2019年06月16日

RTRツアー中、ヴァーモントで逃避行

 虚実ごちゃまぜの映画『ローリング・サンダー・レヴュー:マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』がファンの間(だけ)で大きな話題になってますが、このツアーに関する超笑える裏話を発見したので紹介します。この文を書いたスーザン・グリーンさんは今年3月にお亡くなりになったそうです。RIP

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RTRツアー中、ヴァーモントで逃避行


文:スーザン・グリーン



 ボブ・ディランが火曜の晩にシェルバーン・ミュージアム公演のステージに登場したら、彼は41年7カ月12日と約16時間ぶりに、チテンデン・タウンに足を踏み入れることになる。私がこうした詳細を覚えているのは、以前に会った時から10年以上経た1975年11月8日の真夜中を少し回った頃に、ボブと再会していたからだ。その晩、ヴァーモント大学でコンサートを行なう予定のディランのローリング・サンダー・レヴューは、今はなきシェルバーン・インに部屋を取っていた。
 ボブから電話をもらった私は、1964年製の黄色い小さなルノーに飛び乗って、バーリントンのオールド・ノーズ・エンドから約10マイル運転して、ボブに会いに行った。私たちが最後に会ったのはフォーク・リヴァーヴァル全盛期の1963年だ。フォーク・ファンが足繁く通っていたグリニッジ・ヴィレッジのクラブでのことだった。
 そもそも、ディランと初めて会ったのは1961年4月。私がプレインフィールドにあるゴダード・カレッジの1年生だった時の春休みにマンハッタンに行った時だ。ニューヨーク大学(NYU)に通っている高校時代の友人と私は、フォークロア・センターの奥の部屋でギターをかき鳴らしている少年とおしゃべりを始めた。マクドゥーガル・ストリートにあったこの店は、レコードや楽器を売っていた。彼は20歳だったが、見た目は15だった。小粋な黒いキャップをかぶっていた。
 それから数日後の4月5日、私たちはビックリした。生まれたばかりのNYUフォーク・ミュージック同好会のセッションで、彼が演奏しているのを目撃したからだ。これは彼にとって、この町で初めて行なったギャラ(20ドル)をもらったパフォーマンスだったのだ。彼にはあの時代の他の殆どのアコースティック・アーティストよりもはるかに斬新な声とペルソナがあった。
 私はまもなくヴァーモントのカレッジに戻ったが、晩春には再びニューヨークに行って、ヴィレッジで彼のパフォーマンスを追っかけた。カフェ・ホワ?で行なわれた午後のフーテナニーでは、ディランはハーモニカでもっと有名なヴォーカリストのバックを担当した。彼はガーディーズ・フォーク・シティーで毎週月曜の晩に行なわれているオープン・マイクでも、注目の存在になっていた。
 その年の7月、私がコネチカットのサマー・キャンプで働いていた時に、ディランは私の子供の頃からの友人であるスージー・ロトロ(後に《Freewheelin'》のジャケットに登場する女の子)と恋仲になった。この恋の関係は、ニューヨークで終日行なわれたフォーク・ショウケースで始まった。このコンサートの主催者だったボブ・イェリンはブルーグラス・バンジョーの名手であり、1980年代半ば以来ずっとアンダーヒルで暮らしている。
 それからというもの、私はニューヨークに行くたびに、彼女がディランと一緒に暮らしている西4丁目の窮屈なアパートメントを訪れた。1962年の時点ではまだ、ふたりは無一文状態であり、ボブはヴァーモントのゴダード・カレッジまで行って、往復のバス代込で75ドルもらえるギグをやりたがっていた。
 私は大学の娯楽委員会に、ディランのファースト・アルバムと、ガーディーズで行なったプロとしてのデビュー・コンサートを熱狂的に取り上げているニューヨーク・タイムズ紙の記事を貸した。しかし、委員会の決定は「申し訳ないですが、才能がある人とは思いません」だった。
 この時のすげない拒絶を、1975年にシェルバーンで再会した時に私が話すと、ボブもそれを思いだし、私たちは互いに笑いあった。私たちは会ってなかった間に起こった出来事を話した。私は娘を1人儲け、ディランはたくさんの子供を儲けていた。そのうち、彼はノドが痛むと言った。私にはハーブ療法の知識があるので、自宅まで来てくれればその状況を直せるかもと言った。
 「行こう」とディランは言った。
 私のルノーに乗ってのんびり向かいながら、私たちは良い人生を送るためには何が必要なのかを話し合った。私はビートルズの歌詞を拝借して言った。「必要なのは愛だけよ」と。これに対して、ボブからの返事は何もなかった。私のことをウブだなあと思っていたのかもしれない。
 私は行ったばかりのチック・コリアのコンサートを激賞し、このジャズ・ピアニストが観客と深い親密感を作り出していたと言った。ディランは少し防衛本能を働かせたようだった。「あれはコンサートで、オレたちのほうはショウだ」
 バーリントンのサウス・プロスペクト・ストリートを走っている時、ディランは19世紀に建てられた立派な建物に見とれていた。が、彼がチラチラ振り返って、後ろを走るステーション・ワゴンを見ていることにも気がついた。
 「どうかしたの?」と私は訊いた。
 「尾行されてる」
 尾行? クレイジーなファンに? CIAに? 「ボビー、私にどうして欲しい?」 私にやっと発することの出来たのはこんな言葉だった。
 「巻こう」
 ディランから指示が発せられた。
 私はスピードを上げた。追っ手もスピードを上げた。バーリントンの土地勘のある地域まで来たので、私はその区域を突っ切った。それでもまだ、あちらさんはついてくる。何度か急に方向転換した後、暗いストリートで私たちだけになったと思ったら、突然、再び追っ手が現れ、こっちに向かって来た。

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ボブが立ち寄ったグリーン宅


 ステーション・ワゴンが向きを変えた隙に、私は自宅のあるストリートをよろけながら曲がり、5つの寝室のある自宅のドライヴウェイに急いで入った。向こうからは見えない位置から、追っ手が目の前の道路をさっと通り過ぎるのが見えた。
 私はやっと訊いた。「連中は何者かしら?」
 すると、ボブは淡々と答えた。「オレのボディーガードだよ」
 自宅の中に入り、私がハーブ・ティーを煎れるためにストーブにやかんをかけた時、ボブはコーヒーテーブルの上から『ピープル』誌の最新号を拾い上げた。表紙と内側の7ページにはボブの写真が掲載されていた。
 ディランはお茶を飲み込んだ後、カップを洗い----まあ!----リビングルームにあるアップライト・ピアノの前に座ってブルースを弾き始めた。
 ルームメイトのひとり、エリザベス・ダナハーが2階から叫んだ。「ピアノ弾いてるの誰? 私、寝るんだけど!」
 ディランはつぶやいた。「おっと」
 私は彼女を呼んだ。「エリザベス、下に降りて来ない?」
 彼女は降りてきた。そして、さっきの自分の抗議が誰の音楽を黙らせてしまったのかが明らかになった時、呆気にとられた。
 シェルバーン・インに戻る道中、私が出してあげた美味しくない混合薬によってディランは楽しい気分になっていた。私が出したのはノコギリソウ、コンフリー、ヒヨドリバナ、ペパーミントのお茶と、粉にしたヒドラスチスとミルラのから作った丸薬だった。
 「ハーブっていいねえ」とディランは言った。「元気にしてくれるだけでなく、ハイにもなれる。しかも、副作用はない」
 「ボビー、あの中には向精神作用があるものは全然入ってないのよ」と私は言ったが、ディランは上機嫌のままだった。
 1週間後、酷い風邪をひいて(まったく皮肉なことだ!)ベッドに入っていると、ボストン近郊のどこかにいるディランから電話があった。私が使ったハーブのリストが欲しい、健康食品の店で自分で買えるように、という内容だった。目的が身体のヒーリングだったのか気分の高揚だったのかは、私にはわからないが。
 あれから何年も経ってから、私は劇作家、サム・シェパードがローリング・サンダー・レヴューについて書いた本を読んだ。サムは正式ではないのだが記録係としてこのツアーに同行してたのだ。メイン州にいる時の様子が書いてある箇所を読んでビックリした:「朝、ディランの部屋をノック。中では、ディランが電話。シャツも着ないで、乳香とミルラとローヤルゼリーを注文。しかも長距離通話で」
 ミルラと聞いてシェパードが連想するのは、赤ん坊のイエス・キリストに捧げられた贈り物だろう。私がバーリントンでディランに与えた小さな丸薬の中に入ってる抗生物質的な成分とは、思ってもいないはずだ。乳香は私があげた一服の中には全く含まれていなかった。
 1975年にディランと会った後、私は人生の新しい道を夢想した。ハーブ療法士から作曲家という転身はどうだろう。ハインズバーグに住む薬草のインストラクターのメアリー・カーズは、彼女が神聖なものだと考えている草が快楽主義者によって無駄に消費されてしまうのではないかと感じていた。彼女は聖書にある警句を言った:「豚に真珠を投げ与えるな」 しかし、1976年4月に、私はボトル入りの強壮剤をひと揃い持って、ローリング・サンダー・レヴューとともに南部4州を回った2週間のツアーの間、ロック・スターたちに自分のハーブを与えた。でも、これはまた全然別の話だ。

The original article "My night on the lam in Vermont with Bob Dylan" by Susan Green
https://vtdigger.org/2017/06/19/night-lam-vermont-bob-dylan/?fbclid=IwAR3dua0XCeu2zb6j3K5cSvDrwbB8aUpEhkCVQfqNEsjZGmHihLjNBvfvIog

   
posted by Saved at 20:36| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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