1晩、1曲だけのバイオリン・プレイヤー、
ボビー・ヴァレンティノ・インタビュー
聞き手:レイ・パジェット
ボビー・ヴァレンティノ・インタビュー
聞き手:レイ・パジェット
先月、1987年の『テンプルズ・イン・フレイムズ』ツアーの記事を2つ書いていて、ひとつの注釈が目に留まった。トム・ペティー&ザ・ハートブレイカーズとの長期にわたる公演の締めくくりとなったウェンブリー・アリーナ連続公演の1日目(10月14日)のセットリストに、それはあった。8番目の曲〈Lenny Bruce〉に付いている註に「Bobby C. Valento (violin)」と記されているのだ。
こんな名前の人は知らないし、バイオリン・プレイヤーがボブのコンサートに飛び入りするのも極めて異例のことだ。この人物がボブとプレイしたことは後にも先にも、これ1回限りだ。それに、彼のファミリー・ネームは正しくはValentinoだった。私は該当の曲のビデオを探してYouTubeにアップした。酷いアングルから撮影されたものでボビーの姿は見えないが、演奏は聞こえる。
私はボビー・ヴァレンティノに電話インタビューを行ない、1987年のあの晩のディランのショウの1曲でバイオリンを弾くことになった経緯を聞いた。ボブのことについても話したが、ボブと長期に渡る関係を持っていたトム・ペティー&ザ・ハートブレイカーズについても話題にした。以下がそのインタビューである:
● 私が1、2週間前に送るまで、そのレコーディングは聞いたことはなかったのですか? 第一印象は?
音源が存在するのは知ってたけど、聞いたことはなかったなあ。もっと上手に弾くことが出来たのにとも思うけど、そんなに悪い演奏じゃない。あらかじめ曲を知ってたら、もっといい演奏になってただろうなあ(笑)。
● あの歌を演奏することになった経緯を覚えていますか? 〈Lenny Bruce〉は普通だったら選ばないんじゃないですか?
詳しい経緯は忘れちゃったよ。この曲は聞いたことがなかった。オレはボブ・ディランのことだったら何でも知ってるって人間じゃない。ヒット曲やアルバム数枚だけしか知らなかった。
《Damn the Torpedoes》ツアーに参加して以来、時々、トム・ペティーとは共演してるんだ。そのツアーではザ・ファビュラス・プードルズというバンドで前座を務めてたんで、とても仲良くなったんだ。トムがヨーロッパに来た時には、何度もゲストとして飛び入りしたよ。「ウェンブリー公演に来いよ」ってトムから誘われたんで、毎晩、演奏したのさ。〈Louisiana Rain〉に参加した晩もあれば、〈Stories We Could Tell〉をやった晩もあった。
ある晩、[トムのセットの後に]ステージの隣のVIPセクションで静かに座ってたら、ハートブレイカーズの面々がボブ・ディランと何やら打ち合わせをしてるのが見えたんだ。すると突然、ギタテクが現れて言ったんだ。「ボブからの要請だ。今すぐステージに来てくれ」って。オレはそこに行って、バイオリンのケーブルをプラグインした。演奏中、トム・ペティーが私に向かってコードを叫んでくれたよ。
● なぜ、どうしてそういうことになったのか、心当たりはありますか? その晩、あなたがトムと共演するのをボブは見ていたのでしょうか?
全くわからない。トムが「あいつを呼ぼう。何でも即興で弾いちゃうからさ」って言ったのかもしれない。オレは即興は得意なんだ。曲がどういうふうに進行するのか、素早く把握することが出来る。最初のヴァースは殆ど何も演奏してない。「ああ、こういう構造なんだ。了解」ってわかったあたりで、歌に合わせて演奏し始めた。9,000人の前で即興で演奏して、とても満足だった。
● あの1曲の前、もしくは後に、ボブと会話はしましたか?
あまり話してないよ。ボブはとても人見知りでさ…。オレは「とても楽しかったです」とは言ったんだ。あの後、メイフェア・ホテルのバーで少し話したんだけど、どんな内容だったのかは忘れたよ。どってことのない話だったと思うね。
そして、最後の晩にはジョージ・ハリスンが来ていた。ジェフ・リンやリンゴ、当時、ボブと交流のあった人全員がいた。ショウの後、皆がボブ・ディランの楽屋に詰めかけて、ちょっとしたパーティーをやっていた。オレはトム・ペティーの楽屋に向かった。あっちに行けるレベルの人間じゃなかったからね。でも、トムがオレを呼びに来たんだ。「ボブの楽屋に来い」って。主な理由は、当時、オレたち全員、スモーカーで、オレがとても品質の良いブラック・ハシシを持ってたからだと思う。ボブがオレに言ったもう一言が「ジョイントを巻いてくれよ、ボビー」だった。
● トムとハリスン、ジェフ・リン、ボブ・ディランが楽屋にいたということは、トラヴェリング・ウィルベリーズのプロトタイプですね。
ジョージ・ハリスンから「Traveling Wilburys」って書いてあるピックをもらったよ。その頃は、ウィルベリーズのことを耳にした人なんて誰もいなかった。イギリスにいる時、ウェイブリッジにあるジョージ・ハリスンのスタジオで少しレコーディングしてたのかもしれないね。
● 《Damn the Torpedoes》ツアーであなたのいたバンドがオープニングを務めた時に、ペティーと親しくなったとおっしゃいましたが、その後はどんなお付き合いをしていたのですか?
その後は、ハートブレイカーズが再びUKに来るまで、飛び入りすることはなかった。トム・ペティーが『Rock Goes to College』というテレビ番組に出演したんだよ[1980年]。これはバンドが大学でコンサートを行なう様子を紹介してた番組だ。トムから「オックスフォードにあるカレッジでコンサートをやるんだけど、プレイしに来ない?」って電話があったんで、オレも出演したんだ。
その晩はあまりいいソロを弾けなかったんだが、約2日後のハマースミス公演ではもっとずっといいソロが弾けて、それが《Pack Up the Plantation: Live!》[1985年発表]に入っている。[1980年3月7日〈Stories We Could Tell〉]
● 《Damn the Torpedoes》ツアーにはどういう経緯で参加することになったのですか? どういうふうにしてトムと親しくなれたのですか?
トム・ペティーのファースト・アルバムとセカンド・アルバムが大好きだったんだ。ハートブレイカーズはアメリカでブレイクするる前に、イギリスではビッグな存在だった。ザ・プードルズにはブライアン・レインていうマネージャーがいて、当時ペティーのマネージャーをやってたトニー・ディミトリアデスか誰かと知り合いで、サポート・アクトの仕事を取ってきたんだ。
彼らはオレたちがイギリスのパンク・バンドだと思って、ちょっと心配だったらしい。パンク・バンドとイギリス・ツアーをやった時、いろいろ大変だったらしいんだ。でも、すぐに、オレたちが楽しい連中だってわかってくれた。ペティーのツアー・マネージャーから宣伝用写真をもらうと、それに髭を描いて渡したりした。あいつらはそれを面白く感じて、オレたちに同じことをした。そうして、どんどん親しくなっていって、次の朝には誰がどっちのバスに乗ってるのかわからない状態になっていた。ホテルを出た後、あいつらがオレたちのバスに乗ってたり、オレたちがあいつらのバスに乗ったりしてさ。
● トム以外のメンバーとも仲良くなったのですか?
全員とね。スタンはよく笑う奴だった。ベンモントは素晴らしいミュージシャンだった。マイク・キャンベルもね。こいつの奏でるメロディックなギターは、ただただゴージャスだ。〈American Girl〉のエンディングは、練習してバイオリンで弾けるようになってしまったくらいさ。
● それをマイクには披露したのですか?
ああ。「お前、すげえな!」ってなってたよ。実際、ギターで弾くよりバイオリンで弾くほうがはるかに簡単なんだ。速いフレーズはバイオリンではとても簡単だ。バイオリンではゆっくり弾くより速く弾くほうがはるかに簡単なんだよ。ゆっくり弾くとなると、正確かつなめらかに演奏する必要がある。
● ボブ・ディランとはそうそう共演出来るものではありません。千客万来って人ではありませんし。
通し稽古でもしてたら、もっと上手に出来たと思うね。オレは即興が不得意ってわけじゃない。セッション仕事の中には、文字通り、リハーサルとして演奏したものが使われてるケースがたくさんあるし。誰かにコードを叫んでもらう必要があったけどさ。
● この場合、トム・ペティーが〈Lenny Bruce〉の演奏中にコードを叫んでくれたのですね。
ああ。ステージ上でオレに向かって「C、F、Aマイナー」って叫んでくれた。どのキーだったかは思い出せないんだけどさ。Cだったっけかな。
● 〈Lenny Bruce〉のオリジナル・バージョンは聞いたことがありますか?
いや。レコードは持ってなかったと思うよ。シングル曲だったら苦労はしなかっただろう。何度かラジオで聞けば、頭の中に入っちゃうからね。
面白いことに、ボブは照明が自分にストレートに当たるのが好きじゃなかった。それでボブを責めることは出来ないよ。明るい照明が自分に当たると、目にとって辛いんだよ。だから、ボブには正面から照明を当てさせないんだ。そうすると、ステージ上でとても心地いいらしい。観客の様子も見ることが出来るし。
● ウェンブリー4公演全部に出向いたのですか?
もちろん。どの晩かは忘れたけど、100年に1度の大暴風雨に見舞われたことも覚えてるよ。ハリケーンだった。ケント州にセヴンオークスっていう町があって、草原に本当にオークの木が7本立ってたんだけど、あの夜が明ける頃には3本になってたんだ。
その嵐が来る前に、オレたちは皆で、トニー・ディミトリアデス[ペティーのマネージャー]のお兄さん[弟?]がソーホー・スクエアでやってるレストランに行ったんだけど、その晩、皆が帰った後、午前3時頃に、ソーホー・スクエアの木が倒れて、このレストランを直撃したんだよ。
● ディランのステージに飛び入りしたことや、ペティーとの交流に関して、私が訊き忘れている面白い話はありますか?
あると思うけど、今すぐには思い出せないな。ボブはいい人みたいだった。ちょっと人見知りをするタイプだとは思ったね。人に寄ってこられてばかりだからじゃないかな。エネルギーがほとばしってる人間じゃないのには、オレは驚かなかった。
時間を割いてインタビューに応じていただいたことを感謝します。ボビー・ヴァレンティノの関わっているプロジェクトについてもっと知りたい人は、このウェブサイトをチェックのこと。
1987年10月14日のウェンブリー・アリーナ公演のフル・ショウはここで。
The original article “He Was Bob Dylan's Violin Player…For One Song” by Ray Padgett
https://dylanlive.substack.com/p/he-was-bob-dylans-violin-playerfor
Reprinted by permission