ。…キースと会うのは久し振りだったから、まずはオレがアメリカに行ってたことを話して、それから、「なあ、キース。オマエはどうしてる? 元気なのかい?」って訊いた。そしたら、キースは「元気さ。今は酒を止める薬を飲んでるんだ。だから、酒は飲めないんだよ。飲んだら、目茶苦茶具合が悪くなっちまう。もう半年くらい飲んでないね」って言ってたよ。半年シラフだったなんて凄いよな! その後、一緒に映画を見に行った。映画は真夜中に始まったと思う。キースとオレは午前1時半頃に会場から出て、さよならをして帰宅した。で、翌朝起きてテレビをつけたら、ニュースをやってて、アナウンサーが、「ロックスターのキース・ムーンがドラッグ過剰摂取で亡くなりました。今朝未明、死亡している状態で発見されていました」って言っていた。気でも狂ったんじゃねえの! おかしいよ! こんなことありえねえ! だって、オレは数時間前にキースと一緒にいたんだから、って思ったよ。そうして…そうして知ったんだ。

亡くなる前の晩に、キースがあなたと一緒にいたなんて、全然知りませんでした。

 みんなにとってキースは頭のおかしな奴だったかもしれないけど、オレにはいつもやさしくしてくれたんだよな。

そういう人でしたよね。その後、ザ・フーの誰から「キミのドラムが必要なんだ」って電話がかかってきたのですか?

 さっき話した通り、グリンの力添えで新バンド結成に向けて忙しくしていた頃で、キースが亡くなって3カ月くらいした後に、ザ・フーのマネージャーのビル・カービッシュリーから電話があったんだ。「ヘイ、ケニー。単刀直入に言おう。ザ・フーがミーティングを開いて、メンバーはキミにバンドに加わって欲しい言っている。正確にはこう言っていた。“バンドに入っていだたけませんか。他の人は考えられません”て」オレは「嬉しいオファーなんだが、バンドを組んだばかりなんだ」と答えたんだけど、その日の午後にピートがオフィスに来る予定なんで、オレも来て、この件についてピートと話してみないか、ってビルから言われたんだ。ピートは友人だから、話が出来て嬉しかった。その日が終わる頃に出かけて行って、ピートとビルとオレで、2、3時間、互いの昔話をして笑い合った。そのうち、ピートはこっちを向いて言ったんだ。「いいか、オマエはザ・フーに入らないといけない。昔から仲間じゃないか。モッズじゃないか」って。そんなことを言われているうちに、心を動かされちゃったのさ。ピートとは昔から大親友で、ザ・フーに入るが前から仕事をしたこともある。ピートの家に行ったらデモの制作中で、一緒に双方のデモを作ったこともある。それがきっかけでかなり親しくなった。出会ったのは1960年代のことで、スモール・フェイセスにいた頃には、ザ・フーとイギリス、ヨーロッパ、オーストラリアを一緒にツアーした。ピートには最高の敬意を持っている。素晴らしいミュージシャンだ。ピートと仕事をした経験があるなんて、とても光栄だ。偉大な奴だよね。ピートもそうだけど、ジョンもさ。ピートとジョンに挟まれてプレイするというのは、2人のリード・ギタリストと戦っているようなものだった(笑)。オレのバスドラが唯一のベース・パートだったね(もっと笑)。

そうですね。あなたとザ・フーのコラボレーションの中で私が大好きなものが、ケン・ラッセルの映画『トミー』のバージョンの〈Acid Queen〉です。あのトラックでのあなたのグルーヴは素晴らしいです。


 ありがとう。『トミー』のセッションは楽しかったなあ。あの映画は大好きだ。素晴らしいと思ったよ。

  

ケン・ラッセルはあれだけゴチャゴチャしたものをうまくまとめて、優れた娯楽作品に仕上げたと思います。あなたがザ・フーに加入した頃に話を戻すと、あなたがキースの替わりとして入るという発表があった時には、ザ・フーのマニアには禅的宇宙観のシンメトリー(訳者註:意味不明)のように感じました。

 オレが加入を承諾したのは、ピートがこう言ってくれたからなんだ。キースはクレイジーだが、優れたスタイリストでもあった。でも、オレがドラマーとして参加するとなったら、ザ・フーが今までとは全く違うことをやる機会にする、って。それで、オレは「いいね。そういうことならバンドに入ろう」って答えた。

でも、その頃にはザ・フーのライヴ・ショウはヒット曲のオンパレード状態になってましたよね。ザ・フーに加入してみて、このバンドのレコーディングの方法は、他とは違う特異なものだと思いましたか?

 オレがやり慣れていたものと殆ど同じものだったよ。でも、初のアルバム《Face Dances》をレコーディングした時、プロデューサーとしてビル・シムジクを選んだのにはビックリしたね。

私もです。

 こいつは間違ってるだろって思ったよ。オレたちは鋭い刃{エッジ}のあるサウンドを出してたんだが、ビルが来たら、イーグルスみたいになっちまった。

私もそのことを言いたかったんです。マテリアルと自然なプロダクションの点で、《It's Hard》のほうがずっといいアルバムだと思います。あなたが参加している2作に関して、気に入ってる曲はありますか?


 まず、理解しといて欲しいんだけど、オレはビル・シムジクのことは好きなんだ。素晴らしい人間だ。ただ、ザ・フーのプロデューサーとしては間違ってると思っただけなんだよ。

  

私もそう思ってます。

 ドラムがプリンみたいな音になっちゃってるよな。

食べ物のメタファーにこだわるなら、ザ・フーをピューレにしたような音ですね。

 2作目のほうが好きだね。長年、仕事をともにしてきたグリンがプロデュースしたんだよな。曲では〈Eminence Front〉がいいね。独特な雰囲気がある。それから〈You Better, You Bet〉もいい。笑われちゃうかもしれないけど、〈Athena〉も気に入ってた。



あぁ、〈Athena〉ですね。私は〈Don't Let Go The Coat〉も好きです。〈It's Hard〉で、3つの最も陳腐なコードを使って、いい曲を作り出したピートの手腕も好きです。

 〈Cry If You Want〉もいいなあ。

話題をガラリと変えましょう。とても質問し辛いことなのですが、オール・スタンディング形式のコンサートにファンが強引に入り込もうとして、11人が死亡したシンシナティの悲劇を、あなたやバンドはどのように受け止めたんですか?

 あぁ…(苦悶の声を上げる)、正直言って、人生最悪の日のひとつだったよ。バンドに入ったばかりだっただろ。まだ5分しか経ってないのに、あの日地球で起こった悲劇の中で最大のものが起きてしまったのさ。信じられなかったよ。不運なファンだ。彼らの家族も気の毒だ。皆は知らないだろうけど、バンドのメンバーはショックで口もきけない状態だったんだけど、法律の専門家が次々にやって来て質問攻めにされたんだ。ひとつの部屋に何人もの弁護士がいた。オレは少なくとも2時間半はあれこれ訊かれたよ。ピートは4時間半以上、質問攻めにされていた。オレたちは何も知らなかったのに。


私も長い間、亡くなったファンとバンドのことを気の毒に思っていました。さっきの話に戻ると、私はあなたとロジャーの仲がもとに戻るとことを希望しています。

 仲はいいぜ。あちこちで会うし、とても礼儀正しく接しているよ(笑)。

2015年にフェイセス再結成が実現するかもしれないということの他に、何かここで言っておきたいことはありますか?

 スモール・フェイセスに関連したプロジェクトを2つ抱えてるんだ。どちらも、1968年にリリースしたアルバム《Ogden's Nutgone Flake》を扱ったものだ。

  

《Ogden》は音楽史上トップ25に入るアルバムだと思います。口を挟んですみません。どうしてもこのことを言いたかったもんで。

 ごゆっくりどうぞ(笑)。

あの円形ジャケットも超カッコイイですよね。

 ひとつは《Ogden's Nutgone》のアニメーション・フィルムで、もうひとつは、《Ogden》のクラシック・バージョンを作ったんだ。アルバムをクラシック用にアレンジしたんだよ。

凄いですね! ケニー! アニメーション・フィルムにロックの名盤のクラシック・バージョンなんて、素晴らしいアイデアです。話を聞いただけで感動です。今日は6個か7個くらい、初耳のことをうかがいました。まだ何かありませんか?

 今日はかなりのことをカバーしたんじゃないかな。終わりよければ全て良しだと思うよ。

今日は貴重な時間をもらって、いろんなことを包み隠さず話していただき、どんなに感謝しても感謝し足りません。

 こっちとしても光栄だ、ビンキー。ありがとう。

Copyrighted article "Interview: Kenney Jones, Drummer of Small Faces, Faces With Rod Stewart and The Who, Looks Back (and Forward)" by Binky Philips
http://www.huffingtonpost.com/binky-philips/interview-kenney-jones-dr_b_4618390.html
Reprinted by permission
posted by Saved at 23:24| Comment(1) | TrackBack(0) | The Who | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
当ブログのSmall Facesのイミディエイト箱記事をリンクして頂きありがとうございました!

マニアックな箱ながら、中身の充実度はかなりなものです。ケニー&マックの直筆サインにエキサイトです(笑)

ケニーへのインタヴューも興味深く読みました。

カンボジア難民救済コンサート、オフィシャル化されませんかね??
Posted by 大介(東京都) at 2014年02月24日 22:07
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