2022年12月28日

イギリス史におけるサヴィル・ロウ3番地の役割

 7年前の記事なんですが面白いので紹介します。私は軍事には全くの門外漢なので、階級名等が違ってる場合は教えてください。


イギリス史におけるサヴィル・ロウ3番地の役割
6層の歴史

文:Dr.グレッグ・ロバーツ


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メイフェア、サヴィル・ロウ3番地


 ロンドンのメイフェア地区にある第2級指定建築物に分類されるマンションハウスは、改装されてアバークロンビー&フィッチという子供用衣料品店になるのを阻止しようという運動が失敗に終わったことで、先頃[2014年末〜15年1月]ニュースになりました。今日はこの番地の歴史を皆さんに紹介しましょう。この偉大な建物の歴史を知ると、ここにアメリカの企業が入ってしまうなんてはまさに皮肉です。というのも、この建物にはイギリスの歴史と非常に興味深く重要な繋がりがあるというのが真実だからです。この建物は1733年に建てられて以来、イギリスの軍事史、文化史の発展に貢献した人物が住んでいました。さあ、中に入ってみましょう。

1. ジョン・フォーブス提督(1714〜1796)

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ジョン・フォーブスはウェルズリー=ポールの義父にあたる


 13歳で海軍に入ったジョン・フォーブスは、数々の出世を遂げて、1781年から死ぬまで艦隊の提督として活躍しました。この時代には、多くの軍人が体が不自由な状態となって戦地から帰還したので、体の障害は高位の官職に就くのに障壁とは考えられていませんでした。フォーブスは歩くことが出来ず、社交界に姿を見せることは殆どありませんでしたが、それでもイギリス海軍全体を指揮することが出来ていました。実際、サヴィル・ロウ3番地の自宅でミーティングを開いてそうしていたのです。フォーブスは1760年頃までここで暮らしました。

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ビング提督の処刑 (1757)


 フォーブスがイギリスの歴史に対して行なった最重要の貢献は、ビング提督裁判への関与です。ビングは1756年にミノルカ島を失ったことで有罪となった人物です。敗北を防ぐために「最善を尽くさなかった」ことで、裁判にかけられ有罪となりました。ビングに死刑が宣告された時、寛大な措置を求める嘆願が出されましたが、ジョージ3世は怒って聞く耳持たずの状態でした。フォーブスはビングの死刑執行令状に署名することを拒んだ唯一の提督でしたが、1757年3月14日に彼が銃殺部隊によって処刑されるのを止めることは出来ませんでした。しかし、この出来事が一般大衆の心に残した影響は大きかったので、軍務中の海軍将校がこの罪で死刑になったのは、これが最後でした。巨大な圧力に勇敢にも屈しなかったことで、フォーブスは高潔で哀れみ深い人物としてその名を知られ、海軍の人員をより公正に扱うことのお手本となりました。
 1784年にフォーブスの双子の娘、キャサリンは海軍三尉、ウィリアム・ウェルズリー=ポウルと結婚し、サヴィル・ロウ3番地で挙げた式には、ゲストとして後にウェリントン公爵になるアーサー・ウェルズリーも来ました。ウェルズリー=ポウルは1797年にこの建物を相続しましたが、貸し出すことにしました。

2. ロバート・ロス少将(1766〜1814)

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 ウェルズリー=ポウルの最も有名な賃借人はロバート・ロスでした。ロスは有名なイギリスの少将で、大西洋を渡ってアメリカ合衆国に軍を進めたことで最もよく知られています。アイルランドで誕生したロスはアレクサンドリアの戦い(1801年)から帰還した後、1805年までサヴィル・ロウで暮らし、その後も、コルナの戦い(1809年)に参戦し、半島戦争中(1808〜14年)はアーサー・ウェルズリーの下で軍務に就きました。ロスは1814年2月27日のオルテスの戦いで重傷を負ったにもかかわらず、イギリス軍の遠征部隊を指揮してアメリカを攻撃することに同意しました。

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今日では信じられないことですが、イギリス軍はホワイトハウスを焼き払いました
(1814年)


 ロスはブレイデンスバーグでアメリカ軍を総崩れにした後(1814年8月27日)、ワシントンDCに軍を進め、ホワイトハウスを含む政府の建物を全て破壊しました。アメリカの地を踏んだイギリスの軍人の中で、ロスが最も記憶に残る人物なのは、おそらくこの活躍のためでしょう。

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ロス少将の死


 しかし、ロスにとってこれでめでたしではありませんでした。彼は1814年9月12日にノース・ポイント近郊でアメリカ軍の狙撃兵によって殺されました。ロスが埋葬されているのはノヴァスコシアのオールド・ベリイング・グラウンドですが、彼の名が刻まれた墓碑はロンドンのセント・ポール大聖堂にあります。

3. ウェリントン公爵(1769〜1852)

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 アーサー・ウェルズリーがインドでの8年間の軍務から帰国した後、最初に滞在したのがブラックヒーズにあるウェルズリー=ポウル家でした。当時はまだ結婚しておらず、ロンドンに家を持っていなかったからです。ウェルズリーは1814年に再び軍務に就くことになっており、ナポレオンの降伏と島流しの後の半島戦争からは勝利の帰還を果たしました。爵位を与えられてウェリントン公爵になったばかりの人物が、ウェルズリー=ポウルの屋敷ではなくサヴィル・ロウを選んだというのは、とてもインパクトがありました。大きな戦功をあげた英雄の姿を一目見ようと、何千もの人々が外に集まって、徹夜までするようになったのです。ウェリントン公爵は1カ月間サヴィル・ロウで暮らした後、パリに戻ってしまいました。

4. ウィリアム・ウェルズリー=ポウル(1763〜1845)

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 ウェルズリー=ポウルは1797年から1842年までサヴィル・ロウ3番地の所有者でした。彼は造幣局長の任期中に新しい銀貨の導入を統括しているのですが、 1817年から1971年に10進法制が導入されるまで、長らく流通していた銀貨がそれです。

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 シリング[1971年まで用いられた英国の補助通貨単位。1ポンドの20分の1。12ペンス。新制度では1ポンドは100ペンスとなり, シリングは廃止]こそ、イギリスの独自性を示す最大のシンボルの1つでしょう。ウェルズリー=ポウルの支援があって、見ればすぐにそれとわかるセント・ジョージとドラゴンのモチーフが出来上がりました。今日もなお使用されているこのモチーフはベネデット・ピストルッチがデザインしたものです。

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5. 山高帽(1849年)

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これぞイギリス----山高帽


 英国紳士といったらステレオタイプ的に真っ先に思い浮かぶのが、山高帽をかぶっている姿でしょう。サヴィル・ロウ3番地は、山高帽発祥の地としての栄誉を求める権利を有しています。ウィリアム&トーマス・ボウラーが1850年に山高帽の最初のプロトタイプを作った人物と言われていますが、この帽子はイギリスの軍人/政治家のエドワード・コウクによるデザインにちなんで作られたというのが一般的な認識です。コウクは、乗馬に出かけた際、狩猟管理人の帽子が木の低い枝にぶつかって落ちるのを見るのにうんざりして、この帽子を考案しました。町にいる時には、コウクはサヴィル・ロウ3番地で暮らしていました。

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山高帽は社会階級を上へと移動


 山高帽は最初はヴィクトリア期の労働者階級でとても人気があるものでしたが、中流階級の実業家の標準的ユニフォームになり、1960年代には、貴族階級にまで広まりました。

6. ザ・ビートルズ(1969)

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 1969年1月30日に、ビートルズはサヴィル・ロウ3番地のアップル・レコード本部の屋上で、最後のコンサートを行ないました。ビートルズは前年6月に50万ポンドを払ってこの建物を購入して、その後の18カ月のうちの大部分をそこで過ごしたと言われています。かの有名な屋上コンサートもこの時期に行なわれました。

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 今でもなお、サヴィル・ロウ3番地はビートルズ・ファンが訪れる観光地となっており、彼らがこの建物を使っていたことを示す青い看板を見つけて上げる叫び声がずっと絶えません。

最後に

 この記事用の調査をしている際に、ネルソン提督の愛人、レディー・ハミルトンに関する記述も見つけました。彼女もかつてサヴィル・ロウ3番地に住んでいたことがあるというのです。しかし、ロス大将よりも前にここを賃借したのでない限り、彼女をこの時間軸のどこに入れてよいのかわからないので、このブログ記事には含めませんでした。しかし、サヴィル・ロウを大切にすべき理由は、ビートルズがいたからだけではありません。このイギリスの重要なファッション地区からアメリカのアパレル・メーカーを追い出すためだけでもありません。この建物がイギリス的なるもの全般----冷静沈着な性格(フォーブス)、軍事行動(ロスとウェリントン)、イギリスの通貨(ウェルズリー=ポウル)、まさにイギリス的な帽子(ボウラー・ハット、山高帽)、そして、ビートルズ----とつながりをもっているからです。
 実際に、サヴィル・ロウ3番地は、私たちが心に抱いている「イギリス的なるもの」にとって非常に重要な、さまざまな人物やシンボルを提供しています。
 2009年にキア・ホールディングスが2,000万ポンドを払ってこの建物を手に入れましたが、その運命はまだどうなるかわかりません。未来は誰にもわかりません。

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デモの様子
歴史を知ってたら、かぶるのは山高帽だろうに!



The original article "3 Savile Row----Its role in British history" by Dr. Greg Roberts
http://www.wickedwilliam.com/3-savile-row-role-british-history/?fbclid=IwAR01FFfDLru1r7ipCkb0hrII35UlmCXxdIxBUj10ACMnXP_kz47djETo1mM
Reprinted by permission

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posted by Saved at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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