2016年11月05日

カール・パーマー、キース・エマーソンの思い出と近況を語る

 キース・エマーソン死去後(9月)に行なわれたカール・パーマーのまとまったインタビューがこれ。早口でたくさん喋る人のようです。

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カール・パーマー・インタビュー
聞き手:マイク・ラゴーニャ


ニュー・アルバム《Live In The USA》をEL&Pのバンドメイト、キース・エマーソンに捧げてますね。ここ数年間は、キースとはどのような関係だったんですか?

 知っての通り、EL&Pはメンバーが仲良しで、一緒にディナーに出かけ、家も隣同士で、祝日を一緒に楽しむようなバンドではなかった。演奏する時だけに限って手を組んでいたバンドだった。音楽に関しても、いろんなことで意見が合わなかった。オレたち全員が、それについて文句を言ってた。オレも「もう一緒にやってられないよ」って言ったひとりさ。これはロンドンで《High Voltage》コンサートをやった直後の話だ。プログ・ロック・フェスティヴァルだった。もうEL&Pは終わりにして、それぞれがやりたいことをやったほうがいいだろうと思ったんだ。このコンサートはうまくいったけど、ノスタルジアだった。バンドは昔ほどいい演奏をしてなかった。演奏するのが徐々に辛くなってたキースは、EL&Pを終了して少しホッとしてた。オレとキースの関係は、昔と殆ど同じだった。あいつは何が重要なのかをしっかり見ている男だった。それは正しいことだった。もし、多くの「A級」のバンドがしてるように、助っ人プレイヤーを加えて続けてたら、オレはあまり満足しなかっただろうなあ。キースはEL&Pを終わりにして幸せだった。オレもそうだった。オレとしてはもう少し続けてもよかったんだけど、現実はそうはならなかったね。キースは今年、オレと一緒にプレイする予定で、(昨年の)12月にそのことについて話し合ったんだ。キースは自分のグループで日本に行く予定があったんで、6月、7月、8月の予定を確かめて、そこから話を具体化していこうとしていたんだよ。生きてたら、1、2回くらいならプレイしてたかもなあ。

  

 オレとキースとの関係は、昔からそんな感じだった。一緒に演奏するのは楽しかったけど、大親友ってわけじゃなかったんだ。とはいえ、オレのアート作品を展示したアート・ギャラリー・イベントに、キースは何度も足を運んでくれたんだ。キースは喜んでやって来て、いつも一緒に楽しくやったよ。好きな音楽も同じだった。EL&P以外でも、自宅にはレコード、CD、カセット等、似たような音楽コレクションがあった。たまに一緒に演奏するのなら何の問題もなかった。キースもわかってたんだよ----オレがそう言わなきゃいけない役目だったんだけどさ----EL&Pはバンドとして、もうこれ以上は仲睦まじく活動を続けてはいられないって。キースはオレとはOKだった。おそらく、グレッグともOKだったんだろう。でも、オレはバンドは続けられないって判断した日以来、グレッグとは話をしてないんだ。グレッグとキースの関係がどんなだったかは知らない。ふたりが一緒にツアーをやってた時にも、人間関係が多少アップ&ダウンしてたことは知っている。でも、オレはどっちの時もふたりを励まそうとした。ふたりがコージー・パウェルとツアーに出たいって言い出した時には、オレは喜んで送り出したさ。12年も一緒に活動してきたのに、あいつらはオレがエイジアのアルバムを完成させるまで、6週間も待てないなんて言うんで、「自分の仕事をやり遂げるまではエイジアを離れるわけにはいかないんだ」って答えて、コージー・パウェルとツアーに出るのに賛成したんだ。ロゴの使用やその他のことにもね。コージーとも個人的に話をしたよ。オレはこれがバック・カタログを大宣伝するビジネス・チャンスだと考えた。オレには金が入ってくるし、人々はエマーソン・レイク&パーマーの名曲を聞くことが出来るしね。

 

 オレが今回のアルバムを作り、キースのためにショウを行なった理由は、一緒にたくさんの音楽を作ったからってだけじゃない。オレがEL&Pの音楽を今でも宣伝し、演奏しているのは、それを誇りに思っているからさ。オレの全キャリアの中で一緒にプレイしたミュージシャンの中で、キースは最も優秀な奴だったっていうのは、本心からの発言だ。だから、キースが絶好調の時は、オレも実力を十分に発揮することが出来た。オレたちをまとめていたのは音楽の力だ。音楽は永遠になくならない。だから、キースのために出来る限りたくさんの時間を捧げたことを、自慢に思ってるし、それでただただ幸せだった。キースの音楽を生かし続けるのに、オレたちの音楽を生かし続けるのに、キースの名声を生かし続けるのに、オレが自分に出来る限りのことをやるのに、それが功を奏したんだ。今回のアルバムをリリースしたのは、音楽と、ミュージシャンとしてのキースへのリスペクトの気持ちからだよ。

今回のアルバムに収録されたライヴ・トラックはEL&Pの曲のバリエーションですね。ツアーに出てアレンジを考えるんですか? それとも、ツアー・ミュージシャンのポール・ビーラコヴィッツ、サイモン・フィッツパトリックと一緒にあらかじめ練っておいたんですか?

 キーボード・パートに関する限り、それをギターでどの程度までプレイ出来るのか、オレにはよくわからなかった。オレにはEL&Pの音楽をコピーする必要なんてない。それはそれでもうやっちゃったものだからさ。EL&Pの音楽はオーケストラやジャズ・バンド、いろんなジャンル、いろんなやり方で演奏されてきたんで、オレは別のやり方で披露したかったんだよ。すぐに思いついたのが、ギターを使おうってことだった。8弦ベースもいい。ハイテク・ギター・プレイヤーと、チャップマン・スティックも演奏出来るベース・プレイヤーが欲しい。チャップマン・スティックはシンセサイザーの音も出せるから、新しい世代に新しいやり方でEL&Pの音楽を届けようと思ったんだ。EL&Pがやったことをもう1度やる必要なんてない。それはもうやっちゃったんだから。この音楽を違うやり方で表現するのが、進むべき新たな道だった。ギターで弾けること、弾けないことを理解するのが、オレにとっての課題で、ロンドンに住んでて、キーボードのパートをギターにトランスポートする専門家のところに行ったんだ。その作業をしてもらって、出来ること、出来ないことを理解するやいなや、進むべき道が明らかになった。クラシック音楽とEL&Pのカタログを原動力とするプログレ・ヘヴィー・メタル・トリオを作ることだ。これがごまかしのない、ベストなアプローチのようだった。起用することの出来たギタリスト、ベーシストは、この音楽をキーボードからフレットボードに見事に変換してくれた。もちろん、ある種のハーモニー等は失われてしまったけど、一方、シンセサイザーからは得られないがギターからなら得られる荒削りの興奮があった。つまり、EL&Pの音楽を演奏したけど、違うやり方でってことさ。違うキャンヴァスの上の違う場所に違う絵の具を使って絵を描いたんだ。

〈21st Century Schizoid Man〉をカバーしてますが、キング・クリムゾンの代表曲を入れることで、EL&Pトリビュートというコンセプトを延長したのですか? EL&Pの歴史の中にもこの曲は登場しますよね?


 今回のアルバムに〈Schizoid〉と〈America〉を入れたのは、EL&Pがグループとして演奏したまさに最初の曲だからだ。理由は聞かないでくれ。ステージでよく話すことだから。今年、キース・トリビュートとしてリリースする予定のビデオにも入ってるよ。「これはグレッグ・レイクがやろうって提案した曲なんだ。理由は言うまでもない。キースはこの曲用の新しいパートを考えたって言ってた。そしてオレは、バンドがやりたい曲ならば、喜んで練習しようって言ったんだ」なんて話してる。イギリスのミュージシャンは、コードを2、3決めただけのジャムのためのジャムみたいなことはしない。オレたちはまず曲を覚え、覚えて構成を作り上げた曲をもとにしてジャムるほうが好きなんだ。オレたちがやったのもそれだった。極めて荒削りだったけど、グループとして練習して演奏したのが、この曲だった。だから、EL&Pの歴史の一部ではあるね。EL&Pでもこの曲をレコーディングしてるんだけど、今回は違うふうにやったんだ。EL&Pのレコーディングではユニゾンのセクションを削除しちゃったんだけど、今回はあれやこれやに敬意を表して、そこをキング・クリムゾン風に演奏したんだ。なかなかだろ。



 〈America〉はレナード・バーンスタインが書いた曲だ。クラシック音楽を改造した曲の第1号で、キース・エマーソンがザ・ナイス時代に弾いてるのを聞いたことがあった。オレがキースに会ったのは17歳の時だ。キースはザ・ナイスでプレイしていて、オレはフリートウッド・マックにいた。今、皆が知ってるのと同じバンドなんだけど、あの頃はまだ女性メンバーはいなかった。ジェレミー・スペンサー、ピーター・グリーン、ジョン・マクヴィーっていうラインナップで、ミック・フリートウッドの体調がすぐれなかったんで、オレは1晩だけ演奏するように頼まれたんだ。で、その晩にキース・エマーソンに会ったんだよ。ザ・ナイスはトリのバンドで、フリートウッド・マックは2番手だった。オレは「ハイ」って声をかけたんだけど、次に会うのは3、4年後、EL&Pで演奏するようになった時だ。〈America〉は現代のグループがクラシック音楽をロックにアレンジした曲の第1号で、あの時、キースがそれをプレイするのを聞いたのは、今でも覚えている。そういうわけで、オレはこの曲をアルバムに入れることに決めたのさ。これもまた、キースの業績へのトリビュートだね。
 クラシック音楽の家系で育ったオレにとって、基本的に、EL&Pはパーフェクトなグループだった。お爺ちゃんはロイヤル・アカデミーの音楽の教授で、ひいひいお婆ちゃんはクラシック・ギターの演奏家だった。オレの親父は少しクラシック・ピアノを弾いていた。オレはクラシックの打楽器奏者になりたいと思ったことはなくて、100%ロックンロールのドラマーだけど、そういう音楽を現代的なやり方で、技術の恩恵を活用して----昔はシンセサイザー、今はMIDIを使って----演奏したいとは思っていた。 EL&Pでそういうムーヴメント初期の一翼を担っていたことを、オレは誇りに思っている。もちろん、今でも前進を続けてるよ。後退なんてしたことない。今はテクノロジーを取り除いて、ギターを使うことで技巧的演奏を復活させた。ギター・ペダルやチャップマン・スティックはたくさん使うけど、シンセサイザーは使わない。シンセサイザーのような音はギターから出てるんだ。

クラシック音楽の背景があったのに、どうしてEL&Pはロックを追求したのですか?

 事実、オレたちはアメリカ人じゃない。オレたちはヨーロッパ人で、毎日ラジオでたくさんのクラシック音楽を聞いているから、それがオレたちの血や魂の中を流れてるんだ。〈Third World Symphony〉か何かを聞けば、ロックのフォーマットでも演奏出来るかもって思うだろう。それが正しいことだって思う。そうする必要がある。そうしたい。イギリスには常にこういう衝動がある。キースとオレは音楽的にこの点で一致し、どっちもこの種の音楽を演奏することに熱心だった。オレのバンド、カール・パーマーズ・ELPレガシーは、〈Pictures At An Exhibition〉をギターと、キーボードではないシンセサイザーでカバーしてるんだ。キーボードではない オレはこの曲を7歳の時から聞き続けている。EL&Pでこの曲をレコーディングしたのは、キースのお気に入りの曲で、グレッグも知ってる曲だったからだ。グレッグはこの中にステキな歌を挿入した。グレッグはとても頑張った。この曲をバンドでレコーディングした時には、オレは月に昇った気持ちだった。オレは最高のグループにいるんだって確信した。ラガーディア空港で飛行機を降りて、車の後部座席に乗り込んだら、誰かがWWWRの生放送で、エマーソン・レイク&パーマー・バージョンの《Pictures At An Exhibition》を23分間フルで流してくれってリクエストをしてるんだぜ。最高だよ。やった!って思ったよ。ブルースとソウルの国に、イギリスのプログレッシヴ・ロックの形でクラシック音楽を届けてるんだよ。オレたちは違うんだぜってことで鼻高々だったよ。もちろん、それは生まれつきだ。でも、アメリカでこんなに人気が出て、大好評を得るとは全く思ってなかったよ。

ムーディー・ブルースは例外かもしれませんが、クラシック音楽を派手なロック・バージョンにしてアメリカで人気を博したロック・グループは、EL&Pの前にはいないと思います。

 他のヨーロッパ人がいたはずだよ。キースとオレが楽しんで聞いてたのが、ジャック・リューシェってフランス人ピアニストだ。アコースティック・ベースとスタインウェイとレギュラー仕様のドラムセットってバンドでバッハをプレイしてた。ジャズのフォーマットでだ。ビックリしたね。信じられないかもしれないけど、涙を流すくらい驚いた。こういうのはヨーロッパ限定だったのかなあ。EL&Pがそれをやった時が一番衝撃的だっただろ。EL&Pはギターなしで、ヴォーカルとキーボードをメインのメロディー楽器に使ってそれをやって、しかも、アメリカに持ってきたんだ。あの頃はそれが肝だったんだけど、今はギターを使ってそれをやり遂げることが出来て、オレは大満足さ。さっきも言った通り、現代の基準でテクニックのあるプレイヤーだから、ギターのフィンガーボードの上で指を走らせて、キーボードのパートを弾くことが出来るんだ。オレは今、人生の円を殆ど一巡したところさ。まだやってないのは、ジャズ・カルテットを結成して、ジャズのフォーマットで〈Tarkus〉〈Trilogy〉をプレイすることくらいだ。

DVDのリリースも予定されてるんですよね。どんなことに焦点を当てたものなんですか?

 キースが亡くなったことに関して、何かをやらなきゃならなかった。時間はどんどん少なくなってきているんで、3つのことをやったんだ。まず《Live In America》をリリースしら。レコード契約すら持ってなかったんだけど、準備して、プレスして、キースとオレの最後のツーショット写真を見つけて、ツアー中に売ったんだ。まだ完全には配給契約を交わしてはいないんだけど、オレたちにはとにかく時間がなかった。キースは突然亡くなってしまっただろ。こんなに悲劇的なことになるとは思ってもいなかった。追悼する必要があると思ったんだけど、オレに出来ることといったら、コンサート的な観点からキースの人生を讃えることかなあって考えた。コンサートを開催して、ステージに設置した大きなビデオ・スクリーンを使ってキースのビデオを映して、ゲストにも出演してもらって、一緒にプログラムを作って、それでうまく行けばいいなあと思ったら、実際にそうなったんだ。キースとオレで話し合ってたことのひとつが、オレが何を演奏して、キースが何を演奏しに来てくれるかなあってことだった。オレが作ったリストには〈Peter Gunn〉が載っていた。是非やりたかったし、EL&Pはよくこの曲でジャムってた。結局、キースとのショウは出来なくなっちゃったんだけど、キースへの捧げものとしてショウを実現させる必要があったんだ。
 それで、フロリダのオリンピア・シアターでコンサートを開催したんだけど、たくさんの友人からたくさんの支援を受けた。ジェネシスのギタリストだったスティーヴ・ハケットが来て、2曲ほど演奏してくれた。ハーモニカとギターをプレイしてくれた。ヴァニラ・ファッジのマーク・スタインも出演してくれた。信じられないかもしれないけど、キースは昔のヴァニラ・ファッジが好きだったんだ。ムーディーなキーボードのイントロが大好きだったんだよ。カッコイイものは全部好きだったよ。キースがマーク・スタインに会ったことがあるかどうかは知らないけどね。〈Jerusalem〉では合唱団を起用することにしたんだ。昔、EL&Pが〈Jerusalem〉のシングルを出した時、BBCでは放送禁止になっちゃったんだ。ある曲がラジオで流していいかどうか、テレビに出演して演奏していいかどうか、BBCが決めてたんだ。この曲は神聖を汚している、この曲は教会のものだから、ロック・バンドとしては演奏すべきではない、っていうのが連中の言う理由さ。オレたちはコードから何まで正しく演奏していたのに、1970年代にはBBCでは放送禁止だったんだ。EL&Pはこの曲をシングルとしてリリースしたけど、売れなかったなあ。でも、素晴らしい音楽だった。これこそまさにプログレッシヴ・ロックだと思ったね。だって、歌詞は偉大だし、音楽も素晴らしい。とにかく、この曲をトリビュート・ショウに含め、IDA児童合唱団に歌ってもらったんだ。



 ある時、キースとオレで相談してたことのひとつが、音楽と一緒にバレーも使おうってことだった。EL&Pがオーケストラと一緒にツアーした時には、もしこれが大成功したら、ショウを組み立てて、バレーを導入しようって思ったんだ。だから、トリビュート・ショウでは、バレーこそ使わなかったけど、フロリダのセンター・フォー・コンテンポラリー・ダンスを起用することにしたんだ。5、6人のメンバーからなる小さな団体なんだけど、〈Pictures At An Exhibition〉の他、いくつかの曲で踊ってもらったんだ。全体として、面白いショウになったよ。キースが目指してたことも2、3あったし。キースのアイデアとオレのバンドを中心に作ったコンサートだった。はっきり言って、やらなきゃいけないことになっちゃって、残念なショウだった。キースが生きてたらなあって気持ちが強い。でも、現実はそうじゃない。DVDが出て、アルバムも出る。アートワークも完成させた。オレのアートを紹介しているサイト、http://www.carlpalmerart.com を見てくれ。「Welcome Back My Friends To The Show That Never Ends」ってタイトルの作品がある。これはオレがキースのために作ったものだ。LEDドラムスティックと、シャッタースピードが異なる2台のカメラを使った作品だ。信号全部をコンピューターに取り込んで、運が良かったら、オレがいろんな曲を演奏している様子が映る、光と影からなる芸術作品が出来上がる。そんなものを作ってるんだ。「Welcome Back...」のドラム・パートはいろんな色の光で出来ていて、その上にオレがメタリック・ペイントを加えているんだ。これはキースに捧げた作品だ。
 過去において、意見が一致しなかったことや、議論になったことがあれこれあったけど、オレは出来る限りのことをしてキースを送り出してあげようとした。3月5日にはイングランドでもコンサートをやる。キースの息子も出演する。有名なプレイヤー2人も着てくれることになっている。問題が生じるといけないので、まだ誰かは言いたくはないんだけどね。でも、参加予定であることは確実だ。オレが一緒にプレイした最高のミュージシャンであるキース・エマーソンのために、オレは出来る限りのことをやってきたし、これまでずっとたくさんの友人が手伝ってくれたことにも感謝してるよ。

あなたのアートワークについて詳しく聞きたいのですが。

 インターネット・サイトに行って見てくれよ。動画があるので、それを見ればわかってもらえると思う。かれこれ4年くらいやってるんだよね。カタログは2冊目になっていて、本も数冊出した。アートワークから得たお金の一部はキャンプ・グッド・デイズ、癌関係、ドンキー・サンクチュアリー等のチャリティーに寄付している。寄付することが出来て、とても満足している。キースに捧げた特別なアートワーク----60インチ四方のバージョンと小さなバージョン----も作ったんだ。すでにたくさんの人が購入してくれた。出来るだけステキなEL&Pのアートワークも作りたい。

カール、新人アーティストに対してはどんなアドバイスをしますか?

 今日、オレが話したことをキミがどこかで発表するとしても、約1カ月後にはあまりいいアドバイスではなくなってることだろう。基本的なことがいくつかあるけど、今は音楽ビジネスの移り変わりが激しいから、ストリーミングやらダウンロードやら、しっかり見て理解しなきゃいけないことがとてもたくさんある。結局のところは、オレがアーティスト全員に言えるのはこれだけだ:オリジナルなアーティストになれ。オリジナルなものを提供できるアーティストになれ。そうすれば、遂には的を射た音楽が出来て、皆が聞いてみたいと思うようになるだろう。オリジナルなものは常に長続きする。オリジナルな音楽はなくならない。ハイテクなプレイヤーばかりのバンドがガラクタみたいな音楽を演奏するよりも、下手クソなミュージシャンばかりのバンドがいい曲を演奏するほうがいいと思うね。オリジナルなアイデアを持っていて、それを自分で演奏するように曲にしておけば、その作品は音楽の世界で生きていくのに必要な保険になるだろう。

駆け出しの頃の自分自身にはどんなアドバイスをしたいですか?

 学校の勉強をもっと頑張って、とにかく医者になれ、かな。

(笑)

 正直、オレは恵まれたキャリアを歩んできたと思う。1968年には、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンで人生初のナンバー1ヒットを手に入れた。18歳の時だった。次のナンバー1シングルはアトミック・ルースターの〈Tomorrow Night〉だった。オリジナル曲のレコーディングには参加したんだけど、リリース前にバンドを辞めて、キースとグレッグと合流してしまったんだ。そしたら、アトミック・ルースターは新ドラマーでレコーディングをし直したんだよ。これもオレが関与したシングルだ。エマーソン・レイク&パーマーでも〈Fanfare...〉がナンバー12シングルになった。他の国でもね。そして、エイジアでは〈Heat Of The Moment〉とアルバムが1位になった。ミュージシャンていう職業に関しては、オレは本当に恵まれている。幸運もたくさん持っている。一生懸命に働いてもきたけど、運の良さはまた別のことだ。オレは超ラッキーだった。自分の運に感謝している。正直、アメリカって国がなかったら、オレは今ここでこうしていないだろうなあ。オレは常にアメリカに感謝してるし、いつもアメリカでプレイすることを楽しみにしている。オレはヨーロッパ人で、アメリカ人にはなれない。仕事が終わったら自分の国に帰りたい。でも、アメリカはヨーロッパと同じくらい、オレのキャリアにとって重要な地域だ。でも、アメリカでの成功の方が、ヨーロッパでの成功よりデカいかな。成功こそ世界を回すものだよね。

《Brain Salad Surgery》等のEL&Pのカタログは、リイシューのたびにリフレッシュされ、拡大されていますが、こうした音楽のレガシーは今後どうなると思いますか?

 EL&Pの最初の4、5枚のアルバムのうち、どれか1つでも選んだら、超ハイクオリティーの曲作り、演奏、プロダクションを耳にすることになると、オレは心底信じている。極めて素晴らしいものを聞くことになる。オレたちにも維持することが不可能だったレベルの素晴らしい音楽を聞くことになる。皆が知っての通り、実際、維持してないよね。EL&Pが頂点を極めていたのはわずか3、4年で、その後は「B級」になり下がってしまった。数年間、オレたちはあまりに最先端で、怖いほどだった。この音楽は高品位と独創性の香りがぷんぷんしている。他とは違う。世界に残したレガシーは、これが真のヨーロピアン・ロックンロールだったってことだ。ギター中心でもない。ブルースを基礎にしたものでも、ジャズを基礎にしたものでもない。オレたちは全然違うものを世界にもたらすことが出来たんだ。特に、アメリカにもたらすことが出来た意義は大きいね。だって、世界に対してブルースやジャズを大量に広めた国なんだから。EL&Pはクラシック音楽を現代的なロック音楽に変えて音楽を前進させただけでなく、プログレッシヴ・ロックの構想を作り、このジャンルのスタンダードな存在となった。アメリカにはジャズとブルースがあった。そして、イギリスにあったのがプログレッシヴ・ロックだ。

(Transcribed by Galen Hawthorne)



The copyrighted article "A Conversation with Carl Palmer" by Mike Ragogna
http://www.huffingtonpost.com/entry/chats-with-locash-mick-fleetwood-and-carl-palmer_us_57bb2274e4b007f18199345a
Reprinted by permission.


  
posted by Saved at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | Prog Rock | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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