2015年09月27日

蘇る記憶:1965年10月2日ニューアーク公演

 前回に引き続いてピーター・ストーン・ブラウンが書いた記事を紹介します。1965年8月28日にフォーレスト・ヒルズ公演を見たピーターは、同年10月にはニュージャージー州ニューアーク公演も見ています。
 去る9月24日に《The Bootleg Series Vol.12: The Cutting Edge》が11月にリリースされることが発表されました。今度はCD18枚に1965〜66年のスタジオ・アウトテイクが収録されるそうですが、この時期のボブに関して、当ページではこれまでに以下の記事を掲載しています。アルバムのリリースにともなって驚愕の事実が明らかになるでしょうが、まずはその前に、今の段階でわかっていることをおさらいしておきたいと思います。

トム・ウィルソン・バイオグラフィー
http://heartofmine.seesaa.net/article/407064215.html

7月25日ニューポート・フォーク・フェスティバル
http://heartofmine.seesaa.net/article/426650327.html

8月上旬《Highway 61 Revisited》レコーディング・セッション
http://heartofmine.seesaa.net/article/424996737.html

ハーヴィー・ブルックス(ゴールドスタイン)・インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/383104123.html

アル・クーパーによるマイケル・ブルームフィールド回想
http://heartofmine.seesaa.net/article/390569872.html

8月28日フォーレスト・ヒルズ公演
http://heartofmine.seesaa.net/article/426704120.html
http://heartofmine.seesaa.net/article/425289141.html

9月3日ハリウッド・ボウル公演
http://heartofmine.seesaa.net/article/425289141.html

10月2日ニューアーク公演
今回の記事

1965年10月〜1966年3月《Blonde On Blonde》レコーディング・セッション
http://heartofmine.seesaa.net/article/419290534.html



   




蘇る記憶:1965年10月2日ニューアーク公演
文:ピーター・ストーン・ブラウン


 1965年10月2日、私は自分にとって4度目となるボブ・ディランのコンサートを、ニュージャージー州ニューアークにあるシンフォニー・ホールで見た。このコンサートは、しばらく前に私がBobdylan.com用に書いた記事以外では、殆ど語られることのないものだった。長年の間、写真は全く存在しておらず、テープのほうも、誰かが録音していたかもしれないのだが、未だ発掘されていない。
 昨年、友人がディランがピアノに向かっている写真を見せてくれた。かなり近くから撮影したものなのだが、どこの会場なのかはわからなかった。
 
Symphony-Hall-Newark2.jpg


 ところが数日前に(2014年2月下旬----訳者註)、フェイスブック上のリヴォン・ヘルムのトリビュート・ページに、トム・クロニンが撮影した写真が出現した。「エレクトリック・ダート・ファーマーのボブ・ディラン、リヴォン・ヘルム、ロビー・ロバートソン」と題されたこの写真に、私は衝撃を受けた。私がこのコンサートを見たのとほぼ同じ位置から撮影したもののようだからだ。私は49年間、このイメージを自分の頭の中に持ち続けてきたが、この写真はそれを現実のものとしてくれた。
 私は14歳だった。このコンサートが行なわれる2年前に、私の一家はニュージャージ北部に引っ越して来た。平日は学校が終わった後に週2日程度、土曜日は毎週朝に仕事を抱えていた私は、ショウ当日、自転車に乗って帰宅するや否や、劇場にチケットがまだあるかどうか問い合わせの電話を入れた。チケットはまだあった。私はバスでニューアークに行った。これは両親にお願いしないで、初めて自分でチケットを買ったコンサートだったと思う。私は1カ月と少し前にフォーレスト・ヒルズでもディランを見ていたので、両親にチケットをおねだりしたところで、「見たばかりでしょ」と言われるのがオチだと思ったのだ。私は「ステージ・サイト」と書いてある4ドル(もしかしたら、それ以下)のチケットを買った。当時は、観客がステージ上の席に座ることは珍しいことではなく、私は自分の席もそこだろうと思っていた。
 ショウまでまだ数時間あったので、私はいったん帰宅しようとバスに乗ったのだが、席に座るやいなや、キャデラックのリムジンがバスとは反対方向に、劇場に向かって走るのが見えた。窓から外を見ると、キャディラックの後ろのガラスを通してたくさんの髪の毛が見えた。しかし、私にはもう1回余計にバスに乗れるほどお金は残っていなかった。
 その晩、シンフォニー・ホールに戻ると、ハイスクールの同じクラスの連中と出くわした。当時の様子がどうだったのかを説明すると、私は髪が長く、詩を読んだり書いたりし、ヴェトナム戦争反対バッジを付け、フォーク・ソングを歌っているような生徒で、そのおかげでいろいろと嫌な思いをしていた。しかも、ディランは町中どこへ行ってもかなり軽蔑されていた。私が暮らしていた町は、ロリー・ワイアットの町でもあった。こいつは〈Blowin' In The Wind〉を書いたのは自分だと主張した人物だ。後に、彼はこの発言を取り消したが、どんなにたくさんの証拠があろうとも(しかも、当時より今のほうがたくさんの証拠が存在する)、この町の住民はワイアットこそ本当の作曲者であると信じ続けていたのだ。コンサート会場のロビーで学校のクラスメート3人と会った時、私の反応は「こんなところで敵を発見!」だった。彼らは皆、ジャケットにネクタイという格好をしていた。当時はそれがコンサートに行く時の標準的な服装であり、私はというと不格好なスポーツ・ジャケットとジーンズという格好だったのだ。連中から「お前、ここで何やってるんだ?」と言われた時には、笑ってしまいそうになった。というのも、私は2年ほど前に、この会場がザ・モスクと呼ばれていた頃に、まさにここで自分にとって初となるディランのコンサートを見ているからだ。私は答えた:「お前らがここで何をしているかのほうが疑問だよ」 もちろん、私には答えはわかっていた。ディランには〈Like A Rolling Stone〉〈Positively 4th Street〉という2つのヒット・シングルがあり、コンサート開催時に、後者がまだチャートの上位にとどまっていたからだ。
 私はその場を離れて、自分の席を探した。ステージ上に案内されると予想していたのだが、私はオーディトリアムの前のほうに連れていかれた。ずっと前にだ。いつもの備え付けの座席の前に折り畳み椅子の席が2列出来ていて、私の席は1列目だった。マジかよ!?
 ステージの左右の壁の前には警備員が立っていた。フォーレスト・ヒルズではエレクトリック・セットの間にステージ・ラッシュ発生して、たくさんのガキどもがステージ上にあがり、警官との追いかけっこが始まったからだろう。
 オープニングのアコースティック・セットはフォーレスト・ヒルズと全く同じであり、〈She Belongs To Me〉で始まって〈Mr. Tambourine Man〉で終了した。3番目の歌〈Gates of Eden〉では、ディランは咳き込んでしまい、終了後に警備員がコップに入った水を持って来た。ディランは言った。「すいません。たった今、癩病は治りました」 演奏中のディランを見ていると、髪こそ長くなっているが、《The Times They Are A-Changin'》のジャケットのようなストイックな顔をしていた。
 休み時間の後、バンドと一緒に登場すると、バンド・メンバーのルックスとディランのルックスは際だったコントラストを示していた。バンド・メンバーはスーツにネクタイという格好で、髪はとても短かった(ツアーが続けば伸びるかもしれないが…)。私は彼らが何者なのか見当もつかなかったし、ディランからの紹介もなかった。フォーレスト・ヒルズでは、観客はステージから遠く離れたところにいたので、双眼鏡を持ってない限り(私は持ってなかった)、誰がどういう姿のか見るのは極めて困難だった。ショウからそんなに時間が経過してない頃、友人が前日の晩のカーネギー・ホール公演のプログラムを見せてくれた。それにはレヴォン&ザ・ホークスというバンド名の下にミュージシャン名が記されていた。リヴォン・ヘルムとロビー・ロバートソンはフォーレスト・ヒルズでも見たような気がした。そういえば、ふたりはオルガン・プレイヤーのガース・ハドソンと一緒にブルース・シンガー、ジョン・ハモンドのアルバム《So Many Roads》に参加していたっけ。

Symphony-Hall-2c.jpg


 巨大なフェンダー・アンプがステージにズラリと並んでいた。1曲目は〈Tombstone Blues〉だったが、生まれてこのかた、こんな大きい音は聞いたことがなかった。ディランがリズム・ギターに徹し、ヘルムがドラム、リック・ダンコがベースだったので、残りのミュージシャン----ピアノのリチャード・マニュエル、オルガンのハドソン、ロビー・ロバートソンは、ショウの間中ずっと、ある種の自由を持っているようだった。
 まだセットの前半だというのに、ディランがファースト・アルバムに入ってた曲〈Baby Let Me Follow You Down〉を歌い出した時、私は早くも驚愕してしまった。私は信じられない面持ちで、ディランの様子を夢中で眺めていた。こうしたサプライズがもっと頻繁に起こり、それがディランを見に行く主な理由のひとつになるのは(何年間も演奏してない、もしくは全く演奏したことのない曲を、ディランがいつ引っ張り出してくるのかは、誰にも予想出来ない)、まだずっと先のことだ。
 フォーレスト・ヒルズやこのツアーの後の公演、翌年のワールド・ツアーとは違って、ブーイングは全くなかった。これもまたフォーレスト・ヒルズとは違っていたのだが、シンフォニー・ホールではアンコールに応えて〈Positively Fourth Street〉を演奏したのだ。

Symphony-Hall-2b.jpg


 このショウの後の数カ月間、私はあの音をもう1度聞きたくて仕方なかった。翌年6月にシングル〈I Want You〉がリリースされ、裏面にはわずか数週間前にリヴァプールでレコーディングされた〈Just Like Tom Thumb's Blues〉のライヴ・バージョンが収録されていた。私は毎日数回は大ボリュームでそれを再生した。ロイヤル・アルバート・ホールのブートレッグが出たのは、少なくとも4年は先だった。
 再びボブ・ディランを見る機会が1974年1月まで、8年以上ないなんて、あの頃には知る由もなかった。数年間、私はリヴォン&ザ・ホークスの消息が気になっており、3年後に《Music From Big Pink》がリリースされた時は、試し聴きもせずに買った。その1年後にザ・バンドがフィルモア・イーストでニューヨーク・デビュー公演を行なった時にも、私は見に行ったのだが、自分がその数カ月後に彼らのコンサートのバックステージにいようとは、知る由もなかった。
 数十年後、私はディランのコンサートで運良く前のほうの席になったことがあるし、オールスタンディング形式の時にはステージに張り付いたこともある。あれ以来、100回以上ディランのコンサートを見たことがるが、あの晩、ニューアークで見たショウを超えるものはない。

Copyrighted article "Reviving A Memory" by Peter Stone Brown
http://blog.peterstonebrown.com/reviving-a-memory/
Reprinted by permission
posted by Saved at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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