イギリスの心理学者、ジュールズ・エヴァンスがラックマンにインタビューした上で、ロック・ミュージックに対するアレイスター・クロウリーの影響について鋭く分析している面白い記事を発見したので、ここで紹介します。
クロウリーの子供たち:どうしてロックはアレイスター・クロウリーを愛するのか
文:ジュールズ・エヴァンス

私は英国図書館でゲイリーに会って、オカルト思想、特にアレイスター・クロウリーの思想がロックンロールに与えた影響について質問した。私がこの件に関心を持ってるのは、忘我の状態とはどのようなものなのか、現代においてそれにどう到達すればいいのかに興味があるからだ。セックス、ドラッグ、ロックンロール、そして魔術もその話の一部なのだ。ゲイリーの著書に手際よく記されているように、これは必ずしも素敵な話ではない。
彼が初めてオカルトに出会ったのは1975年のことだ。当時、彼はブロンディーでベースを演奏していて、メンバーのデビー・ハリー、クリス・ステインとアパートメントをシェアしていた。「彼らはオカルトを楽しんでいました。ヴードゥー人形やペンダグラム、おでこに十字架を逆さに描いた修道女の人形とか、ちょっと趣味の悪いオカルト・グッズを持っていましたよ」
ゲイリーにアレイスター・クロウリーの著作を教えたのはトミー・ラモーンだった。彼から本を2、3冊読めと言われたのだ。ゲイリーはブロンディーを辞めた後、クロウリーの思想と儀式にますます興味を抱くようになった。ロサンゼルスにいたある日、クロウリーの「セレマ教」を信じる秘密教団である、東方聖堂騎士団(Ordo Templi Orientis)に入会した。彼はしばらくの間、クロウリーの魔術に心酔し、ローブを着て、クロウリーの『魔術----理論と実践』に書いてあるあらゆる儀式を行ない、ガールフレンドと一緒に性魔術にも挑戦し、「グノーシス的ミサ」の一部として経血入りの聖餅を食べたりもした。ゲイリーはパンク・ロッカーから秘密の魔術師/オカルト全般のライターへと変身したのだが、クロウリーの「宗教」が壮大な誇大妄想だと感じた時、彼への愛は冷めてしまった。ゲイリーは新著『Aleister Crowley: Magick, Rock and Roll, and the Wickedest Man in the World』で、クロウリーの混乱したパーソナリティーと、ポップ・カルチャーへの影響を検証している。
クロウリーの影響は大きい。イカレたキリスト教伝道師がロックンロールは悪魔の作ったものだと警告を発していたが、彼らは皆、正しかったのだ。ポップ・ミュージックという聖餅はオカルト、特にアレイスター・クロウリーの自意識丸出しバージョンのそれに浸されている。
ということで、魔術的{マジカル}ミステリーのおさらい{ツアー}をしてみよう:
クロウリーはビートルズの《Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band》のジャケットに登場しており、ジョン・レノンはこんな言葉を残している:「ビートルズがやってたことって、己の欲することをなせ、だったよな」
ドアーズのアルバム《Doors 13》の裏ジャケットには、クロウリーの像が登場する。ドアーズのメンバーは、「向こう側に突破した者」、アナーキーなショウマンシップの達人としてのクロウリーに敬意を抱いていた。ジム・モリソンはこんなクロウリー的な発言をしている:「反逆、混乱、無秩序に関することだったら何にでも興味がある。特に、全く意味のないように見える活動にね」
ジミー・ペイジはクロウリーの大ファンで、ネス湖のほとりにあるクロウリーの館を購入したほどだ。レッド・ツェッペリンのアルバム《III》のアナログ番には、クロウリーのモットー「Do What Thou Wilt」(己のやりたいことをなせ)が刻まれている。
ローリング・ストーンズとマリアンヌ・フェイスフルは、映画監督ケネス・アンガーを通じてクローリーの魔術にハマり、そうして出来た作品が《Their Satanic Majesties Requests》や〈Sympathy for the Devil〉だ。ジャガーはアンガーの映画『Invocation to my Demon Brother』のサウンドトラックを作り、マリアンヌ・フェイスフルは『Lucifer Rising』に出演した。この映画には、その後、マンソン・ファミリーの一員になる者も出演している。
デヴィッド・ボウイもクロウリーの大ファンで、〈Quicksand〉の中でクロウリーに言及している他、クロウリーの魔術、象徴、超人哲学に大きな影響を受けている。ボウイは1970年代にはオカルトにハマっていて、《Station to Station》の制作中、自分が悪霊を召喚してしまったことや、悪魔の隠し子を作ろうとしている魔女たちが、自分の精液を盗もうとしていることに脅えていた。
クロウリー(左)もボウイも豪華な魔術用衣装が好きだった。
1980年代には、ブラック・サバスやアイアン・メイデン等、クロウリーにハマっているメタル・バンドが多数登場した。もっと最近の話をすると、クロウリーの思想はジェイ・Zやカニエ・ウェストといった現代のラップ・スターや、セックス・マジックを熱心に実践するシアラにも、はっきりとした影響を及ぼしている。
クロウリーの言葉の入った上着を身につけているジェイ・Z。彼はボウイと同様、自分は「この町を動かしている」超人エリート集団の一員だと思い込んでいるようだ。
カニエ・ウェストは〈Power〉のビデオにおいて、完全な半神半人モードとなり、オカルトによく出てくるホルスのネックレスを身につけている。
シアラの衣装の背には「Hermetic Order of the Golden Dawn(黄金の夜明け団)」の文字が。
ざっくり言うと、ポップ・カルチャー全体が、クロウリーの「己の意志することを為せ」というエゴ思想を、西欧社会を支配する哲学とするのに貢献したのだ。我々は皆、クロウリーの子供なのだ。
クロウリーとはどんな人物だったのか?
クロウリーの両親は、キリスト教の中でも非常に厳格な一派、プリマス同胞教会の信徒だった。彼らは非常に裕福で、クロウリーはそこそこの財産を相続した。自分は恵まれている立場だという意識と、両親のピューリタニズムに反抗する必要があるという感情が合わさったことが、クロウリーにとっては決定的だったようだ。彼は成長するとますます、人にショックを与え、反抗し、挑発し、自分に注目させるようになった。
10代の頃、クロウリーは「悪魔」に夢中になった。最初のうちは、ボードレールやユイスマンスのスタイルでわざと悪く振舞うことを意味していたが、20代になると、オカルトに手を出し、秘密の力を持った魔術師からなる「隠れた教会」という考えに魅せられるようになった。
ロンドンの黄金の夜明け団に入会したが、すぐにメンバー全員と不仲になった。詩人のW・B・イェイツもそのメンバーだったが、クロウリーは自分の詩を評価しない彼を毛嫌いした他、「魔術の位階」を早く登って、トップレベルの魔術師になりたいという欲望で、黄金の夜明け団の先輩メンバーたちを困らせ、そうするために黒魔術を使ったほどだった。
クロウリーは1904年には魔術師の最高位に到達したと宣言した。彼はエジプトで(もっと正確に言うと、ギザの大ピラミッドの中で)アイワスと交信し、それが語ることを口述筆記して『法の書』を書いた。アイワスはエジプトの鳥神ホルスの使者なのだが、アイワスがクロウリーのもとにやって来て、「戴冠し世界を征服する子供」のイーオン(累代)という新時代を宣言したのだ。
ラックマンの言葉によると、この新時代とは「抑制されない個人的自由の時代」のことだった。この中で、一握りの超人たち(それを率いるのはクロウリー)が自分の意志を成し遂げ神となる。超人たちにとっては、「己が意志することを為せ、それが法の全てなり」であり、彼らは「全く害を及ぼすことのない酒や変なドラッグ」及び、あらゆる種類の性的過剰を大いに楽しむのだ。一方、残りの人々、つまり「奴隷」は、超人たちに仕えさせられる。アイワスはクロウリーに語った。「哀れみは王の弱さである。惨めな連中、弱い連中は踏み潰せ」と。
クロウリーは自分が新時代のメサイアだと分かって、当然とは思いながらも興奮した。彼は公私両面において、魔術的儀式をもって新時代に突入しようとした。私的な儀式は、長時間に渡るセックス・ドラッグ・魔術の乱行パーティーであり、公の場で行なった儀式の中で最も有名なのが、1910年にロンドンで行なった「エレウシスの儀式」である。参加者はペヨーテを食べ、ボンゴに合わせて踊り、クロウリーが魔術詩を朗読するのを聞いた。これは現代のドラッグ・レイヴの走りだった。
クロウリーの実践魔術にとっては、他人など使い捨ての要素だった。魔術的S&M儀式では、精神的に不安定な女性たちが次々に「スカーレット・ウーマン」役に投入された。彼女らは最終的に、アルコール中毒、ドラッグ依存、狂気、自殺に陥った。こうした残骸の中にはクロウリーの最初の妻、ローズもいた。彼女は不運にも「ヌイト・マ・アハトール・ヘカテ・サッフォー・ジザベル・リリス」と名付けられた娘と一緒に捨てられた。この娘はラングーンでチフスで亡くなったが、クロウリーは殆ど気にもしなかった。彼は「道徳的にも精神的にも、オレにとって女なんて軽蔑の対象にすらならない。知的には、女なんか存在しない」と語っている。
クロウリーは自分に従う愚かな男にも同じくらい残酷だった。ニューバーグという名の助手がその例だ。自分の弟子になる契約をした人物に対して、クロウリーはスコットランドの小屋で何年間もサディスティックな辱めを与え続け、自分で自分の腕を傷つけさせたり、10日間、裸でハリエニシダの薮の中で過ごさせたりした。クロウリーはまた、猫を虐待し、蛙をはりつけにした。猛獣のハンティングにも熱を上げていた。
登山家でもあったクロウリーは、自分が率いていたヒマラヤ登山チームとも仲違いをしてしまった。シェルパを殴って自分の人種的優位を主張したがるクロウリーに、メンバーが不満を表明したからだ。彼は隊を離れ、チームが雪崩に巻き込まれて救援を求めているのに、助けに行かず、数人の死者が出た。
「神への冒涜、殺人、強姦、革命、善し悪しなんかどっちでもいい、とにかく強いこと」への欲望を抱いたクロウリーは、人身御供こそ魔術の究極のタブーだと考えるようになった。ラックマンが言うには、クロウリーは『魔術----理論と実践』の中で、人身御供について触れることで読者をそそのかそうとしていた。クロウリーは、自分の呪文によってある女性を自殺させたと嬉々として語り、彼の人身御供という考えが、後の世になって、チャールズ・マンソンのような精神を病んだ者に影響を与えてはいるが、彼が実際に殺人を犯したという証拠は全くない。
クロウリーは黒魔術師だったのか? そういう存在になって、悪霊を召喚しまくって、呪詛によって多くの敵に害を与えたりしたいと思ってはいただろう。しかし、実際に悪魔に魂を売り渡していたとしても、そんなに見返りは多くなかった。詩や著作はがらくたであり、全く儲かってない。セックスはたくさんやったようだが、力は得ていない。死んだ時は、貧しく、友人は皆無。誰にも著作を読んでもらえず、ヘロイン中毒で、10代の頃と同じく、もの凄いエゴの塊だった。クロウリーの最後の言葉は「オレは途方に暮れている」だった。クロウリーはマスター・テリオン、バフォメット、偉大なる獣、ネモ、ペリュデュラボ(永遠)等、いろんな名を名乗ったが、この人物の人となりを最も正確に表す言葉はクソ野郎だろう。
戴冠し世界を征服する子供の時代
それでは、どのようにしてこの愚かな男が1960年代の文化に大きな影響力を及ぼすようになったのか? 理由のひとつは、ロバート・ベラーの言う「自己顕示的個人主義」、ゲイリー・ラックマンの言う「解放主義」という1960年代のカウンター・カルチャーの哲学の一部として、クロウリーの思想も理解されたからかもしれない。
ティモシー・リアリーは、自分はクロウリーをチャネリングしている、もしくはクロウリーの生まれ変わりだと思っていた
ラックマン:「ルールを破る、心の抑圧を取り除く、あらゆる因習を超えるという考えです。解放主義はジョルジュ・バタイユ、ニーチェとそのデュオニソス主義を通って、行き着く先はマルキ・ド・サドです。クロウリーは解放主義的哲学の看板男でした。クロウリーがロックンロールやさまざまな形態のポップ・ミュージックによって拾われたのも、完全に筋が通っています。彼の思想は青年期の感性におあつらえ向きだからです。ジム・モリソンは「オレたちは世界が欲しい。しかも、今、それが欲しい」、イギー・ポップは「以前よりもっと欲しい」と歌っていました。人は若い頃には、あらゆる束縛を捨て去りたいと思うものですが、クロウリーは全生涯でそれをやったのです。彼にとって最も重要だったのは、全ての方向においてやりすぎることでした」
解放主義者は自らを社会的な支障から解放したい、つまり、自分を伝統的な道徳から、理性そのものから解放したいと思っている。ティモシー・リアリーが語り、後にジョン・レノンに引用された言葉が「精神のスイッチを切って、下流に向かって流されよう」である。ドラッグと音楽と詩とセックスを通して変容意識にアクセスしようとしていたリアリーや1960年代に活躍した他の重要人物たちは、クロウリーの中に、それを実際にやってのけた天才探検家の姿を見たのだ。クロウリーの行なった「エレウシスの儀式」は、1960年代のアシッドテストや今日のレイヴの青写真だった。この2者も、理性的思考と迂回して、オーディエンスをトランス状態にもって行くのを目指しているからだ。
1960年代の若者も、ルイ・ポーウェルとジャック・ベルジェの本『魔法使いの朝』(邦題は『神秘学大全〜魔術師が未来の扉を開く』)や、『Xメン』等の超人ヒーローの漫画を通して、オカルトと恋に落ちた。後者は、人間が突然変異によって、科学では説明のつかない力をもった超人に進化するという概念を広めたが、ベビームームの時に誕生したフラワー・チルドレンは、自分たちがLSDという魔法の薬で進化を遂げつつある新ミュータントなのだ、と考えるのを好んでいた。
ジミー・ペイジやデヴィッド・ボウイをはじめ、多数のミュージシャンがクロウリーに魅力を感じたのは、クロウリーが彼らに力を約束したからだ。魔術師と同様、ミュージシャンも不安定で貧しく、セックスと金と力をもたらしてくれる魔術の公式を必死になって求めている存在なのだ。多くのポップスターはクロウリー風のテイストを用いて、自分の魂のさまざまな側面を探求する方法として別の自己を希求したり、「皆を動かす」のに特別なコスチュームや照明、音響、シンボル、超越的行動を行なったりした。
ラックマン:「映像、特殊効果(ライトショウ)、幻想、トランスなど、魔術も音楽業界も利用しているマテリアルは同じです。どちらも意識の下にあるもっと深い、もっと古い、もっと本能的なレベルの自己に到達します。どちらも、「特別な」人間になりたい、目立ちたい、注目されたい、エリートに属したい、回りの人間に影響を与えたいという青春期の欲望に、油を注ぐ存在です」
とりわけ、スターになりたい、神になりたい、イルミナティの一員、超人エリートになりたい、弱々しき人間どもの頭を自分に向かってさげさせたい、自分を崇拝させたいというポップスターの欲望に訴える力を、クロウリーは持っていた。デヴィッド・ボウイの中にも(例えば、〈Oh You Pretty Things〉の歌詞)、ジェイ・Zやカニエ・ウェストの中にもクロウリー的な思考が見て取れる。神を崇拝する奴隷のような人間どもをチェックしてみよう:
ラックマン:「彼らが売っている思想は「オレ達は特別な人間で、この世界新秩序を担うことになってるんだ。エリートに入れば、善悪を超越し、大きな権力、たくさんのセックスと楽しみを得ることが出来る」というものです。これこそカニエ・ウェストやジェイ・Zが売ってる哲学でしょう。ドラム・ビート付きのベルルスコーニです」
クロウリーの「己の意志することをなせ」は現代を支配している哲学のひとつになっていて、現代の文化は、ラックマンの言う「オカルト消費主義」なのだ。広告宣伝はシンボルや呪文を用いて、我々に「やれ」と促す。つまり、あらゆる衝動に従え、あらゆる別の自我(オルター・エゴ)の腹を満たせ、あらゆる誘惑に屈しろ、そして何よりも金を使えと言っているのだ。ラックマンは書いている:「クロウリーは我々のモラルや魂の真空状態のある種の前兆でした。良かれ悪しかれ、我々は二律背反的な世界の中で善悪を超越し、殆ど何でもOKな状態です」
トラップドアを恐れよ!
ここに人間精神のとても単純なモデルがある。コールリッジの『クーブラ・カーン』で描写されているものに似ているそれを、よくわかるようにグラフィック化したものがこれだ:
一番上にあるのが、意識のプロセスだ。弱い炎がチラチラしている。その下にあるのが、大量の赤々と燃える炭火だ。これは意識が少ない、もしくは、無意識のプロセスだ。この両者を繋いでいるのが想像力であり、意識と無意識の階層の間にある縦坑のような存在だ。 無意識という燃える炭火の中には、洞察、癒し、叡智、知識、力という宝が存在するが、そこには魔物もいる。
1980年代のアニメ『The Trap Door』はまだ記憶にあるだろう。潜在意識とはそのようなものなのだ。ウィリアム・ジェイムズが示唆しているように、潜在意識は我々の太古の衝動の扉であるだけでなく、良い霊、悪い霊、両方の世界の扉でもある。だから、トラップドアを通して何を出し入れするか十分に注意する必要がある。
芸術、セックス、ドラッグ、魔術、宗教はみな、「精神のスイッチを切り」、理性的意識を超越して、落とし戸を開け、暗闇の中を想像力にまかせてついて行き、宝物を見つけようとする方法だ。しかし、この危険な下降において絶対的に重要なのは、持っている動機と、何に遭遇しても自分を失わずに対処する能力だろう。
多くのアーティストや魔術師は利己的な動機、つまり金とセックスと権力を求めて、その下降を行なってしまうのだが、これは極めて危険な行為だ。映画『レイダース 失われたアーク』に登場する、利己的な理由で約櫃を利用しようとするナチスの連中みたいなものだ。顔が溶けてしまうのがオチだ。
あまりたくさんのバルログを目覚めさせることなく想像力を求めるやり方が、最もよくわかるのがトールキンだろう。ホビットのようにエゴを小さくして、迷ったと思った時に道を教えてくれる仲間と一緒に、冒険に行く必要がある。そして、どんな宝を見つけても、自分の力のためにそれにしがみつこうとするのではなく、気前良く人にあげることが出来なければいけない。
これこそが、偉大な芸術を創造する方法だ。意味のある人生を送る方法だ。クロウリーの「己の意志することを為せ」では、幸福や力ではなく、空虚、麻薬中毒、狂気、自己破壊で終わってしまう。こんな言葉は嘘だ。最も昔からある嘘だ。
Copyrighted article "Crowley’s Children" by Jules
http://www.philosophyforlife.org/crowleys-children/
Reprinted by permission