2020年05月06日

ボブ・ディランにフォーク・ソングを教えたことから得た教訓

 コロナ騒ぎで仕事がなくなっちゃったので、安倍総理がワンちゃんとのんびり過ごしてるあの動画と同じように、家でテレビとネットを見ながらのんびり過ごしています。今のところは春休みの延長といったスタンスで、生活上、特に困ったことはありませんが、この先は非常に不安です。そんな中で心のケアに関する次のような記事を見つけました。このブログに載せていいですかというメッセージを夜に送ったところ、翌日朝起きたら、受信箱には著者のマーヴィン・カーリンス博士からの返事が届いていました。私がPsychology Todayというサイトから送ったメッセージは用事だけの事務的なものでしたが、博士から届いた返事には、私の心身の健康を気遣ってくれる言葉が添えられていました。そういう一言にじ〜んとくる今日この頃です。


ボブ・ディランにフォーク・ソングを教えたことから得た教訓

文:マーヴィン・カーリンス博士(The Psychological Edge)


 1959〜1960年。アメリカでは天真爛漫だった1950年代が終わり、覚醒の1960年代が始まる重要な変遷の瞬間でした。この期間に、私はミネソタ大学で最初の2年間を過ごしながら、フォーク・ギタリストとしても熱心に活動し、学業とフォーク・ミュージックへの情熱に自分の時間を割いていました。音楽的貢献の一環として、私はキャンパスの宗教団体、ヒレル・ファウンデイションで無料でフォーク・ソングとギターを教えており、グループ・レッスンであれ個人指導であれ、誰でもセッションに参加することが出来ました。
 今でもよく覚えているセッションがあります。私はグループ・レッスン用に押さえておいた部屋にいて、自分のギターである曲を弾いていた時、広い廊下に若者が現れました。見たことのない人でした。私はうなずいて「やあ」のサインを送り、彼を中に入れました。
 「ギターの音が聞こえたからさあ」と言いながら、彼は入って来て、私が生徒たちと一緒に座っている場所から3フィート離れたところで立ち止まりました。「オレもギター弾くんだよ。聞いてもらえるかな?」
 私が「もちろん」と言ってギターを渡すと、彼は基本的なコードをいくつか押さえながら「トップ40」の曲を少し歌いました。ギターも歌もまだまだだなあと思いましたが、彼は音楽が好きなようでした。講師の立場からすると、好きという気持ちを持つ人には教え甲斐があるのです。
 若者は私にギターを返しながら言いました。「キミはどんな音楽をやってるの?」
 「フォーク・ギターさ」と私は答えました。「興味あったら、無料でレッスンするよ」
 「本当?」 訪問者は興味津々のようでした。「いつ来ればいいの?」
 「毎週水曜日、午後2時。良かったら寄ってよ」
 「そうするよ」
 「OK」 私はこの人物が再び来るかどうか少し疑いながら、「ところで、オレの名前はマーヴ」と言って、手を差し出しました。
 「オレはボブ」 彼はそう答え、握手を交わしました。
 驚いたことに、ボブは戻って来ました。そして、「常連」のひとりになりました。

folk lesson.jpg

ギターを持っているのが私、右隣がボブ・ディランです。
(提供:マーヴィン・カーリンス)


 私はいつも、ギター教室を楽しみにしていました。好きなことを2つやらせてもらえていたからです。教えること、そして、フォーク・ミュージックを歌うことです。でも、大変でした。学業とフォーク歌手を両立させようと頑張りながらわかったのは、両方を追求し、しかも、どちらも立派にやるのは不可能だということでした。私は渋々ながら、フォーク歌手のキャリアと学問のキャリアを天秤にかけなければいけないという結論に達し、学問のほうを選びました。
 フォーク・ミュージックのレッスンは終了しますと皆に伝えた数日後、ボブがやって来ました。私が講師を務められないとなると、どこに行けば歌のスキルを磨き続けることが出来るのかを知りたいってことでした。
 私はこのリクエストについて考えました。ボブが私の生徒だったのは短期間でしたが、彼には天賦の声もギターの腕前もないのは明らかでした。しかし、フォーク・ギターの腕を上げたいというやる気のある人間に反対することなど、私には出来ません。「10オクロック・スカラーに行ってみなよ。キャンパスから数ブロックのところにあるコーヒーハウスで、そこにはいつもフォーク・シンガーが何人かたむろしているから」
 彼はこのアドバイスにありがとうと言い、自分の道を進んで行きました。私がボブと直に会って話したのはこの時が最後でしたが、この後、彼と出くわすことになるとは、その時は知りませんでした。
 4年間が経ちました。1963年の秋、私はプリンストン大の大学院の1年生で、フランス語とドイツ語を必死に学んでいました。博士号取得候補者は2カ国語の読解の試験に合格しなければならなかったからです。特に難しかったのがドイツ語です。動詞をセンテンスの最後に置かなければならない理由が、全くわかりませんでした。
 とても大変だった授業の後に、その出来事が起こりました。私はプリンストンの町を散歩して、新鮮な秋の空気を吸って気晴らしをようと思いました。プリンストンは金持ちの家がたくさんある大学町で、マッカーター・シアターという大きな劇場がありました。この建物の前を通ろうとしたら、正面のライトアップされたマーキーが、来る週末に行なわれる大きなイベントの宣伝をしていました。通りの向こうからでもわかるほど大きく、キラキラ光る文字で出演者の名前が書いてありました。

McCarter_Theatre_Center,_Princeton.jpg


 ミネソタ大学で私にフォーク・ギターを教えてくれと言ってきた時から姓は変わっていましたが、出演者が誰だかはわかりました。あの頃は彼の名前はボブ・ズィママンでしたが、看板にはボブ・ディランとありました。
 あの瞬間、光に照らされたディランの名前を見たのは、私の人生で最悪の体験の1つでした。私はここで必死こいて勉強している学生で、大学院の2年に進級することが出来るよう、1カ月丸々をかけて試験勉強をしていました。一方、この時、目にしたのは、自分の生徒のひとりで、私より歌もギターもうまくなかった者が、既にスターの地位を獲得しているという現実だったのです。
 かつて「生徒」だったボブには、私が自分にあったらいいのにと夢見てすらいなかった作曲の才能があるとは、その瞬間は思いもよりませんでした。
 私は完全にグリーン・フェイス症候群に陥っていたのです。私は嫉妬心にグリーン・フェイス症候群という名前を付けました。「どうして自分がここで、あいつがあそこなんだ?」 私はぶつぶつ言いながら、不公平な世界に毒づきました。
 自己憐憫や嫉妬心に駆られることなしにボブ・ディランの歌を聞くことが出来るようになるには、この時から20年かかりました。彼の幸運と自分の不運を比較して嘆くことにどれだけたくさんの時間を無駄にしてしまったのか、今では考えたくもありません。
 よくよく考えると、ボブ・ディランは私にとってとても貴重な存在だったのです。皆さんが、私が理解するのに20年以上かかったことを数秒で理解することが出来るのなら、ディランは貴重な存在となるでしょう。
 嫉妬心----グリーン・フェイス症候群----は人間の中にある破壊力が最大であるものの1つです。嫉妬心は人生を惨めなものに変え、ケチ臭さのレベルをアップし、良質な時間と自尊心、楽しい生活を減らし、人を怒りっぽく険悪にしてしまいます。心を蝕み、精神の神経系を損なう癌のようなものです。
 良いものであるはずがありません!

グリーン・フェイス症候群は赤信号

 自分の中にある嫉妬心と折り合いをつけ、ボブ・ディランの成功に怒っていたのは愚か、かつ、狭量だったと理解するに至った時----怨恨や自己憐憫の気持ち抜きで、彼の名声を受け入れることが出来るようになった時----つまり、彼の成功と自分の状態を比べるのをやめた時、私は彼の成功に神経を尖らせて浪費していたエネルギーを解放し、自分を向上させるために使うことが出来るようになりました。

私がボブ・ディランの話をする理由

 私が「グリーン・フェイス症候群」の破壊力を知るのには、ボブ・ディランとの出会いが必要だったのです。自分の時間が嫉妬心に費やされてしまったら、楽しく生きることなど出来ません。
 私がこの話をするのは、現代社会には嫉妬がはびこっているからです。グリーン・フェイス症候群は大きな問題です。嫉妬心が私に引き起こした問題についてお読みになった皆さんが、それを人生から一掃する一助になれば幸いです。
 このグリーン・フェイス症候群が最も手に負えなくなるのは、自分と同レベルと思っていた人間が自分よりも大きな成功を享受している時です。私たちは日常生活において、直接的に、もしくは間接的に、こうした人と向かい合わなければなりません。こうした人は自分の持っているものを誇示する傾向があり、そういう場合、彼らの偉業を無視するのはますます困難になります。
 この症候群の「芝生」バージョンはもっとありふれたものでしょう。これは「隣の芝生は青い」と考え始めた時に起こります。隣の連中には負けられないという競争社会の中では、人は人生のどのかの時点で殆ど必ず嫉妬心を抱いてしまいます。私が自分の問題を皆さんにお伝えしたのは、この苦痛の種の危険に気づいてもらい、行動の中にそれがはびこらないよう、アドバイスをするためです。

皆さんはいかがでしょう?

 自分に正直になりましょう。あなたは他人に対して嫉妬心を抱いていますか? 兄弟に対してグリーン・フェイス症候群を抱いていますか? 配偶者に対しては? 友人に対しては? 親に対しては? 仕事の同僚に対しては? 自分より多くのものを持っている隣人に対しては? 新聞で読んだり、テレビで見たりした人に対しては? 嫉妬の気持ちがあるとしても、それはあなたひとりだけではありません。羨望、嫉妬、グリーン・フェイス症候群は人にはよくある弱点です。
 
とはいえ、弱点は弱点なのです。

 エネルギーを他人の出世について怒ったりや挫折感を抱いたりして無駄使いするのではなく、なれる自分になるために取っておくことが出来るようになったら、それは人生の喜びを最大化する絶好のチャンスです。嫉妬心やそこから来る行動にエネルギーを無駄使いしてはいけません。後で実を結ぶ可能性のあるところにエネルギーを注ぎ込んで、目標や目的を達成しましょう。他人がどう暮らしているかなど気にせず、自分の調子に集中しましょう。自分自身と愛する者たちのために成し遂げたことは、皆さんが人生を振り返る時に大切な糧となることでしょう。


The original article “The Lesson I Learned Teaching Bob Dylan Folk Singing“ by Marvin Karlins, Ph.D. (The Psychological Edge)
https://www.psychologytoday.com/us/blog/the-psychological-edge/202004/the-lesson-i-learned-teaching-bob-dylan-folk-singing
Reprinted by permission of the author



    
posted by Saved at 11:12| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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