2018年02月04日

ボブ・ディランはインドに行ったことがない?

 約1年前の今頃、例のノーベル文学賞騒動の際に、インド発のこんなニュースが流れましたが、そんな話はでっち上げだとするサイトを発見しました。こちらのほうも、ちょっと盛ってる感のあるサイトに掲載されている記事なのですが、重要な部分だけ抄訳しておきます。文の途中ではこんなふうに(訳者のツッコミ)を入れておきました。


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BABU KISHAN INSTITUTE OF MUSIC & PERFORMING ARTS - EKTARA FOUNDATION

Babu promo page

(このページには、ジョージ・ハリスンやチャーリー・ワッツ、キース・リチャーズ、ザ・バンドのメンバー、アリ・アクバル・カーン、ザキール・フセインとうつってる写真もあります)

 ボブ・ディランに「西洋のバウル」という名前を与えたのがバブー・キシャンである。インドでボブ・ディランのレコードをリリースしたのもバブーだ。バブー・キシャンなくしては、インドにおいて、ボブ・ディランが何者なのか、彼の音楽がどのようなものなのかを知る者はいないだろう。CBSインディア(後にソニーに買収される)の社長はバブー・キシャンに訊いた。「なぜ常にボブ・ディランを宣伝・販売しているのか?」と。
 バブーの回答はこうだ。「ボブ・ディランからは常に感銘を受けている。個人的に知り合いで、友人にもなった」
 バブーはボブ・ディランをインドに招聘しようとしたが、当時はスポンサーが見つからず、誰にも興味を持ってもらえなかった。バブー・キシャンはボブの詩と音楽に影響を受け、ロック・ジャーナリズムの父、アル・アロノヴィッツを通じてたびたび連絡を取っていた。アロノヴィッツは、ボブ・ディランが新人だった頃にアレン・ギンズバーグやビートルズに紹介した人物だ。

インドの「バブー・キシャン」がインド及びアジアの諸地域で宣伝販売した「ボブ・ディラン」のアルバム
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バブー・キシャン(クリシュネンドゥ・ダス)の名刺
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 ベンガル地方の人はたいてい、この町はボブ・ディランと縁があるように話すが、実際にはない。プルナ・ダス・バウルの長男、バブー・キシャン(ボリウッド・ネーム)ことクリシュネンドゥ・ダス(本名)のみが、ボブ・ディランと個人的なつきあいがある。彼の父親と叔父ラクシュマン・ダス・バウルは1967年に初めてボブ・ディランと会ったが、関係は長くは続かなかった。バブー・キシャンだけが交友関係が続き、ボブ・ディランと会うたびに、「ラクシュマン・ダス・バウルは元気か?」と訊かれた。
 ボブ・ディランとベンガルとの繋がりは、バブーの父親と故ラクシュマン・ダス・バウル、そして、バブー・キシャンがボブと知り合いだということのみである。ベンガル地方のさまざまな新聞でボブ・ディランに関する記事を書いたのは、バブー・キシャンことクリシュネンドゥ・ダスが第1号であり、その後ももっぱら彼しかいない。ボブ・ディランがインドに来たことはないが、記事を通してボブ・ディランをベンガルやインドに紹介したのはバブーである。しかし、我々の目に映る現状はというと、ボブ・ディランと縁もゆかりもない他のアーティストやバウル、詩人が話をでっち上げている様子である。
 バブーは1980年代にディランのアメリカ・イースト・ウェスト・ツアーに同行し、父親と母親を伴って少なくとも10回はステージに立っている(正確には何年何月のツアーの、どこの都市でやった公演だよ?)。ツアーに参加し、ディランと友人関係を保っていたのはバブー・キシャンだけだ。父親とディランを18年振りに再び結びつけ、ウッドストックでガース・ハドソンとアルバムをレコーディングする手筈を整えたのもバブーなのだ。
 最近になって、バブーはジェイコブ・ディラン(ボブの息子)と話す機会があったのだが、ジェイコブは、ボブはインドには行ったことがないと語った。我々はこの件に関してボブにも確認を取った。

ボブが首に巻いてるラマバリ(スカーフ)はラクシュマン・ダスがプレゼントしたもの
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アメリカの詩人、アレン・ギンズバーグと、インドの詩人、バブー・キシャン
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 バブー・キシャンは長年の盟友、アレン・ギンズバーグとの交友に関する本を執筆中である(早く完成させてね)。バブーはアレン・ギンズバーグとの長期に渡る交友関係を築いたただひとりのバウルである。
 もちろん、この交友関係の端緒はギンズバーグがバブー・キシャンの祖父、「ナバニ・ダス・キェパ・バウル」と出会ったことだ。ギンズバーグは1962年にインドを旅行した際にナバニと会い、亡くなるまでずっと私的な繋がりを保った。アレン・ギンズバーグのウェブページには「その他」のカテゴリーにバブー・キシャンのページへのリンクがある。バブーとアレンは詩人同士で、神秘思想も共有している友人だった。

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 このサイトがフェイスブックのディラン・ファン・サークルで紹介されると、次のコメントが付きました。現地をよく知る人の貴重な発言だと思います:
 当時、私はカルカッタで暮らしており、ディランが来たという噂を例の結婚式の数日後に聞いたことを覚えています。このニュースはすぐに広まり、間もなく、本当のこととして見なされるようになりましたが、私はこれは事実ではなく、都市伝説だと思います。というのも、ベンガル式の結婚式は、少人数のみでプライベートに行なうものではなく、100人以上のゲストを招いて行なう盛大なイベントだからです。もし事実であるのなら、結婚式から今日までの長い時間の間に、ディランが出席しているのを実際に見た人の証言がもっとたくさん出てきていることでしょう。
 サリー・グロスマンこそ、実際にカルカッタに来てバウルたちと会った人物であり、今日に至るまでずっと、ここを訪れ続けています。2年前に行なわれたジョン・マクラフリンのコンサートで、私は彼女と会いました。


当ブログ掲載のボブ・ディランとインドに関する記事:
《John Wesley Harding》のジャケットに登場しているインド人の話(1)
http://heartofmine.seesaa.net/article/385773614.html

《John Wesley Harding》のジャケットに登場しているインド人の話(2)
http://heartofmine.seesaa.net/article/386451627.html

これもベースメント・テープスだ
http://heartofmine.seesaa.net/article/407462332.html

ボブ・ディランはインドに行ったことがあった!
http://heartofmine.seesaa.net/article/442946487.html


   






 ということで、ボブ・ディランはインドに行ったことがあるんだかないんだか不明ですが、オーストラリアのこの人から赤道を越えて届いた情報によると、東京ボブはこの2月に確かにインドの地を踏む模様です。

Tokyo Bob.jpg

posted by Saved at 16:52| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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