2014年03月16日

伝説のコンサート・テーパーの悲しい末路

 コンサートの録音というと、今でこそ専用スペースが設けられてることも時たまありますが、まだまだ一般的には密かにこっそりやることであり、会場では「無断で写真撮影、録音等を行なうことは堅く禁じられております」というアナウンスを聞くことが普通です。かつて記録媒体としてテープが使われていたことから、コンサートを録音する人は「テーパー」と呼ばれるようになって現在に至りますが、21世紀に入ってテープを使う人が殆ど絶滅状態であるゆえ、もっと適切な呼び方がそろそろ見つからないものでしょうか。
 それはともかく、世界中に名物テーパーがいて、それぞれが特に力を入れているバンドやミュージシャンや音楽分野、活躍する都市を持っているのですが、所詮日陰の存在なので表立って名前が出てくることは極めて稀です。しかし、既に故人で、しかも、録音したものがあまりに貴重ということで、ウィキペディアに登場しているのがマイク・ミラードです。
 ミラード本人は自分の録音が海賊盤になることを極度に嫌っていたようですが、レッド・ツェッペリンの1977年のロサンゼルス公演を収めた《For Badge Holders Only》《Listen To This Eddie》等、多数の有名ブートレッグの音源となっていることは周知の事実です。そして、今もなお、ミラード・テープのコピーか、コピーのコピー(それでもなお高音質)をデジタル・アーカイヴ化したものが、篤志家の手によって音源交換サイトにアップされ、全世界の音楽ファンに供給されています。
 グレイトフル・デッドのテーパーのほうが質・量ともに上だろうという意見もありますが(デッドのテーパーの苦労話も面白いので、機会があったら紹介したいです)、ミラード・テープのほうが神秘的なのは、比較的短命なバンドだったレッド・ツェッペリンのショウを数多く録音していること、方法が大胆であること、彼と親交のあった一部の仲間にしかコピーを配っていなかったことにも起因するのかもしれません。
 海賊盤がアナログ・レコードで出ていた1970〜80年代には、車椅子に機材を隠して会場に持ち込むケースもある「らしい」という噂は、太平洋のこっち側にも伝わってきていました。個人的には、そこまでするマニアの存在に半信半疑でしたが、1990年代になると徐々に情報が増えてきました。今回紹介する記事はザ・カーネルに2013年10月30日に掲載されたもので、現在ネットで読めるミラード関係のまとまった記事としては最も詳しいと思います。

   




伝説のコンサート・テーパーの悲しい末路
文:ジェイムズ・クック


 1970年代に伝説のバンドのライヴを録音し続けたマイク・ミラード。しかし、1990年に全てが終わってしまった。

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 引きこもり、天才、パラノイド、伝説…さまざまな異名を持つマイク・ミラードが「マイク・ザ・マイク」というニックネームを得たのは、1970年代のロック・ミュージック界の超大物バンドが行なった、現在では語り草となっているショウを多数録音したからだ。ミラードにとって、コンサートを録音することは人生そのものだった。自宅に引きこもっている間もずっと、マイクは自分が録音したテープとその運命について、常に心配していた。しかし、1990年には全てが終わった。マイク・ミラードの物語は、数十年もの間、地下人脈において静かに語られるだけだったが、生前には受けることのなかった正当な評価を、そろそろ受けてもいい頃であろう。
 
* * *


 カリフォルニアでのミラードの幼少時代については殆ど知られていない。物語が始まるのは、大物ロック・バンドがアメリカ西海岸スタジアム・ツアーの一環としてLAフォーラムでコンサートを行なうようになった、1970年代初頭からだ。コンサートとは、殆どの人間にとっては束の間の楽しい時に過ぎないが、マイクのような音楽ファンにとっては、記録して保存すべき大切な瞬間だった。コンサート会場に録音機を密かに持ち込んでいた数多くの先輩たちをヒントに、マイクは最高のレコーディングを行なう独創的な方法を開発した。
 マイク・ミラードの仕事にはたいてい仲間がいた。警備の厳しいアリーナに録音機を持ち込むためには、手助けが必要だったのだ。彼は厳重な警備を突破するために、他の録音マニアとは違う極悪非道なやり方を見つけた。車椅子である。マイクは車椅子に乗って、ヘルパーに会場に入れてもらった。小道具の車椅子には日本製の高価な大型カセットレコーダーを仕込み、マイクはその上に座った。彼は大量の服も持って入り、警備スタッフに何か言われた時には、万一おもらししてしまった時のための用心だと言い張った。

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[ナカミチ550、マイク・ミラードがレコーディングに使用した高価な日本製テープデッキ]


 会場内に入るやいなや、マイクは車椅子を押してもらって身障者エリアに行き、帽子にマイクロホンを装着し、プラグをカセットデッキのジャックに差し込んだ。客電が落ちると、マイクは重たいテープデッキをカバンの中に入れて、車椅子から立ち上がり、会場の前列へと歩いていった。伝説のミラード・テープが出来上がったのは、この手の込んだセットアップと、喜んで手助けをしてくれる人のネットワークとの、相乗効果のおかげと言える。
 ロックのパフォーマンスの録音行為にはリスクが伴っていた。ミラードと彼の仲間が気を付けていた恐ろしい人物が、レッド・ツェッペリンの巨漢マネージャー、ピーター・グラントだった。彼はコンサート会場をパトロールし、録音機材を破壊したり、ダフ屋をその場でボコボコにすることで知られていたのだ。もともと、グラントはレスラーとしてショウビジネス界に入り、「ミラノ伯ブルーノ・アレッシオ」というリングネームを名乗っていた。恐ろしい評判は、グラントがリングの外に出て、自分が手掛るバンドが演奏するスタジアムの中に入ってもなお、彼について回った。1977年には、バックステージで残虐な暴力行為を行なった廉でピーター・グラントを逮捕するために、オークランド市はSWATチームまで出動させている。ここまで凶暴な人物に、ブートレッグ録音は毛嫌いされていたのだ。

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[ミラードをはじめとするテーパーの敵、ピーター・グラント]


 マイク・ミラードがさまざまな危険を顧みずに録音したライヴ・パフォーマンスは、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ピンク・フロイド、エリック・クラプトン、イエス、ラッシュ、ウィングス、カンサス、ロバート・プラント、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジェネシス等、多岐に渡る。マイクはこうしたバンドの行なった伝説的コンサートの目撃者になっただけでなく、大変な手間隙をかけて、自分自身と世界中のロックファンのために、それを保存したのである。
 マイク・ミラード・テープは、史上最高のライヴ・レコーディングと評されている。非常に優れたクオリティーなので、彼のレコーディングを正式にリリースしたバンドもあるほどなのだ。レッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジは、ミラード音源を正規にリリースした『DVD』に使用している。しかし、ミラード・レコーディングが、インターネット上のコメンテイターが言うように「プロ以上の音」なのは、どうしてなのか?

 

 元レコード店経営者で、レッド・ツェッペリンのファンジン「タイト・バット・ルース」に協力しているジャーナリスト、デイヴ・ルイスに、ザ・カーネルは話を聞いた。
 「マイクの録音には“まさに今、ここにいる”感がありました。彼はバンドの音をフルにとらえるのにピッタリの場所にいました」
 ミラードが正しい場所を見つけることが出来たのは、何年間も同じ会場に通い、同じ技を使い続けたからである。ミラードはたいてい前から8列目にいて、うるさい叫び声をあげるファンには小額の金を渡して黙らせた。
 首尾よく録音に成功すると、ミラードは少数の友人のみを選んで、テープのコピーを渡していた。しかし、こうした友人たちも、ミラードは心底疑っていた。そのため、コピーのテープには、わざとボリュームを変動させたり、他の小さな不備を混入するなどして、「しるし」を付けておいたのだ。ミラードはコピーを作るたびに、それをノートに記録しておいた。こうしておけば、自分のレコーディングを使って海賊盤がリリースされた場合に、誰が業者にテープを売ったか追跡することが出来るからである。
 こうした被害妄想を抱えているにもかかわらず、ミラードは音楽が聞きたくてLAフォーラムに通い続け、さらに多くのバンドを録音した。自分の手で録音したものへの愛着は、友人に送ったテープの曲目カードに施された豊かな装飾にも見て取れる。友人たちによると、ミラードは特別感を出すために、何時間もかけてカードにイラストや彩色を施していたらしい。ミラードはカセットケースの中にコンサート・チケットのコピーを入れておくこともあった。

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[マイク・ミラードから送られたテープ(ミラードの友人のバリー・ゴールドスタイン提供)]


 ミラードは生涯を通じて鬱と戦っていた。彼はカルフォルニアにある自宅で年老いた母親と暮らしていたが、健康状態は悪化していった。それでもミラードはコンサートを録音していたが、友人にテープのコピーを渡すことは徐々に少なくなっていった。近所のサン・アントニオ・カレッジで仕事を持っていたおかげで、ミラードはどうにか生き続けてはいたが、遂には深い鬱のスパイラルにはまり込んでしまった。
 1990年、マイク・ミラードは自分が録音したテープの殆ど全てを廃棄した。その際、伝説のロック・バンドのコンサートを録音した、数万ドルの価値があったであろうオリジナル・テープは失われてしまった。それから間もなく、彼は自分の人生にも自ら終止符を打った。
 ミラードの死後、友人たちは彼の母親と連絡を取って、ミラードの遺品の整理に手を貸すと申し出たが、断られた。長年に渡って、マイク・ミラードの寝室には多数の録音機材が転がったままになっている。恐らく、テープもいくつかは残っているだろう。残念なことに、マイク・ミラードと彼のテープについての情報は、これを最後に全く聞かれなくなった。
 友人たちや音楽仲間でさえ、マイク・ミラードが亡くなったのを知ったのは、死後何年も経ってからだった。手紙を出しても返事がない。テープ・トレードのリクエストも無視されている。そのうち遂に、噂がテープ・コレクター間に流れた。ミラードは亡くなった。テープはもうない。手に入れようとしても無駄だ、と。
 プロのコンサート・レコーディングを聞く時には、ステレオで録音されていて当たり前であるが、マイク・ミラードは帽子にマイクロホンをテープで装着してステレオ・サウンドを作り出していた。ミラード・レコーディングは、最も金持ちで有名なロック・スターが自分の全盛期の演奏を聞き直そうと、自宅にコレクションしていることで知られている。世界で最も価値のある音の記録のいくつかは、身体障害者を装うことまでして会場に録音機材を持ち込んでいた、この独創的な人物の手によるものなのだ。
 マイク・ミラードがどんな人物だったのか、残念ながら、音楽ファンが知ることはないだろう。彼のレコーディングが正規にリリースされる場合でも、クレジットに名前が登場することはない。レコーディングが違法なものであったがゆえに、マイク・ザ・マイクの名は歴史から隠されてしまっているのだ。ミラードも属していたアンダーグラウンドの音楽コミュニティーの中でのみ、彼の名前は生き続けるのだろう。

Copyrighted article "The tragic tale of a legendary concert taper" by James Cook
http://www.kernelmag.com/features/report/6498/the-tragic-tale-of-a-legendary-concert-taper/#
Reprinted by permission.



 ↓こちらの記事にもピーター・グラントに関する逸話が登場します。

 

【ISIS Selection 05】 TMOQ物語

by デレク・バーカー
forkN
posted by Saved at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | Led Zeppelin | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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