コーネル大学出版局からは、グレイトフル・デッドの伝説的コンサートの40周年にあたる2017年に、このショウを取り上げた本が出版されます。このプレリュード的な記事がコーネル大のサイトEzra Updateに昨年3月に掲載されました。
大学構内に音楽を戻してくれたグレイトフル・デッド
文:メラニー・レフコヴィッツ
音楽のないコーネル大を想像してみよう。
「1977年だったから可能だったのです。必然だったと言えます。1973年の夏に行なわれたディープ・パープル公演の後に起こった暴動のせいで、キャンパス内でのコンサート開催は厳しく制限されるようになっていました。コーネル大コンサート委員会は、長年に渡るコンサートの赤字が積もって、ざっと10万ドルの負債を抱えていたのです」と委員会メンバーは言う。
しかし、コンサート委員会のメンバーは一計を案じた。彼らは赤字を引き受け、利益を分配してくれるプロの音楽プロモーターと手を組んで、5月に開催されるスプリングフェストの一環として、共同でグレイトフル・デッドを呼んだのだ。結果、1977年5月8日に行われたこのショウは、デッド史上、最高のパフォーマンスとしてデッド伝説の1つになっただけでなく、キャンパス内でロック・コンサートを開催する実行可能性を維持する一助にもなった。
「これは、大学構内でロック・コンサートが開催されることを熱望する多数の学生が、それを実現する方法を見出した物語です」と語るのは、デッドの歴史的名パフォーマンスに関する本『Cornell '77』を現在執筆中のピーター・コナーズだ。この本は来年(2017年)、コーネル大学出版局(CUP)から出版予定である。「グレイトフル・デッドは学生たちが窮地から脱するのを手助けしたのです」
コーネル大学コンサート委員会は最近、デッドのショウに関する記録を同大学図書館に譲渡した。コナーズは書庫を調査したが、今のところは、ショウの写真3枚しか発見出来てない。グレイトフル・デッドが30年の歴史において行なった3,000回近いコンサートの中で、最高のショウの1つと評価されているのにだ。
「比較的最近のものなので、メモラビリアの一部は大学の資料室というよりはむしろ、卒業生宅の地下室や押入れの中にあるのではないかと思っています」と大学記録保管員イヴァン・アールは言う(’02, M.S. '14)。
グレイトフル・デッドのコンサートの記録は、コーネル大コンサート委員会とコーネル大での主なコンサートの歴史を集めた、新しいアーカイヴ・コレクションの最初の部分を成している。
「保存作業をすることになって私たちはワクワクしています。コーネル大で行なわれたいろんなコンサートの資料をお持ちの方からは是非とも話をうかがいたいです」とアールは言う。
デッドヘッズの間では「コーネル'77」として広く知られているデッドのショウは、コネチカット州ニューヘイヴン公演、ニューヨーク州バッファロー公演に挟まれて行われている。ジェリー・ガルシアがフロントマンを務めるこのバンドは、第1部と第2部において計19曲を演奏した後、〈One More Saturday Night〉で締めた。
このコンサートを見に来た人々がバートン・ホールから出てくる頃には、5月上旬なのに天気が猛吹雪になっていたというのも、ショウの伝説的要素を増やしている。
「些細なことかもしれませんが、コンサートに行った人に話を聞くと、ほぼ全員が天気のことを話します」とコナーズは語る。「会場に入る時には雪なんか全く降ってなかったのに、出て来た時には雪が降ってたんです。素晴らしいコンサートだったので、全体験のマジックは雪のせいで増量されました」
バンドを追いかけているデッドヘッズと学生、地元のファンからなる観客の多くは、素晴らしいショウだったと言っているが、時とともに大きな伝説化したのは、バンドの承知のもとで高音質なカセットテープがファンの間で出回ったおかげだ。2012年には、このコンサートの音の記録は、国会図書館のNational Recording Registryに入った。
コーネル大学出版局は、同大の歴史だけでなくアメリカの歴史においても重要なこのコンサートに関する本を、その40周年に合わせて2017年に出版する予定だ。
「部長(当時)のディーン・スミスとの会話の中にもバートン・ホール公演のことが出てきたので、我々はコーネル大に関する興味深い話と、アメリカ史に関する重要な物語を抱えていると思いました」とコーネル大学出版局の編集部長マイケル・マクグランディーは語る。「ディーンはデッドヘッドなので、ピーターの本の企画を進めるのに大助かりでした。事実なのかデッド伝説なのかという疑問が生じると、ディーンはすぐに答えてくれました」
コナーズは、グレイトフル・デッドのファンとして過ごした日々の思い出をまとめた本『Growing Up Dead』を2009年に出版している。このバンドがアメリカ文化において果たした役割が、デッドとこのショウを重要なものにしていると、コナーズは述べる。
「単なるコンサートではありません」とコナーズは語る。「グレイトフル・デッドはひとつのバンド以上の存在でした。彼らはコミュニティーを作り上げました。1960年代の価値観を体現したのがグレイトフル・デッドだと、多くの人が考えています。1960年代のコミュニティーはまさにこうだったのだとも考えています。コーネル大がそれを引き出したのだと、私は思います」
The original article "How the Dead brought music on campus back to life" by Melanie Lefkowitz
http://ezramagazine.cornell.edu/Update/Feb16/EU.Grateful.Dead.77.html
記事は以上なのですが、私が楽しみなのは、この本にはデッドヘッズ・コミュニティーの形成についても書いてありそうな点です。ハワード・ウィーナーは『Grateful Dead 1977: The Rise of Terrapin Nation』の中で、それが出来上がるのが1977年くらいだと述べていますが、4月に出るコーネル大学本にも、音源を聞いているだけではわからないことが、きっといろいろ書いてあるはずです。
ちなみに、世界大学ランキングではコーネル大って東大よりはるかに上です。
2/17追記
Cornell 5/8/77が今年5月に発売決定。