この映画で面白いのが、スイサイダル・テンデンシーズ〜インフェクシャス・グルーヴズで活躍し、現メタリカのベーシストのロバート・トゥルヒージョ(トゥルヒーヨ?)が制作を担当していることです。私の音楽的興味は狭い範囲で凝り固まってしまっているため、このへんのメタル系とは殆ど接点なく暮らしてきましたが、ロバートの交友関係や音楽に対する造詣の深さが半端でないことにはただただビックリ。
ひとつのインタビューでここまで多岐に渡るジャンルの音楽(ハードコア・メタルからUKポップ、プログレッシヴ・ブルーグラスまで)が話題にされているのは、拙ページでは初めてでしょう。
メタリカのロバート・トゥルヒージョ、ジャコ・パストリアスを語る
聞き手:マイク・ラゴーニャ
[こんなルックスの人が実はジャコの大大大ファン]
● ロバート、あなたが受けた人生初の音楽的衝撃ってジャコ・パストリアスなんだそうですね。
そう。ミュージシャンだったらたいていやってることなんだけど、オレも常に自分のいろんなインスピレーション元からアイデアを引っ張ってきて、大量のそうした影響を合体させて自分の音楽にしようと頑張っている。1979年に初めてジャコを見た時には大感激だった。それで人生が変わって、クリエイティヴな道に進もうと思ったわけさ。
● どの時代のジャコのライヴ・パフォーマンスを初体験したんですか?
ウェザー・リポートにいた時に見たんだよ。1970年代後半にジャコの評判を聞いてはいたんだけど、ウェザー・リポートが来てサンタモニカ・シヴィック・オーディトリアムでコンサートをやったのは、1979年のことだった。当時は、ここがよくコンサートを見に行く地元の会場だった。自転車で行けるっていうのが、サンタモニカ・シヴィック・オーディトリアムのいいところだった。この時は、親父がオレと友人たちを車で送ってくれたんだけどね。ロニー・ジェイムズ・ディオ、ジャン=リュック・ポンティー、ウェザー・リポート、プリテンダーズも見に行ったなあ。あの会場にはいろんなジャンルのミュージシャンがやって来た。しかも、住んでたところの近くにあって、行くのが簡単だった。生活の一部だったね。ジャコはずっと謎の人物だったんだ。今では、インターネットでバンドやミュージシャンのことを調べられるけど、昔はそうはいかなかった。実際に見なければならなかった。まずレコードを買って、それで体験して、その後、運が良ければコンサートを見に行くことが出来たわけさ。良い時代だった。楽しい時代だった。ああいうスタイルの音楽が人気があって、同じ頃、スタンリー・クラークを見ようと思ったんだけど、チケットが売り切れで、会場の中に入ることが出来なかった。グリーク・シアター4公演が売り切れになっちゃって、オレは漏れてくる音を駐車場で聞こうと頑張ったくらいさ。当時は、全て自分の体を使ってやらなければならなかった。
ジャコに注目したのは、観客を手中に収めるのがうまかったからだ。殆どジャコのコンサートみたいになっていた。他のミュージシャンをないがしろにするような行動をしてたってことじゃないよ。ジャコは人の心を掴むのがうまく、それにカッコよかったのさ。「こいつはオレたちと同類だ。長髪で上半身裸だし」みたいな感じだったね。
ジャコが発するエネルギーは、年上の友人や、オレたちが一目を置いていた人たち、ヴェニス・ビーチ・トライブに含まれる人たちを彷彿させた。スケーターやサーファー、ミュージシャンの多くは似たような雰囲気を持っていたが、中でもジャコは独特な存在だった。「あいつ、カッコいいぜ!」 コンサート会場にはいろんなタイプの連中がいた。年上の奴、保守的な奴、パンク・ロッカー、ヘヴィー・メタル系、ジャズ・ファン、ロック・ファンが回りにいた。そういう雰囲気もとても良かったよ。パーティーさ。
● あの当時、ジャコとパット・メセニーは新しいやり方で音楽的冒険を行なっていました。聴衆が彼らに魅了されたのは、自分がどういう音楽を聞いてるのかよく分からなかったからでもあるでしょう。
オレもそう思うね。パットは《Offramp》でそれをやった。ギター/シンセサイザーの領域を探検したんだ。当時はその分野はあまり探検されてなかったから、皆、ポカーンさ。でも、オレはそうならなかった。大好きだった。11年生の時に学校をサボってパーム・スプリングスに行って、プールサイドに大型のラジカセを持ち込んで、パット・メセニーの《Offramp》を聞いたよ。いろんな音楽を聞いてトリップしたなあ。でも、ジャコこそ革新者だと思ったよ。エディー・ヴァン・ヘイレンみたいなね。エディーの最も有名なギター・ソロ曲の〈Eruption〉を初めて聞いた時、凄いんだけど何だかわからなくて戸惑ってしまった。ギターなのかシンセサイザーなのかキーボードなのかわからなかったんだ。エディーはハマリングオンのテクニックを使ってるんだけど、全然違うように聞こえた。それでいて、ヘヴィーでメタルだった。「いったい何の楽器を使ってるんだ?」って思ったよ。
ジャコを聞いた時も同じだった。フレットレス・ベースでゴロゴロ鳴るような超ユニークな音を出していただろ。〈Teen Town〉ていう曲があるけど、基本的にはキック・ドラムとハイハットがリズムを刻んでいて、飾りで少しキーボードとサックスが入るだけで、この曲の大部分はベースが占めてるんだ。これはステートメントだったよ。ベースがメロディーを弾いていて、しかも、ソロでもあるんだから。パワーと激しさを持っていた。オレには超強力な瞬間だったね。その後、〈Portrait Of Tracy〉を聞いた時には、さらにクレイジーになった。ベース・ソロの作品なんだけど、ハーモニクスとメロディーで出来てるんだ。当時は、ハーモニクスっていったら、もっぱら楽器をチューニングをする時に使うものだった。でも、ジャコはそれで曲を作ってしまったんだ。エディー・ヴァン・ヘイレンのギターから受けたのと同じ衝撃をジャコから受けたよ。頭を掻きながら「こいつはどうやってるんだろう?」って悩んだね。何をやってるのかわからないという状態には、いいことがあるんだよ。後になると、それによって特別性が増すのさ。初めてライヴでそれを見る時には、エイリアンか何かに遭遇して「ありゃ何だ? こいつはどこから来たんだ?」って気分になるんだ。
● ジャコはハービー・ハンコックと〈Liberty City〉を録音しましたが、一緒に演奏する人が誰であってもガッチリと手を組み、その人を盛り立てるアレンジを作り出す才能も持っていましたね。
偉大なコラボレーターでもあったね。皆にジャコとわかるような技を駆使しながらも、他のミュージシャンもしっかり立てるやり方で演奏することが出来る人だった。
● でも、ジャコとコラボしたミュージシャンにとっては、笛吹きオジサンについて行くような感じだったのではないでしょうか。ジャコが作ったパートによって曲調が設定され、他のミュージシャンがうまく解釈しながらそれについていってると、ジャコは予想外の音を挿入して、コラボ相手のヴィジョンを補完しました。
コール&レスポンス的なアプローチをしてたんだと思うね。つまりコミューニケーション。特に当時のジャズの世界で行なわれていたようなミュージシャン同士の会話だ。ハービーやジョー・ザヴィヌルがあるフレーズを弾くと、ジャコがそれに合わせて入るとか、そんなことをずっとやってたんだね。柔軟性コンテストというか、互いに人の一枚上をいく競争のようになってた時もあった。ジャコは競争心旺盛だったから。ジャコがベース・プレイヤーとして素晴らしい会話をしていたことは確かだね。そうすることを恐れていなかった。自信は建物の屋根を突き抜けるほどあっただろう。自分が受けたさまざまな影響をベースを通して皆と共有することに誇りを思ってた人だったんだから。ここはヘンドリクスのフレーズ、ここはチャーリー・パーカー。ジェリー・ジェモット等、いろんなヒーローから拝借したファンキーなベース・ラインも聞こえてくる。ジェリーは当時トップのセッション・ベース・プレイヤーで、アリサ・フランクリンやB・B・キング、それこそたくさんの人のセッションに参加していた。ジャコはジェリーのフレーズも拝借している。ジャコの弟が言ってたんだけど、テレビを見ている時でさえもベースを持っていて、テレビから聞こえてくるベース・ラインを拝借していた。いろんなテレビ・コマーシャルからもね。それを〈Slang〉っていうベース・ソロの中に投げ込んでいたらしい。この曲はいつもちょっと違うだろ。ジャコは自分の中にあるもの全部を他のプレイヤーと、それからオーディエンスと共有していたんだ。
● 映画のプロジェクトはどういうふうに始まり、進展していったのですか? ジャコの息子のジョンと作業をしたんですよね?
そう。長い話なので、ショート・バージョンを話そう。ジャコの長男のジョニー・パストリアスに初めて会ったのは、1996年のことだった。スイサイダル・テンデンシーズと、オレのもう1つのバンド、インフェクシャス・グルーヴズのツアー中に、フロリダで共通の友人を介してちょっと話をしたんだよ。インフェクシャス・グルーヴズはもろにジャコの影響を受けているオルタナティヴ・ファンク・バンドで、エピック・レコードからアルバムを3枚出している。ジャコからの影響が主な原動力だったんだけど、あちこちにセックス・ピストルズやメタリカ、スレイヤーの影響もあって、まさにそういうスタイルのミクスチャーで、とても楽しかった。でも、何よりもベースがインフェスシャス・グルーヴズの音楽の創造力の主な源だったんだ。ジョニーはそれがわかっていた。1996年に共通の友人がオレたちを会わせてくれた時には、本当にウマがあったよ。オレがジョニーに言った最初の言葉のひとつが、いつか自分の親父の映画を作る必要があるよ、だった。ジョニーの親父の影響力は巨大かつ広範囲だ。ジャコに心酔しているゴスペルのベース・プレイヤーもいる。ジャコがこの星で最もカッコいいベース・プレイヤーだと思っているヘヴィー・メタルのミュージシャンもいる。ロックの連中だってそう。それこそいろんなタイプのミュージシャンがジョニーの親父をリスペクトしているんだ。「語らなければいけない物語があるだろ」ってオレが言ったら----皆がビックリするような特別なものだからね----ジョニーは「ああ、そうだな。いつかはやるよ」って言っていた。
それからしばらく経って、ジョニーがいろんな人にインタビューを開始したのを知ったんだけど、オレの目には映画が完成しそうにないほどノロノロしてるように見えた。単にオレがそう思ったってだけのことなんだけど、音楽であれ映画であれ、バンドをやってレコードを作ってる友人もいるし、映画を作ってる友人もいるので、事がどういうふうに運ぶのかはわかっている。十中八九、完成には漕ぎ着けないだろうと判断出来る理由がたくさんあったんだ。映画作りは超複雑な作業で、それに一生をかけてる人はたくさんいる。この映画が実現するためには、誰かが制作の管理をしなきゃいけない、少なくとも資金調達等の面で、ということにオレはある時点で気づいたんだ。それで、オレはプロジェクトの資金を調達し、プロデューサーとして制作の管理をすることで、かかわることになったのさ。そしたら、ギアが入ったよ。6年前まではこんな調子だったけど、それ以後はオレがプロジェクトをしっかり管理している。
幸運なことに、素晴らしいスタッフが揃った。このプロジェクトには3人の監督がいたんだけど、1人目の奴は1カ月しか続かず、次のスティーヴン・キジャックは1年かかわってくれた。その後、ここ4年間はポール・マーチャンドが務めている。ポールは編集者でもあって、いつも素晴らしいセグメントを作ってくれた。彼はマッド・サイエンティストみたいな奴なんだ。スクリーンに魔法をもたらしてくれるクリエイティヴなマッド・サイエンティストだ。ジョニーとポールとオレで作業をした時もあれば、オレだけだったこともある。1年半前に、ポールがマーティン・スコセッシと仕事をするんで半年ほどこっちを離れていた間に、オレはそれまでに作ったカットを見直して、メモを取り、インタビューのいくつかを詳しく検証してみた。ブーツィーのインタビューを最初から最後までじっくり見て、貴重な発言を発見した。
こういう映画には長いプロセスが必要だ。1、2年で出来るものじゃない。たくさんの宝物がある。1年ごとにこれでもう終了かと思ったら、別のお宝が出てくる。2年前はジョニ・ミッチェルの協力を得ることが出来た。ジョニは最初の4年間はプロジェクトの中にはいなかったんだけどね。3年前にはジェリー・ジェモットの協力を得ることが出来た。映画制作の前半の期間には関与してなかったんだけどさ。ジェリー・ジェモットとジョニが関与してくれたおかげで、映画の方向性がガラッと変わり、はるかに良いものになった。大きなインパクトがあったね。生きてりゃ、学ぶことが多いよ。人生ってそういうプロセスだろ。
● この映画を作ったことで、ジャコのどんなことを発見しましたか?
皆、それぞれの物語を持ってるということだ。初期段階のうちにわかったのは、全部の話は紹介出来ないということだった。これとは別に9時間の映画になってしまうから。たくさんの人に取材した。知らない人もやって来て、話をしてくれた。悲しい話の時もあれば、超笑える話の時もあった。ジャコは優れたユーモアのセンスの持ち主だったからね。彼のユーモアのセンスについては常に聞かされた。ジャコはよく人にいたずらを仕掛けたんだ。いたずらの王様だった。最も酷い状態だった時でさえも、ジャコはいつも、人を笑顔にしようとしてたんだ。オレが学んだのは、ジャコがもの凄いユーモアのセンスの持ち主で、常に人を幸せにしたがっていたってことだ。
特に昔は、ジャコは家庭を超大切にする人で、子供のためなら何でもやった。年が上の子2人、ジョンとメアリーをよくツアーにも連れていった。ジャコはまた、あらゆるレベルで向こう見ずな男だった。ツアー・バスの屋根の上に立ってサーフィンの真似をしたり、海でボディー・サーフィンをやったり。泳ぐのも超得意で、運動神経抜群だった。映画の中ではそういうシーンも少し入っている。若い時から才能豊かだったことがわかる。でも、ジャコの精神状態についても、たくさん知ることになった。以前と同じ目でホームレスの人を見れなくなってしまったよ。人がホームレスになってしまうのにはたくさんの理由があるってわかったからさ。ドラッグの乱用のようなものだけじゃない。他にもいろいろな理由がある場合がある。ジャコは双極性障害を抱えていて、それで心身を病んじゃったんだ。そんなことも知ったよ。
オレにとって、この映画は興味深い旅だった。自分に影響を与えた超重要な人物についてだけでなく、ジャコが人生で抱えていた問題についても知るに至った。今は1970年代とは状況が違う。昔は双極性障害について知ってる人は少なかったけど、今では薬で治療することが出来るんだ。いくつかの薬を正しい量飲めば、問題なく生活することが出来る。既にたくさんの人がそうしている。ジャコのことについて考えなかったことは一瞬もない。夜中に目が覚めても、考えてしまった。ジャコがそこにいて、何かを話してくれる、オレと何かをわかちあってくれているような感じだったよ。監督のポールもそういう状態だったと思う。何かが起こるのは理由があるからだ。もうやるべきことはやりきったと思う瞬間が何度もあったけど、実際はそうじゃなかった。そうして6年後、特別な映画が出来た。オレは鼻が高いよ。
● ジャコはベース・プレイの歴史にどんな点を加えたと思いますか?
どのスタイルのどのベース・プレイヤーに、ベーシストのトップ5は誰かって訊いても、ジャコは常にその中に入っている。トップ1、トップ2ではなくても、絶対にトップ5には入っている。ゲディー・リーやスティング、ヴィクター・ウッテンといった、オレたちがリスペクトし、高く評価し、大好きなプレイヤーに訊いてみても、ジャコの名前は必ず出て来る。凄いよね。オレにとっては、ジャコはジミ・ヘンドリクスと一緒にトップに位置する。たいていの連中が、ジャコをジミヘンにたとえている。ふたりをツイン・タワーと呼んでる奴もいる。
ジャコのレガシーは、そのうち、作品に焦点を当てて語られることにもなるだろう。ジャコはベースを自分の楽器として使っていたけど、優れた作曲家でもあった。多くの連中が「ジャコはフレットレスのプレイヤーだった」って言ってるけど、フレットレス・ベースだけだったわけじゃない。〈Birdland〉ではフレットレス・ベースを弾いてるが、フレットレスと同じくらいフレット付きのベースも弾いていて、どんな人とも演奏することが出来たんだ。
デヴィッド・ボウイはジャコと仕事をしたかったんだけど、願いは叶わなかった。イアン・ハンターがジャコと作った《All American Alien Boy》に触発されたんだろう。これは名盤だ。〈All American Alien Boy〉というトラックでは、ジャコはギターを弾いている。そして、この曲でロック史上最高のベース・ソロも弾いている。あまり知られてないんだけどさ。メタリカのスタジオで、これからイアン・ハンターに会いに行くんだぜって皆に言ったら----5年前にインタビューした時のことなんだけどさ----「オレもイアン・ハンター大好きだぜ。すげえじゃん。《All American Alien Boy》はいいアルバムだ」なんて言うんで、オレは皆に教えなければならなかった。「ジャコがあのアルバムでプレイしてるの知ってる?」って言うと、「マジ? 知らなかったよ」っていう反応だった。ジャコがあのアルバムに参加してるってことを知らない人もいる。実は、フレディー・マーキュリーとブライアン・メイも参加してて、ロックンロールの有名ミュージシャンのオールスター・キャスト状態なんだよ。ジャコのレガシーは、既に、その現実の大きさ以上に拡大しているのかもしれない。彼はこの世にいた短い間に音楽シーンに大きな衝撃を与え、その大きな部分がジョニ・ミッチェルとのコラボだと思う。《Hejira》は超美しいアルバムだ。ジャコはジョニの音楽のことを大して知らなかったんだけど、誰かとコラボするのが好きだから、「OK。それじゃ、音楽を作ろう!」って感じだったんだ。でも、出来上がったものは、それをはるかに超えてたよね。それが1970年代だった(笑)。
● 今の音楽の中にもジャコの影響は見てとれますか?
面白いことを話そう。1980年代に大ヒットしたポップ・ソングがあった。カジャグーグーってバンドに〈Too Shy〉って曲があっただろ。この曲のイントロはジャコ・パストリアスの影響をモロに受けている。あのバンドのベース・プレイヤーだったニック・ベッグスにもインタビューしたんだ。あれは100%、ジャコの影響が出ている瞬間だと語ってくれた。彼が関与している他のたくさんの曲もそうなんだとか。これは当時、ナンバー1になった曲だ。それから、ポール・ヤングの〈Everytime You Go Away〉も、ジャコの影響だらけの大ヒット曲だ。オレが勝手に言ってるだけなんだけど、デュラン・デュランの〈Rio〉もジャコの影響と思しき瞬間のある曲だ。
● デュラン・デュランの音楽は全体的にジャコに負うところが大きいと思いますよ。
そう! 音を聞くと、誰がプロデュースしていようと、シックやそのベーシスト、バーナード・エドワーズの影響も大きいけどね。1980年代、90年代には、ジャコの影響が垣間見られるちょっとした瞬間がたくさんあるんだ。ジャコにとっては調子が良くはなく、人生でたくさんの問題を抱えていた頃だった。明らかに悲劇的だった。でも、ジャコの音がそこら中から聞こえていたんだよ。だから今、再びジャコを称賛しよう、ジャコを知ろうというのが、オレも最大の主眼なんだ。ジャコ・パストリアスに関する究極の映画を作るとしたら、全92時間のシリーズものになってしまうだろう。ジャコが巻いた種にはたくさんの根っこ付いているので、この映画で出来ることと出来ないことのうまいバランスを見出すのは、難しいことだった。でも、皆の意識を高める、皆にジャコを知ってもらうという点で、1歩は前進したよ。これも言わなきゃいけないことなんだけど、アナログ・レコードで盛り上がる世界的なイベント、インターナショナル・レコード・ストア・デイが、この映画に大きな協力をしてくれているんだ。20代の若い連中がオレのところに来て、「オレはウェザー・リポートとジャコの大ファンだ」と言った。ジョニ・ミッチェルのファンだって奴もいた。音楽におけるああいう時代とその良さを多くの人に知ってもらうのも、この映画の目的のひとつだ。現在、若い人々がアナログ・レコードを買い、それを聞き、それを体験し、ああいう音楽の旅を行ない、昔の音楽を好きになっている。これもまたオレには大切なことなんだ。
● ロバート、新人アーティストにはどんなアドバイスをしますか?
若い人達に言いたい最も大切なことは、楽しもうってことだ。昔の音楽業界では、バンドが数百万ドルのレコーディング契約を獲得すると、もうお祭りだった。「レコード契約を獲ったぞ! レコード契約を獲ったぞ!」って。でも、今はもうそんな時代じゃない。音楽をやって楽しむことが大切なんだ。オレの息子は11歳なんだけど、優秀なベース・プレイヤーで、優秀なソング・ライターなんだぜ。こいつの書くベース・ラインやリフを聞いて、「オレがそれを書きたかったよ〜」と思うこともある。こいつは自分のオリジナルなフレーズを考えてはいるんだけど、ジャコ・パストリアス等のプレイヤーだけでなく、マイルス・デイヴィスやブラック・サバス、レッド・ツエッペリンの影響も受けている。一緒にクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジやトゥールといったバンドを一緒に聞くこともある。息子はスポンジみたいな奴で、ファンクも好きだ。ジェイムズ・ブラウンとかね。11歳のガキなんだけど、いろんなジャンルの音楽漬けになっていて、これはバンドで曲作りをする際には絶対に助けになるだろう。
オレはああいう過去の音楽を聞くことから始めて、それを楽しんで、音楽漬けになり、そういう音楽を持って旅をした。今ではああいう音楽はもう存在しない。人間はもうああいう曲を書かなくなってしまった。ジャズでも同じだ。オレたちの時代を代表する伝説的アーティストが次々に鬼籍に入っている。オレたちは今、そういう人が大量に失われる時代にいる。極めて残念ながら、超重要アーティストが1世代丸ごと失われつつある時代だ。オレたちはルー・リードを失った。B・B・キングを失った。今もそういう事態は進行中だ。こうした巨匠たちにとって、健康は重大な問題になってきている。だから、オレは自分の子供には、まずは音楽を好きになり、次にそれを自分の音楽に取り入れ、クリエイティヴなやり方でそれを讃えてもらいたいと思っている。
だからこそ、楽しむことが一番大切なんだ。金儲けのために音楽なんかやるな。本来すべきことじゃないんだから。楽しめ、 クリエイティヴであれ、昔の音楽を好きになれ。これがいいのさ。音楽界でそういう例をいっぱい見てるしさ。特に具体的な名前は出さないけど、こういう方向で進んで大ブレイクしたバンドはたくさん見ている。オレはモーターヘッドのレミーが好きなんだ。ジョニがクリエイティヴであるのと同じレベルで、レミーもオリジナルな存在だ。どっちも、作ってる音楽は純粋で偽りがない。オレはそういう点をリスペクトするね。現代では、いろんな方向から影響を受け、自分の楽器から離れてしまうこともあるだろう。実際に演奏することから、弦の上に指を置くことから、離れてしまうこともあるだろう。最近では、ボタンを押すだけでグルーヴを作ったり、ドラム・ビートを作ることが出来る。人間はそんなに演奏する必要がないという状況には、不安を感じる。若い人はモーターヘッドのレミーみたいなアーティストを好きになるべきだと思うよ。それから、いろんなスタイルに対してオープンになるべきだ。映画の中でジャコも言っている。音楽は全部好きだって。ジャコはカントリーのバンドでもプレイし、ファンクもR&Bもロックンロールも好きだった。この言葉が全てを語っている。オレが今考えていることと全く同じだからだ。
オレはメタリカでプレイしていて、メタリカの中にいることを楽しんでいる。皆で楽しくやっていて、幸せなので、オレは世界で一番幸運な男だろう。オレたちは、ギターを持ったら再びティーンエイジャーになり、そこから楽しさが生じる。オレたちは自分の音楽を超楽しんでやっている。これが最も重要なことだ。でも、同時に、メタリカで演奏してない時には、別の友人とジャム・セッションをやって、ファンク・ベースを弾いている。オレは音楽を演奏するのが好きなんだ。本物の音楽をね。機械じゃない。 最近、ブルックス・ワッカーマンやアーマンド・サバル=レッコとジャムったんだけど、良いグルーヴを出すことが出来て楽しかった。だから、皆で一緒に演奏して、創造性という波に乗っかって楽しむ体験を大切にしよう。それ以上に素晴らしいことってないんだから。
● あなたは俳優もやってるんですよね。今回の映画の仕事の他にも、ニッケル・クリークの〈Smoothie Song〉のビデオにも登場してました。
ああ。この曲のレコーディングでもプレイしたかったんだけど、スケジュールが合わなかったんだよ。でも、彼らのマネジメントが、スイサイダル・テンデンシーズやインフェクシャス・グルーヴ、メタリカと同じQプライムだってことで、オレにアプローチしてくれたんだ。オレはメタリカのマネジメント・チームとしばらく前からコネがあって、彼らはニッケル・クリークのマネジメントも担当してたんだ。オレはあのアルバムではプレイしてないんだけど、嬉しいことにビデオには招いてもらえたんだ。ビデオ制作には時間がかかり、そういう日は時間が経つのが遅い。オレはその日、ニューヨークに飛んで、連中とつるんでジャムった。その時はアップライト・ベーシは始めたばかりで、まだそんなにいいプレイヤーじゃなかった。今はもう全く弾かなくなっちゃったけど、あの頃はレッスンを受けていたほどだった。あの頃はフラメンコ・ギターもたくさん弾いていた。素晴らしいアコースティック・プレイヤーと一緒に過ごすことが出来て、超楽しい日だったなあ。アコースティック・プレイヤーの名手からなる特別なチームの一員になった気分だったよ。スケジュールが完璧に噛み合ったら、あのアルバムでプレイすることが出来たんだけどなあ。でも、ジャムはやったんだ。ビデオの最後の方では、マイクが生きていて、実際にジャムっている様子が入ってるんだ。曲が終わるのに演奏を続けていたから、最後だけ少し生演奏を使ってるんだ。凄いだろ!
● クリス・シーリーも、ショーンとサラのワトキンス兄妹も素晴らしいですね。
ああ。
● ちょっと変な質問の仕方かもしれませんが、ジャコはあなたの演奏を通して、どんなことをスイサイダル・テンデンシーズやメタリカにもたらしていると思いますか?
全然難しい質問じゃないね。インフェクシャス・グルーヴズについては、さっき言った通り、ジャコが使っていたハーモニクスやスタッカート・アタックを全曲で利用している。オジー・オズボーンをフィーチャーした〈Therapy〉はファースト・アルバムに入ってるんだけど、この曲はジャコから影響を受けまくってるナンバーだ。《Groove Family Cyco》に入ってる〈Violent & Funky〉も100%ジャコだ。他にもそういう曲がある。スイサイダル・テンデンシーズでは、《Lights, Camera, Revolution》の〈You Can't Bring Me Dow〉のイントロではフレットレス・ベースを弾いてるんだ。自分が100%ジャコだと思って弾いている。ジャコをチャネリングしてるんだよ。《The Art Of Rebellion》の〈Asleep At The Wheel〉でもフレットレスを弾いていて、ベース・ソロも入っている。これもジャコをチャネリングしているようなもんだ。実際、誰もジャコにはなれないんだけど、インスピレーションを受けることは可能だろ。
メタリカについては、姿勢や信念がジャコの影響だ。ジャコがいなかったら、オレはステージ上でああいうパフォーマーにはなっていないだろう。ジャコはパフォーマーとしてのオレにもインスピレーションを与えてくれた。〈The Day That Never Comes〉ではフレットレス・ベースこそ弾いてないものの、ジャンプしたりする激しい瞬間がある。ジャコもよくやってただろ。〈Teen Town〉はライヴだとテンポが速くなり、ジャコの発するエネルギーとパルスがもの凄く、パンチが効いてて、スタッカートもキレっキレだ。〈Day That Never Comes〉はメタリカの名曲だと思う。皆もこの曲を気に入ってる。オレがこの曲にこだわるのは、ジャコをチャネリングしていたからだ。ジャコが現れている瞬間がそこかしこにあって、演奏に対する姿勢や切れ味においては常にジャコが存在している。さっき挙げたバンドでも、演奏の中には常にジャコが存在している。若い頃、ジャコ・パストリアスの曲を1音1音学んだわけではない。学ぼうと頑張っていたのはテクニックのほうだ。それがジャコの考えたことだと思う。ジャコが皆にして欲しかったのは、必ずしも自分の曲をコピーすることじゃなくて、彼が提供したツールを使って、オリジナルなものを作り出すことだった。
● スイサイダル・テンデンシーズ、メタリカ、インフェクシャス・グルーヴズをはじめとするあなたのいろいろな音楽プロジェクトで、あなた自身は音楽文化に対してどのようなことを追加しようとしているのですか? あなたは自分のレガシーがどうなって欲しいと思っていますか?
今度は難しい質問だなあ。この質問は誰に訊いても答えるのが難しいと思う。オレはショウや自分のやってること全てに、自分の持ってるものの100%を与えようと努めているんだけど、それを実感するのって、肉体的になんだよね。ベースを持って来て、ステージに立つ。ライヴであれ、スタジオであれ、立ってる時間の90%がこうだ。オレは音楽の体をチャネリングして、それをしっかり抱き、旅に連れてってもらう。音楽はとてもスピリチュアルなものだ。癒しの効果もある。ある意味、サーフィンみたいなものだ。サーフィンは体でやるものだ。波に乗るというのは、リズムに乗るのと同じだ。波はとてもパワフルだったり、美しかったり、やさしかったりする。オレにとっては、音楽がまさにそうなんだ。旅でもある。だから、自分がその一部となり、そのエネルギーを抱くことが出来て、オレはラッキーだと思っている。オレたち全員、自分なりのスタイルを持ってるので、簡単なことではないんだけどね。
オレはベース・プレイヤーと演奏するのが好きなんだ。ベース・プレイヤーとジャムることもある。さっき、アルマンド・サバル=レッコの名前を出したよね。彼はアフリカのカメルーン出身なんだけど、ああいうプレイヤーと演奏するのは大好きだ。新しくてフレッシュなものを持って来てくれるからさ。彼の国やその文化から、ピグミーのリズムやメロディーとかをね。美しいね。オレが演奏に参加している音楽やオレが作曲した音楽を皆が聞いてる時、皆はオレと一緒にワイルドな旅に出てるんだと思いたい。「さあ、乗った乗った。クレイジーなオレが連れて行くワイルドな旅に行こう」って。オレはとても情熱的になり、情熱のほうがオレをコントロールしてくれる。今はそれでうまくいってるよ。財政的には良くない時もあるけど、それはそれでいいさ。水の中に飛び込んで泳いでいるうち、少しぶちのめされることもある。オレのキャリアも実際、そんなものだし。
今回の映画制作では疲れ果てた。少なくともいくつかの点ではね。でも、美しい疲れ果て方だ。文句を言うつもりはない。結果にはこれ以上の満足はないってくらい満足してるんだから。オレが初めて作ったものだけど、皆がこの映画とジャコを気に入ってくれたら、オレも幸せだ。それがオレにとって大切なことなんだ。アルバムを作る時だって同じだ。皆が聞いて楽しんで、生活の一部にしてくれたらいいなって気持ちで作るだろ。
● 現在、進行中のプロジェクトはありますか? 未来にはどんなプロジェクトをやる予定があるんですか?
今は、メタリカのニュー・アルバムに集中してるよ。一生懸命作業しているところさ。バンドとしては、目下、これに集中している。オレはとてもワクワクしているよ。トーンもいい。グルーヴもいい。リフもいい。ジャコの映画の宣伝を別にすると、今はメタリカのニュー・アルバムが最優先事項だ。皆が知ってるかどうかわからないけど、オレは『'Tallica Parking Lot』っていう短編アニメも作ったんだ。去年、フランスのアヌシー国際アニメーション映画祭で最優秀短編アニメにノミネートされたんだぜ。コミックコンでも上映された。3分のアニメなんだけど、これが超イカしてるんだ。レミーとブーツィー・コリンズも出てるし、他にもたくさんの人がカメオ出演してるので、皆に楽しんでもらえると思う。今はネット上でも見れるよ。
● 話には聞いています。
いいね。今はこの作品を広めようとしてるんだけど、『Pear Cider & Cigarettes』っていうアニメーションのプロジェクトにも関与してるんだ。友人のアニメーター、ロバート・ヴァリーと組んでるんだけど、こいつはゴリラズと仕事をしたこともあるし、数年前にはビートルズの『ROCK BAND』用に短いアニメを作ったし、賞を獲得したこともあるアニメーターなんだ。今オレが関与している『Pear Cider & Cigarettes』はステロイドを摂取したピンク・フロイドみたいな32分のアニメ作品なんだ。ここ数年ずっと、音楽のスコアとかを手伝っている。1カ月やそこらで出来るものじゃないからね。もう2年もこのプロジェクトにかかわってるよ。このアニメ用の音楽はマス・メンタルというグループ名義で作っている。オレはまだまだクリエイティヴだ。目下、一番集中してるのはメタリカのニュー・アルバムだけど、次の波に乗る準備もしている。オレには2人の子供と妻がいるけど、ある意味、ジャコの映画を作ったのは家族が1人増えたようなものだ。オレはクリエイティヴな状態でいるのが大好きなので、そういう能力と時間がある時には、音楽や映画やアニメーション、その他いろんなことにかかわりたいね。
● カメラの前に立つってどんな感じですか?
オー、ノーだよ。ずっとそういうオファーはあるんだけどね。昨年は本当に変な1年だった。2本ほど、映画に出てくれって頼まれたんだけど、正直、タイミングが良くなかったんだよ。いろんなことがある中、興味がわくような依頼じゃなかったし、オレのレーダーに引っ掛かったのは2つのことだけだった。オレは自分が優秀な俳優だなんて思ってない。映画制作のライティング・チームに参加するのは楽しいんだけどね。ジャコの映画プロジェクトには参加出来て良かったと思う。ポール・マーチャントとオレで台本をたくさん書いたから。ポールが監督をして、オレとジョニー・パストリアスが制作を担当した。とても楽しかったのと同時に、仕事量も多かった。自分のペースを保ちながらも、この旅の思わぬ展開もあるがままに受け入れ、楽しまなければならなかった。演技の世界ではどんな将来が待ち受けているのかはわからない。軽んじてるわけじゃないんだけど、今はオレのレーダーには引っかかっていない。
● ジャコのプロジェクトにここまで力を入れていたとなると、メタリカのニュー・アルバムにも少しジャコ・パストリアス風味が加わってしまうんじゃないですか?
さあ、どうだろう。とても慎重になっているのと同時に、その精神には極めてオープンにな状態だ。だから、可能性は高いね。でも基本的には、オレは自分に降りて来たものを演奏するまでさ。筋が通っていて、曲のためになってる場合には、いつもそういうエネルギーをチャネリングしている。だから可能性はあるね。バンドの要求にもしっかり応じる必要がある。オレたちはチームとして動いてるので、誰かに何かを強要するなんてことはしない。うまくいくものはうまくいくし、うまくいかないものはうまくいかない。ラーズやジェイムズと共にチームとして頑張って、曲を曲として大切に作るつもりさ。ジャコのチャネリングが曲のためになるなら、素晴らしいことだ。それが使えなかったら、それでもいいさ。特に問題じゃないよ。
[テープ起こし:ガレン・ホーソーン]
Copyrighted article "Talkin' Jaco with Metallica's Robert Trujillo" by Mike Ragogna
http://www.huffingtonpost.com/entry/talkin-jaco-with-metallicas-robert-trujillo-chatting_568a972be4b0ad6a15f29153?aklhxgvi
Reprinted by permission.