2015年07月20日

グレイトフル・デッド FARE THEE WELL・WE ARE EVERYWHERE編

 フェア・ジー・ウェル(さよなら)公演という祭りが終わって2週間以上が過ぎた現在、我々は今度はグレイトフル・デッドやデッドヘッズ現象について、もう一度じっくり考える局面に来ているようです。
 一緒にチームを組んでメールオーダーとチケットマスターでグレイトフル・デッドのシカゴ公演のチケットをゲットしようとして取れなかった我々4人のうち、私は間もなくボブ・ディランつながりの友人のおかげでどうにかチケットを確保し(現物を手にしたのはショウ前日だったのでヒヤヒヤ)、ひとりは完全に諦めて自宅でネット中継を楽しむことに(テレビの前が特等席だよ)。しかし、ヘッド度が私の1万倍以上の残りふたり(ひとりは『あまちゃん』に出演)はいても立ってもいられず、無謀なことに、とにかくシカゴに行き、会場でチケットを探すことにしたのです。
 コンサートの規模が大きいほど現地まで行けばどうにかなるものなのですが、それでもなお、今回のようにクレイジーな状態だと、会場から漏れてくる音を聞きながら駐車場で他の負け組連中と一緒に寂しくダンスに興じることになる可能性は決してゼロではありません。彼らと比べたら、私なんか余裕のあるほうでした。
 で、しばらく通信が途絶えて行方不明になってしまった彼らとは、2日目の開演1時間ほど前に会場内で、偶然、会うことが出来ました。会場内ということは、無事、チケットのゲットに成功したということです。その時、ふたりが私に見せてくれたのがこのボードです。

kiseki.jpg

 話によると、彼らの友人(日本人)がこの看板を持っていたら比較的簡単にチケットを入手することが出来、もう必要なくなったので、ふたりに譲ってくれたとのこと。この看板にはミラクル・チケットを呼び寄せる魔法のパワーがあり、ふたりもその後、無事チケットをゲット出来たそうですが、東洋人の男女が漢字の書いてあるボードを持ってるのがエキゾチックでもの珍しかったのか、たくさんの見ず知らずの人から励ましの声をかけられ、写真もたくさん撮られたそうです。
 帰国後、私がFacebookのデッドヘッズ交流ページに上の写真を載せ、「このボードを持った日本人男女を写真に撮った方いませんか」と呼びかけたところ、見かけたよという反応が多数、写真も何枚か出て来ました。24時間も経たないうちに付いた「Liked(イイネ)」は300以上。こいつら、愛されてたようです。
 一方、私はというと、見渡す限りワイルド系アメリカ人だらけの中、ひとり静かに自分の席に座っていたのですが、近所の席の人から「キミ、外国から来たの?」と声をかけられない日はありませんでした。その後は「シカゴまで飛行機で15時間の長旅」「メールオーダーではチケット取れず…」「最初に見たショウは1991年6月14日ワシントンDCのRFKスタジアム」「東京のソニー・スタジオでミッキー・ハートに会った」「7月4日は何の日か知っている。アメリカ独立のいきさつは歴史の授業で勉強した」等の世間話です(さらにその後、アレが回って来るのはデッドのコンサートではお約束。副流煙だけでかなりイッちゃう体質なので、親切な申し出を断るのが大変)。日本人ばっかりの東京ドームにコンサートを見に行っても、誰とも一言も口をきかず帰宅するケースが殆どなのと比較すると、何てフレンドリーな歓迎ぶりでしょう。
 ファンでさえもグレイトフル・デッドは人気がアメリカ限定で、ビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンと比べてグローバルな魅力に欠けることを認めてしまうのは自虐的ジョークだとしても、現実問題として、アメリカ以外に住んでる人にとっては「コンサートを見たきゃアメリカまで来い」という敷居の高いバンドです。かといって、ファンにはよそから来た者を邪魔扱いするような様子はこれっぽっちもありません。むしろ反対です。ショウを初体験して以来ずっと、本場アメリカのデッドヘッズが私のような人間をどう見ているのかずっと疑問だったのですが、ひとつの答えというか見解が書いてある記事(ちょっと情緒的)を見つけたので紹介します。「ディアスポラ」だというのです。自分に対してこの言葉が使われるとは夢にも思っていませんでした。この文を書いた人は私がFacebookに載せた「奇跡」ボードの写真や、コメントに添付されていた日本のバンドの動画を見て刺激されて、自分の意見を書きたくなったようです。彼のデッド史観も独特で面白いです。

   





オレたちはいたるところにいる:
デッドヘッド・ディアスポラに関する考察

文:ラッセル・S・グロワッツ


 WordPressがブロガーに提供しているツールによって、私が長年抱いてた疑問は確信へと変った。恐らく、多くの人が同じ疑問を抱いていると思う。WE ARE EVERYWHERE(オレたちはいたるところにいる)って本当なのか?ということだ。
 グレイトフル・デッドは超アメリカンなバンドだ。メンバー、ソングライター、音楽、歌詞、過去に行なったコンサート等、あらゆることからアメリカ的なるものが滲み出ている。しかも、アメリカ、カナダ以外の地域では殆どツアーを行なってないことから、デッドヘッズの殆どはアメリカ人だ。しかし、北アメリカ以外の地域にも、熱心なデッドヘッド・ディアスポラが存在するのだ。彼らはグレイトフル・デッドの歌や超越的なジャム、グレイトフル・デッド現象から得られる理想や精神性を理解することによって、バンドやコミュニティーと密に繋がっている。
 ところで、ディアスポラとは、共通の文化的アイデンティティーを持っているのに、何らかの理由で、先祖が暮らしていた故郷から遠く離れたところで住んでいる人々のことだ。ユダヤ人が世界に散らばるディアスポラ・コミュニティーになったのは、ユダ王国(現在のイスラエル)から人々がバビロンに連れ去られ、捕囚状態に置かれたことから始まる。戦争で疲弊した国を逃れて難民になった多くの人々も、ディアスポラを形成している。ウガンダ人ディアスポラがその例だ。1950年代後半に中国がチベットを占領し、ダライ・ラマ14世がその圧政から逃れるために、多くの信徒と一緒に故郷の地を離れて巡礼を行なった際には、チベット人ディアスポラが出現した。もちろん、デッドヘッズである我々の状況は少し違う。我々自身、故国を追われたわけではないし、遺伝子上の祖先もそうではないのだが(あなたが別のディスポラ・コミュニティーに属していなければ、の話だが)、1967年の「サマー・オブ・ラヴ」の間に流入した野心に燃えた「ヒッピー」たちをヘイト地区のシーンが支えきれなくなった時に、グレイトフル・デッドのメンバーとその大家族は故郷から追放されたのだ、というのが私の持論だ。もはや存在しないものなのだが、1960年代半ばのヘイト地区は、多くのデッドヘッズが現在でも大切にしているユートピア的な理想を具現化していた。デッドヘッズとして、ここは私達の先祖が暮らしていた故郷の地なのだ。
 ヘイト・アシュベリーのシーンが衰退してしまったことや、サンフランシスコ周辺エリアやアメリカ全体でバンドの人気が高まったことに促されて、グレイトフル・デッドは初の州外ツアーを行なった。バンド初の東海岸ツアーは1967年夏に行なわれ、ニューヨーク・シティーで1回プレイした後、ロングアイランド島の東部にあるSUNYストーニー・ブルックのキャンパスでもコンサートを行なった。 そして、この時のコンサートを見てデッドの音楽を気に入った進取の気性に富んだ人々が、その後何年間も、ロング・アイランドやニューヨーク・エリアで行なわれるデッドのコンサートのプロモートを行なった。その結果誕生したのが、ニューヨークのデッドヘッズからなる最初のディアスポラ・コミュニティーだ。ニューヨークのデッドヘッズ・コミュニティーは、今でもなお、デッドヘッズ・ディアスポラの重要な一部である。その証拠に、フィル・レッシュはツアー活動からは引退しても、ニューヨーク州ポートチェスターのキャピトル・シアター(FTW公演のプロモーター、ピーター・シャピロがしばらく前にこの会場を買い取って改装・再開した)には何度も出演している。この経緯に関するもっと詳しいことは、私が前に書いた文にあるので、そちらをお読みいただきたい。デッドが北アメリカをツアーした際、ニューヨークで起こったことが、他の地域にも飛び火し、私がグレイトフル・デッド・ディスポラと名付けた現象は、1970年代後半には完全に出来あがり、アメリカ中のデッドヘッズがバンドやその理念に共感するようになった。
 グレイトフル・デッドは結成から解散までにわずか数回しか国外ツアーを行なっていないので、コンサート活動によって全世界にファンを増やすことは不可能だった。にもかかわらず、テーパー・ネットワークが出来上がり、スタジオ・アルバムが発売され、デッドヘッズが真っ先にインターネットを使い出したことで、北アメリカ以外の地域にも健康的なGDコミュニティーが存在する。多くは国外で暮らしているアメリカ人だが、そうでない人もたくさんいると思われる。ここで、ひとつの国を例として挙げよう。第2次世界大戦後にアメリカが占領し、現在でも米軍基地が存在するために、アメリカの音楽が愛好されているその国は、私の統計でも偶然、(カナダを除くと)アメリカ国外で最大のデッドヘッズ・ディスポラのある国であった。
 日本に関連した3つの写真を載せておく。
A:シカゴで行なわれたフェア・ジー・ウェル・コンサートでミラクル・チケットを求めていた2人の日本人デッドヘッズが掲げていたボード。

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(提供:Nanazo)

B:日本人デッドヘッドMiki Saitoが制作したポスター

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C:Miki Saitoがバンドに送った手紙

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(引用元:Saito, Miki "Japan Deadheads poster with letter," Grateful Dead Archive Online, accessed July 10, 2015, http://www.gdao.org/items/show/825781

 日本のデッドヘッド・コミュニティーが活況を呈していることを示しているのが、ジョー・ラッソが日本におけるグレイトフル・デッド・カバー・バンドの老舗、東京ウォーロックスと2014年に共演している動画だ。Jambands.comには記事も載っている。私も東京に行くことがあったら、絶対にこのグループをチェックするだろう。彼らは音楽のバイブレーションを的確に捕らえ、超イカした即興ジャムを行なう力を有している。



 さて、このブログ記事に関して以下の話をするのは、自慢するためではない。世界中にデッドヘッズが存在するという決定的な証拠を示すためだ。WordPressはブロガーに対して、自分のページがどこの人に閲覧されているのかを教えてくれるのだが、私が確認したのは南極を除く、地球上のあらゆる大陸に我々デッドヘッズは存在するということだ(その南極にだって、現在、氷の中で越冬中の数百人のうち、デッドヘッズが1人か2人はいるかもしれないことに、私は自分のミラクル・チケットを1枚賭けよう)。ちなみに、デッドヘッズの存在が確認されている国や地域を、当ブログの閲覧回数が多い順に並べるとこうだ:

アメリカ、カナダ、日本、イギリス、イスラエル、ドイツ、ブラジル、オーストラリア、インド、スペイン、イタリア、メキシコ、フランス、ニュージーランド、オランダ、韓国、タイ、スウェーデン、オーストリア、ヴァージン諸島、デンマーク、ノルウェイ、コスタリカ、フィリピン、ベルギー、ポルトガル、ロシア、フィンランド、スイス、香港、スロヴェニア、台湾、シンガポール、ルゼンチン、ルーマニア、コロムビア、ヴェトナム、バハマ諸島、アングィラ島、アラブ首長国連邦、ハイチ、ドミニカ共和国、ニカラグア、エクアドル、プエルトリコ、カンボジア、ヨルダン、ハンガリー、ジャマイカ、ルワンダ、ペルー、チリ、ガーナ、アンドラ、アンチグアバーブーダ、インドネシア、ウルグワイ、グレナダ、フィージー、グアム、カタール、タンザニア、ポーランド、オーランド諸島、ネパール、マレーシア

 それぞれの国や地域のデッドヘッズの数を記すのはやめておこう。私が得た数字は単なるアクセス数であり、人口を表すものとしては科学的正確さに欠けているからだ。しかも、数字は上記の国にデッドヘッズが存在することを示してはいるが、正確に言うと、私のブログを読んだデッドヘッズの数なのだ。もちろん、読んでないデッドヘッズだって存在するだろう。デッドヘッズ・ディアスポラの中には超小規模なセクターもあるだろうが、その存在も、我々がここ、そこ、あらゆるところにいることを立派に証明しているのだ。
 我々はグレイトフル・デッドに基づく共通のアイデンティティーを有する人間からなる、世界中に散らばったコミュニティーなのだ。デッドヘッズ・コミュニティーという総体なのだ。デッドヘッズというサブカルチャー内にも、国や宗教、意見といった多様性は存在する。デッドヘッドが2人いれば、15種類の意見が出てくる。我々はえてして自分の意見を曲げない輩なのだが、意見の相違があるのは、バンドやコミュニティー、共通の歴史、スピリット、理想、そして、一部は我々が作り、発展させ、常に生活の一部であり続けている文化について、確固たる信念を抱いているからこそなのだ。どれだけ熱心なデッドヘッズなのかは人によって差はあるだろうが、我々はひとりひとりがシンボルを共有し、この「自由にグルグル回転している真っ青なボール」の上で決して孤独ではないことを知っているのだ。



Copyright article "We Are Everywhere: Musings on the International Deadhead Diaspora" by Russell S. Glowatz
https://gratefulglobotz.wordpress.com/2015/07/11/we-are-everywhere-musings-on-the-international-deadhead-diaspora/
Reprinted by permission

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(以下、私の雑感)
 デッドヘッズの中には旅好きな人が多く、シカゴで会話を交わした現地のデッドヘッズには日本に来たことのある人も複数いました。そういう彼らの口から共通して発せられたのは「ユーコトピアに行ったことあるよ」「ウォーロックスってバンド、いいね!」という言葉です。ユーコトピアは東京都足立区梅島にあったライブハウス(という理解でいいのかな?)で、1990年代前半にRelix誌でも日本に存在するデッドヘッズ・スポットとして紹介されたところです(今年前半に店仕舞いしたことを伝えると、皆、残念がってました)。拙宅からは行きにくい場所ゆえ、10年以上前に3回ほどしか行ったことありませんが、記憶が正しければ2回目くらいの訪問時に出演していたバンドがウォーロックスだったと思います。日本のデッド・コミュニティーの末席にすらいない私でさえ、グレイトフル・デッドのコンサート会場で現地の人から声をかけられ、受け入れてもらえるほどの素地が出来上がっていたのは、ユーコトピアやウォーロックスをはじめとする諸先輩ヘッズの、長年に渡る地道かつブレない活動があってのことでしょう。太平洋のこっち側にある「ディアスポラ」の存在を知らしめていたのは彼らなのですから。

   
posted by Saved at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | Grateful Dead | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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