2015年02月17日

【新説】ポール・サイモンのギターの先生が、ビートルズの「エド・サリヴァン・ショウ」でオーバーダブ?

 昔、アメリカのレコード会社がビートルズ人気に便乗して1961年のハンブルク・レコーディングを発売した際、サウンドを補強するために、当時腕利きのセッション・ミュージシャンだったバーナード・パーディーやコーネル・デュプリーがオーバーダブを施した、というのは新しい話ではありません。『ビートルズの謎 (講談社現代新書)』で噂の検証がなされている他、曲を特定しているこんなウェブページもあります:

ビートルズ、ポリドール・レコーディングの真実(その4)
http://ameblo.jp/74strat/entry-11189101896.html

   

 さて、今回紹介したい新説も影武者に関するものです。エド・サリヴァン・ショウでギターをオーバーダブした人がいたのです。ショウのハウスバンドのメンバーとしてギターを弾いていたハイ・ホワイトという人物が、録音に問題があったトラックに、後からギターを被せたのだそうです。しかも、その人物、フランク・シナトラのバンドに参加し、ギター教本を執筆し、ポール・サイモンに教えたことのあるギターの先生でもありました。

ハイ・ホワイトのバイオグラフィー
http://www.allmusic.com/artist/hy-white-mn0001736867/biography
http://www.classicjazzguitar.com/artists/artists_page.jsp?artist=39

   







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5人目のビートルズだった(?)私のお爺ちゃん

文:エリカ・エイブラムズ


 多くの人がビートルズにまつわる物語を持っており、私の家族も例外ではありません。でも、今回、私がこの話を皆さんにお話ししたいと思ったのは、単なる逸話だけでは終わらない裏の事情が存在するからです。ビートルズの歴史の誰も知らない断片かもしれません。

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ハイ・ホワイトとフランク・シナトラ


 私のお爺ちゃん、ハイ・ホワイトはプロのギタリストで、そのキャリアの始まりはウディー・ハーマン・オーケストラでしたが、1944年にハーマンのものと去った後は、フランク・シナトラやドリス・デイ、ダニー・ケイらのバンドに参加しました。ハイはその時代において最も有名なギター講師でもあり、数々の教則本を著しただけでなく、ポール・サイモンやカーリー・サイモンにギターの手ほどきをしました。ビンキー・フィリップスもハフィントン・ポストでこう書いています:「1960〜70年代のニューヨークでは、しかるべき人の前でハイ・ホワイトの名前を出すと、皆、ハッとなった。ホワイト先生は、テニスでいうとウィリアム姉妹のトレーニングを担当していたコーチみたいな存在で、ニューヨーク・シティーではジャズ・ギターの密かな導師グルだったんだ」 ね、粋なことが書いてあるでしょ。
 ハイのキャリアについて話すとなるとキリがありません。恐らく、本が書けてしまうでしょう。でも、私が特にワクワクした話がひとつあります。お爺ちゃんが一番長くやった仕事のひとつが、エド・サリヴァンのハウス・バンド、レイ・ブロック・オーケストラです。期間は1950年代半ばから1960年代半ばまでです。お爺ちゃんにとっては、これは大した仕事ではありませんでした。たいてい、出演者に必要な伴奏をすることだけでしたから。





 ハイはオーケストラのメンバーとして、1964年2月9日の放送に呼ばれました。『オリヴァー』のパフォーマンスの際にオーケストラで伴奏し、テッシー・オーシェイがボディがフライパンのバンジョーを持って演奏している真似をしている時に、それに合わせてバンジョーでソロを弾きました。そうです。ビートルズがあの歴史的パフォーマンスを行なった時にも、お爺ちゃんは居合わせていました。将来出演する時の演奏を前もって収録した際にもです(結局、3回目として使用されました)。ハイ本人はビートルズのことは聞いたこともありませんでしたが、息子(つまり私のパパ。当時16歳)は大ファンでした。その日はスタジオに家族を連れて行くことが許可されなかったものの、サインだけはもらってきました:

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 お爺ちゃんがこのグループに大して関心がなかったのは明らかです。サインしてもらったのが紙くず。しかも、鉛筆を渡してサインをお願いしてるんですから。鉛筆よ! ビートルズのメンバーは、その時、大変な量のサインを書いていたようで、ジョンのサインは最後まで書いてありません。
 でも、今となって最も興味深いのが、サインに使用された紙くずです。裏返してみたら、2月9日のショウのリハーサルの進行表だったのです:

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 あれから長い年月を経ているので、かなり痛んでしまっていますが、裏を見るととても面白いです。日付、それぞれの出演者の呼び出し時間、楽屋が書いてあります。これが上部をアップしたものです:

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 ビートルズの呼び出し時間は午前9:30と書いてありますが、楽屋の部屋番号は残念ながら損傷が激しくて判りません:

beatle-autograph-back-3-copy.jpg


 下のほうには、他の出演者に関する情報が書かれています。デイヴィー・ジョーンズ(!!)の名前もあります。彼は『オリヴァー』のキャストのひとりでした。長い時間が経ったおかげで、このサインの金銭的価値はなくなってしまいましたが、そこにいた人間にとっては歴史の一瞬を写した金銭にはかえられない貴重なスナップショットです。

 でも、ちょっと待って。話はこれで終わりではありません!

 お爺ちゃんはビートルズの話の第2部も語ってくれました。少なくとも1曲で、ギターの一部をオーバーダブしたというのです。ハイ・ホワイトは2011年に亡くなりましたが、我が家には、お爺ちゃんがこの件を語るビデオが存在するのです(家族写真から始まるのは追悼ビデオだからです)。



 細かいことはわかりませんが、私は、お爺ちゃんがオーバーダブしたのは3回目のパフォーマンスでのリード・ギターではないかと思っています。音響エンジニアが3回目のショウ用の素材を見たところ、マイクにトラブルがあったので、ハウス・ギタリスト、つまり私のお爺ちゃんにジョージのフレーズをオーバーダブさせたのだと思います。私は昔、ビートルズ研究家のマーク・ルイソンにこの件を質問したのですが、オーバーダブしたバージョンは1964年夏に何度か再放送された際に、どれかひとつで使用されたのではないか、というのが最も可能性が高いシナリオだと思うとの回答でした。しかし、現在では、3回の放送のうちの1つしか残ってないので、オーバーダブが実際に放送されたという確証はありません。
 裏付けとなるようなものは何もないのですが、私はそれでもお爺ちゃんの話は本当だと思っています。まず、自慢したり、話を盛って大袈裟に語ったりするような性格ではなかったからです。実際、追悼ビデオを作る際にお爺ちゃんが抱えていた記録を見つけるまで、私は彼のキャリアがいかほどのものだったのか知らなかったほどです。
 第2に、お爺ちゃんにとってはビートルズなどどうでもよかったので(鉛筆で書いてもらったサインをご覧になった時点で、はっきりそうわかったと思います)、話をでっちあげる理由などないのです。3番目に、95歳で亡くなるまでずっと、お爺ちゃんは頭の切れる人でした。このインタビューを撮影したのは、お爺ちゃんが88歳の時でした。記憶の中で他のバンドとごっちゃになってたとは思いません。
 この話は、ビートルズの歴史の中の、永遠に謎のままの断片なのでしょうか? 本当に起こった事実なのでしょうか? 私にはわかりません。しかし、これだけは言えます。「ビートルズの5人目のメンバー」の話は数あれど、お爺ちゃんの話が私の一番のお気に入りです。

Copyrighted article "My grandfather, a "5th Beatle" (maybe)" by Erika Abrams
http://andwelovethem.com/my-grandfather-the-5th-beatle-maybe/
"My Grandfather Overdubbed the Beatles on 'Ed Sullivan'" (repost)
http://www.rebeatmag.com/my-grandfather-overdubbed-the-beatles-on-ed-sullivan/
Reprinted by permission
posted by Saved at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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