2017年11月11日

ディラン・ファンの間ではお馴染みのユダヤ系論客2人が語るゴスペル・ディラン

こちらでは過去にこんな記事を取り上げているお二方の見解を紹介します。

セス・ロゴヴォイ
・ポール・マッカートニーの(秘)ユダヤ系人脈史
http://heartofmine.seesaa.net/article/426311411.html
・セス・ロゴヴォイ著『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』書評
http://heartofmine.seesaa.net/article/188176677.html

ハロルド・レピドゥス
・キャロライン・へスター 1992年ボブフェストを振り返る
http://heartofmine.seesaa.net/article/186841127.html
・ハーヴィー・マンデル グラミー2011を語る
http://heartofmine.seesaa.net/article/187202945.html
・1992年1〜2月頃のレコーディング活動に関する新データか?
http://heartofmine.seesaa.net/article/218955075.html
・ディラン、マイルス、ジミヘンと共演したミュージシャン、ハーヴィー・ブルックス・インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/383104123.html
・ロジャー・マッギン来日直前インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/420629716.html





ボブ・ディランはキリスト教時代の時がベストだったのか?
文:セス・ロゴヴォイ(『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』の著者)

 私は先日、バークシャーズ・サマー・キャンプの同窓会に出席した。私は1970年代にキッチンで働いていたのだが、旧友との再会の場では「ボブ・ディランがボーンアゲイン・クリスチャンになった時、キミがどんなにガッカリしてたか、よく覚えてるよ」と複数の人間から言われた。
 1978年の初夏の頃に、ディランがキリスト教に改宗したらしいと報じられた時、私は朝礼でステージの上に立って、もう金輪際ディランの曲は歌わないと宣言したのだ。キッチン・キャビンにいたルームメイトたちにも、ディランのアルバムをかけることを禁止した。私は確かにガッカリした。会うのが40年振りの人でさえ、その日のことを覚えているくらいにだ。
 1979年8月に、ディランの「ゴスペル3部作」の1枚目《Slow Train Coming》が出た時、私はどうしたらいいのかわからなかった。その頃までは、私はディランのアルバムは全部持っていて、新譜が出る時には列の1番目の並んでいた。9月のある時、私は譲歩した。ディランが作ったアルバムがどんなものなのか聞きたいという好奇心、及び、聞かなきゃという義務感から、遂に買ったのだ。初めてレコード盤をターンテーブルの上に置いた時、私は恐ろしさのあまり身震いした。まるで、禁を破ったら、その途端に雷に打たれるかのごとく。ジャケット・イラスト----汽車がこっちに来る、男がふるうツルハシが十字架に似ている----にすら私はビビった。しかし、曲が進むとディランはこう歌った。「悪魔かもしれないし、主かもしれない。でも、人は誰かに仕えなきゃいけない」って。いいじゃないか!
 素晴らしいレコードだった。最も優れた音質のアルバムだったかもしれない。ジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットという真のプロフェッショナルなR&Bメンがプロデュースしたアルバムだ。曲はファンキーかつロックしている。ソウルフルなホーンセクション、セクシーなキーボード、レゲエのビート…曲によってはブルージーなバックシンガーも入っている。ディランの歌にも熱がこもっている。曲の殆どは、新たに発見した信仰、聖書(パート1も含む)、メシヤ信仰、愛など、さまざまなものを歌っている。ある女性への愛ともとれるし、神への愛とも取れるが…。ジャケットの十字架と、アルバムの最後に置かれた曲〈When He Returns〉を除いて、イエス・キリストにストレートに言及している箇所は殆どない。
 翌年夏にリリースされた《Saved》は違っていた。このアルバムにはれっきとしたゴスペル曲が満載で、誰のことを歌っているのかははっきりとしていたが、それでもラヴソングもいくつかあった。その中の1つ、〈Covenant Woman〉には好奇心をそそるフレーズがあった:「オレはいつもお前のそばにいるよ。契約書も持ってるし」 まるで、自分もキリストと契約を結んでる人間なんだが、違う契約なんだと、語り手が女性に言っているかのようだ。ユダヤ教徒がキリスト教徒に言いそうなことだ。
 《Slow Train》がリリースされた後、ディランはツアーに出た。マスコミに注目されやすい大マーケットは避け、普通なら飛ばしてしまうような州の小さな会場で、好意的な耳にしか届かないであろう新曲ばかりを演奏した。ツアーは最初の都市、サンフランシスコでの連続公演からして、波乱含みだった。ディランは次のツアーからは態度を軟化して、徐々に、過去のアルバムに収録されていた昔の名曲を混ぜていき、ツアー終盤にはゴスペル期以前のマテリアルのほうにバランスは傾いていた。
 こうした賛否両論を巻き起こしたコンサートの記録は、今の今まで、オフィシャル筋からは殆ど発表されなかったが、今月、コロムビア・レコードはこれまでのほったらかしの方針をあらため、《Trouble No More:The Bootleg Series Vol.13 / 1979-1981》をリリースする。パッケージは数種類あるが、コンプリート・バージョンではCD8枚+DVD1枚に100トラックの未発表ライヴ/スタジオ・レコーディング(そのうち、14曲は未発表曲)を収録している。コンサート・レコーディングは特に聞く価値がある。ディランが抱えていた最高のツアー・バンドをフィーチャーし、ディラン本人のヴォーカルも熱い。このボックスセットと、タイミングぴったりにリリースされるクリントン・ヘイリン著『Trouble in Mind: Bob Dylan's Gospel Years What Really Happened』によって、ゴスペル期が音楽及びその他の面で再評価される機会となるだろう。
 ヘイリンの本は、タイトルが示す通り、ディランがヴィンヤード・フェローシップの聖書教室に3カ月間通ったことから始まって、レコーディング・セッションやその後のツアーで紆余曲折があったことを物語ったもので、ディランをロックンロールによる伝道へと駆り立てた宗教体験の産物として「何が起こったか」を描くことを意図したものだ。ディランはコンサートではよく宣教師のように説教し、間もなく到来するであろうこの世の終末の時に救済から取り残されぬよう、観客や仲間のミュージシャンに考え(と行動)を改めるよう戒告することも多かった。
 ヘイリンによると、こうした説教の多くのダイレクトなネタ元は、人気のあるクリスチャン作家、ハル・リンゼイがあの頃に出版した本であるらしい。リンゼイが著書『The Late, Great Planet Earth』『Satan Is Alive and Well on Planet Earth』において展開しているのが、イスラエル建国と冷戦を、この世の終わりが近いという予言の成就のしるしと見なす、キリスト教の中でも極端な部類の終末論なのだ。ディランは自分の言葉を述べるというよりはむしろ、リンゼイの文句をそのまましゃべっている場合が多かった。
 非意識的にだと思うのだが、ヘイリンは、ボブ・ディランの宣教師化には他所からの影響もあるという証拠を挙げている。その1つが女性である。つまり、アフリカ系アメリカ人のバックシンガーたちだ(彼女のうちのひとりが、短期間ではあったが、ディランの2番目の妻となった)。さらに重要なことには、ヘイリンはイギリス人ジャーナリストの以下の発言を引用している:「私は、ボブの「改宗」が精神的探求の一環であると考えました。彼はユダヤ人というルーツを既にチェックアウトしていたのです。ただ、私が全然理解することが出来なかったのは、キリスト教がボブの精神的探求のもう1つの段階だったということではなく、コカインで脳味噌の腐ってる連中用の日曜学校みたいなものによってボブが「改宗」したという点です」 私がディランの親友の詩人、アレン・ギンズバーグをインタビューした時、彼が主に語ったのは、ディランが抱くにいたった新しい世界観についてではなく、ディランがいかに健康になったかということだった。つまり、ドラッグをやめて心身が健康になったというのだ。
 ディランが歌の中で、そして、ステージ上で、キリスト教というブランケットを身につけるのも素早かったが、それを脱ぎ捨てるのも素早かった。しかし、予言者的な傾向や神学的熟考はその後も残った。特に、1983年に出したアルバム《Infidels》ではその雰囲気が色濃い。〈I and I〉ではモーゼを彷彿させ、〈Neighborhood Bully〉ではイスラエルを想起する。1989年の《Oh Mercy》では、〈Everything Is Broken〉をはじめ、さまざな曲の中でカバラ的テーマを探求している。ゴスペル期後の35年間においても、ディランはコンサートで時々、ゴスペル期の曲を1つ、2つ取り上げるが、50余年のキャリアのさまざまな時点で作られた曲と違和感なく歌われている。遅くとも1962年には出来ていた〈A Hard Rain's a-Gonna Fall〉から、2006年の〈The Levee's Gonna Break〉に至るまで、ディランの歌はずっと、この世の終末を警告し続けてきたからだ。ディランは今日においても伝道活動を継続し、ネヴァー・エンディング・ツアーにおいて毎晩、古代的な意味での予言を行なっている。ヘイリンは1981年のギンズバーグの言葉を引用している:「ディランは文明において起こってること、自分が予言者になってることに対する恐怖のようなものに反応して、それをとても真剣に受け取っているんだよ」 
 読者諸兄姉も同意見だろうか?

Seth Rogovoy is a contributing editor at the Forward and is the author of 『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』(Scribner, 2009).

The original article "Was Bob Dylan At His Best When He Was Christian?" by Seth Rogovoy
http://forward.com/culture/music/386298/was-bob-dylan-at-his-best-when-he-was-christian/
Reprinted by permission

  






ボブ・ディランの「ゴスペル」期の再来
ディランのキリスト教時代を収録した新ボックスセット《Trouble No More》でぶつかり合う芸術、宗教、そして商売
文:ハロルド・レピドゥス


 こいつはペテン師なんじゃないか? ボブ・ディランのキャリアは、まさにその開始時からずっと、この疑問に苛まれてきた。アメリカ中西部の中流ユダヤ人家庭出身の少年が、いんちきな名前を名乗り、ウディー・ガスリーになりきりながら、ケネディーが大統領に就任した頃にグリニッジ・ヴィレッジにやって来て以来ずっとだ。しかし、〈A Hard Rain's A-Gonna Fall〉や〈Don't Think Twice, It's Alright〉といった曲で名を立てるやいなや、新しいレベルの名声に遭遇し、それに伴って新たな問題も生じた。出身が明らかなものとなり、〈Blowin' in the Wind〉を書いたのは違う人物だというインチキの噂が広まると、ファンや評論家は言い始めた。「こいつはペテン師なんじゃないか?」
 ディランは、急な方向転換をしてファンを遠ざけてしまうということを、定期的に繰り返してきた。
 エレクトリック化し、カントリー化した後、1970年代半ばに新しい傑作を引っ提げてカムバック。しかし、それもテレビ番組(『Hard Rain』)と映画(『Renaldo & Clara』)を通して尖った芸術的主張をしたことでチャラ。その後、離婚してマスコミに叩かれてる最中にエルヴィス・プレスリーが42歳で死去。沈没しかかっていたディランには、心の支えとなるものが必要だった。

頂上に到着すると
 キリスト教は昔からアメリカのポピュラー音楽の一部であった。アメリカ音楽のルーツの1つはゴスペルであり、説教じみたメッセージもよくある。かつて、ロックンロールが一部の人間から「悪魔の音楽」と定義された時も、プレスリーやジョニー・キャッシュ、リトル・リチャードをはじめとする多数のパイオニアたちは、神を冒涜する曲だけでなく、信仰に基づいた音楽もレコーディングしていた。1960年代には、ジョン・レノンがビートルズはイエス・キリストよりも人気があると発言(そんなに間違ったことは言ってない)した直後に、ビートルズはドノヴァンやビーチボーイズのメンバーと一緒にインドにマハリシ・マヘシ・ヨギに会いに行った。
 この頃、ザ・フーのピート・タウンゼントはインドのスピリチュアル・リーダー、ミハー・ババの教えを学習した。この時代の音楽ファンの多くはこうしたロックスターにならって、新発見のエキゾティックな東洋の宗教を探求した。
 ヒッピーたちが型にはまらない宗教的学習に興味を示すことを一部の者は懐疑的に見ていたが、既成宗教に幻滅していた若い世代はますますそれにハマっていった。しかし、1978年後半に、こんな噂がささやかれ始めた。かつて「リーダーには従うな、駐車メーターから目を離すな」と歌っていた予言者ディランが、ヴィンヤード・フェローシップで新約聖書の勉強をしているというのだ。そして、この体験にインスパイアされた音楽が出てくると、一部の人間が再びこう言い出した。「こいつはペテン師なんじゃないか?」
 もちろん、ユダヤ人とクリスチャン音楽には長い歴史がある。時代を超えて人気のあるクリスマス・ソングの名曲の多くは、アーヴィング・バーリン、メル・トーメ、サミー・カーン、リーバー&ストーラーをはじめ、多数のユダヤ人によって作曲され、フィル・スペクターやバーバラ・ストライザンドも1960年代にクリスマス・レコードを録音した。
 しかし、ディランがイエスを発見したとなると事情は異なる。反逆者、偶像破壊者、非協力者、(自分からなりたくてなったわけじゃないが)世代のスポークスマンが、自分がその形成に渋々ながら力を貸したカウンターカルチャーに属するあらゆるものを、突然拒絶し、過去に自分が行なった全てのことと食い違ってるものを信じるようになってしまったのだ。どうして? こいつはペテン師だったのだろうか? 今も?

絶対的真理(ゴスペル・トゥルース)
 今週金曜日には《Trouble No More - The Bootleg Series Vol.13/1979-1981》がリリースされる。8CD/1DVDに収められているのは、ボブ・ディランの「ゴスペル期」の未発表パフォーマンスだ。中身の詳細が今年の秋のロシュ・ハシャナ(ユダヤ教の新年祭)の日に発表され、キリストのようなポーズのディランがフィーチャーされているジャケットのデラックス・エディションは、この時期のマテリアルの再評価を意図したものである。つまり、あの頃にやっていたことをありのままに受け取ろう、ディランの55年を超えるキャリアの中で最もインスピレーションが豊富で生産的だった時期の1つとして捉えようということだ。
 伝説によると、マスコミ受けが芳しくないアメリカン・ツアーが中盤に差しかかった1978年11月17日のサンディエゴ公演で、ディランはファンがステージに投げた銀製の小さな十字架を拾い、それから大きな衝撃を受けて、キリストへと導かれたらしい。しかし、それよりも前の10月5日にメリーランド州ラーゴ公演のサウンドチェック時にレコーディングされたトラックが2つ、《Trouble No More》ボックスセットに収録されている。〈Slow Train〉の初期バージョンと、ハンク・ウィリアムズ/ルーク・ザ・ドリフター風の〈Help Me Understand〉だ。どちらも、新たに見出した信仰を表明した出来立てほやほやの曲である。実際、1978年のツアーは、ディラン史上最大編成のバンドを率いた最大規模のものだったが、1979〜81年のゴスペル・ツアーと編成はそんなに違ってはいない。それに、1978年のアルバム《Street Legal》も宗教的な比喩表現に満ちており、最後の曲には「長距離列車」というフレーズが登場する。これは次にどこに行くかを暗に言うためにディランがよく使うトリックである。ローリング・ストーン誌でグリール・マーカスは《Street Legal》でのディランのヴォーカルを「完全に偽物」と言い、評論家仲間のデイヴ・マーシュは、このアルバムを冗談かと思った。
  1979年にリリースされた「ゴスペル3部作」の1枚目のアルバム《Slow Train Coming》は、概して一般受けは良く、1曲目に収録されている〈Gotta Serve Somebody〉ではグラミーの1979年度最優秀男性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を得た。福音主義色が強まった次作《Saved》は評判は悪く、派手なイラストのジャケットも評価の足しにはならなかった(後になって差し替えられた)。伝えられるところによると、ディランは《Solid Rock》というタイトルのライヴ・アルバムを出したかったのだが、レーベルから却下されたらしい。次のアルバム、1981年の《Shot of Love》は中身は良かったが、遺憾な売り上げだった。間もなく、ディランはユダヤ人としてのルーツとの繋がりを取り戻し、ハシディック・ルバビッチのセクトに参加し、息子のバール・ミツヴァ(ユダヤ教の成人式)のためにイスラエルを訪れ、親イスラエル的な歌〈Neighborhood Bully〉を書いた。しかし、その後も自作、他作のゴスペル曲やトラディッショナルなゴスペル曲が、コンサート曲目の中に定期的に忍び込むので、ディランがどれか1つの宗教のみを信じているわけではないようだ。

神の啓示
 ディランがキリスト教に回れ右した件から40年ほど経た現在は、ボブ・ディランの音楽の批評家や学者、ファンはもはや、大方のところ、ディランのゴスペル作品を聞いても不快な気分にはならない。《Trouble No More》に収録されている8.25時間分のオーディオ・トラックを聞き、60分のビデオを見ると、これらの曲がディランの作品全体の中のどれにあたるのか、分類するのが容易になる。もし〈When You Gonna Wake Up〉や〈Do Right To Me, Baby〉といった曲がアコースティック・ギターとハーモニカで演奏されたら、初期の「時事的」な歌にあたるだろう。この分野の曲は、設定が宗教的なコンテクストであることもよくあった。〈I Believe In You〉や〈What Can I Do For You〉等の繊細なバラッドは、《Nashville Skyline》や《Blood on the Tracks》を彷彿させる。ディランの新しい宗教的感情は1967年にリリースされた《John Wesley Harding》の寓話を思わせる。
 演奏は《Highway 61 Revisited》と同じくらいロックしている。ディランはヴードゥーの司祭で、ファンクとソウルとR&Bを混ぜ、それにレゲエを少々加えている。歌詞はフルスピードで思いつく。ここかしこにユーモアも垣間見える。「彼女はジョージア・クロールをすることが出来る。主の霊の中を歩くことも出来る」「神が何を要求してるか考えたことある? あんたは神が自分の取りとめのない欲望を満たすための使い走りの男くらいにしか思ってないだろ」 さらに、〈Gotta Serve Somebody〉には自虐的なフレーズも登場する。「ドームの中で暮らしているかもしれない」「オレをズィミーって呼んでもいい」
 しかし、一部のファンがそっぽを向く原因となったのは、時にあからさまに宗教臭いマテリアルと、ステージ上での説教だ(後者は今回のボックスセットには未収録)。今となっては、そういう重大性をミュージシャンに託すのは愚かなことであろうが、当時はそういう時代だったのだ。ディランの私生活は壊れている状態で、それは彼の芸術の中にも現れていた。ディランは本当に信仰を見つけたのか? かつてのニューポートのように、また別のことにチャレンジにしたくて、キリスト教を研究しているだけなのか? キリスト教は自分の恋人役なのか? ディランの芸術を解釈するのに、この種のことは考えるべきではない。しかし、ボブに取り憑かれたファンはそれでは満足出来ない。
 《Trouble No More》に収録されている102トラックの殆どはライヴ・テイクである。最初の2枚のディスクは、新マテリアルの演奏を「ゴスペル期」の3年間全体から混ぜこぜに収録し、この期間に曲がどのように変化したかを聞かせるが、ディスク3とディスク4の中身こそ、このボックスセットを入手すべき大きな理由だ。アウトテイクやリハーサル、ライヴの珍曲を収録したこのディスクでは、まだスケッチ・レベルのトラック(〈Stand By Faith〉)や、信仰をただただ一途に発露したもの(〈Jesus Is The One〉)、〈City Of Gold〉〈Thief On The Cross〉〈Yonder Comes Sin〉〈Ain't Gonna Go To Hell For Anybody〉など、スタジオ・アルバムには収録されなかった10以上の傑作曲を聞くことが出来る。

予言者{プロフェット}vs 利益{プロフィット}
 《Trouble No More》に関して私が特に興味深く感じたのは、人生がディランに芸術に大きく影響を及ぼし、その後、商売によって彼の次の行動が指示されたり、押さえつけられたりしていたということである。私にとって最も印象的なのは最初期の、ディランが自分の進む道を見つけようとしている頃のマテリアルだ。いわば、カンヴァス上の絵の具がまだ乾いていない状態のものがいいのだ(サンフランシスコのフォックス・ウォーフィールド・シアターでゴスペル・オンリーのコンサートを行なう11日前の1979年10月20日に、『サタデー・ナイト・ライヴ』で披露したためらいがちな演奏を、Hulu等でご覧あれ)。新曲ばかりを演奏することにした理由を、当時のディランは、昔の曲の感情が新曲と心地よく共存することが出来るかどうか不安だったからと語っている。



 ディランが1980年後半に再びオン・ザ・ロードに戻った際、ツアーのタイトルは「ミュージカル・レトロスペクティヴ(音楽的回顧)」・ツアーだった。言い換えると、イエス云々の曲だけでなく、皆さんの大好きな昔の曲も聞くことが出来ますよ、ということだ。最後の2枚のディスクには、ロンドンのアールズ・コート公演が収録されている。まずは《Slow Train》の曲を2曲演奏してオーディエンスを挑発し、緊張状態を作り出しておいて、その後で最大のヒット〈Like A Rolling Stone〉で皆をを驚喜させた。アレンジにはブロードウェイ的なフィーリングがあり、ドラムが曲をぐいぐいプッシュする。まさに「ミュージカル・レトロスペクティヴ」の名にふさわしい。ギグの終盤でディランは皮肉を滴らせながらこんな言葉を発した。オーディエンスの皆さんがここに来て聞きたいと思っていた曲を聞けてたらいいですね、と(これを翻訳すると、「お前らは過去に生きていて、オレのスタイルを束縛している」ということになろう)。ディランはバンド・メンバー全員を紹介することも厭わない。そして、ニューポートの時と同様、ここでも最後にアンコールで演奏したのはソロ・アコースティック・バージョンの〈It's All Over Now, Baby Blue〉だ。
 最後にもう1度質問しよう。「いったいどっちがペテン師なのだろう?」

The original article "The second coming of Bob Dylan's 'Gospel'period - Art, religion, and commerce collide on Dylan's 《Trouble No More》, the new box set chronicling his 1979-81 embrace of Christianity”by Harold Lepidus
http://us.blastingnews.com/showbiz-tv/2017/11/the-second-coming-of-bob-dylans-gospel-period-002138519.html
Reprinted by permision.

   
posted by Saved at 22:59| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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