2015年09月25日

フォーレスト・ヒルズ公演を見た

 先日は1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルを取り上げた本『Dylan Goes Electric』の著者インタビューを紹介しましたが、聞き手のピーター・ストーン・ブラウンはニューポートの約1カ月後に行なわれたフォーレスト・ヒルズ・テニス・スタジアム公演を実際に見に行っており、今回は彼にその時の思い出を語ってもらいます。この記事は今から10年前にピーターのウェブページで発表されました。
 この時、ベーシストとしてステージに立っていたハーヴィー・ブルックスの思い出話も、まだ読んでない方はこちらでどうぞ。



フォーレスト・ヒルズ公演を見た
文:ピーター・ストーン・ブラウン


 40年前の今日(1965年8月28日)、私はニューヨーク・シティーのユニオン・スクエアで、キャンプ帰りのバスから降りて、父親にダッフルバッグを渡すと、他の子供たちと一緒にクイーンズのフォーレスト・ヒルズに向かう地下鉄に飛び乗った。これが私にとって3回目のボブ・ディランのコンサートだったが、ディランにとってもバンドと一緒に行なう初のスタジアム・コンサートだった。6週間前から〈Like A Rolling Stone〉は常にラジオから流れ、いくつかのAMラジオ局ではチャートのトップ4まで上昇していた。ショウの2日ほど前、ニューヨーク・タイムズ紙にロバート・シェルトンによる一風変わったインタビューが掲載され、そこでディランは緑色の置き時計と紫色の彫像を理解することについて語っていた。
 スタジアムの外で入場列に並んでいると、バンドがサウンドチェックをするのが聞こえてきた。ギター、ドラム、オルガンがスタジアムの壁を超えて、ごちゃまぜの固まりとなって漂ってきた。数日後に《Highway 61 Revisited》が発売された時、聞こえてきた曲のひとつが〈It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train to Cry〉だと判明した。
 スタジアム内部では、ステージはフィールド上の、スタンド席からはずっと離れたとこにあった。夜になると気温が下がり、スタジアムはまるで風のトンネルのようになった。 以前に2度見たディランのコンサートとの大きな相違点の1つ目は、ショウ開始前にディスクジョッキーがディランを紹介するために出てきたことだ。他のショウでは「禁煙」のアナウンスはあったかもしれないが、何の紹介もなくディランが登場して、〈The Times They Are A-Changin'〉を歌い始めた。
 最初にしゃべったDJはジェリー・ホワイトだった。彼はWJRZで毎晩フォーク番組を放送していて、5カ月前にはニューヨーク・シティーで初めて〈Subterranean Homesick Blues〉をかけた。ホワイトが紹介したのはマレー・ザ・Kだった。彼は「ビートルズ5人目のメンバー」を自称し、ホワイトもそう紹介した。マレーは長年、ブルックリン・パラマウント・シアターでロックンロール・ショウを開催しており、2年後にはザ・フーと(私の記憶が正しければ)クリームのアメリカ初公演を実現させた。彼には独特のしゃべり方があり、単語の中にはしばしば「eaz(イーズ)」が入り込み、「baby(ベイビー)」と言う場合、「beazaby(ビーゼイビー)」になった。マレーは大きなブーイングを受け、「これはロックではありません。フォークでもありません。ディランという新しい音楽です」「ボビーは現在、大ブレイク中です」と言ったが、事態が悪化しただけだった。ホワイトは観客を落ち着かせようとして、マイクを取るなり言った。「ボブ・ディランはあたたかく迎えましょう」

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 その後間もなく、ディランはアコースティック・ギターとハーモニカ・ホルダーを抱えてひとりで登場した。スーツを身につけ、髪を風にワイルドになびかせながら、〈She Belongs To Me〉を歌い始めた。ハープ・ソロの時には、ディランは演奏しながらステージの端まで歩き、報道用カメラクルーのためにポーズを取った。
 続けてディランは〈To Ramona〉〈Gates of Eden〉〈Love Minus Zero〉を歌った後、 「次の曲は〈Desolation Row〉です」と言い、アルバム・バージョンには出てこない人物が登場する歌詞を披露した。これは以前には全く存在していなかった類の歌だった。ディランが完璧なタイミングで歌い、「片方の手は綱渡り芸人に縛りつけられ、もう片方の手はズボンの中に入れている」とった一節ではオーディエンスの間で爆笑が起こった。〈Mr. Tambourine Man〉で前半は終了した。
 約15分後、ホワイトが再び登場すると、今度はゲイリー・スティーヴンスを紹介した。スティーヴンスはWMCAのトップ・ディスク・ジョッキーなのだが、恐らくマレー・ザ・Kが歓迎されてないのを見ていたのだろう、さっさとディランを紹介した。
 ディランが登場した。4人のミュージシャン(後になってロビー・ロバートソン、リヴォン・ヘルム、アル・クーパー、ハーヴィー・ブルックスと判明)を引き連れて。彼らが大音量で〈Tombstone Blues〉を始めると、修羅場も始まったのだが、第3ヴァースになると群衆は静かになっていた。しかし、緊張状態は続き、曲のエンディングでは、反応は拍手喝采とブーイングにはっきりと2分されていた。
 次にディランは最もロック志向を表明した曲を開始した。 《Another Side of Bob Dylan》収録曲〈I Don't Believe You〉を「ロック・バージョン」で演奏したのだ。観客は曲の最中は静かにしていたが、最後は再び歓声とブーイングに分かれ、その大部分が「ディランを聞きたい!」と合唱した。ディランがそれに答えて「オゥ、カモ〜ン」と言うと、笑いが起こり、次に〈From A Buick Six〉を演奏した。ブーイングはやや少なくなった。ディランは続いて〈Just Like Tom Thumb's Blues〉を歌った。エレクトリック・セット中、私が初めて気に入ったのがこの曲だったのだが、最後から2番目のヴァースの最中に、突然、大勢のガキが(全員男)スタンド席を離れて、フィールドを走り、ステージに向かって突進してきた。彼らは警官に追いかけられながら、ミュージシャンの周囲を走り回った。以前見に行ったいかなるコンサートでも、こんなことは起こらなかった。
 〈Maggie's Farm〉が始まると少し拍手が起こったが、「ありのままの自分になろうと最善を尽くす」という箇所では、客席は再び歓声とブーイングで沸いた。次の〈It Ain't Me Babe〉では、最初のラインで拍手が起こり、最初のコーラスでは観客の半分が一緒に「ノー・ノー・ノー」と叫んだ。この後も、コーラスに差しかかるたびにこうなった、。
 ディランが観客を制圧し始めたかに思えた時、ガキどもの第2波がステージに向かって突進し、警官と追いかけっこになった。
 ディランはギターを置いて、ピアノのところに座り、ステージで演奏するのは初めての曲〈Ballad Of A Thin Man〉を歌い始めた(この時点では、「ミスター・ジョーンズ」がタイトルだと思っていたが…)。生まれて初めてこの曲を聞いた効果は驚きを超えており、この超ピリピリした雰囲気にピッタリのナンバーのように感じられた。そして、最後に〈Like A Rolling Stone〉が演奏され、観客の反応が分かれたままショウは終了した。アンコールはなく、私達は少し茫然とした状態で、肌寒い8月の夜の中に追い出された。暴動はかろうじて回避されたかと思いながら。
 数日後、ホームタウンのメインストリートを兄と歩いている時、私は通りの向こう側にあるレコード店のウィンドウを見て言った。「ねえ、ディランのニュー・アルバムみたいだよ」 私達はチェックするために通りを渡った。《Highway 61 Revisited》があった。その日の予定は全て、ただちにキャンセル。私達はアルバムを買って帰り、数日前の晩に聞いたばかりの新曲のタイトルを調べた。以後、全てが変わった。

Copyrighted article "Concert Review: Bob Dylan live at Forest Hills" by Peter Stone Brown
http://blog.peterstonebrown.com/bob-dylan-at-forest-hills-40-years-later/
http://gaslightrecords.com/articles/concert-review-bob-dylan-live-at-forest-hills
Reprinted by permission

   

posted by Saved at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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