2018年08月11日

アラン・ホワイトとビートルズ:イエス加入前の話

 このインタビューは8年ほど前に行われたもののようですが、私がこれを発見したのはつい最近なので、ここで紹介します。新情報の数々に驚きの連続です。



アラン・ホワイトとビートルズ:イエス加入前の話
聞き手:マイク・ティアノ


 1960年代後半のロンドンの音楽シーンで駆け出し中身であったアランは、クラブで演奏している際にジョン・レノンの目に留まるやいなや、次の瞬間には、プラスチック・オノ・バンドの一員としてトロントのステージに立っていた。ジョンやジョージ・ハリスン、リンゴ・スターといった才能溢れるアーティストの精鋭たちとの人脈も出来、〈Instant Karma!〉〈Imagine〉〈My Sweet Lord〉等、チャートのトップになり、世界中で何百万枚も売れるようなシングルやアルバムでプレイ。エリック・クラプトンやフィル・スペクター等のロック・レジェンドとも仕事をするようになった。この記事では、アランにスタジオ及びライヴ・ステージでビートルズの元メンバーと仕事をした思い出を語っていただく。アランが才能豊かなミュージシャン/ソングライターとの作業から得たことは、彼が加入した後のイエスにも恩恵をもたらしている。

あなたがジョンと会う前のことから始めましょうか。予備知識として知りたいのですが、どのくらいのレベルでビートルズのファンだったんですか?

 ラジオでビートルズの曲を聞き始めたのは、11歳くらいの時だった。オレは長年ピアノを習った後にドラムも練習するようになっていた。両親がドラムを買ってくれたんで、リンゴのバスドラムのダブル・ビートの研究を始めたんだ。遂に解明した時には、ドラマーとして永遠にやっていけるようになったと思ったよ。ビートルズの音楽にはそういうふうに親しんでた。その後、音楽面から、ヴォーカル面から、歌詞やメンバー間のハーモニーを聞くようになって、グループってどういうものなのかを知った。自分の将来を初めて意識したのは、まさにこの時だった。

バスドラムのダブル・ビートとは?

 ドン、チ、ドンドン、チ…ってやつさ。当時はこれが、バンドでプレイするのに皆が最初に学んだものだった。これが出来るようになるやいなや、優秀なドラマー扱いだったんだ。

リンゴはドラムの達人だと思いましたか?

 もちろん。正しいタイミングで正しいことをやってたと思う。テクニック的には、名人じゃないと思うが、バンドの他のメンバーと協力して、バンドにプレイをさせる方法と手段を持っていた。それにバンドをうまく機能させるカリスマ性も持っていた。リンゴがやってたことを過小評価してる連中は多いね。

そうですね。とても過小評価されています。

 グレッグ・ビソネットがシアトルでやったクリニックを見たんだけど、クリニックの20分間丸々、ビートルズのことばかり話してたよ。リンゴのスタイルがビートルズの音楽にどういう影響を与え、どうしてああいうふうになったのかってね。

リンゴはビートルズの大きな構成要素ですが、とても過小評価されています。特にビートルズのどの曲から大きな影響を受けましたか?

 初期のアルバムも全部好きだったけど、《ABBEY ROAD》は偉大なアルバムだ。《THE WHITE ALBUM》もいい。もちろん、《SGT. PEPPER》は音楽のランドマーク的な作品だった。ビートルズはそういう踏み石のようなものをたくさん作ってるから、あの頃の人はビートルズの作品を、他の多くの音楽用のリファレンスとして使っていたんだ。ビートルズは昔も今もそのくらいビッグだった。

メロディーや曲作りの点で影響を受けた曲はありましたか?

 ポールはバンドの有力メンバーで、時にはドラムも演奏してるから、ビートルズの音楽はとても入り組んでいる。う〜ん、どこから始めたらいいかなあ…。ビートルズの曲は全部大好きだよ。〈Norwegian Wood〉とかさ。単なる思いつきで挙げただけなんだけどさ。ビートルズの話だったら永遠に続けられる。スゴいよね。〈Back In The USSR〉もいいね。影響を受けた曲を挙げる作業はエンドレスだ。アルバム全部に触れて、この曲がそうですって言うことが出来る。

ビートルズのコンサートは見たことがありますか?

 全くない。

ジョンと会う前に、ビートルズの誰かと会ったことはあるんですか?

 ない。でも、アップルには何度か行ったんだ。友人が何人かアップルにいたんだよ。アップルはサヴィル・ロウにある家みたいなものだった。中に入ると、建物全体がバイブレーションに満ち溢れていた。広報係のデレク・テイラーの部屋は、1日24時間、ディスコ状態だった。遊びに行くと楽しいところで、友人と一緒に何度かそこに行ったよ。ただそこでウロウロしてただけだけどね。ロンドンでコネがある奴なら、皆、そこに行くだろ。でも、ジョンから「ライヴ・ピース・イン・トロント」で演奏してくれって誘われるまでは、誰にも会ったことはなかったよ。

あなたがクラブで演奏してたら、ジョンが見に来たという話ですが…。

 クラブにいた時にはジョンに会ってないんだよ。ジョンはその時は演奏を見ただけ。ジョンはトロントで行なわれるフェスに出なきゃいけなくて、翌日、オレに電話をかけてきた。「一緒にギグをやってくれないか」って。ダチのひとりがオレをからかってるんじゃないかと思ったよ。ジョン・レノンの真似をしてさ。だから、「やらないよ。冗談だろ」って答えて、イタズラの主はあいつかなって思いながら、切っちゃったんだ。そしたら、5分後にまた電話があって「冗談じゃないんだよ。こっちは本当にジョン・レノンなんだ」って言う。「そうなんですか。すみません」て謝ると、ジョンは「いや。いいんだよ」って言った。
 「ギグをやりたいかい?」って訊かれたんで、「もちろんです」って答えると、ジョンは「OK。それじゃ、朝、リムジンをそっちによこすから」って言った。翌朝って意味だった。当時、在籍していたバンドのメンバー全員が、オレにブーイングさ。だって、その晩、ギグをやって、金が入る予定だったんだからね(笑)。オレは言ったよ。「オレがジョン・レノンとプレイすることになったってことを、お前ら、理解してくれないのか!」って。バンドはギグをキャンセルして、オレはこのリムジンに飛び乗って空港に向かった。次の瞬間、オレはヒースロー空港のVIPラウンジにいて、エリック・クラプトンとジョン&ヨーコ、クラウス・フォアマンと一緒に飛行機に乗るのを待っていた。

あなたの人生でとても重要な瞬間だったのでしょう。違う選択をしたら違う人生になってたかもしれません。あなたがあくまでバンドに忠実でいて、「出来ません。オレにはバンドがあるんですよ。ジョン、誰か他の人を捜してください」って言うことも出来たでしょう。そしたら、あなたのキャリアはどうなってたかわかりません。でも、バンドの他のメンバーだって、もし同じチャンスを与えられたなら、断れなかったんじゃないですか。

 皆、「もしオレが同じ立場だったら、そうしただろうな」って思ってたんじゃないかな。

その時あなたがいたのはグリフィンてバンドですよね。

 そう。

ジョンがあなたを見にクラブに来た時、彼がそこにいることは知らなかったんですか?

 ああ、知らなかった。オレたちはステージにいて、ジョンがいたのはちょっとの間だったんだ。しかも、邪魔にならないようにと、後ろの端っこのほうにいたようだ。

ジョンはどうしてそこに来てたんでしょう? あなたをチェックするという明確な意図があったんですか?

 いや。単なる夜遊びの一環さ。ヨーコと一緒に町をフラフラしてて、たまたまあのクラブにやって来たんだ。オレはジョンに会ってすらいない。ジョンはクラブの隅っこにいて、様子をチェックしてたんだ。オレはそう聞いている。30分か45分くらいいて、出てったらしい。でも、オレがそこでやってたことを気に入ってくれたことは確かだ。それで、翌日、電話をくれたんだから。

それがあなたの知ってる事実なのですね。誰かがジョンに、このクラブに行け、このバンドをチェックしろって言ったとかではないんですか?

 そうではないと思うよ。

あなたがアップルに遊びに行ったのは、これよりも前のことですよね。でも、そこでジョンに会ったことはないと…。

 オレはアップルのスタッフと知り合いだって奴と知り合いだったんだよ。それで、2度ほどそこに招かれたんだ。遊びに来いって。アップルは、四六時中、いろんなミュージシャンが出入りするのを良しとしてたからね。テリー・ドランはビートルズのメンバー全員と知り合いだった。テリーは昔、「車のセールスマン」をやってて、用命があったらどこにでも来た。テリーはジョージの部屋で仕事をしていた。ピンク色の部屋の端っこには机が1つあった。ジョージは瞑想とかをやってた時期だった。オレたちはそんなテリーと友達になった。こいつはいろんなクラブに顔を出していた。ロンドンで活動中のいろんなバンドと親しかった。テリーが、ジョンかジョージか、さもなければマル・エヴァンスのようなスタッフに、「ジョン、このバンドを見に行けよ。使えそうなドラマーがいるぜ」って話した可能性もあるかもしれないけど、確かなことはわからない。

あなたの知る限りでは、ジョンはたまたまそこに居合わせて、あなたを見て、気に入ったんですね。

 そう。有望な若手を起用するのも乙なものだろうと思って、オレを手元に置いてくれるようになったんだ。

それであなたのエゴは大膨張したんじゃないですか。ジョン・レノンが来て、あなたを数分間見て、「オレと一緒にプレイしてもらいたい」って言われたんですから。

 まあ、そうなんだけどね。皆に言ってることなんだけど、当時は、20かそこらになったばかりで、それも人生のごく一部って感じだったよ。とにかくたくさん演奏することが出来れば幸せって状態だったんだ。オレたちは世界の端っこのほうにいたバンドだったから、ジョンに誘ってもらえたってだけで、とても愉快だった。人生のもっと後になって思い返してみた時に、あの頃のオレは何て若くて世間知らずだったんだろうってことに気づいたよ。自分がやってること、つまり、自分が歴史のあの部分に関与してるなんて、当時はわかってなかったね。その後、徐々に気づき始めるんだけど、10年後かそのくらいになってようやくだったよ。

しばらく時間が経って、大局が見えるようになってきて、やっとわかるということでしょうか。あなたはジョン・レノンという大物から一緒に演奏してくれって頼まれたわけですが、別の大物も関与してましたよね。エリック・クラプトンです。エリック・クラプトンも一緒だと知らされた時、どう思いましたか?

 空港に到着して、エリックがジョンの隣に座ってるのを見る時まで、知らなかったよ。ラウンジに入って、ふたりに紹介された後、座って、おしゃべりを始めたんだけど、友人たちの中にいるような感じだったね。うちとけた雰囲気だったよ。

とても自然だったということですか?

 そう。とても自然だった。

トロントに向かう飛行機の中ではどんなことがあったんですか? 何の曲も知らない状態で飛行機に乗ったんですよね?

 飛行機に乗る時は、VIP待遇で、人目につかずにいくつもの裏口を通り抜けて飛行機に乗った。飛行機に乗るまで一般人の姿は見なかった。オレたちは全員、前方のファースト・クラスに座った。でも、ジョンが言ったんだ。「リハーサルをやる必要があるな」って。飛行機の後ろのほうは誰も乗ってなかったんで、オレたちはギターを持って後ろまで歩いていったんだ。オレもドラム・スティックを2本持っていって、自分の前の席の背中を叩いてたよ。残りの乗客たちはオレたちのやってることを無理矢理聞かされてる状態だったね。
 オレたちは飛行機の後部座席でジャム・セッションをやった。ジョンが「カール・パーキンス・バージョンの〈Blue Suede Shoes〉は知ってるか?」って言うから、オレは「知ってると思う」って答えた。すると、「「One for the money…」の後に余分なビートが入るんだけど」って言うんで、オレは「ええ、入りますね。でも、皆が何をやってるのかしっかり把握するんで、問題ないですよ」って答えた。オレたちは昔から聞き続けているスタンダード・ナンバーばかりを練習した。楽しかったね。リハーサルは後部座席で1時間くらいやったかな。エリックもジョンも自分のギターを持ってきて演奏した。とても楽しかった。誰からもやめろとは言われなかったよ。

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[全員アコギはアランの記憶違いのようです]


エレキギターではなくてアコースティック・ギターを持っていたんですか?

 そう。アコースティック・ギターが2本あった。ヨーコもそこにいた。クラウスもだ。クラウスもギターを持っていたと思う。全員ギター。オレはドラム・スティックを2本持って、前の座席の背を叩いていた。

オリジナル曲も2つありましたよね。〈Cold Turkey〉とか。

 マル・エヴァンスは「これはいい曲だから、ステージ上でやるべきだ」って言ってたよ。オレの知らない曲だし、そもそもジョン以外、誰も知らない曲だったし、ちょっと難しいところがあって、簡単には出来そうにないんで、ジョンはやらないでおこうって判断した。1969年に、ギグをやりに行く直前に書いた曲だった。ジョンは、最初のうちは、出来ませんて言ってたし、飛行機の中でもやらなかったんだけど、ステージに立つ直前に楽屋ではやったんだ。だから、演奏したんだ。
 思い出すだけで笑っちゃうんだけど、オレたちのリハーサルをジーン・ヴィンセントがそのへんに立って見てたんだよ。そしたら、ジョンは超緊張して具合が悪くなって、トイレに行って吐いちゃったんだ。でも、ジョンがそうなる前に、オレたちは〈Cold Turkey〉を一通り演奏出来ていた。エリックは要領をつかんでたし、オレも曲を支えることが出来てた。エリックも曲を覚えて、「この曲、出来るよ」って言っていた。ジョンがトイレで吐いてる間に、こっちでは「よし、出来るぞ」ってなってたんだよ。そういうシナリオだったのさ(笑)。ジョンはステージにあがる前はとても緊張してた。

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[写真提供:デヴィッド・マークス]


ヨーコの曲は飛行機の中でリハーサルしなかったんですか?

 してない。

ということは、完全に即興状態だったんですね?

 そう。完全に。誰かが演奏しだすと、皆がそれについてった。

そもそも、トロント公演はやるって契約をしたので、やる義務があったものなんですか? それとも、ジョンがやりたがったんですか? ジョンはワクワクしてましたか?

 オレが抱いた印象だと、やるよって軽はずみに言っちゃっただけで、やる義務が生じてることをしっかり認識してなかったんじゃないかなあ。トロントでこのコンサートをやるという契約がある手前、バンドを持ってなかったジョンは、1日でそれを急ごしらえしたんだ。そういう時に、オレに電話してきたわけさ。でも、正式な契約をしたのなら、もっとじっくり準備したんじゃないかとも思う。だって、あまりに急ごしらえだっただろ。マネージャーだったアレン・クラインがいけなかったのかなあ。ジョンは「こんなことをやるなんて信じられないよ」って言ってたけど、それでもどうにかやったよね。オレが思うに、[モントリオールでの]ベッド・インの時にギグをやるって約束しちゃったんじゃないかな。ジョンも話の端緒はそこだって言ってたよ。

飛行機での移動は長時間だったんで、何曲か練習するのに十分な時間があったんじゃないですか?

 そうだね。全セット分、やっちゃったよ。これをやろう、あれをやろうって言いながら。でも、基本的には、多くの部分は現地に着いてから運任せの状態だった。オレたちは、ショウの後、生きて会おうなって感じで、勇敢にステージに立ち向かった。そして、皆で演奏して、見事に約束を果たしたわけさ。

ギグ[1969年9月13日]自体の思い出はありますか?

 もちろん、たくさんあるよ。ジーン・ヴィンセントやリトル・リチャードと会った。オレたちが到着したら、皆、バックステージにいたよ。当時はアレン・クラインがジョンのマネージャーだったんで、オレたちはリムジンの行列に出迎えられた。メンバーは全員、1台のリムジンに乗ると、大勢のファンが自動車で追いかけてきたけど、どこへ行っても警備がとても厳重で、スーツを着た連中がたくさんウロウロしていた。
 その後、会場に向かい、到着すると誰かが演奏していた。楽屋に入って座ってたら、ジーン・ヴィンセントが歩いて入って来た。オレは「ワオ! 遂にジーン・ヴィンセントに会えたぜ」って思ったよ。それからリトル・リチャードにもだ。たくさんの連中が楽屋にやって来た。オレたちは出番を待って座ってただけなのに。オレは20そこそこだったんで、もう大感激さ。口をポカンと開けて、「ワオ! 皆がここに来る!」って感じだった。ジョンはというと、超緊張して、具合が悪くなってしまった。再びステージに立つことに対して、体がそう反応しちゃったんだ。だって、ビートルズでコンサートをやって以来、久しぶりのステージだったからね。もう1度言うけど、オレは若造で、それはオレの周りで起こってることの1つで、オレは自分の役割をこなすだけ精一杯だったんだ。

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[写真提供:デヴィッド・マークス]


流れに身を任せていただけと。

 そう。

ステージ上での調子はどうでしたか? やっつけ仕事だったんですよね?

 オレたちは全てのことを場当たり的にやってきて、そろそろステージに出るぞって段になって、皆、少し緊張してきた。でも、緊張してたのはステージに出る前の話だ。いろんな出来事に影響を受けてしまうものだからね。でも、ステージに出て人前に立つやいなや、ジョンが全てをリードした。凄く落ち着いてたよ。オレはそれまでにやったことのないやり方でドラムを叩いた。スタッフはオレの前にドラムをただ置いただけ。オレが座ってると、スタッフがドラムを持ってきた。それを調整したり、使い慣れてる標準的なドラム・キットのようにしたりする暇なんてなかった。最初の曲に入る準備をしながら、調整しようと努力はした。急いでね。

曲を演奏している時の思い出はありますか? 演奏中には何かハプニングがありましたか?

 あまりないな。演奏を始めると、それ以外のことは消えてしまい、基本的に、周りの人間にいかに合わせるかってことが対処すべき問題になる。すると、突然、内輪の人間がステージ上で音楽を演奏しているだけのことになる。前にいる観客はサブリミナルな存在になって、彼らが自分を見ているということを楽しめるようになる。音楽を通して、内輪の人間だけに通用する文字では表せない言葉で会話を交わすようなものなんだ。皆は皆の演奏能力をわかっている。そして、演奏に集中するようになるんだ。

レノンの曲はリハーサルを行なったそうですが、ヨーコの曲は完全に即興だったんですか?

 そう。全部即興だった。誰がいつ、どのタイミングで何をやるかに左右される、その場のノリってやつ。全部あの場で創造されて、ああいうものになったんだ。今まさに起こってることがアートなんだっいう姿勢さ。しかも、録音されていて、それが作品として永遠にそのままの形で残る。

  

その部分は、素敵だと思って賛成してやったんですか? それとも、「これは一体、何だ?」と思いながらも、仕事を淡々とこなしたんですか?

 ステージ上でヨーコが袋の中に入ってゴロゴロ転がってるとか、金切り声で叫んでいるとか、些細なことさ(笑)。それはそれだよ。彼女から見たらそれが芸術なんで、それに合わせて、自分もその一部になっちゃえばいいんだ。引き込まれちゃえばいいんだよ。オレはその後もジョン&ヨーコとアルバムを作った。理解出来ないものでもあるし、再び聞きたいものでもある。笑えるよね。あのアルバムはそう感じたい。

《FLY》のセッションについて話しているんですか? そのアルバムのタイトルは《FLY》だと思います。

 そう。その通り。

トロントのギグが終わった直後には、どんな出来事があったんですか? ジーン・ヴィンセント等の伝説のロックンローラーたちとパーティーをやったんですか?

 いや。オレたちはさっさと会場を出たよ。車に飛び乗っておさらばした。空港に直行して、ロンドンに戻ったと思う。さっと来て、さっと帰った。ジョンは喜んでたね。とても楽しんでた。でも、あまりに「さっ」とやっちゃったから----この言葉が、この顛末を表現するのに適していると思う----あまりにさっとスピーディーに事にあたっちゃったから、実感がわく前に、さっと済んじゃった。気がついたら、オレは家に帰ってた。

あなたとクラウスとクラプトンは帰国して、一方、ジョンは残ったんですか?

 そう。オレたちは飛行機で帰国して、ジョンは残って、どこかに行ったと思う。ジョンは別の場所に行って、オレたちはイギリスに帰った。あらゆる場所でスピーディーにさっさと事が運んじゃった。

出発前にジョンから、ロンドンに戻ったらまた会おうとか言われましたか? それとも、その後のことは白紙の状態だったんですか?

 何も言われなかったよ。その後の約束は何もなし。これはこの場限りの1回だけの仕事だった。でも、その後、連絡が来て、ジョンと一緒にスタジオでたくさんのセッション・ワークをやったよ。オレと一緒にいて楽しいようだった。あまり歳は離れてないんだけど、オレに対しては親父のような感じで接してくれたよ。音楽面では、オレの演奏を楽しんでくれた。ああプレイしろ、こうプレイしろなんて言われたことはない。オレはただプレイしただけ。自分のことをやっただけだった。ジョンはオレのプレイ全部を気に入ってくれた。プレイにこもっている感情を気に入ってくれたんだと思うな。

クラプトンはどうでしたか? トロント公演の後、クラプトンと会いましたか?

 もちろん。クラプトンからもたくさんのコメントをもらったよ。オレと演奏して楽しかったって。《ALL THINGS MUST PASS》のセッションでも会ったなあ。親しい友人同士になった。ジミー・ペイジ邸で行なわれたパーティーでも2度ほど会った。エリックはオレのことをいつも「ホワイティー」って呼ぶんだ。「ヘイ、ホワイティーじゃないか」って。そういうレベルの友人になった。

 ジジ・ホワイト:アランと私が出会ったのは、ジミー・ペイジがガールフレンドのシャーロットのために開いた誕生パーティーに行った時なの。その頃、アランはジミーとクリス[・スクワイア]と一緒にある企画をやってたんだけど[お流れになってしまったXYZプロジェクトのこと]、初めてアランと会った時、私はこの人が何者なのか殆ど知らなかったの。このパーティーで、エリックがおしゃべりをしながら、私の上にビールをこぼしちゃったのよ。その人が誰だかも私は知らなかったんだけど、その人は気づかぬまま永遠にしゃべってたの。で、その後、その人がどこかに行った時に、アランが「あの人、誰だか知ってる?」って訊くから、「いいえ」って答えると、「エリック・クラプトンだよ」って教えてくれたんで、「だったら私にビールをひっかけてもいいわ。問題なし。大丈夫よ!」なんて言ったのよね(笑)。

 あれは有名なパーティーだ。大きなテントが設営されていて、中にはミュージシャンもたくさんいて、アンプも準備されていたのに、誰もドラムスティックを持っていなかったんだ。ジミー・ペイジとオレで腹這いになってレンジローヴァーの中を探したんだけどね。オレが「どこかにあるはずなんだけど…」なんて言いながらさ。パーティーにはジム・キャパルディーやサイモン・カーク等、6、7人のドラマーが来てたんだけど、誰もドラムスティックを持ってなくて、誰もプレイすることが出来なかったんだ。だから、バンドの演奏は全くなしだった。

最近、エリックと会いましたか?

 長年会ってないけど、本当にいい奴なんだ。一緒にプレイしたことのあるミュージシャンや、音楽業界で会った人の中で、大好きな人間のひとりだよ。真の天才だ。

  








〈Instant Karma!〉のレコーディングにはどういう経緯で参加することになったんですか? トロント以後、初のジョンとのセッションですよね。

 また電話がかかってきたんだ。ジョンがセッションをする予定だって。「ジョンはあなたにドラムを演奏して欲しいそうです」って言うんで、「いいですよ」って答えたよ。それで、自分のドラムを持って行ってセットアップすると、皆が入ってきた。その時だよ、フィル・スペクターに会ったのは。フィルが「この曲のデモがある」って言って、それを流すと、ジョンが入ってきて、皆で曲をあれこれいじり始めた。その後、ジョンが「ここにドラム・ブレイクが必要だ」って言い出したんで、 オレは言ったんだ。「ずっとドラム・ビートでやってみたいことがあるんだけど、ブレイクのところでは違う拍子でプレイしてみよう。少しの間だけ、脇に逸れてみよう」って。でも、ジョンからは「キミの言ってることはよくわからないなあ…」なんて言われた。オレはハイハットやシンバルではなくて、タムタムを使った。フィル・スペクターの録音したデモでは、基本、ドン・チ・ドン・チ・ドンだったけど、ドラム・ブレイクのところになるとドン・チ・ドン・チ・ドドドドンになっていた。普通ならそうさ。でも、オレはそうしなかった。違う拍子でプレイした。そうすると、フィーリングも違ってくる。そしたら、ジョンは言ったよ。「それ気に入った!」って。ドラムのパートでは異なるエリアに入って、また曲に戻るっていうのが、オレがずっとやってみたかったことだった。オレがそれを始めると、ジョンが気に入ってくれて、レコードではそれが派手に目立つ特徴になった。

あのレコードではドラムがとても目立っています。多くのポップ・シングルよりもそうです。全面に出ていますね。

 そう。フィルもそういうサウンドを気に入って、ああいう状態になった。フィル・スペクターはたくさんのトラックにたくさんの音を録音するから、その日の終わりに、ピアノをオーバーダブしたと思う。ジョン・レノンとオレでね。ジョンが低音のほうを、オレが高い方をダン・ダン・ダン・ダンて弾いた。ピアノが2台あって、ゲイリー・ライトと、バッドフィンガーのメンバーもいたと思う。オレたち全員でダン・ダン・ダンてやったんだ。フィルは全部の音を入れて、その結果、ああいうサウンドにしたんだよ。

そのセッションにはジョージ・ハリスンもいましたよね。

 ああ、いたよ。ジョージはスタジオに入って来て、アコースティック・ギターを弾いたと思うけど、レコードでは目立ってない。ジョージは端のほうにいた。でも、部屋の中にビートルズのメンバーが2人もいたんだぜ…。ひとりでも十分なのに、2人もいたら、スタジオ中が2人を中心にグルグル回り出してしまう。皆、畏敬の念にかられてね。だって、音楽で世界を変えちゃった人と同じ部屋の中にいるんだぜ。

拍子を変えたというのはとても面白い話です。あなたはその後、イエスでそれをさらに大きなスケールでやることになるんですからね。ずっとストレートな4分の4拍子が続くんじゃなくて、あのブレイクのところでは脱線して、再び戻って来るっていうアイデアがあなたのものだったとは!

 実はそうなんだ。音楽の流れから脱線して、っていうのはイエスの得意技だ。バンド全体が1つの要素から逸脱して、あっちに行ったりこっちに行ったりして、再び戻ってきて、今度は3人が向こうに行っちゃったり…。ドラム・クリニックでいつも言ってることなんだけど、音楽にはルールなんてないんだ。基本的に、やりたいことは何でもやっていいんだよ。ルールを作ってるのはレコード会社さ。大衆にアピールしたいと思ってるからね。イエスがそういう思考になったことはないと思うよ。オレたちはやりたいことをやってるだけだから。

〈Instant Karma!〉のリリースは画期的な事件でした。私はビートルズの大ファンで、ジョン・レノンが大好きでしたが、〈Instant Karma!〉を聞いた時には、「このドラマーすげえ!」って思ったんですよ。

 オレはジミ・ヘンドリクスで同じ経験をしたなあ。スピーカーに耳を近づけて「こいつ凄え!」って思ったよ。存在するだけで凄えって。15か16の時に、住んでた町から20マイルくらい離れたところにある小さなクラブに見に行ったよ。ジミ・ヘンドリクスが出演するっていうから、車を運転することの出来る奴と一緒に行ったんだ。クラブの中には300人くらいいた。忘れられないよ。あの頃はオレはチビで、背が伸びたのは15を過ぎた頃からだった。オレはバンドの姿を見ようとずっと飛び跳ねていた。それで見ることは出来たんだけど、結局、一晩中飛び跳ねてたね。飛び跳ねることを止めなかったのは、興奮と音楽の力のせいだ。ステージでは凄かった。ステージに存在するってだけでね。ジミはジョン・レノンの別種だ。目が離せない、やってることは魔法だって点でね。

ビリビリ痺れてたわけですね。〈Instant Karma!〉に参加して、次は《IMAGINE》セッションですね。

 そう。

 

その間には何もなかったんですか? またいつも通り、ジョンから電話が来て、参加を打診されたんですか?

 そう。電話をかけてきたのはジョンじゃないと思う。テリー・ドランて奴だ。テリーはオレと、オレがやってたバンドのメンバー数人と友達だった。いろんなクラブに出入りしてて、ジョージのスタッフだった。ジョージの右腕だった。ジョージのためにあらゆることをやってたよ。アップルにオフィスを構えてて、ビートルズ初期からのスタッフのひとりだ。元は車のセールスマンか何かをやってて、それでメンバーとは友人になって、ビートルズがビッグになった時、ジョージから「ロンドンに来い。給料を払う。オレのアシスタントとして働いてくれないか」って言われたのさ。そのテリーから「ジョンがニュー・アルバムをレコーディングする予定で、キミに参加してもらいたいって言ってるんだけど」って電話があったんだ。オレは「OKです」って言って、自宅にある自分のドラムを持って行くことにした。
 スタッフがオレのドラムを車に載せて、ティッテンハースト・パークに行った。ジョンはそこをリンゴから買ったばかりで[訳者註:ここはアランの記憶違い。ジョンはニューヨークに引っ越す際に、リンゴにそこを譲った]、あちこちを工事しているところで、台所には瓦礫があったけど、そのすぐ隣にあったスタジオは完全な状態だった。リンゴが作った小さなスタジオ・ルームがあって、8トラックのレコーディング・システムが設置してあった。《IMAGINE》の制作は、まずはそこに行って、リハーサルを始めて…。

しばらくはその屋敷で生活してたんですか?

 うん。そこで寝泊まりしていたよ。

自分専用の部屋があったんですか?

 オレ用の小さなベッドルームがあって、そこで寝泊まりしていたよ。10日間くらいそこで過ごした。アルバムに参加した人全員が、屋敷に出入りしていた、オレはそこに泊まっていて、エリックもそこに泊まっていて、オレとジョンとヨーコが屋敷の主な在住者だった。

エリック・クラプトンもいたんですか?

 うん。

アルバムにはクレジットされてませんよね。

 2曲ほどプレイしてるよ。でも、そこにいたのは2日くらいで、しかも、出たり入ったりしていた。ただウロウロしてただけだけどね。エリックが参加したくなかったのか、ジョンがエリックのプレイを使わなかったのかは、オレにはわからないけど、エリックは2日ほどそこにいたよ。ジョージと、それから、バッドフィンガーのメンバーで、自殺しちゃった奴、何て名前だったっけ…?

ピート・ハムです。

 そうそう。ピートもいた。セッションが始まると、あいつは毎日やって来た。アルバムの核となってるメンバーはずっとそこにいた。

 

ビデオ『Gimme Some Truth』の中では、あなたはかなりかしこまっちゃってるように見えます。その時もまだ、ジョンを畏れ多く思ってた状態だったんですか?

 当時はまだオレはガキだった。オレは音楽の中でドラマーという役割を果たして、ベストなプレイをしようと努力をしていたまでさ。かしこまてったとは思わないけど、畏敬の念を抱いてたことは確かだ。

あなたがプレイしているトラックについてうかがいたいと思います。タイトル・トラックの〈Imagine〉についてはいかがですか? 《The Lost Lennon Tapes》を聞いたところによると、最終バージョンに至るまでに、いろんなバリエーションを経ているようですね。

 そんなことはないと思う。基本的に、ジョンからは、ああやれ、こうやれって言われたことはない。「違う。ここではこうやってくれ」なんて言われたことはない。ジョンはいつも、オレにやりたいようにやらせてくれたよ。オレのパートはオープンだった。オレも《Lost Lennon Tapes》は聞いたことがある。あのシリーズがどのくらい正確かはわからないが、オレの記憶では、確かに、レコーディング中はあれこれいろいろやっていたけど、〈Imagine〉は実際に使ったバージョンは3番目のバージョンだと思う。そっちのほうが感情がこもっていた。ジョンは隅にいた。あのバージョンだと思うんだけどなあ。スタジオ内は、この曲の一番いい演奏が出来たっていう手応えを、皆が感じてるって雰囲気だったよ。カリスマ的な雰囲気があったなあ。ジョンが歌って、作業が完了した時、「やったぜ」って感じたよ。その後も何テイクか演奏したけど、最終的に使われた、皆の知ってるテイクは、あっちのほうだったと思うな。

あなたがドラムで少し違うことをやってるバージョンを、私は聞いた覚えがあります。ところどころでささやかなフィルを入れてるバージョンです。

 ああ、そういうのもあったね。でも、いらないって判断されたんじゃないかな。超ストレートなアプローチをやりたがってたんで。そうしたのは、歌詞が素晴らしかったんで、曲のそういう部分に集中してたんだ。

〈Jealous Guy〉では、あなたはビブラホンしか演奏してないんですか?

 その通り。

どういう経緯で、この曲ではドラムではなく、ビブラホンを演奏することになったんですか?

 オレはドラムを演奏する前に、ピアノを習ってたんで、キーボードに関する知識もあったんだ。それで、その日はジム・ケルトナーが来てたんで、ジョンが「ジムがドラムをプレイして、キミはビブラホンがいいな」って言い出したんだ。ドゥン・ドゥン・ドゥン、ドゥン・ドゥン・ドゥン(歌う)てラインをオレが思いつくと、ジョンがそれを気に入って、「続けろ」って言った。そして、大きな音でミックスされていた。心地よい響きが歌全体の重要な一部になっている。アルバムに「Alan White, good vibes」[「素敵なビブラホン」「良い雰囲気」の両義だろう]って書いてあるのは、そういうわけなんだ。オレの作業をジョンが気に入ってくれた証拠さ。しかも、その日、変なセッションをやったってことでもオレの記憶には残ってるんだ。
 さっき言った通り、スタジオはそんなに大きくなくて、端にドアがあって、そこはバスルームだった。しかも、ビブラホンの音が良く響くのは、このバスルームだけだったんで、オレは丸1日、バスルームでビブラホンを演奏して過ごしたんだ。カウントインとか、皆の様子が見えるように、2インチくらいドアを開けといてもらった。だから、あのビブラホンはオレがバスルームでプレイしたものなんだ。

〈Gimme Some Truth〉についてはいかがですか?

 《IMAGINE》セッションが始まる前にジョンが書いて、常連プレイヤーに歌詞を配布したんだ。ジョンの意見表明の曲の1つだったね。意見表明に参加したくなかったら、このレコードではプレイするなっていう。皆、アルバム収録曲の歌詞を全部読んだ。ジョンは演奏する前に、どんな内容の曲をやるのか皆が理解していることを確かめていた。他の人に対して主張をしているこれは、説得力のある曲の1つだった。

〈Oh My Love〉は?

 (笑)この曲はあまり覚えてないんだよなあ。

とてもすっきりした曲ですよね。

 とてもシンプルだ(「Oh my love…♪」と歌いながら)いい曲だ。100%ジョンだね。曲によっては、オレのパートはとてもシンプルだけど、ジョンはオレのやりたいようにやらせてくれて、「いや、こうしてくれ」なんて言うことはなかったね。

ポールをディスってる曲〈How Do You Sleep〉はいかがですか?

 これも先にオレたちに歌詞を読ませた曲だ。「友人を攻撃してるんだ」って言ってたよ。楽しくプレイした曲だったけど、あの頃のオレは単純だったから、音楽を自分のやりたいように演奏しているだけだった。自分が何をやってたのか、当時、どういう場でそれをやってたのかをはっきり理解することが出来たのは、ずっと後になってからだ。



〈How Do You Sleep〉のレコーディング中、曲のテーマが会話の話題になったりしませんでしたか?

 全然。歌詞の中に全部書いてあったから(笑)。その晩、休憩して夕飯を食べたんだ。12フィート(3.6メートル)もの長さの巨大なキッチン・テーブルについてね。

映画にもその場面がありますね。

 ジョージが反対側に座ってて、ジョンはこっちに座ってて…あれが、ジョンがやる必要があると思ってたこと、やりたかったことなんじゃないかな。

〈How〉の思い出は?

 〈How〉は別の種類の曲で、変拍子があったんで、オレは楽しんでそれに挑戦したよ。ジョンも気に入ってくれた。ジョンはこの曲を比較的シンプルな状態に保っていたけど、内部の構造は皆が思ってる以上に複雑だった。ジョンのヴォーカルに基づいて全てが動いていたから、ジョンの歌い方に意識を集中していなければならなかった。ゆっくりになったり、もとに戻ったり、曲全体でスピードがアップ&ダウンしていた。手探り的な要素の多い曲だった。

〈Oh Yoko〉についてはどうですか? どんな感想をお持ちですか?

 (笑)〈Oh Yoko〉の感想? まあ、いい曲だよね。でも、あの曲を歌ってヨーコを喜ばせようとしたんだと思う。他の名曲と同列に並ぶものじゃないと思う。

殆ど使い捨てですよね。

 そう。捨て曲だ。ジョンがヨーコのために歌いたい曲とは同列だったけど、アルバムの他の曲と同じレベルとは思わないな。

ジョン・レノンと働いたのと同時に、多くのセッションでフィル・スペクターとも仕事をしたわけですよね。何か思い出話はありますか?

 些細なことなんだけど、ジョンがフィルのところに歩いて行って、オレの目の前で、彼に「外にあるオレの白のロールス・ロイスをあげよう」って言ってたよ(笑)。そうジョンが言ったんだ。「いい仕事をしてくれたから、オレのロールスロイスをあげよう」って。

ジョンがフィルにそう言ったんですか?

 そう。自分が使ってた巨大な白のロールスロイスをフィルにあげてたよ。その日に。「受け取ってくれ。素晴らしい仕事をしてくれたんだから」って言いながら。


[ここに登場する車がそう?]


スタジオでのジョンとフィルのインタープレイはどのような感じでしたか?

 何度か互いに言い合いしてたよ。意見の衝突ってやつさ。でも、何かを創造するってそういうことだろ。そんなに簡単なものじゃない。ジョンが「でも、フィル、あんたはわかってない」って言うと、フィルが「いや、ジョン。こうじゃないよ」って返す。極めて興味深い会話だったなあ。でも、たいてい、そういう衝突から優れたものが生まれるんだよ。究極のゴールだ。

時に、優れた芸術は闘争から生まれます。

 イエスのステージがそうだよ。

(笑)

 時に、どころじゃないよ。そのレベルに達するまでには、たくさんの衝突がある。

アルバムの全曲でプレイしてるわけでないのはどうしてですか? ジム・ゴードンやジム・ケルトナーがプレイしているトラックもあります。

 ジム・ケルトナーもいたな。ロンドンにいて、たくさんのセッションをこなしていた。あの時は、ライ・クーダーか誰かのレコーディングをやってたんだと思う。ジョンとは別の仕事をやたったこともあった。優秀なプレイヤーで、とてもいい奴だ。今でも親友だ。世界で一番おかしな奴でもある。超おかしなユーモアのセンスの持ち主なんだ。どっしり構えて、何でも受け入れ、やる必要のあることはしっかりやる奴だ。大親友になったよ。その後、オレがジョー・コッカーとプレイするようになったのは、ジムがマッド・ドッグス&イングリッシュメンのメンバーだったからだ。ジョー・コッカーからセカンド・ドラマーにならないかって電話があったんだ。ジムとは仕事がしやすかった。ダブル・ドラマーっていう状況はとてもやりやすかったよ。ジムがオレ用のスペースを残しておいてくれたからね。その結果、オレは、ジム用のスペースをどう残したらいいか、人から教えられずともわかった。一緒にプレイしやすい奴だった。
 とてもいい関係だった。とてもウマがあったし、あれこれアイデアをぶつけあって、全てをスムーズに機能させた。ジムはジョンやロンドンのミュージシャンと知り合いで、当時から、ひっぱりだこのドラマーのひとりだった。でも、オレはそんなことは気にせず、ジムの演奏に常に敬意を抱いてたよ。ジムが〈Jealous Guy〉でドラムを叩くことになったんで、「それじゃ、オレはビブラホンをプレイするよ」って言ったんだ。ジョンからも「いいアイデアだ。ビブラホンをやってくれ」って言葉が出て、それでうまくいった。

〈I Don't Want To Be A Soldier〉や〈Crippled Inside〉のセッションにも立ち会ってはいるんですよね?

 もちろん。オレはいつもそこにいたよ。とても家庭的な雰囲気だった。

どの曲で誰が演奏するかはどのように決められたんですか?

 ジョンが「この曲にはジムのスタイルが合うと思うな」って言うと、それで丸く収まっていた。それで誰かが気分を害したりなんてことは全くなかったね。全体を通じて友好的な雰囲気だったよ。

《IMAGINE》が発売された時、セッションに参加してギャラをもらったこと以外で、どんな利益がありましたか? ロック系のマスコミにおいて、あなたの地位が上がったとか?

 そんなことはないと思うな。マスコミの多くはジョンにしか関心がないだろ。当時は、注目の的だったし。アルバムでプレイしてる人なんて、基本的に…。バーやクラブで会った人から「お前、レノンのニュー・アルバムでプレイしたんだってな。名前見たぜ」って言われたこともあるけど、オレが体験したのはもっと深いことだったと思うんだ。人に伝えるのは難しいんだけど、ジョンの家族の一員になったようなものだった。ジョンもオレを家族の一員だと感じてくれていたと思う。オレはあの場にすっかりとけ込んでいたからね。このインタビューの最初の方でも言ったけど、オレはジョンに庇護されていたかのようだった。ジョンは父親役みたいなものだった。

「師」ですかね。

 そうだ。ジョンはオレのやってることを見ているだけで、基本的に何をやれとか、どういうふうにしろとかは、全然言わなかった。ジョンはオレに自由にやらせてくれた。全てのことの中で、そこが一番見事な点だった。オレがやったことは全部、功を奏したわけだけど、あの時のスタジオの雰囲気がああで、その流れに調和していたからこそ、そうなったんだと思う。

《FLY》セッションは《IMAGINE》のすぐ後に行なわれたんですか?

 いや。かなり後だったよ。何ヶ月も後だったと思う。電話が来て、「ジョンがヨーコと一緒にアルバムを作る予定だ」って言われて、スタジオに行ったんだけど、風変わりなレコーディングだったなあ(笑)。ヨーコはずっと呻いたり叫んだりしていて、ジョンは大音量でギターを鳴らしていた。エリックも数曲で参加していたと思う。同じ頃、オレはジョージがプロデュースしているドリス・トロイのアルバムにも参加した。こっちは面白かった。いいアルバムだ。デラニー&ボニーのバンドのメンバーも大勢参加していた。その頃、彼らはロンドンにいたからね。基本的には、知り合いだったから、スタジオに行って、仕事をしたって感じなんだけど、《FLY》は風変わりだった。だって、ヨーコは袋に入ったりっていうことをスタジオの中でもやっちゃってたんだから。時々、壁を見つめながら、「こんなことやってるオレって…」って思ったよ(笑)。奇妙な、突飛な音楽だったなあ。

トロントでやったことと同じようなものだったんですか? 全部インプロヴィゼーションだったんですか?

 そう。それをスタジオでやったわけさ。その後、またスタジオに戻って、ヴォーカルに手を加えたかどうかは知らないけど。根底にあるアイデアは、今まさに起こってることがアートなんだ、これをレコードに収録すれば、永遠に残るんだ、それを今、テープに録音してるんだっていうものなんだろう。

ある意味、パフォーマンス・アートですよね。

 そう。成り行き任せで、即興的で、とても型破りだ。この瞬間をビニール盤に記録しようっていうコンセプトだ。

その後も、ジョン&ヨーコとライヴ・ギグをやってますよね。

 ああ。

 

《SOMETIME IN NEW YOUR CITY》に収録されてますよね。

 このアルバムのライヴ・トラックはロンドンのライシアム公演だ[1969年12月15日なので《IMAGINE》セッションより前]。ロンドン、ライシアム公演の写真は見た? アルバムに載ってると思うよ。それはバックステージで撮った写真なんだ。皆が「War is Over」って書いてある小さなプラカードを持っている。オレはキース・ムーンとジョージ・ハリスンの間に立っている。デラニー&ボニーもいるし、ジム・ゴードンもいる。ロンドンのクラブの常連だったクレイジーな連中もいる。3、4人がそうだ。ボンゾ・ドッグ・ドゥーダー・バンドのドラマーのレッグス・ラリー・スミスもいる。でも、核となったメンバーはオレにクラウス、ジョン&ヨーコ、エリックだ。エリックはデラニー&ボニーのバンドも連れてやって来た。30分待ってもらって、全ての機材をバンから引っ張り出して設置して、皆でステージに立った。何を演奏するのか知らないでね。

lyceum1969.jpg


 そんな時、ジャム・セッションが始まった。リフが長時間続いて、皆でソロ回しをした。それがずっと続いた。ライシアムにいた人は皆、ステージ上でジャムをやってる顔ぶれを見て、自分の目を疑ってたよ。キース・ムーンはオレの16インチのタムタムを叩いていた。あいつはずっとそうしていた。オレも演奏していて、ジム・ゴードンも向こうの方にいた。ホーン・セクションもいた。ギタリストは8人くらいいた。キャリアの早い段階でオレが学んだことがある。何かが延々と続いてる時には----同じことの繰り返し、とにかくソロ回しばかりをしている時には----誰が何をやってるのか誰も把握してないから、曲をどう終わらせるかが問題なんだ。オレが自分の経験から学んだのは、曲のスピードをあげるということだった。 ということで、オレが曲のスピードを上げ始めると、皆がついてきた。そして、次にやったのは、皆がもはや何も弾けなくなるほどスピードを上げることだった(笑)。速すぎてひとつの音になる。そしたら、今度はスピードを落として、ジャーンて曲を終わらせる(笑)。これが方法さ。オレが曲のスピードを上げ始めると、皆「イェー」って盛り上がった。もっと速く出来る、もっと、もっと、もっと、すると、速すぎて誰もプレイ出来なくなった。そしたら今度はスピードをどんどん落としていって、あぁ、終わった〜ってなる。それが唯一の方法さ。

無理矢理、大エンディングに持っていったわけですね。

 無理矢理の大エンディングか。確かに。演奏を感情面で導く必要があるんだよ。さもなきゃ、オレたちは何時間も同じ事を続けかねない。

ライシアム公演や、ジョンとのコミュニケーションに関して、他にも思い出はありませんか?

 これも他のイベントと同じく、ジョンの側では特にやろうとは思ってなかったんだけど、契約上の理由でやらなければいけなかったギグなんだ。オレのところには最後の瞬間に電話がかかってきた。「今すぐこっちに来てくれ。ドラムを持って。ジョンはこのギグをやらきゃいけない。このギグをやりたいんだ」ってさ。ということで、まずアップルに行ったら、ジョンがアレン・クラインに向かって「どうしてあんたはオレにこんなことをやらせるんだよ?」って言ってたよ。ジョンは知らないうちに契約か何かを承諾して、やる羽目になっちゃってたんだ。でも、最終的には、素晴らしい晩になって、ジョンも楽しんでたけどね。

ジョンと演奏をともにしたことは、ジョー・コッカーやジンジャー・ベイカーズ・エアフォース等、他のバンドへとキャリアアップするきっかけになったなんじゃないですか。

 時々、ロンドンの音楽業界の当時の状況を思い返して、スティーヴ[・ハウ]とか、皆は何をやってたのかなあって考えることがあるんだ。皆、駆け出しの頃だったからね。スティーヴはボダストってバンドにいた。いろんな人が複雑に絡み合ってた状態だから、一度その中に入ったら、しょっちゅう顔を合わせて、友達になった。ある晩、キース・ムーンとオレ、[ザ・ムーヴの]トレヴァー・バートン、デニー・レイン[ザ・ムーディー・ブルース〜ウィングス]で、ジンジャーと夕飯を食べてたら、ジンジャーは立ち上がってテーブルを壊しちゃったんだ。目が点だよ。四六時中、こんな連中と会ってたんだぜ。オレの人生の中の驚くべき一面だ。ロックンロールの歴史にはこういう血が流れているのさ。あの頃は、たくさんの人がたくさんのものを創造していた。スティーヴ・ウィンウッドを見たのは、14の時だった。こいつ、凄え!って思ったよ。

このギグの後、ジョンと会いましたか? これがジョンとやった最後のギグだったんですか?

 ギグとしてはこれが最後だったけど、スタジオではプレイした。アップルでだったと思う。地下にスタジオがあって、オレたちはそこにたまっていた。オレがそこにいたら、ジョンが来て、一緒にプレイした。そういう時期だったんだよ。その後まもなく、ジョンはニューヨークに移ってしまった。

あなたが参加したセッションの中には、まだ日の目を見てないものがあるってことですか?

 セッションていうよりはジャムか、あるレベルの曲作りって感じだったかな。今、ジョンがあのドアからここに入ってきたら、互いに顔を覚えていて、いろいろ思い出してくれるんじゃないかなあ。

ジョンはイエスのコンサートは見てないですよね。

 見てないけど、バンドのことは知ってたよ。《THE YES ALBUM》が出た時、オレはツアーに出ていて、デヴォンかどこかにいたんだけど、クラブでプレイしていたら、誰かが《THE YES ALBUM》をかけたんだよ。ジョンのヴォーカルとハモンド・オルガンが聞こえてきたのを覚えてるよ。〈I've Seen All Good People〉か何かだったと思う。あの時は、テリー・リードとプレイしていて、オレたちがクラブで機材をセットアップしてたら、誰かがこのアルバムをかけたんで、オレは聞き入っちゃったよ。
 オレがイエスに参加する前のある時、[ジョン・レノンと]話をしてて、オレが《THE YES ALBUM》を聞いたかどうか質問したら、ジョンはユニークなサウンドのバンドだなあって言ってた。普段のとりとめのない会話だったけど、ジョンがユニークなサウンドのバンドだなって言ったのを覚えてる。30年後もオレがそのバンドでプレイしているっていうのは、もの凄いことだよなあ。

 

ジョンはイエスのことを知ってたんですね。

 ああ。イエスの曲を耳にしてたと思うよ。当時、会話をしている時に、聞いたって言ってたのを覚えてるよ。イエスがデビューしたのは'68年だろ。オレがジョンとプレイしてたのが'70〜'71年だろ。《FRAGILE》が出た頃だ。一緒に車に乗ってる時か、別の時かは定かじゃないけど、オレが「このバンドのライヴを見たことあるの?」って訊いたら、「いや、ラジオで聞いたことがある」みたいなことを言ってたよ。だから、バンドのことは知ってたんだ。ヨーコはずっと、イエスのことを知ってくれている。オレが参加したからなのかはわからないけど、ヨーコはイエスを知っている。

あなたがおっしゃってたジャム・セッションはジョンがニューヨークに行く前のことなんですか? ジョンと会ったのは、その時が最後ですか?

 そうだね。ジョンがニューヨークにいる時には会ったことはないな。ジョンがどこかに出かけていた時には、イエスもそこにいて、会ったことがある。ハリー・ニルソンとつるんでる時で、ふたりともかなり酔っぱらってたなあ(笑)。

あれからヨーコとは会ったことあるんですよね?

 ああ。映画『Imagine』のプレミアでだ。オレもプレミアに行って、その後、ハード・ロック・カフェでパーティーがあったんだ。オレは隣のテーブルに座ってた。当時のマネージャー、トニー・ディミトリアデスがオレの後ろにあるヨーコのテーブルのほうにいたんだけど、オレを呼びに来てくれた。トニーはオレを自分の隣に座らせると、「アラン、ヨーコだ。ヨーコ、この人と会うのは久しぶりでしょう」って言った。そしたら、ヨーコはオレを覚えてくれたんだよ。嬉しかったなあ。

ジョンが撃たれた晩、あなたはどこにいたか覚えていますか?

 ジョンが撃たれた晩、オレは仕事をしてたと思う。ギグの会場に向かう途中だった。

《DRAMA》ツアーですよね。[イエスはUKツアー中。1980年12月8日はオフの日だった]

 そう。大ショックだった。エルヴィスが亡くなった晩、どこにいた?っていうのと同じだ。同種のシンドロームだね。ちょっと脱線してエルヴィスの話をすると、オレたちはエルヴィスとニアミスしてるんだ。亡くなる直前に、同じホテルに宿泊してたんだよ。オレたちはある階に、エルヴィスは別の階に。ジョンはエルヴィスに会おうと上に行ったんだけど、会えなかったんじゃないかな。でも、エルヴィスのために働いてたいとこか誰かから、カードとネックレスをもらったんだ。名前は何だったっけ? TBなんとかだっけ? 矢が描かれてるやつ。スタッフに配ったもの。エルヴィスのスタッフは矢が描かれた金のネックレスを持っていた。ジョンはその1つをこいつからもらったんだ。今でも持ってると思うよ。
 ジョン[・レノン]が撃たれた時、どこにいたか正確に覚えてはいないけど、音楽業界だけでなく、世界にとっても大きな損失だった。優れた発言をして、凄い人生を送って、才能豊かだった。信じられなかったなあ。人生の大半で、自分のやりたいことをやった、とても意志の強い人物だった。反逆し、戦った人間のひとりだった。社会に対してはっきりとものを言った。今でも耳にするよね。たくさんの発言を残しているから。その後、そんなに時間が経ってない頃、オレたちはニューヨークにいて、ダコタの前を歩いたんだ。花とかがたくさんあった。実際、ニューヨークに行くたびに、ジジとオレはあのあたりを散歩してるんだ。

ストロベリー・フィールズですか?

 毎年、イベントが行なわれているよね。いかに影響力が大きいかわかる。

ジョン・レノンの話はこのくらいにして、ここからは《ALL THINGS MUST PASS》セッションの思い出についてもうかがいたいと思います。どういう経緯で参加することになったのですか?

 ジョージは[レノンの]ソロ初期のセッションのいくつかでプレイしてたんで、スタジオでのオレの演奏を気に入ってもらえて、セッションに呼ばれたんだ。3週間、毎日、スタジオに通い詰めで、たくさんのトラックに参加した。同時に、エリックとデラニー&ボニーのバンドもやって来た。いろんなミュージシャンがいろんな時にやって来た。ジョージは自分の音楽をやりたくて、いい曲をたくさん抱えていた。しかも、こっちでもフィルを起用していた。とても楽しかった。
 ジョンの仕事の時には、大勢の人間が毎日やって来て、家族が集まったような楽しい雰囲気があったけど、ジョージの時も同じだった。大勢の中にひとり混じっていてもアウェー感がない。皆、きっちりレコーディングの仕事をやりに来ていて、オレは3週間、通い続けて〈My Sweet Lord〉等に参加した。
 ある日、リンゴが姿を見せたんだ。そもそも、四六時中、いろんな人が出入りしてたんだけどね。オレはジョンと演奏していた。ジョンも来てたんだよ。ジョージもいて、リンゴもやって来た。そこにいないのはポールだけだった。オレたち皆で、スタジオでプレイしてたんだ。オレは「リンゴがドラムを演奏すべきだろう」って思ったさ。だって、ビートルズの3人が揃ったんだから。でも、フィルは「ノー・ノー・ノー」って言って、リンゴも「ノー・ノー・ノー。オレはタンバリンをやるよ」って言った。それで、オレがドラムを演奏した。オレはジョンとジョージとプレイした。リンゴはオレの隣に立って、タンバリンを叩いていた。あの歳であんなことをしていて不思議な気分だったよ。家族の中に入れてもらったようだった。彼らが揃った時にはいつも、家族的な雰囲気があったね。

 

このセッションは《ALL THINGS MUST PASS》のレコーディング中ですか?

 そうだよ。

ジョンはあのアルバムにはクレジットされていませんよね。

 そうだね。ジョンは自分の名前を載せて欲しくなかったんだ。楽しく遊びに来ただけだからさ。

どの曲だったか覚えていますか?

 ディランの曲だったかな。

〈If Not For You〉ですか?

 そう。〈If Not For You〉だったと思う。ジョンが参加してたのはその曲だと思う。リンゴは〈My Sweet Lord〉ではタンバリンをプレイしていた。

〈My Sweet Lord〉のドラムはあなたなんですか?
 
 どのテイクが使われたのかは知らないんだ。あの曲には2つのレコーディングがある。1つはジム・ゴードン、もう1つがオレ。オレはそのうち1つでプレイしたことは覚えてるんだが、最終的にアルバムに収録されたのがどっちかはわからない(笑)。

昔は、参加ミュージシャンのリストはありましたが、曲ごとには記していませんでしたよね。

 そう。

なので、誰がどの曲でプレイしてるのか知るのは至難の業なんです。あなたが聞いても、自分の演奏かどうかわからないんですか?

 このバージョンではオレがドラムをプレイしていて、リンゴがタンバリンをプレイしていると思う。オレにはそう聞こえる。

あのアルバムには20曲くらい収録されていましたね。

 オレはその3分の1でプレイしてると思うよ。6曲か7曲で。

あなたが参加したセッションのどれかにはクラプトンはいましたか?

 ああ。殆どでプレイしてるよ。

ご存じの通り、あれは3枚組のアルバムで、最初の2枚にはストレートな曲が入っていて、3枚目のレコードには一連のジャム・セッションが収録されています。

 そうだね。

あなたもジャム・セッションに参加してるんですよね?

 ああ、そのいくつかにはね。あれはいろんなジャム・セッションのコンピレーションになっている。皆、その日のレコーディングが終わっても、しばらくフラフラしてて、そしてまたプレイを始めた。あの一連のトラックはそうして生まれた。

《ALL THINGS MUST PASS》のレコーディングの後、イエスに加入してからは、ジョージと会いましたか?

 会ったよ。ロサンゼルスで。ジョージとトム・ペティーのパーティーで会ったよ。でも、ふたりとも超酔っぱらっててさ(笑)。オレたちはハローって言って、ジョージはとても良くしてくれた。奥さんも本当にいい人だった。

《ALL THINGS MUST PASS》セッションの後、リンゴとは会ってますよね。

 ああ。2年くらい前にザ・ピアでリンゴと会ったよ。ツアー・マネージャーは知り合いだし、ザックも知っている。ザックが「リンゴは知ってる?」って言うから、「ああ。大昔からね」って答えたら、ふたりがリンゴのトレーラーまで連れてってくれた。バーバラがそこにいて、「どうぞ。お会い出来てうれしいわ」って言ってくれた。マネージャーたちが「アラン・ホワイトが来たぞ」って言うと、リンゴはバスルームにいて、「あのドラマーか?」って言った。これから衣装に着替えようとしてるところだったんだんで、オレは「挨拶をしたくて、ちょっと寄っただけですよ」って言った。オレがドアのそばに立っていて、リンゴはトイレにいて、そこから話してた。オレが「後でまた来ますよ」って言うと、「このままで大丈夫だ」って言う(笑)。リンゴは本番用の衣装に着替えながら、オレと少しの間、昔話に興じてくれたよ。

あなたはジョンとジョージと仕事をしていて、しかも、そのセッションにはリンゴがいた時もあります。ポール・マッカートニーとはプレイしたことがあるんですか?

 あるよ。ほんの一瞬の体験だったけどね。スピークイージー・クラブでだったと思う。もうずっと前さ。ポールがウィングスを結成しようとしてた頃のことだ。ある晩、そこに行って、テーブルについたら、デニー・レインとポール・マッカートニーがいて、ちょっとしたジャム・セッションをやってた。全然大したものじゃない。それがウィングスが誕生した瞬間だった。ポールとリンダ、そしてデニー・レインがいた。ジョー・コッカーやジョン・レノンと仕事をする以前から、デニーとは友人だった。ガキの頃、一緒にウルフってバンドをやってたんで、よく知ってる仲だった。ウィングスの発足式のようなものだった。ファースト・アルバムか何かのレコーディングが済んだばかりだったと思う。

スピークイージーにはたまたま行ったんですか? あなたがそこで飲んでたら、ポールもたまたまそこに居合わせたと?

 ロンドンでミュージシャンをやってる人は皆、ロンドンの外でのギグが済んだら、毎晩、家に帰る途中、スピークイージーに寄ったものなんだ。ロンドンのど真ん中にあるんで、たくさんのミュージシャンがここに集まって騒いでた。最後はたいてい、皆が床に積み重なってたんだけどね(笑)。クレイジーな場所ってことで、とても有名だった。

デニーからポールに紹介してもらったんですか?

 そうだ。オレがポールと関わらなかったのは、ポールとジョンの間に少しライバル意識があったからだ。ジョンと仕事をしていたのなら、プロとして、ポールとは仕事は出来ないよ。

ポールと会った時、あなたがジョンやジョージと仕事をしてたことは取り沙汰されたりしたんですか?

 そんなことは全然なかったよ。夜ふかしする晩に起こりそうなことが起こっただけだ。午前1時か2時だったかな。皆で楽しくやってただけさ。

どんな曲をジャムったのか覚えていますか?

 全然覚えてない。夜遅かったから(笑)。ブルースか何かだったと思うよ。ビートルズの曲じゃなかったね。

 

その後、ポールとは会いましたか?

 会ったよ。イエスがロンドンのAIRスタジオで〈Rhythm of Love〉をレコーディングしていた時、必要な機材があって、それを持っていたのがポールだったんで、誰かが借りに行ったんだ。そしたら、ポール本人が入ってきて、この曲をレコーディングしている間、30分くらいスタジオにいた。

その時はポールと何か話しましたか?

 ああ。愉快な人だったよ。いい人のポール・マッカートニーだった。

ポールはこの曲について何か感想は述べましたか?

 とても気に入ってくれたよ。いいトラックだと思ったようだ。つまり、優れたスタジオで、良い状態で録音出来たトラックってことだ。ポールは隣の部屋でレコーディングをしていた。ウィングス関係のレコーディングをしてた。

あなたが2000年12月に応じたBBCインタビューについて質問していいですか。レノンにゆかりのある物品やドラムセットについて話していましたね…。

 売却されたピアノについての情報が欲しかったみたいだ。いろんなアーティストが売却した物品に関するビデオ・ドキュメンタリーを作ってたんだ。

あなたに会って話を聞くために、わざわざシアトルまで飛んでますよね。

 今でもオレの倉庫はそこにあるんだ。イサカ・ミュージック・フェスティヴァルで展示される予定なんだ。[2001年8月10〜12日]

電話連絡があった時、ドラムキットは倉庫にあったんですよね?

 イギリスから届いたばかりだった。

 ジジ・ホワイト:ドラムセットはずっとイギリスの倉庫にあったんだけど、コンテナが届いたのは、電話がかかってくる数週間前でした。

 荷を解いて、そこに[ドン・ベネットのドラム・ショップ]持って行って、汚れを落として、見栄えを良くしてもらったんだ。バスドラムには小さなヒビが入ってて、それは直さなきゃいけなかった。ヒビは梱包した時からあったんだけど、今はもうないよ。ドンが全部直してくれたんだけど、修理にはしばらく時間がかかった。だから、ドラム・セット全体を再び組み立てることが出来る。

インタビューでは、ドラムセットを組み立てて、《IMAGINE》について話してますね。

ジジ・ホワイト:インタビューを受けながら、ドラムもプレイしたの。ステキだったわ。〈Imagine〉のビデオを流して、アランはそれに合わせてプレイしたの。あのキットを演奏したのは、本当に久しぶりよね。アランはとっても楽しんでたわ。ずっとニコニコしてたもの。

 オレがかい?

 ジジ・ホワイト:ええ、そうだったわよ。あんなの見たことないわ。あなたも、超ゴキゲンて言ってたじゃない。

 ドラムを売ってるスタジオでこの曲を流して、オレがそれに合わせて演奏するシーンやインタビューを収録した。ドン・ベネットは、ピアノは200万ポンドで売れたって話してくれた。オレは、ドラムキットがどのくらいの値段で売れるのかはわからないから、「さあ、売らないで取っておくよ」って言ったんだ。

 ジジ・ホワイト:「このキットがこんなにいい音してたなんて、忘れてたよ」なんて言うんだから、笑っちゃったわ。

 確かにいい音してただろ。

 ジジ・ホワイト:格別よ。素敵な瞬間だったわ。

感動的でした。

 あぁ。

 ジジ・ホワイト:ええ、とっても。涙が出てきたもの。あのドラム・キットはイギリスにある倉庫にずっとしまい込まれてたの。私たちが知り合って以来だから、20年近くね。

博物館に展示しようとは考えなかったのですか?

 最終的には[ロックンロール・]ホール・オブ・フェイムに行くかもしれないな。今、それについて話し合ってるところだよ。2フロアか3フロアでジョン・レノン展をやってるだろ。「それでは、また連絡します。ドラムを置くスペースを作ることが出来るかどうか検討してみます。是非とも置きたいです」って言ってたよ。きっと、置き場所が問題なんだろう。

クリエイティヴな曲作りとミュージシャンシップに関する限り、ビートルズのバトンを受け継いでいるのがイエスだと、私は思っているんです。

 キミがそう思うのは、主に、バンド内のハーモニー・ワークや曲の中にあるコーラス的な要素からだろう。とても美しいコーラスが頭にこびりついて離れないからだろう。ビートルズもそうだったしね。でも、イエスには、そういう要素の中にも外にも、違った点がたくさんあるよ。

ビートルズを別のレベルに引き上げたと言ってもいいと思います。

 キミの言いたいことはわかるよ。〈Give Peace A Chance〉のような曲が持っているのと同じ感情が、イエスの中にも入り込んでいる。そういうのは主にジョン[・アンダーソン]の影響だ。そういう感情をたくさん持ってる人だから。

〈All Good People〉の中に「Send an instant karma to me」(即席カルマをオレに送ってくれ)というフレーズが出てきますね。あの曲にこんなフレーズがあって、しかも、この曲を演奏しているあなたが今ここにいるなんて、笑っちゃいますよね。

 確かにおかしい。イエスがこの曲をやって、ジョンがそれを歌う時には、オレもイェーって気分になる。

最後に、ジョン・レノンについて他に発言しておきたいことはありますか?

 これだけは言っておきたい。今となってははるか昔のことになっちゃったのに、思い返すと、ジョンが音楽を通してどれだけの善意を世界に広めてきたのかわかる。ジョンの近くにいる時も、それを感じることが出来た。ジョンは全てが平和に、もっと良い状態になることを願っていた。人類全体のための善を欲していた。1日に24時間、そんなことを広めようとしている人物と出会えて良かった。あの数年間、そんな人の近くにいて、一緒に仕事をすることが出来て良かったよ。


デヴィッド・マークスは「ライヴ・ピース・イン・トロント」コンサートでミキシングを担当し、演奏中のプラスチック・オノ・バンドを写真に収めた。現在デヴィッドは、南アフリカ関連のアナログ資料(テープ、ポスター、写真)をデジタル・アーカイヴ化を目指している組織、Hidden Years Music Archive Project/3rd Ear Musicのプロジェクト長を務めている。さらに詳しい情報はthe 3rd Earのウェブサイトを参照されたし。

Special thanks to Alan & Gigi White, David Marks, Jen Gaudette, Paul Secord, Bryan Jensen, Robin Kauffman, & John Amick

The original article: "Before Yes came into Alan White's life there were the Beatles. " by Mike Tiano
http://www.3rdearmusic.com/forum/forumaug02/alanwhite.html
初出:『Notes From the Edge』#247(2001年8月11日)


   

posted by Saved at 23:01| Comment(2) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素晴らしい記事、ありがとうございました。
全編興味深かったですが、トロント行き機内リハがアコギだったという記憶違い、自分もある程度の年寄りになったから判るんですが、自信たっぷりに間違えて憶えてるってこと、あるんですよねぇ…こうなると、当事者の証言だからという信憑性の優位も、この先どんどん怪しくなっていくのかしらん、なんて。
それはそうとインスタントカーマのデモがあるとは!一日で作ったからてっきりそんなもんはないのかと思ってましたが。
再来年あたりに「ジョンの魂」50周年エディションとか出ることになったらボートラで入るのか?
まだまだ当分死ぬわけにはいきませんな。
Posted by あたしよ、ア・タ・シ。 at 2018年08月28日 19:58
飛行機写真に関しては、あれ、エコノミー席じゃないかなあと思ってたら、やっぱりそうでした。
Posted by Saved at 2018年08月29日 00:05
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