昨年4月に拙訳で『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』を電子書籍として出版しているので、その原著者であるCP・リー氏に会うという夢も果たすことが出来ました。CPはかつてはアルベルト・イ・ロスト・トリオス・パラノイアスというパンク・バンドで活躍してBBCに出演するという経験を持つだけでなく、マンチェスターのロック史に詳しい郷土史家としても活躍しています。秋に発売されるマンチェスター出身のロック・アクトをまとめたオムニバス・アルバムの解説も既に執筆済なのだとか。
さて、私が宿泊していたザ・ブラック・ライオン・ホテルにCPが迎えに来てくれて、マンチェスター観光ツアーが始まりました。ここは1階(イギリス式に言うとグランド・フロア)がパブ、2〜3階(イギリス式に言うと1〜2階)が安ホテルとなっているのですが、CPは開口一番こんな話をしてくれました。
CP:ここは昔、ジョン・メイオールがロンドンに進出する前、よく演奏していたところなんだよ。
私:そんな由緒があるホテルとは全然知りませんでした。
CP:知らなくても仕方ないよ。何にも書かれてないんだから。そもそも、アメリカのブルース・シーンとコネのある人がマンチェスターにしかいなかったので、ブルース・ミュージシャンはまずマンチェスターにやって来たんだ。そんな時には、ロンドンのミュージシャンも鉄道に乗ってマンチェスターまで見に来たんです。だから、ブリティッシュ・ブルースの本当の誕生地はマンチェスターなんだ。ロンドンじゃなくてね。
ドアから入って右側にはバーやテーブルがあるのですが、左側はライヴハウスとしても使えるスペースとなっています。現在では一段高いところにビリヤード台が置かれており、今でも時々、ここでバンドの演奏が行なわれているようですが、メイオールもここでプレイしていたのでしょうか? この日の夜と翌日朝に、ホテルのスタッフ数人(20〜30代)にこの件について質問しましたが、残念ながら誰も何も知りませんでした。
その後、「ここがマンチェスター発祥の地なんだ。2本の川が合流するここにブリガンテスと呼ばれる人たちが家を作ったのが、この町の始まりです」、「この図書館にはジョン・ディーの自筆の日記が保管されています」、「トマス・ド・クインシーがふらふら歩いていたのはこのあたりですね」(セント・アンズ・スクエア)、「ここがヴィトゲンシュタインがよく飲みに来たパブだよ」という具合に、私のレーダーがピピピッと反応するような情報をまぶしながら市内のあちこちを案内してくれたのですが、そうこうしてるうちにたどりついたのがタウンホールの近くにあるエイブラハム・リンカーンの銅像です。
CP:リンカーンの銅像があるのは、アメリカの南北戦争の際に、マンチェスターの労働者が北部のほうを支持していたからなんです。それで、戦争が集結してから、お礼として、アメリカからこの町にリンカーンの銅像が贈られたってわけ。ほら、ここに感謝の言葉が書いてあります。
私:リヴァプールのいくつかの博物館では、リヴァプールは南部同盟を支持していたって書いてありました。
CP:あちらさんは綿花が欲しかったからね。都市によってどっちを支持するか違ってたんだよ。
ここから私たちは歩いてフリー・トレード・ホールに向かいました。現在はもうホールとしては存在しておらず、ストリートに面している部分は残っているのですが、裏はラディソン・ブルー・エドワーディアンという高級ホテルになっています。CPはフリー・トレード・ホールの保存運動でも中心的な役割を果たしました。
CP:ここでピータールーの虐殺という事件があったんです。地主(貴族)に便宜をはかって穀物の輸入を制限してその値段をつり上げていた穀物法に反対した群衆が「フリー・トレード(自由貿易)」を求めてデモ集会を行なってたところに軍隊が突入してきて、市民から多数の死傷者が出たんだ。丸腰の市民に向かって剣を抜くなんて、絶対にあっちゃいけない。なので、この事件を忘れないためにホールが建てられたんだ。「フリー・トレード」という抽象的な概念が名前となったホールは世界中探してもここだけだと、ある歴史家も言ってます。
CP:ここがかつてメイン・ドアだったところです。私もあのコンサートの時にここから入ったんだ。
(警備員が立ってるところ)
CP:セックス・ピストルズがコンサートをやったことで有名なレッサー・フリー・トレード・ホールの入口はここです。ここから入って上に登っていったんだ。上の階に小さな会場があったんだよ。
かつてロビーだったところは、今はレストランになっています。
ホテルの1階ロビー(イギリス風に言うとグランド・フロア)の奥の壁にはピータールーの虐殺の絵があり、2階(イギリス風に言うと1階)には、フリー・トレード・ホールの歴史に関する展示があります。
CP:私はこの絵はあまり気に入ってません。内容的にいい絵とは言えません。群衆同士が喧嘩していることになっていて、軍隊が群衆を弾圧してるところはあまり描かれてないからです。
私:ボブよりも前に、マディー・ウォーターズがフリー・トレード・ホールでコンサートをやった時に、エレキギターを弾いて観客の不興を買ったというのは本当なんですか?
CP:マディーが不興を買ったんじゃないよ。あの当時はミュージシャン組合の規定で、外国から歌手が来た場合、バックの演奏はイギリスのミュージシャンが担当しなきゃならなかったんだ。それで、マディーはギターを弾くことが出来ず、ヴォーカルに専念せざるをえなかったんです。ファンは、くだらない規定のせいでマディーがギターを弾けないことに怒りました。ジョン・メイオールも怒った人のひとりでした。
あ、そうそう。ここ(ミッドランド・ホテル)はボブがネヴァー・エンディング・ツアーで何度めかに来た時に宿泊したホテルなんだけど、シーツを全部黒にしてくれなんていう変なリクエストをしたのがここだよ。
その後、光栄なことに、CP宅に招待されて、おいしい夕飯をごちそうになりました。マンチェスター郊外の素敵な家の本棚には、ボブ・ディランやロックに関する書籍にまじって、ジョン・ディーやアレイスター・クロウリーの本もありました。(誰かの家に行ったら何よりもまず本棚をチェック)
私:CPは何の省略ですか? クリストファー・フィリップ?
CP:クリストファー・ポールです。既にクリストファー・リーっていう俳優がいてね。組合の規則に、たとえ本名であっても、先に存在する俳優・歌手・タレントと同じ名前はダメっていうものがあるんだ。それで、CP・リーって名乗ることにしたんです。
私:バンドもやってたんですよね。
CP:ええ。フリー・トレード・ホールにもBBCにも出演したんですよ。これを見たまえ。
私:近所の人は、ここに住んでるオジサンが元パンクロッカーだって知ってるんですか?
CP:知らないだろうなあ。1960年代のバンド、グリージー・ベアのアルバムは、ヴァイナル・リヴァイヴァルからやっと発売されたんだ。
私:Brexitについてはどう思いますか?
CP:私はアイルランドから来た移民の子孫なので、イギリスが離脱するのと同時に、国籍をアイルランドに変えようと思ってるんだ。EUの市民で居続けたいからさ。来週はトランプ訪英反対デモに参加しなきゃならないし、忙しいなあ。
たった滞在してたのはたった2日間だけですが、マンチェスターは図書館が充実している町という印象を受けました。マンチェスター・ヴィクトリア駅の近くのチェサムズ・ライブラリーには、エリザベス1世の時代の宮廷魔術師だったジョン・ディーの自筆の書が保管されているそうですが(私が滞在中は何かのイベントが行なわれていて、一般客は入れませんでした)、たまたま見つけて入ったザ・ジョン・ライランズ・ライブラリーでは、「The Alchemy Of Colours」というタイトルの展覧会をやってました。絵の具屋、ペンキ屋のない時代に、中世の写本を製作する職人が任意の色をどのようにして出したかということをテーマにしていて、小規模ながら優れた内容でした。常設展には1800年くらい前の聖書のパピルス写本の断片もありました。もうビックリです。「ブリティッシュ・ブルース発祥の地はロンドンではなくマンチェスター」という件も含めて、この町はもっと要注目です。