2015年09月18日

ポール・マッカートニーの(秘)ユダヤ系人脈史

 去る9月14日はユダヤ人にとっては「ロシュハシャナ」という新年を祝う日だったそうで、ポール・マッカートニーがこんな内容のツイートをしたのは記憶に新しいでしょう。

paulrosh.jpg

 今回紹介する記事(2013年秋発表)は私の中では「トリビア知識系」に属しますが、記事の筆者にとっては自らの出身に関する誇りとか歴史とか、もっと濃厚で重大なニュアンスが含まれています。ただし、ここに書かれていることの中に「秘密」はありません。世間に隠していることを暴露しているわけでもありません。
 この記事を書いたセス・ロゴヴォイは『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』の著者でもあり、ボブ・ディランの作品のあらゆる箇所からユダヤ的な匂いを嗅ぎ取り、ボブは何だかんだ言って結局はユダヤ人なんだという解釈をしている人です。拙ブログでは、以前、イスラエルのサイトに掲載されたこの本の書評を紹介しました。
 セス・ロゴヴォイは「The Rogovoy Report」という自身のウェブサイトでポール・マッカートニーの他、ブルース・スプリングスティーンやエアロスミスのユダヤ系人脈についても書いています。ボスに関する記事は「結構年をとってる人なら、ブルース・スプリングスティーンのキャリアの初期には、このロックンロールの救世主がユダヤ人だと世間一般には思われていた、もしくは、一部の人から、そうであることを密かに望まれていたのを覚えているだろう」なんていう調子です(ボスは母親がイタリア系で父親がオランダ&アイルランド系)。白と黒と黄色くらいしか区別のつかない日本のロック・ファンには出来ない発想です。



ポール・マッカートニーの(秘)ユダヤ系人脈史
文:セス・ロゴヴォイ


 サー・ポール・マッカートニーが新アルバム《NEW》を発表した。オリジナル曲を集めたロック・アルバムとしては、2007年の《メモリー・オルモスト・フル》以来久しぶりの作品だが、ポールが過去50年間に、コラボレーター、ビジネス・パートナー、ガールフレンド、妻としてユダヤ系の人物を好んで選んできたということを考えると、タイトルは「全能」を表すヘブライ語「ヌー」の音訳という意味合いもあるかもしれない。
 ビートルズ風味がさまざまなスタイルで塗{まぶ}されているニュー・アルバムをポールと共同でプロデュースしたのは、ここ10年間におけるポピュラー音楽界で最もホットなプロデューサーのひとり、マーク・ロンソンなのだが、彼はユダヤ系イギリス人の名家(昔はアーロンソンと称していた)の御曹司である。ロンソンがこの仕事を得たのは、2011年の贖罪の日の翌日に行なわれたマッカートニーとナンシー・シュヴェルの結婚式で、DJを担当したことがきっかけだった。
 この祝日に花婿と花嫁は、マッカートニーの自宅の近所にあり、ビートルズの作品の殆どがレコーディングされたアビイ・ロード・スタジオにも近い、リベラル・ジューイッシュ・シナゴーグで式を挙げた。結婚当時の報道によると、マッカートニーは新しい妻に合わせてユダヤ教への改宗を考えているらしかったが、今のところ、まだ実際にそうしてはいないようだ。
 しかし、シヴェルはマッカートニーにとって初のユダヤ系夫人ではない。第1号は最初の妻リンダ・イーストマンである。リンダはリー・イーストマンとルイーズ・サラ・リンドナーの娘としてニューヨーク・シティーで誕生し、ニューヨーク州スカースデイルで育った。リーの父親はロシア系ユダヤ人移民レオポルド・ヴェイル・エプステインである。
 リンダ・イーストマンとマッカートニーの娘、ステラ・マッカートニーはファッション・デザイナーになったが、家業を継いだと言ってもいいだろう。リンダの母方の祖父であるマックス・J・リンドナーは、オハイオ州クリーヴランドで最大の女性用衣料品店、ザ・リンドナー・カンパニーの創設者である。リンドナーはクリーヴランドで最も有名な改革派礼拝堂のメンバーで、紳士クラブの会長を務め、ユダヤ系市民のための福祉基金や、ユダヤ系のカントリー・クラブで働き、クリーヴランドのユダヤ人コミュニティーの慈善活動の有力メンバーだった。
 マッカートニーは1969年にリンダ・イーストマンと結婚すると、1998年に彼女が乳癌の合併症で亡くなるまで、ロック界のオシドリ夫婦として有名な存在であった。ポールとリンダは音楽活動も共にした。まずは、ポールが羊の角を握ってる写真がジャケットを飾っている《ラム》で、その後は、マッカートニーがビートルズ解散後に結成したグループ、ウィングスのメンバーになった。
 リンダの父親リー・イーストマンは芸能界専門の弁護士で、ビートルズのマネージャーを長年務めていたブライアン・エプステイン(リーの父親もエプステイン姓を名乗っていたが、血の繋がりは全くない)の死去後には、ポールの代理人となった。マッカートニーが自分の義父をマネージャーに推したところ、ローリング・ストーンズの元マネージャーであるアレン・クラインを推すジョン・レノンに反対されたというのは、有名な話である。ビートルズのマネージメントに関する意見の不一致(ユダヤ人法律家vsユダヤ人会計士の戦いだった)は、ビートルズ解散の大きな要因になった。リンダ・イーストマンの兄、ジョン・イーストマンは、後にリー・イーストマンの仕事を引き継ぎ、長年に渡ってマッカートニーのマネージャーを担当した。
 リンダ・イーストマンはマッカートニーが恋人とした最初のユダヤ系女性ではなかった。この部門の栄誉を受け取るのはフランシー・シュワルツである。1968年、23歳のシナリオライターだったフランシーは、マッカートニーに自分の作品に興味を持ってもらおうと、故郷のニューヨーク・シティーからロンドンにやって来たのだ。当時、ポールはジェイン・アッシャーと婚約していたが、彼がフランシーと恋仲になったのは《ホワイト・アルバム》制作中のことで、マッカートニー宅で一緒にベッドに入っているところを、インドから秘密裏に帰国して驚かそうと思っていたアッシャーに見つかってしまった、という噂もある。その後、アッシャーは婚約を破棄。マッカートニーは間もなくシュワルツとも別れ、リンダー・イーストマンとくっついた。
 ビートルズのメンバーの中で、ユダヤ系女性と長年寄り添うオシドリ夫婦となったのは、ポールだけではない。リンゴ・スターと、元ボンド・ガールでプレイボーイ誌のモデルでもあったバーバラ・バック(クイーンズ地区ジャクソン・ハイツ出身で、本名はバーバラ・ゴールドバック)は、つい最近、結婚32周年を迎えたばかりである。
 レノンとマッカートニーは史上最大の作曲コンビだろう。少なくとも書類上は。つまり、「レノン=マッカートニー」とクレジットされている曲であっても、たいていの場合、それぞれ別々に書いていたものであることが、現在では知られている。ふたりにはさまざまな相違点があったのだ。レノンが最初の妻と幼い息子ジュリアンをぞんざいに扱うのを、マッカートニーは苦々しく思っており、レノンがヨーコ・オノとくっつくやいなや殆ど見捨てられてしまった状態のジュリアンを励まそうと、曲を書いたこともある。彼がジュリアン・レノンのために書いた「ヘイ・ジュールス」は、後に〈ヘイ・ジュード〉になった(ジュリアンは実の父親よりもマッカートニーに親近感を抱いていたそうだ)。史上最も人気の高いロック・バラードはこうして誕生したのだ。
 「ショウビジネスはユダヤ人の宗教の延長だ」とレノンは語ったことがあるが、実際にそういう生き方をしているのは、民間レベルでのボイコットを無視してイスラエルでコンサートを行なった数少ないイギリス人ミュージシャンのひとりであるマッカートニーのほうだ。

Copyrighted article "Secret History of Paul McCartney, the Jewish Beatle - Why Macca Is Like Fab Four Member of Tribe"by Seth Rogovoy
http://forward.com/articles/186536/secret-history-of-paul-mccartney-the-jewish-beatle/
Reprinted by permision

   
posted by Saved at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック