この本では、ビートルズは絶大な人気と影響力によってロックのオカルト化の確固たる素地を作っちゃったバンドになっています。ロックを東洋思想(つまり、キリスト教から見たら異教の神々)と結び付け、オレたちはキリストより人気があるぞ発言で、ロックが反キリストのスポークスマンになりうるというイメージを作り(本人にその気はなくても)、ポール死亡説騒動でレコードの逆回転再生やジャケットの深読み的解釈を一気に広めた(こっちも本人にその気はなかった)のが、ビートルズなのです。この本のタイトルにもなった「Season Of The Witch」を歌ったドノヴァンの影響も見逃すことは出来ないのだとか。
もちろん、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、オジー・オズボーン、サイキックTV、スレイヤーといったこの手の話題の時には常連の人達も登場しますが、オカルト(広義にはファンタジー、SFも含む)映画やオカルト小説、オカルト漫画、オカルト・アニメ、オカルト・ゲームが、それぞれの時代のロック・ファン与えた影響も見逃していません。著者のヲタ度高いです。
『Season Of The Witch』に残念な部分があるとしたら、写真等のビジュアル・イメージが皆無(本当にゼロ)であることです。この本を読む際に、横に置いとくと便利なのが『The Illustrated Beast: An Aleister Crowley Scrapbook (Weiser News)
DANGEROUS MINDという面白サイトにピーター・ビバーガルが新著について語っているインタビューがあるのを発見したので、今回はそれを紹介しようと思いますが、インタビュー中に出て来るケネス・アンガーの映画作品のyoutube動画を参考資料として貼っておきます。まず、ミック・ジャガーがサウンドトラックを担当した『Invocation Of My Demon Brother』はこれです:
ジミー・ペイジがサウンドトラックの制作を依頼されたものの、完成させることが出来ず、結局、ボビー・ボーソレイユに作ってもらった『Lucifer Rising』はこれです:
怪しさ全開ですね。ちなみにジミー・ペイジ・バージョンのサウンドトラックはこれです:
オフィシャル・サイトでの通販オンリーでアナログ・レコードが発売されましたが、送料を入れると結構な金額になってしまうのが難です。
『Season of the Witch: How the Occult Saved Rock and Roll』の著者、ピーター・ビバーガル・インタビュー(@DANGEROUS MINDS)
聞き手:リチャード・メツガー
ピーター・ビバーガルの新著『Season of the Witch: How the Occult Saved Rock and Roll
● 簡単に言うと、この本の全体に通じるテーゼは何でしょうか? オカルトがいったいどのようにしてロックンロールを救ったというのですか?
ロックンロールの背後にある本質的なスピリットは、特に初期の時代では、反抗です。社会的、性的、政治的、芸術的アジテーションです。ロックの根の部分にあるのが精神的反抗だ、というのが本書の中心的な主張です。性的欲望に駆り立てられたロックの肉体性は、悪魔が少年少女を異常な行動へと誘う罪深き誘惑だとして、糾弾されすらしました。ロックへの恐怖感は人種的偏見によっても煽られました。ロックのリズムとエネルギーは、偏見でも何でもなく、アフリカ系アメリカ人の音楽に由来し(この認識自体は正しいのですが…)、野蛮で未開で、邪悪な異教のものだと思われたからです。ミュージシャンやファンが積極的にやったのは----意識しないでやってた場合も多かったのですが----信心深いというのはこういうことだというメインストリームの考え方に向かって中指を立てることでした。ロックよりも10年ほど前に登場し、個人的、社会的反逆の一形態として芸術を利用していたビート世代によって、ドラッグや東洋の神秘思想、オカルトをイメージした表現をどっさり含む道が、既に作られていました。アーティストは----広義的には、ロック文化全体が----自分たちの音楽に重きを与えてくれる、自分たちの生き方に意味を与えてくれる、精神的アイデンティティーを求めていましたが、そんな時、彼らが従来のものとは違う宗教的行為に目を向けたというのは、極めて筋が通っています。
さらに言うと、いわゆるオカルト的行為というものは、人の心の奥深くにあるものを表現しています。私はこれをエクスタシー願望と呼んでいます。つまり、神聖な存在に直接触れる体験を希求する気持ちです。魔術と宗教はかつては互いに不可分のものでしたが、魔術が禁止された時でさえも、人々は自分の精神生活の観点で個人的な手段を持つ方法を見出し続けました。しかし、私達はかつてやってたように、それを集団というコンテクストでやりたいと思ってるのではないでしょか。こうした衝動は必ず姿を現すもので、ロックンロールは最も原始的な崇拝形態の残響に再び火をつける最も強力な手段-----劇場、ダンス、演技、絶叫、ドラム、酩酊状態、神々に取り憑かれた狂気の気配-----を与えてくれたのです。こうした要素全てが一緒くたになったものが、拙著で言うところの「オカルト・イマジネーション」です。これには、ミュージシャンとファンが一緒になって音楽の回りに神秘感を作り出すことだけでなく、マスコミや主流の宗教界からのネガティヴな反応も含まれます。こうしたものの全てが交わる場所で、大衆文化が強力な魔術にかかってしまうのです。ロックンロールを精神的に救済したのがオカルトです。こう考えれば、ポピュラー音楽の聞こえ方、見え方がかなり違ってくるでしょう。
● ケネス・アンガーがロック界に果たした役割はどのくらい重要だったのでしょう? ローリング・ストーンズやジミー・ペイジとあれこれあったことについて少年時代に読んで、アンガーはかなりイッちゃってる、魅力的でグラマラスな人物のように思えました。現在までずっと続いているアレイスター・クロウリーへの関心も、ここから始まっています。
ケネス・アンガーはこれ以上はない絶妙なタイミングでロックンロール文化の中に入ってきました。ジミー・ペイジやミック・ジャガーといった若いミュージシャンがいて、絶頂期の彼らは世界の頂点に君臨してるような気持ちになっていて、しばしばマスコミからは、音楽や公私両方でのカラフルな生活によってカオスをもたらす危険な存在として扱われていました。そこに怪しい映画制作者が現れて----グラマラスな人物と言ってもいいでしょう----魔術について語り、芸術は儀式の形態を取りうると主張しました。アンガーは20歳ほど年上だったので、彼がクロウリーやオカルトについて語ることは、暗黒の叡知として聞こえたことでしょう。ペイジはこの類いのことが大好きでしたが、本気で魔術を実践していたとは思いません。でも、アンガーは本気でした。彼が隠遁者じゃなかった点も大切です。魔術に入門するには名声と富を捨てろなどとは言いませんでした。実際、アンガーにとって、富と名声は魔術の魅力の一部であり、芸術を通して文化を変容させる力でした。ジャガーはアンガーのボードレール的ダンディズムを気に入り、自分自身を同じイメージとして見ていました。ペイジやジャガーにとってアンガーは、オカルトという架空の観念を、真剣かつリアルに感じられるものに引き上げてくれた存在でした。そして、アンガーとかかわることによって----どちらも、この映画制作者とは仲違いしてしまったようですが----レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズはオカルト狂で、サタニストかもしれないというイメージに、油を注ぐことになりました。アンガーはサタニストではありませんでしたが、オカルトと悪魔崇拝が強固に結び付いたのは丁度この頃です。ジャガーがプライドの高いルシファーを気取って〈Sympathy for the Devil〉を歌ったことで、オカルトと悪魔崇拝の関係は深まりました。ロック史上最大の影響力を誇ったバンドであるローリング・ストーンズとレッド・ツェッペリンに、魔術とミステリーのオーラを与えた影の人物がアンガーです。そして、その後、このオーラがロック全体のアイデンティティとなり、マスコミや大衆もそういうイメージを抱くようになりました。
● この意味で、アンガーの魔術は成功だったのでしょうか? ロックのイディオムでオカルトを実践しているミュージシャンは誰なのでしょう? つまり、オカルトを芝居としてやってるのではなく、オカルティストが本業で、ロックは副業としてやってるような人なのですが…。
例えば、コイルは魔術と音楽を同列に考えているようです。サイキックTVはもちろん、コイルもこの定義にぴったり当てはまります。サイキックTVは、しばらくの間、「Thee Temple ov Psychick Youth」というバーチャルな魔術の館を作っていました。ジンクス・ドーソンも一時期、自分のバンド、カヴン(=「魔女の集会」の意)をオカルトを実践するための手段として考えていました。その後、トゥールが魔術に関して自分たちの思うところを集約して音楽にまとめました。しかし、音楽は魔術を実践するための強力な可能性を秘めていると考えてはいるものの、自分の一番の本職はミュージシャンであると思っている人が多数派です。〈Fire〉で最も有名なアーサー・ブラウンは、ロック・コンサートはシャーマニズムを行なう場所として機能する力があると信じていました。彼はメイクからステージでの動き方まで、自分のパフォーマンスの全要素を利用して、彼が魔術的エネルギーだと考えているものをチャネリングし、それを解き放ちました。後に、アーサー・ブラウンのステージ・アクトをコピーする人が多数登場しましたが、彼らはオカルト的な意図は全く持ち合わせていません。アリス・クーパーやKISSがそうです。世間一般からは、地獄の軍団のメンバーとして叩かれましたけど…。デヴィッド・ボウイは一時期、自分はある種の魔術を実践しており、それを完全な状態で行なうことの出来る場所が音楽やパフォーマンスだと思っていたようです。
● 執筆の下調べをしている時に発見した最も奇妙なことは何でしたか?
キリング・ジョークのメンバーが、ヴォーカルのジャズ・コールマンの導きでアイスランドに行って、来ると信じていた世界の終末を皆で待ったということを知り、とても驚きました。アーサー・ブラウンは、最初のバンド、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの解散後、メスカリンでトリップした際に、甲冑を身につけた天使が剣を高く掲げながら自分のもとにやってくるというヴィジョンを見たそうです。ブラウンはこれを、ロック・ミュージシャンだったら誰でもするように解釈しました。つまり、新しいバンドを始めるよう神が自分に命令しているのだ、と考えたのです。しかし、最も奇妙なのは、ロックとオカルトの関係は単なる翻訳上の問題によって始まったということです。1840年代に、サミュエル・アジャイ・クロウザーというヨルバ族の若いアフリカ人がいました。キリスト教に改宗していた彼は、自分の故郷で布教活動をしたいと思い、聖書をヨルバ語に翻訳する作業を開始しました。当然、全ての単語が他言語においてそれに対応する単語を有しているわけではありません。だから、彼は悪魔をどう訳すかという問題にぶち当たった時に、彼の部族の中でトリックスター的な役割を持っている神の名前を使ったのです。聖書に出て来る悪魔に一番近いと思ったのが、ヨルバ族の中では信頼できない神、人間を誘惑する神とされているエシュでした。そして、キリスト教に改宗した他のヨルバ族の者たちとともに、この神がアメリカ南部に連れて来られるようになると、この十字路(クロスロード)に現れる神はサタンとなりました。クロウザーがこの神を選ばなかったら、十字路で出会った悪魔が魂と引き換えにギターの弾き方を教えてくれるという神話は存在しなかったでしょう。ロックのオカルト神秘主義の核心にある、その起源である話は、存在しなかったでしょう。
Copyrighted article "Season of the Witch: How the Occult Saved Rock and Roll" by Richard Metzger
http://dangerousminds.net/comments/season_of_the_witch_how_the_occult_saved_rock_and_roll
Reprinted in permission
ピーター・ビバーガルのブログ
http://mysterytheater.blogspot.jp/