2018年12月02日

イジー・ヤングのフォークロア・センター閉鎖

 11月末に悲しい知らせが届きました:

イジー・ヤングのフォークロア・センター閉鎖
2018年11月26日

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Foto David Appelgren

 世界で最も重要な音楽発信地の1つであるフォークロア・センターは、伝説の人物、イジー・ヤングによって60年以上に渡って運営されてきたが、今月(11月)末、正式に幕を閉じる。
 フォークロア・センターはグリニッジヴィレッジのフォーク・シーンの中心であり、かつて常連だったボブ・ディランはここを「アメリカのフォーク・ミュージックの拠点」と呼んだ。
 イスラエル・「イジー」・ヤングは1957年にニューヨーク・シティーでフォークロア・センターを開設し、1973年にスウェーデンに移住した際には、ストックホルムでフォルクロル・セントラム(スウェーデン語に直訳)をオープン。以来、イジーは今年までこのセンターを維持、運営してきた。
 イジーは今年、フォルクロル・セントラムで90歳のの誕生日を祝ったが、その時点ではまだ、毎日「店{ストア}」の鍵を開けて、60年間ずっとやってきたのと同じように定期的にコンサートを主催していた。
 しかし、イジーが高齢であることから、11月末日を持ってセンターは閉じることになった。
 イジーの娘で、スウェーデンで女優として活躍しているフィロメーネ ・グランディンは、過去数ヶ月間をかけて、イジーが集めてきたフォーク音楽に関する大量の蔵書の目録を作成し、箱詰めをしてきた。興味を持ってくれている団体に、約2,000冊の本をまとめて売却したいという希望があるのだが、スウェーデン語で書かれた書籍については、既にスウェーデン北部のマナミネ博物館が新たな保管先となっている。
 「父が最後の瞬間まで店{ストア}を開けることが出来て、本当に良かったと思います」とフィロメーネは語る。「今年の春も父はまだ店{ストア}でコンサートを開き、5月には自作の詩の朗読会までやりました。ここを閉鎖するのは寂しいです。ここでは今までずっと美しい時間が流れていました。たくさんの愛と音楽があって、父が今でもそれに取り囲まれているのを見るのは素敵なことです」
 ニューヨーク・シティーのグリニッジヴィレッジの真ん中のマクドゥーガル・ストリート110番地に、イジーが最初のフォークロア・センターを開いたのは、1957年4月7日のことだった。ここは間もなく、ヴィレッジの中の1つの店という枠にとどまらず、ウディー・ガスリーやピート・シーガーといった1940年代のシンガーが開始し、1960年代にピークを迎えたアメリカのフォーク・ミュージック・リヴァイヴァルの事実上の本部となった。
 イジーのフォークロア・センターでは、楽器やレコード、楽譜や書籍等、音楽関連のあらゆるものが売られていた。また、ここで定期的にコンサートも開催されていたが、センターの主な役割は、1950年代後半〜1960年代前半にニューヨーク・シティーのフォーク・シーンで活躍していた主要なプレイヤーたちのためのクラブハウスとなっていたことだった。イジーはボブ・ディランをはじめ、多数のこうした人々と出会い、知り合いになった。
 イジーはディランを初期から応援しており、グリニッジ・ヴィレッジのコーヒーショップのレベルを越えたところで行なわれた初のメジャーな公演を運営したのもイジーだった。1961年11月にカーネギー・ホールのチャプター・ホールで行なわれたこのコンサートで、イジーはディランと入場料収入を50:50の割合で折半したが、このポリシーは彼が主催するあらゆるコンサートで貫かれた。
 イジーとディランはこの期間に友人同士になり、ディランは2004年に発表した自伝『Chronicles』では数ページを割いて、イジーとフォークロア・センターについて楽しく語り、センターを「アメリカのフォーク・ミュージックの拠点」と呼んでいた。2016年のノーベル文学賞がディランに決定した際には、イジーはディランのキャリア最初期において果たした役割を認められて、その授賞式に出席者として招かれた。
 駆け出しの時期にフォークロア・センターでプレイした有名ミュージシャンには、他にも、ピーター・ポール&マリー、ラヴィン・スピーンフルのジョン・セバスチャン(イジーはセバスチャンの初期のバンドの1つのマネージャーだった)、ジョニ・ミッチェル、エミルー・ハリス、ティム・バックリーらがいる。数年前には、バックリーが1967年にフォークロア・センターで録音したライヴ・アルバムがリリースされている。パティー・スミスもここでよくポエトリー・リディングを行ない、イジーとは友人同士だ。
 1973年にイジーはスウェーデンのストックホルムに居を移し、フォルクロル・セントラムという名前で店を再開した。最初は何度も場所を変えながらの運営だったが、1980年代にゼーデルマルムというヒップなエリアに来てからは、今月に閉鎖されるまで他所に移ることはなかった。
 イジーはスウェーデンのフォルクロル・セントラムもニューヨーク時代と同じやり方で運営を続け、ここを地元のミュージシャンのコンサートを開催し、自分の詩を朗読し、スウェーデンのフォーク音楽のカタログを作成する拠点として使った。スウェーデンのフォーク・ミュージック・シーンを紹介・宣伝すたカタログは、何千人もの購読者に届けられた。
 セントラムではイジーの主催で、ビート詩人のアレン・ギンズバーグ等、アメリカ時代の友人たちの公演も行なわれた。壁に堂々と掛かっている「ファーザー・デス・ブルース」の手稿は、ギンズバーグからプレゼントされたものだ。また、親友であり尊敬の対象でもあったピート・シーガー等のミュージシャンがストックホルムに来た際には、コンサートのプロモートも行なった。
 イジーは自分の情熱を実現するための資金作りに常に苦労していたが、数年前には1960年代にディランに書いてもらった2曲の歌を個人のコレクターに売却した。ディランの書いた歌の1つは〈Talking Folklore Center〉というタイトルだった。
 詩を買い取ってもらった他、イジーの人生、アメリカのフォーク・シーンと、そこで活躍した有名な人々、歴代のフォークロア・センターでの出来事が記録されている個人的な日記、業務日誌、ノート、スクラップ帳、写真、レコーディングをアメリカ議会図書館が購入してくれたおかげで、イジーは引退までフォルクロル・セントラムの運営を継続することが出来た。
 現在、イジーは自宅のほうでたくさんの友人の訪問を受けている。その多くは長年に渡ってフォルクロル・セントラムに定期的に出演していたミュージシャンだが、彼らが1曲披露するやいなや、イジー・ヤングの自宅が最新バージョンのフォークロア・センターに変わることになるのだろう。


 2017年4月にボブ・ディランのストックホルム公演を見に行った際、フォルクロル・セントラムにも寄りました。ストックホルムのレコード屋リポートは帰国後間もないうちに書きましたが、セントルムのほうは今まで書く機会を逸し、写真もKindleの中にたまったままになってたので、これを機会に皆さんと共有したいと思います。
 フォルクロル・セントラムは地下鉄のTセントラレン(ストックホルム中央駅)から緑か赤の線に乗って2つ目(ガムラスタン駅の次)、スラッセン駅から歩いて7〜8分のところにありました。

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[googlemapより]

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[外側から]

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[窓にはこんなものが]

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[内部の壁には謎の地図が…]


 4月1日午後に行った時には誰もいませんでしたが、3日の昼過ぎにもう1度行ったところ、イジー・ヤングと地元のシンガーがいて、一緒にユダヤの煎餅(インドのパパドからスパイスを抜いたような感じの食べ物で、SPレコードくらいの大きさ)をかじっていました。アポなし訪問にもかかわらず、「キミもいかが?」とこの煎餅をすすめられ、一緒にポリポリやってると(しょっぱくもなく甘くもなく、ぶっちゃけ、あまりおいしくない)、ポスターを売りながらボブのツアーの追ッカケをしてるオジサン、オバサンが登場。自分たちが売ってるポスターをイジーに進呈し、イジーの許可を得て壁に貼りました。

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[このドレッドヘア、日本でもおなじみ。隣のオジサンも]


 ドアから入って左手奥には壁一面を占める本棚があり、アメリカやヨーロッパのフォーク・ミュージックに関する本がびっしり。右上はボブ・ディランのコーナーでした。数十冊あったディラン関連本の中には『Dylanologists』も。その最後の方のページに、私の名前が協力者として載ってることをイジーに伝えると、「キミの名前のところにペンで下線を引いて付箋をはっておいてくれ」とのこと。私が訪問した頃にはもう、蔵書の売却先を探し始めていたのですが、「●●に決まりかけてたんだけど、話がなくなっちゃった」「フォーク音楽に関してこれだけまとまったコレクションなんてなかなかないのに、誰も興味を持ってくれない」と、思うようにはいってないようでした。

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[ディラン本コーナー]


 ディランの数々のバイオグラフィーからは、かつてエレクトリック化を快く思わなかったフォーク人脈の人々は、ディランと仲が悪くなり、まとめてバッサリ切り捨てられたような感を受けますが、実際にはそうではないようです。例の「ニューポートではケーブルを斧で切ろうと思った」発言で有名なピート・シーガーは、晩年までディランとは時々電話で話す仲でした。イジーも「(4月の)コンサートは見に行ったよ。(ボブは)こっちに来るたびに律儀にコンサートに招待してくれるんだ」という関係だそうです。ボブが欠席したノーベル賞授賞式の客席にはタキシードに身を包んだイジーの姿がありました。仲が悪かったらこんなことはありません。

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[ノーベル賞博物館で流れているビデオから]


 そもそも、ストックホルムに移り住んで30年以上経ったら、ディランがノーベル賞を受賞しにここに来たなんて、本当に偶然でしょうが、イジーはもの凄い強運と優れた先見の明の持ち主とも言えます。駆け出しの頃と巨匠が名声を極めた瞬間の両方に立ち会っているのですから。
 セントラム閉鎖は寂しいですが、どこへ行っても千客万来で才能のあるミュージシャンを応援し、活動の場を提供してきたイジーの功績は、音楽の歴史において決して小さくはありません。1時間あまりですが会って楽しくお話をするチャンスに巡り会えて、私は大変光栄に思います。


2019年2月6日追記
 2月4日にお亡くなりになったようです。RIP



   
posted by Saved at 21:41| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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